歴史に関係することなら何でもありの伝言板です。ただし、特定の個人・団体を著しく中傷したり、反社会的な内容の書き込みについては管理者の判断で削除することがあります。ご承知の上ご利用下さい。
Sat Sep 30 04:19:39 2023
☆新規に書き込む
☆歴史のトップページに戻る

#11379 
ろんた 2023/09/25 22:27
『天幕のジャードゥーガル』(3)

『アイヴァンホー』(上)(下)『南国太平記』(下)を受け取りに行ったついでに新刊本屋で見つけて購入。オゴタイ・カアンとトルイが金国征伐から凱旋。その途中でオゴタイが病に倒れ、身代わりになったかのようにトルイが急死する。この辺は史実。『元朝秘史』にも書いてある。(実は持ってたりして) マンガではその裏側を描いているわけですが……
・第一皇妃ボラクチンが病に伏しているのを、ファーティマは"鉱山のほこり"を服用しているためだと見抜き、手持ちのジャダ石を献じ、ボラクチンの健康を回復させる。("鉱山のほこり"は不老不死の妙薬の原料とされる鉱物。毒物だが、少量なら薬となる。ジャダ石は羊の体内から見つかる結石。モンゴルでは用いないが、ペルシャではベゾアール石と呼び毒消しに用いる)
・ボラクチンとも親しく口を聞けるようになったファーティマは、オゴタイ家とトルイ家の対立を煽ろうする。
・ボラクチンと第六皇妃ドレゲネが密談
・病に倒れる直前、オゴタイがドレゲネの天幕を訪ねる
・オゴタイの病の原因もまた"鉱山のほこり"。病床に侍すのを許されたファーティマは、残りのジャダ石を献上し病を癒す
・ボラクチンの"鉱山のほこり"が紛失、ドレゲネの天幕から"鉱山のほこり"が見つかったことで、ドレゲネにカアン暗殺の容疑がかかる。ドレゲネ行方不明。
・モンゴル伝統の巫術の儀式。オゴタイにとりついていた悪霊を封じた器の水を、トルイが飲み干して急死。
・トルイ亡き後、ボラクチンはトルイ家の勢力を削ごうと動き始める
……ということで、すべての事件の黒幕はボラクチンぽい。第四巻もこのボラクチンを中心に動いていくみたい。ドレゲネとトルイ家の運命やいかに。

>『金四郎の妻ですが』(3)
『天幕のジャードゥーガル』(3)と一緒に購入。金四郎とおけいの最初の事件(賭場胴元の殺人)の解決編。多分原作者が、だと思うんだけど、あまり時代劇に詳しくないみたい。一生懸命勉強しているんだろうけど、時々ぼろが出てしまう(汗)。真犯人をあぶりだすため賭場を開き、おけいを壺振りとして送り込むが、口上が「姓は堀田、名はけいと申します」。その後、金四郎が仁義を切る場面では、「姓は遠山、名は金四郎と申します」。いや、壺振りや遊び人に苗字があっちゃおかしいだろ。多分これ「姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」から来てるんじゃないか。寅さんは現代の話だから苗字を名乗ってるんだよ(笑)。あと同心は金が無くて大変って話が出てくるが、けっこう副収入(付け届けとか賄賂とか)があって裕福じゃないかな。でなければ小者を養えない。でも、この辺は設定の問題。さて次の事件は、堀田家からけいの侍女・彩がやってきて、金四郎は酒の勢いで王子に出す天ぷら屋に出資するって証文に爪印を押してしまう、という話。ここで面白いのは、天ぷらは屋台で食べる駄物という扱いになってるところ。

>『バットゥータ先生のグルメアンナイト』(1)(亀/ボニータ・コミックス)
『天幕のジャードゥーガル』(3)に入ってた折り込みチラシにあった作品。14世紀、アフリカとアジアの間、ダマスカス。「歯が丈夫」という理由で買われた奴隷リタは、地理学者のバットゥータ先生と共に予想外すぎる「命がけの三大陸周遊」をすることに……という話とのこと。バットゥータ先生はもちろんイヴン・バットゥータ。『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』を原作に(?)グルメ漫画風に描いているみたい。ちなみに『諸都市の……』は、『大旅行記』として平凡社の東洋文庫から出ている(全訳)。さすがであります。それにしてもボニータ・コミックス、マイナーなところを攻めてくるなぁ。

>『逃げ上手の若君』(12)
 もう少し鎌倉でゆったり、たっぷり、のんびりするのかと思いきや、早くも尊氏出撃。その中の人外のもののの正体も明らかに。新キャラは討ち死に場面も無しに姿を消すし、魅摩ちゃんといい尊氏といい、幻魔大戦みたいになってきた。ああ、相模川の戦いでは今川頼國が牛仮面ライダーとなって登場(笑)。この人、溺死すんじゃなかったか、と思ったら『難太平記』よりの展開。でも、再生怪人は弱いの法則(?)であっさり退場。さらにアイツが足利方に。相変わらず大きな流れが史実通りなので、この後トラウマ級の展開が待っている。それにしても、足利方というより尊氏が強すぎる。今後の展開どうすんだ。

>『天保図録』(1)〜(4)(松本清張/春陽文庫)
「松本清張が江戸・天保時代を活写する時代長編!」(帯より)。印象としては『わるいやつら』(松本清張/新潮文庫)。水野越前守忠邦(水越)、鳥居甲斐守耀蔵、後藤三右衛門、本庄茂平次らが動き回って人に迷惑をかけまくる話。水野忠邦は決断力があり行動力があるけれど、根本的にベクトルが明後日の方を向いている。倹約令というデフレ政策をやっているのに貨幣の改鋳というインフレ政策に手を染める。当然、物価は下がらない。これを、倹約令が守られていないからだ、とさらに厳しいものを出す。そして貨幣の改鋳。物価は下がらず……という悪循環。さらに将軍・家慶の日光参拝、印旛沼の開削工事など金のかかることをやって、また貨幣の改鋳。喜ぶのは倹約令の取り締まりをやってる鳥居耀蔵や本庄茂平次(<こいつは四人殺してる)、貨幣の改鋳で儲けている後藤三右衛門らぐらい。そして反水越も別に正義の味方というわけではなく、単に政治的反対派というだけ。正義の味方っぽいのは、飯田主水正、石川栄之助といった世を拗ねている旗本、御家人ぐらい。そして最後、飯田主水正は牢人や脱藩者に期待をかけ、物語は終わるのでした。『かげろう絵図』も読んでみるか。ああ、そう言えば大部前にドラマを録画したような。

>「木下恵介アワー おやじ太鼓」
 少し前からBS松竹東急で放送している明朗ホームコメディ。詳細はwikiでご確認を(汗)。で、録画していたのをぼ〜っと見ていたら、多分第37回だと思うんですけど、主人公のおやじ鶴亀次郎(新藤栄太郎)が簡単に生い立ちを振り返るセリフがあって、シレッと「明治政府に弾圧されて父親が死んで……」と言ってるんですよ。我が耳を疑って何度か聞き返したんで間違いありません。おやじの息子娘らは大体10代後半から20代後半。となるとおやじは60歳ぐらい? OAが1967年なので生まれたのは1907年? で、父親はここから明治末年までに死んだことになる。この辺で大弾圧事件って、大逆事件しか思いつかないんだけど。明朗ホームコメディでそんなネタを放り込んでくるかなぁ。でも木下恵介だからなぁ。とモヤモヤ。

>「どうする家康」スケジュール
 上が長くなったんで簡単にいきます。どうやら「秀吉天下統一」「家康関東移封」「文禄・慶長の役」「秀吉死ぬ」「三成佐和山蟄居」まで10月中にやるらしい。すげえ駆け足(笑)。っていうか関ケ原も大坂の陣もたっぷり一か月ずつ必要な気がするんだけど、そっちも駆け抜けるしかないですな。



#11378 
バラージ 2023/09/21 23:44
またまた李舜臣映画

 今年3月に日本公開された韓国映画『ハンサン 龍の出現』。速攻でDVD化(たぶん配信も)されてしまったようで2ヶ月前にはレンタル店に並んでましたが、今頃になってようやくレンタルして観賞したので感想を。
 李舜臣(イ・スンシン)を主人公として慶長の役(丁酉倭乱)の鳴梁海戦を描いた『バトル・オーシャン 海上決戦』のキム・ハンミン監督が、時代をさかのぼり文禄の役(壬辰倭乱)の閑山島海戦を描いた史劇アクション映画。前回はダサダサな邦題で(笑)DVDスルーでしたが、今回は原題に忠実かつなかなかにカッコいい邦題で劇場公開されました。とはいえ僕の地方には来ませんでしたが。
 主人公の李舜臣役は前作のチェ・ミンシクから、キム監督の『神弓 KAMIYUMI』でも主演し、本作と同時期に主演した『別れぬ決心』も話題となったパク・ヘイルに交代。また前作では大谷亮平が演じていた降倭(朝鮮側に投降した日本人)の俊沙(ジュンサ)役も韓国の俳優に交代しています。まあ大谷さん、日本に帰ってきちゃったしね。前作の敵ボスは来島通総というえらくマイナーな武将でしたが、今回の敵ボスも脇坂安治と前作ほどではないにしろ日本人にとってはそこそこのマイナー武将。大河ドラマにもそんなに出てこないし、歴史にくわしい人でも賤ヶ岳の七本槍ってのと関ヶ原で西軍から東軍へ裏切ったくらいしか知らんのではなかろうか。てか僕もそれぐらいしか知らなかったし。韓国ではわりと有名なのかドラマ『不滅の李舜臣』でも李舜臣最大の敵みたいな扱いだったとのことで、本作でもやたらワイルドにカッコよく描かれてましたね。一方でその分、加藤嘉明が引き立て役にされててちょっとかわいそう(笑)。朝鮮側でもお馴染みの元均(ウォン・ギュン)が李舜臣の足を引っ張る役回りですが、これはまあ当然か。
 映画は全体的に前作よりは良い出来ですが、基本的な問題点も前作のままという感じ。まず海戦シーンはすごい。手に汗握る物凄いド迫力のアクションとなっていて、朝鮮水軍の亀甲船や日本水軍の鉄甲船を用いたバトルも凄まじく、この点ではまず文句なしの出来。なんと全てCG合成で作られたらしく、俳優たちは1度も海上に出ずブルーバックで演じたとのこと。ちょっと前に観た『300 帝国の進撃』みたいなもんか。また日本側の衣装やセットなどの考証も日本人から見ても全く違和感を感じさせないほどの素晴らしさ。この点でも前作よりパワーアップしています。唯一違和感を感じたのは日本人役も韓国俳優が演じてるため前作同様に全編日本語吹替仕様だったことで、日本側のシーンになるとテレビの地上波放送というか吹替声優の演技的になんだかアニメを観てるような気分になってしまい、俳優の地声の朝鮮側との雰囲気の落差がやや気になりました。まあ仕方ないんだけど。
 最大の問題点は前作同様にストーリー性が希薄なこと。作戦立案と作戦会議と合戦のシーンが交互に出てくるだけで、あとはスパイ潜入エピソードがあるくらい。もう少し人間ドラマ的な部分を描いても良かったのでは? 主人公の李舜臣も含めて各人物像が掘り下げられていないので、今一つ物語に入り込めませんでしたね。またムサいおっさんばかりで女性がほとんどいないのもどうも……。前作がまさにそうで、それを反省してか今回は紅一点の女性キャラが少しだけ出てきますが、あの女の子ももうちょっとキャラをふくらませても良かったよなあ。それから冒頭で特に説明もなく物語が始まるので、歴史にくわしくない人は基本状況を把握するのに時間がかかると思いますし、史劇あるあるですが人物の見分けがつきにくいのも困り者。みんな同じような兜をかぶり同じような鎧を着てるんでサブキャラたちは誰が誰やらで若干混乱します。あと主人公の李舜臣が冷静沈着さを強調するためか表情に乏しく、終始仏頂面で無表情なのでキャラが立っていません。これも前作でもそうだったんだけど、おかげでパク・ヘイルも前作のチェ・ミンシクもなんだかちょっと大根状態のような……。むしろ敵の脇坂や前作の来島のほうがキャラ立ちしちゃってるんですよね。
 まあ、いろいろ文句も述べましたが、つまらないというほどではありません。前作よりはだいぶマシな映画です。ただ手放しで褒められる映画でもないかなあ。やはり『神弓』には及ばない出来ですかね。ちなみにキム監督は三部作で李舜臣を描く構想らしく、最終作となる次回作が李舜臣が戦死した露梁海戦とのこと。そちらでも李舜臣役はまた別の俳優となるようです。


>その他の最近観た歴史映画
『42 世界を変えた男』
 2013年の米国映画。黒人初の大リーガーであるジャッキー・ロビンソンの伝記映画で、劇場公開時にはなんだかんだで見逃しました。ロビンソンがブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)に入団した1947年の1年間を描いていて、ロビンソンの事跡は大まかには知ってましたが映画はオーソドックスかつ丁寧に描かれていて、なかなか面白かったです。実話ものとはいえハリウッド映画だから脚色も入ってるんでしょうが、不自然に感じたところはありませんでしたね。観終わってから調べて知ったんですが、ロビンソンを入団させるドジャースのGMブランチ・リッキーを演じてたのハリソン・フォードだったとのことで。でも観てる間は全然わかんなかったなあ。やっぱフォードも役者なんですね。 ちなみに映画には出てきませんでしたが、リッキーに有望な黒人選手を探すよう依頼されてロビンソンを推薦したドジャースのスカウトが、かつての大打者ジョージ・シスラーだったとのこと。

>韓国歴史ドラマの話
 家族が観たいとDVDを借りてきた韓国ドラマ『哲仁王后(チョルインワンフ)〜俺がクイーン!?』を付き合いでちょこちょこ観ております。女たらしな大統領官邸シェフの魂が、19世紀李氏朝鮮王哲宗の王妃・哲仁王后(チョルインワンフ)の肉体に入り込んでしまうというコメディ時代劇。どっかで聞いたことあるような話だな……と思ったら、中国ドラマ『太子妃 狂想曲〈ラプソディ〉』のリメイクとのこと。#11049にも書いたけど、そっちは架空時代の架空王朝を舞台としてたようですが、『哲仁王后』はそれを朝鮮末期の実在人物に変換してるようです。
 僕はあくまで付き合いなんで観てない時もあり、ところどころ話が飛んでるんですが、観てると確かに面白い。主演女優のシン・ヘソンがいいんですよね。その他の俳優陣も好演で、ここまで上手く作ってあるともう史実なんてどうでもいいかな(笑)。別に思い入れのある時代でもないし。それにしてもこれ、日本でもリメイクできるんじゃないかなあと観てて思っちゃいましたね。

>豊臣家の人々
 『どう家』、関ヶ原で敵となる石田三成が登場。演じるは松潤と仲良しの中村七之助ということで、『いだてん』に続き兄貴の勘九郎とも共演ですな。といっても共演シーンはまたも無いだろうけど。そういや今年は過去の大河で主演した松嶋菜々子・松山ケンイチ・岡田准一・中村勘九郎が助演で登場と、ずいぶん多いなあ。
 さて、信長のターンが終わって秀吉のターンに入り、弟の秀長(演:佐藤隆太)、妻の寧々(和久井映見)、妹の旭(以前紹介済み)、母の仲(高畑淳子)と秀吉周辺の人物が続々登場してますね。個人的には秀吉周辺の人物というと初めて観た大河『おんな太閤記』のイメージが強いんだよなあ。主人公のねねは佐久間良子、なかは赤木春恵、秀長は中村雅俊が演じてました。それ以前の『太閤記』だと、ねねが藤村志保、なかが浪花千栄子(聞いたことあるような無いような)、秀長が富田浩太郎(知らんなあ)だったとのこと。逆にその後の『秀吉』では、おね(ねね)が沢口靖子、なかが市原悦子、秀長が高嶋政伸でした。『おんな太閤記』のテレ東リメイク『寧々 おんな太閤記』は、寧々(ねね)が仲間由紀恵、なかが十朱幸代、秀長が福士誠治でしたね。では『徳川家康』ではどうだったかというと、ねねが吉行和子、なかが鈴木光枝で、秀長は出てこなかったようです。全話観たはずだけど吉行さんが出てたのは記憶にないんだよな。鈴木さんは知らない女優ですが登場シーンは記憶にあります。
 そういや甥の秀次が今のところ出てきてませんね。このままスルーするのかな? 『おんな太閤記』では広岡瞬が演じてましたが、『太閤記』では若き日の田村正和、『徳川家康』では氏家修(誰?)、『秀吉』では三国一夫(誰?)、『寧々 おんな太閤記』では濱田岳が演じてたとのこと。

>名画座修正情報ちょろっと追記
『バトルオーシャン 海上決戦』……厳密には「・」の入った「バトル・オーシャン 海上決戦」が正確な邦題です。

 以下の作品はソフト化されてないか、ビデオ化のみでDVD化はされていませんが、各種動画配信サイトで配信はされているようです。ただ配信期間が終わると無くなってしまうケースもあるようですが……。
『紅顔の密使』『紅顔の若武者・織田信長』『桶狭間 OKEHAZAMA〜織田信長 覇王の誕生〜』『徳川家康(映画)』『お吟さま(1962年)』『かぶき者慶次』『江戸城大乱』『竜馬を斬った男』『足尾から来た女』『しかたなかったと言うてはいかんのです』『三国志&三国志II 天翔ける英雄たち』『水滸伝(1983年)』『パン・タデウシュ物語』

 また以下の中華圏俳優はそれぞれ同一人物ですので記載を統一したほうがいいかと。
『墨攻』のウー=チーロン、『新忠烈図』の呉奇隆、徒然草の『墨攻』のニッキー=ウー。
『墨攻』『始皇帝暗殺』の王志文と、徒然草の『墨攻』のワン=チーウェン。
『ヘブン・アンド・アース 天地英雄』の王学圻と、『孫文の義士団』のワン=シュエチー(ワン=チェシーは誤り)。
『水滸伝』(2011年)の張函予と、『孫文の義士団』のチャン=ハンユー。
『岳飛伝 THE LAST HERO』の劉承俊と、『ラスト・ソルジャー』のユ=スンジュン(韓国人俳優です)。
『大明劫』『蒼穹の昴』の余少群と、『1911』のユイ=シャオチュン。
『ラストエンペラー』のウー=ジュンメイと、『宋家の三姉妹』のヴィヴィアン=ウー。



#11377 
ろんた 2023/09/15 00:39
時代小説、伝奇小説

『菊水兵談』を買ったのをきっかけに、そっち方面に食指が伸びてしまい、まずいことになりつつあります(笑)。とりあえず『菊水兵談』の話。

>『菊水兵談【時代小説コレクション1】』(横溝正史/春陽文庫)
黒船来航に江戸幕府が揺れる最中、浦賀街道に飄然として姿を現した男がいた。菊水の紋所を身につけたその男の名は菊水兵馬という。開国から大政奉還へと大きく世の中が変動する幕末の動乱期を背景に、討幕運動の渦中に身を投じた兵馬が日本各地を駆け巡る。十万両に及ぶ江戸幕府の隠し財産の行方を軸に、好敵手となる豪商・山城屋糸平、人魚の肉を食べたと噂される妖艶なお万、兵馬に付き従う盗賊・かまいたちの小平、そして吉田松陰、桂小五郎、西郷隆盛ら実在の人物も入り乱れて展開する大河ロマン。横溝正史の時代小説コレクション第一弾。(表紙カバーより)
 横溝の時代ものというと「人形左七」といった捕物帳だけど、こちらは趣向が違う。章がそれぞれ独立して、幕末維新の事件を背景に菊水兵馬の活躍を描くものと、五つの章を貫徹する十万両編の二部構成。前者が後者を挟み込んでいる。これなら二本書けたんじゃないかと思ったりして。十万両編は、万延の改鋳で浮いた十万両を小栗上野介が新式兵器の購入に使おうと画策、十万両を運ぶ山城屋糸平と、妨害しようとする菊水兵馬とが頭脳戦を繰り広げるというもの。小栗はまだそんなに偉くなかったと思うけど(笑)、こちらは探偵小説的趣向が楽しい。執筆当時(昭和16年)は探偵小説、壊滅してたし。

 読了後、春陽文庫の刊行リストで『神州纐纈城』(国枝史郎)というのが目に入って、(これ持っているよなぁ)と思い出す。思いついた時に読んでおこうと本箱を漁るが出てこない。代わりに『蔦葛木曽桟』(上)(下)(国枝史郎)と『南国太平記』(上)(直木三十五)が出てくる。どうやら『神州纐纈城』を持っていたというのは偽記憶だったらしい(汗)。そして『南国太平記』は(上)を買って、(下)を買うのを忘れていた模様。ということで『蔦葛木曽桟』に取りかかる。

>『蔦葛木曽桟(つたかずらきそのかけはし)』(上)(下)(国枝史郎/講談社文庫コレクション大衆文学館)
時は室町の末。藪原の繁盛は木曽福島の馬市を凌ぐほど。藪原長者の抱妓(かかえこ)・鳰鳥(におどり)を。一目、顔だけでも拝みたいという者が引きも切らないのだ。しかも決して客と寝ないというのも、また評判を高めていた。そんな鳰鳥には秘めた大望があった。イスパニアの司僧であった父マドリドを斬殺した木曾の受領・木曽義明への復讐である。だが鳰鳥は、なんと義明に五百両で落籍(みうけ)されてしまう。夜ごと通ってきていた白髯の武士が義明だったのだ。それでも鳰鳥は同衾を拒み、義明は苛立ちを募らせる。一方、生き別れた兄・御嶽冠者もまた御嶽山中深く一党を率いて仇の隙をうかがっていた。兄妹の怨念が、怪盗石川五右衛門、忍術の百地三太夫、霧隠才蔵、幻術師のオースチンなど数多の妖士怪人を呼び集め、風雲まさに急を告げる。そして、陰謀渦巻く邸内に疲れた鳰鳥は城外へ脱出、人外の世界に迷いこみ不思議な体験をするのだが……。(色々参照して作成)
 発端は鳰鳥と御嶽冠者の敵討ちの話。そこに次々と新キャラと新展開が上塗りされて(樹齢数千年の楠の精なんかも出てくる)、何の話を読んでいるのか分からなくなる。時々、鳰鳥や御嶽冠者が出てきて、ああっそうだった、と思い出す感じ? 国枝も混乱したのか、(前編終り)と唐突に終わっている。構想では、中編、後編と続き、ラストは南蛮寺建立とのことで、テーマは基督教的解脱としている。だが、そもそも「イスパニアの司僧」に妻子があっていいのか?(笑)(<野暮天)
 国枝史郎の伝奇小説で傑作とされるのは、本作と『神州纐纈城』『八ヶ嶽の魔人』。特に『神州纐纈城』は、再刊されるや三島由紀夫に激賞され最高傑作とされる。しかしこの三作、ほぼ同時期に書かれていて、いずれも未完に終わっている。実は『蔦葛木曽桟』には完結編があって、最近の版では読み比べができるんだけど、こちらは評判が芳しくない。完結している他の作品もご同様。解説(末國善己)によると、伝奇小説はどれだけ波乱万丈の展開をしようが発端の敵討ち、宝探し、お家騒動などの解決に向かって収斂し閉じられていく。しかし、未完であれば物語は開かれたままで、読者も今後の展開を奔放な想像力に任せて楽しむことができる、ということらしい。だとすると伝奇小説って因果な文学形式だなぁ。

 さて読了後、結局『神州纐纈城』と『天保図録』(1)〜(4)を買ってしまい、さらにブックオフのHPで『南国太平記』(下)(講談社文庫コレクション大衆文学館)を見つけたので『アイヴァンホー』(上)(下)(スコット/岩波文庫)と一緒に購入。そして『神州纐纈城』と一緒に買ってきた松本清張『天保図録』を読み始める。どうしましょう(汗)。

>時代劇追記
 10/01にCSの時代劇チャンネルで無料放送がありまして、「燃えて、散る炎の剣士 沖田総司」(14:40-16:30)「素浪人罷り通る 去るも地獄 残るも地獄」(19:00-21:00) が対象。前者はトシちゃん主演の青春時代劇(1984年放映)。後者はもちろんミフネであります(1983年放映)。フジテレビ時代劇スペシャルで6本が制作されたうちの1本(4本目)で、後に番外編「魔境 殺生谷の秘密」もある。当時ミフネは60歳ぐらい? 多分、最後の用心棒or素浪人ものでしょう。(「鬼平犯科帳3 #5」「剣客商売2 #3」も無料だけど省略)

>Re:インド映画の火攻め、そして敵役としてのペルシア帝国
 言い出しっぺがなんですが、キューブリックの「スパルタカス」でも火を使っていたのを思い出しました。丘陵に布陣するスパルタクス軍。そこに攻めかかるローマの討伐軍。だが重装歩兵が襲いかからんとしたその時、スパルタクスたちは足元の丸太に火をつけて蹴っ転がすのであった。悲鳴を上げて逃げ惑う重装歩兵たち。中には轢かれちゃう者もいたりして……。でもこれ、戦場自体に火をつけてるわけじゃないから違うな(汗)。
 ペルシャが敵役ってのは、ヨーロッパ中心史観かなぁ、と思わないこともないけど、現代のイランが肯定的に描くわけにもいかないんだろうな。ジャーヒリーヤってやつ? それにあいつらゾロアスター教徒だし(笑) ああ『ビジャの女王』ならどうだろう。オッド姫の格好がムスリムっぽくないけど。で、「ポロス」ですけど、ペルシャが国境地帯で分裂インドと小競り合いを起こして、時にそれが大規模な軍事行動に発展するっていうのなら分かるんですよ。でも「ポロス」では、ダレイオス三世自身が出てきちゃうんです。しかも第一回冒頭から。(ずいぶん冷酷無残なオッサンだなぁ)と思ったらダレイオス三世だったりする。現代だと、中印国境の紛争地帯に習近平が張り付いてる感じ?(笑)



#11376 
バラージ 2023/09/10 00:14
しつこくてすいません

 オリバー・ストーン監督によるドキュメンタリー映画『JFK/新証言 知られざる陰謀 劇場版』が11月17日に日本公開されるとのこと。いくらオリバー・ストーンとはいえドキュメンタリー映画なので地元まで来んのか?とも思うんですが、来たらぜひ観てみたいところ。しかし『JFK』からもう30年以上なんだなあ。就活の帰りに着なれない就活スーツのまま観に行ったのを思い出します(笑)。


 さて、歴史映像名画座の話がちょろっと出たので、年に1度くらい書いてる名画座の修正情報をまたまたまとめて書かせていただきます。今まで書いたのが全部落ちてて過去ログにもなってないので。

『卑弥呼』……DVDがキングレコードよりバラ売りもされるようになりました。
『火の鳥』(実写映画)……復刊ドットコムよりBlu-ray化されています(DVD化はされていません)。
『陰陽師』……主人公は安部清明ではなく安倍晴明です。
『源義経』(日テレ年末大型時代劇)……原作は大河ドラマと同じく村上元三です。
『GOJOE・五条霊戦記』……『五条霊戦記 GOJOE』が正確な邦題のようです。また平忠則役は岸井一徳ではなく岸部一徳です。
『北条時宗』……9月22日にNHKエンタープライズより完全版DVDが発売予定。
『鶴姫伝奇』……「興亡瀬戸内水軍」というサブタイトルが付いています。
『風雲児信長』……オリジナルの『織田信長』は104分で、戦後公開された『風雲児信長』は短縮版だそうです。
『濃姫(I・II)』……タイトルは1作目がただの『濃姫』、2作目が『濃姫II〜戦国の女たち』です。原案は山岡荘八の『織田信長』とのこと。
『戦国疾風伝 二人の軍師』……「〜秀吉に天下を獲らせた男たち〜」というサブタイトルが付いています。
『琉球の風』……NHKエンタープライズより完全版&総集編がDVD化されています。
『武蔵 MUSASHI』……NHKエンタープライズより完全版&総集編がDVD化されています。
『八代将軍吉宗』……NHKエンタープライズより完全版がDVD化されています。
『人斬り』……ポニーキャニオンよりBlu-ray&DVD化されています。
『勝海舟』……解説欄の文末の「事実上の「封印」状態が続く作品となった。」は、その下のメディア欄にある通り、今となっては実情に合わない文章になっているので改訂をお願いします。
『春の波涛』……解説欄の文末の「現在に至るまで一切ソフト化されていない。」は、その下のメディア欄にある通り、今となっては実情に合わない文章になっているので改訂をお願いします。
『小説吉田学校』……DVDは東宝から発売されています。
『孫子』……DVDはビデオメーカーではなくエースデュースエンタテインメントから発売されています。
『大漢風』……DVD邦題は『大漢風 項羽と劉邦』です。
『三国志 諸葛孔明』……DVDもVHS同様に全3巻です。またビデオメーカーではなくエースデュースエンタテインメントから発売されています。
『ザ・エンペラー 西蔵之王』……百度百科・中国語版Wikipediaではともに原題が「松賛干布」となっています。また百度百科では監督は普布次仁で脚本は李陽になっています(このあたりはどうもはっきりしないが)。
『火龍』……DVDはコニービデオではなくアット・エンタテインメントから発売されています。『西太后(完全版)DVD-BOX』での発売(『西太后 第一部』『西太后 第二部』『続・西太后』との4本セット)で、バラ売りはないようです(レンタルはバラでされている)。
『末代皇帝』……DVDはビデオメーカーではなくコニービデオから発売されています。
『孫文』……百度百科・中国語版Wikipediaともに150分となっており、某有名動画サイトにある動画も約150分でした。
『孫文の義士団』……李玉堂役はワン=チェシーではなくワン=シュエチーです。
『黄山伐』……映画祭「シネマコリア 2005」で『黄山ヶ原』の邦題で上映されたとのこと。「黄山ヶ原」と書いて「ファンサルボル」と読むらしく、HuluやAmazonprimeでも同邦題で日本語字幕付きで配信されています。
『ジンギスカン』(1965年の米国映画)……劇場公開邦題は「・」の入った『ジンギス・カン』だったようで、VHS化の際に「・」の抜けた『ジンギスカン』という邦題になったようです(DVD邦題もVHS邦題と同じ)。
『チンギス・ハーン』……本国公開年はモンゴル語版と英語版のWikipediaによると1990年のようです。
『マンドハイ』……モンゴル語版Wikipediaを見ると、オリジナルの上映時間は273分のようです(日本公開版は、ぴあによると174分)。
『ソドムとゴモラ』(1962年の映画)……株式会社アネックよりBlu-ray&DVD化されています。
『ピラミッド』……脚本のウィリアム=ホークナーは、正しくはウィリアム=フォークナー。有名な小説家のフォークナーです。
『トロイ』……196分のディレクターズ・カット版もBlu-ray&DVD化されています。
『La Battaglia di Maratona(マラトンの戦い)』……キネマ旬報の他にallcinemaにも『マラソンの戦い』という邦題で掲載されており、検索すると日本版のパンフレットやポスターもあるようなので日本でも公開されたんではないでしょうか?(これは自信がないけど)
『侵略者』……VHS邦題は『侵略王アッチラ』です。
『ニュールンベルグ裁判』……頭の「ニ」が削除されて「ュールンベルグ裁判」になってしまっています。
『無敵艦隊』……‎アイ・ヴィ・シーからもDVD化されています。ビデオ―メーカーは削除してください。
『REIGN/クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮』……オリジナルは全78話のようです。
『リベレイター』……「南米一の英雄 シモン・ボリバル」というサブタイトルが付いています。
『スターリングラード大攻防戦』……劇場公開邦題は『白銀の戦場 スターリングラード大攻防戦』で、『スターリングラード大攻防戦』はビデオ・DVDなどのソフト邦題です。
『ヨーロッパの解放』……正確には全5部作で、日本では第1部と第2部、第4部と第5部をそれぞれ1本にまとめて公開したようです。


>インド映画の火攻め、そして敵役としてのペルシア帝国
 そういやインド大反乱(セポイの乱)の女傑ラクシュミー・バーイーを主人公としたインド映画『マニカルニカ ジャーンシーの女王』でも派手な火攻めシーンがありましたね。インド人はそういうのが好きなんかな? 史劇映画と見せかけて歌も躍りもある普通のヒンディー語娯楽映画という感じでしたし。
 ペルシア帝国は映画とかドラマでは敵役として出てくることが多いんですよね。ペルシア戦争やアレキサンダー大王の映画ではもちろんですし、僕は未見ですがカザフスタン映画『女王トミュリス』でも敵役のようです。イラン政府はそのたびに文句を言ってるんですが、だったら国内で史劇映画を作る自由を与えろよなあ。



#11375 
ろんた 2023/09/07 18:21
こうなる家康

 本屋で『ギリシア人の物語1』を見かけ買ってしまう。まだ『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』が手つかずだけど。ところが、それから幾日もたたずに『ギリシア人の物語2』を見かけ、結局買ってしまう。折り込みチラシを見ると毎月刊行とのこと。しかし読み始めたのは、一緒に買った『菊水兵談【時代小説コレクション1】』(横溝正史/春陽文庫)だったりして(汗)。あっ、『天保図録』(松本清張)が出てるじゃないか、春陽文庫! 刊行分の山田風太郎は持ってるけど。

 そして、皆さんご心配の「どうする家康」、9月分のスケジュールでございます。

09/03 (34)「豊臣の花嫁」
打倒・秀吉(ムロツヨシ)を誓ったはずの数正(松重豊)が豊臣方に出奔、家中に衝撃が走る。敵に手の内を知られたも同然となり、家康(松本潤)は追い詰められるが、そこに未曽有の大地震が発生。広範囲にわたり被害が甚大で、両軍とも戦どころではなくなってしまう。
09/10 放送休止(ラグビーWカップ中継のため)
09/17 (35)「欲望の怪物」
秀吉に天下を預けると決めた家康が上洛。秀吉の提案で、諸大名の前である芝居を打つ。さらに、豊臣一の切れ者と名高い石田三成(中村七之助)に興味を引かれる。
09/24 (36)「於愛日記」
真田昌幸(佐藤浩市)から人質を要求された家康は、忠勝(山田裕貴)の娘を、自身の養女にして嫁がせようとするのだが……。

 なんだか、エピソードのタイトルと内容紹介があってない気がする。一週お休みのうえに、第36回が「於愛日記」ってことは、まだ小田原征伐(天正18(1590)年)までいかないってことだな。於愛は天正17(1589)年に死んでるらしいから。っていうか、小松姫って人質だったの? これは子供には見せられない(笑)。この調子だと、殺生関白とか文禄慶長の役とかはナレべース? 秀吉が死んだら関ケ原>大坂の陣>天ぷら食って死ぬ と三段跳び?

>時代劇、歴史劇
「華岡青洲の妻」の田中裕子は青洲の末の妹役でした。妹が乳癌になるエピソードがあるんで、勝手に女中だと思い込んでた。実は妹は二人いたのでした。そして嫁と姑が実験台になったという文献資料は無いって話もある。有吉佐和子、すげぇ嘘ついてたな!(笑) あまり詳しいことは書きませんが、新珠三千代さんが怖い。
 ついでにもう一つ時代劇の話。水谷豊、岸部一徳、檀れい出演の「無用庵隠居修行7」が09/28 BS朝日 19:00-20:54に放送。併せて旧作が09/11,12,18,19,26,27にBS朝日 19:00-20:54で放送。こちらは明朗シニア時代劇なので安心して見られます。
 そうそう、「ポロス」ですが(やはり詳しいことは書きませんけど)、なぜかダレイオス三世がインドにやたらちょっかいをかけてくるんですね。別にペルシャびいきじゃないけど「そんなことしてないで本国の守りを固めろ!」と思ってしまう。まぁ、インドで作ってるからしょうがないけど。で、ポロスとアレクサンドロス(同年同月同日の生まれ)が八回ぐらいまで出てこない(生まれてこない)。あと、合戦シーンでやたら戦場に火が放たれてるのが不思議。インド特有の演出? まさかインド人、火炎放射器を発明してないだろうな。



#11374 
バラージ 2023/09/06 20:21
関東大震災に関する事件の映画

 関東大震災から100年ということで各メディアでいろいろと震災について特集されてますが、震災後に起こった朝鮮人虐殺事件を取り上げてる番組が意外にも多いように感じます。災害のたびに起こるデマの問題と絡めて取り上げられてるようですね。
 そんな中で森達也監督初の劇映画『福田村事件』が公開されましたが、僕の地元での公開は来月の終わり頃。福田村事件とは震災後に千葉県の福田村で、香川県から来た薬の行商団のうち9人が朝鮮人と疑われ地元の自警団に虐殺された事件とのこと。
 関東大震災後の朝鮮人虐殺事件を描いた日本映画やドラマはほとんど無く、描いてるmのというと僕は未見ですが1960年の新東宝映画『大虐殺』ぐらいでしょうか(ただし主題はギロチン社事件)。僕が観た中では韓国映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』が直接的に描いてましたが、日本映画では『道 白磁の人』『菊とギロチン』で間接的に触れられてたぐらい。朝鮮人と間違われて殺された事件についても、上記『福田村事件』の他にはドラマ『いだてん』で間接的に触れられてたぐらいかなぁ。


>『女医明妃伝』
 ちょっと興味はあったんですけどね、やっぱ週5とか週4の放送は録画消化がきついよなぁとスルーしちゃいました。興味を持ったのは題材とか歴史よりも出演俳優でして、リウ・シーシー(映画『真夜中の五分前』『ブレイド・マスター』)、ウォレス・フォ(ドラマ『如懿伝』)、ホアン・シュエン(映画『ブラインド・マッサージ』『芳華 youth』、ドラマ『海上牧雲記』)が主演および準主演というところに、おっ、と思ったんですよね。ちなみに2016年のドラマで撮影は2014年だったらしく、今となってはちょっと古めのドラマかな。
 主人公の譚允賢→杭允賢は、中国四大女医の1人の談允賢という人物と、7代皇帝・景泰帝の2代目皇后・杭皇后の2人をモデルにして組み合わせた架空の人物とのこと。杭皇后の没年は1456年で談允賢の生年は1464年なので同時代の人物では全くないんですが、まあ創作した架空人物だし史実うんぬんよりドラマの面白さ優先なんだから別にいいだろと思ったのかもしれませんね。ちなみに土木の変は、5代皇帝・宣徳帝の孫皇后(土木の変で捕らえられた6代皇帝・正統帝の母)を主人公としたタン・ウェイ主演の2019年のドラマ『大明皇妃』でも描かれているようです。

>ドラマや映画での家康の妻妾パート2
 『どうする家康』、ひょっとして『真田丸』みたいに途中どこかでワープするのでは?(笑)
 さて、ようやく秀吉の妹で家康の後妻となった朝日姫(旭姫)が登場(演じたのは山田真歩)。この人も、家康の後妻というだけでなく秀吉の妹のためもあって映像作品への登場が多い人物です。個人的には初めて観た大河『おんな太閤記』(1981年)での泉ピン子のイメージが強いんだよな。意外にもそれ以前の大河では『太閤記』(1965年)も含めて登場していないようですが、以後は『徳川家康』(1983年、岩本多代)、『独眼竜政宗』(1987年、野川由美子)、『秀吉』(1996年、細川直美)、『功名が辻』(2006年、松本明子)、『天地人』(2009年、平田敦子)、『江』(2011年、広岡由里子)、『真田丸』(2016年、清水ミチコ)と出てきています。しかしこうして見ると21世紀以降は、ピン子さんの影響か知らんけど(笑)どうも三枚目路線が多い。もちろん今回も三枚目路線でしたが、20世紀大河では『おんな太閤記』以外はそうでもなく、細川直美なんて国民的美少女なのになあ。もっとも個人的にはピン子さんの他には『徳川家康』の岩本さんしか記憶にありませんが。
 大河以外のドラマや映画では、大河と同じ山岡荘八原作の『徳川家康』(1964年、テレ朝、角梨枝子)、大河と同じ吉川英治原作の『新書太閤記』(こっちでは出てきたのか。1973年、テレビ朝日、岡田可愛)、『関ヶ原』(なぜ関ヶ原に? 1981年、TBS、三戸部スヱ)、『徳川家康』(1988年、TBS、吉田日出子)、山岡原作の『徳川家康 戦国最後の勝利者』(1992年、テレ朝、小林幸子)、『豊臣秀吉天下を獲る!』(1995年、テレ東、安永亜衣)、『太閤記 天下を獲った男・秀吉』(2006年、テレ朝、大谷允保)、『徳川家康と三人の女』(2008年、テレ朝、若村麻由美)、『寧々 おんな太閤記』(2009年、テレ東、田畑智子)といったあたり。僕は21世紀以降の3作は観たんですが、こっちの21世紀以降はむしろ美女路線だな(笑)。
 なお朝日姫の前夫については佐治日向守とする史料と副田吉成(副田甚兵衛)とする史料とがあるようで、そのためドラマによって前夫の設定が違っているようです。

 そして家康晩年の側室として有名な阿茶局も配役が発表。演じるのは松本若菜さんとのこと。それ以前の大河では、『おんな太閤記』(1981年、篠ひろ子)、『徳川家康』(1983年、上村香子)、『春日局』(1989年、和田幾子)、『葵 徳川三代』(2000年、三林京子)、『武蔵』(2003年、泉晶子)、『江』(2011年、山野海)、『真田丸』(2016年、斉藤由貴)に出てきたらしいんですが、『葵』の三林さんしか記憶にないなあ。『おんな太閤記』も『徳川家康』も全話観たってのに。
 その他のドラマや映画では、『真田幸村の謀略』(1979年、映画、亀井光代)、『関ヶ原』(1981年、TBS、京塚昌子)、『大奥』(1983年、フジテレビ、津島恵子)、『真田太平記』(1985年、NHK、三条美紀)、『大奥 第一章』(2004年、フジテレビ、宇津宮雅代)、『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』(2006年、日テレ、荻野目慶子)、『影武者徳川家康』(2014年、テレ東、朱花)、『関ヶ原』(2017年、映画、伊藤歩)といったあたり。『真田幸村の謀略』や『大奥 第一章』は観たけど、やっぱり阿茶局は全然覚えてないんですよね。2017年の映画『関ヶ原』ではえらく若すぎないか?と思ったら、初代の阿茶局は小牧・長久手の戦いで死亡しており、2代目の阿茶局という設定だったらしい。若い女優を登場させるためだろうか?

 ついでに映画やドラマに出てきたその他の家康の側室たちにも触れときましょう。
 まず五男の武田信吉を産んだ「おつま」は登場した作品がありません。まあ信吉がマイナーな人で大河『葵』にしか出てこなかったみたいだからなあ。
 6男の松平忠輝と7男の松平松千代を産んだ茶阿局は、『徳川家康』(1983年、大河ドラマ、武原英子)、『影武者徳川家康』(1998年、テレ朝、深浦加奈子)、『葵』(2001年、大河ドラマ、五大路子)に登場しましたが、ペース的に考えて『どう家』には出てきませんかね。大河『徳川家康』に出てきた側室はここまでですが、『春日局』『葵』などにはそれ以後の家康後半生の側室たちが出てきています。
 8男の平岩仙千代と9男の義直を産んだお亀は、『春日局』(1989年、大河ドラマ、朝比奈順子)、『葵』 (2000年、大河ドラマ、床嶋佳子)、『影武者徳川家康』 (2014年、テレ東、白須慶子)に登場。
 10男の頼宣と11男の頼房を産んだお万は、『春日局』(1989年、大河ドラマ、佐藤真浪)、『影武者徳川家康』(1998年、テレ朝、石井亜可理)、『葵』(2000年、大河ドラマ、尾上紫)、『影武者徳川家康』(2014年、テレ東、葉月)に登場。
 5女の市姫を産んだお梶は、『春日局』(1989年、大河ドラマ、東てる美)、『影武者徳川家康』(1998年、テレ朝、片平なぎさ)、『葵』(2000年、大河ドラマ、森口瑤子)、『影武者徳川家康』(2014年、テレ東、観月ありさ)に登場。
 お夏は、『関ヶ原』(1981年、TBS、古手川祐子)、『葵』(2000年、大河ドラマ、松尾あぐり)、『影武者徳川家康』(2014年、テレ東、VANRI)に登場。
 お六は、『風雲!真田幸村』(1989年、テレ東、林美里)、『葵』(2000年、大河ドラマ、菊池麻衣子)、『武蔵』(2003年、大河ドラマ、須藤温子)に登場しています。



#11373 
徹夜城(夏場で忙しくてちとバテ気味の管理人) 2023/09/03 21:56
どう終わる家康

 「どうする家康」、もう9月なんですけど秀吉に臣従を決意するところ。調べてみたら1982年の大河「徳川家康」では同時期に「太閤死す」でした。あちらのドラマも長大な原作を懸命に圧縮した展開で大忙しの感もありましたが、今年のはそれでもまだまだマイペース。年末までにちゃんと終わるのか、いや終わるんだけどどこまでやるのか。

 ここんとこ石川数正の出奔が描かれてます。これは過去の家康ものドラマの見せどころの一つであるわけですが、TBS・東映製作の新春時代劇「徳川家康」(松方弘樹主演)では千葉真一演じる数正がいきなり関が原に現れ、なんだかよくわからん怒りとともに戦場に突入し戦死しちゃうというビックリな展開でした。東映時代劇ではまぁよくあったことですが(笑)、あれの前では大河に「子供に見せられない」とか言うのも空しい。

 もう来年の紫式部大河に関心が強く向かっちゃってるなぁ。なんだかんだで次々と歴史人物(多くはこれまで映像で出てきてない)のキャストが次々発表されるとわくわくしちゃって。
 あ、歴史映像名画座もいいかげん作業しないとなぁ(汗)


>華岡青洲の妻
 ろんたさんもご紹介のこの昔のドラマ、BS日テレのサイトをチェックしてて偶然僕も知りました。録画が失敗してなければ近日中に見ます。

 BS日テレのサイトをチェックしたのは、「新オスマン帝国外伝」のシーズン1の放送が終わり、次に何をやるのか確かめるためで。幸い韓国の現代劇だったので、録画消費地獄から一応一息つめるようになりました(笑)。前の「オスマン帝国」もインドの「ポロス」も見終わってないし、司馬懿ドラマもこれから見始める状況で。

 で、中国の「女医明妃伝」は見終えたんですよ。見終えてから史実関係を調べましたが、主人公の女医には一応実在モデルがいるんですね(彼女いの書いた女性医学書がラストに出てくる)。だけどその主人公が明の皇帝兄弟二人と三角関係になっちゃったり、「土木の変」でモンゴルに皇帝ともども連れられて行っちゃうのは当然真っ赤なフィクション。
 明代専攻(海方面だけど)僕としては「土木の変」を映像で見れたのは嬉しかったなぁ。あれより少し後の時代のモンゴル映画「マンドハイでは「エセン・ハンは明の皇帝を捕虜にして羊飼いをさせた」というセリフで言及されてました。



#11372 
ろんた 2023/08/31 23:17
『ビジャの女王(4)』(森秀樹/SPコミックス)

西暦1258年、ペルシャ高原の小都市ビジャを、蒙古軍の支隊が包囲した────。蒙古軍2万に対するペルシャの小都市ビジャは、オッド姫の救援要請に駆けつけた、インド墨家・ブブの策でなんとか持ちこたえていた。父王の死、愚兄との決別を経て、オッドは王位を継ぐべく王の指輪を探す旅に。一方蒙古軍陣営では、大将ラジンが従姉妹のクトゥルン軍とにらみ合う。両陣営に「継承」の波乱が押し寄せていた。(カバーより)
 4巻で語られるのは、継承問題の決着と墨者の「攻」。ビジャの側では、最終的に重臣たちはオッド姫を支持。ハマダン王も姫にだけ王位の象徴である指輪の隠し場所を教えていた。姫は墨者ブブだけを供に指輪探しの旅に出る。その間、ヤヴェはオッドの部屋に火を放ち警護の兵に切りかかるなど暴れまわった。この事態に大隊長ゾフィは、ヤヴェを殺害して自害する。そして、指輪を探し当てた姫は名実ともにビジャの女王となる。モンゴル側ではクトゥルンの策略によりラジンが捕らえられ、その参謀"名無し"は、ラジン軍二万の掌握を命じられる。報酬は、クトゥルンの四人目の婿候補となること。だが"名無し"は、婿候補三人の確執を利用してクトゥルン軍一万を殲滅し、ラジンを解放。捕らえられたクトゥルンは火あぶりに処せられる。一方、バクダートを陥落させたフレグ軍に異変が起きる。攻城部隊を構成する中国人全員が処刑されたのだ。これは墨者による情報操作の結果であった。そしてラジン軍に潜伏している墨者たちは、ヒツジの寄生虫の研究を進め……。
 クトゥルンとラジンの戦いがあまりにもあっさり片付いてしまった印象。しかも「熱い!! 熱いよ──ッ!! 助けてェ!!」「火を消してェ!!」「助けてください!! 何でも言うことを聞きます!!」「ラジン様────ッ!!」「死にたくない!! 死ぬのはイヤだァ──ッ!!」と叫びながら死ぬってのは、せっかく二世代ほど後のクトゥルンを持ち出してきたのに、なんだかなぁ、と思ってしまった。その前に婿候補の一人バヤルのセリフで「クトゥルン様は魔性の女だ!」「あの身体を抱いた者はみな腑抜けになってしまう……」とあるので、捕らえたクトゥルンにラジンが篭絡されるとか、メチャメチャひどい目に遭わされたクトゥルンが復讐するとか、ビジャに逃げ込んでオッド姫と共闘するとか、色々使い様があった気がする。いや、まだ処刑されたのは影武者でした、ってのがあるか(笑)。

>『ジハード(I)〜(XI)(外伝)』(定金伸治/イラスト:山根和俊(I〜V),芝美奈子(VI〜)/ジャンプジェイブックス)
 本箱から出てきたので、ちょっと読み始めたら読みふけってしまった。一言でいえば、これこそ「ありえないファンタジー」(笑)。著者曰く、架空度は『三国志』以上『西遊記』以下。
 12世紀末。出生の秘密のゆえにコンスタンチノープルに幽閉されていたヴァレリウス・アンティアス(ヴァレリー)は、平素の言動から柔弱愚鈍とみなされ「白痴候」という有り難くないあだ名で呼ばれていた。だがそれは、日常においてその神算鬼謀や精妙な剣技を披露する機会が無いからであり、胸にはキリスト教世界とイスラム世界の共存という理想を抱いていた。折しも、アイユーブ朝を創始したサラーフ・アッディーン(サラディン)の台頭により、イスラム世界には結束の機運が高まっており、ヴァレリーは監視役であったラスカリスと共にサラディン軍に身を投じようとする。ちょうど、捕らえられたサラディンの義妹エルシード姫がコンスタンチノープルに送還されており、ヴァレリーらは姫の脱出を手助けし、サラディンにとりなしてもらう。もっとも、個人的武勇においても指揮官としての能力においてもイスラム世界に並ぶ者のない姫にとって、彼らの助けなど必要なかったのだが。ヒッティーンの戦いで圧勝したのち、サラディンはアッコン、ベイルート等パレスチナ諸都市を陥落させ、ついにイェルサレムを奪還する。その陰にはヴァレリーの智謀があり、ムスリムたちは彼を「アル・アーディル(公正)」と呼ぶようになる。だが、アッコンの守備を任されたエルシードに従い現地に赴いたヴァレリーの前に、リチャード獅子心王、フィリップ尊厳王率いる第三次十字軍が現れ……
……と、ここまでが第一作の半ばまで。ストーリーは、史実からつかず離れずでありながら波乱万丈で読ませるけど、若書きというか、カッコイイ言い回しをしようとして描写が回りくどい感じ。あと人物描写でやたら「天才」を使うのは控えたほうがいいかな(汗)。
 架空部分について思いつくままに書くと、サラディンの弟であり第四代スルタンのアル・アーディルがフランク人ってところ(笑)。どうもエルシード姫と結婚させて、史実との辻褄を合わせようという構想があったみたい。ちなみにエルシード姫はヌールアッディーン(ザンギ朝。サラディンの主筋)の娘という設定。お話はリチャード獅子心王の撤退で終わるんで、ヴァレリーの即位はないけど。リチャードの妹としてアリエノールが出てくるけど、これリチャードのお母さん。後に称号だという言い訳が出てくるけど、この名前の方がかっこいいから? ヴァレリーと結婚してヤーファを共同統治するけど、これは講和交渉での軽口が元ネタだな。暗殺教団の一員としてアル・カーミルが出て来て、ヴァレリーの養子になるけど、史実のアル・カーミルはアル・アーディルの息子で第五代スルタン。イェルサレムをフリードリヒ二世に譲っちゃうんで評判が悪い。あと、暗殺教団は存在しなかったというのが現在の通説らしい。異端なんで山中に潜んでいたら、あることないこと噂され、それをオリエンタリズムが拾い上げて暗殺教団ってことになったらしい。本書では、ヴァレリーとエルシードによって滅ぼされる。他にもアイヴァンホー、ロビン・フッドと仲間たち、テムジンとかが登場。全二者はもちろん架空の人物。テムジンはまあ同時代人だけど。ちなみに兄弟げんかで家を追い出されたそうです(笑)。
 のち集英社文庫に収録されるにあたって改稿されているらしい。その後、星海社文庫に収録。

>「華岡青洲の妻」
 09/02 19:00-20:54、BS日テレで放送されるとこのこと。1980年作品で、妻は竹下景子、姑が新珠三千代、華岡青洲が江守徹、田中裕子は女中。脚本を原作者の有吉佐和子が担当。加恵は外科医・華岡家の於継に望まれ、青洲の嫁になった。 加恵と於継の仲は親密の度を増したが、青洲の麻酔薬実験を境に激しい対立を起こす。 二人は人体実験を争った。加恵は実験で盲目になるが、義母に勝ったことを喜んでいた……というお馴染みのお話だけど、wikiよると実験台になったのは嫁と姑だけでなく、親類一同だったという。まあ、二人だけじゃろくにデータが取れないから、言われてみれば当たり前だけど、有吉佐和子、すげぇ嘘ついてたな!(笑) だから歴史小説家などからは評判悪かったって言うんだけど、そこは誉めるところじゃないか?



