ニュースな
2001年5月29日

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 ◆今週の記事

◆背に腹は代えられず?
 
   東西冷戦が終結し、ソ連が崩壊してはや10年。 相変わらず共産党が政権をとっている自称社会主義国もいくつかあるが、世界全体としてみればいわゆる国際共産主義運動が昔に比べればかなり低調になったことは間違いない。もちろん世界中にある「共産党」(名前が違うケースもあるが)は国ごとに事情も性格も規模もかなり異なるのだが、全体としてみればやはり低調ぎみなのは明らかだ。

 そんな状況を象徴するような話がフランスから流れてきた。フランス共産党(サイトはこちら。フランス語読めれば…)の機関紙「ユマニテ」(「Humanit?」で「人間・人類」。サイトはこちらが民間企業の出資を受けてどうにか存続するめどが立ったというお話。フランス共産党の機関紙だから、日本で言うなら「しんぶん赤旗」というところだが、この「ユマニテ」、とにかく部数がこのところ極端に低迷して経営難に陥ってしまっていたのだそうで。共産党の機関紙とは言え、資本主義社会内にある以上経営危機もあるし倒産・休刊だって起こりうる事態なわけ。
 この「ユマニテ」だが、創刊はなんと1904年。第一次世界大戦前、もちろんロシア革命より前であるが、国際的な労働運動、社会主義運動が盛んだった時期である。面白いことに「ユマニテ」の方がフランス共産党より歴史が古く、フランス共産党自体は1920年にフランス社会党から分裂して成立し、1923年に「ユマニテ」を機関紙としたという経緯がある。第二次大戦直後は共産党の勢力拡大と共に最盛期40万部という部数を誇り、著名な思想家なども寄稿する独特の新聞としての地位を確立していた。その後しだいに部数を減らしていったが、冷戦終結直前の80年代の段階で14万部ぐらいは保っていた。ところが、最近ではなんと4万部あたりまで部数が低迷してしまっていたのだそうだ。累積赤字も5000万フラン(約8億円)にまでのぼっているとのこと。
 
 そんなわけで、昨年あたりから「ユマニテ」の「再建計画」の話が持ち上がっていた。再建策として編集部の一新といった内容的なもののほか、主に共産党が持っている社の株式を放出し出資者を募るというやり方が検討された。そして去る5月18日、出資元が決まったのである。
 「ユマニテ」に出資することになったのは出版社のアシェット社、放送局TF1、ケス=デパルニュ銀行の三つ。この三社で「ユマニテ」の新しい資本金の20%を占めることになり、共産党が40%、残り40%をユマニテの社員や読者会などで持つとのこと。20%とはいえ、共産党の機関紙に資本主義の権化ともいうべき銀行や大企業(笑)が出資するという異例の事態になってしまった。この三社、「編集内容に介入はしない」と明言しているのだが、共産党員の中には「資本家が何の見返りも無しに金を出すものか」と疑念の声も上がっているという。もちろん「何の見返りもない」わけではなく、また自社内の労働組合との関係を良くしたいという思惑もあるとか、はたまた伝統ある新聞を存続させる「文化事業」に金を出していますというポーズをとりたいんじゃないかなどと言われている。一党の機関紙が「文化遺産」扱いみたいである(笑)。

 再建計画では約200人ほどいる「ユマニテ」の社員のうち50人をリストラ(ってーか、早い話「クビ」でる。どうも好きになれないんだよな、この「リストラ」って言葉)することが決定しているという。ホントに背に腹は代えられないと言う所だろうが、労働運動の旗振り役が失業者を出しちゃうんだから世も末である。



◆またまたタリバーンネタ
 
 別に受けを狙っているわけではないんだろうけど、アフガニスタンのイスラム原理主義集団・タリバーン政権は忘れた頃にネタを提供してくれますねぇ。大仏破壊に続いて、今度は「国内のヒンドゥー教徒は一目で分かる目印をつけろ」というお達しが出たそうな。当然ながら大仏破壊に続きインド方面から強い反発の声が出ている。

