倭人襲来絵詞・第四日
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☆お茶と人形とまた列車

 帰国後しばらくたってネットをさまよっているうちに僕はこの「六和」という名前に覚えがあることに思い当たった。何かのお話のラストの方で「六和寺」ってのが出てきたような…ここで「あ」と思い当たり、その本を引っ張り出して確認。なるほど最後の方に「六和寺」が出ている。その物語とはズバリ「水滸伝」であったのだ!なんで忘れてたんでしょ、こんなの。
 「水滸伝」はご存知の方も多いだろうが、宋江以下百八人の豪傑が梁山泊にたてこもって大暴れする愉快痛快豪快爽快小説(笑)。「三国演義」みたいな歴史小説とは違った俗っぽい面白さが売りだ。いかにも「中国的」なお話で日本人の感性ではややとっつきにくいところもあるが、江戸以降の日本文学に与えた影響は「三国志」より多大かもしれない。かく言う僕も「水滸伝」の方が好みになってしまったクチだ。
 「水滸伝」は百八人の豪傑たちが集まるところまでが面白く、その後はいまいち話としてはパッとしない。おまけに最後には方臘(ほうろう)の乱を討伐しに行き、その戦いでメンバーの4分の3ほどが戦死してしまう。何とか乱の鎮圧には成功し、宋江たちはこの杭州にやって来る。そしてこの六和寺で、「水滸伝」を代表する豪傑の一人、花和尚・魯智深が銭塘江の逆流する音「潮信」を聞きながら座禅を組んで大往生を遂げるのだ。魯智深と共に代表的豪傑である行者・武松もこの寺に残り、ここで生涯を終えたという。
 もちろん全くのフィクションではあるのだが、魯智深と武松の「終焉の地」に立っていたことに、僕は帰国後まで全く気がつかなかった。不覚である。聞くところによると六和塔の裏手に武松の銅像なんかもあったりしたのだそうだ。塔のてっぺんでいろいろと思いをはせて時間をつぶしていたために周辺を見て回るヒマがなかったんだよな。

 六和塔をあとにした我々ツアー一行は、またしても「おみやげコース」をたどらされる。今度はお茶のお店(なのか、「研究所」なのか)である。一行が一室に押し込むように入れられると、ガラスのコップに入った「緑茶」がふるまわれた。お茶をガラスのコップに入れるなよ、と思いつつ(当然熱いので飲むのに苦労する)飲んでみるが、味はまぁまぁというところだろう。緑茶といっても日本茶のそれとはかなり違い、でっかなお茶っ葉がコップの中にドッカと浮いているのが面白いところ。一服してお茶の説明を一通り受けたところでショッピングタイム。まぁ皆さん高いお茶をドカドカと買い込むものである。僕も一応バイト先へのおみやげの一つも買っておこうと安いお茶(笑)を2箱ほど買っておいた。いくらだったかもう忘れたが、なんだかピンからキリまでえらく差があったのは確か。それでいて外から見ただけでは全く違いが分からないのが怖いところでもある。

 お土産用のお茶も買ったことだし、あとはブラブラと出発時間を待とうかな、と思い、その店のお茶以外のお土産コーナーを歩いてみる。話のタネになる面白いものでもあれば…と思っていると、何やら小さい人形がぎっしり入った箱が展示してある。みればあの「恵山泥人形」の小さいやつで、小型のトランクみたいな箱の中に「三国演義」のキャラクターが百人ばかりギッシリと敷き詰められている。ほう、これはなかなか面白いな、と思って回りをみると「西遊記」のキャラセットもあった。と、なると…と思ってさらにキョロキョロ見てみると、あった、あった。「水滸伝」のセットもちゃんとあった。
 こりゃ買ってくれそうだと踏んだ店員がニコニコと近寄ってきて流暢な日本語で声をかけてきた。日本人なんかが「三国演義」セットを良く買っていくんだろう。しかし僕はやはり「水滸伝」の方に興味があった。だって「三国演義」にしても「西遊記」にしても全登場キャラを網羅できるわけはなく、採用キャラの選別が勝手に行われてしまうのは確実。「水滸伝」なら梁山泊の「百八星」でピタッとしたセットになってくれる。
「これ、百八人全員そろってますよね?」さすがに一瞬で確認できるものではないので念のため店員に聞く。「ええ」との返事だったが、たぶんこの店員も確認したことはなさそうな表情。あとはお値段である。みると「4000円」(そもそも円表示だったんです)とある。「ふーん」と僕が何気なく口にすると、すかさず「では3000円でどうでしょ」と店員。別に値切った覚えはないのだが、あっけなく値が下がってしまったのでそのまま交渉決着。本気で値切れば2000円ぐらいになったような気もする。ま、3000円でも十分すぎるほど価値がありますよ、これは。
水滸伝泥人形。一個は1.5cm程度 写真に見るとおりで、一つ一つの人形はかなり小さく、デフォルメされている。しかし何といっても梁山泊の百八人全員が勢ぞろいし、あだ名と本名、それぞれの使う武器までもちゃんとついている所がマニア泣かせで圧巻である(笑)。思えばここで「水滸伝」に触れていたのに、なんで六和寺のことを思い出さなかったんだろ。
 この店で実に珍しく僕が買い物をしたので、まわりのご老人達に「何買ったの?」などと聞かれたりもした。ちょっと説明が面倒くさい商品だ。