#11371 
バラージ 2023/08/19 20:34
今頃になって読んだ

 高橋直樹『小説 平清盛』(潮出版社)を読了。出版は2011年11月で、翌年の大河ドラマ『平清盛』の便乗本というやつですね。大河を観る前に同じ話読んじゃうのもなってのと、文庫になったら買おうと思って読まないまま今頃になっちゃいました。結局、文庫にならなかったんだよな。去年やはり高橋氏の大河便乗小説『北条義時』を読んで、そういやこれ読んでなかったなと思い出して他の買い物ついでに古本を買っちゃいました。でも買ったまままた放置してようやく今頃になって読んだわけです。
 00年代までは普通に歴史小説(&時代小説)を執筆してた高橋氏ですが、この『平清盛』以後は、源義朝・黒田官兵衛・真田幸村と後藤又兵衛・五代友厚・井伊直虎・西郷隆盛・北条義時とほとんどが大河(or朝ドラ)の便乗小説ばかりに。00年代以前の高橋氏の小説で僕が読んだのは短編集『鎌倉擾乱』、連作短編集『霊鬼頼朝』、長編『曾我兄弟の密命』(単行本タイトル『天皇の刺客』)でいずれも面白かった。一方、10年代以降の小説も中編『源氏の流儀』、長編『北条義時』を読んでますが、『源氏の流儀』はやはり便乗本だからかいまいちの出来だったし、『北条義時』もまあまあといった程度の出来でした。
 うーん、この『平清盛』もいまいちだったかなぁ。物語は保元の乱の少し前から始まりますが、保元・平治の乱という清盛の花形とも言える部分はわりとあっさり終わってしまい、むしろ清盛が公家社会でのし上がっていくところから鹿ヶ谷の変や治承三年の政変に筆が割かれていて、やがて以仁王の乱から源平合戦の勃発、清盛の死までが描かれてます。清盛の生涯を描こうとすると到底1冊には収まらないので、エピソードや登場人物を取捨選択するのは当然ですが、どうも読んでてこのチョイスはどうなんだと思う部分が多い。清盛のわりと有名かつ重要なエピソードでも落とされてるものがあり、また取り上げられてるエピソードでも史実的というか歴史学的に首を捻るような描写・解釈があって今一つに感じます。それ以上に違和感があるのは登場人物のほうで、その取捨選択もやや疑問だし、特に重盛のキャラクターがなあ。重盛のイメージと違いすぎるんですよね。『北条義時』でも北条泰時のキャラクターに違和感がありましたが、本作の重盛と『北条義時』の泰時のキャラクターがまた似てるんですよねえ。主人公の長男(しかもどちらも実質的には庶長子)ってところもいっしょだし。また坂東で挙兵後の頼朝がまたもやたらかっこよく描かれてますが、さすがに頼朝びいきの僕もいささかかっこよすぎなんではないかとも思ったりして(笑)。
 しかし何よりも強い違和感を感じたのは、妻の平時子が全く登場しないところ。名前は何度か出てきますが、本人は最後まで登場しません。『北条義時』でも義時の妻妾が全く出てこなくて違和感があったんですが、それでも義時の場合はまだいいでしょう。しかし清盛の生涯を描きながら時子が全く出てこないというのは違和感を通り越して不自然と言わざるを得ない。時子ばかりでなく女性の出番が異常に少なく、継母の池禅尼も出てこないし(なので頼朝の助命エピソードも無し)、清盛が手を付けた常盤(義朝の妾)も台詞でほんの少し言及される程度で、娘の徳子の出番もごくわずか。数少ない登場女性の建春門院(最初に出てきた時は小弁局と書かれてるため誰だかわからなかった)や八条院もあまり好意的に描かれておらず、存在も軽く扱われていて、やはり出番も少ない。唯一、後半に出てくる架空人物の高麗にルーツを持つ船大工の娘の女童(女児)が比較的重要キャラになってるんですが、これは女性というより子供だし、登場人物としてもちょっと行動があまりに非現実的でどうもなあ。前にも書きましたが高橋氏は女性を描くのが苦手なんじゃないかなあ。でもいくら苦手とはいえ清盛の生涯を描くなら時子はある程度出さなきゃならない人のはず。清盛の死の場面にさえ出てこないんだからあまりにも不自然なんですよね(まあ死の場面だけいきなり出てくるのも不自然だけど)。おかげで時子(や他の女性)を通した人間関係が軽視され、人物の関係性や立ち位置が事実と異なるものになってしまっているように感じました。
 やっぱり頼まれ仕事の便乗小説だから自分の描きたい題材、自分に向いた題材を選んでるわけじゃないし、じっくり構想を練る時間も無くて、今一つな出来の小説になってしまったんじゃないかなあ。残念。

 あ、そういや思い出したけど、他に去年買って読もうとした歴史小説に、篠綾子『義経と郷姫』(角川文庫)がありました。もともと2005年に出版された単行本を、17年も経ってからおそらく去年の大河便乗で文庫化したものです。義経の妻である河越重頼の娘を主人公とした小説で、創作作品では有名な静の影に隠れて損な役回りばかりさせられてる不遇な女性が主人公というところに興味を惹かれて買ったんですが、読んでみると僕にはあまりに少女マンガ的に感じられて途中でギブアップ。


>録画で観た歴史映画
『300〈スリーハンドレッド〉』
 またまた近年の古代ギリシア&ローマ史劇映画を今頃になって観たシリーズ。CSで放送されたんで録画しました。原作者のフランク・ミラーは1962年の映画『スパルタ総攻撃』(僕は未見)を子供の頃に観てインスパイアされ原作マンガを描いたとのこと。
 うーん、歴史映画っていうよりほとんど『北斗の拳』の世界だなぁ。映像表現的にはものすごく見ごたえがありますが、ストーリーとか方向性に関してはかなり問題ありかと。アケメネス朝ペルシア帝国はほとんど化け物軍団で、そりゃイラン政府は怒るだろと思うし、国王クセルクセス1世をはじめ黒人だらけなのも意味不明(クセルクセス役の俳優はブラジル人らしい)。歴史や地理にくわしくない人はペルシアってアフリカだと思ったんじゃなかろうか。米国的マッチョイズムが濃厚な作品で、やたら「自由と愛国」を唱えるところは9.11後だった当時の米国の風潮を感じさせるし、さりげなく同性愛者を揶揄する台詞があったりフリークス(奇形)は裏切り者か敵の化け物という差別的表現もなんだかナチズムの優性思想に通底するものすら感じました。裏切り者のエフィアルテスは実在の人物のようですが、史実では普通の人らしく、それをフリークスに造形するってどういう神経なんだろ? そのくせペルシアを女性蔑視だとして、王妃ゴルゴが前面に出てくるスパルタと対比させる作為も鼻につきます。意識的ではなく無意識的なのかもしれないけど。
 CGアクションもすごいことはすごいんですが、300の兵で20万の敵と戦う(史実的には疑問があるが)のに狭い谷間で戦う以外は正面きった肉弾戦で作戦もくそもないってのはどうなんだろ? それでスパルタが最後以外は一方的に勝っちゃうってのもなんだか調子がよすぎる。ペルシア軍が馬鹿でかいサイや象で攻撃するところは激戦を期待させましたが(イランにサイや象がいるか?ってことは横に置くとして)、サイは槍一発でやられちゃうし、象にいたっては足滑らして崖から転落ってあまりに拍子抜け。うーん、僕には合わなかったなぁ。映像表現はほんとすごいし、単純な映画としてはつまんないってわけではないんですけどね。

『300〈スリーハンドレッド〉 帝国の進撃』
 続けて録画した『300』の続編というか姉妹編。『300』の話と並行して起こったアルテミシオンの海戦から有名なサラミスの海戦までを描いており、回想的に『300』以前のマラトンの戦いも冒頭でちょっと描かれます。個人的には海戦ものが観たかったってことで実はこっちが本命でした。
 前作で諸方面から怒られたからか、はたまた9.11から時間が経って大統領もブッシュ息子からオバマに変わったという米国社会の空気の変化によるものなのか、前作にあったような問題点はかなりマイルドになっており、ペルシア軍も普通の戦士集団になっています。ただその分(?)、史実的には前作よりもハチャメチャで、ほとんど『柳生一族の陰謀』とか『魔界転生』のノリ。マラトンの戦いでは戦場にいなかったはずの主人公テミストクレスがやはり戦場にはいないはずのダレイオス1世を討ち取っちゃうし、敵のボスキャラであるペルシア帝国海軍の女性総司令官アルテミシアも史実ではハリカルナッソスの女王とのことで設定が全然異なります。まあ『グラディエーター』や『トロイ』(神話だけど)だって程度の差こそあれ、そうだったからいいっちゃいいんだけど、父ダレイオス1世の後を継いだペルシア王クセルクセス1世(髪があるとアフリカ系ではなくブラジル人だとわかりますね。でもスキンヘッドだと映像のデフォルメ具合でやはり黒人に見える)の描写なんてなんだかダースベイダーみたいでした(そういやサブタイトルも似てる・笑)。中盤のテミストクレスとアルテミシアのエッチシーンもどう考えても余計で、別にいらなかったんではなかろうか? とはいえ全編CGの戦闘シーンは前作から引き続きものすごく、余計なマイナス点が少ない分こっちのほうが楽しめましたけどね。



#11370 
ろんた 2023/08/16 00:21
積ん読リスト?

 夏が暑すぎるせいか、太陽がまぶしいからか、岩波文庫をまとめ買いしてしまう。落ち着いて考えると、また積ん読が増える、とぼーぜん。それでも、三木清『構想力の論理』、トマス・アクィナス『精選 神学大全』、『英国古典推理小説集』とかも欲しかったけど、辛うじて踏みとどまったのでした。しかし、八月の新刊には知里幸惠『アイヌ神謡集』や安倍能成『岩波茂雄伝』があったりするのだった。

『最新世界周航記』(上)(下)(著:ダンピア/訳:平野敬一)
 イギリス海賊ウィリアム・ダンピアの12年半に及ぶ航海の記録。カリブ海、南米、フィリピン、中国など世界の海を渡り歩き、敵船拿捕、都市襲撃といった私掠活動を重ねる。つねに危険と背中合わせの航海の様子と、寄港した土地の自然や風俗を、厳密な観察眼でつぶさに記す。17世紀末の海賊が残した驚くべき手記。(HPの内容紹介より 以下同)
『ダンピアのおいしい冒険(5)』(著:トマトスープ/イースト・プレス)が出ているのを見つけ、注文していたら出て来た。っていうか、マンガありきで重版がかかったみたい。太い帯にトマトスープさんのイラストと推薦文が載っている。岩波にしては商売っ気があってよろしい!(笑) 「地獄の黙示録」の時は『闇の奥』(コンラッド)を出していたのに……。(<しみじみ) パラパラと拾い読みしてみると、この『周航記』と『おいしい冒険』がちゃんとリンクしていて興味深い。『おいしい冒険』は6巻で終了とのことだけど、あのポルトガル人とかコックとか死んじゃうんだぁ。悲しい。

『開かれた社会とその敵 第2巻』(上)(著:カール・ポパー/訳:小河原誠)
 アリストテレス、さらにはヘーゲルをプラトン以来の全体主義に連なる哲学として論難したうえで、本巻はいよいよ左の全体主義を生んだマルクス主義を俎上にのせる。階級なき社会の到来が差し迫っているという予言論証の方法論を徹底的に批判し、「未来への悪しき案内人」マルクスに対する指弾が続けられる。
 第1巻(上)(下)で終わりだと勘違いして買い、積んだままになっている本の続き。第1巻は上にあるようにプラトンへの論難だけど、わたしは『国家』『饗宴』どころか『ソクラテスの弁明』も読んでいないのであった(汗)。さらにヘーゲルは……。まあ、カール・ポパーは『歴史主義の貧困』(中央公論社)を「夏休みに読みなさい」と買わされた覚えがあって(これは読んでいる)、そっちでもプラトンの形而上学からマルクスの唯物史観までを、反証可能性がなく非科学的、と論難している(主敵はマルクス)。でも既に『経済学批判』の序言(いわゆる「唯物史観の公式」)を読んでいたので<本人が研究の「導きの糸」って言ってるんだから、科学的じゃなくてもいいんじゃね? 自然科学の根っこにある自然哲学だって形而上学だろ>と思ったのでした。もっとも老エンゲルスは唯物史観を歴史の発展法則として語り、スターリン主義者どもはほとんど予言扱いしているので、ポパーの批判も分かるんですけどね。

『イギリス国制論』(上)(下)(著:バジョット/訳:遠山隆淑)
 ジャーナリストのウォルター・バジョット(1826-77)がイギリスの議会政治の動きを分析し、議院内閣制のしくみを描き出した古典的名著。イギリス国制を、国民の崇敬の念をかき立てる「尊厳的部分」と、実際に統治をおこなう「実効的部分」にわけ、それぞれの機能を斬新な視点から考察する。上巻では、内閣、君主、貴族院、庶民院を扱う。全2冊。
 ジャーナリストのウォルター・バジョット(1826-77)がイギリスの議会政治の動きを分析した古典的名著。選挙権のさらなる拡大が迫っていた当時、政治をいかに安定的に動かしていけるかが課題であった。下巻では、政権交代や議院内閣制の成立条件を扱うほか、第二版の序文を収録。現代の民主政治を考えるうえでも注目すべき考察が展開される。
 バジョットは『ロンバート街』を持っていて(「読んでいて」ではない!)、それでフラフラ買ってしまった。『ロンバート街』は宇野弘蔵訳ってのが面白くて買ったんだけど、なぜか新刊として出ている。新字新カナへの改版だろうか? わたしが持ってるのは旧字旧カナで活版印刷(笑)。

『俺の自叙伝』(著:大泉黒石)
 ロシア人を父に持ち、若くしてロシア、ヨーロッパを彷徨いトルストイの謦咳に接した。革命から逃れて日本に帰国、その後、東京の下層社会で極貧生活を送りながら旺盛な執筆活動を始める。才能を妬まれ虚言の作家と貶められ、文壇から追放された大正期のコスモポリタン作家が、生まれからデビューまで、数奇な人生を綴る。
 四方田犬彦による評伝(『大泉黒石 わが故郷は世界文学』)が岩波から出たことからの刊行? しかし、表紙カバーのポートレイトを見れば、大泉黒石を知らなくてもどこかで見た覚えがあるんじゃなかろうか。そして四方田の評伝の表紙に使われている写真! (おっ……大泉晃!?) そう、黒石は大泉晃(1925-98)の父であり、まるで遺伝の見本のようにそっくりなのでした。これが購入の動機だったりして。まぁ大泉晃も奇矯なところのある人(ロリコンを公言したり、自分のウ○コで家庭菜園やってたり)だったけど、この子にしてこの父あり?

『政治的なものの概念』(著:カール・シュミット/訳:権左武志)
 政治的なものの本質を「味方と敵の区別」に見出したカール・シュミット(1888-1985)の代表作。一九三二年版と三三年版を全訳し、各版での修正箇所を示すことで、初出論文である二七年版からの変化をたどれるように編集。さらに六三年版の序文や補遺等も収録した。行き届いた訳文と解説によって、「第三帝国の桂冠法学者」の知的軌跡が浮かび上がる。
 抑えとかなきゃな、と思いながらもなかなか読めないカール・シュミット。『現代議会主義の精神史的状況 他一篇』というのも読めないまま。そんなに長くもないんだけどなぁ。そう言えば『わが闘争』も放り出したまんまだな。


>難「どうする家康」
 なんか毎週、「あそこが史実と違う。ここが史実と違う。デタラメだ」とやっているみたいで、今回は「秀吉がお市に惚れていたなんてデタラメだ」とやってます。いいかげん、ドラマはフィクションであって歴史そのままではないってことを悟ってもらいたい(笑)。突っ込みはいいけど、それでドラマを全否定しちゃダメだろ。っていうか、ほとんどクレーマー?

>Re:労働と読書の歴史
 某大学の某理事長じゃないけど「言葉足らず」でしたかね。ということで、もうちょっと詳述。重複はご勘弁。
・司馬を「サラリーマン」「通勤電車」「文庫」とからめて70年代で取り上げてるけど、「サラリーマン」に「通勤電車」で「文庫」が読まれたのは司馬だけじゃない。そもそも司馬のデビューは59年で代表作の多くが60年代に発表されている。だから司馬を取り上げるなら、松本清張と一緒にサラリーマン(ホワイトカラー)の支持を得た作家として60年代にとりげるべき。さらにそのせいで、文庫のペーパーバック化という大きな動きを見逃している。
・出版社(講談社? 文春?)で若手が文庫刊行の企画を出したら、上層部に拒否されたエピソードが出て来るが、ここでも文庫のペーパーバック化という流れを捕らえ損なっている。上層部のイメージにあるのは、おそらく岩波文庫。パラフィン紙のカバーに色分けされた帯。収録されているのは古典。新潮や角川も右へ倣え。これに対して若手がイメージしているのはペーパーバックで、自社刊行物の再利用。端的には横溝正史を刊行しだしてからの(角川春樹が主導権を握った)角川文庫。ただ、角川春樹の証言は要検証。
・海音寺の引退宣言(69年)を文芸の敗北宣言と受け取るのは、一面ではその通り。とすれば、テレビの文芸に対する勝利がそれ以前(60年代)にあったはずなのに、テレビが娯楽の中心となったのを70年代としているのは不可解。70年代初めに明らかになった映画の斜陽化(大映の倒産、日活の「にっかつ」化)も、60年代にテレビが娯楽の中心となった傍証になる。
・50-60年代の作家として源氏鶏太をあげているのは慧眼。しかし、同時代の作家である司馬や松本清張を無視したことで、後者が死後四半世紀を経ても読み続けられているのに、前者が忘れられた作家になっていることには思い至らないようだ。ここに注目すると60年代と70年代以降の相違が浮かんでくるように思う。
・テレビの「土8戦争」をサラリーマンと関連づけているのは疑問。その最終的な勝利者は「全員集合」だから。サラリーマンと関連づけるなら、平日の「11PM」、土曜日なら「土曜ワイド劇場」。これは一家に一台時代のテレビが、番組枠販売の関係でレーティングしていたから。平日は7時台が子供、8時台は家族向け、9〜10時台は女性向け、11時台以降が男性向け。残業して帰宅、風呂、飯等が終わってくつろげるのがそれぐらいの時間。土曜日は日曜日が休みということで子供が夜更かし、サラリーマンは仕事を早めに切り上げるので、時間が前後する。だから同じ時間帯でも、「土ワイ」は男性向けの傾向が強く、「火サス」は女性向けの傾向が強い。ああ、「土ワイ」は77年からというので時代がずれてるというなら、東映制作のアクション物(「キー・ハンター」とか 土曜10時〜)でもいいかもしれない。

>「100分de名著『覇王の家』」
(おっかしぃなぁ、わたしの読みと違うぞ)ということが二回までで多数(全四回)。解説の安部龍太郎氏が完全にミスキャスト。純粋に司馬の家康観や小説を検討するんじゃなくて、自分の家康観をぶち込んでくるんで変なことになってる。で、それが司馬の家康観とかと水と油。司馬の描く家康って自分の家のことしか考えてないんだけど、安部氏は、日本の国を良くするために生きた、と考えてる。(山岡荘八の先祖返り?) ということで、珍しく全部見る気力が萎えかけております。



#11369 
バラージ 2023/08/07 20:27
紫式部というより源氏物語なんだけどやっぱり紫式部

 臨床心理学者である故・河合隼雄氏の『源氏物語と日本人 紫マンダラ』(岩波現代文庫。単行本タイトル『紫マンダラ 源氏物語の構図』小学館。後に上記タイトルに改題して講談社+α文庫)を読了。河合氏の著作は一時ハマって読みまくったんですが、本書については『源氏物語』をそもそも読んでないしなぁとずっと手控えてきたんですよね(現代文は大得意だったけど古文は苦手でして)。しかし本屋でたまたま新版を発見し、そういや来年の大河ドラマは紫式部だなと思って、これを機会にと買ってしまいました。
 いやぁ、やっぱり面白かった。あくまで『源氏物語』についての本であって、紫式部については最小限にしか触れてないんで来年の大河の参考にはあまり役立たないんですが(笑)、河合氏の文章は中身のつまったものでありながらスラスラと読めちゃいますね。『源氏物語』は「光源氏の物語」ではなく「紫式部の物語」だというのがその主張の骨子でして、紫式部という女性が自らの分身たちとも言える内面の女性像を、狂言回し的な光源氏を中心にマンダラ的に配列していった物語と位置付け、紫式部という女性の自己実現の物語であるとしています。
 僕自身は『源氏物語』を全く読んでないんでその主張の当否を判断することは留保しますが、本書を読んでいる限りでは河合氏の論には非常に説得力が感じられ、何より書物として読みごたえがあって非常に面白かったですね。


>ドラマや映画での信長の妻妾
 『どう家』本能寺回後に、今回の大河では濃姫が出てこないため信長の孤独がより強調される描き方になっていたという記事がありました。確かに信長の孤独を強調する狙いもあったのかもしれないけど、どっちかっていうと脚本の古沢さんは信長と濃姫の関係については映画『レジェンド&バタフライ』で描いちゃったからという理由のほうが大きいような気がする、というのは以前にも書きました。
 ま、それはそれとして、ドラマや映画における濃姫などの信長の妻妾たちについてざっと書いてみようかなと。といっても濃姫なんかは築山殿同様に腐るほど出ているんで、基本的にNHK大河ドラマを中心に濃姫以外の妻妾が出てきたものに着目して見ていきたいと思います。

 まず僕が初めてちゃんと観た大河ドラマの『おんな太閤記』(1981年)ですが、藤岡弘演じる信長の記憶はあっても濃姫とか妻妾の記憶はないなあと思ったら、どうやら信長の妻妾は全く出てこなかったらしい。どうりで記憶にないはずです。でもあんなに、ねねや秀吉の親戚一族がたくさん出てきたのに、信長の妻妾は全く出てこなかったってのはなんか意外。まあ、ねねや秀吉と濃姫他の信長妻妾はそれほど関係性がないとはいえそれでもね。そういえばこのドラマで信長だった藤岡が今年は親父の信秀だったんだな。次に『徳川家康』(1983年)。実は信長の妻妾が1番たくさん登場した大河は意外にもこの作品だったりします。個人的にも藤真利子演じる濃姫が本能寺で派手な立ち回りをして斬り死にするシーンが面白くてとても印象に残ってるんですが、他にも生駒吉乃(信忠・信雄・五徳の母。役名はお類。演じたのは小田切かおる)、坂氏(信孝の母。役名は深雪。深山由侑子)、五男勝長(津田源三郎)の母(役名は源三郎の母。青木万里子)が登場したとのこと。記憶に全然ないんですけどね。なんで『家康』にこんなに信長の妻妾が出てきたのかよくわかりませんが、同じ山岡荘八原作の1964年のテレ朝版『徳川家康』でも濃姫(小林千登勢→磯野千鳥)と吉乃(役名は「るい」。平松淑美)が出てきたようなので、原作からしてそうなのかもしれません。やはり山岡原作の『織田信長』(1994年、テレ東単発)にも濃姫(涼風真世)、吉乃(役名はお類。草野由紀子)、坂氏(役名は深雪。吉野真弓)が出てきたようです。
 じゃあそれ以前の信長主人公大河『国盗り物語』(1973年)ではどうだったのかというと、こちらでは濃姫(松坂慶子)しか出てこなかったみたい。まあ前半の主人公が斎藤道三なので、道三の娘の濃姫がクローズアップされるのは当然かもしれませんが、それにしても後半の主人公は信長なのにちょっと意外な気もします。さらにそれ以前の『太閤記』(1965年)、以後の『武田信玄』(1988年)でも出てきたのはやはり濃姫だけだったようですね(前者では稲野和子、後者では麻生祐未)。ちなみに『太閤記』では名前が「濃」と書いて「こい」という読み方だったらしい。なぜ?
 90年代に入って、またまた信長主人公大河の『信長』(1992年)。本編はほとんど観てませんが、濃姫が帰蝶(菊池桃子)という名だったのが印象的。僕はこの作品で初めてその名を知りましたね。他に吉乃(役名は「しの」。高木美保)、お鍋(八男信吉の母。役名は「なべ」。若村麻由美)が登場したとのことで、この頃から濃姫以外の側室がクローズアップされてくる印象。さらに『秀吉』(1996年)になるとなんと濃姫が出てこなかったらしい。側室の吉乃(斉藤慶子)とお鍋(櫻井公美)しか出てこないんだそうで、この時期の大河以外のドラマでも『天下を獲った男 豊臣秀吉』(1993年、TBS単発。濃姫役が、かたせ梨乃、吉乃役が鷲尾いさ子)、『豊臣秀吉天下を獲る!』(1995年、テレ東単発。濃姫役が森口瑤子、吉乃(役名は生野)役が高島礼子)、『織田信長 天下を取ったバカ』(1998年、TBS単発。濃姫役が中谷美紀、吉乃役が麻生祐未)と、濃姫と吉乃の両者が出てくるものが多い。この頃に特に吉乃がクローズアップされたのは一世を風靡した『武功夜話』の影響なのかも。この傾向は『利家とまつ』(2002年)まで続き、やはり濃姫(石堂夏央)も出てきたものの、吉乃(森口瑤子)のほうが出番も多く目立ってた印象でした。また『織田信長』(1989年、TBS単発)では濃姫(名取裕子)と坂氏(役名は阿茶。野村真美)というちょっと珍しい取り合わせだったようです。さらにちょっと変わり種では加藤廣の小説が原作の『信長の棺』(2006年、テレ朝単発)に、お鍋(役名は興雲院。浅野ゆう子)のみが登場したらしい。まあ、これは時代が限定的な作品ですからね。ちなみに濃姫がいない『秀吉』ではお鍋が本能寺で死ぬらしいんだけど、史実のお鍋は江戸時代まで生きてるようですね。でもまあ濃姫が大立ち回りするのだって完全に創作なんだしな(笑)。
 この流れが変化するのは『功名が辻』(2006年)あたりから。信長の妻妾は帰蝶=濃姫(和久井映見)のみが登場し、本能寺で大立ち回りするという先祖返り状態に。これは原作が昔のだからというのもあるかもしれませんが、でも山岡のほうがもっと昔だしなあ。なお帰蝶と明智光秀がお互いに淡い恋心を抱いているという設定もあったらしいですね。『軍師官兵衛』(2014年)でも同様に濃姫(内田有紀)が本能寺で大立ち回りして斬り死にし、『麒麟がくる』(2020年)でも帰蝶(川口春奈)のみが登場。この頃の民放ドラマでも『女信長』(2013年、フジ単発。小雪)、『信長のシェフ』(2014年、テレ朝。斉藤由貴)、『信長協奏曲(コンチェルト)』(2014年&2016年映画、フジ。柴咲コウ)、『桶狭間』(2021年、フジ単発。広瀬すず)と、濃姫(帰蝶)ばかりが登場するようになります。このあたりの理由としては『武功夜話』の信憑性に疑義が示されるようになったということもあるかもしれませんが、それ以上にそもそも吉乃は1566年というかなり早い段階(信長が足利義昭を奉じて上洛するよりも前)で亡くなってしまうため、物語のヒロインとするのが難しかったという作劇上の問題が大きいような気がします。
 『利まつ』以後で吉乃が出てきたドラマには『濃姫II 戦国の女たち』(2013年、テレ朝)がありますが、主人公の濃姫(観月ありさ)に対して、吉乃(白須慶子)は役名が「茶筅丸の母」(茶筅丸は信雄の幼名)という固有名詞ではないものなのでチョイ役だったんでしょう。ちなみにこの『濃姫』は山岡荘八の『織田信長』が原案とのこと。そしてもう1つが今年の映画で古沢脚本の『レジェンド&バタフライ』(2023年)。もちろん濃姫=帰蝶(綾瀬はるか)はダブル主人公の1人ですが、吉乃(見上愛)も登場したようです。
 個人的には史実云々は別として、90〜00年代前半に濃姫以外の信長妻妾がクローズアップされた流れは物語に幅を持たせるという意味ではよかったんじゃないかなあと思います。濃姫だけだとやっぱりどうしてもワンパターンに陥っちゃいますし、そもそも濃姫だって史実なんてほとんどわかんない人ですしね。

>清洲会議
 ドラマに対する史実からの批判はともかくとして、清洲会議を「信長は跡目を信忠に譲ってたんだから、三法師が跡を継ぐのは決まっていた」とする説については、Wikipediaを見たところ歴史学者の柴裕之氏が唱えているようですので、全く妥当性のないものというわけでもないようですよ。柴氏は、「会議で問題になったのは三法師が成人するまで「名代」を設置するか否かで、信雄と信孝の対立の焦点もそこにあった」としているとのこと。ちなみに柴氏は『どう家』の時代考証の1人でもあります。

>労働と読書の歴史
 うーん、こういう年代区切りの話題については、あくまで“時代の流れ”が重視されるんであって、くっきりと「ここまでは60年代、ここからは70年代」と杓子定規に考えるべきではないと思うんですよね。1969年の海音寺潮五郎引退宣言については、第5回は「1950〜60年代」にまたがっているので、むしろ第6回の「1970年代」に近い出来事ですし、何よりもあくまで話題の関連性で触れられてることなので、それを60年代の出来事だと突っ込むのは少々揚げ足取りに感じられます。また、あくまで連載の主題は「労働と読書」ですので、テレビの土曜ワイド劇場は「労働と読書」にはそれほど関係がないでしょう(横溝正史も同様)。「おじさん」が見る(読む)ものと、「労働者(サラリーマン)」が見る(読む)ものとではベクトルが異なるはずです。なぜならサラリーマンには、おじさんではない若いサラリーマンもいるのだから。第1回の冒頭に挙げられてる映画『花束みたいな恋をした』の主人公カップルも若者であって、「おじさん」ではありません。なお松本清張については第5回(1950〜60年代)と第6回(1970年代)でほんの少しではありますが触れられています。ただまあ、このあたりも当時のベストセラーを網羅的に触れていく連載ではないんで別にいいんではないでしょうか。

>名画座DVD化情報
 やはりと言うべきかNHK大河ドラマ『北条時宗』も完全版DVDが9月22日に発売されるそうです。これであとは『峠の群像』だけとなりました。



#11368 
ろんた 2023/08/03 23:27
「どう家」スケジュール

 先の書き込みはいささか不正確でした。「月刊TVnavi」9月号によるとこんな感じ。

(29)「伊賀を越えろ!」(07/30)
信長が死亡したというしらせが駆け巡る中、光秀の命令で、家康は、浪人から村人まであらゆる者から命をつけ狙われることに。
(30)「新たなる覇者」(08/06)
本多正信のおかげで無事、浜松へ戻った家康。一方秀吉は、織田家の実権を握ろうとしていた。
(31)「史上最大の決戦」(08/13)
お市を死に追いやった秀吉に、家康は激怒。打倒秀吉の意志を固める。だが勢いに乗る秀吉は、信長の次男・信雄を安土城から追放する。
(32)「小牧長久手の激闘」(08/20)
家康は秀吉10万の大軍に対し前進し、小牧山城に兵を集結。康政は秀吉の悪口を書き連ねた立札をばらまくが…。
(33)「裏切り者」(08/27)

 (33)は「解説」がありませんが、まあ石川数正出奔で間違いないので、9月で家康臣従、秀吉天下統一、9-10月が秀吉政権のごたごた、10-11月が関ヶ原、11-12月が大坂の陣ってところでしょうか。確かにかなり駆け足になりそうな気がする。特に関ケ原と大坂の陣の間。ワープがあって、急に老け込んだりして。最後は、死の床でお迎えに来るのが瀬名だと思ったら、第六天魔王と化した信長でした。ってところで「どぉ〜すりゃええんじゃぁ〜っ」でthe end?(<お笑いにしてどうする)

>自分が大人になったら忘れちゃう
 これ、「昔はよかったなぁ」病なんじゃないですかね。以前、「全員集合」のDVDが発売された頃、「ドリフは良かったけど今のお笑いは……」って話が出てて、(ドリフ好きがそう言うこというか?)とあきれた覚えがあります。目上の人間(長さん)にメチャメチャ酷いコトしたり、土曜の八時にストリップの真似したり、童話の替え歌で「子供が間違えて覚えたらどうする!」って怒られたり……その他諸々やらかして良識派の顰蹙を買いまくってたのに。「食べ物を粗末にするな」ってのもドリフへの苦情の定番だったなぁ。ちなみにやっぱり神格化されている(?)欽ちゃんだって、大河「天と地と」の裏番組で、女性タレントを脱がして世間の顰蹙を買っていたぞ(笑)。「や〜きゅう〜、す〜るなら」ってやってたのは二郎さんだけど。
 ただ「史実と違う」の人は、史実と違う>ダメだダメだダメだ と言いたいんでしょう。でもこの人、史実と解釈とフィクションがゴッチャになっているみたい。わたしも「どう家」には違和感は感じるけど、それは解釈やフィクションに関する部分。それから「史実と違う」の人についてる「歴史評論家」という肩書きが摩訶不思議。評論家全盛期の70年代でもそんな人いなかったと思うけど。と思ったら、またまた「『どう家』はデタラメ」って話をしている人がいて、誰かと思ったら「俺は大学教授なんだぞぉ〜」の人だった。なんでも信長は跡目を信忠に譲ってたんだから、三法師が跡を継ぐのは決まっていたとのこと。いや、筋目はそうだけど、子供が当主じゃ困るってんで清洲会議でもめたんじゃないの? 相変わらず「ボクの作った最強の歴史」の世界に生きちゃってるなぁ。
 ああ、上の人とは関係ないけど、「清洲城の周りにあんな山はない」って批判には笑った。そりゃまあ、濃尾平野の真ん中のはずだからなぁ。あと初登場時の清洲城にみんな秦の阿房宮を連想していたのも面白かった。実はわたしもご同様。びびった元康にはそう見えた、と解釈しておこう。

>1970年代の労働と読書
 なんだか60年代と70年代がゴチャゴチャになっている感じがしました。司馬がベストセラー作家になったのは60年代で代表作も多くが60年代に発表されている。文庫について言えば、70年代は文庫のペーパーバック化の時代。そこでクローズアップされるべきは角川文庫と横溝正史でしょう。これが「教養」なるものに深刻な打撃を与えるわけですよ。テレビが娯楽の中心になったのは60年代後半。70年代に入るとすぐに大映が潰れ日活が潰れかけ、残り三社もアップアップ。海音寺潮五郎の引退宣言もギリ60年代。土曜8時がクローズアップされてるけど、それは土曜日だけ子供に夜更かしが許されてたから。サラリーマンとの絡みで論ずるなら「土曜ワイド劇場」。この番組がおじさんをターゲットにしていたのは明らか。最近「混浴露天風呂温泉連続殺人」を土日にやってるけど(笑)。あとお風呂に入ってる女性が必ず襲われる「美女シリーズ」(江戸川乱歩原作)とか。かの名言「10時またぎはオッパイッ!」が生まれたのも二時間ドラマから。この辺、火サスと比べると明らか。そして二時間ドラマの原作として再び注目された松本清張は?

>森村誠一
「森村誠一の『人間の証明』は『砂の器』のパクリ」というのを見かけました。いや、それを言うなら『砂の器』じゃなくて『ゼロの焦点』だろうと思いますがね。犯人像も犯行動機もそっくり同じなんだから。ただ、パクリと言えないのは、「母と子」「占領軍と日本人」というテーマを付け加えているから。そのせいで不自然なところが出ちゃってるけど。米兵の子供って日本に置き去りにされてる場合が多いのに。あと棟居の親の仇があの人ってのは偶然がすぎる。

追記
「100分de名著」(Eテレ)で『覇王の家』を取り上げるそう。これも「どう家」の番宣か? でもこの小説、人質生活の後は三方原の戦いに飛び、築山殿と信康処断の後は甲州攻めで伊賀越え、そして小牧長久手の後は大坂夏の陣後に飛んで死んじゃうんだな。抜けてるところは、他の小説で書いちゃってるからだろうけど。ひょっとして、こういう家康像はもう古い、とやるのかな。「どう家」は「史実と違う」って人が多いのか?



#11367 
バラージ 2023/07/29 22:46
神話映画

 2003年の米国のTVムービー『トロイ ザ・ウォーズ』(原題『Helen of Troy』)を観ました。映画『トロイ』の出来が不満だったんでこっちもDVDレンタルで観てみようとしたんですが、近所のレンタル店ではとっくに撤去されてて、次に近い大きめのレンタル店で借りて観賞。テレビのミニ・シリーズらしく3時間近い長さの作品で、『トロイ』の1年前に作られており日本でも『トロイ』公開と同時期に便乗的にDVD化された作品です。
 うん、こっちのほうがずっと面白い。そりゃスケールは映画のほうがずっとでかいですけど、こっちもTVムービーとしては十分に大きなスケールだし(大河ドラマなんかとはえらい違いだ)、映画として公開しても遜色のないレベル。何よりストーリー展開がよく練られています。もちろん神話そのままじゃ現代人の感覚的に変なところもあるし、何より3時間に収めなきゃならないんでいろいろと改変されてるところも多いんですが、『トロイ』よりは(そしておそらくは『トロイのヘレン』『大城砦』よりも)原典に比較的忠実です。
 原題にもなってるヘレン(ヘレネ)とパリスの生い立ちから物語が始まっていて、この2人がトロイア戦争の原因になるからやっぱり彼らを主人公にしたほうが話の流れがすっきりするんですよね(アキレスは有名だけど戦争全体での立ち位置はやや脇役的だし)。運命の子パリスが生まれてすぐに捨てられて、羊飼いに拾われ育てられるところから物語は始まり、ヘラ・アテナ・アフロディーテの3女神から最も美しい者を選ぶパリスの審判とか、テセウスによるヘレンの誘拐などのエピソードも描かれ、戦争が始まるのは映画が半分も過ぎてから。しかし個人的にはこの前半が面白く、テセウスのエピソードなんて、へぇー、これもやるんだ、と興味深く観ちゃいましたし、カサンドラの予言もちゃんと描かれてて満足。
 神様の出番はパリスの審判のとこだけで、あとはパリスと神様の絡みもほとんど描かれないし、カサンドラやアキレスも神様との関係は語られませんが(神の世界と人間の世界を両方描いてくのは複雑になりすぎて難しいんでしょう)、神々の存在が前提となっている世界観なので、映画『トロイ』のような無理がない。風が吹かずギリシャ艦隊が出航できないため、アガメムノンが娘を女神アルテミスに生贄として捧げるというエピソードなんかもちゃんと出てきます。全編通してヘレンは美しく、パリスはかっこよく、ヘレンの夫プリアモスも悪人じゃないのが特徴で、その分アガメムノンがすっげえ悪役。アキレスやオデュッセウスは『トロイ』に比べて脇役扱いで、エピソードもだいぶカットされてますが(こちらのアキレスは映画『ワイルド・スピード』に出てきそうなスキンヘッドでムキムキマッチョの筋肉戦士)、もともと原典が三国志並みに複雑で膨大なんで仕方がない。
 出演俳優も知らん人ばっかりですが、有名人だらけの『トロイ』に見劣りしない好演で、特に主演の傾国の美女ヘレン役のシエンナ・ギロリー(『バイオハザード』に出てた人らしい)は無垢で無邪気ゆえの魔性っぷりを非常に上手く演じておりとても良かったです。面白かった。


>労働と読書の歴史
 以前紹介しましたが、東洋経済オンラインで『明日の仕事に役立つ 教養としての「名著」』を連載してる書評家の三宅香帆さん。『源氏物語』『紫式部日記』『更級日記』についての話が面白く、文章力のある人だなと思ったんですが、ネタが中世文学から別のものに移ったらなんとなく読まなくなってしまいました。
 しかし先日スマホに流れてきたおすすめ記事に三宅さんの執筆記事がありまして、読んでみたらやっぱりこれが滅法面白い。集英社新書プラスで連載されている『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という記事で、「第1回 労働と読書は両立しない?」「第2回 明治時代の読書と労働―自己啓発書誕生の時代」「第3回 大正時代の読書と労働―「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級」「第4回 昭和戦前・戦中の読書と労働―本が安くなるとみんな本が読める」「第5回 1950〜60年代の読書と労働―「サラリーマン特化本」のベストセラー化」「第6回 1970年代の労働と読書―司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマンたち」といったラインナップ。今後80年代以降の話も続いていくんでしょう。おすすめに挙がってきたのは最新の第6回でして、それが面白かったんで最初から読んでみたわけです。第1回の冒頭が映画『花束みたいな恋をした』の1シーンなのも印象的で、ちょっと『花束みたいな恋をした』を観たくなっちゃいましたね(話題になった映画なのでもちろん存在は知っている)。
 それにしても改めて見たら三宅さんは1994年生まれとのことで、まだ20代なのか。すげえな……。

>追悼・森村誠一
 常石敬一さんに続いて『悪魔の飽食』の森村誠一さんも……。これも共時性なのか。ま、森村さんはそれ以前にまず推理小説家としての知名度のほうが高いでしょうけどね。『人間の証明』『野生の証明』が映画化されて大ヒットしましたし。90年代には『平家物語』も書いてたな。ご冥福をお祈りします。

>「どう家」は史実と違うから子供に見せられない
 いや、そんな心配しなくとも、もともと大河ドラマを観る子供なんて少ないでしょう(笑)。大河の視聴者の70%以上は50代以上らしいですし。逆に大人が子供に見せたがる番組なんて当の子供は見たがらないですよ。昔からさんざん言われてきたことなのに自分が大人になったら忘れちゃうんすかねえ。まあ、おっさんメディアのプレジデントオンラインだから仕方がないのかもしれないけど、じじいの繰り言だよなあ。小学生の頃から大河観てた自分が言うのも何だけど。
 『どう家』の本能寺の変は家康主犯説(光秀冤罪説?)と見せかけて、結局は普通に光秀単独犯になったようで。実は家康主犯説・黒幕説・共犯説にすると、家康がなんであんなに苦労して伊賀越えしなきゃならなかったのかとか、なんで光秀が家康も仲間だと言ったり助力を求めたりしなかったのかとかの説明が難しくなっちゃうんでしょうね。歴史学的にも指摘されてることですが、物語としてもそのあたりが上手く説明できないと観てて疑問に感じちゃいますし。映画『続・忍びの者』は家康共犯説、大河『秀吉』は家康唆し説、『直虎』は家康も知っていた説でしたが、いずれも家康が主人公ではないためそのあたりはスルーすることができたんでしょう。
 それはそうと『どう家』で気になるのは、7月後半にもなってようやく本能寺が終わるなんて物語展開がちょっと遅くないか?ということ。調べてみると1983年大河『徳川家康』では24話で本能寺だったのに対して『どう家』では28話と、4話(1ヶ月)も遅れてます。幼少期をほとんどすっ飛ばして初回が桶狭間(『徳川家康』では第8話)だったのに、いつの間にそんなに遅れちゃったんだ? 『徳川家康』では27話で小牧長久手なのに、『どう家』の小牧長久手が8月末だとしたら最後まで物語を消化できるのか?



#11366 
ろんた 2023/07/28 00:59
書評より

 新聞の書評欄に歴史物がどっと放出されてたので紹介……と思ったら、呉座氏の『極楽征夷大将軍』の書評が出てる。まあ、地方紙なんで通信社から配信されたものを記事にしてるんでしょうけど、地元紙の仕事が遅いのか。ということで『極楽征夷大将軍』は省略しますが、他のも見たことあったらご容赦。
 ちなみに芥川・直木賞でe-honの予約ランキング三位まで独占。もう本が出てるはずなのに、と思ったら次回入荷分の予約だった。つまり東販に在庫が無いってこと?

・『バレエの世界史』(海野敏/中公新書/評者:桂真菜=演劇評論家)
 バレエの歴史を世界史に絡めて語る本。大抵のヨーロッパの芸術同様、ルネサンスに端を発し、王侯貴族のものだったのがブルジョアのものになっていく。バレエの場合は踊るのも観客も王侯貴族。しかし、17世紀フランスの花形ダンサーがルイ14世というのは驚き。ダビンチが装置を担当したり、デカルトが台本を書いたりしたこともあった。18世紀は異国趣味。当然、背景にあるのは大航海時代に始まるヨーロッパの膨張。そして19世紀では「エトワール」(ドガ)が取り上げられる。この絵画、主題はバレリーナなのに、袖から舞台を眺めてるオッサンが描かれている。山田五郎のyoutubeでは「これ、誰だ?」というのが解説されてたけど、要するに功成り名を遂げたブルジョアで、よく言えばパトロン、悪く言えば妾に囲ってるヒヒジジイ。バレエ興行はそのようなものとしてあり、ブルジョアがそれを支えるだけの資力を手にしたというわけ。ただ、ネットの一部にあるバレリーナ=売春婦というのは言い過ぎかな。20世紀には民族主義の勃興と関係あるんだろうけど、ディアギレフ、ニジンスキーなどロシア・バレエがヨーロッパを席巻。そして20世紀後半はアメリカの時代……のはずなんだけど、バレエでは影薄い気がする。ミュージカルのせい?

