さて、欧米人の大多数が信じるキリスト教は昔から一夫一婦制を厳格に貫いている。あの豊臣秀吉もキリシタンになってもいいがそこが気に入らんとか言っていたような(もちろん弾圧開始前の話だ)。しかしこのキリスト教の一派でなぜか一夫多妻を教義にしている宗派がある。アメリカで発生したモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)だ。
モルモン教は19世紀にバーモント州のジョゼフ=スミスが1830年に創始した宗派で、別にそれをメインにしているわけではないようなのだが、なぜか「一夫多妻」を教義に含んでいた。当然ながらこれは周囲のキリスト教社会から迫害を受け(スミス自身は狂信的活動のために殺害された)、スミスの後継者ブリカム=ヤングに率いられた信者達は迫害を逃れて西部のソルトレイクシティ(現ユタ州都)に移住した。ここで一夫多妻制を守ろうとするモルモン信者達と、これを禁止しようとする連邦政府との間で行われた激しい闘争は「ユタ戦争」とまで呼ばれている。突然だが、あのシャーロック=ホームズシリーズの第一作「緋色の研究(緋色の習作)」の後半部分、犯罪の動機説明のところにこの一夫多妻のモルモン教が出てきており、作者コナン=ドイルはこの教団をかなり批判的(というよりほとんど犯罪集団扱い)に描いている。執筆当時、ヨーロッパでもこの教団が注目を浴びていたことがここからうかがえる。
今もユタ州は人口の8割がモルモン教徒と言われる「モルモン王国」で、ここから世界各地に布教を進めたりしているが、現在は「一夫多妻」の教義についてはさすがに教団として撤回をしている。1890年に自分達の住む地域を「州」として連邦に認めさせるために妥協したということであるようだ。ただし、どんな宗教にも「原理主義」というのはあるもので、このモルモン教にも原理主義を貫いて一夫多妻を実行している人も35000人(家族含む)ほどいるのだそうだ。
さる5月18日、このモルモン教原理主義者で5人の妻を持ち29人の子持ちの男性が、ユタ州地裁において「重婚罪」で有罪の評決を受けた。ユタ州でも実に半世紀ぶりの「重婚罪で有罪」の評決だそうである。さきほど「一夫多妻実行者」が3万人いると書いたが、その人達はなぜ今まで訴えられなかったのだろうか…?。今回「有罪」とされた男性は、自ら「モルモン教原理主義者」と公言し、この裁判中にも積極的にTVなどにも出て「モルモン教徒としての伝統を守っているのだ」と強く主張していたという。そういう、いわば「宣伝活動」の部分が大きかったために裁判にかけられちゃったんじゃないかと思われる。子供の養育費を払っていないとか(生活が苦しいのは確かなようだ)少女強姦罪で訴えられたこともあるらしい(その少女ともあとでちゃんと結婚している)。
この件であれこれと関係記事をネット上で読んだが、どうやらこうした「モルモン教原理主義者」は増加の傾向にあるらしい。増加ったってみんなで一夫多妻を実行したら男女の人口バランスがとれなくなっちゃうと思うのだが…(汗)。
さて、この魯迅をめぐるある「疑惑」の話が浮上している。魯迅は1936年に亡くなっているのだが、その死に関して日本絡みの疑念があると、魯迅のお子さんの周海嬰氏(71)が最近発表した手記「父の死について」の中で書いているのだそうだ。
それによると…晩年の魯迅は肺を患っていた。診察したアメリカ人医師らは「結核性肋膜炎」と診断したが、長年魯迅の診察をしていた日本人医師はそれを否定し、適切な対応をとらなかったという。それが死に繋がってしまったのだが、死後に書かれたその日本人医師の治療記録と実際の治療が異なっていたとも書かれているそうだ。さらに、この日本人医師が在郷軍人会の副会長であった、ということまで書き加えているという。周海嬰氏と家族達はかねてから父の死に疑念を抱いており、「自らが高齢となる中、知るところを明らかにしておく必要があると感じた」とこの手記の発表の理由を説明しているという。
まず断っておかねばならないが、僕はまだこの手記を読んではいない。あくまで報道された紹介文を見ただけに過ぎない。しかしそれだけでもこの手記の「空気」は察せられた。要するに「軍人関係だった日本人医師が謀略によって魯迅を死なせた疑いがある」ということだ。ここで見る限りは直接的なことは書いていないが、わざわざ在郷軍人会のことを書いているのは明らかにそういうことだ。
治療が間違っていただの、在郷軍人会だっただのといった事実関係はまるっきり確認できないが、客観的にみて「それは考えすぎでは」と感じるところ。だってそこまで手が込んだやり方で中国を代表する著名作家とはいえ軍人が一作家を「暗殺」する理由が思いつかない。どうも日本軍ならなんでもアリ、という匂いが漂ってきて、日本軍大キライの僕でも引いちゃう内容である。
