ジャングルクルーズ

トルトゥゲーロ国立公園へ


コスタリカ日記

12月23日(月) その1

今日の起床時間は4:30である。本日の目的地トルトゥゲーロ国立公園は、カリブ海沿岸の北部に広がる道路のない熱帯雨林のジャングルで、アクセスはプエルト・リモンの北にあるモイン港まで160Km、そこからカリブ海に平行して走る天然の運河を船で北上することになる。本来、日本人係員の同行はないのだが、今日のツアーは本間さんが同行してくれたので心強い。
5:30ホテルを出発し、サンホセ市内を経由し他の客をpick up し6:00にコスタリカ人の青年がガイドとして乗り込んでくる。服装はジャングルクルーズ状態で、明るくスペイン語とスペイン訛の英語で挨拶している。しかし、乗客のほとんどが日本人であり、英語でジョーク混じりでガイドするがなかなか伝わらず、一人で笑っている。ところどころ、本間さんが通訳してくれていたが、そのうち本間さんに日本語を習い始め、日本語の単語まじりでガイドを始める。 
車はプエルト・リモンにむかう幹線道路32号線を進む。32号線はブラウリオ・ガリージェ国立公園横切り、コスタリカ唯一のトンネルであるスルギ・トンネルを通る山道から始まる。幹線道路ではあるが、所々落石があったり、穴があいていたりする。道路の維持管理にはあまりお金をかけていないようである。
車は、峠を越えたところで、2つの谷が合流する地点にかかる長い橋の前で止まった。下を流れる川は、リオ・スシオだ。スシオ川とは、汚い河という意味だそうだ。歩いて橋を渡る。片方の谷の水は澄んでおり、もう一方の谷の水は濁っている。この2つの水が橋の下で混じりあっている。地元の人はこの濁った水の色を汚いと表現しているようである。この濁った水は、イラス火山の鉄分を含んだ溶岩が、水に溶け、酸化鉄の黄色をしているのだ。橋の周囲には、インパチェンス・貧乏人の笠といった植物があった。次にヘリコニオス・バタフライ・パークに立ち寄り、ブルーモルフォ・フクロウ蝶等の写真を撮る。我々が、写真やビデオを撮りまくるので、他の客は不思議そうに見ていた。
山道を下り、町並みが見えてくる。ドライブインに立ち寄り朝食をとる。開放的な店先にはバナナの房に飾り付けをしたクリスマスのデコレイションが下がり、庭にはハイビスカスの花が咲いている。朝食は代表的なコスタリカ味で、ガージョ・ピント(見かけも味も赤飯のピラフ)とスクランブル・エッグ、パンなどであった。 朝食を終え、カリブ海にむけ車を進める。車窓からはジンジャーの花や熱帯の作物が多く見えてくる。また、デルモンテやドールの広大なバナナプランテーションも見えてくる。
 クルージングの時に食べるバナナを仕入れるためにデルモンテのバナナプランテーションに立ち寄る。青いバナナの房がワイヤーにつり下げられて運ばれ、実に付いている花をとり、房がばらされ、水洗いし、計量し、箱詰めされていく過程を写真におさめる。
車は、「旅人の木」に見送られながら、デルモンテのバナナプランテーションをあとにし、32号線をカリブ海にむかって進んだ。