・『風配図』(皆川博子/河出書房新社/評者:栩木伸明=アイルランド文学者)
 1930年、ソウル生まれ(93歳!)の直木賞作家の最新作。時代は12世紀半ば、ハンザ同盟結成前夜。主な舞台はバルト海最大のゴットランド島、西の港町リューベックと東のノヴゴロド共和国をつなぐ交通の要衝。主人公は島の農場主の娘・ヘルガ。難破船の生存者の権利を守るために決闘裁判の代闘士を買って出て勝利。これで男社会から排除されたのを機縁に、商人としての経験を積み、外国語を習得、交易網の拡大に貢献しようとするが、差別的障壁の数々に苦しめられる……なんだかメチャメチャ面白そう、という感想しか出てこないんですけど。「ぼくたち読者はノヴゴロドの市内を歩く。……(中略)……12世紀のノヴゴロドが描かれた小説なんて他にあっただろうか、とふと思う。書き手の周到な準備と構想力に強靭な共感力が加わった結果、輪郭が濃い街路と人々の暮らしが読者の目の前に現出している。」「終盤にさしかかる頃には、ヘルガを苦しめた性差別、結婚、技能習得、仕事などをめぐる不自由が人ごととは思えなくなる。小説家の問いかけは射程の長い灯台の光のように、現代まで届いていたと気づかされるのだ。」と評者も「読め、読め、読むんだぁ!」と薦めております(笑)。ちなみにゴットランド島は「魔女の宅急便」のモデルで、アニメまんまの街があるらしい。

・『厳島』(武内涼/新潮社/評者:清原康正=文芸評論家)
「厳島」だけではピンと来なくても、戦国時代なら「厳島の戦い」。ということで、大寧寺の変のドサクサで(?)安芸・備後を切り取った毛利元就軍4,000と陶晴賢軍28,000の戦いを、毛利元就の調略と情報収集、奇襲、陶軍重臣・弘中隆兼の義を貫く姿勢を通して描く。厳島の戦いは、厳島に引っ張り込まれた陶晴賢軍が、毛利元就軍に奇襲されて殲滅されるわけだけど、この元就の策を見抜いていたのが弘中隆兼。陶晴賢に諫言して入れられず、臆病者と誹られるよりは死を選ぶ、と厳島に入った人物。「登場人物一人一人の戦国乱世を生きる姿、言動は、それだけで短編の主人公になりえるエネルギーと魅力を発散している。これだけの数の登場人物からそれぞれの人間ドラマを仕立てていく粘り腰と、作者のこれまでの作品とは違った重厚な文体に瞠目させられる。」とのこと。

・『堀田仁助 蝦夷地を測った津和野藩士』(神英雄/山陰中央新報社)
 こちらは「地方の本」というコーナーで取り上げられていたもの。堀田仁助は幕府天文方として航路開拓を行い、1799年に西洋技術を駆使して北日本の地図を作った人。伊能忠敬が日本全図の測量を開始するのが翌1800年で、伊能にも影響を与えた。著者は島根地理学会会長。現地踏査ののち、地元紙(山陰中央新報)に連載、加筆したもの。写真多数。

>「どう家」
 え〜〜〜っ、余計なこと書いて、ちゃんと見てないのがばれてしまいました(汗)。これから石川数正出奔とかあるけど(9月ぐらい? 小牧長久手が8月末らしい)、あのドラマって「どうすればええんじゃぁ〜〜〜っ!」と泣きわめく、うぶなねんねの松平元康が、戦国乱世にもまれにもまれ、三國連太郎と悪だくみする森繁久彌になる話なんだな、きっと(TBSドラマ「関が原」参照)。
 そう言えば"「どう家」は史実と違うから子供に見せられない"という趣旨の記事がプレジデントオンラインに出ていたけど、そんなに違ってるかなぁ? 解釈がオーソドックスじゃないだけだと思うけど。

>キンカン頭
「引用」というのはわたしの印象に過ぎませんけど、三谷幸喜ならやりそうな感じ? でも家康が光秀のボヤキを止めようとするのと、信長が光秀を「キンカン頭」とののしるのは『国盗り物語』のオリジナル……かなぁ? 『祖父物語』『川角太閤記』にはそんな描写無いような。ネットでは光秀=キンカン頭を司馬の創作とする人もいるけど、これは眉唾。『武将列伝』(海音寺潮五郎)の「明智光秀」で引用されてる『義残後覚』に出てるし、「豊臣秀吉」では海音寺自身が光秀のあだ名の話をしているから。(『武将列伝』の方が『国盗り物語』より初出が古い) あと『国盗り物語』の信長、光秀との初お目見えの場で……
 頭の薄い男だ>キンカンに似ている>あの頭に触りたい(ウズウズ)
……とか考えてて、いかにも信長(笑)。さすがに、もう大人なんで触らないけど。ただ、濃姫に「頭が薄い」とか言ってご機嫌を損ねてる。



#11365 
バラージ 2023/07/21 22:07
あ…ああ!あれは伝説の蛇行剣!!(基ネタわかる人おらんだろ)

 いやあ、蛇行剣の発見、ものすごいニュースですね。『報道特集』でも特集しててちょっとびっくり。あの番組が社会的な事件じゃなく文化的なニュースで特集組むとは珍しい。

>731部隊
 731部隊の職員表が発見されたという、こちらも重要な発見。ニュース検索したら731部隊研究で著名な常石敬一氏が4月24日に亡くなられてたとのことで、これも一種の共時性か。ご冥福をお祈りします。

>ドラマや映画での家康の妻妾
 『どうする家康』には今のところ家康の妻妾として、松平信康と亀姫を産んだ正室の瀬名(築山殿、演じたのは有村架純)、督姫を産んだ側室のお葉(西郡局、北香那)、結城秀康を産んだ側室のお万(松井玲奈)、秀忠と松平忠吉を産んだ側室の於愛の方(西郷局、広瀬アリス)が登場しています。ちなみに1983年の『徳川家康』ではその他に、継室で秀吉の妹の朝日姫、側室の阿茶局、松平忠輝を産んだ側室の茶阿局が出てきた模様。そのうち朝日姫は『どう家』にも登場予定で、逆に『徳川家康』では西郡局(実名は不詳で『どう家』での「お葉」は創作)は出てこなかったようです。家康の妻妾は20人以上いるようなので到底全員出してられないってことで、どうしてもドラマなどの創作作品では大幅にリストラされちゃうのは仕方のないところ。
 では『どう家』に出てきた家康の妻妾たちは他の作品にはどれくらい出てきたのか? やはり圧倒的に多いのが築山殿で、以前にも書いた通りNHK大河ドラマでは『徳川家康』(1983年、池上季実子)、『信長』(1992年、島村佳江)、『秀吉』(1996年、石川真希)、『利家とまつ』(2002年、つちだりか)、『江』(2011年、麻乃佳世)、『おんな城主直虎』(2017年、子役→菜々緒)、『麒麟がくる』(2020年、小野ゆり子)に登場しています。といっても演じてる女優でわかるのは池上さんと菜々緒さんくらいかなあ(小野さんもなんとなくわかるような気がする)。その他の歴史映像名画座収録作品だと、映画『反逆児』(1961年、杉村春子)、単発ドラマ『徳川家康』(1988年、十朱幸代)、単発『徳川家康 戦国最後の勝利者』(1992年、真野響子)。こちらは全然観てないけど女優は全員わかる(笑)。未収録作品では大河と同じ山岡荘八原作の連ドラ『徳川家康』(1964年、NET〈現・テレ朝〉、扇千景)、『竹千代と母』(1970年、日テレ、松本めぐみ、役名は鶴姫)、映画『反逆児』と同じ大佛次郎原作の単発『築山殿始末』(1966年、フジ、山田五十鈴)。また僕が観たやつではテレ朝の単発『徳川家康と三人の女』(2008年、高島礼子)がありました。他にもまだありますが多すぎるんで割愛。
 逆に西郡局はほとんど登場しておらず、『どう家』の他には大河『葵 徳川三代』(2000年、岩本多代)だけ。ちなみに調べたら岩本さんは83年の大河『徳川家康』では朝日姫を演じてました。
 残るお万とお愛(西郷局)では意外にもお万のほうが登場作品が多く、山岡原作連ドラ『徳川家康』(1964年、光本幸子→青山京子)、クレージーキャッツの喜劇映画『ホラ吹き太閤記』(1964年、藤山陽子)、大河『徳川家康』(1983年、東てる美)、単発『徳川家康』(1988年、かたせ梨乃)、単発『徳川家康 戦国最後の勝利者』(1992年、河合奈保子)、大河『葵 徳川三代』(2000年、長内美那子)に登場。さらには朝日放送の単発ドラマで杉本苑子原作の『戦国うらばなし 長勝院の萩 家康父子に愛された女』(1983年、若尾文子)という主人公ドラマまであったりします。これだけ登場作品が多いのはやっぱり築山殿にいじめられたというエピソードがあるからか? なお『ホラ吹き太閤記』では草笛光子、『長勝院の萩』では川口敦子がそれぞれ築山殿を演じています。それにしても『戦国最後の勝利者』では河合奈保子だったのね。92年ならもうアイドル卒業後か。
 一方、お愛(西郷局)は2代将軍秀忠を産んだにも関わらず意外なほど登場作品が少ない。『どう家』の他には、山岡原作連ドラ『徳川家康』(1964年、中原ひとみ→藤野節子)、単発『戦国うらばなし 長勝院の萩 家康父子に愛された女』(1983年、亀井光代)、大河『徳川家康』(1983年、竹下景子)ぐらいしかありません。ヒロイン役にうってつけのような気がするんだけど、早くに亡くなったからってのもあるのかも。1983年大河の竹下景子さんは記憶にあるんですが、もっと序盤に出てきた家康憧れのお姉さん的存在じゃなかったっけ?と思って調べたら、竹下さんは吉良御前(亀姫)という役と2役だったらしい。この吉良御前、『どう家』で関水渚ちゃんが演じてたお田鶴と同一人物とのこと。山岡荘八の『徳川家康』では、お田鶴(亀姫)は鵜殿長持または小笠原鎮実の娘とされる史実とは異なり、吉良義安の娘の吉良御前という設定らしく、徳川家康の初恋の相手として描かれているそうです。そしてその吉良御前とお愛が瓜二つという設定だったみたい。同じ原作の1964年NET版でも中原ひとみがお愛と2役で演じてるそうです。また同じ原作の『竹千代と母』(1970年、日テレ、小橋玲子、役名は亀姫)はタイトルを見てもわかるように家康の少年期のみを連ドラ化したようで亀姫のみが登場し、お愛は登場しません。やはり同じ原作の『徳川家康 戦国最後の勝利者』(1992年)には吉良御前(亀姫)もお愛も登場しないようですが、時間の都合上カットされたんだろうか?

>築山殿追記
 お万が家康の子を身籠ったことに嫉妬した築山殿が、お万を裸で浜松城内の木に縛り付けて折檻したという逸話は『柳営婦女伝叢』にあるそうですが、『柳営婦女伝叢』はかなり信頼性の低い史料で、当時築山殿は岡崎城にいたことからこの逸話もおそらく創作だろうとされているようです。まあ現代の我々が読んでも今で言う週刊誌レベルのネタですよね。ご近所スキャンダルかよっていう(笑)。その前に家康の子を身籠った西郡局はなんで折檻されなかったんだって話にもなっちゃいますし。そう考えるとこれまでのドラマに西郡局が全然出てこなかったのは、お万の折檻エピソードと整合性が取れなくなっちゃうからなのかな? 山岡荘八の小説でもお万への折檻は描かれ、西郡局は登場しないようですし。
 築山殿がお万の妊娠を許さず浜松城から退去させたのは、築山殿の承諾無しに妊娠した(家康が妊娠させた)ためだと現在では推測されています。近年の研究では戦国時代における本妻の権限は非常に強く、奥向きを全て取り仕切っていたと考えられているとのこと。なお当時は江戸時代のような正室・側室に基づいた一夫一妻多妾ではなく、一夫多妻多妾で「本妻」「別妻」「妾」に分類され、築山殿・朝日姫が本妻、西郡局や西郷局(お愛)は別妻、お万は妾とされているそうです(淀殿なども秀吉の側室ではなく、北政所寧々と共に本妻だったとするのが通説になりつつあるようです)。『どう家』では折檻エピを逆手に取って(?)、お万を妖艶でしたたかな女性として描き、妊娠したことが岡崎の瀬名に知られ怒った瀬名が浜松に来ることを知ると侍女仲間に自身を木に縛らせ、瀬名に折檻を請い赦しを得るという展開だったようです(僕はその辺りは観てなかった)。
 信康の不行状については、大岡弥四郎事件の翌年の1576年頃から見られ始めるらしく、大岡事件に築山殿が深く関与したことが発覚し、両親の仲が決定的に破綻したことが影響したのではないかとの推測があるようです。要するに信康は両親の夫婦関係の悪さが原因でグレちゃったわけですね。信康と五徳の不和が見られ始めるのは翌1577年頃からとのことで、原因としては2人目の子供も娘だったため(次女熊姫の誕生が1577年)とする説の他に、『松平記』にあるような信康の残虐行為(祭りで踊りの下手な民を射殺した、鷹狩りの際に出会った僧を縄で馬につなぎ引きずり殺したなど)に耐えられなかったとする推測や、『岡崎東泉記』に記されている信康が築山殿に楊枝を取るよう五徳に言ったが政治的地位が上の五徳が無視したため信康が激怒したという些細な理由によるものなどの説があるようです。
 信康の罪をすべて認めてしまった酒井忠次に対する批判は大久保彦左衛門の『三河物語』に記されてますが、これについては前記の通り彦左衛門の曲筆で、実際には『安土日記』(『信長公記』で最も古態を保った版本)や『当代記』にあるように家康が忠次を信長のもとに派遣して信康処断の許可を求めたのが事実と考えられます。なお『松平記』では大久保忠世も忠次と共に派遣されたとあり、彦左衛門は兄の忠世も関わったことを隠蔽したという見解もあるみたい。また『信長公記』は新しい版本になるほど信康事件の記述が矮小化されていき、最終的には記述そのものが無くなってしまうとのことで、著者の太田牛一が豊臣政権から徳川政権に移り変わるにしたがって徐々に忖度するようになったんだろうと考えられているようです。

>本能寺の変
 『国盗り物語』は未読でドラマ化作品もいずれも未見なので、『真田丸』に影響を与えたかどうかは何とも言えないんですが、信長が光秀を殴打したエピソードは江戸時代の軍記物『祖父物語』『川角太閤記』にある非常にメジャーな逸話なので、『国盗り』のオリジナルではありませんよね。まぁ、いずれも二次史料で、現在ではかなり信憑性の低い逸話とされているようですが。
 『どう家』では信長と光秀が家康暗殺を計画し、饗応の食事に毒を入れてたんだけど、家康側もそれを知っていて実際には臭くもないのに鯉が生臭いと言い張って食べようとせず、毒殺計画が見破られたと悟った光秀は無理強いして食わせようとするも、信長は生臭い鯉を出した光秀の不始末ということにして光秀を殴打したうえで毒の入った食事を下げさせ証拠を隠滅したという展開になってたように思います。この家康暗殺計画、以前も書きましたが『おんな城主直虎』でも描かれてました(#10716)。そっちでは冷酷な信長に嫌気が差した光秀がひそかに家康を訪ね、信長を討つ決意を語るという展開でしたね。家康暗殺計画は一応全く根拠のない話というわけでもなく、『本城惣右衛門覚書』『老人雑話』、フロイスの『日本史』などに当時信長が家康を暗殺するという風説(噂)があったという記述があるとのこと。まぁただの根拠のない噂でしょうが、実際に信長の家康暗殺計画があったとする説も一部にはあるらしい。とはいえ歴史家より作家が好む説で、史実というより物語のネタだよなあ。

>史劇ネタバレ
 昔そのネタについて書いた記憶があります。確か「マゲ女(=時代劇ファンの女性)」について書いた時だったような……と思って探したらやっぱりそうでした(#9986)。僕はその話を聞いた時に、なるほどなあ、と思っちゃいましたね。目から鱗というか。確かに言われてみれば、これから小説の映画化やドラマ化を観ようとしてる原作読んでない人に、原作読んだ人がストーリーを語っちゃうみたいなもんかもしれないなと。歴史好きってそのあたりのことに思い至らないんですよね。

>『極楽征夷大将軍』
 直木賞まで取っちゃいましたか。そりゃすごい。ニュース的には芥川賞を取った先天性の難病で身体に障害のある市川沙央さんの扱いの方が圧倒的に大きく、直木賞のお二人(垣根涼介さんと永井紗耶子さん)には気づきませんでした。申し訳ない。それにしても尊氏小説うらやましい。頼朝小説もほとんどないんですよね。



#11364 
徹夜城(気が付いたら直木賞受賞作を読んでいた管理人) 2023/07/20 23:48
「極楽征夷大将軍」

 こちらでも言及されたし、昨日直木賞受賞が決まっちゃったしで、書いておきましょうかね。
 先日新聞書評で存在を知って「そりゃ面白そう」と買ってチビチビ読み進めていた垣根涼介著「極楽征夷大将軍」が直木賞ということで、驚くやら嬉しいやら。南北朝ネタがこう続くと、もう一度やりませんかねぇ、大河ドラマ。

 こも「極楽征夷大将軍」は足利尊氏を主人公とする南北朝歴史小説。数少ない南北朝小説、しかも時代の主役ともいえる足利尊氏が主役のものはその知名度の割に多くはありません。吉川英治「私本太平記」とか杉本苑子「風の群像」あたりが比較的知られてますかね。ほかにちょこちょことあるんですが、その辺は「南北朝列伝」でも紹介してますんで。

 数があまり多くないのは一つには尊氏というのが実にとらえにくいキャラだからではと思っています。名家の御曹司で割と苦労はしてないし、野心家とか優れた政治家とかそういうわけでもなく、名将のようでいてそうでもなく、世捨て人願望を繰り返すなど奇人変人な言動も多い。
 「極楽征夷大将軍」はそのタイトルにある「極楽」というのが周囲が尊氏につけてるあだ名でありまして、いわば「能天気」かつ「どこかピントがずれてる」という感じ。感情的になって動くところはあるんだけど、「お人よし」と言っても差し支えない。この小説の成功の秘密はこうした尊氏像を、弟の直義(前半では「高国」になってるのも初めてかな)と師直の視点で描いていること。尊氏自身が何を考えてるかわからない、直義や師直からみると「阿呆」としか見えない行動も多いけど、どこか不思議な魅力がある、というのをうまく描き出せていると思います。

 直義と師直は半分バカにしてるようにも見えるんですが、そんな尊氏に会った赤松円心や楠木正成その他の武将らがその「素」の彼に魅了されてしまう、というパターンがコントのように繰り返される。この辺、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の劉邦像にも似ているような、と思いつつ読んでます。

 新田義貞が割と名将(戦巧者)扱いですね。まぁ正成からは批判されますけど。あと、尊氏・直義兄弟があくまで側室の産んだ庶子で、本来は足利家督を継げるような立場ではなかったというのが序盤強調されてましてこれは最近の学術的な尊氏像の反映なのでしょう。
 ああ、あとそりゃそうだと思いつつ、後醍醐がかなりヒドイ奴(笑)。



#11363 
ろんた 2023/07/18 22:20
『まいまいつぶろ』(村木嵐/幻冬社)

 マンガの話ばかりしてましたが、活字の本も読んでるわけでして、『ローマ人の物語』以後の塩野七生を文庫本でまとめ買いして読んでいました。現在、残すは『皇帝フリードリヒ二世の生涯』のみ。時間がかかったのは『十字軍物語』の(2)と(3)のせい。(2)は帯に「サラディン登場」とあるのに、7〜8割は読み進めないと出てこず挫折しかかった。(3)はなぜか本が行方不明になったりして、こちらも挫折しかかったのでした。あと塩野七生さん、サラディンより獅子心王びいきっぽいなぁ。まあ、十字軍の物語だからそれでいいと言えばいいんだけど。

 で、タイトルは「週刊現代」(2023/07/01-07)の書評欄(「日本一の書評」)で見かけた歴史小説。(評者:東えりか)

 八代将軍・徳川吉宗は頭を痛めていた。嫡子・長福丸のことだ。片手片足が不自由で、歩きながら小便を漏らすことすらある。通った後が濡れているというので「まいまいつぶろ(カタツムリ)」と陰口を叩く者までいる。発話も不明瞭で誰も話を理解できない。そのせいか酷い癇癪持ちで、怒り出すと手がつけられない。長福丸を廃嫡し利発な弟・小次郎丸を世継ぎに、という者も跡を絶たない。だが、吉宗のもとに朗報がもたらされる。大岡忠相の遠縁にあたる兵庫なる者が、長福丸の言葉を本人も驚くほど正確に聞き取れるというのだ。早速、吉宗は兵庫を長福丸の小姓に取り立てる。すると兵庫のサポートを得た長福丸は、英邁な資質を開花させ……というお話。
 長福丸はもちろん九代将軍・家重、兵庫は大岡忠光。吉宗や大岡忠相を取り上げた作品は掃いて捨てるほどあるけど、こちらは珍しい。男女逆転の『大奥』には登場してたけど。書評にある症状を見ると、脳卒中(脳出血とか脳梗塞とか)の後遺症っぽいけど、これに相当する障害があったんだろうか? 「格別の生まれには格別の運命があるものだ。運命ばかりは、途中で投げ出すことができない。ホーキング博士を彷彿とさせる家重の頭脳と、それを最大限に生かす忠光の忠義に心が震えた。」と、評者がかなり入れ込んでいる様子。あと、日経新聞の書評で縄田一男氏が「この一巻は、本年度の歴史・時代小説界において、最も心震える人間記録の一つであろう。"あろう"と記したのはまだ半年残っているからで、しかしながら私はこの作品を凌(しの)ぐ傑作はそうそう出るまいと考えている。」と激賞しております。

>『私はスカーレット(上)(下)』(林真理子/小学館)
 同じ雑誌の広告で見かけた本。"世紀のベストセラー『風と共に去りぬ』を林真理子が蘇らせた!""南北戦争期のアメリカ南部を舞台に、わがまま娘スカーレット・オハラが持ち前の生命力で激動を生き抜く、エンタメ一代記。"とあるので、リライトでしょうか。しかし原作は「一代記」じゃなかった気がするぞ。バトラー船長と別れるところまでしか書いてないから。わたし、林真理子さんは苦手というか食わず嫌いなんでアレですけど、"あらためて読んだら、本当に面白い! 今まで読んだ自分のゲラのなかで最も興奮した。──著者"と自画自賛が広告に出ちゃってるのはなんだかなぁ。普通、文壇の人脈使ってコメント出してもらうんじゃないのか?(汗) あと、amazonで見ると、(1)〜(4)と(上)(下)があって全六冊になっているのが摩訶不思議……と思ったら、(1)〜(4)は小学館文庫で(上)(下)はハードカバーっぽい。ということは内容は全く同じはずで、間違って六冊買っちゃう人出るんじゃないか。購入しようという方は要注意。ちなみにe-honでは"全六冊"表記はない。そして、文庫本の方が先に出版されているのも不思議であります。

>ありえないファンタジー
「どう家」はこの評価が定着しそうですな。わたしも「東日本女の平和構想」(?)にはポカーンでしたけど、大河ドラマに掃いて捨てるほど出てくる「民草の幸せのために戦乱の世を終わらせ泰平の世を開くのじゃ!」という戦国武将も十分「ありえないファンタジー」だと思いますがね。まあ、ファンタジーをガンガン突っ込んでも大筋で史実にあってれば「歴史ドラマ」ってことでいいと思います。まさに「この物語は史実を基にしたフィクションである」(「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム〜」より)ということで。三方ヶ原で家康が死ぬと思った人も多いらしいし、世の中には「関が原で東軍が勝つからさぁ」って話をしたら「ネタバレするなぁ!」と怒り出す人もいるみたいだし(ラジオでそんな投書があった)。

>築山殿と『覇王の家』(司馬遼太郎/新潮社)
 バラージさんの書き込みを読んでいるうちに気になって、当該箇所を読み返してしまいました。『覇王の家』は1970年初出なんで、現在の通説とは違うところもありますが、基本的に築山殿という特異なキャラクターが巻き起こす性格悲劇として描いているのが印象的。

・築山殿は家康より十歳年上で「元康」を精神的肉体的に支配していた
・今川家からの独立とともに、家康個人も築山殿の支配から逃れる
・岡崎城に移ってからは徳川家の正室として生きるべきだったが、それができずに「駿河衆」という派閥を形成してしまう。結果、「三河衆」の中で孤立。数々の悪評が三河衆に創作され、記録されてしまう
・夫婦仲についても政治が絡み、単に「殿は冷たい」というだけの話が「今川の恩を忘れたか」ということになり、家康も敬して遠ざけるということになる。この不満がお万の方への折檻として暴発する。そして家康は浜松へ移ってしまう
・こうした状況をさらに悪化させたのが徳姫の輿入れ。「駿河衆」「三河衆」に加え「尾張衆」という派閥が形成されるが、築山殿は織田家が背後にいる「尾張衆」に対抗できず憎悪を募らせる
・徳姫の子が二人とも女だったのを口実に、築山殿は信康に側室をあてがい夫婦仲を悪化させる
・信康は英邁な資質を感じさせるが奇矯な行動が多く、老臣らから孤立していた。言わば生まれながらの主君である信康も、老臣らを軽んじる言動が多かった
・そんな中、築山殿の武田側への内通が発覚する。これは陰謀というより妄想に近く、三河衆からすれば騒ぐのも馬鹿馬鹿しいものだったが、伝わったのが尾張衆だったために事件化される。なぜ尾張衆に伝わったかといえば、駿河衆も尾張衆も三河の婢を使っていたから。婢に筒抜けの陰謀ってなんだよ(笑)
・徳姫はまず夫・信康や舅・家康に相談すべきだった(そうすれば笑い飛ばされて終わりだったろう)が、夫婦仲が冷え切っていたことから父・信長に書簡で伝えてしまう。信長は別件で織田家を訪ねていた酒井忠次に問い質すが、忠次は書簡の内容をすべて認めてしまう。これは信康の代になれば家の存続が危ないとの危惧から

 なんでしょう、どこかで歯車のかみ合わせが狂って、それが暴走したような印象。凡庸な自分の子らに比べて信康が優秀だから、という話はちょっと触れられてますが、信長の「動機」とはされてません。むしろ信長は徳川家の離反を恐れて穏便に済ませようとしている感じだけど、酒井忠次が認めてしまったので放っておけなくなる。ここでも酒井忠次がしっかり弁明すれば事件化しなかったろう。

>「真田丸」の光秀折檻
 本筋とは関係ないですけど(汗)、あのシーンって「国盗り物語」からの引用じゃないですかね。甲斐信濃平定を祝う席で気が緩んだのか、光秀(近藤正臣)が「我らも苦労した甲斐がありました」とつぶやくと、家康(寺尾聰)の警告も間に合わず、聞きつけた信長(高橋英樹)が「己が何の苦労をした」「苦労したのはこの俺だ」と叫びながら駆け寄って「きんかんあたまぁ〜〜〜っ」(ガッツンガッツン)とやるという。あのドラマの光秀って、叡山焼き討ちのシーンでは田んぼに突き転がされるし、朝倉義景と浅井長政の髑髏酒宴の場面でも折檻されてるんだよな。
 そういえば「どう家」でも折檻されてたな、光秀。生魚ネタをアレンジしてたけど。生臭かったのは琵琶湖の淡水魚(鯉?)だったから? 徳川家の面々は駿河湾、遠州灘、浜名湖、三河湾の新鮮な魚介類をたらふく食ってるのに、それを忘れてた光秀の失策でありましょう(笑)。



#11362 
バラージ 2023/07/17 23:05
近年の信長・秀吉イメージ

 今年のウィンブルドン男子シングルス、20歳の世界ランク1位カルロス・アルカラスがレジェンド中のレジェンド36歳の王者ノバク・ジョコビッチを破って初優勝(四大大会では去年の全米以来2度目の優勝)。いや〜、すごい試合でした。ウィンブルドンでロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ジョコビッチ、アンディ・マレーのBIG4以外の選手が優勝するのは、フェデラーと同世代の2002年レイトン・ヒューイット以来21年ぶりのこと。フェデラーが引退し、ナダルも来年の全仏で引退予定。マレーはランキングを落としながらも現役を続けてますが、これも時代の変わり目なのかな。奇しくも車いすテニスの男子シングルスでも世界ランク1位17歳の小田凱人が全仏に続き初優勝。国枝慎吾が去った後の車いすテニス男子に君臨し始めてます。こうして歴史は紡がれていくのでしょう。

 さて、徹夜城さんが『どうする家康』で最初から信長・秀吉が悪者っぽいのを近年の傾向かと仰ってましたが、僕は特にそんな印象──信長・秀吉がワルっぽく描かれるのが近年の傾向という印象──を持ってなかったので少々意外に感じました。まあ、それだけ僕が信長・秀吉・家康が出てくる近年の作品を観てないってのもあるんですが(笑)、映画『レジェンド&バタフライ』(2023年、信長=木村拓哉、秀吉=音尾琢真、家康=斎藤工)のように観ていなくても信長が(たぶん秀吉も)ワルには描かれてないだろうなと察せられるような例もありますしね。
 てなわけで10年代以降の映画・ドラマで信長・秀吉がどんな感じに描かれてるかをちょっと調べてみました。なお史実系の作品ばかりでなく完全創作系の作品も含めてますが、一般人(視聴者)のイメージを考える上ではそういう作品も考えるべきだと思うので含めてあります。まずNHK大河ドラマですが、信長・秀吉が登場したのは『江』(2011年、信長=豊川悦司、秀吉=岸谷五朗、家康=北大路欣也)、『軍師官兵衛』(2014年、信長=江口洋介、秀吉=竹中直人、家康=寺尾聰)、『真田丸』(2016年、信長=吉田鋼太郎、秀吉=小日向文世、家康=内野聖陽)、『おんな城主 直虎』(2017年、信長=市川海老蔵、家康=阿部サダヲ)、『麒麟がくる』(2020年、信長=染谷将太、秀吉=佐々木蔵之介、家康=風間俊介)というラインナップ。このうち『江』と『官兵衛』はあまり観てなくて、『麒麟』も信長登場前にリタイア。『真田丸』は初回が本能寺で信長は(光秀も)ゲストキャラ的な登場。信長が光秀を足蹴にする定番シーンがありましたが、出番がわずかだし本筋の話でもないんであえて定番にしたんでしょう。秀吉についてはその暗部もかなりじっくり描いてましたが、事実上の天下人になってからの登場でしたからね。『直虎』は前回書いた通り信長は築山殿・信康事件との絡みで登場し、物語も家康サイドの話なので悪役回り。ただ海老蔵演じる信長は暴君というよりも何考えてんのかわかんない不気味さのほうが先に立ち、今一つ性格付けがはっきりしなかった印象です。
 ではそれ以外の映画やドラマではどうか。映画『のぼうの城』(2012年、秀吉=市村正親)の秀吉はワルではありませんでした。映画『清須会議』(2013年、信長=篠井英介、秀吉=大泉洋)は未見ですが、秀吉はちょっとワルな感じだったのかな。マンガ原作のタイムスリップドラマ『信長のシェフ』(2013〜14年、信長=及川光博、秀吉=ガレッジセール・ゴリ、家康=カンニング竹山)の信長・秀吉(&家康)はいずれもワルではなく、ワルっぽかったのは光秀(稲垣吾郎)。やはりマンガ原作のタイムスリップドラマ&映画の『信長協奏曲(コンチェルト)』(2014〜16年、信長=小栗旬、秀吉=山田孝之、家康=濱田岳)も未見ですが、現代のヤンキー高校生(小栗2役)がタイムスリップし、実は気弱な青年だった本物の信長に頼まれて入れ替わるという話。本物の信長は失踪した後、光秀となって舞い戻り主人公をサポート。秀吉がワルで本能寺の変を仕掛けるという設定だったようです。タイムスリップ映画『本能寺ホテル』(2017年、信長=堤真一、秀吉=永野宗典)も未見ですが、本能寺の変直前にタイムスリップした主人公の女性(綾瀬はるか)が信長を救うために奔走するという話なので信長はやはりワルではないでしょう。映画『3人の信長』(2019年、信長=TAKAHIRO・市原隼人・岡田義徳)も完全なフィクション作品。金ヶ崎の戦いから敗走中の信長が今川軍の残党に3人も捕まるが、3人はいずれも自分こそが本物だと主張するというコメディで、善人とか悪人という軸の話ではないようです。これまたマンガ原作のタイムスリップ映画『ブレイブ 群青戦記』(2021年、信長=松山ケンイチ、木下藤吉郎=池田純矢、松平元康=三浦春馬)も未見で、三浦春馬の死後に公開された映画の1本。スポーツ強豪高校の生徒が学校ごと桶狭間の戦い直前にタイムスリップし元康とともに信長と戦うことになるという話で、信長は主人公たちの敵だからワルの可能性もあるのかな? 映画『信虎』(2021年、信長=渡辺裕之)は良くも悪くも一般的な信長像でしたかね。ドラマ『新・信長公記 クラスメイトは戦国武将』(2022年、信長=King & Prince・永瀬廉、秀吉=なにわ男子・西畑大吾、家康=小澤征悦)もマンガ原作で、未来の日本で戦国武将のクローン高校生がヤンキー高校のテッペンを巡って争うというぶっ飛んだストーリー。おそらくはあえて定番のイメージとはずらしており、信長は喧嘩は強いがテッペンは目指さない穏やかな性格、秀吉はお調子者で頭脳派だが喧嘩は弱く、家康は喧嘩最強のラスボス級と言った感じでした。
 というわけで信長・秀吉がワルな作品ももちろんあるものの、ワルではない作品もそれなりにあって、結局のところ作品によるという感じ。主人公との関係性や物語中での立ち位置によるということになりそうです。


>書評
 徹夜城さんがTwitter(リアルタイム検索で見た)で触れてた垣根涼介の小説『極楽征夷大将軍』の書評が地元地方紙に載ってました。書評を書いてたのは呉座勇一で、かなり高く評価してましたね。



#11361 
バラージ 2023/07/14 21:44
信忠の野望

 Yahoo!のリアルタイム検索でTwitterアカウントのIDで検索すれば当該アカウントのツイートが表示されることがようやくわかりました。アナログ人間なもんでね。しかしめんどくさいなぁ……。

 一昔前に築山殿・信康事件について、信長が自分の嫡子信忠より信康のほうが優れているので織田家の将来を危惧し、武田家への内通疑惑を好都合として信康を殺すよう家康に命令したという説がありました。最初にその説を知った時には、んなアホな、いくらなんでも無理があるだろと思ったんですが、これは中世史学の権威だった高柳光寿が1962年の著書で唱えた説とのこと。ただしこの説はほとんど推測で成り立っており史料的根拠に欠けるらしく、前回書いた通り築山殿・信康の処分は信長の命令ではなく家康の意向だったことが明らかになっているため現在では全く否定されています。
 信康より2歳年上の信忠は、信康が死ぬ4年前の1575年頃にはすでに信長から独立した別動隊を任されるようになっており、1576年には信長から織田家の家督を譲られて(信長の後見を前提としながらも)美濃・尾張2国の支配を任されたうえに、1577年頃からは信長に代わって総帥として諸将の指揮を執るようになっていたとのことで、信康が家康から岡崎城主とされたものの文書をほとんど発給していない名目上の城主で、なおかつ家康の与力としてしか従軍していないことを考えると信忠のほうが遥かに優秀だった。むしろ「行状が悪く、家臣が苦労した」と言われる信康のほうが凡庸な人物だったというのが近年の評価のようです。
 そんな信忠ですが、信長とほとんど同時になおかつ別の場所で死んでしまったこともあってか、ドラマや映画ではどうも印象が薄い。僕がそんなに観ていないからというのもありますが、信忠がドラマや映画に出てきた記憶があまりないんですよね。大河ドラマで信忠が出てきたのが、『国盗り物語』(1973年・演じたのは松原守)、『徳川家康』(1983年・子役→森篤夫)、『春日局』(1989年・草見潤平)、『信長』(1992年・子役×3→東根作寿英)、『秀吉』(1996年・子役→西川忠志)、『利家とまつ』(2002年・日野誠二)、『功名が辻』(2006年・今市直之)、『江』(2011年・谷田歩)、『軍師官兵衛』(2014年・中村倫也)、『真田丸』(2016年・玉置玲央)、『麒麟がくる』(2020年・子役×2→井上瑞稀)。さすがに『国盗り〜』や『信長』には出てきたみたいですが、初期の『太閤記』(1965年)には出てこなかったんですね。信長人気で本能寺が2ヶ月も先送りされたってえのに。僕が初めて全話観た『おんな太閤記』(1981年)にも出てこなかったのか。確かに信長の切腹シーンや秀吉が清洲会議で三法師を抱っこしてるシーンの記憶はありますが、信忠の記憶は全くない(信雄や信孝は出てきたみたいだけど)。ま、信忠が出てきた『徳川家康』も全話観たはずなのに信忠の記憶は全くないんですけどね。そもそも演じてる俳優のほとんどが知らん人ばっかりなんだよなあ。わかるのは西川忠志(きよし師匠の息子。ちなみに信雄役は弟の西川弘志だったらしい・笑)、中村倫也(当時はまだブレイク前だったはず)、玉置玲央(初回が本能寺だったけどやはり信忠の記憶なし)くらい。それでもWikipediaを見る限り、10年代以降の作品ではそれなりに出番もあったようではあるんですが。
 では、それ以外のドラマや映画における信忠登場作品はというと、歴史映像名画座収録作品では、映画『続・忍びの者』(1963年、千石泰三)、連ドラ『おんな風林火山』(1986年、子役→松村雄基)、単発ドラマ『国盗り物語』(2005年、芹沢秀明)、映画『清須会議』(2013年、中村勘九郎)といったあたり。そうか! 『おんな風林火山』では主役(もしくは準主役)だったんだ。でも第1話だけ観た記憶があるんだけど内容はほとんど覚えてないんだよな。『続・忍びの者』も観たけど信忠の記憶は全く無し。名画座未収録作品では、連ドラ『徳川家康』(1964年、竹田公彦)、単発ドラマ『天下を獲った男 豊臣秀吉』(1993年、子役→野村宏伸)、単発ドラマ『織田信長』(1994年、斉藤隆治)、単発ドラマ『敵は本能寺にあり』(2007年、植栗芳樹)、単発ドラマ『信長燃ゆ』(2016年、早乙女太一)。うーん、どれも観てない。ちなみに役者でわかるのは松村雄基、野村宏伸、中村勘九郎、早乙女太一。『レジェンド&バタフライ』や『どうする家康』にも信忠は出てこないようだし、たけし監督の『首』にいたっては最初の前提から信忠のことなんててんで無視しちゃってる設定なんだよなあ(笑)。


>録画やDVDで観た歴史関連映画
『チェルノブイリ1986』
 去年公開されたロシア映画。タイトルからわかるように、1986年にソ連で起きたチェルノブイリ原発事故を描いた映画で、水蒸気爆発を防ぐために高温の水中のバルブを開いた消防士とその妻子らを主人公としていますが、基本的に登場人物と細かなストーリーは全て架空と最初に断りが出てました。それでも原発事故の恐怖は存分に描かれていて、なかなかよく出来た映画でしたね。ちょっと美談っぽいところのある映画ではありますが、悲劇性や体制批判の要素も含まれてましたし。チェルノブイリ原発事故というと僕の高校時代。当時も大変なことだとは思いましたが、何しろ高校生だったからなあ。それにしてもまさかそれから25年後に福島で同じようなことが起こるとは当時は思いもよらなかったですね。当たり前だけど。

『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』
 去年公開された米国映画。本国では2020〜21年のコロナ下で公開が見送られ、配信のみになったとのこと。黒人女性ジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイの後半生を描いた作品で、連邦麻薬局の標的にされた1947年から、1959年に44歳で世を去るまでを描いています。南部の黒人リンチを歌い、大衆に大きな影響を与えたヒット曲「奇妙な果実(Strange fruit)」をホリデイに歌わせないために麻薬局が麻薬所持で別件逮捕するという筋立てなんですが、麻薬局が麻薬を取り締まるのは当たり前の話で「奇妙な果実」を歌わせないためというのはちょっと無理がないか?と思ったら、やはり原作であるヨハン・ハリのノンフィクション『麻薬と人間 100年の物語』には事実関係が誤っているとの批判があるようです。それを抜きにしても物語がやや散漫で焦点を絞りきれてない感があり、悪くはないがもう1つといったところ。ホリデイを演じる、これが演技初挑戦というR&B歌手のアンドラ・デイはなかなか良かったんですが。



#11360 
バラージ 2023/07/08 20:16
ドラマはドラマだ

 村上春樹の『街とその不確かな壁』を読了しまして、深い感動に包まれている今日この頃です。アニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』も面白かったし、余は満足じゃ。

 さて、『どうする家康』の築山殿・信康事件、またえらく豪快というか破天荒というか途方もない創作をぶちこんできましたねえ。視聴者からも賛否両論のようですが、僕もいくらなんでもと思う一方で、大河ドラマ(に限らず歴史もの全般ですが)はその時その時で派手なフィクションぶちかましてきたからなあとも思わないでもなかったりして。『花の乱』なんてもっとすごかったですしね。
 『どう家』での瀬名(築山殿)の東国大同盟構想というフィクションは置いとくとして、築山殿・信康事件についての近年の研究の進展についてちょこっと書いてこうかな。#11314でも書きましたが、一般的には家康は信長の命令で仕方なく築山殿を殺し信康を切腹させたというのが通説として流布しており、今回の『どう家』でも基本的にはその線で描かれてました(まぁ家康が主人公で瀬名も信康もいい人で夫婦仲も父子仲も良好ということにするとそうせざるを得ないし、逆に信長が絵に描いたような暴君なら絶対そうなるだろうなというのは予想できたところではありますが)。しかし以前も書いたように、この説は現在ではほとんど否定されてるんですよね。
 信長の命令説は『三河物語』によるもので、その後の徳川系史料もそれを踏襲しているそうですが他の多くの史料の記述とは矛盾しており、『三河物語』の著者の大久保彦左衛門は信康や家康をかばうあまり信長や五徳や酒井忠次に責任を押し付けたと近年では考えられています。『安土日記』(『信長公記』で最も古態を保った版本)や『当代記』といった比較的信頼性の高い史料によると、1579年7月に家康は信長のもとに忠次を使者として送り、「信康は日頃から家康の命令に背き、信長をも軽んじ、家臣以下に非道なことを行っている」と報告しています。信長は「それほど父や臣下に見限られているようではやむを得まい」として「家康存分次第(家康の思う通りにして良い)」と返事をしたとのこと。ここから近年では家康が信康の廃嫡・処断について、信康の舅で自らの事実上の主君である信長に事前に報告して了解を求めたと考えられています。
 90年代に通説への疑問の先鞭をつけた典厩五郎氏は、家康の浜松家臣団と信康の岡崎家臣団に対立があり、岡崎家臣団による家康追放・信康擁立のクーデター計画があったとする説を唱え、00年代になって谷口克広氏がその説を支持し、より深く考察していました。また典厩氏は信康や築山殿の不行状や乱行についても家康の行為を正当化するために築山殿や信康を貶めようとした曲筆だとしていましたね。
 10年代に入るとさらに研究が進展し、#11347で触れたように大岡弥四郎事件に築山殿が関与していたことが、より信頼性の高い史料の記述から明らかとなり、一旦は否定された武田通謀説が再びクローズアップされます。また信康の不行状や五徳との不和、家康と築山殿の不仲も、比較的信頼性の高い『家忠日記』『松平記』『当代記』『岡崎東泉記』『石川正西聞見集』といった史料にも記されていることから、ある程度は事実と見なされているようです。柴裕之氏(『どう家』の時代考証でもある)は徳川家中の動揺を抑えるために大岡弥四郎事件は最小限の処分で終わったため、その後も築山殿・信康や岡崎家臣団は武田氏に通謀し続けていたとしており、本多隆成氏は信康事件において処分された岡崎家臣団がいないことから、家康も岡崎家臣団の武田氏への通謀を警戒して善後策を講じたはずで、その後も武田氏に通謀し続けていたのは築山殿だとしています。黒田基樹氏は五徳による父信長への書状で大岡弥四郎事件における築山殿の武田氏への通謀が発覚し、信長への忖度から家康は築山殿・信康を処断したとしており、平山優氏(『どう家』の時代考証)は発覚の後に築山殿・信康は三河衆への多数派工作を行い武田氏に支援を求めてクーデターを決行しようとしたとしており、基本線では諸氏一致しているものの細かい部分で意見が分かれた状況。なお築山殿の最期については殺害と自害の両説があり、黒田氏は最も同時代に近い史料の『石川正西聞見記』で移送中に自害としていることから、家康は処刑や自害命令ではなく終生幽閉とする意向だったが築山殿はそのような恥辱に耐えられず自害したとしています。

 さてドラマのほうの話ですが、『どう家』脚本の古沢良太氏は同じ時代を舞台とした今年公開の映画『レジェンド&バタフライ』の脚本も書いてます。僕は結局見逃しましたが、そっちは信長主人公だから『どう家』のような暴君信長ではないはず。各人物像は『レジェバタ』と『どう家』ではかなり異なるものと思われます(なにしろ『レジェバタ』じゃ光秀が宮沢氷魚くんですからね・笑)。確か古沢さんはインタビューか何かでもともと歴史にはそれほど興味がなかったと言ってた記憶があり、おそらく脚本を書くに際しても歴史の側からではなく物語の側から考えているはず。だから同じ話、前にあった話をもう1回やっても面白くないと、同じ人物を作品によって全く違うキャラクターにしたり、過去の作品にあったような築山殿悪女説も採用していないんではないかと思われます。歴史は物語の素材・材料ぐらいに考えて、かなり自由に創作してるんじゃないかなあ。
 自由な創作は当然だしそれがどうこうというわけではなく、ドラマや映画全般の話として築山殿・信康事件が描かれると必ず信長の命令で家康は仕方なく……という展開になっちゃうのがなんとも。上記の通り近年の研究では家康自身の意向で妻子を処分したというのが通説になりつつありますが、家康が主人公もしくは主人公側の人物となるとその線では描きにくいのも当然ではあるとは思います。1983年の『徳川家康』は築山殿悪女説と書きましたが処分自体は信長の命令で、他の山岡荘八原作ものも多分そうでしょう。大佛次郎の新作歌舞伎『築山殿始末』が原作の1961年の映画『反逆児』も築山殿悪女・信長の命令・信康被害者のパターンのようです。僕が観た2008年のテレ朝単発ドラマ『徳川家康と三人の女』では築山殿が善人の信長命令説。2017年の『おんな城主 直虎』でも同様のパターンで、こっちが最近の傾向か。
 では信長側が主人公の作品ではどうかというと、1992年の大河『信長』はやはり信長の命令パターン。それまでの通説に疑問が出されたのは90年代半ば頃からなので、まだそれ以前の作品なんですね。96年の大河『秀吉』もやはり信長の命令パターンだったようです。じゃあ00年代以後ならどうかというと、『利家とまつ』『江』『麒麟がくる』といったあたりもやはり信長命令説だったようで、家康意向説の作品がないんだよな。てなわけでもし今後信長主人公大河が作られるなら、築山殿・信康事件についてはぜひ信長命令説ではなく家康意向説の描写にしてはどうでしょうかね。

 話変わって、方々で話題ですがtwitterがログインしないと見れなくなってしまいました。でも俺twitterやってないんだよな。今回の書き込みをするにあたって桐野作人氏のtwitterを見ようとして、ああ、そうか、twitter見れないんだと改めて思い出し、Yahoo!のリアルタイムでそれっぽい検索ワードで探したんだけど、検索ワードがヒットするかしないかは一か八かだし、すっけえ遡らなきゃならないから超面倒。ったくイーロン・マスク、ろくなことしねえな。


>史点
 これ、結構多くの中国史ファンが連想したみたいですが、ワグネルが囚人を動員して戦力にしてると聞いて、秦末の章邯かよと思っちゃいましたね。本宮ひろ志のマンガ『赤龍王』で知った人物で、陳舜臣の『中国の歴史』や『小説 十八史略』にも出てきましたが、紀元前200年頃から今に至るまでずっとそういうのってあるんだな。まぁ章邯の場合は国内の反乱軍平定が目的なんでワグネルとはだいぶ違いますが。
 前にも書きましたが、僕はロシア・ウクライナ戦争はソ連のアフガニスタン侵攻やベトナム戦争同様に、最終的には侵攻側の撤退で終わるもののそれまで10年は続くんではないかと思っています。あまり愉快な推測ではありませんが。



#11359 
ろんた 2023/06/26 18:13
安倍神像神社と乾坤通宝

「安倍神像神社」と聞いて「なんじゃ、そりゃあ?」と思った方、安心してください、私も思いました(笑)。
 この神社、吉水神社(奈良県吉野)の名誉宮司・佐藤素心氏が長野県で建立に動いているもので、先ごろ(06/25)上棟祭が行われたとのこと。祭神は天照大神とそれ以前にいた17神、そして「安倍晋三大人命」(あべしんぞううしのみこと)。神社名が変換ミスみたいなんで、遺族の許可とか無しにやってるのかと思ったら、昭恵さんには了解してもらったらしい。名前の由来は、安倍さんの銅像(神像)をご神体にするから。佐藤氏のブログを見ると、「神社」という言葉から想像するより規模が小さくて、祠の大きいのという感じ。ただ鳥居や柱が白樺なのが目を引く。近くに白樺の林でもあるのか、別名、白樺神社。なぜ長野県かといえば、ご本人の移住先らしい。宗教法人には……なってないんだろうなぁ。
 ただ「なんじゃ、そりゃあ?」と思った後、「佐藤素心」という名前を見て「ああ、なるほどなるほど」と納得してしまったのでありました。氏は、口の悪い人からは「電波系ウヨ」などと言われている人。まあ、その政治思想は別にしても、めちゃめちゃに思い込みが激しい。わたしがこの方の名を目にしたのは、『南朝迷路』(高橋克彦/文春文庫)を原作にした二時間ドラマ「塔馬教授の天才推理 隠岐島の黄金伝説殺人事件」(フジ系)がBSで放送された時。この作品、幻の乾坤通宝をめぐって連続殺人が起こるというストーリーで、氏も本人役で出演されています。それでブログにたどり着いたわけですが、この方、乾坤通宝は実在する、一枚数千万円から一億円の価値がある、と主張していたのでありました。さらに「『乾坤通宝(けんこんつうほう)』の黄金伝説の謎」と書いてるんで、金貨だと思い込んじゃってるみたい。いやぁ「××通宝」だったら銅銭だと思うんだけど。また、伝説としながらも「……後醍醐天皇が懐良(かねなが)親王や宗良親王など各皇子に軍資金として持たせて、各地に下向させたそうです。」としている。いや、軍資金なら砂金とか金の延べ棒にしたと思うよ。ちなみに吉水神社には、乾坤通宝をかたどった金運のお守りがあるそうです(500円)。もちろん乾坤通宝(当たり前だけど模造)は金ぴか。
 そうそう、ドラマのOPでぴかぴかの乾坤通宝がCGで出てきたんで、(うわぁ、真に受けちゃってるよ)と思ったんだけど、ドラマの終盤、ちらっと出てきたやつは緑青が浮いてたんで安心したのでありました。

>バラージさん
『転生したらスライムだった件』はアニメを見てましたね。持ち上げすぎだとは思うんですけど「小説で国家をやる」(筒井康隆)な感じがあって面白く見ました。遡ると多分、ガルシア・マルケスまで行くかも? 主人公が反則的に無双なのは、エンタメだから許しちゃう。さすがに小説やコミックスは追いかけられませんが、すごくたくさん出てるから。
 歴史世界への転生が「なろう系」の変形というのはその通りだと思いますけど、もう一つ、SFのタイプスリップ物からの流れもありそうな。こちらには『アーサー王宮廷の(コネチカット・)ヤンキー』(マーク・トウェイン)以来の伝統があるし。日本で最も有名なのは『戦国自衛隊』(半村良)かな。あと、「転生」だとタイム・パラドックスとか「歴史は我々に何をさせようとしているのか」とか考えなくてもいいし(笑)。

>「金四郎の妻ですが」
 結局、本屋で見かけたんで買ってしまった(汗)。印象に残った点とか疑問点を少々書き出してみます。

・金さんの住まいは浅草諏訪町、大川端の船宿「舟八」の二階。諏訪町は雷門から蔵前の間に実在。
・金さんの桜吹雪は時代劇的にがっつり彫られている。右肩口に髑髏。
・桜吹雪を入れ墨と言っているのはNGじゃなかろうか。ああいうのは「彫り物」じゃなかったか。
・金さんが蛮書和解御用の訳した「ショメール」を読んでいる。ショメールは実は著者名。フランスの家庭百科でオランダ語からの重訳か。
・けい、武家娘として登場する場合は髷を結っているが、町人の場合は髪を下ろしている。
・けいが父からもらった当座の生活費が二百両。この当時だと一千万円ぐらい?
・金さんは自称遊び人。博打が弱い(笑)。生計は、町人からのよろず悩み事相談で立てている模様。
・陸尺屋敷に岡場所があるのは史実らしい。ルビは「りくしゃく」だけど正しくは「ろくしゃく」。陸尺は行列の駕籠を担ぐなどの下働き。陸尺屋敷とは彼らを支配する陸尺方が拝領した地所。拝領地は長屋を作って店賃を取る権利が認められていた。町人の住宅対策兼御家人の窮乏対策か。でも、そんなところで岡場所やって怒られなかったんだろうか(笑)。
・岡場所のお姉さんが外を出歩いているのはどうなんだろう?
・岡場所のお姉さんの風俗が、なんか吉原っぽい。もっとお手軽感があったんじゃないだろうか。岡場所の内部も同様。
・「銭湯」って言ってるけど、湯屋じゃなかろうか。しかも、混浴じゃなくて、半蒸し風呂でもないみたい。
・奉行所の同心が小者を連れているのは考証としては正しいのかな。ただ、御用聞きの親分も出てくる。
・火盗改めが泥棒の盗み金を没収して経費にあてる話が出てくる。この人たち、現代でいうとMPだから役料に経費が含まれちゃってるのかな。それでは足りないということか。奉行所は民警だから経費は別立て?