 アフガニスタンにもヒンドゥー教徒がいるのかぁ、とこの話を聞いた時にまず思ったものだが、以前は5万人ほどのヒンドゥー教徒が在住していたそうだ。タリバーンがアフガニスタン全土をほぼ制圧し、極端なイスラム原理主義政策を推し進めるようになると、そのかなりが国外へ脱出し、今は数百人程度しかいないとのことである。数百人ぐらいそう目くじら立てなくても、と思っちゃう所だが、そこはタリバーン。タリバーン政権のワリ宗教警察担当大臣が5月22日に「宗教上の少数派は識別されるべきだ」というイスラム神学者の意見によるとして、ヒンドゥー教徒はイスラム教徒と一目で見分けられるよう、衣服や家屋に黄色い布をつけるよう布告を出した。イスラム教徒以外の少数派としては2000人ほど残っているシーク教徒(イスラムとヒンドゥーを足して二で割ったような宗派)がいるが、彼らはターバンを巻いているため一目で見分けがつくから今度のお達しの対象外となっている。
 ついでながらタリバーンは厳格なイスラム戒律に従ってイスラム教徒の女性には全身をすっぽり覆うベール(顔も完全に見えないアレね)を着るよう義務づけているが、その必要が教義上無いはずのヒンドゥー教徒にも、今後は同様のベールの着用を強制するつもりらしい。自分達の信仰心を追及していくのは勝手だけど、他の宗派の人間にまで迷惑かけるなよなぁ…と言っても聞く耳持たないんだよなぁ。

 これを受けてヒンドゥー教徒が多数を占めるインド、そしてネパールなどで今回の布告に対する強い批判が出されている。「少数派への明確な差別政策」とインド高官が発言し、「まるでナチスのやり方」とメディアも騒いでいるようだ。



◆アンチ「風と共に去りぬ」
 
 「風と共に去りぬ」は読んだことも観たこともなくても、誰もが名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。マーガレット=ミッチェルによって書かれた同名の長編小説が出版されたのは1936年のこと。その大ヒットを受けて、ハリウッドのプロデューサー・セルズニックが完全映画化という偉業に挑み、すったもんだの末に映画史に残る超大作として1939年に公開された。僕は映画の方しか観ていないのだが、ハリウッドが作った自国の「歴史映画」の現時点での最高傑作に挙げて良いと思う。このサイトの「歴史映像名画座」にも書いたことだが、アメリカ版「戦争と平和」みたいな位置づけが出来る作品だ。
 野暮とは思いつつ未見の方のために簡単に内容紹介すると、南部ジョージア州タラの大地主のお嬢様スカーレット=オハラが、南北戦争前後の激動の時代を背景に、従兄弟のアシュレーや野性味あるレット=バトラーといった男達と恋愛模様を繰り広げつつ、強くたくましく生きていく、まぁそんなお話。主人公のスカーレットって今観ても「なんちゅう女だ」と思ってしまうキャラクターなのだが、当時ではなおさら衝撃的だったことだろう。物語の背景には南北戦争がデンと横たわっているのだが、前半では多くの黒人奴隷を従えて大農場を経営し、まるで貴族のように豪勢な生活をしているスカーレットたち南部地主の生活が描かれ、後半ではそれが戦争の敗北により没落し、解放された黒人にも突き上がられるといった南部白人地主をめぐる状況の劇的な変化の様子が描かれている。そんな中で主人公は強くしたたかに生き抜いていくあたりがみどころなわけだが、南北戦争において「敗者」となり「悪役」にされがちな南部大地主層のさりげない反論といった趣もある。

