ケツァルの棲む森へ

セロ・ラ・ムエルテ    古都カルタゴ


コスタリカ日記

12月24日(火) その1

今日の予定はサラピキ川・ジャングルクルーズである。ジャングルクルーズ??何と昨日とほとんど同じである。日本で計画をたてたときは、トルトゥゲーロ国立公園がジャングルクルーズとは知らなかったので、この様な計画になったのである。二日間も同じ事をする訳にはいかない。ここは、交渉の国である。本間さんお願いし日程を変更してもらう。様々な交渉が行われた後、チャーターしてある船のキャンセル料1人あたり15ドルを支払、ケツァルの棲む森自然観察ツアーに変更してもらうことになる。
 本来、このツアーの出発時間は5:00である。ところが、現在の時間はすでに8:00、もしかしたらケツァルを見る事が出来ないかもしれない。しかし我々は、確かにケツァルも見たいが、ケツァルが棲む森、熱帯雲霧林を歩きたいという希望もあり、お願いした。すると本間さんが、「そういう無欲な人に、ケツァルは姿を見せるんですよ。」と言う。
ケツァルとは、バードウォッチャー憧れの世界一美しい鳥で、体の大きさはハトくらいだが、尾のように見える長い腰の毛がリボン状に伸び、全長は1mくらいになる鳥だ。メキシコからパナマにかけて分布し、グアテマラの国鳥でもあり、その名は通貨の単位として使われている。また、手塚治虫の「火の鳥」のモデルともいわれており、神秘的な美しさを持つ幻の鳥である。その美しさゆえに、ヨーロッパの貴婦人の帽子となり、その数は非常に少ないと言われている。コスタリカでは、ケツァルの棲む森の木は伐採を禁止し保護しているそうだ。
我々は、サンホセから南下し古都カルタゴを通り、ケツァルの棲む森、セロ・ラ・ムエルテ(死人の峰)の森へ向かう。車は山道を登り標高をかせいでゆく。
 標高2,000m付近にさしかかり、車窓から外をながめると、紫陽花の花が咲き、日本の平地の様な光景が広がる。途中、車を止め道ばたの植物の写真を撮る。ガイドがインパチェンスの花とタバコを持ってくる。ガイドのホルヘがタバコの火を花に近づけると、赤い花が青色に変化した。花の色素が熱で化学反応をしたのである。ホルヘの説明によると、この青色は、インディアンの化粧に利用されたそうである。
インパチェンスは英語で、チャイニーズ・レディー(Chinese Lady)と言い、スペイン語では、チノ(Chino)である。中国という名前が付いているのだが、中国は
ドイツ語ではヒイナ(China)であり、日本では昔、シナ(支那)と呼んでいた。

   シナ ← ▲ → ヒイナ → チノ → チャイナ
   日 中 独 西 英
この変化に気づき、世界を感じた。
車は、標高2,600m付近まで進んだ。日本では森林限界を越えているが、コスタリカではカシの木の仲間の森林が広がっている。