 時代劇的な遊びは気にならないけど、史実を取り込もうとすると「?」となって調べて文句を言ってしまうのは……読み手が悪いんだな、きっと。作品は面白いです。やっぱ、BS時代劇でやろう!



#11358 
バラージ 2023/06/21 13:16
またまた源平映画

『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』
 DVD化されてないんですが、観てない源平映画を観ちまおうってことでまたもネットでVHSレンタル。木曽義仲を主人公として礪波山の戦い(倶利伽羅峠の戦い)直前から義仲の最期までを描いた作品ですが、義仲が主人公の映画やドラマは珍しく、多分この映画くらいなのでは? まず、これは映画の内容ではなく保存状況の問題ですが、フィルムが全編黄色く変色してしまっており非常に見にくい。最初、ずっと夕焼けのシーンなのかと思ってしまったほどです。これじゃこのままDVD化するのは確かにちょっとなあ。かといってリマスターするほどの作品でもないし。
 内容については去年再放送された『人形劇 平家物語』を観たんで大まかなあらすじはわかっちゃってるんですが、2時間の映画に収めるためなどもあってかちょこちょこ変えてあります。まずタイトルを見てもわかるように、義仲をめぐる女は巴、葵、山吹、冬姫の4人だったはずが2時間の映画に4人のヒロインは多すぎるってことか葵がカットされて3人に。女が1人減ったせいもあるかもしれないけど、昼メロみたいにドロドロだった人形劇に比べるとこちらの女性関係はえらく薄味というかあっさりとした描写に終始しており、女たちもバラバラに義仲に接触するので女の争いもほとんどありません。人形劇のドロドロ昼メロ展開に辟易したんで個人的にはこっちのほうがいいんですが、タイトルになってるわりには女たちの話が中心という感じではないんですよね。義仲役も何しろ長谷川一夫なんで端正で折り目正しく、純朴ながらひたすら紳士的だし、田舎者と言ってるわりには全然木曽の山猿っぽくなくて少々ミスキャストです。ストーリーも上映時間か予算の関係上かいろいろと端折っており、礪波山の戦いと篠原の戦いは礪波山に一本化して斎藤実盛のエピソードもそちらで処理されてます。『源平盛衰記』が基ネタの火牛戦術は実写では難しかったようで、『平家物語』にあるような夜襲で平家軍を打ち破ってました。上洛後、後白河法皇の命令で西海の平家討伐に向かう話もなく、義仲は京都に居っぱなし。終盤はかなりのオリジナル展開で、女性への狼藉を義仲に叱責された楯親忠がなぜか後白河方に寝返っちゃうし、太夫坊覚明が動向の怪しい源行家を切り殺して、頼朝と戦うなという諫言を残し自害しちゃうなど、かなりのビックリ展開。義仲の最期も定番とはだいぶ違います。そういや覚明役の大河内傳次郎、この映画でははっきり台詞をしゃべってたなあ。『虎の尾を踏む男たち』では何言ってるかほとんどわかんなかったのに。
 全体としては義仲の半生を通り一遍に描いてみましたという感じの、題材や俳優に興味がない人には取り立てて観るべきところのない凡作。昔の映画にありがちな芝居や編集の間をたっぷり取ったもったりとしたペースの映画でちょっと疲れます。合戦シーンやチャンバラもいまいちで、退屈するほどではないけれど面白いわけでもないといった可もなく不可もなくの凡作でしたね。

『新・平家物語 静と義経』
 『新・平家』映画化の3作目。こっちはVHS化されなかったんだけどなぜか激安DVD化はされてるんで、ネット通販で他の買い物ついでに購入しました。やはり画質は良くありませんが『義仲〜』よりはマシかと。
 一ノ谷の戦い後の義経京都駐留中から、西海に出陣して平家を滅ぼすも頼朝との対立により都落ちし、逃亡中に義経と別れた静御前が捕らえられて頼朝らの前で舞を舞うまでの話。タイトルも静が先だしクレジットも静役の淡島千景のほうが先なんでどっちかっていうと静が主人公の話なのかと思いきや、わりと終盤手前まで普通に義経主人公といった感じ。逃亡中に静が義経と別れ、義経が物語から退場したあたりからようやく静主人公という感じになります。まあ原作もありますし、静中心に話を展開するのは難しかったんでしょう。ただ僕の苦手な典型的判官贔屓展開なことに変わりはなく、なんだかな〜と思いながら観ました。それにしても『新・平家』映画は3作とも主人公がくよくよ悩んでばっかりだな。『義仲〜』でうっかり殺されちゃった行家(笑)ももちろん再登場。『義仲〜』でもこちらでもずっと足を引きずってますが、吉川の原作ではそういう設定なのかな? 画作りは『義仲〜』よりも良く、奥行きのある壮大な時代劇という感じではあります。屋島の戦いも時代劇海戦としては今じゃ考えられないような物量ですがシーン自体は短く、しかも屋島で平家は滅亡しちゃうんだよな。逆に義経が都落ちしてからがやたら長く、正直ちょっと退屈。監督の島耕二はキャリアを見てもあまりこういう合戦チャンバラ映画は撮っておらず、そういうのには興味がなかったのかもしれません。音楽の使い方とかもどことなく文芸作っぽい雰囲気が感じられましたね。僕がこの人の監督作で観たのは戦前の『風の又三郎』だけで、そっちはなかなか面白かったです。俳優たち、特に男優陣も良くない。義経役の菅原謙二がパッとしませんし、頼朝役の上原謙も線が細く弱々しすぎ。主演の淡島も今一つです。やっぱりこっちも凡作かなぁ。

 さて、これで源平映画も観れるのは一通り観ちゃいましたかね。個人的には東映時代劇映画(『富士に立つ若武者』『源九郎義経』『曽我兄弟 富士の夜襲』)が単純な娯楽映画的で1番楽しめたかな。


>追悼 平岩弓枝
 小説家・脚本家の平岩弓枝さんが亡くなられましたね。91歳とはこれまた御長命で。永井路子さんといい、やはり女性のほうが長寿なのかな。平岩さんの代表作といえば『御宿かわせみ』シリーズと『はやぶさ新八御用帳』シリーズですが、時代小説ばかりではなく現代小説も数多く書いてましたね。といっても僕が読んだのは、鎌倉2代将軍頼家の時代を背景に頼朝の御落胤(架空人物)を主人公とした伝奇小説『かまくら三国志』と、足利義満を主人公とした歴史小説『獅子の座』ぐらい(脚本作品も僕が観たのは多分NHK大河ドラマ『新・平家物語』(の総集編)だけ)。『獅子の座』はいまいちでしたが、『かまくら三国志』はなかなか面白かったです。やっぱり平岩さんは架空人物主人公のほうが本領だったのかな。ご冥福をお祈りします。

>異世界転生
 あ〜、ろんたさんの挙げておられるマンガのうち2作は完全に今流行りのいわゆる異世界転生ものですね(「なろう系」とも呼ばれてるようです)。僕も全然くわしくないんですが、『転生したらスライムだった件』というライトノベルが大ヒットしてその存在を知りました。特に興味がなくてもその頃からその手の作品が時々目に入ってくるんですよ。転生するのはだいたいファンタジー世界のようですが、それを過去の歴史世界にしたのが変化球というか、あまりに作られ過ぎてブームも飽和状態になってきたのかも。下火になる前兆かもしれませんね。まあ、どうでもいいけど(笑)。



#11357 
ろんた 2023/06/17 07:05
またマンガの話かよ!

──とセルフ・ツッコミを入れつつも、見つけちゃったんだから仕方がない、と開き直ってたりして(汗)。しかし、歴史マンガや時代マンガが掲載されているということは、若い衆が時代物や歴史物が嫌い、というのは眉唾かな。やっぱり、時代劇が地上波から消えたのは制作費の問題か。ということでご紹介。今回は「月刊少年チャンピオン」。

・「斎藤義龍に生まれ変わったので、織田信長に国譲りして長生きするのを目指します!」(原作:巽未頼 宝島社/漫画:田村ゆうき/キャラクター原案:マキムラシュンスケ)
 タイトルだけで全部わかっちゃう気がしますね。第6回ネット小説大賞受賞作のコミカライズ。ブラック病院で倒れた医師(37)が目覚めると、そこは戦国時代。しかも、マムシの道三(まだ利正)の息子・斎藤義龍になっていた。もうブラックに生きるのは嫌だ、とホワイトに長生きすべく歴史を改変する話。しかし斎藤義龍はまだ少年で、信長は全然出てこない。そして、道三の国盗りが親子二代になってる。私が読んだ連載回は天文5(1536)年。美濃では土岐政頼が追放され、頼芸が守護に。大内義隆が九州探題の渋川氏(これ『逃げ若』の渋川の子孫だな)を滅ぼし大友氏と合戦したりとイケイケ。真宗の内部抗争や天文法華の乱の顛末が語られ、松平清康が殺され(森山崩れ)、今川家は義元が家督を継ぐかどうかでもめてたり(こんなことばっかりしてるな、今川)と、各地の情勢もしっかり語られる。ただ、戦国時代の少年の中身が現代の医者(37)になってるんで、だんだん周囲の不審が強くなってる模様。「狐憑き」を疑われ、正体がはっきりしたら殺す、とか道三(まだ利正)に言われちゃってる。あと作中の地図、遠江の隣が相模になってんぞ!(笑) 単行本は2巻まで。3巻は7月発売。

・「金四郎の妻ですが」(原作:神楽坂淳 祥伝社文庫/漫画:迫ミサキ/協力:河合敦)
 こちらは時代劇。直参旗本四千石・堀田一定の姫・けいは、嫁に行け、と父から切り出される。あまりにも唐突なので事情を聞くと、相手は長崎奉行・遠山景晋の長男・金四郎。父はこの金四郎を買っているようだが、継承問題のゴタゴタを避け江戸市中で遊び人として暮らしているという。金四郎は町人なのか武士なのか、自分は町人の妻になるのか、と混乱するけいに父は、押しかけ女房となって金四郎を武家社会に連れ戻せ、と申し渡す。ためらうけいだったが、これは勝負だ、と持ち前の負けん気を煽られて引き受けてしまう。読本でしか江戸の町を知らないけいは戸惑うばかり。そんな中、やっと出会った金四郎は、意外にも江戸市民に慕われ頼りにされており、厄介な相談事をされることもしばしば。その中には、大事件に発展するものもあり……。ということで「遠山の金さん EPゼロ」といったところですね。金四郎の妻が出てくるというと西郷輝彦と松坂慶子の「江戸を斬る」(TBS)があるけど、前にも書いたようにこちらは徳川斉昭の娘。しかも史実では斉昭より金四郎の方が年上なので、まったくのフィクション(笑)。それに対して、金四郎の妻が堀田一定の娘・けいというのは史実らしく、どうも文化6(1809)年から文化11(1814)年の話ということになりそう。妻女の名前が残っているのは珍しいなぁ。まあ、時代劇を考証しても仕方ないけど(笑)。NHKのBS時代劇でやっても面白いかも。単行本は2巻まで。原作小説は3巻まで。

 さらに、あらすじ書くのに秋田書店のHPに行ってみたら、こんなのもありました。他にもamazonとかには同工異曲のマンガ多数。流行ってるのか?

・「織田家の長男に生まれました 〜戦国時代に転生したけど、死にたくないので改革を起こします〜」(原作:大沼田伊勢彦 宝島社/漫画:逸見兎歌/原作キャラクター:平沢下戸)
 21世紀の日本から戦国時代に転生してしまった主人公。成長するにしたがって、自分が"尾張の虎"こと織田信秀の長男だと気づく。俺って織田信長? と早合点するが、実は母が側室なので嫡男になれなかった、地味な織田五郎三郎信広だった。やがて迎えた初陣で安祥城を陥落させるなど武功を上げ、海道一の弓取りの異名を持つ大大名・今川義元との「第一次小豆坂の戦い」が始まる! 信広はさらなる武功を立て織田家に貢献できるのか!? 尾張・三河での戦いの混乱の中、信広は意外なところで意外な人と縁ができて……!? 秋田書店のWEBマガジン「マンガクロス」で連載。原作はネット小説大賞受賞作。信広は伊勢長島一向一揆との戦いで討ち死にするんで、とりあえずそれを回避するのが目標? 現在は対松平・今川の最前線にいるんで──松平との争いを長引かせ体力を削る>後ろ盾として出てくる今川の体力も削る>今川との同盟を武田と北条が回避>桶狭間がなくなる>信長の尾張統一や美濃攻略に余裕ができる──あたりを考えている模様。でもこれだと、武田信玄が駿河に出てきちゃいそうだし、北条に抑えてもらうにしても、上杉謙信vs.北条が始まるんじゃないかと心配している。なんだか、風が吹けば桶屋が儲かるっぽい(笑)。単行本は2巻まで。

>バラージさん
 そうか! 英語で検索するのか!!(<カタカナで検索してたバカ(汗)) 近藤華さんについては、子供っぽすぎるとは思ってたんですけどね。それでも14歳には見えなかった。
 で、予告編ですが、youtubeに1分半版と2分版がアップされてました。1分半版は字幕なしですが、2分版は英語字幕付き。それによりますと、ラスボスはフビライではなくて、次期皇帝の座を狙う息子みたい。しかし、正室の子、四人のうちの誰かは分からない。っていうか、息子四人のうち三人は早世してて、残る一人は生没年不詳。次の皇帝は孫なんだよな。クトゥルンに殺されてそういうことになった、という話なのかな? それにしても、やっぱり話がよく分からない。

>ワシワシさん
 はじめまして。

”築山殿悪評価は江戸時代に発生した。それは戦国時代まで女性が政治に参加し影響を与えたことを、否定することから来る”

 う〜ん、ポリコレ勢好みの説ですなぁ(汗)。確かに「雌鶏が時を告げると世が乱れる」なんて話もあるし(出典は何だったかな)、古事記では、天の御柱を回ったイザナミが「ああ、なんていい男だろ」と先に声をかけたからヒルコが生まれたことになってたりして、男尊女卑の考えがあるのは確か。でもあの事件って、はっきりしてるのは家康が正室(築山殿)と嫡子(信康)を処断したことぐらいで、そのほかは推測が多い。しかも江戸時代だと家康は無謬でなければならないので、悪いのは処断された側ということになる。そして次に損な役回りをさせられるのが信長と徳姫。ということで、あまり女性差別は関係なく、淀君が悪く言われるのも同じ理由じゃないかと。今年の大河も最初の方で家康と瀬名がラブラブだったので、信長が大悪人になるぞ、と思ってたらその通りに(笑)。
 政子は嫉妬深いと言われるけど、承久の乱の大演説や静御前をかばったのは批判されてないし、日野富子はほかに責任を負わせる人がいなかったんじゃないか(笑)。それに、色々口出ししてたに違いないのに全然悪く言われない人いますよね。北政所。言わずと知れた秀吉の糟糠の妻。加藤清正、福島正則の母親代わりで黒田長政も一時養育していた。勘気を被った清正の赦免にも口をきいてやっていて、武断派への影響力は絶大。「うちの宿六は、長浜のお城を拝領してから女漁りばかりしています。叱ってやってください」とか信長に手紙を出して秀吉を青ざめさせている。秀吉の方も「愛してるのはお前だけだって、ホント」みたいな手紙出している。その趣旨は「名護屋に淀殿を送り出してくれ」だけど。家康も北政所には丁重に接してる。まあ、淀君がボロカスに言われる分、持ち上げられているのかもしれませんが。



#11356 
徹夜城(かなり前のCGIのソースを眺めるのが面倒な管理人) 2023/06/16 12:34
時差が生じてます(笑)

 うーん、なんでしょうねぇ。先日のメンテナンスでいろいろ変わったのは分かってるんですが(アップロードの方式も変更しましたし)、このサイトで使ってる同じ伝言板CGIが全部時刻がちょうど9時間ずれてます。つまりロンドンのグリニッジ標準時になってるわけですな。さて、どうすると治るんだか。



#11355 
バラージ 2023/06/15 13:24
あれ?

 書き込み時間の表示がおかしくなってないですか?
 昨夜から今日にかけてサーバーがメンテナンス中だったのと関係があるんですかね?



#11354 
バラージ 2023/06/15 13:05
信康の名字

 いやはや……まだ何とも言えませんが、漏れ伝わってくるニュース情報を見ると、こんなこと言うのもなんですが映画『フルメタル・ジャケット』を連想してしまう……。

 さて、『どうする家康』では家康の長男(嫡男)信康の姓が松平で松平信康となっています。実は史料通りなんですが、なぜ姓が父と違うのか? 家康が松平から徳川に改姓したのに嫡男の信康は改姓しなかったのか?という疑問があり、家康の徳川改姓が信康の元服以前であることから、信康も生前は徳川姓の徳川信康だったが後に江戸幕府が徳川姓を将軍家と御三家・御三卿に限り、それ以外の親藩大名は松平姓としたため信康も死後に松平姓に格下げされたのではないかと推測する見方もあったようです。しかし近年、織田信長が家臣の佐久間信盛に宛てた天正3年(1575年)6月28日付書状という一次史料の中で娘婿の信康を「松平三郎」と呼んでいることが明らかになり、家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓のままだったことが判明しました。
 実はそのような例は他にも見られ、後北条氏においても2代氏綱が伊勢から北条に改姓した際、嫡男氏康を含めた子弟はしばらく改姓せず伊勢姓のままだったそうです。これは一族庶流の力が強く当主の嫡宗権が確立していない場合に当主のみを屹立させる狙いや、新たな姓が家臣や領民、周辺勢力に浸透し一般性を獲得するまでクッションを置いたなどの解釈がされているようです。
 ちなみに『どう家』以前の映画やドラマなどでは信康は徳川信康とされることが圧倒的に多く、大河ドラマ『徳川家康』やTBS大型時代劇『徳川家康』から2017年の『おんな城主 直虎』といった近年の作品までことごとく徳川信康です。これは歴史研究云々というよりも、物語的に父子で名字が違うと現代人の感覚では不自然に感じるし、かといっていちいち理由を説明するのもめんどくさいってことなんでしょう。そんな中、珍しく松平信康としてるのはテレ朝大型時代劇『徳川家康 戦国最後の勝利者』。大河と同じ山岡荘八原作ですが、原作ではどうなっているのかはいまいちよくわからず。また大佛次郎の新作歌舞伎(戯曲)『築山殿始末』を映画化した『反逆児』では三郎信康、テレビドラマ化した『築山殿始末』では岡崎三郎信康と通称を使用しており、おそらくは原作でも松平か徳川かははっきりさせていないようです。


>ワシワシさん
 はじめまして。よろしくお願いします。
 ご指摘のNHKの番組を僕は観ていないので、はっきりとしたことは言えないんですが、「築山殿悪評価は江戸時代に発生した」のは事実だとしても、「それは戦国時代まで女性が政治に参加し影響を与えたことを否定することから来る」「政治に積極的に参加してたことへの反動的評価」という番組の説については、個人的に全面的には賛成しかねるところがあります。そのような面もあった可能性は否定できませんが、同じように「政治に参加し影響を与えた」女性でも家康の側室の阿茶局や家光の乳母の春日局は悪評価されていませんし、むしろ高く評価されていますからね。築山殿や淀殿が江戸時代に悪評価されたのは単純に家康や徳川家に敵対した人物だったからでしょう。彼女たちの行為も現代の我々から見れば家康とどっちかが悪とか言えるような性質のものではありませんが、徳川政権から見れば家康に敵対した彼女たちは紛うことなき悪のはず。よって彼女たちが江戸時代に悪評価されたのは当然のことと言えると思います。
 北条政子や日野富子にも同様のことが言え、江戸時代に儒学の普及の影響から批判されるようになったことも事実でしょうが、そもそも鎌倉時代や室町時代には彼女たちを批判することは政権批判につながりますから憚られたでしょう。鎌倉幕府や室町幕府に忖度する必要が無くなった江戸時代だからこそ自由に彼女たちを批判できるようになったと見ることもできるわけで、それを単純に「政治に積極的に参加してたことへの反動的評価」のみに帰する見解には少々疑問を感じざるを得ません。もちろん政子や富子が優れたところのある人物だったこと自体は否定しませんが、欠点もまた数多くあった人物だったと個人的には思っています。
 なお巴御前は『平家物語』などの物語類にしか名が見えない人物なので実在したかは微妙ですが、女武者として活躍した坂額御前という人物が鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に出てくるので、そのような女武者が実在したことは確かなようです。

>名画座修正情報の訂正
『大城砦』および『La leggenda di Enea(アイネアスの伝説)』の解説……「『大城砦』の原題は直訳すると「トロイア戦争」ではなく「トロイの木馬」のようです」と書きましたが誤りでした。直訳すると「トロイの木馬」となるのは英語題で、イタリア語原題は「トロイア戦争」で正しかったようです。どうもすいません。



#11353 
徹夜城(最初に全編見た大河が徳川家康だった管理人) 2023/06/15 12:48
今年の信長・秀吉と家康

 今年の大河の話ですが、あるいは最近のこの時代を扱う作品の傾向というべきかもしれません。

>ワシワシさん
 どうもはじめまして。
 肩書のところに書いたように僕は最初に全編きっちり見た大河ドラマがその1983年の「徳川家康」だったんで、この作品でいろいろ刷り込まれたことはあります。まぁ当時でも、特に終盤部分で家康擁護というより美化が強引だなと思ったものですが。
 築山殿と信康の事件は過去にも多くの「家康もの」で扱われてきましたが、大河「家康」は山岡荘八の原作のせいもあって築山殿悪女観がとくに顕著だったように思います。

 先日、改めてその「徳川家康」の第一回冒頭部分を見直したんですが、原作にある文章なんでしょうか、「信長・秀吉・家康の三人は史上まれな友情で結ばれ天下統一平和招来という共通の目的のためにウンヌン」というナレーションがあるんですが、今年の大河はもうそんなこと笑い飛ばすような描写ばかりで。
 信長はアブない感じではあるけどカッコよく、秀吉は前半はいいやつだけど後半はひどいやつ、というのが長らく定番だったんですが、今年の大河は家康視点ということもありますが信長・秀吉が序盤からえらくイヤなやつで。これもまた近年の傾向なのかなぁと思いつつ、北野映画の「首」も気になっているところです。



#11352 
ワシワシ 2023/06/12 20:24
築山殿の評価

はじめまして。
>1983年版『徳川家康』の築山殿はいわゆる典型的な悪女説だった
→ワタクシが見たり読んだりしたのも、概ねそんな感じだったと思います。
しかし先週土曜のNHKで『どうする家康』後押し番組内では

”築山殿悪評価は江戸時代に発生した。それは戦国時代まで女性が政治に参加し影響を与えたことを、否定することから来る”
ぽい説明がありました。政治に積極的に参加してたことへの反動的評価かと。

北条政子や淀君、日野富子(これは微妙?)など振り返ってみると、ああ確かにそうかも。
鎌倉期前では、”巴御前が男性武士同様に戦ってた”なんてのを思い出すと、
「オトコらしく、オンナらしくあれ」の決めつけが強くなかったのだなあ、なんて感じます。

そして令和になってようやく、その決めつけが緩くなってきたのかも。



#11351 
バラージ 2023/06/09 00:09


名前入れ忘れました。



#11350 
2023/06/09 00:09
ローカライズCM

 『女戦士クトゥルン』のAmazonの紹介文は適当に読み流してましたが、確かに「ヒロインは【資生堂150thアニバーサリー】CMに大抜擢された」とありますね。これ多分モンゴル版CMなんじゃないのかなと思って調べてみました。Wikipediaの「クトルン」の英語版に映画についての言及があり(モンゴル語版にはないようです)、主演女優ツェドー・ムンフバットのアルファベット表記も「Tsedoo Munkhbat」と載っていたので、「Tsedoo Munkhbat shiseido」で検索してみたらビンゴ。やはりモンゴル版の資生堂のCMでした。海外展開してる企業はその国でローカライズ版のCMを流してますからね。ムンフバットって人、本業はモデルなんじゃないのかな? なんとなくモデル顔だし。
 ちなみに日本版のCMの最後に出てきたのは近藤華って子なんではないかと。調べたら15歳とのことで、てことは去年のCMの段階では14歳か(ひえ〜)。
 また、英語題の「Princess Khutulun」で検索するとNetflixMovies.comってサイトに別バージョン?の予告編がありました。でも字幕がなくてモンゴル語だからなんだかいまいちよくわかりませんが。



#11349 
ろんた 2023/06/08 21:54
「ビッグコミックオリジナル」

「バネが来た SPRING HAS COME」(ゆうきまさみ)目当てで「ビッグコミックオリジナル」(11号 06/05号)を購入。主人公は老境に入りつつあるベテラン推理作家、独身。人気シリーズ(次作で80冊目)を抱えていて仕事は順調だが、生活の中で心が弾むということがない。そんな日常が、「ヒューム」というパートナーロボットを試用したのをきっかけに変化を見せ……という話。パートナロボットとは作中の表現によると「自走式の喋るパソコン」だけど、なんだかシリやアレクサの進化形っぽい。主人公は70歳らしく、近未来の作者のイメージが投影されてるみたい。もっとも、80冊も続く人気シリーズと聞くと赤川次郎も連想してしまう。あちらの人気シリーズをあわせると80冊じゃきかないけど。タイトルは<バネ=心が弾む=ヒューム>と<バネ=SPRING=春>をかけているのでした。
 で、他の連載を見るとなんと「釣りバカ日誌」「黄昏流星群」「三丁目の夕日」が続いていたり、柴門ふみの連載があったり、「昭和天皇物語」が掲載されていたりと色々驚かされる。そして「セシルの女王」「卑弥呼ヒミコ」と歴史ものが二本掲載されていたのでご紹介。(<こっちが本題)

・「セシルの女王」(こざき亜衣)
 16世紀イングランド。傍若無人な王ヘンリー8世が君臨する城に登ったウィリアム・セシルは王妃アン・ブーリンと出会い、彼女の産む子に仕えることを決める。だが、生まれたのは王女でありエリザベスと名づけられた。その後、アンは不貞の冤罪で処刑され、ウィリアムは、いつかエリザベスを女王にするというアンとの約束を果たすことを誓う。3年半後、19歳になったウィリアムはロンドンを訪れ、己の誓いを本人に伝えるが、庶子となり継承権を失った彼女は複雑に受け止める。そんな中、王が4番目の妃アン・オブ・クレーフェを迎えるが床入れに失敗。王の信頼を失ったトマス・クロムウェルの処刑が決まる。王妃たち一行はエリザベスの居城を訪れ……。
 あれ? どこかで聞いたことあるな、と思ったら『新九郎、奔る』の帯折り返しに広告があった。エリザベスはもちろんエリザベス1世。ウィリアム・セシルはその寵臣。11号掲載分では、後に同じ寵臣としてセシルと対立することになるロバート・ダドリーも登場、幼い二人が心を通わせる場面あり。ヘンリー8世の愛人キャサリン・ハワードも11号掲載分に登場し、妃の座をアン・オブ・クレーフェ(<これ、英語読みとドイツ語読みが混ざってるような……)に譲られる。しかし、「(王妃の地位は)いいものではありませんよ。あなたが思うほど、」と後の処刑が暗示される。あとエリザベス、目つきが異様に悪くて全然可愛くない(笑)。4巻まで刊行中。

・「卑弥呼ヒミコ」(作:リチャード・ウー/画:中村真理子)
 弥生時代後期、倭国大乱の世を生きる日向(ヒムカ)出身の少女ヤノハは、筑紫島(ツクシノシマ=九州)の祭儀王・日見子(ヒミコ)の第一候補モモソを殺害し、結果的に日見子として祭り上げられる。筑紫島最強の暈国(クマノクニ)の探り女アカメもヤノハに心酔し、その影として働く。権謀術数に長けたヤノハは、暈国に対抗すべく山社国(ヤマトノクニ)を建国、紆余曲折の末、那(ナ)、伊都(イト)、末盧(マツロ)、穂波(ホミ)、都萬(トマ)と同盟を結び、暈国と勢力の均衡状態を作り出すことで筑紫島全体の平和を実現する。だが、豊秋津島(トヨアキツシマ=本州)から持ち込まれた疫病が流行、筑紫島は混乱状態に陥る。ヤノハはアカメに疫病への対処法を学ばせ、田油津日女(タブラツヒメ)として舞と謡の形で広めさせる。だが、モモソを殺したヤノハを深く恨む元祈祷師ヒルメは、近臣として潜り込ませていたナツハにヤノハを犯させる。ヤノハは妊娠してしまうが、ナツハは生き別れとなった弟であった。極秘に男児を出産したヤノハは、ヤエトと名づけナツハに託す。すると、倭国統一を目論む豊秋津島の日下国(ヒノモトノクニ)のフトニ王が侵攻してくる。ヤノハは連合軍を結成し、わずか七百の兵で一万の日下軍を打ち破る。そんな中、田油津日女として暈に渡ったアカメは、鞠智彦に捕らえられてしまう。そのアカメを、何故かナツハが救い出し……!?
 なんか、ゴチャゴチャしたあらすじですが、これでもいろいろ省略してます。邪馬台国版国盗り物語という印象。北九州説をとりつつ、神武東征伝説を取り込んでいくのか、日下国に併合されるのか。11号掲載分では、アカメをナツハが救い出した理由や鞠智彦の狙いが明らかに。要するに「親魏倭王」になろうとしているんですね、鞠智彦。そこで大陸へのルートを確保すべく、那国の津(博多港?)を狙い、山社と友好関係にあるはずの津島国(ツシマノクニ)のアビル王を調略している。折しも、アビル王は山社を訪れ、ヤノハと会見中。現在、単行本は13巻まで。

>『逃げ上手の若君』(11)
 馬仮面こと今川範満が討ち死に、改造人間・長尾影忠重傷、マッドな科学者・上杉憲顕、ショタ・斯波孫二郎、雑草食い・吉良満義は鎌倉へ後退。捕えていた天狗は傀儡で中身は美少女。足利直義、鎌倉は防御に弱いと見切って出撃、武蔵国井出沢で時行軍と激突。しかし三浦時明の裏切りで敗走。護良親王は討たれ、時行鎌倉入り。
 読んでる時は盛り上がるんだけど、後から考えると笑えてしまう、子供(時行)に口喧嘩を仕掛けて負けちゃう足利直義。鎌倉が防御に弱いってのは、解説の本郷和人先生も賛成みたいだけど、単に海から攻められたらお終いってことじゃないのかな? 考えたら鎌倉に港無いし。実朝の船がみっともないことになったのも海が遠浅のせい? この後は後醍醐天皇と足利尊氏の反目、時行軍の敗北が描かれるのか。あと、帯にアニメのキャストが二人発表されてますね。北条時行:結城あさき 諏訪頼重:中村悠一とのこと。

>「女戦士クトゥルン」
 確かに「この物語は史実に基にしたフィクションである」(「オスマン帝国外伝 〜愛と欲望のハレム〜」より)ということでいいと思いますけど、【ストーリー】を見ていて、「あれ? あれあれ?」となってしまいました(汗)。わたしも、前に書きましたが、ガトリング砲をぶっ放す時代劇も好みだったりします。あと予告編ですが、あれだけではどんなお話なのかイマイチ分かりませんね。仲間でフビライを暗殺して経典を取り戻すというのなら、その辺をハッキリ見せないと。なんだろ、あの忍者軍団。経典ってのはあの「卍」がついてたヤツかな? だとすればチベット仏教? もう一つ、「鷲」と「鷹」なら、どっちかでよくない?(笑) 鷹匠みたいのは予告編に出て来たけど。
 そしてamazonによりますと

ヒロインは【資生堂150thアニバーサリー】CMに大抜擢された美しきモンゴルのミューズ!!

とありますが、CMのどこに出てたんだろ。最後に出て来た人かな?



#11348 
バラージ 2023/06/07 22:00
史点の枕

>ワル利休
 僕はほとんど未見ですが大河ドラマ『秀吉』では、千利休が信長に疎まれたため光秀に本能寺の情報を流した描写があるとのこと。
 また桂文枝(個人的には今だに三枝のイメージが強い)が演じた利休もワルっぽいイメージだったような。何の作品だっけ?と思って調べると『真田丸』で、あれは初回が本能寺の変だから利休は無関係でした。



#11347 
バラージ 2023/06/02 20:04
久々に観た

 今年の大河『どうする家康』も途中でリタイア状態でしたが、先週は個人的に興味があった大岡弥四郎事件が描かれるってことで久々に観てみました。
 大岡弥四郎は『三河物語』およびその影響を受けた徳川系史料では大賀弥四郎の名で登場する人物ですが、『岡崎東泉記』などでは大岡弥四郎となっており、近年ではそちらが正しいとする説が有力となっているようです。『三河物語』は事件の性格や真相などから意図的に弥四郎の姓を改竄したと見られているようで、本屋に並んでる近年の家康関連歴史本でもほぼ大岡弥四郎と記述されています。そんなわけで、以前の大河『徳川家康』やテレ朝の『徳川家康 戦国最後の勝利者』などでは大賀弥四郎だったのが、今回の『どう家』で初めて大岡弥四郎として登場することになりました。

 この大岡弥四郎事件はドラマでも描かれた通り、1575年に岡崎町奉行の弥四郎や松平新右衛門、家老の石川春重、同じく家老鳥居氏家臣の小谷甚左衛門をはじめとする信康の家臣らが武田勝頼と内通して、岡崎城を武田方とする謀叛事件を企てていたことが発覚し、処刑・追討されたり自害したりした事件です。
 『三河物語』によると、弥四郎らは家康が岡崎城に来たと偽って呼びかけて開門させ、そこへ武田軍が東三河から岡崎へ侵攻して城を占領し信康を自害させる。また岡崎在留の諸士の妻子を人質に取って徳川家臣団を服属させれば、家康やその家臣らは所領を落ち延びるだろうから、これを待ち伏せて討ち取るという内容の書状を勝頼に送り、その同意を取り付けたとのこと。ドラマでも概ねではそれに沿った物語になってましたね。弥四郎の謀反の理由については「余りの栄華に奢ったか」と推測するだけで、はっきりとは書いていないそうです。
 しかし近年の研究では『三河物語』は徳川家や家康に都合の悪いことを憚って隠しているとの見解が主流。『岡崎東泉記』『石川正西聞見集』によると、1575年頃には甲斐の口寄せ巫女(神仏の意思を語る巫女)が岡崎領に大勢来ており、勝頼はそのような巫女たちを懐柔して築山殿に取り入らせたとのこと。その巫女たちは築山殿の下女から奥上揩ノまで達し、ついに築山殿にお目見えするまでになったそうで、その巫女に「五徳(信長の娘で信康の妻)を勝頼の味方にすれば、築山殿が勝頼の妻、信康が勝頼の嫡男として天下を譲り受ける」という託宣を述べさせ、さらに築山殿の屋敷に出入りしていた西慶という唐人医を謀反計画に巻き込んで、弥四郎らを大将分として勝頼から所領を与える判物が出されたとあるそうです。
 大岡弥四郎事件に築山殿(や信康)が関わったことは『三河物語』には書かれていませんが、前記の通り徳川家に不都合な事実を隠蔽したものと考えられているようです。さらに口寄せ巫女や唐人医の誘いだけで信康の家老や町奉行が謀叛を企てるとは考えがたいことから、謀反計画の中心にいたのは築山殿だったと推測されています。当時はドラマでも描かれていたように武田家の猛攻で徳川家が劣勢に陥っており、築山殿は徳川滅亡を恐れて、長らく別居し疎遠だった夫家康を見捨て、息子信康のために武田家に内通したと推測されているようです。当時17歳だった信康は自発的に父への謀反を考えるのは難しかったのではないかとのこと。また、あくまで織田家の庇護下で武田家と敵対する家康と浜松家臣団に不満を持っていた岡崎家臣団も、信康と築山殿を擁して武田家と和睦しようと考え、築山殿や岡崎家臣団は武田家の庇護下で徳川家を存続しようと考えていたと推測されているようです。
 しかし一味に加わっていた山田八蔵の密告により謀反は発覚。弥四郎は鋸引き、妻子は磔刑で処刑され、春重と新右衛門は自害、甚左衛門は討ち取られています。ただし何らかの理由で築山殿と信康は不問に付されており、やがてこれが1579年の築山殿・信康事件へとつながっていきます。

 ドラマでは事件が終わった後に、三河一向一揆の中にもいた千代という巫女が瀬名(築山殿)のもとを訪れてましたが、上記『岡崎東泉記』の口寄せ巫女が基ネタなんでしょう。正体は武田家の間者(くノ一)のようで、いろいろ検索したら桐野作人氏がTwitterで武田の歩き巫女を束ねた伝説上のくノ一である望月千代女がモデルだろうと指摘してましたね。てか作人さん、Twitterやってたんだ。 もっとも『どう家』の瀬名はあくまで善人設定なんで、全てを見透かした上で自分のほうから千代を招き入れたようでしたし、八蔵が弥四郎らを裏切って密告したのも、いい人の瀬名を裏切る良心の呵責みたいな描かれ方でした。
 では1983年の大河『徳川家康』ではどういう描かれ方だったかというと、全話観たはずなのにそのあたりは全く覚えてない(笑)。Wikipediaなどによると、大賀弥四郎はなんと築山殿と不義密通していたという設定だったようで、山岡荘八の原作もそいう設定のようです。築山殿と不義密通したとされるのは一般的には減敬(または滅敬)という唐人医(『三河後風土記』による。『岡崎東泉記』では上記の通り「西慶」)ですが、築山殿が弥四郎とも密通したというのは山岡の創作でしょう。同作では減敬はもともと武田の間者という設定のようで、そこから弥四郎と築山殿も武田家に内通するという展開になり、築山殿は弥四郎が処刑された後もその遺志を実現しようと武田に味方して、家康を討ち取らんとする執念を燃やしていたという設定らしい。1983年版『徳川家康』の築山殿はいわゆる典型的な悪女説だった記憶ですが、全体的には意外にも『どう家』より1983年版のほうが近年の説に近い展開です。もちろん近年の説も悪女説ではなく、築山殿の行動は当時一般的に見られたことであり一理あるものだとして悪女説を否定してるんですが、それだと家康のほうを悪く描かなきゃならないんで家康主人公ドラマ的には都合が悪いんでしょう。個人的には1983年版で池上季実子が演じた築山殿は非常に印象に残っています。1981年の『おんな太閤記』では池上さんは淀君を演じており、その流れで悪女役が続いたのかも。


>映画『女戦士クトゥルン』
 僕も販売サイトでストーリーは読んでましたが、「史劇っぽい」ってのは架空人物しか出てこない時代劇やファンタジーものではないって程度の意味でして。「ウルフ」「ホーク」「イーグル」「ベア」はおそらく「幼い頃から共に育った忠実な臣下」で、もとはモンゴル語で「狼」「鷹」「鷲」「熊」なんだろうけど、モンゴル語を音写しても意味がわからないってことなんでしょうね。でも英語じゃ雰囲気狂うよなあ。漢字じゃダメだったんだろうか? それじゃ中国っぽくなっちゃうってこと?
 予告編については、邦題に「予告編」と付けて検索したところApple TVってサイトに予告編があって、観ることができました。しかし、うーん、正直言ってアクションとか映像表現がちょっと、いや、だいぶビミョー……。個人的には歴史<映画なので、映画としてつまんなそーだと、役者や監督目当てでもない限り観る意欲がかなり減退してしまいます。どうしようかなぁ。



#11346 
ろんた 2023/05/31 00:35
クトゥルンについて

 #11322でクトゥルンにはちょっと触れてるので一言。

「女戦士クトゥルン モンゴル帝国の美しき末裔」はレンタルと同時に販売もするみたいで、通販サイトに掲載されてますね。作品データも各サイト共通。とりあえずAmazonから引っ張ると……

【ストーリー】
モンゴルの大地を駆ける、美しき豪傑/時は13世紀後半、チンギス・ハンが築き上げたモンゴル帝国。/帝位継承をめぐる争いが続く中、フビライ・ハンに対抗して中央アジアに独立した国を築き上げたハイドゥという王族がいた。/その王女クトゥルンは武勇に優れ、兄弟たちにも引けを取らない勇猛さを持ち合わせていた。/王族間の対立が激化する中、最大勢力フビライ軍の陰謀によりハイドゥが殺害され、一族に伝わる神聖な教典が奪われた。/父亡き後の後継をめぐって私欲に走る兄弟たちを横目に、クトゥルンは幼い頃から共に育った忠実な臣下5人と共に/父の仇と奪われた教典の奪還を誓い、大挙するフビライ軍に攻め込んでいく!!
【キャスト】
クトゥルン:ツェドー・ムンフバット/アバタイ:バドラク・バトトグトク/ウルフ:ウムラフダン・オユンビレグ/ホーク:アルタントゥル・アルタンジャルガル/イーグル:トゥムルトグトク・ダバーク―/ベア:レントセンバト・バトクヒシグ/ノムガン:ムンクトゥムル・ドンドフ/
【スタッフ】
監督:S・バーサンジャルガル/監督・脚本:シュウダツェツェグ・バータスレン/脚本:ボルドクウヤグ・ダムディンスレン/撮影:バット・イレードゥイ・ガンクウヤグ/

 まず大事なことを言いますと、ハイドゥが死んだのが1301年、フビライが死んだのが1294年。フビライ軍がハイドゥを殺すとかありえない(笑)。元が殺したって意味かとも思ったけど、まだ変なところがある。トルイ(チンギス・ハンの末子)の子孫によるハーン位独占に、ハイドゥ(チンギス・ハンの第三子オゴタイの子孫)が挑戦したのは事実だけど、元に攻め込んで負けちゃってるんで陰謀で殺されたとかもあり得ない。当時のモンゴルの宗教はシャーマニズム? チベット仏教? イスラムはまだ入ってきてないはず。ということで「一族に伝わる神聖な教典」も意味不明。役名に「ウルフ」「ホーク」「イーグル」「ベア」とあるのも不思議。ということで、この物語は史実をもとにしているがフィクションもりもりのアクション時代劇ではないかと。amazonではクトゥルンが登場する作品として「マルコ・ポーロ」(Netflix配信)、「トゥーランドット」、「ビジャの女王」が紹介されてるけど、「トゥーランドット」と「ビジャの女王」はキャラのモチーフというかモデルになってるだけだよなぁ。

>ザヒ・ハワス
 歴史を扱う番組ならそう驚かなかったんですがね(笑)。それにしてもザヒ・ハワス、観光大使みたいになってるな。



#11345 
バラージ 2023/05/27 21:56
21世紀のモンゴル歴史映画

 先日近所のレンタルビデオに出かけたら、アジア映画のコーナーで近日レンタルのPOPに『女戦士クトゥルン モンゴル帝国の美しき末裔』という作品が。この手の映画はあったら一応チェックするんですが、裏を見るとなんと製作国がモンゴル。珍しー、中華圏発で韓国や東南アジアでも一時流行ったワイヤーアクション武侠映画が遅れてモンゴルにも及んだのかな?と思ってストーリーを読んでみたら、フビライと敵対したハイドゥの娘クトゥルンが主人公云々とあって、調べてみると実在の人物でした。Wikipediaには「クトルン」の名前で項目が立ってて、映画についていろいろ検索するとモンゴルの日本語新聞?では『クトルン皇女』のタイトルで紹介されております。2021年の作品で、あくまで史劇っぽいですね。
 これはちょっと面白そうかもと思ってレンタルして観てみようかなと思うんですが、レンタル開始日が6月2日で1週間レンタルになってから借りようと思ってるので、観るのは当分先のことになりそう。あとちょっと気になるのはネットに予告編がないこと。普通は販売会社のサイトにあるもんですが。あれば映画の雰囲気とか多少はわかるんですけどねえ。


>ザヒ・ハワス
 先々週の『世界ふしぎ発見!』のクレオパトラの回にも出てきてましたよ。めっちゃタイムリーだな(ごく一部の人には)と思っちゃいました。ちなみにミステリーハンターはアルピニスト野口健の娘の野口絵子ちゃん。でも個人的にはその前のモン・サン・ミシェルの回の出水麻衣アナや、先週のマルタ騎士団の回の北村優衣ちゃんや、今週のブータンの回の眞嶋優ちゃんのほうが好みだったりなんかして。

>名画座DVD化情報
 NHK大河ドラマ『琉球の風』『武蔵 MUSASHI』の完全版&総集編に続いて、『八代将軍吉宗』の完全版DVDも発売されるとのこと。7月14日発売予定だそうです。これは残る完全版DVD未発売作品の『峠の群像』『北条時宗』も発売されるのか?

