ロサンゼルスへ


 コスタリカ日記

12月21日(土) その1

ついにコスタリカへ旅立つ日が来た。富山駅6:58分の北越1号に乗るために5:00に起床する。昨日までの激務を考えるとなかなかきつい。飛行機の出発時間を考えると8:20分のかがやき3号でも間に合うので、最初はかがやき3号の指定席を取ってあったが、新川地区からの乗車が出来ないため、北越1号に変更したのだ。この変更がコスタリカへの旅にとって重要な意味を持つ事になった。北越1号から乗り継いだあさひ306号が大宮駅に到着する直前、ホームにさしかかったところで停車し、室内灯が消えた。窓から外を眺めると、架線が大きく揺れている。地震による緊急停止である事が解るまでそれほど時間はかからなかった。こんな事は想定していなかったが、荷物の中に携帯ラジオを入れておいたのが役にたった。早速、ラジオを取りだし情報を仕入れる。赤城山の近辺で震度5弱という事で、上越新幹線・東北新幹線が緊急停止したとの事である。ちなみに、大宮付近は震度3で、地震の影響はほとんどなかった。あさひ306号は十数分停車した後運転を再開した。しかし、高崎付近は線路の点検のため運転再開の見通しがないとの事で、もし、かがやき3号にのっていたら飛行機の出発時間に間に合わなかったであろう。新東京国際空港発の格安ツアー(コスタリカ9日間268,000円)である我々のフライトは変更できない為、乗り遅れたら人目さけて9日間隠れて過ごさなくてならなかった訳で、危機一髪だった。
 ともかく我々は予定通り成田空港駅に到着する事ができた。駅から空港に入るときPASSPORTを提示させられた。南米情勢であろうか、なかなか警戒が厳しい。とりあえずユナイテッド航空のチェックインカウンター前に荷物を置き、チェックインの時間まで出発ロビー(第1ターミナル南ウィング)内をうろうろする事にした。
 ロビー内にJCBのサービスカウンターを見つけ、海外加盟店の情報を地域別にまとめた小冊子をもらうことにする。中米の資料探したが全然無く、ロサンゼルスの資料だけをもらう。そうこうしているうちに、チェックインの時間(14:20分)となり、11人全員でチェックインカウンターに向かう。アメリカの航空会社ではあるがここはまだ日本である。日本人の凛々しい顔をしたNice guyが11人分まとめてチェックインしてくれる事になる。ロサンゼルスで乗換えサンホセまでの搭乗券を発券しようとするがなかなか手間取っている。眉間にしわをよせ、コンピュータを操作している。その横で、我々11人はX線での手荷物検査の様子をのぞき込んではしゃいでいた。どうもアメリカのサンノゼと間違て操作したらしく、手間取っているようだ。そのうち、我々がコスタリカのサンホセへ行く事が解り、なんとか搭乗券を手にする事が出来た。出国手続きを終え、免税店を横目に見ながら、セキュリティーを通り、搭乗ゲートに向かう。搭乗する飛行機を目の前にして何故かホッとする一時を過ごした後、機上の人となった。

 教 訓  時間に余裕を持った行動が大切である。


 コスタリカ日記

12月21日(土) その2

16:20頃、UA890便は、ロサンゼルスに向けて飛び立った。これから約9時間のフライトである。機内はほぼ満席だ。私の座席は機体中央の4人掛けシートの真ん中でなかなか辛い。水平飛行に移った後、飲物のServeが始まる。スチュワーデスは、日本語を話せる人は何人かいるが、基本的には英語である。さすがアメリカの航空会社である。すでにここはアメリカだ。「Heineken」、私の発音が余りにすばらしかったのであろう。日本語が話せる筈のスチュワーデスが、英語で何やら喋っている。どうやらHeinekenは無いと言っているらしく、持っているビール(Budweiser,Beck's,キリン)を見せてくれた。ちょっと、焦りながら平静を装ってBudweiserをもらう。
 日本時間で18:00頃、機内食がServeされる。ワインを飲みながら機内食を楽しんだ後、今後の事を考えて眠る事にする。日付変更線を越えるので12月21日は非常に長いのである。約9時間のフライトが終わってロサンゼルスに到着すると12月21日の9:00頃に戻っている事になる。ここで体を休めておかないと2日間起きている事になってしまうので、アイマスクをかけなるべく眠るように、努力する。2時間ほど目をつぶっていたであろうか。なかなか眠れるはずもなく、ウィスキーでももらうことにする。スチュワーデスを呼ぶと、アメリカのテレビドラマで小学校の校長先生役で出てきそうな太ったおばさんがやってきた。「ウィスキー・プリーズ」と言うと、「スカッチ?」と言うので、「スコッチ」と答える。すると「ロック?」と言うので、「アイス・アンド・ウオーター」と言うと水割りを持ってきてくれた。単語だけでもなんとか通じるものである。ウィスキーを楽しみながら、すこしおしゃべりをしていると、となりの旅なれているようなお兄さんに、「静かにしろ」と叱られ、再び目をつぶることにする。
 日本時間で22日の0:00頃(夕食から6時間後)2回目の機内食がServeされる。ロサンゼルス時間では朝食の時間であるが、日本時間では真夜中である。そろそろ眠たくなった頃に朝食である。なかなか辛い。しかし、ここで体を起こしておかないと、時差ボケがひどくなるので、無理をして朝食を食べる。朝食後アメリカ入国に必要な書類を記入する。
 ロサンゼルス時間で21日の9:00頃UA890便はロサンゼルス国際空港に到着した。
いよいよ、入国審査である。「What's the purpose of your visit?」 には、「斉藤寝具(Sightseeing)」である。黒人の大男の前にすすむ。大男はにこやかに「How are you?」と言う。「Fine」と答える。すると、「カンコウデズカ」と言う。せっかく覚えた斉藤寝具を使わず「ハイ」と答える。すると、にこやかにPASSPORTのデータをコンピュータに入力し入国審査が終わった。Thank you」とにこやかに答えて、アメリカでの第一歩をしるしたのであった。