 この店で杭州観光はおしまい。上海へ向けて列車で移動するため慌ただしくバスで杭州東駅まで移動する。杭州はほかにも歴史的見どころが多く、実に離れがたいのだが、これもツアー旅行の宿命、やむをえまい。個人的には倭寇絡みのところが回れた(企画者の方はそんなつもりは毛頭無かっただろうが)のだから良しとしよう。中国史ファンの大半は「岳飛廟」を回らないことに激怒するだろうけど、こういう「民族英雄」みたいなところは日本旅行者のツアーとしてはついつい避けちゃうものかも知れない。
 杭州東駅は昨日も通ったはずだが、着いてすぐにバスに押し込まれたうえ夜だったこともあり、まるで周辺の様子が分からなかった。今回はまだまだ日の高いうちに駅についたので駅前の状況がよく分かった。駅前広場はビッシリと車が止まっており、ほとんど駐車場である。駅の建物には商店が併設され、あたりにはビッシリと企業の看板。おなじみ「ペプシ」や「三菱」の看板も見える。ツアー参加の何人かがそんな様子をビデオに収めていく。
 列車はまたしても二階建て客車。牽引するはディーゼル機関車である。中国ではまだSLを生産しているなんて話も聞いていたので、ひそかに期待するところもあったのだが、さすがに沿岸都市部ではSLは一掃されたらしく、ディーゼル機関車・電気機関車ばかりが目に付いた。

 前日に無錫から杭州までの列車行と違い、今度は僕は4人ボックス席の窓際に座った。目の前には成田からの飛行機で隣に座っていたご老人が座った。虹橋空港に降り立つ時、いきなり「ダイオキシン」の話をしてきたあの人だ。今思い出してもなかなかユニークな人だったが、上海までの列車の中、僕はこのお爺さんとあれこれと話をした…というか一方的に聞かされたような(笑)。だが、これはこれで忘れ得ぬ思い出になった。
 上海到着のところでチラッと書いた、戦争当時のお話はこの時に聞かされたのだ。非常に興味深い話なので紹介させていただこう。

 このご老人、終戦を朝鮮・満州国境で迎えた。兵隊に取られてはいたものの、まだ10代の少年である。突然の事態に呆然としたのは無理もないだろう。ところが呆然としたのは少年兵だけではなかった。上官がみんな呆然としてしまい、部下をほったらかしてどっかへ逃げちゃったそうなのだ。この辺の事情は詳しく聞き出せなかったが、ソ連軍が満州・朝鮮北部へ侵攻してくるって時期である。その混乱ぶりは大変なものだったろう。
 それまで上官の命令だけに従ってきた(というかそれ以外のことはさせてもらえない)兵士達は途方に暮れ、とりあえずテクテクと町へ向かって歩き始めた。なんでも満州の何も見えない大平原を延々何十q(もっとだったかもしれない)も歩き続けたのだそうだ。ようやく町にたどりつき、駆け込んだ先は「床屋」。「あれほど気持ちイイ散髪はなかったな」とご老人はしみじみと語っていた。
 しかしホッと一息ついたのもつかの間、今度はソ連軍の捕虜とされてしまう。そしてそこからあの悪名高い「シベリア抑留」を経験することになるわけだが、さすがにご老人の口からこの抑留時の体験談は出なかった。その代わり、ご老人はこんな事を語ってくれた。抑留に送られる前に収容されていた施設で、彼らの入っていた牢の牢番が朝鮮人だったのだそうだ。その朝鮮人の牢番は牢の中にいる日本人捕虜たちにこんな声をかけてきた。「今はお辛いでしょうが、辛抱してください」この慰めの言葉(もちろん日本語である)を聞いた瞬間、このご老人、いや当時の少年はこう実感したという。(俺たちは、こういう人達を征服・支配して言葉も押し付けたんだ…)
 その後シベリア抑留を経てようやく帰国を果たし、つてを頼って公務員となり、今は引退して海外旅行三昧で楽しく暮らしているわけだ。戦後はこれといって波乱はなかったわけだけど、この人の語る話に、僕はまさに「歴史」を重く感じていた。
 このご老人、最近の日本はどうも危ない、としきりに言っていた。自分が体験したあのキナ臭い時代と同じ匂いをどうも感じる、と僕に繰り返し語った。そのあとはスピード違反で警察に捕まった時の話題などになって一気に話がくだけてしまったが(笑)、思わぬところで思わぬ歴史ばなしが聞けるものである。若者よ、老人の話は聞くべし、ですな。