風邪の流行に負けず強くたくましく生きていく女性を描く大ロマン!…って絶対前に同ネタ描いた人いるだろうな、これ その辺でややひっかかるところがあり、小説発表、映画制作時にも黒人団体などからこの作品への批判・非難が存在していた(同じような批判を受けた映画で「国民の創生」という古典もある)。例えば物語に出てくる黒人は自分が仕える主人に忠実な善玉(例えばスカーレットの乳母。映画でこの役を演じた女優さんは黒人で初のアカデミー助演賞をとった)がいる一方で、南北戦争後に解放されたことで白人への報復を図るような悪玉(スカーレットが黒人に襲われるシーンがある。映画では白人に差し替えられた)も存在する。映画ではややボカされているが、スカーレットの夫はどうやらあの「KKK(クー・クラックス・クラン)」に入っている。そんなこんなで黒人知識人層からは「奴隷虐待を正当化し、白人農園主を美化した欠陥小説」との評価も根強くあったのだ。

 で、そういう前置きを置いた上でニュースな話題。
 5月25日、アトランタの連邦高等裁判所はマーガレット=ミッチェルの遺産管理財団から「盗作」として出版差し止めの訴えが出ていた、黒人作家アリス=ランドル氏の小説「THEWIND DONE GONE」について、「原作の著作権を侵害していない」とする判決を下した。一審の地裁では「盗作」と判断され出版差し止めの判決が出ており、「逆転判決」という形になった。ミッチェル財団側は控訴の方針なので最高裁まで争われることになるが、ランドル氏側は6月にも出版に踏み切るとのこと。
 この「THE WIND DONE GONE」(黒人英語特有の言い回しらしく翻訳不能。「風はいっちまった」とか…?)の内容だが(当然報道された部分でしか知らないが)、大農園「タタ」で白人地主と黒人奴隷の間に生まれた女性を主人公に、南部農園の白人社会を批判的に描くものだという。腹違いの姉妹としてスカーレットそっくりな女性が登場するなど、舞台設定や登場人物が「風と共に去りぬ」とソックリでまさに『アンチ「風と共に去りぬ」』というべき内容なんだそうだ。「原作からの盗用が目立つ」としてミッチェル財団側が出版差し止めを求めたわけだが、これは明らかに「パロディ」と言うもんでしょう。いちいち訴えなくても…と僕などは思っちゃうところだが、地裁では出版差し止めの判決だったというからちょっと驚き。高裁ではちゃんと「パロディ」と認識し、むしろ「原作に新たな深みを与えた」との評価をくだした。
 有名原作あってこそのパロディ。アンチで来られるのは作者側には頭に来るところだろうが、明白なパロディにイチャモンつけて封殺するっていうのは大人げないですな。ってなわけで僕もパロってみました。訴えないでね(笑)。



◆日本でついに「聖戦」をみた
 
 ここに書く前に伝言板の方でさんざん出てしまった話題なので、なんだか書きにくいなあ…と思いつつ、「史点」としてこの事件を無視するわけにはいくまいというわけで、富山県での「コーラン破り捨て事件」とそれを受けたイスラム教徒の抗議活動についてちょろっと書いてみたい。

 騒動の発端となったのは富山県小杉町。5月21日に同町内のパキスタン人経営の中古車販売店の前に、近くのイスラム教徒礼拝所から盗まれたイスラム教徒の聖典「コーラン」が、100ページ以上破り捨てられた状態で発見されたのだ。しかもパキスタン人、イスラム教徒を中傷する日本語のビラまでまかれていたという。報道によると最近こうしたパキスタン人中古車販売店付近で路上駐車などをめぐる直接的トラブルや、単純に外国人が集まってくることへの警戒感から「政治団体」(要するにヤクザ右翼だと思われるが)が攻撃活動を行っていたということがあったらしい。コーランをわざわざ盗みだし、破り捨てていくという行動はどうもその辺が背景にあったように思われる。

