1.はじめに−−−なぜこのホームページをつくるのか

松本市のあがたの森公園に旧制松本高校校舎を使った旧制高等学校記念館がある。ここには全国の旧制高校の資料約13,000点が収蔵されている。わたしは第三高等学校、通常”三高”と呼ばれていた学校の卒業生だが、母校は1945年の敗戦に伴う学制改革で1950年廃校になった。三高の貴重な史料は現在旧制高等学校記念館ではなくて、京都大学に保存されている。同窓会“会報”も109号を重ねてついに廃刊の時を迎えたが、会員変更欄は訃報を連ね、本文にも追悼文が増えてきた。会員は減少の一途を辿り、そのうち一人もいなくなることは確実だ。わたし自身の体力も次第に衰え、根気が乏しくなってきた。三高についての記憶も薄れていく。今のうちに私の思い出の中の三高を私説として書き留めておきたいと思う。

一人の人間にとって、青年期に持ち得た環境はかけがえなく大切なものであるが、この年になって、現在の私のものの考え方も含めて、一生を通じて私の考え方の基盤を作ってくれた愛する三高に、驚きと尊敬、喜びと感謝の気持ちを心から捧げる。当時同年代で高等専門学校に進んだ人たちはもっぱら専門性のある職能学習に専念していたことを思うと、三高には壮大な一見無意味な暇・遊びの時間があふれていた。いまの世の中では無意味が人間形成にもたらす効用、その一見無意味な時間に思索する(三高生にとってはdenkenというドイツ語は日常的に使われていた)余裕が醸されていることに考えが及んでいないところに三高との基本的な違いが見られる。

戦後60年余を経過したが、日本の教育は相変わらず新しい伝統を生み出すには至っていない。近年ますます政治の意向を反映した権力的強制の色彩は強くなっている。戦前の日本は現在と違って自由主義を完全に否定し、教育を国家の方針に奉仕させる時代もあったが、その日本に国立としてもっとも古い歴史を持つ三高は百年の歩みの中で「自由」を学校の特色と掲げるに至り、事実、生徒に完全な信頼を置き教授陣も一流の人を揃えてその人格を基本にのびのびした程度の高い教育を行っていたことは、日本の教育史上永遠に記憶されてよい。なかんずく折田先生が30年にわたって校長として在任されたことが、校風の培養に大きく貢献したことも忘れてはならない。三高はこれからの日本の教育機関のありようについても一つの鑑となると信ずる。三高私説にはいろいろ三高の雰囲気を伝える具体的記事を同窓会誌から掘り起こし、多くの人のお目に掛けられるよう努めた。

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