 列車は田園風景を車窓に見せながら、延々と突っ走っていく。前日に上海から杭州まで走っているので初めて通る道ではないのだが、前日と違い日中ということもあって初めて見る景色ばかり。中国史専攻にはおなじみ「江南デルタ地帯のクリーク」ってやつも眺められる。例によって時折通り過ぎる駅名には、倭寇被災地として史料でおなじみの地名が目に付く。倭寇ども、こんなただっぴろいところを走り抜けていったんだねぇ、としみじみと実感する。
 などと思いつつ車窓を見ていたら、貨物線らしき線路に白い煙を吐きつつトボトボと走っている黒い物体が目に入ってきた。「おっ!蒸気機関車!」ついつい声を上げて向かいの老人を驚かせる。鉄道ファンの本性丸出しで僕は窓の外の機関車の動きを追う。貨物用らしいが車両は引いておらず、どうやら回送運行ということらしい。沿岸都市部じゃ一掃されたかな、と思っていたら、まだまだ細々とは使用されているようだ。本物の動くSLを見るのはこれが初めてではないのだが、日本国内の観光用やイベント用のSL運行ではなく、実際に「現役」としてSLが働いているのを見るのはやはり感動がある。この時カメラを入れたカバンがちょっと遠くにあったため、写真をすかさず撮れなかったことが悔やまれる。

 そうこうしているうちに夕方の上海駅に到着。ちょっとここでトイレ休憩がとられ、ツアー一行のうち数名が上海駅プラットホームのトイレで用を足しに行った。帰ってくると興奮したように周囲の人にあれこれ話し、その人達を連れだってまたトイレに向かった。「トイレ見物」に行ったわけである。えー、なんでトイレでこんなに大騒ぎしているのかは中国旅行経験者にお聞き下さい。ここでは深入りしません(笑)。

 上海駅も工事中らしく、あちこちにクレーンや足場が目に付いた。駅からとっととバスに乗り込み、上海市内を走り始める。まずは夕食をとるためホテルに直行。今夜宿泊するところではなく、ただ食事をとるためだけに寄ったもの。何やらやたら古そうなホテルで、恐らくかなり由緒があるのではと思われるが、今となってはどこだったのか記憶が定かでない。
 夕食は例によって中華だが、ここでちょっとしたイベント。ツアー期間中に誕生日を迎えた参加者を祝福するのだ。見れば同じ食堂で夕食を取っていた他のツアー客達も同じことをしている。そこで他の参加者に聞いた話だが、この手のツアーでは最終夕食の定番なんだそうな。
 夕食をとった食堂の周囲には掛け軸がいっぱい。さあ買え、と言わんばかりで(笑)、実際買っていく人も多かった。ホテルの従業員が流暢(?)な日本語で「お父さん、これ安いよ!」などと爺さんたちをたぶらかしているのを見ていると、ちょっと複雑な気分に。

 夕食の後は希望者のみで雑技団見物。これは別料金でしかもそこそこ高く付くこともあって僕はパスした。それでも大半の人達は雑技団見物に向かい、少数のパス組はホテルへ先に向かう別行動となった。
 ホテルへ入る前に、上海名所観光が一つ挿入されていた。俗に「バンド」と呼ばれる黄浦江に面した「外灘」地区の観光である。ここは何なのかというと、かつて欧米列強(日本もいるが)が中国進出を競った帝国主義華やかかりし時代(19世紀後半〜20世紀前半)に、こうした各国の人々による「租界」が形成された地域なのだ。「外国人居留地」と言うよりは「治外法権の植民地」とでも呼ぶべきだろうか。この地域には中国人の立ち入りは禁止され「犬と中国人入るべからず」などという看板が掲げられていたなんてのは世界史の有名な逸話の一つだ。ここもまた、ある時代の歴史を象徴する現場なのである。
 そんな「帝国主義の象徴」も今やかっこうの外貨稼ぎになる外国人向け観光地。租界時代を忍ばせる重厚な欧風建築が並び、気分はちょっとした「魔都・上海」(笑)。一昔前のスパイ合戦の舞台だったんだよな、ここは。