 コスタリカ日記

12月21日(土) その3

21日はとても長い、富山を出たのが7:00、ロサンゼルスに到着したのが、9:00である。約19時間の旅をしてきたのに、時差がー17時間あるので2時間しか経過していないことになる。入国審査を終えて、荷物を受取り関税に向かう。途中、白人の大男が、かわいい犬を連れて歩いている。犬はしっぽを振りながら、荷物の匂いを嗅いでいる。麻薬犬である。何事もなくすれ違うと、黒人の係員に緑
のラインを進めと指示される。少し歩くと、カウンターがあり、機内で書いた申告書を提出させられる。また少し歩くと、係員が何やら喋りながら、荷物をベルトコンベアーに乗せる。荷物のX線検査だと思い、反対側にまわると荷物が出てこない。
 後でわかったことだが、この時点ではすでに関税は通り過ぎていて、X線の検査は、黒人の係員に、赤のラインに進めと言われた人だけで、緑のラインは申請書を出すだけでおしまいだったのだ。それでは、荷物は何処へ行ったのであろうか。
成田でサンホセまでの搭乗券をもらった我々の荷物には、サンホセまでのタグがついており、それを見た係員が荷物を預かってしまったのであった。
ともかく、我々はいつのまにか到着ロビーに出てしまったのであった。格安ツアーである我々に出迎えなどなく、自力でホテルまで移動しなければならない。到着ロビー奥のホテル案内板まで進み、そこにあるホテル内線電話で無料送迎バスを呼び、専用停留所で待つことにする。15分ぐらいで来るとのことであったが、結局30分以上待たされた後、10:30過ぎにホテルにチェックインする事が出来た。 ここで、21:00頃まで休憩を取った後コスタリカへ向かうことになるのだがせっかくのロサンゼルスである。このままホテルに留まる訳にはいかない。全員一致でツアーバスでユニバーサルスタジオへ向かうことにする。ホテルを11:30に出発して19:30に帰ってくるツアーで62ドルである。ユニバーサルスタジオの入場料が33ドルであるから割高だが、安全に移動でき、時間も正確なので、利用することにした。ホテルからユニバーサルスタジオまでは約1時間で到着した。 アメリカでは、クリスマスは家族と過ごすもので、ユニバーサルスタジオも比較的すいていていた。むしろ、日本人が多いくらいだ。たくさんのアトラクションを楽しむことができた。19:30頃ホテルに戻り夕食をとり、ホテルにほとんど滞在することなく、21:00の送迎バスで空港に向かうことにする。しかし、我々の集合が悪く、乗り遅れてしまい特別に送迎バスを運転してもらうことになる。
国際空港に到着し、UAのチェックインカウンターに向かう。すでに搭乗券を持っているので、手荷物のラベルを付けてもらい、搭乗ゲートに向かう。途中、出国手続きがあるのかと思い歩いていると、なんの手続きもなく搭乗ゲートについてしまった。どうやら、アメリカという国は、「出る物は拒まず」という事らしい。
23:30出発予定だが、定刻になっても全く出発する気配がなく、キャンセル待ちの乗客の手続きが行われている。そうこうするうちに、乗り物に乗り続けの長かった12月21日は終わっていった。


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