息子さんが密かにそういう疑念を持っていたことは事実かも知れない。しかしどうも最近の歴史教科書問題とかその辺の絡みでこの話が浮上してきた観があるなぁ。
この「肥沃な三日月」の一部、まさにかつてのメソポタミア文明の中心地とも言える湿地帯が、いま消滅の危機にさらされているという警告が5月18日、国連環境計画(UNEP)により発表された。問題の湿地帯はイラク南部からイランにかけて存在している(していた)もので、NASAの衛星写真を分析するなどした結果、この9年間でなんと90%が消滅してしまったことが判明したという。9年前と言えばあの湾岸戦争の直後。その後の経済制裁などで調査が進まないうちに、これほどの深刻な事態になってしまったのだという。UNEPは縮小が進むアラル海(中央アジアにある湖)や開発が進むアマゾンのジャングルに匹敵する環境破壊であると警告している。
で、その湿地帯消滅の原因であるが、まずチグリス・ユーフラテス両川の上流にダムが建設されたこと、そしてこの湿地帯地方にイラク政府が排水工事を行ったから、といったものが考えられている。後者についてはこの地方に住む「湿地帯のアラブ人」と呼ばれるシーア派イスラム教徒(戦争もした隣国イランがシーア派である)を追い出すためにフセイン政権(そういえば御次男が指導部入りしたそうで…王制復活か?)がやったんだなどという話もある。
…っと、ここまで書いてなんとなく締まりが悪いのでちょっと脱線して関連した話などを。
先日、「スリー・キングズ」というアメリカ映画を見た。まさにこの地方をモデルにしている思われるのだが、湾岸戦争を題材にしたアクション映画、などと簡単に紹介を書いてしまうと大誤解を与えがちな映画(いや、別に間違ってはいないのだが)。公開時にちょっとした話題になったので見るつもりでいたらいつの間にか公開が終わってしまい(大ヒットってわけでもないしね)、今頃になってレンタルで観たのだ。映画中に反フセイン勢力は出てきてイランへの亡命を図るので、なんとなくこの文章を書いていたらこの映画の場面場面がチラチラしてしまった。人類最古の文明の発祥地域を舞台に展開されるドタバタは、映画の趣旨とは別のところで人類の文明って何なんでしょうね、などと観ていて思っちゃったりもするのでありました。
なお、そうした感傷的な鑑賞は別として、この映画はアメリカ映画人の健全さの一端を示す作品としてお薦めですね。あら、なんの文章書いているんだか分からない締めくくりだな(笑)。
なんとこのドでかい一枚岩、実は個人(?)の所有物だったのである!この地域に住んでいる先住民の部族の長老が伝統的にこの巨岩「ウルル」の所有者とされており(まぁ日本でも山を2、3個持っている人がいたりするから…この場合はむしろ管理者かな)、連邦政府もそれを認める形になっているのである。
歴史的経緯をもう少し正確にまとめてみよう。そもそもこの「ウルル」はアボリジニたちによって何千年(二万年前の人類の痕跡があるそうなので何万かもしれない)にもわたって「聖地」として崇められてきた。聖地であるから本来おいそれと登れる場所ではなく、司祭など特別な人間しか登ることは許されていなかった。ここに人がドカドカ上がり込むようになったのは白人が移住してきてからのことだ。この「ウルル」の所有権が現地のアボリジニ部族に「返還」されたのは1985年のこと。部族の長老が岩の所有者となり、国立公園に99年間リースするという形で観光資源として活用されているわけだ。その時の取り決めでオーストラリアではこの岩を「エアーズ・ロック」と呼ばず正式名称「ウルル」で呼ぶことになっているそうで。
アボリジニたちも本音の所は聖地に立ち入って欲しくない気持ちらしいが、観光はアボリジニにとっても収入源となるので妥協しているというところのようだ。それでも聞くところによるとウルルの周辺には「聖地だから登らないで」という立て看板がいっぱい立っているそうである。
で、この岩の所有者である長老が去る5月12日に亡くなった。これを受けて部族は喪に服すことになり、その間、この岩への「観光登岩」は禁止されることになってしまった。岩の持ち主はこのアボリジニたちであるから、国立公園側も配慮した形だ。
ところが当初三日間と言われていたこの「登岩禁止」、どうやら先住民側の要請があったらしく5月15日に服喪期間いっぱいまで延長されることになった。それがどうやら一ヶ月近くにも及ぶらしい。悲鳴をあげたのは観光業界(笑)。ピークの時期に直撃した「登岩禁止」をなんとか解除させようと躍起になっているようで、この岩がある北部準州の首席大臣が「解除」をしてくれるようハワード首相に泣きついているそうで…。
観光地ってのはその現地の人にとっての宗教的な場所であることが多い。これと似たようなケースは世界中あちこちにあるんじゃなかろうか。