>名画座修正情報
『大城砦』および『La leggenda di Enea(アイネアスの伝説)』の解説……『大城砦』の原題は直訳すると「トロイア戦争」ではなく「トロイの木馬」のようです。



#11344 
ろんた 2023/05/27 00:43
『山賊王』大人買い

 さて、実は読んでいなかった『山賊王』をふと思い立って大人買い、全13巻通読。一言でいえば、六人の星型の痣を持つ英雄が鎌倉幕府を滅ぼす話。星形の痣は五行の星とその中心をあらわし、ちょっと八犬伝っぽい。あとカラス天狗が出てくるのは太平記からの引用ですな。とても面白く読めたんだけど、『逃げ若』の後だからか、オーソドックスというか地味な印象になってしまった(笑)。あと、史実を追うのが面白くなったのか、伝奇的な設定が生かし切れていない印象。主人公が特別な存在であることを印象付けるダマスカス刀(本編にはこの表記はないと思うけど、なぜかあらすじにはこうある)、カラス天狗など、中盤以降、ほとんど登場しなくなっちゃう。カラス天狗は『太平記』では確か、崇徳上皇が天狗になっててその手下ということだったかと思うけど、この手の設定を全部結び付けていければもっと楽しめたかも。
 あと、なぜか最初の頃はお色気描写が多かったなぁ。北条高時が裸の娘さんにあ〜んなことしてたり、娘狩りをしてる地頭が出てきたり。お色気担当(?)のナツメもいたけど、やはり中盤以降出てこなくなっちゃった。

>『新九郎、奔る!』(8)(9)(10)
 ついでにさぼってた(?)こちらの話も。この三冊は、いわば、新九郎の歴史へのデビュー戦。(8)では今川義忠が表紙を飾るという快挙を達成(笑)。伊勢貞親、山名宗全、細川勝元が相次いで世を去り、さしもの応仁文明の乱も終結に向かう中、龍王丸誕生祝ということで駿河に下向、小鹿(今川)新五郎範満、堀越公方・足利政知、扇谷上杉家宰・太田道灌などと接触。そして今川義忠討ち死にとともにお家騒動にかかわっていくという次第。今川義忠、遠江守護・斯波義廉が西軍なのをいいことに攻め込んだら、東軍に寝返った甲斐敏光が守護代になってて東軍同士で戦うことになり大御所は激怒。これがお家騒動の原因だけど、(実力で攻め取れば幕府はいい顔しないだろうけどどうこうする実力はなし、後で関東に出兵してご機嫌とっとけばいいだろ)ぐらいのことは考えていたのかな。ここで問題になるのが新九郎の年齢。従来説だと同い年の太田道灌と丁々発止のやり取りがあるはずが、実は二回り下でした説をとっている本作では、道潅の掌で転がされてしまう。ただ幸いなことに道潅も今川家の安定を第一に考えているので、龍王丸側にもそう悪くない決着を迎えることができた。しかし、十年辛抱しなさい、と新五郎を諭す道潅が、その十年後にはいなくなっちゃうのは諸行無常。ところが、約定通り駿府の館を明け渡し山西に移ると刺客が襲ってくる。山西の武士たちも血の気が多くてすぐ合戦をしたがる。そこで伊都、亀、龍王丸は、家督相続の運動をするということで京都に移る。しかし、大御所様(義政)ににらまれている新九郎は無位無官無職の三冠王のまま。御所様(義尚)から申次衆にする、と言われても辞退せざるを得ない。この義政−義尚の権限移譲がうまくいかずに、龍王丸の家督相続にまで影響が出る。

>『新九郎、奔る!』(11)(12)(13)
 この三冊のテーマは「都鄙和睦」「龍王丸家督相続」「三冠王返上」ですかね。応仁の乱も終結、「都鄙和睦」へ。都鄙は幕府と古河公方のこと。この関東の騒乱、ゴチャゴチャのグチャグチャで要約できない(笑)。結局、太田道灌の台頭と堀越公方・足利政知を伊豆国守護にしただけに終わった感じ? 一方、関東の騒乱、細川政元拉致、大御所、御台所、御所の家族喧嘩などで龍王丸の家督相続は遅々として進まず。伊勢一門では得意の寝技を仕掛けて運動。道潅の動きを抑えるため、道潅謀反とか(扇谷)上杉定正謀反とか噂を流したり、偽の譲り状作ったり、新九郎も伊勢一門の家風に染まっていく(笑)。まあ、決定的だったのは新五郎を担いでる国人が、先々代でもあったお家騒動で普広院様(足利義教)の決定に最後まで逆らっていた連中だ、と大御所が気づいたこと。お灸をすえてやれ、という気持ちになって、龍王丸に家督を継がせる一方、守護職継承は待て、ということに。さらに新五郎の代行を龍王丸元服までの七年と区切ることに成功。そして大御所が御所様への権限委譲を進めたことで、新九郎も申次衆に! 色々と実入りが期待でき、分一徳政令を利用したりとかの経済的苦境からも脱出、そしていよいよ嫁とりへ。嫁は「あまちゃづる〜」でしょうね。もう一つ、いよいよ茶々丸が誕生。だが双子の兄。妾の子ということにされる。どうやら弟の方が足利義澄となる模様。そうすると実母と実の弟を殺したことになっちゃうな。
 この13巻まで読んで、やっと太田道灌のキャラデザインが、なぜエルキュール・ポワロ(デビッド・スーシェ)なのかわかってきた。本作の太田道灌って、多分日本史に何人いるかって傑物なんだけど、己を頼むところが強すぎて、それがダダ洩れになっている。だから登場するたびに(そういうところだぞ)と周囲の人間に心の中で、あるいは面と向かって突っ込まれている。でも意に介さないところが太田道灌。そして新九郎との別れ際にも、言わなくていいことを言ってしまっている。これに対してエルキュール・ポワロも、ごくごく自然に「灰色の脳細胞」とか「しかし、ポワロは騙されません!」とか、自分は頭がいいことを口にする。我々は読者だったり観客だったり視聴者だったりするんで、そう気にならないんだけど、自分がジャップ警部やヘイスティングズ大尉だったらたまったもんじゃない。ということで太田道灌=エルキュール・ポワロなのではなかろうか。そして、道潅が消されちゃうのはその辺が原因じゃないかな。

>ザヒ・ハワス
「イッテQ」をぼーっと見てたら、ザヒ・ハワスが出て来てひっくり返る。「イモト三年ぶりの海外ロケ、エジプトで4300年前の石棺開封」という感じで、ちょうど来ていた「イッテQ」ロケ隊にザヒ・ハワス側から持ち掛けたらしい。経費のほとんど持っていかれたらしく、他のロケが安上がりで済まされていた。本来なら目玉になるはずの三大ピラミッドのライトアップも、撮影すると70万円ぐらい取られるらしく、ミニチュアで再現。残念ながらミイラは白骨化していたが、イモトはザヒ・ハワスの次に中を見せてもらい、「エジプトの宣伝をしないと、お前の家にミイラが行くぞ」と脅されていた。ザヒ・ハワス、なかなかのユーモア感覚の持ち主(笑)。

>ハンガリー首相の演説の話。
 なんでも「混血の国は望まない」とオルバン・ヴィクトル首相が演説して、「まさにナチスの物言い」と側近が辞任したとか。いや、ナチス以前にこっちはポカーンだよ! ハンガリー人(マジャル人)がそんなこと言っちゃだめだろ!! フン族の国だからHungaryっていうんじゃないのか? まあフン族というのは俗説としても、もともとモンゴロイドなのは確実で、その後コーカソイドが混ざって紅毛碧眼っぽくなってるだけじゃん。オルバンが姓でヴィクトルが名前だしな。誰も突っ込まないのが不思議。



#11343 
バラージ 2023/05/21 11:36
その後の鎌倉史・延長戦 最後のおまけ

 おまけの鎌倉史最終回。摂家将軍の終焉と親王将軍の誕生まで。

 北条時頼とその支持勢力は1246年の宮騒動と翌1247年の宝治合戦で鎌倉から親九条家勢力を一掃しましたが、残った幼将軍九条頼嗣のことは盛り立てようとしたようです。頼嗣がかつての父頼経同様に京に送還されるのは1252年のことで、もし時頼が当初から頼嗣送還と親王将軍擁立の意志を持っていたのなら宝治合戦直後にそのような措置を取っていたはず。以上のことからも宮騒動や宝治合戦を過大に時頼側の陰謀と考えるべきではないでしょう。
 頼嗣が将軍を廃され京に送還された事情については史料が乏しく今一つはっきりしないんですが、『吾妻鏡』によるとまず1251年12月5日に得宗被官の諏訪盛重邸の周辺で騒ぎが起こり、夜中に武士たちが具足などを付けて時頼邸の門前に集まってきたが、何もなかったので引き上げた。時頼は人々に制止を加えたが、騒動のもととなった噂にはいろいろあったようだとあります。こうして事態は一旦沈静化しますが、22日には再び鎌倉中が理由もなく騒動となり謀反を起こした者がいるとの噂が乱れ飛んで幕府と時頼邸の警備が厳重になっています。26日午後にもまた騒動となり、佐々木氏信と武藤景頼が僧の了行・矢作常氏・長久連らを謀反の企てありとして捕縛。盛重が訊問し反逆がことごとく露見したとのこと。それによって鎌倉中がさらに大騒動となり多くの御家人が集まってきます。翌27日には謀反人たちが誅殺または配流され、近国の御家人が雲霞のごとく集まってきましたが、全員帰国するようにとの命令が下っています。南北朝末期成立の『鎌倉大日記』にも同日に了行が誅殺されたとあるとのこと。また鎌倉末期成立の『鎌倉年代記裏書』(『北条九代記』とも)によると、この事件に関連して京では頼嗣の祖父である九条道家の一族の多くが僧俗の別なく後嵯峨上皇の勅勘を蒙り、道家と不仲だった次男二条良実の父子だけがそれを免れたということです。南北朝時代成立の『保暦間記』では翌1252年3月20日に頼嗣が上洛の途についたことに触れた部分で、了行を訊問したところ前将軍頼経が京で世を乱そうとしていることがわかったため、その一族が勅勘を蒙り頼嗣も上洛させられたと記されているそうです。
 九条家が勅勘を蒙ったという京の同時代史料はないようで、『吾妻鏡』も含めていずれも事件よりかなり後になってから関東で成立した史料のためどこまで信頼できるかは疑わしいんですが、そもそもこの事件についての京の同時代史料がほとんどないためこれらを基に考察するしかないようです。了行・常氏・久連はいずれも宮騒動と宝治合戦で没落した三浦氏・千葉氏・九条家などの関係者で、それが北条政権の疑心を呼び、北条氏に配慮する後嵯峨が自身にとっても潜在的敵対勢力だった九条家に対して過剰に反応したとの見方もあるようですね。
 なお『吾妻鏡』では、事件に先立つ同月2日に足利泰氏が所領の下総国でひそかに出家したことを記しています。かねてからの念願で、ひたすら修行したいと思っていたからだとのことで、7日に泰氏は将軍の許しを得ないまま自由出家した罪を自ら申し出、下総国の所領を没収されています。泰氏は時頼の縁者(死んだ妻が時頼の妹で嫡男頼氏を産んでいる)でもあり、幕府の宿老である父の義氏は盛んに嘆いたが、人によって法を曲げるわけにはいかないのでそのような沙汰に及んだとあります。これについても了行らの謀反事件との関連を疑う見方があるようですが、詳細や実否は不明と言わざるを得ません。大河ドラマ『北条時宗』では泰氏は陰謀家として描かれ謀反と関連した事件とされてましたが、泰氏の所領は頼氏に引き継がれ父義氏も何ら処罰を受けてないので無関係な事件である可能性もあります。なお『時宗』に義氏は出てきませんでした。
 明けて翌1252年正月の将軍頼嗣に対する椀飯(饗応の儀式)や儀式始めは特に何事もなく行われましたが、その一方で8日には京で後嵯峨の第1皇子が11歳で元服。後の宗尊親王です。後嵯峨寵愛の子でしたが母の身分が低いため異母弟の後深草天皇誕生後は皇位継承の可能性はほぼ無く、南北朝時代成立の『増鏡』によると後嵯峨はせめて将軍にしたいと思っていたとあります。この元服については将軍就任を前提としたものですでに時頼・重時らは水面下で頼嗣の更迭を決定しており、宗尊の東下および将軍就任を後嵯峨に要請していたと推測する説もあります。実際、翌2月20日には二階堂行方と武藤景頼が幕府の使者として上洛の途につきますが、これは時頼・重時が頼嗣の執権・連署を辞すことと宗尊の下向を申請するためで、これは時頼と重時のみで決められ他の者は誰も知らなかったとあります。
 一方、鎌倉後期成立の『五代帝王物語』『百錬抄』によると翌21日に京で九条道家が死去。死因や状況は不明で、一時は朝廷の権力を一手に握った者の寂しい最期でした。『吾妻鏡』では27日に訃報が届き、それを受けて時頼・重時らが集まったとのこと。道家の死について噂があり、武家の策謀によるものだと言われていたからだそうです。これをもって道家の死を幕府(の意を受けた六波羅探題)によるものとする推測もありますが、さすがにそれは穿ち過ぎた見方なんじゃないかなあ?
 話が戻り『百錬抄』によると30日に幕府の使者が入京し、宗尊を征夷大将軍として下向してもらうよう要請してきたとしています。また『吾妻鏡』3月5日条には六波羅探題からの使者が鎌倉に来て、行方・景頼の奏聞を受けて院御所では親王下向について1日から会議が行われたが、3歳の宮(後の亀山天皇)と13歳の宮(宗尊)のどちらを求めるかと聞かれたので指示を仰ぎたいと言ってきたとあります。時頼・重時らが群議をして13歳の宮の下向を要請することに決定し、使者は帰洛したとのこと。しかし前記2月20日条の記述では最初から宗尊の下向と指定しており矛盾しているし、京都側の記録である『百錬抄』2月30日条でも前記の通り幕府は宗尊を将軍として下向するよう要請してきたとあります。そもそもそのような重要なことを事前に決めていなかったとは考えがたく、『吾妻鏡』のこの部分は創作もしくはなんらかの誤りが挿入されたものでしょう。その後トントン拍子に話は進み、宗尊は18日に親王宣下され、19日に関東下向。4月1日に鎌倉入りしており、『百錬抄』によると同日に京で征夷大将軍宣下がされたとあります。
 なお前月の3月21日には頼嗣が御所を出て、北条(佐介)時盛邸に移っており、4月3日には宗尊と入れ替わるように弟や母と共に上洛(実質は京都送還)の途についています(『鎌倉年代記』『保暦間記』では3月20日に上洛としてますが、時盛邸への移動を上洛開始と解釈したんでしょうか)。父頼経が同じように上洛した際には『吾妻鏡』にその行程がくわしく記されてましたが、頼嗣の上洛は行程はおろか入京した日すら記されていません。宗尊の東下の行程や鎌倉入り後の儀式などがくわしく記されている陰に隠れてひっそりとといった感じ。『鎌倉年代記』『百錬抄』には4月18日に入京したとあり、伴の者はわずか20人だったとのこと。
 以後の頼経・頼嗣の動静はほとんどわからず、『百錬抄』によると4年後の1256年8月10日(『吾妻鏡』『鎌倉年代記』では11日)に頼経が痢病(赤痢)で、9月25日(『吾妻鏡』では24日)に頼嗣が赤班瘡(はしか)でそれぞれ病死しています。公家の吉田経俊は頼経について日記『経俊卿記』に、将軍として長年関東に住んだが上洛後は人望を失い早世したと記しているとのこと。これまた頼経・頼嗣の死を幕府の策謀と推測する向きも一部にはあるようですがやっぱりそれは穿ち過ぎかと。ちなみに『時宗』では時頼ら幕府の刺客によって2人同時に殺されちゃってましたが、実際には上記の通り1ヶ月半ほどの時間差があります。なお、この年は疫病が大流行して死者が続出しており、時頼や宗尊・後深草なども罹患し、時頼は11月22日に長時に執権を譲り23日には出家しています。
 また後嵯峨の勅勘を蒙った九条家のうち道家4男の一条実経は1263年に左大臣に還任され、1265年に関白に再任されてようやく復権を果たしました。道家嫡孫の九条忠家に至っては後嵯峨法皇死後の1273年になってようやっと関白に就任して復権しています。すでに摂関の資格を失った人と見なされていた忠家の関白就任には公家たちから強い反発が起こったとのこと。

 時頼・重時らが頼嗣を追放し、宗尊を新たな将軍に迎えた理由は今一つ判然としませんが、了行らの謀反事件と関係があることは間違いないでしょう。頼嗣が将軍でいる限り九条家やその与党勢力による介入や策謀の根を断ち切るのは難しいと判断したのかもしれません。そこで頼嗣に代えて親幕的な後嵯峨上皇の皇子を将軍に迎えることによって東西の融和と安定をもたらそうとしたものと思われます。九条家の将軍を続けても頼朝の血は薄まっていく一方で摂家将軍を続けるメリットはほとんどなく、またもともと幕府は実朝暗殺後に後鳥羽上皇の皇子を将軍に迎えようとして拒否され次善策として九条家より将軍を迎えたという経緯があり、待望の親王将軍だったと言えるでしょう。ここから鎌倉時代はまた新たなフェイズに入っていきます。

 てなわけで今度こそキリのいいところで鎌倉話も改めておしまい。ま、また何かネタを思いついたら書くかもしれませんが。


>観てた映画&未見映画
『赤西蠣太』……伊丹万作監督による1936年の映画。伊達騒動を背景とした作品で、主演の片岡千恵蔵が主人公の赤西蠣太と悪役の原田甲斐を2役で演じているとのこと。原作は志賀直哉の短編小説だそうです。確か大学時代に地方局で深夜に放送してたのを観たような記憶がありますが、映像の状態が悪くザーザー雑音が入っていまいちよくわからなかったような。ビデオ化のみでDVD化されていませんが、Amazonprimeで『赤西蛎太』のタイトルで配信されているようです。
『危し!伊達六十二万石』……1957年の映画。DVDタイトルは『危うし!伊達六十二万石』。上記『赤西蠣太』同様に旧来の伊達騒動もののストーリーで、主演の嵐寛寿郎が悪役の原田甲斐を演じています。後に山本周五郎の『樅ノ木は残った』で原田忠臣説が描かれましたが、近年の研究では否定されているようなので別の見方の作品も名画座にあったほうがいいんではないかと。
『伊達騒動 風雲六十二万石』……1959年の映画。原作は沙羅双樹という人で、主演の大友柳太朗が原田甲斐を演じています。こちらは原田忠臣説の話らしく、『樅ノ木〜』といい、この頃の流行りだったんだろうか? ソフト化はされていませんがU-NEXTで配信されているようです。
『青葉城の鬼』……1962年の映画で『樅ノ木〜』の最初の映像化。監督は三隅研次で主演は長谷川一夫。VHS化のみでDVD化や配信はされていません。



#11342 
バラージ 2023/05/15 21:56
その後の鎌倉史・延長戦 おまけの付録

 大河『北条時宗』のお話に突入したという理由から宮騒動でおしまいにした鎌倉史ですが、歴史話的には宮騒動の延長戦とも言うべき宝治合戦、そして摂家将軍の終焉あたりまでが区切り的にはちょうどいいってことで少しだけ追記。『時宗』の初回を思い出しながらと思いつつ某動画サイトを試しに検索してみたら、宝治合戦のくだりだけを抜粋した動画があったんで思わず見返しちゃいました。なので基本的にその動画を前提に史実話を補足していきます。

 1246年の宮騒動で前将軍の九条頼経が京に送還され、頼経の父道家が関東申次を更迭されて失脚したことは前回触れました。『吾妻鏡』や葉室定嗣の日記『葉黄記』によると同年12月に道家・頼経は鎌倉に何らかの使者を派遣したようですが時頼は当たり障りのない返答をしており、おそらく道家・頼経は復権を望んで時頼と何らかの交渉を行おうとしたものの時頼ら幕府は相手にしなかったと思われます。『時宗』では京の頼経が光村と示し会わせて挙兵を企んだような描かれ方でしたが、どうも道家・頼経は宝治合戦に直接的には関係してなかった可能性が高いようですね。なお道家は『時宗』には登場していません。
 このような事態に大きな不満を抱いていたのが三浦泰村の弟で頼経側近だった光村です。光村が頼経をもう1度鎌倉に迎えたいと言っていたことも前回触れました。もともと三浦氏と北条氏の関係は緊密で三浦義村は娘の矢部禅尼を泰時に嫁がせ、その矢部禅尼が時氏を産んでいます。また義村の次男泰村は泰時の偏諱を受けた上に義時(または泰時)の猶子となっており、さらに泰時の娘を妻に迎えています。しかし矢部禅尼は1212年以前に泰時と離縁しており、時氏も泰村の妻(泰時の娘)も1230年に病死。泰村は後妻として泰時の妹を迎えますがやはり1236年に早世しており、北条得宗家と三浦氏の姻戚関係は薄くなってました(次の後妻となったのは公家の故源通親の娘)。それに代わって得宗家の外戚となっていたのが安達氏です。時氏の妻となって経時・時頼を産んだのが安達景盛の娘の松下禅尼で、景盛は経時・時頼の外祖父でした。しかし安達氏は三浦氏より家格が低く、経時・時頼の外戚となっても三浦氏より序列は下に置かれたままで、これに強い不満を持ったのが景盛です。出家した景盛は幕府の要請で高野山にいたまま幕政に参加していたようですが、1247年4月になると鎌倉に来て連日時頼邸を訪れ何事かを話し合っていたとあります。また三浦氏の下風に付いたままの息子義景と孫泰盛を激しく叱責したとのこと。景盛は時頼に三浦氏討伐を強く進言していたと思われますが、時頼には迷いがあり政治的解決を模索していたものと思われます。ちなみに『時宗』では景盛もまた登場していません。5月6日、時頼は泰村の次男駒石丸を自らの養子にするという約束を結び北条と三浦の和解への道筋が付けられました。そんな中、前月から病に臥せっていた時頼の妹で将軍九条頼嗣の正室檜皮姫が13日に18歳で死去。時頼は檜皮姫の喪に服すために泰村邸に移り、翌14日には檜皮姫の葬儀が行われています。
 ところがここから事態は一気に破局へとなだれ込んでいくことに。某動画サイトにあった『時宗』初回編集動画はこのあたりから始まってました。21日には鶴岡八幡宮の前に泰村を近日中に誅伐せよとの命令が下ったという高札が立てられ、26日には逐電した土方義政が神社に奉納したという、泰村の反逆に加わらないことを誓う願文の存在を時頼が知っています。27日には泰村邸にいた時頼が邸内に多くの人が集まりながら自分の前には姿を見せないことや夜になると鎧を着る音が聞こえることなどから、それまで信用していなかった三浦氏謀反の進言が事実かもしれないと疑いを抱いて密かに自邸へと帰宅。それを知った泰村は大いに驚き、理由のわからぬまま謝罪の使者を送ったとのこと。28日には三浦氏反逆の噂が広がって鎌倉の街は騒然とし、光村が合戦の準備を進めているとの噂を確かめるため時頼が泰村に使者を送ったところやはりその気配があるとの報告を受け、6月1日に再び泰村邸に遣わした使者に対して泰村は弁明するも使者は邸内に多数の武器鎧があるのを発見。2日には近国の御家人が続々と集まり時頼邸を固め、その中には時頼の父時氏の異父弟(母が泰時の前室の矢部禅尼)である佐原兄弟とその異母兄たちもいました。彼らの父の故盛連は泰村の従兄弟でしたが、母の縁から外甥の時頼に付いたと思われます。なお矢部禅尼は『13人』には初の名で登場してましたが、やはり『時宗』には息子たち共々登場していません。3日には泰村邸の庭にこの度の騒動で泰村が討たれるという落書が立てられ、泰村はそれを壊させた上で時頼に自分は野心など全くないと申し入れたところ、時頼から疑いは持っていないとの返事があったとのこと。『葉黄記』6月6日条には重時の子の長時が前月に檜皮姫の件で鎌倉に下向したところ不審なことがあり、その子細を父に報せた。飛脚が3日に鎌倉を発ち今日着いたが重時は子細を明らかにせず、ただ用心すべきことになっているとしか言わなかったとあります。4日になっても両陣営に諸国から武士たちが続々と集まり一触即発の事態となってきたため、幕府は双方に鎌倉から退去するよう命令を出しましたが、常陸国に帰ろうとした泰村の妹婿関政泰は道中で泰村が追討されるだろうとある人から聞き鎌倉に舞い戻ります。深夜に泰村の妹である毛利季光の妻が泰村邸を訪れ、この度の騒動で兄上が攻められるだろうとの話を聞きました。かくなる上は勝たねばなりません。夫も味方するでしょうし、たとえ迷ったとしても私が説き伏せ必ず味方させますと言ったとのこと。季光の娘は時頼の妻となっており、季光にとって時頼は娘婿、泰村は義兄という関係にありました。
 そして5日。早朝からすでに鎌倉は騒動となっており、時頼は夜明け前から万年馬入道を泰村邸に遣わし郎従たちの騒ぎを鎮めるよう命令。次いで平盛綱に書状を持たせて三浦を討伐する考えは決してないと誓約した上で和議を申し込みます。泰村は喜んで承諾の返答をし、盛綱が帰還すると泰村の妻は湯漬を持ってきましたが、泰村は湯漬を一口食べた途端に吐いてしまったとのこと。一方時頼が泰村に和議の使者を出したことを知った景盛は、すでに甲冑をまとった義景・泰盛に向かって、このままでは安達は子々孫々三浦の下風のままとなる。運を天にまかせ雌雄を決すべきだと命じ、泰盛が先頭に立って出陣。盛綱が時頼邸に戻る前に泰村邸に攻め寄せ、驚いた泰村も応戦します。時頼邸に戻った盛綱は、三浦氏は戦の準備をしてましたがご命令に従って和平を進めていたところ、泰盛が攻撃を始めてしまったため和平のしようがなくなりましたと報告。そこで時頼は北条実時に将軍御所を守らせ、弟の時定を大将軍として軍勢を率いさせて三浦氏攻撃に向かわせ、三浦氏も応戦して全面的な合戦に突入することになります。ちなみに『時宗』では北条政村・実時・義景が和睦を模索する時頼をよそに三浦討伐を話し合うシーンがありましたが、史実では政村・実時が宝治合戦でどう動いたかはほとんど不明。実時は前記の通り合戦が始まってから時頼の命で将軍御所の守りに就いたことがわかるのみで、政村にいたっては名前が全く出てこず何をしていたかわかりません。また『時宗』での泰盛は時頼の側で説得にあたってましたが、実際には上記の通り祖父の命で安達軍の先頭に立っていました。そして攻撃軍の総大将となった時定は『時宗』にはなぜか全く登場していません。後の元寇では九州まで下向したようなんですけどね。
 午前10時頃に季光は甲冑をまとい軍勢を率いて将軍御所に向かおうとしますが、泰村の妹である妻が鎧の袖をつかみ、「泰村を見捨てて時頼方に参じるのが武士のすることでしょうか? かねてからの約束と違うではありませんか。後の世に恥を伝えることになります」と言うと季光は翻心して泰村方に向かいました。万年馬入道が騎馬のまま時頼邸に参じて、時頼の舅である季光が三浦方に付いたことを報告してこれは大事だと告げると、時頼は正午頃に将軍御所に参じた上でさらなる方策を練っています。ちょうどその頃、風が北から南へと方角が変わったため北条方は泰村邸の南隣の家屋に火を放ち、煙に燻し出された泰村らは頼朝の墓所法華堂に逃れました。弟の光村は要害の地の永福寺に立て籠っており、泰村にここは堅固な城郭だからここで共に戦いましょうと呼びかけましたが、泰村はいかに鉄壁の城郭だろうと最早逃れることはできない。いっしょに頼朝公の御影の御前で最期を迎えたいから早くここに来るようにと伝え、光村は仕方なく法華堂に向かっています。こうして泰村・光村ら三浦一族と季光・政泰ら三浦方の御家人たちが法華堂の頼朝の絵像の御前に列し、往時を語り合ったり最期の述懐に及んだりする中、熱心な念仏宗徒だった季光が念仏を唱え、皆にも唱和を促して光村がそれに応じたとのこと。法華堂に攻め寄せた時頼方は寺門に攻め込み、守る三浦方との激戦は1時間半から2時間弱に及びましたが三浦方は矢も尽き、その間に泰村ら主だった者だけで276人、全部では500人以上が自害を遂げています。法華堂にいて逃げ遅れた法師が天井に隠れてその様子を目撃しており8日にその証言が取られていて、それによると光村は頼経公の時代に道家殿下の内々のご命令通りに企てを行えば武家の権を執らせると言ってきたのに、泰村殿が躊躇していたため愛児と永遠の別れをすることになったばかりか、当家滅亡になるとは後悔するにあまりあると言って、小刀で自らの顔を削り、まだ私の顔とわかるか?と周囲に問うてさらに顔を削り、その流血で頼朝の御影が汚れたとのこと。さらには法華堂に火を放ち我々の死体を燃やすべきだと主張。それに対して泰村が頼朝公の御影を血で汚すのも法華堂に火を放つのも不忠の極みだと止めたため火災にならずに済んだそうです。泰村は数代の功があれば子孫も罪を減じられる。まして三浦一族は義明以来4代で、また北条氏の外戚として内外のことを補佐してきたのに1度の讒言で誅戮の恥辱に会おうとは憤懣やる方ない。だが父義村は他家を多く滅ぼしてきたことを思えば因果応報かもしれない。もはや冥途に旅立つ今となっては北条殿を恨むべきではないと言って号泣したとのこと。幕府は法華堂から光村の死体を発見できておらず、この法師の証言でその理由が判明したとあります。光村は自分の顔を小刀で削り取ってわからなくしたんですね。そんな凄惨な場面をお茶の間にはお届けできないってことで『時宗』では光村も普通に自害してただけでした。なお光村の妻は後鳥羽上皇の北面の武士の医王左衛門尉能茂法師の娘で、当世無双の美人だったそうです。相思相愛で光村は別れがたく、出陣前にお互いの小袖を交換し着用していたとのこと。
 5日夕方には幕府は六波羅探題重時に使者を送り、泰村・光村らが挙兵し合戦となったが皆討ち取った。季光も三浦方に付いたがやはり討ち取ったと朝廷に報告し、西国御家人にも通達せよとの命令が出されています。6日に幕府は泰村の妹婿の千葉秀胤(宮騒動で本国の上総国に追放されていた)を討つよう、一族の大須賀胤氏と東胤行に命令し、翌7日に攻められた秀胤は館に火を放って自害。こうして宝治合戦は終結しています。翌7月には早くも重時が鎌倉に下ってきて連署に就任。時頼は季光の娘を離縁して、重時の娘の葛西殿を後妻に迎えています。『時宗』では季光の娘が戦後に重時の養女となって時頼に嫁ぎ時宗を産んだという設定でしたが、放送時に出版された歴史本ですでに史実は上記の通りだと指摘されていた記憶があります。また三浦本宗家は滅亡しましたが、庶流の佐原家のうち時頼に味方した矢部禅尼の息子たち(およびその異母兄たち)は生き残り、五男(矢部禅尼の息子としては次男)の盛時が三浦氏を相続しています。

 宝治合戦については時頼は最初から和睦するつもりなどなく、全て三浦氏を滅ぼすための謀略だったとする説もあります。しかし21歳の若い時頼(『時宗』の渡辺謙より映画『禅』の藤原竜也がイメージに近い)がそこまでの謀略を企んでいたとは考えにくい。時頼が檜皮姫の喪に服すため泰村邸に滞在していた5月13日から27日までの間も泰村への挑発は行われており、泰村邸滞在中に決裂したら時頼自身が危険にさらされることを考えれば、この挑発は安達氏によるもので時頼は本気で和平を模索していたと考えられます。ただし時頼が三浦氏の挙兵を疑って泰村邸をひそかに抜け出した27日以降は時頼も三浦追討への決意を徐々に固めていった可能性が高い。北条と三浦の和平が成立したのに安達が勝手に三浦を攻撃して時頼もそれに引きずられて合戦に突入したとしているのはあまりにも不自然です。それでは三浦氏ではなく安達氏が時頼の命に背いたことになってしまう。おそらくこのあたりは結果的に三浦氏を罠にはめるようなことになってしまった時頼をかばうための曲筆が施されている可能性が高いでしょう。実際には時頼も泰村も和睦一辺倒ではなく和戦両用の構えを取っていたものと思われます。それぞれ相手の陣営に光村や景盛のような好戦派がいることを知っていたため、自分が和睦を志しても向こうが攻めてくるかもしれず軍備を整えていたはずで、戦闘が数時間に渡り、攻めた北条・安達軍が苦戦しているのは三浦方も合戦の態勢が十分に整っていたからだと思われます。ただ三浦氏にとって弱点だったのは将軍頼嗣を時頼方に囲われていたこと。時頼を攻撃すれば将軍に対する謀反と喧伝されかねず、泰村が最後まで逡巡したのは彼の優柔不断さもあるでしょうがそういう理由もあったかと思われます。そう考えるとやはり光村の言っていた通り大殿頼経が鎌倉にいた宮騒動の時に決断しておくべきだったかもしれません。

 うーむ、やっぱり長くなってしまった。てなわけで摂家将軍の終焉と親王将軍の誕生については最終回としてまた次回。そっちはあんまり長くならないでしょう。


>ヤーレンコーラン
 中国ドラマ『コウラン伝 始皇帝の母』がBS12で放送開始されたようです。字幕版で全62話の完全版バージョンのようです。



#11341 
バラージ 2023/05/12 22:46
できるかな?

 歴史とは関係ありませんが、NHK教育テレビ(現Eテレ)でかつて放送してた教育番組『できるかな』にレギュラー出演していた“のっぽさん”こと高見のっぽさんが亡くなられましたね。小学生の時の夏休みとかに観てたなあ。子供の頃に大好きな番組でした。まあ、これも教育番組史ってことで、ご冥福をお祈りします。


>録画で観た歴史関連映画
『トロイ』
 僕はギリシア神話も結構好きなんですが、この映画は神話要素を抜いた史劇風の作品として作られてると聞いて今一つ食指が動きませんでした。しかしまあ『ベン・ハー』や『スパルタカス』みたいな古代史劇映画はわりと好きなのにそのわりには観てきてないなということで、これまた年始にテレビ放送されたのを録画して今頃ようやく観てみることに。なお後にディレクターズカット版のBlu-ray&DVDも出たようですが、僕が観たのは通常版。
 感想としては、うーん、やっぱり神話要素を抜いちゃうと気の抜けた炭酸みたいに味気ない。黄金の林檎をめぐる3女神の争いとか、アキレスは全身無敵だけど踵だけが弱点とか、絶対に的中する予言を信じてもらえないカサンドラとか、僕の好きなエピソードが当然ながら全部ばっさりカットされちゃってる。カサンドラなんて神話要素がないと説明しづらいからか登場すらしないし。またカサンドラ以外の予言エピソードもほぼなし。神話要素がなくても予言の話は入れられそうなもんですが。3女神の争いがないから物語の始まりもえらく唐突でほとんどいきなり戦争が始まってるし、アキレスやヘクトルが神など信じない無神論者みたいになっちゃってるのもなあ。神様が存在するのが当然の前提となってる神話から飛躍しすぎで、あまりに現代的すぎるような。それでいてやはり神話要素がないと説明しづらいにも関わらずトロイの木馬は入れざるを得なかったようで、でも説明しづらいからかずいぶんあっさりとした描写になってましたね。僕も昔トロイの木馬の話を最初に知った時は、トロイの連中はなんでこんないかにも怪しげなもんを、わーい神様の贈り物だーとか言って城内に引き入れたんだ?とか、なんでギリシア軍も城内に伏兵を浸入させる計略にこんな突飛なもん使うんだ?とか不思議に思った記憶があります。あとこれは予想できてたことだけど、ブラピ演じるアキレスが主人公だからアキレスが最後のほうまで死にません。それにしてもブラピはブラピでしかないな、アキレスではなく(笑)。
 映画としても『アレキサンダー』の後に観ちゃうとどうも……。意図したものなのかもしれませんが1950〜60年代の大作映画っぽい作風で、悪く言うとちょっと古臭い。ものすごい金をかけた大作でありながら、なんとなくB級感もあって悪く言うとちょっと安っぽい。このあたりはオリバー・ストーンとヴォルフガング・ペーターゼンの力量の差なんだろうか?

『グラディエーター』
 これもちょっと前にWOWOWで放送されたんで録画観賞。こちらもディレクターズカット版があるようですが、僕が観たのは通常版です。古代ギリシア&ローマ史劇映画ブームの火付け役となった作品とのことですが、主人公は架空人物なんで史劇というより時代劇かな。『ローマ帝国の滅亡』(未見)の実質的リメイクらしいけど、ストーリーラインはなんとなく『ベン・ハー』にも似てるし、剣闘士の話というところは『スパルタカス』っぽくて、いろんなのが混ざってる感じですね。面白いことは面白かったんですが、リドリー・スコット監督の持ち味なのかペースがゆったりとしてて、『アレキサンダー』『トロイ』より短いはずなのになんだか長く感じました。あと皇帝コンモドゥスが強くもないくせに最後に主人公と剣闘で闘おうとする展開はちょっと不自然な気がしましたね。史実のコンモドゥスは実際に闘技場で剣闘士や猛獣と闘ったという異常に強い人だったらしいんで、そういう設定にしたほうが良かったんではないかなあ?
 観終わってから調べたら史実的にはかなりめちゃくちゃな作品のようで、史実のマルクス・アウレリウス・アントニヌスは病死で、もちろん暗殺なんてされてないし、コンモドゥスのことを溺愛してたらしく共和制に戻そうと考えてもいなかったようです。ルッシラは自らの野心のために弟を暗殺して夫を皇帝にしようとした悪女で、暗殺失敗後に島流しにされて死んでいるし、12年在位したコンモドゥスは暗殺未遂後も10年生きており、それ以前はわりと無難な治世だったようですが、その後は他人を信用しなくなって粛清を繰り返し徐々に暴君化していったようです。最期は粛清しようとした愛妾と重臣たちに逆に暗殺されたとのことで、ここまで史実と違うとほとんど『柳生一族の陰謀』のノリに近いような。なんでも20年以上経った今頃になって続編が始動するらしいんですが、あんなに史実とかけ離れてどう軌道修正するんだろ?
 さて、あとは『300』シリーズと『ポンペイ』を観れば近年の古代ギリシア&ローマ史劇映画はあらかた観たことになるんですが、どっかで放送しないかなあ。

>名画座情報
『ザ・エンペラー 西蔵之王』……日本の映画サイトでは原題が「西蔵之王」となってますが、百度百科・中国語版Wikipediaではともに原題が「松賛干布」となっています。また百度百科では監督は普布次仁で脚本は李陽になっています。日本公開時のポスターやVHSパッケージでは名画座にあるように監督・脚本共に「ヨン・カツ・ヤオ」となっており、香港影庫HKMDBというサイトではDirectorsがYang Chi-YaoとLeung Siu-Wah、ScreenwritersがLi YangとMingma Tseringとなっていたため、以前はそちらをもとに監督のヨン=カツ=ヤオは楊吉友ではないかと紹介しましたが、百度やWikiのほうが信頼性は高いかもしれません。おそらくこの映画も日本公開に際しては中国からの直輸入ではなく香港経由で輸入されたんではないでしょうか。
『孫文』……確か以前に僕がオリジナルは170分ではないかと書いたと思うんですが、改めて現在また調べたら百度百科・中国語版Wikipediaともに150分となっており、某有名動画サイトにある動画も約150分でした。どうもすいません。
『トロイ』……上記の通り196分のディレクターズ・カット版もBlu-ray&DVD化されています。
『La Battaglia di Maratona(マラトンの戦い)』……キネマ旬報の他にallcinemaにも『マラソンの戦い』という邦題で掲載されており、検索すると日本版のパンフレットやポスターもあるようなので日本でも公開されたんではないでしょうか? それともポスターやパンフレットまで作られながら何らかの事情で公開中止になったんでしょうか?

>未見映画
『ユリシーズ』……1954年のイタリア映画。トロイア戦争の後日譚とも言うべきホメロスの『オデュッセイア』の映画化で、NHK-BSで何度か放送されてたんだけど、その度に録画を忘れてたり裏番組とかぶったりで見逃しております。神話要素がきちんと入っている映画のようで、歴史映画か?と言われちゃうとあれですが、それを言ったらトロイア戦争だって神話の話なんだし。なお、『トロイのヘレン』『大城砦』でもオデッセウスの名前はユリシーズのようです(『トロイ』のみオデュッセウス)。
『トロイの秘宝を追え!』……2007年のドイツのTVムービー。DVDパッケージのデザインが思いっきりインディ・ジョーンズのパクリで背景にはトロイの木馬まであるんだけど、実際にはシュリーマンがトロイの遺跡を発掘するまでの地味で真面目な伝記ドラマらしい(笑)。



#11340 
ろんた 2023/05/10 22:48
変換ミス

 大抵は意味が通じないんで、ミスしてるって分かるし脳内で復元できる。だから指摘したり訂正したりしないでOKだと思うんだけど、これは始末の悪いことにそれなりに意味が通じちゃってるんで訂正しときます。

×:政治家たる芸能人の歴史
○:政治語る芸能人の歴史

 他にも二点ばかり修正点を見つけたので、こっちはついでに。

×:コラム(細谷正充・文芸評論家)で取り上げられていた時代歴史小説が二篇をご紹介。
○:続けてコラム(細谷正充・文芸評論家)で取り上げられていた時代歴史小説二篇をご紹介。

×:紗倉まなさんの短編集「ごっこ」が紹介されてました。
○:紗倉まなさんの短編集『ごっこ』が紹介されてました。



#11339 
ろんた 2023/05/09 23:37
書評から

 新聞の書評ページに歴史物が多かったんでご紹介

・『読むワイドショー』(パオロ・マッツァリーノ/ちくま新書)
 書評は「政治家たる芸能人の歴史」(プチ鹿島=時事芸人)となっていますが、権力とメディアの現代史という印象。NHKの「クローズアップ現代」で国谷キャスターが菅官房長官を問い詰めて降板させられたというのは記憶に新しいけど、大昔からそういう話があったことが紹介されている。占領下、「日曜娯楽版」(NHKラジオ)という人気番組があった。過激な風刺ネタが中心だったが、主権回復後に終了。(理由は、主権が回復したからでしょうなぁ) その後継番組で風刺色を薄めた「ユーモア劇場」が始まるが、造船疑獄の発覚でリスナーの投稿が過激化、1954年に終了。後に両番組の制作に深く関わった三木鶏郎が当時のNHK会長に確認したところ、「ユーモア劇場」終了は佐藤栄作(当時の自由党幹事長)の圧力によるものだったと認めたらしい。評者は安倍晋三との縁を語っているけど、わたしは新聞以外のメディアが大嫌いだった"栄ちゃん"らしさを感じるとともに、その小心さが恐くなった。この辺、安倍晋三と似ている気がする。兄貴の方はさすが妖怪で「声なき声が聞こえる」とか嘯いてたんだったかな? 他に「ロッキード事件をウヤムヤにしないで追及してほしい」と森光子が三木武夫(当時首相)に注文した話など。

・『江戸のキャリアウーマン』(柳谷慶子/吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
「キャリアウーマン」って死語じゃないか、と思っちゃったんだけど、大名屋敷で働く「奥女中」のこと。武士をサラリーマンのアナロジーで語るようなものか。彼女らの昇進、給与システム、老後の処遇などが語られているらしい。ただ評者(牛窪恵=マーケティングライター)は「武士以上に実力社会で、才覚次第でかなり上の職位にまで出世可能だった……」としているけど、その後の「地道にキャリアを積み上げ、健康を保って勤続年数を延ばすことで、場合によると自ら家を興すことさえできたという。」というところから見ると、年功序列のように思えるのだが。あと、江戸後期は長寿化が進行し、親の扶養や介護が社会問題化したというのはちょっと面白い。

・『文豪、社長になる』(門井慶喜/文芸春秋)
 見たら内容が分かる、という意味で秀逸なタイトル。そう、菊池寛のことですね。今日、彼のことを文豪と考えている人がどれだけいるか分からないけど。一高の同期で同じ「新思潮」の同人だったが、先に世に出たのは芥川。なにせ夏目漱石に見出されたんだから。しかし、芥川の誘いで大阪毎日新聞に入社し、『真珠夫人』が大ヒット。(これ、あの昼ドラの原作だよなぁ) そして講演で訪れた大阪で、編集者・植村宗一と知り合う。これが後の直木三十五。川端康成ら新人(笑)の活躍の場として「文芸春秋」を創刊。巻頭随筆が芥川、直木が借金で首が回らなくなると、返済のために文壇ゴシップを書かせる。といった具合にプロデューサー(「文壇のボス」ともいう)としての手腕を発揮し、「文芸春秋」を総合雑誌として成功させる。評者(末國善己=文芸評論家)は触れてないけど、確か対談、鼎談、座談会という形式を発明したのも菊池寛じゃなかったか。とまあ、ここまでは光の部分だけど、負の側面となると「菊池は国家や戦争から距離を置いていたが、戦争に協力すべきという編集者、作家、読者は予想以上に多く、『文芸春秋』は戦時色に染まっていく。」と周囲のせいにしているらしい。「公職追放など晩年には悲劇もあった菊池だが……」に至っては贔屓の引き倒しではないか……と思ったら文芸春秋の本だったんですね。納得(笑)。

 コラム(細谷正充・文芸評論家)で取り上げられていた時代歴史小説が二篇をご紹介。

・『朝星夜星』(朝井まかて/PHP研究所)
 主人公は長崎丸山の傾城屋で働く女中・ゆき。大柄で力持ちだが料理下手。阿蘭陀料理人・丈吉に見初められて夫婦に。維新後、西洋料理専門店を開業。その後、大阪でホテルを併設した「自由亭」を経営し、支店も増えていく。しかし、夫婦の問題、嫁姑問題、店の経営問題などが次から次へと持ち上がり苦労が絶えない。さらに五代友厚、陸奥宗光、後藤象二郎、岩崎弥太郎などが自由亭と関わる。え〜〜っ、朝ドラ?(笑) でも、面白そう。

・『たらしの城』(佐々木功/光文社)
「たらし」は木下藤吉郎のこと。となると「城」は墨俣の一夜城。現地(?)では立派な天守閣まで建っているようですが、実在すら疑われている。ということで、常に考え、思いついたことは即実行、人には開けっぴろげな好意を示し、何事にも赤心であたる木下藤吉郎が、木曽川筋の勢力を束ねる蜂須賀小六たちを巻き込んで、「洲の俣(墨俣)」に砦を築く、徹底的なエンタメ作品。「ある人物を通説より早く主人公と絡ませる」というけど、竹中半兵衛?

・追記
 紗倉まなさんの短編集「ごっこ」が紹介されてました。

>蔦重
 蘭学者と関係が深いのは須原屋市兵衛でした。同時代人ではあるけど、どこでこんがらがったのか? 『風雲児たち』に出て来た瓶底メガネの本屋を蔦重と思い込んだのかな。多分、アレ須原屋市兵衛。しかし、蔦重視点から見ると定信は悪玉ではないかなぁ。あと、wikiとか定信を持ち上げすぎじゃない?