コスタリカ日記

12月24日(火) その2

標高2,600mといえば、立山の室堂(2,450m)よりも高い。こんな高所まで森林があるとは、さすが熱帯である。ちなみに、熱帯の森林限界は4,000m位なので、まだまだ森林が続くのである。しかし、山岳地帯であることは立山と同じで、午前中晴れていても、午後からは霧や雲に覆われるようである。この辺りの森林は熱帯雲霧林と言われている。
出発時間は遅かったが、天候に恵まれ青空が広がっている。車は、昼食をとる事になる山小屋に到着した。ここで、長靴を借り、山小屋オーナーの弟、カルロスの案内で森の中へ向かう。森の中には歩道が造られているが、ぬかるんでいて長靴無しでは歩けない。ところが、この長靴がひどい。中に泥が入っている物、穴があいて長靴の役を果たさない物、右と左のサイズが違う物と言った具合である。
雲霧林の中は、木の枝から下がる藻の様な物が特徴的である。これは、サルオガセの仲間で、地衣植物に属する。(地衣植物とは、藻類と菌類が共生している植物)ガイド達は、「スパニッシュ モス(Spanish moss)」スペインゴケと呼んでいる。林床にはワラビがあり、日本では食べると言うと、ガイド達は驚いていた。
カルロスが、我々に手招きをする。どうやらケツァルを見つけたらしい。50m位離れた木の上に、ケツァルが長い腰の毛を下げてとまっている。双眼鏡でなければその姿を見る事が出来なかったが、確かにケツァルを見る事が出来た。
起伏の激しい雲霧林の中を歩き、植物の写真を撮る。途中、沢を渡り小さな滝が見えてくる。この沢の水は、霧が木々の葉に付き、水滴となり、集まって出来た沢だ。沢の中には巻き貝の化石もある。滝の横の崖に粘土があり、ガイドのホルヘとカルロスは、粘土を顔に塗って見せる。美容によいと言う事を言いたいようだ。
森の中の歩道には、所々、生木を組んだ手すりが造られている。着生植物がよく育つ水分環境(霧からの水分供給)だからであろう、手すりから新芽が出ている。
 花の写真を撮っていると、ハミングバード(ハチドリ)が花の蜜を吸いに来る。目の前で蜜を吸う姿を写真におさめることが出来た。
雲霧林の植物と鳥を充分に楽しんだ後、昼食をとるため、山小屋に戻る。山小屋の横の池にはニジマスが養殖されている。山小屋のオーナーが子供達と共に出迎えてくれる。そして、木の細工物を1個5ドルか1,000コロンで売りつけようとする。この地の物価から言えば、相当ふっかけている。しかし、余りに気分が良かったので、チップ代わりに買うことにする。5,000コロン(コスタリカの最高紙幣)を出してお釣りをもらおうとすると、お釣りが無いので、5,000コロンで買えと言う。さすがである。当然要らないと言うと、お釣りが出てきた。しかし、悪気はなさそうで、とりあえず、言ってみようかという感じである。
山小屋の食堂に入り、昼食をとる。先ほど眺めていたニジマスがカレイ風味の揚げ物になって出てきた。ちょっと山歩きした事もあって、大変おいしい昼食となった。

コスタリカ日記

12月24日(火) その3

山小屋の厨房の中では、オーナーの奥さんとカルロス(オーナーの弟)の奥さんが控え目に働いている。それにしても、カルロスの奥さんは美人である。スペイン系の正当的な美人と言った感じで、さすが美人の産地である。
食後のコーヒーも終わり、外に出てみると、先ほどの青空が嘘のような一面の霧である。さすが熱帯雲霧林、午後になれば霧が出るのであろう。天候も悪くなってきたので、下山し古都カルタゴに向かう。途中、車窓からは森林が伐採されて造られた放牧地が見えてくる。環境保護先進国のコスタリカとて、環境破壊に無縁ではなく、1940年に国土の67%を占めていた原生林も、1983年には、17%に激減した。何らかの森林に覆われている面積は33.5%ほどあるが、原生林はやはり、少なくなっている。森林破壊の原因は、米国企業を中心とした森林の伐採コーヒー・バナナなどの栽培、ハンバーガー用牧畜の為の放牧地造成などと言われている。(熱帯アメリカの放牧地で育った牛は痩せていて肉が硬く、ハンバーガーに最適である。このため、多雨林の破壊は「ハンバーガー・コネクション」と呼ばれている。しかしアメリカの中南米からの牛肉輸入量は、全牛肉輸入量の1.2%にすぎず、森林破壊の主要原因と言うには誤解であると言っている。日本における割り箸は、アメリカではハンバーガーであった。)1960年以降から、米国や英国の生物学者の指導による自然保護運動が盛んになり、国立公園や自然保護区の拡大と整備が進み、今では、世界でも有数の自然を残す国となったそうだ。
下山の途中、道沿いの駄菓子屋に立ち寄り、姫リンゴ・イチコ・駄菓子などを買う。道の反対側では、少年が薪割りをし、一輪車で家の中に運んでいる。この地では、燃料に薪を使っているようである。少年達の姿を写真におさめた後、古都カルタゴへむかう。
カルタゴには、コスタリカの守護聖母、黒いマリアが祭ってあるカルタゴの大聖堂があり、中米各地から巡礼者を集めている。また、今日はクリスマス・イブであり、大聖堂を訪れるには、意味深い日となった。特別なミサが行われるということは無いようだが、敬虔な信者が礼拝に訪れている。敬虔な信者は、側廊を膝間づいて前へ進んでいる。教会の中は、荘厳でクリスマスの特別なデコレイションがされ、奥の祭壇の下を通り抜ける胎内巡りの様な物があった。祭壇の下には大きな礎石があり、信者はその石に触れてお祈りしていた。
大聖堂を後にし、カルタゴの中央市場を車窓から眺める。クリスマスの買い物のためか、大変にぎわっている。ブドウやリンゴなどの果物を売る店が目立っていた。バスターミナルでは、地方へむかうバスが満員の状態であった。車窓から物珍しそうに眺める我々を、物珍しそうに眺める通行人の視線を感じながら、古都カルタゴを後にした。


