三高歌集

紀念祭歌

明治四十四年  深尾巣阜 作詞作曲   茅野蕭々  教授 閲

現在Realplayer(無料)をダウンロード後インストール(Netscapeなら\Netscape\Communicator\Program\Pluginsに)されますと、Realplayerが組み込まれます。三高の旗をクリックして、お待ち下さい(Java起動に1〜2分かかります)。realの画面がでましたら左側の三角をクリックしてください。もちろんRealplayer plusでも歌が流れます。最新のRealplayerは音質が大変よくなりました。


櫻の若葉吹く風も
暁清き皐月空
三十六の峰々の
紫雲にもゆる日の光
見よほのぼのと霧晴れて
洛陽の朝あけてゆく


さくらのわかば ふくかぜも
あかつききよき さつきぞら
さんじゅうろくの みねみねの
しうんにもゆる ひのひかり
みよほのぼのと きりはれて
らくようのあさ あけてゆく


いま日の光高閣の
甍すべりて雙松の
みどりの露にさしそへば
力こもれる夏の香は
若き心を躍らせて
まためぐり来ぬ紀念祭

いまひのひかり こうかくの
いらかすべりて そうしょうの
みどりのつゆに さしそえば
ちからこもれる なつのかは
わかきこころを おどらせて
まためぐりきぬ きねんさい


この松かげに宿りして
二十五年の春と秋
王城の守護、比叡の嶺
理想は高しそゝり立つ
希望は清しゆく水の
ながれてやまぬ加茂の川

このまつかげに やどりして
にじゅうごねんの はるとあき
おうじょうのしゅご ひえのみね
りそうはたかし そそりたつ
きぼうはきよし ゆくみずの
ながれてやまぬ かものかわ


冶容の俗を蹂躙り
正義の道を闢かむと
九百の戦士神陵に
高くかゝぐる櫻章旗
雲路はるかにかゞやきて
惰眠の民を起たしめぬ

やようのぞくを ふみにじり
せいぎのみちを ひらかんと
くひゃくのせんし しんりょうに
たかくかかぐる おうしょうき
くもじはるかに かがやきて
だみんのたみを たたしめぬ


盛んなるかな初夏の
清きみどりの香をかげば
熱血胸にあふれ来て
鷙鳥虚空を仰ぐごと
踴躍の思堪へがたく
覺世の意気いや高し

さかんなるかな はつなつの
きよきみどりの かをかげば
ねっけつむねに あふれきて
しちょうこくうを あおぐごと
ゆやくのおもい たえがたく
かくせいのいき いやたかし


二絃奏づる松の葉に
夕すゞしき星月夜
光栄ある歴史偲びつゝ
まためぐり逢ふ紀念祭
よろこびあぐる盞に
松雫すようすみどり

にげんかなずる まつのはに
ゆうべすずしき ほしづきよ
はえあるれきし しのびつつ
まためぐりおう きねんさい
よろこびあぐる さかずきに
まつしずくすよ うすみどり

紀念祭か記念祭か?という海堀昶氏の記事が三高同窓会会報65に載っている。それによると明治26年に三高の発祥を舎密局とし、明治2年5月1日の舎密局開講の日をもって三高発足の日とした。その布告の文章に「本校ノ創立ハ明治二年五月朔日ナリ 依テ自今五月一日ヲ以テ本校ノ念日ト定ム」とあり、糸偏になった。海堀氏からの最近の私信によると、記念という字は明治時代はなく、紀念で現されており、言偏の記念が我が国に現れるのは大正中期からで、公式に認められるようになったのは、昭和に入ってからとのこと。また、明治時代に創設された高等学校の中で紀念祭の字を固守しているのは、いまや三高と一高だけだそうである。
三高は2008年第140回創立紀念大会を迎える。これは140周年ではなく上の明治2年を第1回としての第140回創立紀念の大会である。いわば数え年の考えである。(海堀昶)

作者、深尾巣阜は本名、贇之亟(会報 99(2004) 海堀 昶; 参照)。明治十九年三月岐阜県山県郡太郎丸村(現岐阜市太郎丸)に生まれ、はじめ六高一部法文科に入学したが、一年で退学し改めて三高二部工科に入った。卒業後京都帝大工科大学機械工学科に進み、後、鉄道院に入って技術者として過ごしたが、余技として作詩活動にその天分を発揮し、三十五才で急逝した。奥さんは詩人深尾須磨子で、この人はフルートをマルセルモイーズに習っている。巣阜も音楽を愛した。須磨子は夫の死後遺稿を編纂し、詩集「天の鍵」を出版した。序文は森鴎外、跋は与謝野晶子の手になる(同窓会報62青谷太郎氏(1985))

須磨子は後に荻野綾子作曲の新譜を寄贈したから、私の手持ちの三高歌集(1964年版)には曲が二つ掲載されている。しかし広く唱われているのは深尾巣阜作曲のもので、Realplayerで演奏されるのもこの曲である。
ところで、最近の同窓会報89(1999)所載の海堀氏の論考によると、新しく同窓会に収納された大正八年版三高歌集には作詞景山宜景 作曲広瀬剛の「紀念祭歌」が見られ、しかも大正十年以後の三高歌集には掲載されていないという。 八番まで歌詞があるが、ここには二番まで紹介しておく。


古都千年の秋老いて
綺羅粉黛の色は褪せ
蕭殺の気の溢る時
玲瓏たてる比叡山


ことせんねんのあきおいて
きらふんたいのいろはあせ
しょうさつのきのあふるとき
れいろうたてるひえいざん


自由高鳴る陵の上に
基礎古りぬ五十年

流転の時のたゆみなく
流れて已まぬ加茂の水


じゆうたかなるりょうのえに
いしずえ(モトイソかも
知れない。不明)ふりぬごじゅうねん
るてんのときのたゆみなく
ながれてやまぬかものみず

 

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