コスタリカ日記

12月23日(月) その2

コスタリカの男は、とにかく明るい。ガイドの青年も運転手も一人で歩いている女性を見かけるとすぐにバスに乗っていかないかと声をかけている。ラテンの国ではそれが礼儀なのかもしれない。
カリブ海にむかう32号線はまっすぐにのびる1本道で、道沿いの畑の中にはプランテーションで働く労働者のあばら屋が点在している。カリブ海沿岸の低地地帯は一年中蒸し暑く、ジャマイカあたりから連れてこられた人達が住んでいる所らしい。ガイドの説明によると、昔はマラリヤなどの病気があり、黒人の方が白人よりマラリヤに強かったからとのことである。
車窓からは、廃線になった線路が見えてくる。コスタリカには首都サンホセからカリブ海方面のプエルト・リモンにむかう鉄道と太平洋側にむかう鉄道があったのだが1990年のニカラグワ大地震の際、致命的な打撃をうけ、復旧する予算の無い政府によって鉄道は廃止になったのである。かつてこの線路はジャングルトレインとして大事な観光資源であったそうだ。鉄道で働いていた人はどうなったのかとたずねると、「タクシーの運転手にでもなったんじゃない」といった答で、どうもコスタリカの人は物事にこだわらないようである。
トルトゥゲーロ国立公園への入り口であるモイン港が近づいてきた。ガイドの青年は紙とペンを取り出し、名前とパスポート番号を書けと言う。数名の者がパスポート持ってきておらずパスポート番号が書けないと言うと、名前だけ書けと言う。本間さんの説明によると、トルトゥゲーロ国立公園まで続く運河は、そのままニカラクワまでつながっているので、途中の検問所で名前とパスポート番号を報告しなければならないそうなのだ。ガイドの青年は全員をまわった紙を受け取り、パスポート番号が書かれていない人の名前を読み、勝手に番号を書いている。やはり、コスタリカ人は物事にこだわらないようである。
車はプエルト・リモンの北7Kmのところにあるモイン港に到着する。これから先は、道路がない未開のジャングル地帯なので、交通手段は運河を走る船しかなく黒人系の水上タクシーの船頭達が、たむろしている。我々は、ツアー船をチャーターし、運河を北上する。運河の横にガソリンスタンドが見えてくる。船は給油のためスタンドに立ち寄る。ここでは、運河が道なのだ。
ジャングルクルーズの始まりだ。緑の壁のような熱帯雨林のジャングルをカリブ海の海岸線に平行に走る運河は天然の運河で、小さな支流運河が人工的に縦横に走っている。うっそうとした森の中には、ホエザルやナマケモノが、水辺には、ワニや、たくさんの水鳥が我々を迎えてくれる。このツアーに参加する客の目的は、アニマルウォッチングやバードウォッチングであり、熱帯雨林の植物にも関心がある我々は、ガイドの青年には厄介な存在のようだ。それでも、明るくジョーク混じりにガイドを続けている。途中、雨に降られながらトルトゥゲーロ国立公園まで約2時間のクルージングを楽しんだ。



12月23日(月) その3

トルトゥゲーロとは、「海亀のいる場所」という意味で、国立公園内の浜辺にはカリブ海一帯から、海亀が産卵にやってくる。この浜辺にやってくる海亀は2種類知られていて、アオウミガメとオサウミガメである。アオウミガメの産卵期は7月から10月で特に8月がピークである。オサウミガメの産卵期は2月から7月でピークは4月から5月である。海亀は大切に保護され、詳しい生態調査が続けられているが、産卵期には専門のガイドが案内する観察ツアーもあるそうだ。
この地域は、年間5,000mm以上の豪雨地帯として知られ、2月から5月と9月は比較的降雨量は少ないが、7月と12月をピークに1年中雨具の用意を忘れてはならないそうだ。我々も運河クルーズの途中から雨に降られた。
 昼食をとるコテージが近づいてきた。ガイドの青年が靴を脱げと言う。コテージの桟橋が雨による増水で10cm位水没していると言うのだ。いつもジョークを言っているので、最初は信じていなかったのだが、彼が本当に靴を脱ぎ出したので、半信半疑で靴を脱ぎ、ズボンの裾をまくった。
 本当であった。靴を手に持ち、冷たい川水の中を素足で歩いてコテージに向かう。桟橋どころか、コテージは床下浸水状態である。しかし、誰もそんな事を気にしていない。コスタリカ人はそんな事にこだわらないのである。昼食を楽しんだ後、雨の中、素足でカリブ海の浜辺に向かう。波は荒く(サーフィンにはいい波だと思った)重くたれこめた雲は冬の日本海の様な感じもする。しかし、海水は川の水より暖かく、素足だからこそわかるカリブ海を感じる事が出来た。しばらくの間波とたわむれ、海岸の植物を写真におさめた後、帰路につく事になる。
帰路は、来た道をひたすら引き返すだけである。一度見た風景であるが、写真やビデオを撮りまくる我々には2度目のチャンスであり、なかなか船を前に進ませない。またクルージングの間は、飲物やオードブルがサービスされ、なかなか楽しい。 雨はあがり、夕暮れ時にモイン港に戻る事が出来た。たぶん予定時間より2時間位遅れているようだ。予定を遅らせているのは我々なのだが、誰も予定の事など気にしていない。そもそもガイドは何時までどうするとか、こうすると言う事を一言も言わないのである。つまり、皆が納得するのを見計らって進めているのである。日本ではどちらかと言うと、予定通りに物事を進める事を善とされるが、この国では、皆が納得する事が善であり、時間に寛容なのであろう。
車は、ノンストップでサンホセに向かう。ものすごいスピードである。途中パトカーを追い越すほどである。(交通取締は別の機関だそうだ。)ともかく無事、2時間遅れの20:00にホテルに到着する事が出来た。
夕食はホテル内の日本料理「さくら」でとる。カラテパンチ・ゲイシャガール・ボンサイパンチなど飲物のメニューがおもしろい。食べ物は定食、寿司、鉄板焼、そば、うどん、など日本の物は何でもある。私は、豚カツ定食とカラテパンチをたのみ、久しぶりに、ジャポニカ米を口にする事が出来た。

貧者の傘 フクロウ蝶
クリスマスツリー バナナプランテーション
旅人の木 天然の運河
生活道路 カリブ海