#11338 
バラージ 2023/05/04 23:35
ああ、すいません(笑)

 蔦屋が後援した文化人連中が化政文化として習った人たちだったんでつい勘違いしちゃいました。確かに蔦屋が活動した時期は寛政年間だったようですね。
 映画『写楽』でも松平定信は必ずしも悪役には描かれていませんでしたが(手鎖処分が解けたところから始まってたので田沼は登場しない)、近年では享保の改革→田沼政治→寛政の改革は連続性のほうが強調されてるようですね。そういう意味では山本周五郎『栄花物語』や『風雲児たち』の描き方はすでに古くなっているようです。あんまりこの辺はくわしくないんですが。



#11337 
ろんた 2023/05/04 22:16
杉村善光『知泉源氏』(新評論/1〜3以下続巻)

「田中角栄が日本列島を改造して高速道路や新幹線を作った。最大の功績は日中国交正常化」みたいな話がクイズ番組から流れてくる。なんだか雑すぎ。プロデューサーが変な本読んで洗脳されてるんだろうか。これって、もう偽史だろう(笑)。

 それはさておき『知泉源氏』。『源氏物語』の「初の完全漫画化」ということで現在三巻まで刊行。『源氏物語』の漫画化といえば『あさきゆめみし』(大和和紀)だけど、いろいろアレンジされてますからね。葵上のデレが分からなくて悩んだり、六条御息所に癒しを求めるんだけど(なんか違う)と思ったり(この人もツンデレ)、空蝉(人妻)を口説こうとしてうまくいかずに義理の娘(軒端荻)の方といたしちゃったり、夕顔を物の怪に取り殺されたり、女児(若紫)を誘拐同然に(父の同意なし)自邸に住まわせたり、藤壺中宮とチョメチョメで後の冷泉帝が生まれたり……と色々てんこ盛り。いや、原典通りではあるのですが(笑)。一応刊行予定が発表されているのは、第1期《青春編》全6巻で2023年末に完結(第十六帖・関屋まで)。本居宣長の二次創作(?)「手枕」も漫画化するという。
 著者は雑学系ライター、漫画家、ラジオパーソナリティー、作詞家。"知泉"はウェブ上での名前。"雑学系ライター"というと、呉智英とか'80年代に既に雑学の流行を「知識ころがし」と批判しているけど(曰く「グルグル回ってるだけで、根本にさかのぼらない」)、この人はさかのぼって色々批判しているので(ビー玉=B玉説とか銀ブラ=銀座の喫茶ブラジルでコーヒーを飲む説とか)、まあ信用していい気がする。
 そしてこれ、学習漫画だったりするのでした。原稿を持って色々と出版社を回っていたようで、おそらくは来年の大河関連で出版にこぎつけたと思うんだけど、売れてほしいなぁ。近所の本屋では見かけず、例によってe-honで買ってるんで。

>クレオパトラ
 クレオパトラに関しては「ドキュメンタリーなら定説でやれ、諸説を紹介するならその後」というのに尽きますね。ただ、これってそのやり口にフィクションの問題と通じるものがあって、俗に言う「他人のふんどしで相撲を取る」なんですよ。古典や名作、人気作に、無理矢理黒人設定をねじ込んでフリーライドしている。それが今回、史実に対してだったから盛大に自爆したわけだけど、多分それも分かってない。そして批判に対して「差別だ」と反論にもならない反論しかできない。あまりにも理論武装が貧弱。おそらく自分たちが正義だと思ってるからだろうけど。
 要するに、既存の作品を使わずに新しい「神話」を紡ぎだせば、誰も文句は言わないんだけど、なぜかそれが分からんのですよ、あの人たち。黒人女王の話が見たければ、実在の女王を取り上げればいい。ぶんか社の人、翻訳して「ジンガ女王」(佐々木彩乃)の原稿、送ってやればいいのに(笑)。

>蔦屋重三郎
 え〜〜っ、蔦重って田沼時代から寛政改革期の人では?(汗) 化政期のは二代目? 店自体は明治時代まで続いてたみたいだけど。となると、田沼意次が善玉、松平定信が悪玉? 虚実を織り交ぜて蘭学者らとの関係を描いたりして……。あれ? これって「天下御免」と『風雲児たち』を混ぜたような話になっちゃわない?(笑)



#11336 
バラージ 2023/05/03 23:13
僕も

 蔦屋重三郎は大学時代に観た映画『写楽』で初めて知りました。へぇー、こんな人いたんだと思いましたね。今回改めて調べてみると蔦屋は48歳の若さで死んでいるらしく、実はフランキー堺(当時60代半ば)では歳を取りすぎだったんですね。フランキーが故川島雄三監督と約束した30年越しの企画だっただけに、ようやく実現できた時には歳を取りすぎちゃってたってことなんでしょう。化政文化の芸術家連中の版元ってことで他の芸術家映画にも登場してるようで、『歌麿をめぐる五人の女』『歌麿 夢と知りせば』『北斎漫画』といった映画にも出てくるらしく、最近では一昨年公開された映画『HOKUSAI』で阿部寛が演じていたとのこと。今回は横浜流星ってことで、吉沢亮の渋沢栄一同様にえらくイケメンになっちゃったな(笑)。
 文化文政時代も大河では空白期間だったんですが、この辺りは政治家を主人公にしても政策話ばっかりになって今一つ面白くなさそうだっただけに、なるほどね、こういう方向性で来ましたかという感じ。その辺は来年の藤原道長じゃ今一つ面白くなりそうにないから紫式部ってのといっしょで。ただ、どっちも基ネタの量が少ない(紫式部なんかは『紫式部日記』ぐらいしかなさそう)だけに、大量にフィクションをぶちこむことになるんではないでしょうか。そうなってくるとやっぱりNHK時代劇、もしくは朝ドラに近いテイストになりそうな気もします。予算的には紫式部のほうは新たにセットや衣装を作らなければならなそうだからそこそこ予算もいるでしょうが(それ以前のNHK平安ものだと稲垣吾郎版『陰陽師』あたりまでさかのぼることに。鎌倉以降の公家でも代用できるだろうけど、『13人』の朝廷側はほんとショボかったからなぁ)、文化文政期でしかも町人層なら普通の時代劇からいくらでも流用できそう。まぁ、それだけNHKも予算が厳しくなってるのかも。それと人気の戦国・幕末もやり尽くして、大河もさすがにネタ枯れになってきたかなと思ったりもしますね。あ、ちなみに『どう家』は僕はちょっと前にもう脱落しております。


>録画で観た歴史映画
『アレキサンダー』
 オリバー・ストーン監督の映画は90年代半ばくらいまでは熱心に観てたんですが、『天と地』『ニクソン』が明らかに失敗作だったのと、その後の作品が社会派要素のない純粋なサスペンス(『Uターン』)やアメフト(『エニイ・ギブン・サンデー』)などあまり興味のないジャンルだったこともあり、21世紀に入ったあたりからは徐々に興味を失って観なくなってしまいました。この映画もその頃の1本です。その後、久々に観たストーン監督作が『ウォール街』の20年以上ぶりの続編『ウォール・ストリート』で、次の『スノーデン』も劇場では見逃したもののテレビ放送を録画して観たことから、他の作品も落穂拾い的に観ていくかなと思い直して、『ブッシュ』『ワールド・トレード・センター』もDVDやテレビ録画で観賞。そしてこの映画もテレビ放送されたんで今回初観賞と相成りました。
 今回観終わってから調べて初めて知ったんですが、この映画、評判が悪かったんですね。でも僕はそんなに悪くないと思いました。むしろ結構面白かったです。まあ傑作というほどではないけれど、よくできた佳作と言っていいんではないかなあ。個人的には『始皇帝暗殺』よりは上で、『ブレイブハート』と同じくらいには面白かったかなと。
 アレキサンダー大王については通りいっぺんにしか知らなかったけど、映画はいかにもオリバー・ストーンという感じ。親(特に父親)との確執という筋立ては『プラトーン』や『ウォール街』の頃からストーンが好んで取り上げていたもので、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』や『ブッシュ』なんかでも重要な要素を占めてましたし、連戦連勝で先へ先へと進み自らの理想を推し進めていくことでかえって孤独になっていくという主人公の姿も印象深い。映像のスケールの大きさも特筆もので、もちろんCGも使ってるんだろうけど、いやはや凄まじい規模だなと圧倒されました。またもう1つ特筆すべきこととしては、移動の距離感というものが上手く表現されていたところ。マケドニアからペルシア、さらには険しい山脈を越えてインドへと、場所を移動するごとに移り変わる過酷な自然の風景を映し出すことによって、アレキサンダーとその軍団ってほんとにすげえ遠いところまで行った(来た)んだなあと感じさせてくれます。そりゃあんな遠いところまで連れてこられたら国に帰りたくなるよなと。そういう距離の移動感(や年月の経過感)が適当な映画やドラマって結構あるんですよね。
 戦闘シーンもこれまた凄まじく、ガウガメラの戦いは様式美もわずかに残しつつリアリティー溢れる大規模軍隊のまさに“戦争”を描き、最後のほうのインド戦は明らかにベトナム戦争を意識した凄惨な血みどろの戦いで泥沼な地獄の戦場を描き出してました。象さん軍団は間違いなくCGが含まれてるでしょうが、あんなのと戦うなんてとんでもない恐怖だよなと、古代であっても現代と何ら変わりのない「戦場の恐怖と狂気」を見せて、戦争なんて栄光だの名誉ではなく実態はあんなもんだよと感じさせてくれる作家はそうはいないでしょう。その辺はいかにもベトナムの戦場を経験したストーンならではといったところ。前記の故郷から遠いところでの戦争に連れてこられ、国に帰りたいってのもベトナム戦争に通じるところがあります。
 役者陣では主演のコリン・ファレルって、『ドアーズ』でジム・モリソンを演じた頃のヴァル・キルマーになんとなく似てるなと観てる間ずっと思ってたら、父親のフィリッポス2世を演じてたのがちょうどヴァル・キルマーだった(笑)。観てる間は全然わかりませんでしたが、意識してキャスティングしたんだろうか?
 まあ、とにかく久々に観た西洋古代史劇映画として満足させていただきました。



#11335 
2023/04/30 21:22
再来年の大河はツタヤ協賛?

>再来年の大河
 そろそろ公表かな、と思っていたら公表されましたね。来年の紫式部にも驚きましたが、再来年は蔦屋重三郎ときたんでさらに驚き。まぁ「またか」というネタが続いてウンザリしてた時期もありますから、こういう傾向自体は歓迎。視聴率的には難しそうだなぁとは思いますが。

 武将とか政治家ばっかりでなく、芸術家とか主役の大河があってもいいじゃん、とは以前から言ってたんですが、「蔦重」はそういう芸術家たちを売り出す出版社の社長あるいは編集者あるいはプロデューサーですよね。ここは意表を突かれましたが、うまくやればなかなか面白くなるかも。

 蔦重といえば、映画「写楽」(ツタヤ協賛)の実質的主役のようなポジションでフランキー堺が演じていたのが印象深い(そもそもこの映画の企画自体がフランキーさんによるもの)。僕はこの映画で初めて彼を知ったのですが、写楽、歌麿、北斎、一九、馬琴、京伝などなどみんな彼のところに出入りしててビックリしたもので、その意味でも彼を主役にするというのは面白い観点だと。風紀取り締まりで手鎖刑など弾圧も受けてるから今日的観点からも興味深い展開は描けそうです。

 しかしまぁ、確かに来年と再来年の大河は合戦シーンはないから予算的には楽(?)かも。文化文政期の江戸時代というのも大河では初めてと思いますし、スペクタクルな場面いっさいなしというのもたまにはいいかと。


>新・オスマン帝国外伝
 これねぇ、放送開始前日に確認しましたよ。まだ「前作」だって見終えてない(あと90話くらいか)のに放送始まっちゃって、録画溜め中。HDDレコーダーの残量との戦いが再開され、いろいろ毎日のように見ては消していかなきゃならくて。
 しかし邦題のほう、前作も「外伝」なんてとんでもないスレイマン治世一代記でしたからそこはなんとかなんなかったかなぁ。



#11334 
バラージ 2023/04/27 22:05
2年連続で文化人大河

 再来年(2025年)のNHK大河ドラマが横浜流星主演で蔦谷重三郎が主人公の『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜』と発表されました。いやまた来年の紫式部に続けて大河では初めての時代を舞台とした映像作品としてはややマイナーな題材を持ってきましたねえ。脚本は今年、男女逆転『大奥』が大河をしのぐ話題となっている森下佳子とのことなんだけど、以前『おんな城主 直虎』の脚本もやってたのか。それにしてもこの時代で文化人主人公だと史劇というよりNHK時代劇っぽくなっちゃいそう。まあ予算はかからんでしょうが。


>続報
 僕もその後に気付いたんですが、ろんたさんの仰る通り中央日報以外にも複数のメディアが報じた黒人クレオパトラの記事の邦訳がネットに上がってるようですね。それらの記事を読むと若干ニュアンスの違いがあり、ザヒ・ハワスが「クレオパトラは金髪女性だった」と言ったと記しているメディアは中央日報以外にはありません。おそらくアラビア語→英語→韓国語→日本語と何重にも翻訳を繰り返した過程で誤訳が生じた可能性が高いようです。中央日報の記事はタイトルから「「金髪クレオパトラがなぜ黒人に?」 Netflixのドキュメンタリーに歴史歪曲論争」と「金髪」の言葉が入っており、韓国語に翻訳された時に誤訳が生じたのではないかと思われます。
 BBCの記事も出ており(「アフリカ系演じるクレオパトラにエジプトから批判の声 米ネットフリックスのドラマ」)、そちらでは「これは完全なフェイクだ。クレオパトラはギリシャ人だった。つまり黒人ではなく、明るい肌の色だった」となっています。またジェイダ・ピンケット・スミスの発言は、「黒人の女王の物語を見たり聞いたりすることはあまりないので、私にとっても、娘にとっても、そして私のコミュニティーにとっても、こうした物語を知ることは本当に重要だった。そういう話はごまんとあるのだから!」となっており、ピンケット・スミスについては英語だけにこちらのほうがより正確だと思われます。
 それにしても同記事にある、エジプトの弁護士がネットフリックスのサービスをエジプトで遮断するのに「必要な法的措置」を取るよう検察当局に申し立てたってのは、いくらなんでもやりすぎの気が。ネットフリックスが「アフリカ系中心の考え方を広めようとしている。(中略)そこにはエジプト人のアイデンティティーをゆがめ、消すためのスローガンや文章が含まれている」と語ったらしいけど、さすがにネットフリックスはそこまで考えてないでしょう。反外国感情の行き過ぎのように思いますね。
 ARAB NEWS JAPANのザヒ・ハワスによる詳細な批判の寄稿も読みましたが、基本的にはもちろんまっとうな批判ではあるものの、「アフリカの古代人は、(エジプトのファラオ文明と=筆者注)同じようにナイル川の恵みと、より良い気候に恵まれていたものの、何も残さなかった。」というあたりはやや反発を呼びそうな発言な気も。なんとなくこの辺りは北部のアラブ・アフリカと中南部のブラック・アフリカの感情的対立に起因してるような気がしないでもありません。また皮肉なのか真面目になのかわかりにくいんですが、「私はピンケット・スミスに、その業績と物語が十分に劇的で、それを伝えるのに政治的な動機による装飾を必要としない女性について教える機会があれば幸いに思う。」というのもどうも。ピンケット・スミスにとって重要なのはBBCの記事にもあるようにあくまで「黒人の女王の物語」だったはずで、黒人女性でなければ意味も関心もなかったはず。
 一方でVOGUEでは同作の監督でペルシャ人としてイランで生まれたイギリス系米国人のティナ・ガラヴィによるコメントが掲載されています(「「アフリカン・クイーンズ: クレオパトラ」監督、黒人俳優起用への反発にコメント」)。ただ、こちらの反論では問題提起と議論がすれ違っている感じで、あまり有効な反論になっていません。
 1番冷静な視点から慎重に各方面に配慮しつつ書かれたように感じられる説得力のある記事はARAB NEWS JAPANの編集長ファイサル・J・アッバスによるコラム記事ですかね(「クレオパトラ女王はリトル・マーメイドとは違う」)。アッバスの言う通り、この作品の問題点はドキュメンタリードラマとして作られてることでしょう。あくまでフィクション作品ならイエス・キリストがジーンズを履いてロック・ミュージックを歌っても問題ありませんが、ドキュドラマでは非常に問題があるということになります。

>未見歴史映画
『SOS北極… 赤いテント』……1969年のソ連・イタリア合作映画。DVD邦題は『SOS北極 レッド・テント』。イタリアの飛行技術者ノビレとノルウェーの極地探検家アムンセンが1926年に初の飛行機による北極点通過を成功させた後に仲違いしたところから、1928年にノビレが2度目の飛行機による北極点通過を目指しながら遭難し、救助に向かったアムンセンも遭難した事件を描いた70oの大作。実際に北極ロケを敢行したとのこと。ノビレ役はピーター・フィンチ、アムンセン役はショーン・コネリー。ソ連版と国際版があるとのことで、日本で公開およびDVD化されたのはソ連版だそうです。



#11333 
ろんた 2023/04/26 20:25
クレオパトラの肌の色2

 ザヒ・ハワス氏の批判が日本語で読めるようになってました(「クレオパトラは黒人ではなかった ─ ここにその事実を示す」ARAB NEWS JAPAN)。黒人でない証拠は、これまでに発見されたありとあらゆる彫像、顔と名前が刻印された硬貨、絵画。そして、黒人であるという証拠は何一つない。最後のパラグラフが強烈。

Netflixがこの新シリーズを純粋なドラマではなく、ドキュメンタリードラマに分類したのは残念なことだ。なぜなら、古代エジプトについて知っている人なら、誰一人としてこの作品を真剣に見ることはできないからだ。

 あと、わたしのクレオパトラ観が塩野七生史観に毒されていた(?)みたいで反省(汗)。

>「犬神家の一族」前半
 このドラマ、全部大竹しのぶに持ってかれちゃってるなぁ。ああ、やはり事件の発生は昭和22年ということになっているみたい。奉納手形に昭和18年とあって、出征から4年間ってセリフがあったから。でも、佐兵衛翁の死が08/01ってことになってるんで、そうなると旧民法と新民法の経過措置期間中で……。ええ〜〜っ、素直にドラマを楽しもうと思います(汗)。

>バラージさん
 上の記事には「金髪」の話はありませんでした。要約者のキーボードが滑ったんだろうか? で、実写版「リトル・マーメイド」(やっぱディズニー制作?)。六人のお姉さんの設定が流れてきたけど、人種が様々。つまりお父さん、七つの海に愛人がいたらしい(笑)。それともウルトラ兄弟みたいに血の繋がりはないのだろうか? 「人魚に人種があるのかよ!」という野暮なツッコミは無しにしますが、これならアリエルは赤毛のままで、お姉さんを一人一人ピックアップして第七部まで作った方がおいしかったんじゃなかろうか。ディズニー、ビッグビジネスを逃したな(笑)。

 市川版「犬神家」の坂口良子さんだと、わたしは
「食べなさい、食べなさい」
「食べてる暇がありません!」
かなぁ。(記憶で書いてるんで言い回しとか違ってるかも) 「三毛猫ホームズ」シリーズ(石立鉄男版)も良かったけど。



#11332 
バラージ 2023/04/21 22:12
ナディア・コマネチは北野ブルーの夢を見るか?(特に意味はない)

 北野武(ビートたけし)監督の映画だと僕は『その男、凶暴につき』『3―4X10月』をテレビで、『ソナチネ』『キッズ・リターン』『HANA-BI』を映画館で、『座頭市』をまたテレビで観ました。テレビで観た3作はテレビでたまたまやってたのを観始めたやつで、最初から観たのかは覚えていませんが最後までは観ましたね。特に面白かったのは『キッズ・リターン』かな。
 『首』は配役を見ると、秀吉を演じるたけし本人だけがえらく年寄りで、年齢バランスがおかしいように感じたんですが、最初は監督だけやるつもりがスタッフからやっぱ出なきゃまずいだろと言われて出ることになったとのことで、たけし本人も「なんでこんなじじいが秀吉をやるんだと年齢関係が全然なのですが」と笑いを交えて言ってたようですね。まあ年齢設定で言ったら『LEGEND & BUTTERFLY』(結局見逃した)でも宮沢氷魚が明智光秀という異様に若い配役だったみたいだしなあ。そういやたけしは昔、晩年の墜ちていく秀吉を演じてみたいと言ってた記憶があります。他に配役でちょっと面白かったのは弥助役の副島淳。副島くん、『世界ふしぎ発見』でも弥助のコスプレしてたことがあったんだよな。
 NHK大河ドラマでも確かに登場人物みんなワルみたいな作品もたま〜にありますが、テレビということもあって北野映画に比べればかなりマイルドと言ってよく、たけし監督にしてみれば生ぬるいってことなのかもしれません。すでに公式サイトがあり、そこに載っているあらすじを読むと、なるほどこれは大河じゃ出来なさそう。秀吉黒幕説どころではなく、かなり大胆なフィクションをぶちこんだ史実なんて蹴っ飛ばせ系のストーリーですね。大河は一応大枠では史実に沿った展開となるので、さすがにここまでぶっ飛んだものにはなりにくい。ここまでぶっ飛んだのっていうと『花の乱』くらいか? あとはドラマというより原作からですが、『樅の木は残った』とか。まぁ三英傑関連は山ほど作られてるんで、これくらいのフィクション満載作があってもいいでしょう。
 ただ北野監督、映画自体は面白いことは面白いんだけれども、黒澤やジョン・ウーなんかといっしょで女性を描くのはあんまり得意じゃない気がするんだよなあ。観た映画でも女性はあんまり印象に残ってないし、『首』も発表されたキャストに女性が一切いない。そこが個人的趣味からはちょっと外れてるんですよね。


>クレオパトラ
 エルフや人魚姫なら黒人にしてもかまいませんが(むしろエルフなんかは、『指輪物語』ではないんだけど、ダークエルフ=悪エルフを肌の黒いエルフにしちゃうのは問題では?と昔から思ってた)、実在の人物であるクレオパトラを、ましてやドラマではなくドキュメンタリーで黒人にしちゃうのは問題ですよね。なんつーかジェイダ・ピンケット・スミスの言ってることって昔のネイション・オブ・イスラム(ブラック・ムスリム)の主張そのまんまのような。旦那がこないだ問題起こしたばっかりだっていうのになあ。
 ただ一方でエジプト観光・考古省元長官の「クレオパトラは金髪女性だった」ってのも??? 白人だったのは確かとしても、金髪だったというのは何か根拠でもあるんでしょうか? 現代のギリシャ人も金髪ではなく黒髪の人のほうが圧倒的に多いような気がするんですが? もっと北のセルビアとかラテン系のイタリアやスペインなんかも金髪は少なく、フランスなんかも金髪よりはブルネットなんかのほうが多い気がするんだけどなあ。ロシア人やドイツ・北欧なんかは金髪が多数派のイメージですが。
 あと、このニュースを伝えてるのが韓国メディアってのもちょい不思議。欧米メディアでも伝えてるのかもしれないけど、邦訳版はないんだよな。
 そういや全く関係ないけど、70年代のブラックスプロイテーション映画に『ダイナマイト諜報機関 クレオパトラ危機突破』という作品がありました。原題が『Cleopatra Jones(クレオパトラ・ジョーンズ)』で、それが女性主人公の名前。主演はタマラ・ドブソン。現代アクションもので歴史とは全く関係ないんだけれども、ただなんとなく思い出したんで(笑)。ちなみに僕は未見です。

>『犬神家の一族』
 市川崑監督の1976年版映画しか観ていません(原作も未読)。やっぱり子供の頃にテレビで観たあのビジュアルは強烈でした。石坂浩二が坂口良子の作った朝食で1番美味しかったのは生卵と言って、坂口良子がプッとふくれるところが面白かった記憶あり。



#11331 
ろんた 2023/04/20 00:00
クレオパトラの肌の色は?

 なんだかNetflixで配信予定のドキュメンタリー「クイーン・クレオパトラ」で、クレオパトラがアフリカ系ということになっていて大騒ぎに。まあ、かねてから「ロード・オブ・ザ・リング」の新作でエルフを黒人にして騒ぎになったり、ユニバーサルが実写化する「リトル・マーメイド」で主人公アリエルを黒人にして騒ぎになったりしてたわけですが、今回は「ドキュメンタリー」なんで歴史歪曲などと言われたりしている。
 一応、BBCが2009年に制作した「Cleopatra: Portrait of a Killer」で取り上げた説が根拠らしい。トルコのエフェソス遺跡の墓地からクレオパトラの妹アルシノエの骨が発見され、オーストリア科学アカデミーのヒルケ・テュアー博士らが最先端の顔面復元技術などを駆使して人骨を分析、アルシノエの母親がアフリカ人だと判明したというんだけど、シロ−トが考えても、その骨がクレオパトラの妹だと確定できるのか疑問。文字史料でも出て来たんだろうか。「最先端の顔面復元技術などを駆使して」ってのもなんか怪しい(笑)。
 よく知られているようにプトレマイオス朝はヘレニズム国家でギリシャ系。しかも近親婚を繰り返していたから、アフリカ系が入り込む余地がない。側室の子が王ないし王妃になることはあっても、その親は有力者のはずで、それがアフリカ系というのはいかがなものか。どうも「諸説あります」の「諸説」っぽい。
 しかしプロデューサーのジェイダ・ピンケット・スミスは「私たちは黒人女王に対する話を見聞きすることができない。だが、世の中には多くの黒人女王がいた」と主張していて、「こんな説もありますよ」という紹介程度の話じゃなく、「こっちが正解!」というスタンスらしい。そして当然ながら、これにギリシャとエジプトが激怒。エジプト観光・考古省元長官ザヒ・ハワスは「『クイーン・クレオパトラ』は完全にでたらめだ。フィロパトル(クレオパトラ)は黒人女性ではなく金髪女性だった。最近になって米国と南米の黒人が『エジプト文明は黒人から始まった』という主張をしている」と言っている。これってポリコレが言う「文化盗用」ってことじゃなかろうか。
 どうせなら、実在がはっきりしているコンゴ女王ンジンガ・ムバンデを取り上げれば良かったのに。クレオパトラより百倍かっこいいぞ。

>「新・オスマン帝国外伝 〜影の女帝キョセム〜 シーズン1」
「オスマン帝国外伝 シーズン4」のBS日テレでの放送が終わりましたけど、翌日からこれ(↑)が始まります。「史実をベースに『オスマン帝国で最も強力な女性』と評された影の女帝キョセムの盛衰をドラマティックに描いたジェットコースタードラマシリーズ!」とのことで、全84話らしい。シーズン2もあり、同じく84話。チャンネル銀河で放送済み。

>北野武「首」
 最近は「本能寺の変」って聞いただけでお腹いっぱい。(『国盗り物語』読んで寝よ)って気持ちになってしまいます。原作(北野武)や映画の紹介を読むと……信長の頭がおかしくなって、光秀も秀吉も、もうついていけない、死んでくれないかな、いっそ殺しちゃおうか、と思い始める。信長の信頼厚いがゆえに悶々とする光秀。だが秀吉は光秀に殺させてうまく立ち回ろうと動き始める。そんな中、家康殺害計画を信長から打ち明けられる光秀。本能寺の茶会におびき寄せるというのだが、光秀は千載一遇の機会だと気づく。その背後に秀吉の陰謀が……という感じか。なんだかゴチャゴチャしているかも。あと「構想三十年」「黒澤明絶賛」とか聞くと、嫌な予感しかしない(笑)。まぁ、たけし監督のブランド力で海外(特にヨーロッパ)には売れると思うけど。

>集英社『学習漫画 日本の歴史』
 思えば、逸話というか小ネタというかは、大体このシリーズで知ったような気がします。そういうところが漫画的表現と親和性があったというか。為朝の矢で三人串刺しになって吹っ飛ぶとか(笑)。「鉢の木」とかもこれで知ったなぁ。ただこのシリーズ、各巻で視点が違ってるというか、前巻で北条氏偉い的なこと描いてるのに、南北朝編になったらアホな高時のせいで滅びました、になったり、南北朝を合一した立派な義満が、次では傲岸不遜になってたり、通して読むと戸惑うことがありました。
 あと、今では考えられませんけど、当時(1967年)は日本の歴史を漫画で扱うことに、「とんでもない、歴史を茶化すのもはなはだしい」との声もあがったとか。(最新版『学習まんが 日本の歴史』が実は”社会人の勉強”に最適すぎた) そして、創業90周年企画で描かれた現行版の表紙カバーがぶっ飛びすぎてる。



#11330 
徹夜城(北野映画は「座頭市」しか見てない管理人) 2023/04/17 11:07
北野武監督で本能寺

 先日、いきなり「完成記者会見」で発表されましたが、北野武監督の新作がなんと歴史もの。本能寺の変をテーマにした「首」という作品で、西島秀俊の光秀、加瀬亮の信長、たけしの秀吉といった顔ぶれでやるそうで。記者会見の発言からすると本能寺の変は秀吉黒幕説の方向なのかな。
 記者会見でたけし監督、「NHKの大河ではやらないような」みんなワルの裏切り、謀略満載の作品、としてましたけど、昨年の「鎌倉殿」がそうでしたし、「太平記」ほかドロドロの作品はそこそこあるわけで…定番の信長秀吉家康を扱うものではスイーツなものも目立ったかもしれませんがね。

 出演者の発言を聞く限りでも「みんなワル」「男だらけの愛憎劇」といった内容のようで、歴史ものといっても「アウトレイジ」な感じなのかも。と書きつつ「アウトレイジ」は未見でして。


>ろんたさん
 僕もあの集英社版の漫画日本の歴史で歴史基礎教養を得たクチです。小学校や私立の図書館にバラバラでおいてありましてね。戦国時代ネタはたいていあれで覚えた気がしてますが、あとから考えると史実性より講談的通俗説が多かったような。
 「マンガで南北朝!」でも触れてますが、南北朝時代のくだりではこっちが詳しいせいもあるんでしょうがいろいろと間違いが多い。特に観応の擾乱で尊氏と直義があっさり仲直りして一緒に南朝に反撃するという展開は謎。



#11329 
ろんた 2023/04/16 23:35
ドラマ「犬神家の一族」放送間近

 NHK-BSPで2023/04/22,29に1時間半ずつ3時間放送。たっぷり時間があるということで、兵隊服の男をスキーで追っかける金田一が見られるかな? これまで映像化されたことはないんだけど。ちなみに金田一は洋行帰りなんでスキーもゴルフも得意。あと、湖面から足がにょっきりなキービジュアルは、初めて原作通りになっている。現場に行ったら湖面が凍結してたんで、撮影班一同驚愕。
 一応、歴史ネタをぶち込むと、事件はいつ起こったのか問題があります。原作では昭和2X年とぼかしているけど、色んな設定からすると昭和24年なのは確実。でも市川崑は昭和22年に変更し、これを踏襲するドラマが多い。どうしてかといえば、新憲法や新民法が施行されているとマズイから。遺言状の効力が限定的になって、遺留分が認められたり、遺言状の無効が申し立てできたりするんで、遺産相続をめぐる殺人事件が起こりにくい(笑)。ただ旧民法下だと、野々宮珠世が犯人に命を狙われる意味が分からない。遺言状には珠世が死んだら、孫(男子)三人に1/5ずつ、息子(青沼静馬)に2/5を分けることになってて、犯人はそれを知っているはずなのに。ただ新民法下だと、遺言状の無効に反対しそうな珠世を殺しちゃうというのはアリかな。
 あと、かねてから疑問に思ってるんですが、どうして佐清はビルマ戦線なんてやばいところに連れてかれちゃったんでしょう? 犬神佐兵衛は信州財界を牛耳ってるんだから、軍部と太い太いパイプがあるに違いない。ならば可愛い孫の三人ぐらい、内地のお気楽な任地にねじ込むぐらい訳ないと思うんだけど。実際、佐武と佐智は早くに復員していて、兵隊時代は苦労してないみたい。ひょっとして、佐兵衛翁は珠世を狙っていて、珠世とラブラブな佐清を戦死させようとしてたんじゃないか──とドロドロなことを考えてしまうのでありました。
 それから現代史でいうと、この後GHQが乗り込んできて犬神財閥は解体されちゃいますね。犬神家、大変だなぁ。

>『逃げ上手の若君』
 うっかりしてましたけど、6巻を見直すと将来の盟友ということで諏訪頼継が出て来たり、三十三間堂の端から端まで矢を射通したという北畠顕家の噂が出てます。当然、中先代の乱以後の伏線でしょうから、少なくとも作者は描くつもりじゃないでしょうか。あと、マンガは鎧や刀剣などは3Dモデルを外注しているらしいので、アニメも何とかなるでしょう。デジタル、バンサイ!
 そして『新九郎、奔る(13)』を読んでたら(マンガばっかり読んでるな)、新九郎の嫁になるぬいの実家が小笠原。つまりあの目玉の子孫。そしてもちろん、関東編には上杉も長尾も出てくるわけで、歴史は続いているのだなぁ、と変な感慨にふけったりして。でも、ゆうき先生も言ってたけど、"関東管領・扇谷定正"(<「新八犬伝」)は実在しないのでありました(笑)。

>『ゲームの歴史』
 3巻まで出てますね。確認しました。(orz) う〜〜む、人のこと「思いつきや思い込みから出発してる」とか言って、自分が確認を怠るとは……。まぁ、心に棚を作ることにします(汗)。
 で、わたしの岩崎夏海体験は幸いにして(?)、漫画アクションの記事(4段組で3ページ)だけなんですが、『ゲームの歴史』の内容については(そうだろうなぁ〜)と納得するばかり。あの記事も同じ構造で、独断から始まって、「ぼくのかんがえたさいきょうのけいえいがく」みたいなものに当てはめていくんだけど、眉に唾つけないと読めないんですよ。
 それにしても「関係者の主観が入ると正確にならない」はすごいなぁ。歴史という以前に、ノンフィクションとかルポルタージュとかについて何も知らない、としか言いようがないですね。だからこそ、できるだけ多くの証言を集めなきゃならないのに。
 あと、絶版回収は仕方がないと思います。自分の知ってる範囲で、ということで間違いを指摘しているブログがあったんですが、1ページに何個という頻度で間違いが出て来て、まだ1巻分も終わってないのに、そのブログ、10ページ以上になっちゃってるんですよ。このレベルになると、さすがに出版し続けるわけにはイカンでしょう。あと、こうしたサブカル系の話は、うっかり読んだ人が本気にして偽史ができちゃう可能性もあるし。編集者がナントカできなかったのか、という声もあったやに聞いてますが、いや、著者より詳しい編集者なんていないだろ(笑)。
 で、集英社の『学習漫画日本の歴史』がなんですって? (<実はあの本で日本史の基礎教養を得た(笑))

>「幻之介世直し帖」
 う〜ん、12話以降、派手な衣装で斬りまくってますね。桃太郎っぽくなってる。むしろ、サポートメンバー全員が仮面の義賊"はやぶさ"で、最後にアキラが出て来て悪を斬るって方が受け入れられやすかったんじゃないかな。いっそ、赤いギターを持たせればよかったかも(笑) あと、松井一代さんが出ていて、ちょっと笑ってしまいました。

>バラージさん
 ジャンプはたいぶホワイト(?)になってきたんじゃないですかね。『鬼滅の刃』とか、あと二、三年続けるんじゃないかと思ってたら、作者の構想通りに終わらせてるし。『花の慶次』は好評のうちに終了した印象ですが、その後の『影武者徳川家康』は打ち切りでしたね。月刊の方で『SAKON』という、島左近を主人公にアレンジしてリメイクしましたけど。あとジャンプの歴史物というと『るろ劔』? こっちも夏アニメになるみたい。で、『逃げ若』。時行は雌伏と蜂起を繰り返すのでけっこう引き延ばしに対応できるかも(笑)。その雌伏の間に人気が落ちなければ、ですけど。多分、黒曜石の鏃を使うのが伏線になっていて、最大延伸は尊氏討伐でしょう。四半世紀ぐらい先だけど。



#11328 
バラージ 2023/04/15 12:36
ジャンプ漫画の終わり方

 『逃げ上手の若君』、僕は初回だけ読んだ後すっかり忘れちゃってましたが(ジャンプはとっくの昔に卒業したし、最近はめっきりマンガを読まなくなってしまった)、そんな人気作になってたんですねえ。アニメ化までされちゃうとは。
 今はどうだか知らないけど、僕が読んでた頃(80〜90年代)の週刊少年ジャンプは人気がある限り連載を続けさせ、人気が無くなったら(もしくは最初から無かったら)即打ち切りという、アンケート至上主義と言われるシステムでした。『逃げ上手』開始当初は当然ながらもっぱら後者の打ち切りの心配ばかりでしたが、それだけ人気になってくると前者──人気がある限り連載を続けさせられるというほうの心配が。というのも歴史ものというか実話ものって架空の物語と違って終わりがある程度決まってるんで、ジャンプの人気至上主義では終わらせ方が難しいんですよね。今までのジャンプ歴史マンガはだいたい人気低迷で打ち切りのパターンだったんで、そっちの心配ばっかりで逆の心配はしたことなかったけど(ある程度続いたのは『花の慶次』ぐらいか? これも終盤はかなり人気落ちてたみたいだけど。てか終盤読んでなかったんでちゃんと終われたのかもよくわからん)、大人気なら本来北条時行が退場すべきところまで話が行っても終わらせてもらえない可能性も。『ドラゴンボール』なんて延々終わらせてもらえなかったもんなあ。『逃げ上手』も途中から物語が異様にスローペースになっちゃったり、何らかの方法で室町・戦国・安土桃山・江戸・明治と延々話が続いちゃったりして(笑)。ま、そこまで人気が続くかわからんし、余計な心配という気もしますが。

>岩崎夏海氏
 件のニュースはちらっと読んだんですが、『ゲームの歴史』は読んでないし、そもそもそこまで関心は……といったところ。ただ岩崎夏海って名前は聞いたことあって、『もしドラ』(=もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)の作者ですよね? まぁ、そっちも読んでないんだけど、実写映画だけはDVDで観ました。
 岩崎氏は峯岸みなみをモデルに主人公を描いたらしいんだけど、映画では諸事情で主人公は前田敦子に。峯岸さんは後輩役を演じてますが、こちらのモデルは渡辺麻友だったらしい。確かに映画を観ると主人公のキャラクターは前田あっちゃんよりも峯岸みぃちゃんに合ってたように感じたし、後輩もやはりみぃちゃんよりまゆゆのイメージでした。でもまぁ、あっちゃんが主演になるのは仕方がない。ただそれよりも問題なのはストーリーがあまりに都合よく調子良すぎるというか、そんな上手くいくかよって思っちゃうところ。って歴史全然関係ねーな(笑)。

>『信虎』追記
 映画公開にあたっては著名人から推薦コメントが寄せられ公式サイトにも掲載されることが多々ありますが、『信虎』公式サイトにも当然ながら推薦コメントが掲載されてます。コメントを寄せてるのは、三谷幸喜、手塚眞、宇田川幸洋、小和田哲男、伊東潤、平山優、笠谷和比古といった面々で、宮下玄覇氏は古美術鑑定家・茶道研究家・歴史研究家として美術考証や時代考証の仕事をしてるそうですからいろいろと付き合いがあって断りきれなかったんでしょう(手塚氏・宇田川氏あたりは金子修介監督に頼まれたのかも)。ちょっと変わってるのは映画関係者が3人(三谷、手塚、宇田川)なのに対して、歴史関係者が4人(小和田、伊東、平山、笠谷)もいること。平山氏は近年武田家研究で活躍されてる歴史学者ですが、『信虎』の武田家考証・字幕・ナレーション協力も担当しています。映画に直接関わっている人が推薦コメントするのもどうなんだという気もしますが、ま、あの映画を褒めるのは大変そうだけど皆がんばって褒めておりました(笑)。



#11327 
巨炎 2023/04/13 13:11
来週から

BS松竹の必殺枠は「仕掛人」がスタート!万歳〜。
BS朝日の枠は「うらごろし」を一回やった以外は非主水系ばかりで
昨年の50周年でも放映しなかたのが感激モノ。

>「幻之介世直し帖」
「変身忍者嵐」などの特撮ヒーロー時代劇じみて浮いていたため後半に入り普通に戦うようになりましたな。
(あと、戦闘キャラが主役一人なのにサポートキャラが多すぎる)
「桃太郎侍」は能面と決め台詞による立ち回りが馬鹿ウケして長寿番組化したのとは対照的。



#11326 
徹夜城(逃げ若はまだ二巻までしか読んでない管理人) 2023/04/11 21:53
逃げ若とかゲーム史とか

>逃げ上手の若君
 いやいや、実のところ、連載発表意時はびっくりして期待はしつつも「いつまでもつかな」「よく編集者が通したな」と思ったりしておりましたが、さすがは「暗殺教室」の作者、しっかりジャンプにおける人気作に仕立て上げ、とうとうアニメ化という運びに。南北朝マニアとしては、これまで数々の討ち死に企画を見てきただけに大いに喜んでいるところです。最近当サイトの南北朝列伝にも微妙に来客が増えてますしね(もっとも「逃げ若の登場人物と同姓同名の人を探ってしまってるような)。

 「逃げ若」そのものについては一段落するまで待とうかなという気もあり、単行本の二巻までしかチェックしてません。そこまででもどういう方向でやろうとしてるかは若r多様な気もしました。
 同時代を扱った少年漫画としては「山賊王」という成功前例はあるわけで、「逃げ若」にもいくつか共通した「少年漫画的ギミック」を見出せます。青年誌だとそのへんの「遊び」度合が難しいようで討ち死にが相次いでる感じです。

 アニメで南北朝というのは、素人的には作画が大変なのでは、とか思っちゃうのですが…たしかに中先代の乱あたりまでになるかな。いま連載のほうがその辺らしいですね。


>「ゲームの歴史」騒動
 実は僕、市内の図書館にあったんで三巻まで読んでます。だからひとまず予定通り刊行はされたはず。僕自身は二巻までまず読んで、もう終わりかなと思ってたら三巻も並んでいた、という感じでした。
 さらっと流して読んだせいもあるのか、そんなに炎上することになるとは予想してませんでした。内容的にはビジネス本よりはずっと児童向きという印象で、そのためにわかりやすく話をまとめてしまってる感じがありましたね。こうすれば成功する、失敗する、という事例を並べているわけですが、僕の感想は「価値観の押し付けっぽい」というところでした。

 歴史本として批判された点は、関係者に取材もせず、歴史学でいう「一次資料」にあたらずに自分の主観でまとめている、というものがありました。著者自身は「関係者の主観が入ると正確にならない」とかいうう趣旨の反論をしてたように思いますが、史学科出の人なんかはそれはダメだろ、と言ってましたね。
 あと、炎上が始まった時点でどなたかが擁護のつもりなのか「学習漫画日本の歴史に間違いがあると難癖つけるようなもの」とか言っちゃって余計に炎上したところもありました。学習漫画にもそりゃピンキリありますが、近年作られてるものは史実考証などかなりしっかりしてるのをご存じないな、と。まぁ大昔の集英社の学習漫画日本の歴史はいろいろ間違いが多かったんですが(その代わり娯楽性は結構高かった)。

 ゲーム史にある程度首を突っ込んでる僕の感想としては、ビジネス本の側面もあるせいなんでしょうが、ゲームそのものの評価より成功失敗で論断しがちなところが気になりましたねぇ。メジャーなところばかりで歴史を追ってて、PCエンジンなんてろくすっぽ触れられてなかったところはPCエンジニアとしては許しがたいと(笑)。

 最後に、炎上したとはいえ回収絶版という対応はどうなんでしょうねぇ。世の中、それこそ間違いだらけの本はいっぱい出てるわけで、騒ぎになったからひっこめますという態度はいかがんばものか、とも。



#11325 
ろんた 2023/04/09 14:17
『逃げ上手の若君』

 アニメ化決定、150万部突破、10巻発売ということで1巻から読み直し。つっ、疲れた……。ストーリーは史実に沿ってはいるものの、キャラが良く言えば濃い、悪く言えば奇人変人大集合(笑)。最初読んだ時驚いたのは、市河助房が実在していたこと。第一巻では名前も出てなくて雑魚キャラっぽかったのに。いや、実際はあんな地獄耳(?)ではなかったと思うけど。あと、関東庇番。実在人物なのは間違いないんだけど、マッドサイエンティストだったり、痛鎧着てたり、バットマン仮面(+ガッツ剣)や馬仮面って元ネタあるの? 国司の乗っていた、移動要塞というか木造人力戦車は割と好きだったけど。
 アニメは放送日が公表されてないんで、多分、放送が一年後、間に半年休止を挟んで二クールって感じだろうから、中先代の乱までですかね。それ以後は原作がどこまで続くか次第だけど。
 原作の展開は、中先代の乱までか、その後も描いて龍ノ口の処刑で終わるのか、それとも……というところだけど、まあ、処刑は風間玄蕃の幻術を使えば何とかなりそうな気がする。その後は足利尊氏の中の人外のものを退治する話になるのか。この人外のもの、鎌倉出陣では姿を見せず、六波羅探題滅亡で高氏の言動がおかしくなっているので、後醍醐天皇に植え付けられた気がするなぁ。時行のことを全然覚えていなかったのも傍証になるかな。その後、どんどん力をつけていて、中先代の乱以後、後醍醐の制御が利かなくなって南北朝時代になっちゃうのかな。最後は、父祖の地、伊豆に移り住んで末裔が後北条氏に嫁ぎ、『新九郎、奔る』につながる……ってのはダメかな。

>『ゲームの歴史』
 関係各所から苦情が殺到。全三巻のはずが、一巻で講談社が販売中止、回収に追い込まれたとのこと。当事者が全員現役バリバリなうえに全然インタビューとかしていなかったらしい。「ああ、大変だなぁ」という感想しかなかったんだけど、著者の一人が岩崎夏海氏ということで色々お察し(汗)。(もう一人はライターらしい) この人、漫画アクションで同誌のヒット漫画を取り上げる記事を書いてたんだけど、ルパン三世はたいしてヒットしてなかった、とか書いちゃってるんですよねぇ。連載が二年しか続いてないって言うんだけど、当時はマンガ連載が十年、二十年も続く時代じゃないのに。(『子連れ狼』で連載期間は五年半) 大体ヒット作でなかったら、連載中にアニメ化の企画が立ち上がるわけないだろ(笑)。(第一シリーズの放送は連載終了後) で、こういう思いつきや思い込みから出発してるんで以後すべてがヨタ記事になっているという「惨状」を目の当たりにしてしまったのです。この調子だと、以後、過去のやらかしがいろいろ発掘されちゃうんじゃないか?



#11324 
バラージ 2023/04/08 23:22
今頃になって鎌倉史訂正

 宮騒動直前の1246年2月から3月に大殿九条頼経が二所詣を行った際に同行したメンバーの中に北条経時・時頼の弟時定がおり、経時らにスパイとして送り込まれたのではないかと推測しましたが、頼経に同行した北条時定は時房の六男(経時の祖父泰時の従弟)である同姓同名の北条時定でした。どうもすいません。同じ時代に同じ名前の人が2人いて紛らわしいんだよなあ。時房六男の時定は頼経の近習で、宮騒動で鎌倉より追放された頼経を京に送り届ける責任者も務めたとのこと。なお二所詣の同行メンバーには早世した時房の次男時村の子で、時房の養子となった時隆もいたようです。



#11323 
バラージ 2023/04/03 23:08
最近観た歴史映画などの話

>DVDで観た歴史映画
『信虎』
 一昨年公開されたけど地元には来なかった映画です。去年の年末にDVD化されたんだけど今頃になってようやくレンタルして観ました。かつて武田信玄に追放された父の信虎が、信玄病死後に京から甲斐へ舞い戻ろうとするも信玄の後を継いだ勝頼に信濃で留められ、孫の勝頼の人となりを見て武田家滅亡は避けられぬと悟り武田家存続のためにあらゆる手を使っていく……みたいなお話。
 いや〜、こりゃひどい。久々の駄作です。あまりの退屈さに数回に分けてようやく見通しました。最初にこの映画の製作を知った時(#10900)に金子修介監督とあって、金子監督が歴史ものを?と思ったら、古美術鑑定家・茶道研究家・歴史研究家の宮下玄覇って人が企画・製作総指揮・プロデューサー・共同監督・脚本・美術・装飾・編集・時代考証・キャスティングを兼ねているというワンマン映画。その時点でこりゃ怪しいなとは思ったんですが、宮下って人は映画なんかで美術考証や時代考証の仕事をしてるらしく、金子監督が頼まれ仕事で演出だけしたのかなと思って観てみたわけです。
 まずその宮下氏の脚本がひどい。『甲陽軍鑑』を原作にして忠実に再現したらしいんですが、状況や経緯を登場人物にいちいち台詞で全部説明させていくため、まるで人物の会話で映画が進んでいくようにすら感じられます。また、どう考えても本筋とは関係ない余計なエピソードが頻出するのも困りもの。それまでの流れと関係ない人がいきなり出てきて、それまでの流れと関係ないエピソードが描かれてなんだなんだと思ったら、その人の出番はそれきりで後の展開や本筋に何ら関係しないというのがちょくちょくある。信虎の若い時の回想もちょくちょく挟まれるんだけどこれもあまり本筋と関係なく、話の流れを滞らせてるとしか思えない。登場人物も多すぎて、1・2シーンしか出番がないような人物がやたらと多いし、個性を持って描かれてないんで後まで覚えていられない。これが遺作となった隆大介(信虎の家臣・土屋伝助役)とか、この後にも出演作が公開されたらしいんで遺作ではないけど……の渡辺裕之(織田信長役)とか、信玄の弟の逍遙軒役(1シーンだけの信玄と2役)の永島敏行とか、『天と地と』以来の上杉謙信役の榎木孝明とか、金子監督との縁で出演したのか日伝上人役の蛍雪次朗とか、そのあたりの人たちはさすがにわかるんですが、永島以外は出番僅少で友情出演レベルでしかないんだよな。主演の寺田農も曲者俳優として個人的には好きなんですが、映画の出来が出来なんでどうもいまいち冴えない。
 細かい歴史考証へのこだわりだけは異常なほど強いんだけど、谷村美月ら女性陣が顔白塗りで眉毛無しのお歯黒なのはテンション下がるし(最後の最後でようやく素顔に近い状態で出てくる)、女性が複数出てくると誰が誰やらわからない。わずかにある合戦(というより戦闘)シーンもリアリティ重視のようで映画的迫力には全くもって欠ける。いや、映画に大事なことってそういうところじゃないだろう……。また美術品などをじっくり見せたいと思いすぎたのか、これまた余計な絵面が多い。台詞回しも妙に間延びしていて、編集も下手だからいちいち変な“間”が出来ている。以上全部の理由でとにかく冗長かつテンポが悪い。おかげで135分という長さになってるんですが、無駄なシーンや長台詞や編集の間や余計な人物を省けば100分くらいになるはずなんだよな。つまんないくせになげーんだよ。それと『甲陽軍鑑』にあるのか知りませんが、信虎が仏道修行の末に呪力を身に付け、他人の前に手をかざしウンバラなんたらオンソワカみたいなことを心で唱えるとその人物の心を操れちゃうってのもなんとも……。しかもその演出が死ぬほどチープだし。途中で信虎の家臣が唐突に熊に殺されちゃうのもそんなシーンいるか? しかも熊が着ぐるみなの丸わかり(笑)。
 うーん、とてもじゃないけど金子監督が演出してるとは思えない。名前貸しとまでは言わないけど、せいぜいアドバイザーとか部分的に監督しただけで、実質的には宮下って人が共同監督ではなくメインの監督だったんではなかろうか? だいたい金子修介レベルが監督するんなら、素人の共同監督なんていらないわけだし。逆ならまだわかるけど。まあ僕も監督が金子修介じゃなきゃ観なかったからなあ。こりゃ地元まで来ないはずですよ。てか地元に来なくて良かった。レンタルなら映画館よりはダメージ少ないし。
 ちなみにプロローグとして、武田氏の家臣の血を引く柳沢吉保が幼い息子に信虎の話を聞かせるという外枠があるんですが、息子くんが父親の話のあまりの長さにうたた寝しちゃうという描写があって、それ、観てる俺ら観客の気持ちだぜ、と思ってしまった(笑)。もしや作ってる側もそれを自覚して、あんなシーン入れたんじゃあるまいな? いや、もし自覚してるんだったら短く面白くする努力のほうをしろよ(笑)。

>録画で観た歴史映画
『折れた矢』
 NHK-BSで正月に放送してた1950年の米国の西部劇映画。19世紀後半のアパッチ族の実在の首長コチーズと友情を築いた白人トム・ジェフォーズの実話を基にしたフィクション小説の映画化とのこと。確か僕の大学時代に『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が公開された時、それ以前にアメリカ先住民(インディアン)に公平な視点から描かれた映画として紹介されてた記憶があります。
 なかなか面白かったですね。冒頭でジェフォーズ自身の語りという形で断っているように先住民も英語を話しているし、先住民役も白人の俳優が演じてますが、大まかには史実に基づいているようです。なんといってもコチーズの人格者ぶりが素晴らしい。ジェフォーズと先住民娘の恋愛はおそらくフィクションでしょうが、これも物語に深みを与えてました。有名なジェロニモも出てきますが、先住民と米国の和平に反対してコチーズらの集団から離脱し、戦いを継続するという少々悪役まわりな役どころ。ただ先住民を憎む白人側の悪役がそれ以上に悪辣で、白人側の差別感情を余すところなく描いています。最後はアパッチ族と合衆国の和平が成立したところで一応のめでたしとなってました。

>またまた『三国志 大いなる飛翔』の謎
 先日とある理由で、かの『三国志 大いなる飛翔』を検索して、Wikipediaをたまたま見てみたら、いつの間にやら中国語版Wikipediaにも記事が立ってました。以前この映画の謎を追求したのを思い出し、調べてみると4年以上前のことでしたね(#10792)。時はあまりに早く流れる。
 中国語版Wikipediaではタイトル(原題)は『三国志:関公』(の簡体字)となっています。そこで簡体字で検索してみると百度百科にも同じタイトルで記事が立ってました。百度のほうが説明がくわしく、翻訳機能を使って読んでみると、もともとは『関公』(簡体字)というタイトルだったんだけど同名のテレビドラマと区別するためと、そもそも関羽が映画の半分以下にしか出てこないため、再公開(リバイバル上映かソフト化?)の際にタイトルに「三国志」と追加されたんだとか。また、もともと上下集(前後編)二部作で、上集(前編)は五関で六将を斬った関羽が劉備と再会するまで、下集(後編)は周瑜の死までとのこと。上映時間は中国語版Wikipedia・百度百科ともに187分となっています。どちらも一般人が執筆できるサイトなので本当のことなのかどうかはっきりしないんですが、一応の参考にはなるかと。なお日本のサイトではallcinemaおよびそれを引用したYahoo!映画、filmarksでは『三国志/大いなる飛翔』、KINENOTEおよびそれを引用したMovie Walker、映画.comでは『三国志 第一部 大いなる飛翔』となっています。