 20世紀までの帝国主義の歴史の遺物が並ぶ「外灘」の対岸には、現在の上海はおろか中国の経済発展そのものを象徴するとも言われる460mの「大注射器」こと「東方明珠電視塔」がそびえる。この川向こう、「浦東地区」の大開発は21世紀中国の行方を象徴するとも言われる大プロジェクトだ。日本で言えば高度成長期の新宿みたいなもんだろうか。川一つ隔てて中国の過去・未来を一望できるこの川岸は、外国の要人が来ると中国側が必ず案内するぐらいの名所となってしまっている。
 16世紀の「大倭寇」時代には上海は倭寇襲撃にさらされる小さな都市に過ぎなかった。今でも当時の旧城市の輪郭は道路の形で残っているので地図上で確認ができる。まさに我々「現代の倭寇」もビックリしちゃう程の変わり様である。浦東地区なんて倭寇の襲撃がひどくなったときは「人煙絶つ」という有様だったそうだが…。
 いろいろと感慨深いこの黄浦江観光だったが、時間も短かったしすでに夜だったこともあってそれほどじっくりと楽しめたわけではない。ガイドさんにわざわざ欧風建築の夜景をバックに写真を撮ってもらったりもしたんだけど、残念ながら露光不足でほとんど何も写っていなかった(涙)。夜景はホント素晴らしかったんだけどね、ここ。
 なお、帰国後のことだが。この旅行時にも続行されていたNATOによるユーゴ空爆の中で、中国大使館が「誤爆」されるというとんでもない事件が起こった。この時中国では反米(ついでに反欧・反日)運動が一時的ではあるが盛り上がり、この外灘地域のマクドナルドが怒れる人々に襲撃されるなんて事件も起きていた。かくて歴史はいろいろと進んでいく。

 外灘観光も終わり雑技団パス組はホテルへ。今宵泊まるこのホテルが今度の旅行最後の宿泊地となる。
 着いた時間がかなり早かったこともあり、僕はホテル内をブラブラとうろつく。他の雑技団パス組はほとんどホテルを出て上海市内へ買い物に出かけていったが、そこまでする気のない僕はホテル内の売店で何かお土産でもと眺めてみる。本にも興味があったが、今ひとつ買う気が起こるモノは無し。ところが一つ面白いモノが目に入った。Windows用CD−ROMだ。タイトルから察するに普陀山観光の内容らしい。普陀山というのは寧波沖の舟山群島(地図でご確認下さい)にある島の一つで、昔から有名な仏教聖地である。思わず手にとって値段を見れば大したこともなく、話のタネに買ってみようと決める。店員に念の為日本のPCでも動くか、と聞いたが「コンパックとかなら動くでしょう」という専門的なんだかいい加減なんだかよく分からない返事が返ってきた。帰国後試したが、無事に我が家のPC−9821Ce2で動きましたとさ。
 さて、なんで僕がこの「普陀山」のCD−ROMに惹かれてしまったのか。もちろん自分の専門ジャンルがそこに絡んでいたからだ。ただこれについて語り出すと長くなるので(このファイルだけ異様にでかくなるもんな)別の日のところでまた触れることにしよう。このCD−ROMもまた期待に違わず、いや期待以上に「話のタネ」になるシロモノだったのだが、それについてもまた後で。

 さて、この夜僕は最後の夜ということもあり、明日に備えてとっとと寝ることにした。明かりを消し、ベッドに入り、ウトウトとし始めたとき、突然僕の部屋のドアを「ドンドン!」と叩く音が聞こえてきたのである!隣の部屋かと思ってしばらく様子を見ていると、「ドンドンドン!」としつこく叩かれる音がする。やはり僕の部屋のドアを叩いているのだ。すわ、何事ならん?

 ここはかつての魔都・上海。陰謀策謀渦巻いて、油断大敵火の用心。ドアを叩くはそも何者。それは次回で。

次回鋭意執筆中!