コスタリカ日記

12月24日(火) その4

古都カルタゴは首都サンホセから22Kmと近く、交通の便も良い所である。この町はコスタリカ最古の町で、1563年に建設され、1823年の大地震によって破壊されるまでの約250年間コスタリカの首都として栄えた町である。その後首都はサンホセに移り、また1841年と1910年の地震でこの町は壊滅的な被害を受けた。したがって町中には古い建物は見ることはできず、ビザンチン様式のカルタゴの大聖堂も1926年に再建されたものである。古都カルタゴは、なかなか気持ちの良い町であった。
16:00頃ホテルに到着する。まだまだ時間がある。クリスマスイブでもありサンホセ市内を歩きたいという声もあり、本間さんにタクシー事情をたずねる。すると、サンホセ市内はメーターで走るが、長距離は交渉で料金が決まるそうで、サンホセ市内からホテルまでは、だいたい2,000〜2,500コロン位だそうだ。もしそれ以上だと言ったらふっかけられているとのことである。
クリスマスイブでもあり、なかなかタクシーも捕まえにくいと判断し、サンホセ市内に向かうことを断念する。
パンアメリカンハイウェイをはさんで、ホテルの向かい側に、ホームマークと言うショッピングセンターがあり、そこを覗く事にする。しかし、若手は納得せず、パンアメリカンハイウェイを空港からサンホセ市内に向かうバスを利用して町へ向かったようである。
ホテルの向かい側にわたる手段は、ハイウェイを横切るしかなく、地元の人も車の合間を見てハイウェイを走り抜けている。生まれて初めて高速道路を横断しホームマークに向かう。ホームマークは、駐車場が沢山ある郊外型の高級ショッピングセンターで、近代的な3階建ての建物の中に、映画館やゲームセンター、輸入ブランド品の店、日系スーパーのヤオハン、ファーストフードの店等が立ち並び、なかなか楽しめるショッピングセンターである。ヤオハンには、日本の食材が豊富にあり、納豆や豆腐まである。(何処で作っているのだろう?)また、22日にお土産物店で買ったコーヒーと同じ物が安く売られている。やられたって感じである。気をとりなおして、お土産のチョコレートを買い込む事にする。ここでも我々は、謎の東洋人であり、レジで5,000コロン紙幣(最高紙幣)をだすと、しっかりとスカシを確認された。
そろそろ閉店の時間が近づき、出口に向かうと、チャイニーズのファーストフードがあり、興味深そうに近づくと店員も興味深そうに眺めている。面白そうなので、食べてみる事にする。英語は通じないので、身ぶりで値段を聞きながら、チャーハン・焼きそば・春巻き・ワンタン(揚げギョーザの様な物)をたのむ。我々が食べているとその姿を、興味深そうに眺めている男がいる。その男は後で、レジのお金を回収していったので、たぶん店のオーナーであろう。いろいろな所で、視線を感じながら1日が終わっていった。

テキーラディジーズ ナイロンの木
スパニッシュモス ケッァル
熱帯雲霧林 山小屋の家族
カルタゴの市場 カルタゴの市場
カルタゴの大聖堂 カルタゴの大聖堂