#11322 
ろんた 2023/04/01 14:54
『ビジャの女王』(森秀樹/SPコミックス/1〜3巻以下続巻)

 結局、買ってしまった(笑)。あらすじを再編集して再掲

 西暦1258年、ペルシャ高原の小都市ビジャを、ラジン率いる蒙古軍の支隊が包囲した。世界の半分を制圧した最強騎兵は支隊とはいえ総数2万、対するビジャの人口はわずか5千人。陥落は誰の目にも明らかだった。そんな中、ハマダン王の子オッド姫の救援要請に、伝説の集団「インド墨家・ブブ」が駆け付ける。始皇帝に弾圧され滅んだかに思われた墨家だが、インドのアメダバで命脈を保っていたのだ。オッド姫はその策によりなんとか猛攻を凌ぐが、若き宰相ジファルは思惑が外れ歯がみする。ラジンの側近となって己の力でハーンとし、さらにはモンゴル帝国を乗っ取る……という野望を抱いていたのだ。一方でペルシャの首都バグダードはラジンの父フレグの征西軍本隊12万によって陥落し、療養していたハマダン王は捕虜となり亡くなる。国法によると後継者は嫡男ヤヴェ。だがこの男、粗暴で小狡く、他国の王子を殺害した廉で王に幽閉されていた。だが、ビジャは存亡の危機にある。女であり妾腹でありながら、そのカリスマ性でビジャを守ってきたオッド姫に、大臣たちの大勢は支持を表明する。だが、野心を隠し持つジファルは国法の遵守を主張した。そんな中、ラジン軍にモンケ・ハーンの娘クトゥルン率いる別働隊1万が近づいていた。クトゥルンは女でありながらハーンの座を狙っており、既に実の兄弟を何人も亡き者にしている。そんな彼女の目的は……。

 という話なんですけど、かなりフィクションの度合いが強いみたい。ビジャという都市は現代のイランにあり、ペルシャ絨毯の産地らしい。しかし、姫の名は左右の瞳の色が違う=odd-eyed(英)から名付けられているみたいなので多分フィクション。ラジンもフレグの息子たちの中に名前がないし、キャラデザインがアンドレ・ザ・ジャイアント(笑)。最後に登場するクトゥルンもモンケの娘の中には名前がない。キャラデザインは平たい顔族(笑)。ただ、カイドゥ(オゴタイの孫)に同名の娘がいるんで、それがモデルかも。この人、日本でいうと巴御前みたいな感じ? 可憐な美少女ながらメチャメチャモンゴル相撲が強くて、「自分より強い男じゃないと結婚しない」と言ったとか。これ、女丈夫の常套句ですな。『東方見聞録』に記述があり古くからヨーロッパには知られていて、「トゥーランドット」のモデルになったとか。ということでこの作品、フィクション部分が多い割に、思い切った描写が少ない気がします。墨家も火薬とかバンバン使ってミサイル飛ばしちゃってもいいんじゃないか(笑)。もっとも、生物兵器を使いそうな気配はありますけど。絵柄は大分変化していて、小島剛夕と池上遼一の間ぐらいの感じ。あくまで個人的感想ですけど、オッドもクトゥルンも美少女設定なのに「萌え」ないのには困ったもんだ。

>「奥さまは魔女」S8
 S8の冒頭、ダーリンとサマンサが休暇でヨーロッパ旅行する話。最初はロンドン。トラブルに巻き込まれたサマンサがヘンリー八世の時代に飛ばされてしまう。当然、女癖の悪いことでは人類史上最凶のヘンリー八世に目をつけられて、肉を手づかみでムシャムシャやる横でリュートを弾かされたりして、貞操の危機(笑)。まあ、飽きたら首チョンパなんで命の危機でもあるわけですが。偉人が魔法の失敗やなんかで現代に現れる、というのは定番の展開な気がするけど、サマンサが飛ばされちゃうってのは珍しいかも。そのほか、ピサの斜塔を傾けたのがベビーシッターのエスメラルダ(魔女)だったとか、その後、何話かがヨーロッパネタ。

>トンデモ時代劇
「賞金稼ぎ」「無宿侍」というのが放送されていました。「幻之介世直し帖」は放送中。
「賞金稼ぎ」(BS松竹東急)は主演・若山富三郎。「子連れ狼」シリーズ以前に主演した映画のドラマ化。若山先生は、寺子屋(給食つき)の運営資金のために賞金稼ぎをしている設定。華麗な殺陣が見どころ……と言いたいけど、袴じゃなくてベルボトム姿(?)でリボルバーやライフルをバンバンぶっ放す。悪役たちも全員ライフルで武装していて、村人たちを皆殺し。しまいには若山先生、悪人から分捕ったガトリング砲をバリバリバリッと撃ちまくる。一応、設定は天保年間らしいけど。紹介には「西部劇風」とあったようだけど、むしろマカロニウェスタン。黒沢の「用心棒」から生まれ、世界中で人気になったのが逆輸入された感じかな。もっとも、トンデモ時代劇というのはもっと古くからあって、水戸黄門御一行様vsゴリラというのもあるらしい(笑)。
「無宿侍」(BSフジ)は天知茂主演のハードボイルド抜け忍もので、「カムイ外伝」的。五社英雄が一枚噛んでるんでお察し下さい。そもそも忍者って侍なのか?(笑) その後番組が「幻之介世直し帖」で小林旭主演。大目付・乾十左衛門の嫡男・幻之介が"はやぶさ"と名乗って夜な夜な巨悪を討つ話。昼は遊び人としてのらくらというのはお約束。しかしこの"はやぶさ"、バットマンみたいな仮面をかぶってる。主人公が仮面って、他には「赤影」ぐらいしか思いつかない(笑)。その辺、「桃太郎侍」の後番組だけに視聴者に受け入れられなかったみたいで半年で終了。



#11321 
バラージ 2023/03/19 22:53
その後の鎌倉史・完結編 To be continued

 義時死後の鎌倉史。最終回は時頼執権就任直後の宮騒動。名越光時の乱または寛元の政変とも言うようです。

 前回も書いた通り、1246年2月22日、執権経時の病状悪化を見越してか大殿九条頼経は特別な願いを持って伊豆山神社と箱根神社への二所詣の精進潔斎(酒や肉を断ち心身を清めること)を始め、28日から3月3日まで名越光時・藤原定員・狩野為佐・三浦光村ら側近を引き連れて二所詣を行います。3月15日には光時が兄弟たちと共に父朝時の遺言として信濃国善光寺で法要を執行。おそらくはいずれも得宗家打倒の密謀が陰で練られていたものと思われます。また後述するように精進潔斎は実は経時調伏の祈祷だった可能性もあります。21日には経時が重態となり、23日に経時邸で「深秘の御沙汰」と呼ばれる秘密会議が行われて、19歳の弟時頼に執権を継承することが決定。閏4月1日に経時は死去しました。
 そして経時死去からわずか17日後の18日から20日にかけて鎌倉に甲冑を着た武士が続々と集まってきて騒動となります(鎌倉の政変はなぜかこのパターンが多い)。これがいわゆる宮騒動の始まり。騒動は一旦収まったものの、5月22日には安達義景邸およびその近辺から騒ぎが広まり、24日には騒ぎが拡大して鎌倉の住民が家財道具を運び出す事態となって、時頼は各地に武士を派遣して鎌倉を封鎖する事実上の戒厳令を布きました。頼経側近の狩野為佐は将軍御所に向かおうとしますが、時頼の命で警戒中の武士は時頼のもとに行くなら引き留めないが御所に行く者は通せないと言ったとのこと。やがて光時が反逆を企んだことが発覚したという噂が巷に乱れ飛びます。『保暦間記』には、光時は頼経の近習として覚え愛でたく、驕った心を持って「我は義時が孫なり。時頼は義時が曾孫なり」として執権になろうとし、頼経も光時に心を寄せていたと記しています。『保暦間記』のことだからどこまで信用できるかわかりませんが、経時の弟である時頼は得宗家でも庶流であり、光時にすれば血筋としては自分も遜色ないとの思いがあったのかもしれません。
 翌25日になっても騒ぎは収まらず、時頼邸は厳重な警備を布いていました。そこへ頼経の使者として藤原定員が訪れますが、得宗被官の諏訪盛重と尾藤景氏に追い返されています。光時は御所にいましたが家臣に呼び戻され退出。そのまま自邸には戻らず出家して髻を時頼に送り降伏の意を表明します。時頼を追討することを一味同心して連署した起請文が書かれたが、その張本は名越家だとの噂があったためだとのこと。次弟時章・三弟時長・五弟時兼らは前もって野心のないことを時頼に申し入れていたので不問に付されたとあります。おそらく彼らは兄たちのクーデター計画を無謀だと考え、時頼に内通したんでしょう。前記の定員も事件に連座して出家し、息子の定範もその縁座として処分され、さらに光時の四弟時幸も病のため出家したとされています。
 26日には時頼邸で「内々御沙汰の事」があり、北条政村・北条(金沢)実時・安達義景が参加。実時は泰時の甥、時氏の従弟、経時とは同年齢で、泰時は経時と実時に助け合うよう常々言っていたとのこと。6月1日には時幸が死去(後述するように実は自害)。この頃になると京にも騒動の噂が届いています。6日には三浦泰村の六弟家村がひそかに時頼邸を訪れ、何事かを話し合ってます。おそらく泰村から異心なきことを誓い、恭順の意が示されたものと思われます。得宗協調派の泰村が反得宗派の四弟光村を説得するのに時間がかかったんでしょう。なお京の公家の葉室定嗣の日記『葉黄記』によると、この日に関東の飛脚が到来し、頼経の御所が警固されて近習の定員が召し籠められ、光時は出家して伊豆国に配流され、時幸は自害。千葉秀胤は本国に追放され、その他の降伏した者も召し籠められたとあります。この記述から時幸の死が実は自害だったことがわかります。おそらく時幸は名越兄弟の中でも最も強硬派で、そのために詰め腹を切らされたか、もしくは反抗の意味を込めて自害したのかもしれません。なお筆者の定嗣は後嵯峨上皇に近い立場の公家とのこと。
 一方、『吾妻鏡』によると7日に後藤基綱・狩野為佐・千葉秀胤・三善康持が評定衆を罷免され、康持は問注所執事も罷免されたとしています。いずれも頼経派と目された面々ですが、秀胤以外はいずれも数年後に引付衆として幕政に復帰しているので関与の程度は軽いと見なされたのかもしれません。なお『百錬抄』の6月8日条には、関東で騒動の噂があり、明日飛脚が上洛する。頼経が反逆したとのことだとあり、近衛兼経の日記『岡屋関白記』の6月9日条には、関東で事件があった。頼経が陰謀を企み、武士たちに命じて時頼を討とうとし、調伏の祈祷などを行ったことが発覚して騒動となっている。定員を召し捕らえて拷問したところ全てを白状した。頼経は幽閉されたという。使者を通さないので、京の人々は事実がわからず、頼経の父道家は恐れおののいているらしいとあるとのこと。なお以前書いた通り兼経は道家の娘婿で、道家に近い立場の人物です。一方で翌10日の『葉黄記』には道家が恐怖しているとの噂があったので、人に尋ねてみたのだが別段変わったことはなかった。全て天狗の所為だろうかなどと記されてますが、決して天狗の所為なんかではなかったことがやがて明らかになります。鎌倉では10日にまたも時頼邸にて「深秘の沙汰」が行われ、政村・実時・義景に加えて泰村も異心がないことを示すために参加したとあり、また得宗被官の盛重・景氏もこの時には加わっています。13日には光時が所領没収の上で伊豆国に配流され、千葉秀胤が領国の上総国に追放されたとあります。ただし前記の通り『葉黄記』では6日に入京した幕府の飛脚が光時配流と秀胤追放を報告しており、『吾妻鏡』の記事に何らかの錯誤があるのか、もしくは6日以前に処罰は決定していたけれど執行は13日になったのかもしれません。
 『葉黄記』によると14日には幕府の使者として義景の子の安達泰盛が上洛し、頼経が来月11日に上洛すると通告してきたとのこと。上洛とは要するに鎌倉より追放されるということです。『岡屋関白記』6月15日条には改めて騒動について記した中で、頼経が調伏で経時を呪い殺したとの噂を記しており、そのためか道家は26日および翌7月16日に自分が六条宮(後鳥羽の皇子の雅成親王、または順徳の皇子の忠成王の両説がある)を皇位に就けようとしたという疑惑を否定する願文を春日大社に納めています。道家は土御門系の後嵯峨上皇および後深草天皇と姻戚関係を持っておらず、自らに近い後鳥羽・順徳系皇子を擁立しようとしたという疑いをかけられていたと思われ、また後述するようにおそらくそれは事実だったものと推測されています。頼経は幕府の通告通り7月11日に鎌倉を発ち、28日に入京して隠れるように道家邸に入っています。さらに8月27日、六波羅探題重時は葉室定嗣(『葉黄記』の筆者)を呼び出し、院御所では世間の騒ぎについて何事かと心配されているようなので、関東の時頼から送られてきた書状を内々にお見せしようと披露しています。定嗣は重時の了解を取って後嵯峨にもその書状の概略を知らせており、それによると宮騒動について説明した上で朝廷にも徳政を要求し、さらに関東申次の人事については追って知らせると書かれていました。果たして10月13日には時頼の使者が上洛して、関東申次を道家から西園寺実氏に代えることを朝廷に要求。頼経の父である大殿道家は更迭されて完全に失脚し、以後関東申次は西園寺家の世襲となります。翌1247年には道家が寵愛する四男の一条実経も摂政を罷免され、道家と不仲な次男の二条良実が摂政に再任されました。同年に起こった宝治合戦で三浦氏が滅亡した際に光村は、大殿頼経の時に道家からの内々の命で決起すれば執権にすると約束してきたのに、泰村殿が猶予したためこんなことになってしまったと言っており、宮騒動に道家が関係していたのは間違いないでしょう。こうして九条家の勢力は退潮し、後嵯峨院政がようやく軌道に乗ることになりました。
 なお伊豆国江間郷に配流された名越光時は15年後の1262年に僧の叡尊が鎌倉で時頼・実時に授戒した際に、光時もまた鎌倉で菩薩戒を授けられたとのことなので、この頃には許されていた可能性があります。また金沢文庫本『斉民要術』の紙背文書には越訴奉行の実時にあてた光時の書状があるそうで、実時が越訴頭人となったのは1264年です。没年は『系図纂要』には1300年とあるようですが、これには疑問があるみたい。子孫は名越家の嫡流から外れ江間家を称したとのこと。
 こうして宮騒動は合戦にまで至らず政変として終わったんですが、対立の火種は残り続けました。京に送還された頼経に扈従した武士の1人である光村は8月1日の帰還の段になっても頼経の御簾の前に残って涙を流して別れを惜しみ、退出してきた後も周囲の人々に向かって、なんとか今一度鎌倉にお迎えしたいと思っていると言ったとのこと。また9月1日には時頼が泰村に、重時を鎌倉に呼び寄せて自分の相談相手とすることを打診しますが、泰村はこれに反対。幕府内での自身の地位が低下することを恐れたと推測されています。こうした北条氏に対する対抗勢力としての三浦氏の存在が翌年の宝治合戦につながっていきます。

 その宝治合戦あたりからは大河ドラマ『北条時宗』で描かれてるということで、鎌倉史の話もこれにて打ち止め。自分で始めたこととはいえ、うーん、長かった(笑)。泰時以降の時代って実はそこまでくわしくないんだよな。だらだらと続けちゃってどうもすいませんでした。



#11320 
バラージ 2023/03/16 22:45
DVD化情報

 今まで全くソフト化されていなかった大河ドラマ『琉球の風』と『武蔵 MUSASHI』がDVD化されるそうです。『琉球の風』は完全版・総集編ともに4月21日発売、『武蔵 MUSASHI』は完全版・総集編ともに5月26日発売とのこと。これで80年代以降の大河で完全版のDVD化がされてないのは『峠の群像』『八代将軍吉宗』『北条時宗』だけということに。


>配信開始映画
 『主戦場』、いつの間にかAmazonprimeやU-NEXT、Rakten TVでも配信がされてたんですね。『i 新聞記者ドキュメント』(Amazonprime、Rakten TV、クランクイン!ビデオ、DMM TVで配信)、『シチズンフォー スノーデンの暴露』(Amazonprime、U-NEXT、Rakten TVで配信)ともどもお勧めの社会派ドキュメンタリー映画です。



#11319 
バラージ 2023/03/12 21:50
その後の鎌倉史 ワンポイントリリーフ

 義時死後の鎌倉史。今回は影の薄い4代執権経時の時代。

 1242年6月、3代執権北条泰時が死去。時政はもちろん、義時にも実際に執権になったかについては議論があり、泰時が事実上の初代執権とも言われています。庶流から北条宗家を継ぎ、その不安定な立場から合議政治の確立や御成敗式目の制定などの施策によって源氏将軍断絶後という難しい局面を乗りきった名執権として讃えられています。
 後を継いだのは嫡孫の経時でまだ19歳の若さでした。なお経時の生年は没年と没年齢から逆算して1224年と考えられますが、『吾妻鏡』には経時誕生の記述がありません。1224年は曾祖父義時が死去した年ですが、そのため経時の誕生が義時の生前か死後かは不明。誕生の記録がないということは経時はおそらく誕生時点では嫡流ではなく、誕生が義時生前なら泰時が義時の嫡男ではなかったということになりますし、死後なら時氏が泰時の嫡男ではなかったということになるんでしょう。弟の時頼の誕生記事は1227年にあるので前者の可能性が高いと思われます。

 前に書いた通り泰時がいよいよ危ないという段になって不仲だった次弟の朝時が出家させられ、また六波羅探題北方である三弟の重時が鎌倉下向を命じられる一方で、南方である従兄弟の時盛(時房の庶長子)も勝手に下向して失脚しています。鎌倉と京の交通が遮断されて将軍九条頼経の父道家の使者も京に追い返され、将軍御所が厳重に警備されるなど鎌倉が不穏な情勢になっているとの噂が京に伝わっており、政権に何らかの動揺や混乱が起こっていた可能性もありますが、なんとか大事に至らず終わったようです。
 しかし19歳の新執権経時に対して将軍頼経は25歳になっており、執権と将軍の年齢差が逆転。頼経の周囲には名越光時(朝時の嫡男)や三浦光村(義村の四男で泰村の弟)など反得宗的な側近が近侍するようになっており、経時自身も頼経を烏帽子親として元服し偏諱も受けているなど、将軍を執権の制御下に置くことが難しい局面に入っていたと言えます。このような不安定な政権としての船出だったにも関わらず連署は置かれませんでした。泰時も1240年の時房死後は連署を置かずに単独で執権を務めてますが、すでに60歳近かった泰時にはそれまで政権運営の経験があり問題なかったんでしょう。しかし若干19歳で経験もない経時が連署を置かなかったのは、おそらく重時や政村などを連署にすると光時が自身の連署就任を主張して紛糾する恐れがあったからだと思われます。こうして重時は引き続き六波羅探題を務め、政村ら一族と評定衆が執権経時を補佐する体制となりました。
 それでも経時は政務に精力的に取り組み、1243年には幕府の訴訟における手続きの遅滞を避けるため判決文の将軍御覧を廃するなど、幕府裁判における執権の主導的役割を大きくしているとのこと。そんな中、1244年4月には頼経が6歳で元服したばかりの嫡男頼嗣に将軍職を譲っています。これについては経時らの圧力で譲らされたものだとする説と、制約の多い将軍職を退いて自由に政務に関わるために頼経が自発的に譲ったとする説があるようです。どちらにしろ頼経はその後も鎌倉に留まり、「大殿」として頼嗣を後見する立場に立って引き続きその勢力を保っていて、経時はそれに対抗するために1245年7月に同母妹(母は安達景盛の娘の松下禅尼)で16歳の檜皮姫を頼嗣の正室とすることで将軍外戚の座を獲得。北条氏が将軍の外戚となるのは10年以上ぶりのことでした。
 一方、京では1243年6月に西園寺公経の娘の中宮[女吉]子が後嵯峨天皇の皇子の久仁親王を出産し、生後わずか2ヶ月で立太子されています。権勢を極めた公経は1244年8月に死去。莫大な荘園や宋との交易による収入で奢侈を極めたものの、一部の公家からは幕府に追従する奸臣と見なされていたようです。公経の死によって、押さえつけられていた九条道家が復権。道家は公経の遺言だと称して関東申次の職を継いでいます。1246年1月には公経が関白とした不仲な次男の二条良実を辞任させ、寵愛する四男の一条実経を関白に就かせて、これまた「大殿」として朝政を壟断します。一方、後嵯峨天皇は同月に久仁親王に譲位。後深草天皇です。上皇となった後嵯峨は院政を開始しますが、もともと朝廷内に権力基盤を持っていなかったため実権は道家に握られたままでした。

 再び鎌倉。経時は1245年頃から体調を崩しがちになっていましたが、9月には一時意識不明の状態となり鎌倉中が大騒ぎとなっています。同月には経時の妻(宇都宮泰綱の娘)もわずか15歳で病死しており、また将軍頼嗣や妻の檜皮姫、大殿頼経の継室(持明院家行の娘?)も病がちになるなど、政権がまたも不安定な状態になってきました。その後、経時は一時回復するものの、翌1246年3月21日には重態となり生前に死後の冥福を祈る「逆修」が行われ、23日には経時邸で「深秘の御沙汰」と呼ばれる秘密会議が行われて次弟で19歳の時頼に執権職を譲ることを表明。もはや回復の見込みはない上に経時の2人の息子はまだ幼かったため(6歳と3歳でいずれも妾の子)政務が滞りかねないからだとされています。経時は4月19日には出家、閏4月1日に死去。享年23歳。ちなみに高橋克彦による大河『北条時宗』の原作『時宗』はチラッとだけ立ち読みしたけど、経時による時頼後継指名の場面から始まってた記憶。
 なお、時頼の執権継承を事実上の簒奪のように疑う見方も一部にはあるようですが、さすがにそれは穿ち過ぎかと。後に時頼自身が幼い嫡男時宗が成長するまでの中継ぎとして長時(重時の嫡男で、時頼の妻の兄)に執権を託し、時頼・長時死後は政村が中継ぎしたように、将軍を輔弼する執権という地位は天皇を輔弼する摂関同様に年少では就任できない役職だったと思われます。幼少の執権が誕生するのは時宗死後の嫡男貞時からで、執権や将軍という地位がその頃には形骸化していたんでしょう。なお経時の2人の子はいずれも出家してそれぞれ隆政・頼助と名乗り、隆政は1263年に23歳で死去。頼助は従弟の執権時宗の時代に重用され鶴岡八幡宮の別当となり、1296年に53歳で死去しています。

 一方、反得宗側の動きですが、経時生前の1946年2月22日には大殿頼経が伊豆山神社と箱根神社への二所詣のための精進潔斎(酒や肉を断ち心身を清めること)を始め、7日間に渡って精進のための屋内参籠を行っています。参籠は「殊なる御願」のためとのこと。28日には頼経が二所詣に出発し、3月3日に帰還。同行したのは光時や光村の他に狩野為佐・藤原定員など頼経側近のメンバーがほとんどですが、そこに経時・時頼の弟の北条時定が加わっているのが興味深い。時定はその後一貫して兄たちと行動を共にしており、あるいは経時らにスパイとして送り込まれたのかもしれません。また13日には光時兄弟が父朝時(前年4月に死去)の遺言により信濃国善光寺で法要を行っています。これらは二所詣や法要にかこつけて得宗家打倒の密謀が練られていた可能性が高いようで、頼経の「殊なる御願」とはおそらく得宗家打倒のことだと思われます。
 前記の通り一時回復した経時は1246年正月の椀飯(饗応の儀式)を務めてますが、おそらくは誰の目にも病状が芳しくないのが明らかで、頼経や光時らは経時の命は長くないと見てクーデターの計画を立てたんでしょう。しかしその動きはスパイとして潜入した時定や、名越兄弟の内通者などから筒抜けだったものと思われます。
 こうして閏4月1日の経時の死が、宮騒動と呼ばれる激震へと直結していきます。



#11318 
バラージ 2023/03/09 22:08
世界サブカルチャー史

 ぐわ、『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』シーズン3の日本60〜90年代編、放送されてるんだ。第1回、見逃した。ていうか2月にはシーズン2のヨーロッパ60〜90年代編やってたのね。再放送してくれんかな。

>捏造か?
 高市大臣、挑発に乗って「捏造じゃなかったら大臣も議員も辞める」みたいな啖呵切っちゃって追いつめられるって、シンゾー元首相と同じことやってんな。やっぱり親分に似るんでしょうか? てか捏造だとか内容が不正確だって言うんなら、具体的にどこがどう不正確なのか説明してほしい。漠然と不正確って言うんではなく。まぁ、シンゾー氏は死去していて礒崎とかいうチンケな元首相秘書官は落選してることから高市大臣が標的になったんだろうけど、そもそもシンゾー元首相が生きていれば追及されてたのはシンゾー氏だったはず。そう考えるとやっぱり殺すべきじゃなかったんだよなあ。報道を政権の統制下に置こうというような大問題なんだし。



#11317 
バラージ 2023/03/05 19:58
鎌倉史追記

 順徳は後嵯峨即位後の1242年9月に配流先の佐渡で死去。公家の平経高の日記『平戸記』の10月には、帰京への思いから食を絶ったためとの噂が記されているとのこと。



#11316 
バラージ 2023/03/05 12:12
文字化けだらけ(笑)

 いやぁ、すいません。昔の女性の名前は普通は使われない漢字が多いんですよね。
 九条道家の妻(西園寺公経の娘)の名前は「(手偏に侖)子」で読みは「りんし」、後堀河天皇に入内した道家の娘の名前は「(立尊」子)で読みは「しゅんし」、後嵯峨天皇に入内した公経の孫娘(実氏の娘)の名前は「(女吉)子」で読みは「きつし」です。



#11315 
バラージ 2023/03/05 11:53
その後の鎌倉史 またまたその頃朝廷は

 義時死後の鎌倉史、今回は義時死後ではなく承久の乱後の朝廷の動きをまとめて。

 1219年の承久の乱によって、後鳥羽・土御門・順徳の3上皇が配流され、践祚していた懐成親王(仲恭天皇)は即位しないまま廃位されました。代わって幕府が擁立したのが後鳥羽の同母兄である行助法親王(守貞親王)の3男で10歳の茂仁王。幕府は後鳥羽の系統を皇統から排除するために行助=守貞の息子のうちまだ出家していなかった茂仁に白羽の矢を立て(兄2人はすでに出家していた)、立太子を経ずに践祚・即位させました。後堀河天皇です。後堀河の践祚には三浦義村の尽力が大きかったとのこと。また当時すでに社会的・政治的システムとして定着していた院政を維持するため、その前日に父の守貞に太上天皇(太上法皇)の尊号が贈られ、治天の君として院政を行わせることにしています。守貞は後高倉上皇(または後高倉院、後高倉法皇)と呼ばれ、皇位に付かずに上皇となった史上ただ1人の人物です。平家都落ちの際に異母兄である安徳天皇の皇太子格として平家に連れ去られましたが、壇ノ浦で祖母平時子に抱かれ海に沈んだ安徳とは異なり助かって帰京しています。同母弟の後鳥羽がすでに即位していたため後白河法皇の姉の上西門院に養育され、1212年には出家していました。ちなみに映像作品では大河『義経』にのみ登場してますが、これは東映ハチャメチャ時代劇みたいな展開のためみたい(笑)。
 後高倉は院政開始からわずか2年後の1223年に死去。北条義時よりも1年早い死です。結局は後堀河の親政となりましたが、まだ12歳の後堀河はもちろん、突然治天の君となった後高倉にしても政務など行えるはずもなく、朝廷の実権を握ったのは頼朝の妹(夫は一条能保)の娘の一条全子を妻としていた親幕派公卿の西園寺公経でした。公経は後鳥羽の挙兵を幕府に急報して拘禁され、一時は命の危険さえありましたが、そのために乱後は幕府の支持を受け、同年に内大臣、翌1220年には太政大臣へと進み、さらに1221年には従一位に叙されています。同年に太政大臣は辞したものの、引き続き朝幕間の折衝にあたる重要な役割を果たしており、それが後に関東申次という正式な役職となっていきます。
 また承久の乱の時の摂政は公経の娘婿の九条道家(兼実の孫。母が頼朝の妹の娘で全子の姉妹。公経の娘である妻の掄子は従姉妹)で、鎌倉殿三寅の父でもありましたが、姉の立子が順徳の中宮となり仲恭を産んでいて、仲恭の践祚に伴いその外戚として関白の近衛家実を退けて摂政とされるなど後鳥羽とも密接なつながりを持っていました。乱には積極的に関わらなかったものの(近衛家・九条家などの摂関家を含む伝統的貴族層は後鳥羽の無謀な挙兵には反対で、後鳥羽に従った公家は彼に取り立てられた新興の院近臣がほとんどだった)、そのような後鳥羽・順徳・仲恭との近さが問題視されて幕府の要求によって摂政を罷免され、家実が摂政に再任されています。しかし1225年に三寅が元服して頼経と名乗り、翌1226年に征夷大将軍に就任すると、その父である道家も徐々に復権し、1228年には岳父である公経の後援や将軍頼経を擁する幕府の支持もあって、再び家実に代わって関白に再任されました。道家は娘の竴子を後堀河に入内させて中宮とし、岳父公経との協調関係の中で政権を運営していくことになります。1231年には竴子が後堀河の皇子を出産。道家は同年のうちに皇太子とし、翌年には幕府の反対を押しきって後堀河に譲位させ、わずか2歳(満年齢では1歳)で践祚・即位させました。四条天皇です。こうして天皇の外祖父にして将軍の父となった道家は息子の教実を摂政とし、自らは「大殿」として権勢を振るいます。1234年に後堀河上皇が23歳で死去すると自らに近い後鳥羽法皇と順徳上皇の還京を図りますが、これは幕府の拒否にあい断念。教実が1235年に26歳で早世すると再び自らが摂政となり、近衛家から不満が出ると家実の子の兼経に娘の仁子を娶らせ、娘婿となった兼経に1237年に摂政を譲ります。そして1238年には息子の将軍頼経が執権泰時・連署時房らの御家人に擁せられて上洛。東西の融和を演出しようという泰時らの思惑が、道家・公経ら朝廷の思惑とも合致したものと思われます。1241年には孫娘(教実の娘)の彦子を四条に入内させ、次代の外戚の座も確保しました。
 こうして道家の権勢は絶頂期を迎えましたが、その運命は徐々に暗転していきます。翌1242年1月9日、四条がわずか12歳で急死。死因は『百練抄』『五代帝王物語』によると、イタズラで近習や女房を転ばせようと御所の廊下に滑石の粉を撒いたところ誤って自分が転倒したためという、笑えるような笑えないような洒落にならないものだったとのこと。後高倉の系統はここに断絶し、再び後鳥羽の系統から天皇を出さざるを得ないことになります。候補は2人、土御門の皇子の邦仁王と、順徳の皇子の忠成王。2人とも20歳を過ぎていたにも関わらず出家も元服もしておらず、後高倉の皇子が後堀河以外全て出家しており後堀河の皇子も四条以外いないことから後高倉系統の断絶を懸念して(もしくは皇位継承の望みを抱いて)周辺が出家させていなかったとする推測もあるようです。
 道家が支持したのは忠成でした。道家と忠成の間に縁戚関係はありませんが(忠成の母は藤原清季の娘)、前記の通り忠成の父順徳の中宮が道家の姉立子でそのため忠成を支持したと思われ、道家の岳父公経をはじめ忠成を支持する公家も多かったようです。それに対して邦仁を支持したのは姉の承明門院源在子が土御門の母だった土御門定通(源通親の庶子。通親の嫡男は久我通光)。邦仁は承明門院に養育されていたのに対して、忠成は順徳の母の修明門院藤原重子が養育していました。朝廷内の意見が分かれた結果、定通と道家はそれぞれ幕府の裁定を求めて使者を送ります。定通の妻は執権泰時の異母妹の竹殿(母は姫の前)で、承久の乱で後鳥羽方に与して行方知れずとなった大江親広と離縁した後に定通と再婚してました。在京する六波羅探題の重時も竹殿の同母兄弟です。一方で幕府の将軍頼経は道家の子で、やはり道家も幕府との縁に期待したものと思われます。朝廷内では忠成支持派が優勢だったようですが、泰時ら幕府の回答は邦仁の践祚支持でした。もし忠成が践祚した場合、かつて道家が策したように佐渡でまだ存命だった父の順徳を還京させる動きが起きる可能性があり、承久の乱で父後鳥羽に積極的に協力した順徳が治天の君として院政を行うことにもなりかねず、幕府としてはそのような事態だけは避けねばなりませんでした。一方、邦仁の父土御門は父後鳥羽の討幕に与せず消極的な態度に終始し、乱後に自ら望んで土佐(後に阿波)に配流されたものの1231年にすでに亡くなってました(後鳥羽も1239年に配流先の隠岐で死去)。こうして四条死去から11日間の天皇空位を経て、20日に邦仁は親王宣下され即日践祚。後嵯峨天皇です。
 道家の岳父である関東申次の公経は幕府の意向を知るやすぐさま身を翻して後嵯峨に接近し自らの庇護下で践祚させると、3月の即位後には道家の娘婿の関白兼経を辞任させて、道家とは不仲で公経に養育された道家の次男の二条良実を関白とし、さらに6月には孫娘(嫡男実氏の娘)の姞子を後嵯峨に入内させて8月には中宮とするなど、幕府の威を背景に娘婿の道家を退け朝廷を単独で制圧する勢いを築きました。対照的に情勢を見誤った道家の権勢は退潮に向かっていきます。

 なお、自らの利益のために幕府や北条氏との縁戚・姻戚を求めた公家は公経や道家・定通ばかりではありませんでした。近藤成一氏によると以下のような例があります(『鎌倉幕府と朝廷』岩波新書、『執権 北条義時』知的生きかた文庫)。
 まず以前も触れましたが、1219年に公家の一条実雅と結婚し1男1女を産んだ義時と伊賀の方の娘は1224年の伊賀氏事件で実雅が配流されると離縁したようで、藤原定家の日記『明月記』によると翌1225年11月には実雅の旧妻が公家の唐橋通時と再婚するために近日入京するとの伝聞情報が記されているとのこと。おそらく7月に政子が死去し、伊賀一族が続々復権していた動きに連動していたものだと思われます。その後、どういう経緯か通時は鎌倉に居住したらしく、1231年に朝廷に不出仕との理由で除籍され、1233年に鎌倉で死去。次の除目で蔵人頭に補せられると姉妹が使者を送ったが到着前に死んだそうです。祖父の源雅通が内大臣、父の通資が権大納言まで上ったのに、通時は泰時の妹婿で三浦義村の推挙も受けながら50歳過ぎても公卿に到達しなかったのは不運だと定家は記しているとのこと。しかし通資は雅通の庶子(通親の庶弟)で、通時自身も通資の庶子でしたから、庶流ゆえに出世が覚束なかったのかもしれません。なお通時が鎌倉に住んだということは、その妻で実雅旧妻でもある義時と伊賀の方の娘もまた鎌倉に帰還していたことになります。
 また同じく『明月記』によると1227年に実雅旧妻の妹が西園寺実有(公経の庶子)の新妻として迎えられたとあります。その前年にはおそらくそれと関係して新妻の母も入京していたとあり、「実雅の妻の妹」と表現されていることから同母妹と考えられ、よってその母親は伊賀の方だと近藤氏は推測しています。実雅旧妻の妹を妻に望む公家は大勢いたらしく競望になったとのことで、大炊御門家嗣などはそのために妻である坊門忠信の娘を離縁したらしい。忠信は承久の乱に後鳥羽側近として参画したため没落していたことから、その娘である妻を切り捨てたんでしょうが、ひでえ話だな、おい。堀河具実もまた実雅旧妻の妹を妻にと望んでいたとのことですが、それらの中から執権泰時が婚姻相手を実有と決めたんだそうです。やはり政子死後には伊賀氏は完全に復権していたと言っていいでしょう。



#11314 
バラージ 2023/02/23 22:06
香港スタント盛衰史

 『カンフースタントマン 龍虎武師』という香港・中国合作のドキュメンタリー映画を観ました。
 1970〜90年代に隆盛を極めた香港カンフー映画&肉体アクション映画を支えたスタントマンたちの証言を通じて、現在に至るまでの香港カンフー&アクション映画の盛衰を描いた作品。超絶危険アクションに挑んだスタントマンたちのインタビューとそのような映画のアーカイブ映像やメイキング、NGシーンを通して、香港映画が最も繁栄した時代の映画製作の裏側がサモ・ハン、ブルース・リャン、ユエン・ウーピン、ドニー・イェン、ツイ・ハーク、エリック・ツァン、アンドリュー・ラウなどのレジェンドたちの口から語られていきます。マースやユン・ワーなど香港映画ファンには嬉し懐かしいマニアックな面々も出てきますが、ジャッキー・チェンはインタビュー無しでアーカイブ映像のみ。インタビューも撮影はされたらしいんですが権利関係の問題(特に米国の)でカットされたとのこと。ユン・ピョウやジェット・リーのインタビューもありませんがそちらの理由は不明。なお監督は中国本土の人です。
 なかなか面白かったですね。ちょうど僕の世代ドンピシャなんでなんとも懐かしかったです。ブルース・リーに始まってジャッキー、サモらに至る流れで、え!? あの映画のあのアクション、スタントマンがやってたのか!みたいな驚きや、うっわー、あの映画のあのシーン懐かしー、みたいな郷愁の連発でした。とはいえ、あの頃は香港映画のとんでもない超絶アクションにただただ興奮し熱狂し楽しんでただけでしたが、今になって製作の裏側も含めて観ると良くも悪くも狂気の沙汰というか、少なくとも正気の沙汰ではないですね(笑)。はっきり言ってめちゃくちゃ。人が何人か死んでいてもおかしくない、というか実際に死んだスタントマンや半身不随とか再起不能になったスタントマンもいたとインタビューで証言されてました。
 そして映画はそこから21世紀に入ってからの急速な香港カンフー&アクション映画の衰退が語られ、やたら哀愁を帯びた切ない展開になっていきます。CGの発達により命がけスタントの需要が少なくなり、そもそもアクション映画が少なくなって、スタントマンの成り手もいなくなり後継者不足という寂しい話が、今や皆おじいちゃんになったアクション&スタント・レジェンドたちの口から語られます。対照的に中国本土のスタントマン界は大隆盛ということですが、結局これは香港人が裕福になったってことなんでしょうね。インタビューでもレジェンド・スタントマンたちが貧乏で勉強も嫌いで小卒だったからスタントマンになるしかなかったみたいなことを言ってる人が多いんですが、香港全体が裕福になって教育水準も上がればわざわざ命の危険を伴うスタントマンをやろうなんて若い人はよほどの酔狂しかいなくなるのが当然です。昔ほどの高収入でもなくなってるらしいんで、そうなるとますますねえ。一方の中国は、上海や北京などは東京をしのぐ大都会ですが、田舎は超絶貧困という超格差社会ですから、まだまだスタントマンに身を投じる若者も多いんでしょう。
 それにしてもマースやユン・ワーや他の何人かのレジェンド・スタントマンが言ってましたが、スタントマンは40歳過ぎたら体力的にキツいから若いうちに貯金しとかなきゃならなかったんだけど(当時の月給は平均的サラリーマンの50倍だったそうです)、ギャラが入ったらすぐにみんな酒や博打(競馬とか)に使っちゃって残ってないんだそうです。なんかそういうところ、日本の昔のプロレスラーと言ってることがいっしょのような。ハハハ。


>新作歴史映画
 李舜臣を主人公として閑山島海戦を描いた『ハンサン 龍の出現』という韓国映画が3月に公開されるようです。監督は『神弓 KAMIYUMI』『バトル・オーシャン 海上決戦』のキム・ハンミンで、主演は『神弓』や現在公開中の話題作『別れる決心』でも主演しているパク・ヘイル。今回の映画では脇坂安治がライバル的立ち位置のようです。予告編を観るとまたもとんでもないCGのすごさで、キム・ハンミン監督、『神弓』は面白かったけど『バトル・オーシャン』はいまいちでしたが、果たして今回はどうでしょうか? でも地元には来る気配なしなんだよな。またもDVD視聴になりそう。

>大河ドラマ
 んー、『どうする家康』、ちょっと飽きてきちゃったかなあ。いや、つまらなくはないんですけどね。まあまあ面白いことは面白いんですが、なんとなくね、去年1年ずっと時代劇(史劇)を観ちゃってるからか、やっぱり気持ちが現代劇のターンに入っちゃってるんだよな。今面白く観てるドラマは『リバーサルオーケストラ』と『しょうもない僕らの恋愛論』でして。
 そういや『どう家』を観た人の感想だったかネット記事の指摘だったかで寿桂尼が出てきてないというのがあって、そう言われてみればと気づいたんですが、人間関係が複雑化するのを避けるためなのかな? あくまで話の中心は徳川家ですし。濃姫も出てきてませんが、古沢良太さん、そっちは『レジェンド&バタフライ』で描いたからいいやってことでしょうか(笑)。逆に『レジェ&バタ』にはお市の方が出てこないらしい。『レジェ&バタ』、ちょっと興味はあったんだけど3時間近い長さと知って、他にもっと観たい映画もあるしなあと回避しております。
 『どう家』でちょっとだけ気になってるというか、まぁ無理だろうなとあきらめてるのがずっと後に描かれるであろう信康切腹事件の描写。一般的に家康は信長の命令で仕方なく築山殿を殺し、信康を切腹させたというのが通説として流布してますが、この説は現在ではほとんど否定されています。築山殿殺害と信康切腹の理由については諸説分かれているようですが、信長の強制ではなく家康自身の意志で行われたとする見方では一致してるんですよね。しかし家康が主人公なら悪者にはできないだろうし、ここまでの家康・瀬名(築山殿)・信長の人物描写を見る限りではおそらく旧来の通説で行くんでしょう。実は新説で事件を描いたドラマや映画ってまだないはず。
 ちなみに通説への疑問を最初に提示したのは小説家の典厩五郎。1998年に出版された『家康、封印された過去』(PHPビジネスライブラリー)がそれでして、僕はたまたま図書館で手に取って読んだら面白いし説得力もあって感心したんだよな。旧題は『徳川家康秘聞 消された後継者』だったらしく世界文化社から1994年に出版されていたらしい。まぁ小説家らしく扇情的な文章で歴史考証的にはかなり強引なところもあるんだけど、通説に対する批判はそれなりに筋道立っていて説得力があったんですよね。しかしビジネス系新書レーベルから出てる小説家の本ということで歴史学界からはほとんど無視されていたようです。
 同書では家康家臣の松平家忠による日記が引用されてたんですが、その後これまた偶然に別の図書館で歴史学者の盛本昌広による『松平家忠日記』(角川選書、1999年)を見つけて読んだら、信康切腹事件について盛本氏もやはり同じような知見を示してました。ただし典厩氏の本については時期的な問題か、それとも小説家の本なので読んでないか存在を知らなかったのか全く触れていません。こちらは2022年に角川ソフィア文庫から『家康家臣の戦と日常』と改題されて出版されているようです。
 典厩氏の本を初めて学術書で取り上げたのは在野の歴史家である谷口克広。2007年の『信長と消えた家臣たち』(中公新書)がそれで、典厩氏の主張を肯定的に取り上げ、さらに事件を深く考察しています。事件の研究が深められ通説を否定した諸説が次々出てきたのはそれ以後のこと。しかし改めて調べたら谷口氏、一昨年に亡くなっていたのか……。在野の歴史家として多大な業績を残された方でした。ご冥福をお祈りします。

 来年の『光る君へ』も第2弾出演者発表が行われましたが、清少納言がファーストサマーウイカで、安倍晴明がユースケ・サンタマリアってまたも斜め上の配役だな。ちょっと不安。



#11313 
ろんた 2023/02/21 00:16
『天幕のジャードゥーガル』2巻

 先頃、紙の本で1巻を買った話をしたばかりですが、『帰って来たどらン猫3(上)』(はるき悦巳/双葉文庫)を買いに行ったら平積みにされていたので、『黄泉のツガイ』(荒川弘/ガンガンコミックス)と一緒に購入。

 まず冒頭、「ファーティマがモンゴルへ来て8年が経った1229年──」とNAが入っててズッコケる(笑)。いや前巻の最後で、三年経ちました、ってやったばかりですから。これはチンギス・カンが亡くなって2年後。後継者を決定するクリルタイが舞台。そして指名されたのは、第三皇子・オゴタイ。末子相続の習慣からいえば、そしてこの二年間に国政をみていた実績からいえば、後継者は第四皇子・トルイのはずだが、これがチンギス・カンの遺言だった。トルイも兄弟の結束が何より大事と納得している。最もトルイには、チンギス・カンの遺産のほとんどが、その軍事力を含め譲られている。つまりモンゴルは、権威と実力の担い手が分裂したわけで、その危険性に気づいているのは、トルイの第一妃・ソルコクタニ、オゴタイ・カアンの第一皇后・ボラクチン、そしてファティマ。そこでソルコクタニはファティマに、第二皇子・チャガタイの動向を探るべく密偵となるよう命じる。だが、羊解体で見つけた結石が縁となり、オゴタイ・カアンの第六皇后・ドレゲネに仕えるようになる。そして、互いの身の上を知った二人はいわば同志となって帝国に仇なそうと決意する。一方、モンゴル帝国は金国征服に向けて動き出し……。
 次巻予告には"生まれたての帝国を「支配者」と認めつつある世界。世界がまだ見ぬ、皇帝の視野。ファーティマは動き出す──"とあり、金国の滅亡とともに、「法の支配」実現のためオゴタイ・カアンを担ぐ第二皇子・チャガタイ、商業ネットワークの形成による繁栄を考えているオゴタイ・カアン、なんだか戦争バカっぽい第四皇子・トルイの複雑な関係が語られるんじゃないですかね? この三人、わたしの第一印象とは大分違って来ちゃってますけど。そして火に油を注ごうとするに違いないドレゲネとファティマ(笑)。
 ちょっと調べると、この辺、陰謀の臭いがプンプンするわけで、本編ではスルーしている第一皇子・ジュチの死も怪しいといえば怪しい。また皇子らが直接遺言を聞いたことにしているけど、史実ではチンギス・カンの死には子どもたちの誰も立ち会っておらず、遺言はチャガタイとオゴタイのでっち上げの可能性がある(主犯はチャガタイっぽい)。そしてトルイは金国征討の直後にあっけなく死んでしまって、あまりにもチャガタイとオゴタイに都合がよすぎるんだけど、その二人も相次いで死んでいて怪しいったらありゃしない。ということで『天幕のジャードゥーガル』、目が離せません。

追記1:常識かもしれないけど、カンの上に立つのがカアン。王と皇帝って感じ? 最終的にモンゴル帝国は分裂したとされることもあるけど、大元ウルスの長は「カアン」、その他の国家の長は「カン」と明確に使い分けられていて、帝国自体は健在と考えた方がいいとか。本編ではオゴタイが即位と同時に使い始めたことになっているけど、史料的には使い始めの時期は不明とか。

追記2:なんだか、また同時代(?)を扱ったコミックスを見つけてしまいました。『ビジャの女王』(森秀樹/SPコミックス/1〜3巻以下続巻)。
 西暦1258年、ペルシャ高原の小都市ビジャを、ラジン率いる蒙古軍の支隊が包囲した。世界の半分を制圧した最強騎兵は支隊とはいえ総数2万、対するビジャの人口はわずか5千人。陥落は誰の目にも明らかだった。そんな中、ハマダン王の子オッド姫の救援要請に、伝説の集団「インド墨家・ブブ」が駆け付ける。その策によりなんとか猛攻を凌ぐが、一方でペルシャの首都バグダードはラジンの父フレグの征西軍本隊12万によって陥落し、首都で捕虜となったハマダン王も死去する。そして、蒙古軍とビジャ双方で、同時に後継者争いが勃発するのだった……。(Amazon各巻紹介より作成)
 なんだろ、知らないうちにモンゴルがブームになっているのか。ちなみにラジンの父フレグはクビライの弟、時のカアンは長兄モンケ。三人はトルイとソルコクタニの息子。そして後継者争いが勃発するのは、モンケ・カアンが南宋攻略戦の最中に死んじゃうからかな? 確かこの時、アッバース朝のカリフが袋に詰められて馬に踏み殺されるはず。あと、森秀樹さんといえば『墨攻』だけど、なんだ「インド墨家」って? まずい、読みたくなってきた(笑)。


>セイラム魔女裁判
 考えたら元寇も"歴史のロマン"ってことになっちゃってますねぇ(笑)。まあ、現セーラムは事件が起こった場所じゃないそうで(隣村)、そのせいか、町のシンボルマークが箒に乗った魔女だったりするみたい。