 やった犯人が誰であれ、恐らくかなり軽い気持ちの「嫌がらせ」程度のつもりだったのではないかと思われる(だからよけい困るんだけどさ)。しかしイスラム教徒にとって「コーラン」(TVに出ていたパキスタン人たちは「聖書」と日本語訳していたな)とは「神の言葉」そのものが書かれた、「神聖」なんてものを通り越した絶対的な存在なのだ。何百年もかかって大勢の人が書いた文書を寄せ集めたキリスト教の「聖書」などとは格が違うのである。
 イスラム教の考え方では、預言者ムハンマドが神の啓示を受け、ムハンマドがそれをそのまま人々に伝え、それを収録したのがコーランだ。つまりコーランは神がムハンマドに語った、そのままの言葉が記されているわけ。神様はもちろんアラビア語で話したのであって、コーランはそのままアラビア語で書かれ基本的にその翻訳は認められなかった。
 このコーラン、現在の形にまとめられたのはムハンマドの死後、第3代カリフ・ウスマーンの時代(650頃)であると言われている。イスラム教徒は今でもコーランが生活規範の全てを規定しており、法律や政治、経済活動なども全てコーランの内容解釈(これをやるのがイスラム法学者である)に基づいている。最近話題になったインドネシアの「味の素騒動」や、サウジアラビアのポケモンカード禁止なんかも全てコーランからの解釈が関わっている。もちろん解釈には地域ごとにかなりの幅があるのも事実で、極端なのがアフガニスタンのタリバーンなわけだけど。

 ま、とにかく「コーラン」というのがイスラム教徒にとってどれほど重要なものであるのかは歴史を学べばよく分かると思う。TVに出ていたイスラム団体の人が言っていたが、コーランを破るなんてことは世界の歴史上初めての暴挙ではないかとのことだ(うーん、いくらなんでも異教徒で一人ぐらいはいそうな気もするんだけど)。とかく宗教的にはいい加減な日本人にはどうもピンと来ない感覚ではあるのだが、戦前の「教育勅語」とか「御真影」なんかが少なくとも小学校では似たような存在だったような気もする。
 今回の破り捨て事件を受けて、まず全国から富山県小杉町にパキスタン人を中心とした300人が集まり、小杉警察署でこうした嫌がらせに対策を講じるよう要求した。さらに5月25日には東京にイスラム教徒(パキスタン、インド、バングラディシュの人がほとんどだったらしい)400人以上が全国から集まり、渋谷に最近出来たモスクで礼拝した後、日比谷公園や外務省で抗議活動を行った。それにしても「アッラーフ・アクバル!」と叫んでどんどんハイテンションになっていく、中東からの中継映像でよく観るあのデモのスタイルを東京のど真ん中で見られる時代になったんだなぁ。タイトルに「聖戦」などと書いたが、あれでもあくまで冷静な「抗議活動」にとどまっていると言えるだろう。とりあえず今回のことについてはアピールできれば良い、ということかな。同じことがまた起きるとかなり問題になりそうだが。

 日本におけるイスラム教徒は年々増加していて今や10万人に達していると言われる。ひと頃(10年ぐらい前か)はイラン人が大量に来ていたものだが、最近はまさに多種多様だ。北関東方面の工業地域などに労働力として雇われ、この方面にモスクがいくつも出来たなんて話も聞いているし、さっきも書いたが渋谷にトルコ政府も協力した立派なものが建てられている。これまで縁遠かった日本人も着実にイスラムとの接触の機会が多くなってきているわけだ。
 ただ、それでなくても「よそ者嫌い」で「欧米信仰」の強い日本人は、「イスラム」っていうとどうしても偏見を持ってしまう人が多いのも事実。イラン人が多かった頃、埼玉あたりで変なデマが広がったこともあったし。

 それにしても。今回の一件で僕は新鮮な驚きをもったのが、「富山県にパキスタン人経営の中古車販売店がいっぱいある」という事実そのものだった。しかもパキスタン向けに売っているのかと思ったらさにあらず。港にやって来るロシア人が商売相手なのだという。ふえー、「ボーダーレス」は思わぬ所から進行しているな、などと、自分の専門分野を連想させてなんだか嬉しくなっちゃったりしたものである(笑)。
 先日近くの量販店で買ったCDラジカセが、韓国系企業日本支社のブランドで中国製という東アジアを股にかけた商品だったんだよなぁ。いやはや、こういうあたりでも「国際化」は否応なく進行してます。


2001/5/29記

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