#11312 
バラージ 2023/02/20 23:25
さらに訂正

 貞暁の死を「竹御所に先立つこと5年前」と書きましたが、「3年前」の誤りでしたね。すいません。



#11311 
バラージ 2023/02/20 21:33
文字化け

 文字化けした部分の竹御所の名前は「女偏に美」で[女美]子、読みは「よしこ」です。



#11310 
バラージ 2023/02/20 21:29
その後の鎌倉史 影を慕いて

 義時死後の鎌倉史、今回は源氏将軍断絶後の征夷大将軍と、頼朝の子孫たちの話。

 1225年7月、尼将軍とも呼ばれた北条政子が死去しました。『吾妻鏡』では前漢の呂后(劉邦の妻)に例えられてますが、なんとも言い得て妙。もちろん『吾妻鏡』は称賛の意図でそう記してるんですが、呂后っていうと現代の中国史ファンにはおっかない未亡人婆さんのイメージですからねえ。政子が伊賀氏事件において無茶なゴリ押しで伊賀氏を冤罪に陥れても泰時や時房・義村らが最後まで抵抗し切れなかったのは、政子の苛烈な性格をよく知っていたからというのもあるでしょうが、それだけではなく実朝亡き後は政子が頼朝の由緒を最も体現した人物だったからでしょう。頼朝との血縁の薄い幼児の鎌倉殿三寅では御家人の結集点としての権威に不安があり、政子の面子をつぶしてその権威に傷を付けるのは幕府の存立基盤を危うくする恐れも考えられ、そのために憚られたんではないでしょうか。
 その政子が世を去ったことを契機としてだと思われますが、同年12月に三寅はわずか6歳で元服し、九条頼経(藤原頼経とも)と名乗ります。『明月記』によると京では父の九条道家の指示で名前が検討され、師嗣・道良・道嗣などが候補として挙げられていたそうですが、それらを退けて「頼経」に決まったのは幕府が「頼朝」の後継者であることを明示しようとしたものだと推測されているようです。次いで翌1226年1月に頼経は征夷大将軍に就任しますが、『明月記』によると将軍宣下要請のため上洛した幕府の使者は頼経の源氏への改姓を求めて藤原氏の氏社の春日大社に赴き、神判によってその可否を問うことを関白の近衛家実に伝えているそうです。しかし春日大明神の神意は「改姓は否」で、幕府は頼経の源氏改姓を断念せざるを得ませんでした。摂関家出身の頼経とその子頼嗣の2代を摂家将軍と言います。
 しかし北条氏をはじめとする幕府は頼経を頼朝の由緒につなげようとすることをあきらめませんでした。1230年12月、頼経のもとへ頼家の娘の竹御所(名は鞠子または媄子とされる)が室として嫁ぎます。竹御所の母は『尊卑分脈』には源義仲の娘とありますが、竹御所の墓が比企一族の菩提寺である妙音寺にあるので実際には若狭局(比企能員の娘)ではないかとする説もあるようです。竹御所は頼家の男子がことごとく殺された後も政子に可愛がられ、頻繁に同行してる様子が『吾妻鏡』からうかがえますし、1216年には叔父である将軍実朝の妻(坊門信清の娘)の猶子ともなっています。女性とはいえ頼朝の血を引く最後の子孫であり、頼経との間に産まれる男子に将軍を継がせることによって、将軍に流れる頼朝の血を少しでも濃くしようという執権泰時ら幕府首脳の考えだったと思われます。頼経が13歳、竹御所が28歳というえらくいびつな夫婦ですが、まあ政略結婚ですし当時としては珍しくなかったんでしょう。
 4年後の1234年、竹御所はついに幕府待望の頼経の子供を身ごもります。ところが7月に男子を死産したうえに竹御所自身も難産によって同日に死亡するという、幕府にとって最悪の結末を迎えてしまいました。享年32歳。竹御所の死によって頼朝の血脈は断絶することになります。泰時ら幕府首脳の衝撃も大きく、おおいに落胆したことでしょう。『明月記』によると六波羅探題の重時らも皆鎌倉に下り京に武士がほとんどいなくなったため、凶徒(犯罪者)にとっては時を得たようなものだと藤原定家は批判的に記しています。泰時が死んだ時も似たようなことがあったような。鎌倉武士はしょっちゅう動揺して大騒ぎするなあ。なお定家は頼朝の子孫が断絶したのは平家の子孫を嬰児に至るまで皆殺しにした報いだとも記しているとのこと。こうして北条氏ら幕府首脳は摂家将軍の源氏化を断念せざるを得なくなりました。

 竹御所に先立つこと5年前の1231年2月には頼朝の落胤である僧の貞暁が高野山で死去しています。享年46歳。貞暁は1192年に上洛して仁和寺の隆暁(頼朝の妹婿一条能保の養子)のもとで出家し、道法法親王に灌頂を受け、後に行勝に学ぶために仁和寺より世俗から遠い高野山に移りました。訃報を記した際の『明月記』によると20年も高野山に籠っていたとのことなので、高野山に移ったのは1211年頃ということになります。
 なお1719年に成立した『高野春秋』(高野山の編年史。『高野春秋編年輯録』とも)では、貞暁が高野山に移ったのを1208年3月として理由を北条義時に命を狙われたためとしており、また1700年頃成立の『伝燈広録』(真言宗高僧の伝記をまとめたもの)では同年10月に政子が時房を伴って高野山を訪れ、貞暁に還俗して将軍になる意志を問うたところ貞暁は片眼を潰して拒否の意志を伝えたとあるとのこと。いずれもはるかに下った江戸時代の史料なので信憑性はありませんが、後者の『伝燈広録』の記述は事実ではないにしても興味深いものがあります。『吾妻鏡』によると実際に政子は1208年10月から12月に時房を伴って熊野詣でをしているんですが、以前書いた通りこの年の2月に実朝が疱瘡に罹患しており回復まで2ヶ月もかかる重症でした。政子の熊野詣でもそれに関連したものだと思われますが、もしこの時点で実朝にもしものことがあった場合、後継者をどうしたのかというのは興味深いところなんですよね。後鳥羽上皇の皇子を後継者に迎えるアイデアが出たのはそれより10年も後のことで、この時点でそのような発想に至ったとは思われません。おそらく北条氏と血のつながりのない貞暁ではなく、血のつながりのある頼家の遺児たち(公暁・栄実・禅暁)から選ばれたことでしょうが、創作にしても絶妙なネタを放り込むなあと思いまして。
 なお、かつて貞暁とその母の大進局を迫害し鎌倉から追い出した政子も晩年には貞暁に帰依したとのことで、貞暁に源氏一族の菩提を弔わせるべく援助・出資を行い、貞暁は1223年に源氏三代の将軍の菩提を弔うため高野山に寂静院を建立し、阿弥陀堂と五輪塔を設営して追善を行なっているそうです。貞暁が没した時、出家した母の大進局は摂津国でまだ存命で、息子に先立たれたことを深く悲しんだと『明月記』に記されています。

 さて、竹御所の死によって頼朝の血筋は断絶し、将軍に頼朝の由緒をつなげる目論見は放棄されましたが、鎌倉後期の親王将軍の時代に突如として源氏将軍が一時的に復活したことがあります。
 それは7代将軍惟康親王の時代。一般的には「惟康親王」として知られますが、実は親王将軍だったのは最後の2年間だけで、1266年に父宗尊親王の将軍解任と京都送還に伴ってわずか3歳で征夷大将軍に就任した当初は「惟康王」。これは親王の子(天皇の孫)は一般的に王までしかなれなかったからですが、1270年に7歳で元服すると源氏賜姓を受けて臣籍降下し「源惟康」と名乗ります。これは当時の北条時宗政権が蒙古襲来という未曾有の国家的危機に直面し、かつて頼朝のもとで源平合戦を勝ち抜いたという吉例を再現しようとしたものだと考えられているようです。しかし時宗が没し、安達泰盛が滅ぼされて平頼綱が権力を握ると、頼綱も当初はその方針を継承したものの1287年には惟康の親王宣下を朝廷に要請。ようやく「惟康親王」の誕生となります。俗人の孫王の親王宣下は史上初だったとのこと。そして1289年には惟康は将軍を罷免されて京都に送還されました。つまり惟康が将軍だった期間のほとんどは実は源惟康という源氏将軍だったことになります。
 幕府が危機に陥ったことで幕府草創の象徴である「頼朝の記憶」が呼び起こされたわけですが、鎌倉後期にはそのような「頼朝の権威上昇」が起こっていたとする説については以前#11047で触れました。しかしいくら源氏になったところで惟康は頼朝との血のつながりがほとんどなく(母方の祖母九条仁子が道家の娘で、ほんのわずかながら頼朝の同母妹の血を引いてはいるが)、将軍としての活動もほとんど伝えられていませんから、実質的にはあまり意味がなかったんではないでしょうか。幕府も結局、源氏将軍路線を再び放棄して親王将軍に戻してますし。それでも頼朝に由緒を求める武士たちの心理は、時を超えて室町から織豊、江戸時代にまで続いていくことになるようです。


>史点
・レオパルドU
 僕がちょいミリタリー・ファンだった中高生時代から西ドイツの主力戦車だったんですが、いまだにドイツ軍の主力戦車なんですねえ。米軍のM1エイブラムスとかイギリス軍のチャレンジャーなんかも同様にあのころから今に至るまで主力戦車のままなんだなあ。まあ細かい改良とかは少しずつ施されてるんだろうけど。
 そういややっぱりあの頃に『キン肉マン』に出てきたレオパルドンという超人はレオパルドUもしくはその前のレオパルドTから考案された超人(確か読者募集超人だったはず)でしたが、最短の早さで秒殺された超人としてよくネタにされてました。しかしそのようにネタにされたゆえか、現在『週プレ』で連載されてる『キン肉マン』に再登場し、意外な活躍をしてましたね。

・気球に乗って
 米国当局も最初に撃墜したもの以外は中国軍のものではなかったと認める事態になって、何ともグダグダな展開に。アラスカで撃墜されたのはどうも米国の気球愛好家団体が打ち上げたものだったらしく、数千円の気球を数千万円のミサイルで撃墜した、とんだ無駄遣いだと批判されてるとかなんとか。中国は中国で台湾だか海南島だかの近海で米軍の気球を撃墜したとか言ってるけど、米軍はわざわざ気球飛ばさんでも偵察機とかで偵察できるんでは? 日本でも気球を撃墜できるように法解釈を変更するようなことを言ってますが、撃墜は性能的・技術的に難しいと現場からは懸念の声が出てるとのこと。さて、この問題いったいどういうところに着地するんでしょうか(気球だけに)。

・韓国映画のベトナム戦争
 韓国でベトナム戦争を主題とした反戦映画が出てきたのは90年代で、『ホワイト・バッジ』が日本でも話題になりました。米国で『プラトーン』を皮切りとして80年代に次々ベトナム戦争反省映画が作られたのと軌を一にしています。



#11309 
バラージ 2023/02/15 21:29
改革開放の影とゆがみ

 『シャドウプレイ 完全版』という中国映画を観ました。こちらと映画板とどっちに書こうか迷ったんだけど、一応中国現代史に関連した映画なんでこっちに書き込ませていただきます。といっても基本的にフィクションの話だし、直近の現代史なので歴史というより“時代”の映画なんだろうけど。
 監督は『ふたりの人魚』『パープル・バタフライ』『天安門、恋人たち』『ブラインド・マッサージ』などのロウ・イエ。日本では中国本国において2019年に公開された当局の検閲でカットされたバージョンが2020年の映画祭で上映され、同年に劇場公開されるはずがコロナで公開未定となり、今年になってカット部分を復活させた完全版が公開されるという紆余曲折を経た映画です。製作されたのは2016〜17年とのことですが、検閲をめぐっての激しい攻防が長引いたようで本国でも2019年まで公開が遅れたようです(なお、その製作過程や検閲との攻防を描いたドキュメンタリー映画『夢の裏側 ドキュメンタリー・オン・シャドウプレイ』も同時公開されたようですが地元には来ずそちらは未見)。
 ストーリーは以下の通り。2013年、広州市の再開発地区である「城中村(都会の中の村)」で立ち退き賠償をめぐって暴動が起き、その最中に開発責任者の官僚がビルの屋上から謎の転落死を遂げる。事故か他殺か、事件を追う若い刑事は官僚とその妻、2人の古くからの知り合いの不動産会社社長の過去を洗ううちに、2006年に社長のビジネスパートナーの台湾人女性が失踪した事件に行き当たる。それらの事件の遠因は3人の出会った1989年から続く改革開放時代の長い因縁だった……。
 実話をヒントにした映画だそうですが、あくまでヒントであって実話映画ではなくフィクションの映画です。ただし現実の30年に渡る中国社会を映し出した物語で、広州・台湾・香港にまたがる話となっています。この30年の中国社会の変化は日本社会の60年の変化に匹敵すると、『チィファの手紙』を監督した岩井俊二も言ってましたが、確かに凄まじい経済発展を遂げて猛スピードで日本を抜き去り、今ではその背中さえ見えなくなった中国の30年間の改革開放と経済発展のひずみと闇、光と影を描き出した群像劇の力作でなかなか面白かったですね。
 ロウ・イエ監督の映画は非常に暗い作風が特徴で、特に『天安門〜』が印象に残ってますが、そちらが1989年の青春の挫折感を描いているのに対して、こちらはその年から始まる改革開放の波に乗って社会主義市場経済の発展に狂奔した末に道を踏み外した人々を描いています。この映画も明るい映画ではもちろんないんですが、静的な映画ではなくアクション描写もある動的な犯罪サスペンスなのでそこまで暗くは感じません。ただ時系列が頻繁に前後する上に映像がやや暗く、手持ちカメラのぶれた映像も多用されるので内容がややわかりにくいかもしれません。
 現代史、特に現在に極めて近い隣接した時代を描くには、実際の事件をそのまま描く“歴史映画”よりも、こういうフィクションで時代をあぶり出すような映画のほうが適しているんじゃないかなぁとも思いますね。


>録画で観た歴史映画
『マイ・バック・ページ』
 2011年の日本映画。調べると5月の公開だったんですね。公開してた記憶はあるんですが時期までは覚えてませんでした。震災の2ヶ月後だったんだな。
 評論家の川本三郎による1968〜72年の『週刊朝日』『朝日ジャーナル』記者だった時代の回想録が原作で、映画は全員仮名にした上で1969年から72年の学生運動が破綻していく時代を川本自身が関わった朝霞自衛官殺害事件を中心に描いています。監督は『リンダリンダリンダ』『もらとりあむタマ子』などの山下敦弘、主演の川本をモデルとした人物役が妻夫木聡で、活動家を名乗る事件の犯人・青年Kをモデルとした人物役が松山ケンイチです。
 うーん、映画としてはよく出来てると思うんだけど、なんというか映画内に漂うこの時代というか学生運動特有のヌメっとしてネットリとした湿り気や粘り気のある空気感に個人的には終始違和感を感じて仕方ありませんでしたね。学生運動の漠然とした理想には共感しつつも、そういうベタベタした空気感とか集団性・組織性には、僕はどうも違和感を感じてしまいます。心理学者の河合隼雄が村上春樹との対談『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店)で、「学生運動のころに、ぼくがよく学生を冷やかしていたのは、きみたちは新しいことをしているように見えるけれども、体質がものすごく古い、グループのつくり方がものすごく古い、ということですね」と言っていたのが、映画で映像として観ると非常によくわかります。松山ケンイチがこれの1年前に主演した、やはり同じ時代が舞台の『ノルウェイの森』の主人公の、学生運動に共感しつつも距離をとった態度(これは原作者の村上自身の当時の態度でもあった)のほうに僕は親近感を感じますねえ。
 映画自体はかなりの豪華キャストで、先輩記者役が古舘寛治とか、東大全共闘議長役(モデルは山本義隆)が長塚圭史とか、京大全共闘議長役(モデルは滝田修)が山内圭哉とか配役がいちいち絶妙。ただ、ヒロイン役が忽那汐里(モデルは保倉幸恵)と石橋杏奈ってのはちょっと時代を感じました。エンドロールには岸井ゆきのの名前もあったんですが、どこに出てたかよくわかんないとことかもね。ま、10年前の映画だからなあ。ともかく役者はみなハマり役で好演。妻夫木と忽那は数年後にホウ・シャオシェン監督の台湾映画『黒衣の刺客』でも共演してましたね。
 フィクションとおぼしき部分も多く、主人公とウサギ売りの男のエピソードや活動家側の私生活なんかは明らかにフィクションが混ぜられてる(もしくは全面的にフィクション)と思われます。歴史映画ではあるもののどちらかと言えば青春映画の要素が大きいのは、川本の青春時代の回想録が原作なんだから当然と言えば当然で、そこは個人的には好評価です。

>セイラム魔女裁判
 Wikipediaの「セイラム魔女裁判」を読むと、有名なアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』以外にも関連作品って結構あるんですねえ。しかも結構柔らかめのやつが。映画『ファンタスティック・ビースト』シリーズにも出てきてるようです。

>追悼・永井路子
 まだ存命だったことは確か一昨年あたりに知って、長寿だなぁと驚いた記憶があります。去年の大河関連で文庫『北条政子』の新装版が書店に並んでましたね。大河だと『毛利元就』でも原作に使われてました。僕が読んだのは確か連作短編集『炎環』と短編「執念の家譜」、小説ではなく歴史評伝の『つわものの賦』ぐらい。杉本苑子との歴史対談本も一部読んだ記憶があるんですが、北条義時が好きという話題で盛り上がってた記憶があります。個人的には永井さんの史観や人物評価にちょっと違和感がありまして、義時や三浦義村を高く評価しすぎに思いますね。ご冥福をお祈りします。



#11308 
ろんた 2023/02/14 00:22
「奥さまは魔女」

『歴史小説論』(大岡昇平)を発掘(?)して再読、感想をまとめようとしてまとまらず、年は明けるは、建国記念の日になっちゃうは(汗)。ということで生存確認代わりに軽いネタ。

 BS松竹東急という放送局が昨年の春に開局して、古い松竹制作のドラマとかを流してるんですが、ラインナップには古い海外ドラマもあって、シチュエーションコメディの傑作「奥さまは魔女」も放送されてます。で、シーズン7の録画を見ていたら、サマンサに「魔女の集会に出なさい」というお知らせが来る話でした。去年までそんなの来てなかったのに、と差出人を見たらエンドラ(サマンサの母/魔女)。呼び出して話を聞くと、なんと議長になったとのこと。それでサマンサを出席させようとしたのか、とよせばいいのにダーリンがからんでいって、ガマガエルにされてしまう。このドラマ、魔法はかけた本人でないと解けないことになっているので、サマンサにできるのは、バスタブに水を張ってダーリンを泳がせることぐらい(笑)。結局、集会に出るということで許してもらうんですが、バスタブに浸かったままだったので、ダーリンはスーツ姿でずぶ濡れになってしまうのでした。(<ここで不覚にも大笑いしてしまった)
 で、問題は集会が開かれる場所。これがサレム(現代の表記ではセーラム)だったりするのでした。なんだかシャレになってない気がしますけど、パトカーの側面にもセーラムって書いてあるんで間違いないです。まあ、もう何百年も経ってたんで大丈夫だったのかな? 以後、セーラム編が続くし。そういえば、エリザベス・モンゴメリー……じゃなかった、サマンサの銅像が現地には建っているとか。これはニコール・キッドマンのリメイク時に建てられたらしいですけど、当時は反対の声があったらしい。町おこしの役には立ってるのかな?

>『天幕のジャードゥーガル』
 結局、紙の本を買ってしまいました。偉いもんで本屋に「このマンガがすごい」コーナーができていて積まれていたのでありました。もっとも収録されているのは7話まで。5話までをネットで読んでいたので、新しく読んだのは2話分だったりする。それでもトゥースが舞台だと背景が細密画っぽかったり、チンギス・カンの息子たちが、鷹揚なジュチ、小狡そうなチャガタイ、ホエホエなオゴタイ、おそらくチンギス・ハンに最も似ているであろうトルイと描き分けられているのが確認できました。
 そして6話と7話では、天幕の明かりとりが日時計になっていることに気づくファティマの知性が描かれる反面、ソルコクタニ(トルイ妃)の知的好奇心が巡り巡って奥様を殺したことが分かり、ファティマは憎悪を抱きます。でも、自分の知性とソルコクタニの知的好奇心が同根だとは気づいていない。また、ファティマことステラが『原論』略奪に抵抗しなければ奥様は殺されなかったんだよなぁ。そして三年後。ファティマはすっかり侍女っぽくなってますが、クビライが登場すると日本人としては平静でいられない(笑)。さらにチンギス・カンが登場(馬上の後ろ姿のみ。オーラが、オーラが!!)。と、ここで人が変に大きいことに気づく……じゃなかった、馬が小さい! そして四肢が妙に太い! モンゴル馬を描いている!? すげぇぜ、トマトスープ氏!
 さて、次巻予告によると「──巨星チンギス・カン堕つ。次代の皇帝は誰? そして下された密命。」ということで、四兄弟の後継者争いが描かれるようです。モンゴルは末子相続なので、順当ならトルイがすべてを相続するはずなのですが……。
 ついでに同じ作者の『ダンピアのおいしい冒険』(イースト・プレス/1〜4巻/以下続巻)を購入したことをご報告。博物学者として名を残したウィリアム・ダンピア(1651〜1715)が私掠船に乗っていた頃のお話。海洋冒険飯漫画と謳ってるけど、ここでも「知」というものが裏テーマになっている。

>人魚のミイラ
 いやぁ〜、別にいいじゃないか、なんでもはっきりすればいいってもんじゃないだろう……というのが感想。そりゃあ、人魚実在の可能性があるなら調べるのもいいでしょうが、そんなこと信じてる人いないでしょ。だったら「伝・人魚木乃伊」でいいじゃないですか。しかし、まったくの作り物だったというのは面白かった。てっきり猿と鮭の合成だと思ってたから。ああ、「護良親王の首」も「伝・護良親王御首級」でいいと思うけどなぁ。しかし、こういうの見ると昔の人も参拝客増やそうと一所懸命だったんですねぇ。現代の「パワー・スポット」と同じようなもんか(笑)。

>謎の飛行物体
 米軍に撃墜された飛行物体。ニュースで見た時、ついつい「風船爆弾」が思い浮かんで、脳内で「お〜、こいは〜、ふ〜せんばく〜だ〜ん」とヘビーローテーションしてしまった(汗)。その後、カナダが円筒形の飛行物体を撃墜したと発表すると、("ら〜ま"だ、"ら〜ま"だ)と『宇宙のランデブー』(A.C.クラーク)な発想をしてしまう。しかし、こいつら飛行方法が不明とのことで「気球」とは呼ばないとか。まあ、中国が「民間の気象観測気球」と下手な言い訳しているから、宇宙から来たわけじゃないとは思うけど。専門家が「気球」を偵察に使う利点を解説していたが、必要なところにピンポイントで飛んでくわけじゃないからどうなんだろう? 「民間の気象観測気球」が下手な言い訳なのは、その民間企業が出てこないことと、気象観測用の気球なら必要な高さで破裂しパラシュートで軟着陸するはずで、偏西風にのるはずないから。じゃなかったら、定点観測にならないもの。「イッテQ」では干物を作るのに使ってたな(笑)。
 そしたら、次は八角形だそうで……。何考えてんだ、うちゅう……あっ、イヤイヤイヤ(笑)。



#11307 
徹夜城(雪の降る町を眺める管理人) 2023/02/10 10:48
大河ドラマドラマ

 また少し間が空いた話題になりますが、僕も先週土曜放送の「大河ドラマが生まれた日」および翌日放送の「花の生涯カラー版」を見ました。

 「大河ドラマが生まれた日」の方は、書籍でその辺の事情を読んだことがありまして、おおむね知ってる話ではありました。主人公になってるNHKスタッフは恐らく後にミスター大河と呼ばれる演出家・大原誠をモデルにしてるように思えます。佐田啓二宅に何度も押しかけ、かなりのお酒を消費してしまったことなど大筋事実のようです(笑)。それを命じる上司役に佐田さんの息子である中井貴一さん、というのもニクいところで(佐田さん役という手もあったんだろうけど、年齢的に無理かな)。
 クライマックスの桜田門外の変の撮影に京都の「東映城」を借りたというのも有名な話ですが、ドラマの撮影に使われたのは茨城県内の「ワープステーション江戸」だと思わエ増す。あの江戸城前のセットは「葵・徳川三代」以来大河ドラマには何度も登場してますし、変わったところでっは映画「郡上一揆」の老中への直訴シーンもあそこで撮られています。
 もともとは撮影もできるテーマパークとしてオープンしたんですが最近はNHKが実質独占借り上げ撮影現場となってるようですね。

「花の生涯」は第一作だけ保存されていて以前にも画質向上版が放送されたことのあると思い魔sが僕は今回初めてその全編を鑑賞しました。カラー化といっても元映像のこともありそうくっきりというわけでもなく、またそれだけにそう違和感なくやってる印象でした。
 もともと白黒で放送・上映する前提で作った作品をカラー化することについては議論もあって、一時古い映画のカラー化が流行ったけどすぐ下火になったこともあります。ただ、カラーで放送されたけど録画機の方が白黒だったケースが大河「樅の木は残った」。総集編はカラーで存在しますが、ほぼ全話の録画は「ご当地」の町役場だったかに白黒ビデオで録画されているそうで、これなんかは今度の技術でカラー化できるんじゃないかと。

>永井路子さんの訃報。
 昨日、歴史作家の永井路子さんの訃報が流れました。失礼ながらまだご存命だったかと驚いてしまったり。97歳だったそうで。
 「草燃える」の原作者ということで昨年の「鎌倉殿の13人」で何かと引き合いに出されてました。源実朝暗殺の黒幕に三浦義村を想定したのは永井さんで、当時歴史学界でも結構支持・注目があったそうで、小説家の説がアカデミズムで取り入れられたケースに挙げられるようです。呉座勇一さんの解説でそれを知りましたが現在は否定的意見が多いみたいですね。
 僕自身は永井さんの小説は実は一作も読んでないんですが、杉本苑子さんとの歴史対談本がなかなか面白かった。特に南北朝時代のくだりを興味深く読んだ覚えがあります。


>変わった遺物
 「人魚のミイラ」からの連想ですが、少し前に山梨県の某神社に保管されているという「護良親王の首」がニュースになってました。「首」はドクロのまわりにいろいろつけて生首っぽくしてる結構不気味なものでして、なんでそんなものがそこに、という経緯も一応伝承はあるようです。
 ただネット上で知ったことですが、どうもこの「首」、以前テレビか何かで紹介され調査されてるようでして、それによると江戸時代以降のものらしい。確かに人骨がベースになってはいるようで、江戸時代の一揆の義民か何かがそういう処理をされ、いつしか護良親王にされちゃった(江戸後期になるほど南朝人気があがりますしね)というあたりではないかと。



#11306 
バラージ 2023/02/08 21:55
書き忘れ

 時房の長男時盛の子孫は佐介流、4男朝直の子孫は大仏流とそれぞれ呼ばれますが、前記のような経緯もあって大仏流が優遇され、佐介流からは有力な人物は出ていません。



#11305 
バラージ 2023/02/08 18:20
その後の鎌倉史 華麗なる一族

 義時死後の鎌倉史、今回は泰時の子供たちと時房の子供たち、および三浦氏の一族の話。

 前回書いた通り泰時は息子たちに先立たれ、孫の経時に家督と執権を継承させなければならなくなっています。泰時の継室である安保実員の娘が産んだ次男時実は、1227年に16歳の若さで家臣の高橋二郎に殺されています。同じ時に同僚も3人殺されたとのことで、高橋はすぐに捕らえられ斬刑にされました。高橋が時実らを殺した理由は不明ですが、その後も高橋家は断絶せずに泰時の弟重時の家臣となって存続しているとのことなので情状酌量の余地があったと推測されているようです。
 長男の時氏は父泰時に従って承久の乱に出陣し、宇治川の戦いでは泰時の命で決死の渡河作戦を行っています。乱後は鎌倉に戻ったようで、祖父義時の死により鎌倉に戻ってきた六波羅探題の泰時と時房が伊賀氏事件の最中に軍営御後見(執権・連署)に任じられると、2人と入れ代わりで後継の六波羅探題北方として、南方に任じられた時房の長男時盛とともに上洛したことは以前書きました。以後6年に渡り探題職を務めましたが、1230年2月に重時が後任の六波羅探題北方に決まり、3月には重時が上洛。重時の入京と入れ代わる形で時氏は鎌倉に下り、4月に鎌倉入りしています。ところが『吾妻鏡』によると鎌倉入りして日も経たぬうちに時氏は病に倒れたとあり、『六波羅守護次第』では鎌倉へ下向中に宮路山(愛知県豊川市)で発病したと記されているとのこと。『明月記』によると6月にはもはや回復の見込みがないことが京にも伝えられており、同月に28歳で死去しています。同年には三浦泰村に嫁いだ泰時の娘も、出産した子供がまもなく死んだ上に自らも産後の肥立ちの悪さから25歳で死去しており、泰時は続けざまに子供に先立たれています。
 ところで時氏と時実のどちらが泰時の嫡男だったのかは『吾妻鏡』などには特にはっきりと書かれていないように思うんですよね。時氏のほうが兄で、また結果的に時氏の子孫が得宗家を継いだので時氏が嫡男のように見られてますが、時氏の母の矢部禅尼は三浦義村という有力御家人の娘とはいえあくまで離縁した前室ですし、一方で時実の母は安保実員というさほど有力ではない御家人の娘ですが現室ですから、どちらが嫡男と考えられていたのかは微妙なところ。当時は嫡流が地元(鎌倉)で活動し庶流が京の朝廷に出仕するというのが一般的だったらしいというのは何度か触れましたが(北条時政と時定、比企能員と朝宗、北条義時と時房、三浦義村と胤義など)、泰時にしても承久の乱に出陣したからという理由はあるものの時房と共に六波羅探題として京に駐留し続けたのはやはりその時点では嫡男ではなかったからとも考えられます。そう考えると時実の生前は一貫して六波羅探題として在京していた時氏は庶長子として扱われていたという可能性もあり得るとも思います。また時氏の妻の松下禅尼は安達景盛の娘なのに対して、時実の妻は北条(名越)朝時の娘とのことなので、時実のほうが格上の人物の娘を妻にしています。朝時の娘ということは時実の従姉妹なんですが、泰時は朝時との関係改善のために2人を婚姻させたのかもしれません。まあ結局改善はしなかったんだけど。

 続いて時房の息子たち。『13人』ばかりでなくほとんどのフィクション作品で触れられていませんが(なにしろ完全な脇道エピソードなんで)、時房家でもなにやらいろいろとゴタゴタがあったようです。
 まず実朝暗殺の翌年、承久の乱の前年に当たる1220年に時房の次男時村と3男資時が突然出家しています。理由は不明で人々は怪しんだと『吾妻鏡』にはあり、兄弟間の家督争いに敗れた、または実朝暗殺のショックで仏門に入る決心を固めたなど諸説あるようですが、いずれも推測で決め手はありません。坂井孝一氏は時村の名前に「村」が入っていることから烏帽子親が三浦義村の可能性があるとして、時村が義村を後ろ楯に頼んで何らかの危険な行動、例えば反義時の行動に走り、出家せざるを得ない状況に追い込まれた可能性もあるとしていますが(『承久の乱』中公新書)、さすがにそれはちょっと穿ち過ぎなんじゃないかなあ。時房の庶子に過ぎない時村・資時にとって義時は敵とするにはあまりに大きすぎ、義村にしても彼らを支援するとは思えません。あくまで時房家内部のゴタゴタの可能性が高いように思われます。
 長男時盛は前記の通り義時の死によって鎌倉に帰ってきた父時房と入れ代わりで六波羅探題南方として上洛してますが、この人もいろいろと騒ぎを起こしています(なお時房が連署に就任したのは一般的に伊賀氏事件の最中に政子によって泰時とともに軍営御後見とされた時とされてますが、政子の死後に泰時によって連署とされたとする説もあるようです)。1240年1月に時房が死ぬと時盛は2月に鎌倉に帰還。4月には時房の遺領分配が行われ、7月9日に帰京しています。時盛はそのまま鎌倉で出仕することを願い出たものの許しが出ず、泰時は5日に出立するよう何度も申し渡したにも関わらず時盛は日付が良くないからと延期を申し出ていたとあります。さらにその2年後の1242年に泰時の病状が重くなり、5月6日に将軍九条頼経より出家の許しを得ると(9日に出家)六波羅探題北方の重時は急ぎ鎌倉下向を命じられ、13日に朝廷の制止を振り切って鎌倉に向かいました。この時、時盛もいっしょに下向するという噂を聞いた『平戸記』の著者の平経高は京を守護する者がいなくなると不審がってますが、結局2人そろって鎌倉に下向しています。6月15日に泰時が死去すると、7月10日に重時は京に帰ってきますが、時盛は6月に鎌倉で出家してしまい京には戻らず、以後六波羅探題は重時1人で務めることになっています。
 この年の『吾妻鏡』が欠落してることもあって今一つ事情がはっきりしないんですが、時房の4男朝直の母が時房室である足立遠元の娘なのに対して時盛の母は不明で、朝直は名前に「朝」が入っていることから将軍実朝の偏諱を受けた可能性もあり、時盛はもともと庶長子だったと考えられます(六波羅探題として京に上ったのも庶子だったからだと思われますし、当初それに難色を示したのも穿った見方をすれば内心それに不満だったからかもしれません)。おそらく時盛は父の死後に嫡流の変更を図って泰時の権威にすがろうとしたのだと思われ、それに対して泰時は時房の死後に時房家の家督継承に介入することを拒否し、あまりにしつこかった時盛は最終的に失脚したという可能性が高いように思われます。
 さて時房の後を継いだ朝直ですが、この人もちょっとした騒ぎを起こしています。朝直は伊賀氏事件で処分された伊賀光宗(義時の妻である伊賀の方の兄)の娘を妻としてたんですが、藤原定家の『明月記』によると1226年に泰時の娘と婚姻する話が持ち上がったとのこと。協力体制を築いた泰時と時房がお互いの家の関係を深めようとしたのでしょう。しかし朝直はよほどの愛妻家だったのか光宗の娘との離縁を拒み、両親の時房夫妻が説得する事態となっています。光宗は1225年に許されて幕政に復帰してるので彼の了解も得ていたと思われますが、それでも朝直は離縁を拒み続けて騒動となり、離縁を悲しむあまり出家の支度を始める始末だったとのこと。しかし『吾妻鏡』には1231年に朝直の妻である泰時の娘が男子を産んだという記事があるので、結局朝直は両親や泰時に説き伏せられたようです。

 最後に北条氏に次ぐ有力御家人だった三浦氏の一族について。
 三浦義村は元娘婿である執権泰時を時房とともに支える役回りを務めており、それ以前の承久の乱の戦後処理においても積極的に活動したのは在京経験のない泰時ではなく、在京経験のある時房と義村だったことが指摘されています。義村は廃位した懐成親王(仲恭天皇)に代わる後堀河天皇の擁立にも強く関わったことが、賀茂社の神官である賀茂経久の『賀茂旧記』に記されているとのこと。義村は1225年の大江広元や政子の死後に泰時が設置した評定衆にも加えられており、将軍九条頼経にも近侍するようになって、泰時・時房に次ぐ地位に置かれていたようです。1239年12月に死去し、翌1240年1月に時房も死ぬと、京の人々は1239年3月に死んだ後鳥羽上皇の祟りではないかと噂したとのこと。でも実際には2人とも爺さんだったんだから別に不思議ではないんだよなあ。なお三浦氏については高橋秀樹氏の研究(『三浦一族の中世』吉川弘文館 など)がくわしいんですが、個人的には義村を少々高く評価しすぎてるように感じますね。
 その義村の後を継いだのは後に宝治合戦で滅亡した泰村なんですが、実は泰村は次男でして、義村の長男は朝村という人物です。朝村は『吾妻鏡』への登場も少ないんですが、実朝の右大臣拝賀式が初見。以前も書きましたが父の義村は何らかの理由で参列しておらず、代わりに嫡男の朝村が参列したものと思われます。なお朝村も名前に「朝」が入っていることから実朝の偏諱を受けた可能性があります。承久の乱には父義村と弟泰村が出陣し朝村は出陣していませんが、おそらく義村は合戦でもしものことがあった場合を考えて嫡男の朝村を鎌倉に残したんでしょう。朝村の最終所見は1237年6月とのことで、翌1238年には泰村が評定衆になっているのでおそらくその間に死去したものと思われます。朝村には氏村・朝氏・員村などの息子がいたようですが、嫡流が弟泰村に移ったのは義村が若い氏村らでは当主は務まらないと判断したのかもしれません。氏村らはいずれも叔父の泰村に従い宝治合戦で自害しています。
 泰村は烏帽子親である泰時の偏諱を受けてますが、その時点では北条氏の当主は義時で、泰時は嫡男ですらなく庶長子だった可能性が高いことは以前触れました。泰村もまたこの時点では庶子であり、烏帽子親と偏諱は北条氏と三浦氏歴代の密接な関係によるものと思われます。また泰村が泰時の娘を妻としていたことも前記の通りですが、1230年にその妻が死去した時点でも泰村はまだ庶子だったということになります。


>ちょっと面白ニュース
 岡山県浅口市の寺院である円珠院に伝わる「人魚のミイラ」をCT検査などで分析した結果、造形物であることがわかったというニュースを読みました。研究者や民俗学の専門家で構成するチームが昨年2月から分析を進めていたそうで、放射性炭素による年代測定では19世紀後半に作られたとみられるとのこと。へえ〜、そんな科学的分析してたんだ。いや、結論は分析なんてしなくても皆もうわかってたと思いますけどね(笑)。でも寺のほうもよく科学的分析を許可したなあ。チームによると人魚のミイラは江戸時代以降に数多く作製されたとみられ、円珠院を含めて少なくとも10数体が確認されているとのこと。



#11304 
巨炎 2023/02/05 15:10
本日、「花の生涯」カラー版放送

昨晩の大河ドラマ(正確には「花の生涯」)リメイクドラマ観ました。

中井貴一が主人公達に佐田啓二を引っ張ってこさせる展開は確信犯ですね。
「パパが活躍する時代劇をテレビで観たい」とお前が頼めよ(笑。

後、WOWOWで一昨年公開された河井継之助が主人公の「峠」劇場版が放送されました。 https://touge-movie.com/







#11303 
バラージ 2023/02/02 23:47
時の流れに身をまかせ

 テレビ情報誌『週刊ザテレビジョン』が休刊というニュース。それに関連して元『テレビブロス』ライター&編集者で現在はネットニュース編集者の中川淳一郎という人へのネット・インタビュー記事がありました。それを読んで知ったんですが、『テレビブロス』も2020年に、『NHKウィークリー ステラ』も2022年3月に休刊してたんですね。そういや最近見かけないと思ってたんだ。『週刊ザテレビジョン』と並ぶもう一方の雄『週刊TVガイド』はまだ出版されてるようですが、こちらもコンビニでは最近見かけないような……。まあ、こういうのも時代の流れなんでしょうね。そういや僕もテレビ情報誌なんてここ10年ほどとんと読んでませんしねえ。
 90年代によく買ってた映像ソフト情報誌『ビデオでーた』もその後『ビデオ&DVDでーた』、さらに『DVD&ビデオでーた』と誌名が変わったあたりまでは読んでたけど、その後どうなったのかなと思ったら『DVDでーた』→『DVD&ブルーレイでーた』と誌名が変わり、現在は『DVD&動画配信でーた』になってるらしい。いやあ、時代ですな。
 90年前後に読んでた映画情報誌『ロードショー』もとっくの昔(2008年)に廃刊したし、『スクリーン』のほうはまだ出てるのかな?



#11302 
徹夜城(時節柄いろいろと忙しい管理人) 2023/01/29 19:14
昨日のブラタモリ

 昨日の「ブラタモリ」は栃木県足利市。僕も一度旅したことがある町で、「旅行で南北朝!」コーナーでその旅について書いてもいます。足利氏と言えば鑁阿寺(おお、一発変換)と足利学校が名物ですが、やっぱりそこを回ってましたね。

 番組の最初に出たのが「足利尊氏銅像」。これ、建設時に「尊氏は足利には一度も来てない」との主張から反対意見もあったそうですが、結局建てられたもの。足利は戦前には尊氏が逆賊扱いされたこともあってかなり風当たりが強かったようですが(尊氏出身地と考えられてましたしね)、その辺も含めて複雑な感情があるような、と思ったものです。

 まぁ一応「一族のルーツの地」には違いないですし、鑁阿寺はかつての足利館、鑁阿寺自体が尊氏の父・貞氏の創建で(建物は当時のままのため国宝に指定)尊氏も一度くらいは来たことがあるんじゃないかなぁ、とは思います。
 大河「太平記」ではロケ地にした事情もあり、作中で尊氏が足利にいる描写もありましたが、生まれは鎌倉とされ、少年時代にちょっと行ってた、くらいの扱い。貞氏の葬儀を鑁阿寺であげる展開もありました。

 尊氏が実は足利との縁は薄かった、というのは大河ドラマ作るころには通説化してたようですが、それ以前の創作物っではたいてい足利で生まれ育った設定になっていて、「私本太平記」「新太平記」「新田義貞」といった小説でもそうなってました。ひとつにはライバルとなる義貞がすぐ隣の地域にいるので絡む話を作りやすい、ということもあったでしょう。小学館の学習漫画でも尊氏が「領地の下野から出陣」と口にしてましたっけ。

 「ブラタモリ」に話を戻すと、足利学校が戦国時代に占いを学ぶ場だったこと、ヨーロッパの地図にも「坂東の大学」と書かれる(確かザビエルが手紙でそう書いているのが原因)ことなど、ここを紹介する際にはたいてい出てくる話をやってましたね。「論語」など儒教教育が行われたってんででかい孔子像も建ってました。今も子供たちに昔風に音読させたりしてたんじゃなかったかな。

 大河ドラマロケ地になった名残である「太平記館」というお土産屋もNHKなんだし紹介してもよかったんじゃないかなぁ、ってまだあるのかな。真田広之着用の大鎧が飾ってありましたが。



#11301 
バラージ 2023/01/27 21:06
その後の鎌倉史 エデンの東

 義時死後の鎌倉史、今回は泰時とその弟たちのその後の話。

 泰時と次弟朝時の不仲については以前から触れてますが、特に朝時の側がもともとは庶長子だった異母兄泰時の執権就任と家督継承に強く反発したようです。『吾妻鏡』には義時の四十九日仏事は1224年7月30日に行われたと記されているのに対し、以前書いた通り『湛睿説草』には朝時が施主となった義時の四十九日仏事が2日後の閏7月2日に行われたと記されており、朝時は幕府の公的な四十九日仏事とは別に自らが施主となった四十九日仏事を行っていたことになります。閏7月2日はちょうど伊賀氏事件で三寅を伴って泰時邸に入った政子によって宿老連中が召集され、伊賀一族と一条実雅の処分が決められた時期(1日〜3日)に当たり、そんな中で朝時は自らが主宰する義時の四十九日仏事を行っていることから、泰時の嫡流継承に反抗して自分こそが義時の嫡流だとアピールする狙いがあったのかもしれません。なお『吾妻鏡』は仏事の主体を一貫して記していませんが、葬儀が18日で初七日が19日、二七日が26日でその日に泰時が鎌倉入りしてることから、ここまでは泰時が施主ではあり得ません。後家の伊賀の方とする説と鎌倉殿後見の政子とする説があるということは以前書きました。以後、三七日が7月4日、四七日が11日、五七日が16日、六七日が23日で、四十九日が30日となりますがいずれも施主は不明です。なお1年後の除服(喪明け)も、泰時が1225年5月12日に弟の重時・政村・実義・有時と共に行っているのに対して、朝時のみは前日の11日に単独で行っています。朝時の同母弟の重時や伊賀の方の息子の政村・実義も泰時に従っており、朝時の孤立ぶりがうかがえますね。
 また『吾妻鏡』によると、1231年9月27日に朝時邸に賊が入った時に泰時が評定の席を飛び出してすぐに駆け付けたことに朝時が感激し、子孫に至るまで兄泰時流への忠誠を誓い敵対しないという起請文を書いて1通を鶴岡別当坊に預け、もう1通を子孫がそれを忘れぬよう家の文書として保管したという逸話を載せてますが、いかにも泰時顕彰話っぽい。実際には朝時の子孫の名越家は1246年の宮騒動と1272年の二月騒動で泰時の子孫の得宗家に敵対しています。あるいは『吾妻鏡』編纂時点では得宗家に恭順していた名越家の側が作り出した神話なのかもしれませんが。なお、この起請文のエピソードについては朝時がそれ以前は泰時に対して相対的独自性を持っていたことの逆証明だとする見解もあるようです。朝時はその後も1236年9月には評定衆に嫌々ながら加わったものの、『関東評定伝』によるとすぐに辞退しているとのことで、泰時の麾下になりたくないとの思いがあったと思われます(朝時は武人肌で政務には向いてなかったとする推測もある)。
 泰時は1242年6月15日に死去してますが、京の公家の平経高の日記『平戸記』には、泰時が5月10日(『鎌倉年代記』裏書では9日)に病状悪化に伴って出家すると朝時も1日遅れて11日に出家したとの情報が京に伝えられ、世間は兄弟が日頃疎遠だったのに大変不審だと驚いていると記されてるとのこと(『吾妻鏡』は同年の記事が欠落)。泰時と朝時の不仲は京でも知れ渡っていたことがわかります。泰時の弟でこの時に出家したのは朝時のみで、『平戸記』によると当時鎌倉が不穏な情勢になっていることが京に伝えられ、また幕府は京と鎌倉の交通を遮断して将軍御所を厳重に警護しているとも伝えられていることから、泰時に反抗的な朝時が野心を警戒されて泰時やその周辺から出家を迫られたとする説もあるようです。泰時は1227年に次男時実を家臣による殺害で、1230年に長男時氏を病で失っており、時氏の長男でわずか18歳の嫡孫経時に家督と執権を継承させなければならず、政権が不安定化していたことも関係していたと思われます。

 なお伊賀氏事件直後の1224年9月5日には泰時が兄弟姉妹に遺領分配を行ってますが、事前に内覧した政子が嫡男である泰時の配分が少ないのではないかと疑問を呈したところ、泰時は自分が執権を継承したので所領は弟たちに多く分配すると答えて政子が感涙に及んだと『吾妻鏡』には記されてます。例によっての泰時顕彰記事ですが、実際には政子の強引な裁定で泰時が執権と家督を継ぐことになってしまったため、弟たちに遺領を多く分配しなければ特に朝時が納得しないと考えたんでしょう。政子も朝時が独自に四十九日仏事を行ったのを知っていたはずで、さすがにいくら能天気だったとしても感涙したりはしないはず。
 1225年7月11日には政子が死去しますが、それに関連して2020年に新たに発見された藤原定家の日記『明月記』断簡の1225年7月1日条には、泰時が危篤状態の続く政子にあなたが逝去したら私は遁世しますと言ったところ、天下を鎮守することが恩に報いることになるのですと政子が泰時の出家を諌めたという噂を定家が聞いたことが記されているそうです。山本みなみ氏は泰時がどれほど政子を頼りにしていたかがうかがえるとしてますが(『史伝 北条義時』小学館)、あくまで噂に過ぎず事実かどうかは不確定であるということを前提とした上で、むしろもともとは嫡男ではなかったのに政子の暴走で強引に執権にさせられた泰時が自責の念に苦しんでいたと解釈すべきなんではないかと思われます。そう考えると政子の返答はそれを知ってか知らずか、相変わらずずいぶん見当違いのように感じられますね。

 さて、思わず家督と執権の座に付いてしまった泰時は、母が系譜もわからないほど身分が低くて外戚の助力が全く期待できない上に、後妻の父の安保実員も必ずしも有力御家人ではない安保氏のしかも庶流に過ぎず、自身を支える勢力が甚だしく弱体だったためもあってか、前記の通り弟たちへの遺領配分を多くして彼らを支持勢力とし政権運営の支えとしようとしたものと思われます。それでも朝時が反抗的だったことで弱気になり、政子が死んだら出家すると弱音を吐いたのかもしれません。次弟朝時は最後まで泰時に反抗的だったようですが、泰時の期待に応えたのが朝時の同母弟である三弟重時と、伊賀の方所生の五弟政村でした。
 2人とも兄泰時およびその子孫の得宗家をよく支え、重時は泰時の孫の5代執権時頼の時代に連署となり、重時隠居後は政村が連署となって、さらに得宗時頼と6代執権長時(重時の嫡男)が相次いで死ぬと、時頼の嫡男である若い時宗までのつなぎとして政村が7代執権になりました。日蓮は重時を「いみしかりし人(立派な人物)」と評したとのことで、また政村も温厚な文化人として京の公家からも好意的に見られ、公家の吉田経長は日記『吉続記』に「東方の遺老」と書いて政村の死を惜しんだそうです。重時の子孫は極楽寺流と呼ばれ、中でも執権となった嫡男長時の子孫は赤橋家として得宗家に次ぐ高い家格を持つことになります。政村の子孫は政村流とされ、やはり嫡流は得宗家・赤橋家に次ぐ高い家格だったとのこと。

 泰時の残る2人の弟・六弟実義(実泰)と四弟有時についても触れときましょう。実義は伊賀の方の息子で政村の同母弟ですが、伊賀氏事件にどう関係したのか、またはしなかったのかは不明。泰時の家督継承後まもなく泰時の偏倚を受けて実泰と改名したと思われます。実泰も泰時に重用されますが、1234年に27歳の若さで出家し、わずか11歳の嫡男実時が後を継いでいます。『吾妻鏡』にはくわしい事情は書かれていませんが、『明月記』によると実泰は誤って腹を突き切って度々気絶し狂気の自害かと噂されたとのこと。誤って切腹するわけはないので、精神的におかしくなったか何かで自殺未遂したんでしょう。1263年に56歳で死去してるとのことなので、やはり肉体的な病気ではなく精神的な問題だったと思われます。後を継いだ実時は金沢文庫の創設者として著名で子孫は金沢流と呼ばれ、やはり得宗家・赤橋家・政村流に次ぐ家格とされたようです。
 有時は4男ですが母が妾(側室)だったためと、後室腹の5男政村・6男実泰の元服が異様に早かったことからおそらく元服が後回しとされたと思われ、通称も政村・実泰の四郎・五郎に対して有時は六郎です。1241年に評定衆になるも同年のうちに辞任を申請しており、その時は却下されたものの結局泰時死後の1243年には病を理由に44歳で引退しています。ところが死去は1270年の71歳の時で、どうもこのあたりの事情は不透明。子孫は伊具流と呼ばれましたが、出自の低さからか有力な人物は出ていません。



Sat Sep 30 04:19:39 2023
☆新規に書き込む
☆歴史のトップページに戻る