ニュースな
2001年5月14日

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 ◆今週の記事

◆宗教と食品の危険な関係

 宗教と食事、といえば今年初頭にインドネシアで起こった「味の素」騒動が記憶に新しい。味の素の製造過程でイスラム教の戒律で不浄だから食べてはいけないものとされる豚から抽出した成分が使われている、と騒動になったアレだ。結局一時の騒動ですんだらしいけど。
 今度はあの世界中でおなじみの「マクドナルド」がインドで騒動に巻き込まれてしまった。ご存じの方も多いと思うが、インドの主要宗教・ヒンズー教では牛を神聖視していて、食べるなどもってのほかなのだ。マクドナルドと言えばハンバーガー。そんなもんがインドなんぞによく進出していたものだと思ってしまうが、そこはさすがに世界進出企業。インドでは牛肉を材料にした食品は一切出していなかった(ちょっとそれるけど、イスラエルのマクドナルドも何か製法上配慮していたような)。今回の騒動のあり方はやや「味の素騒動」に似ているかも知れない。

 問題となった食品はフレンチフライだった。フレンチフライ本体に別に宗教上の問題はないのだが、その調理の過程で牛の脂が使われているのでは、との疑惑が持ち上がったのだ。キッカケは意外にもアメリカ・シアトルで行われていたある裁判。どういう裁判なのかよく分からないのだが、とにかくこの裁判でインド系の弁護士が「マクドナルドは10年以上にわたりフレンチフライの調理に牛脂を使用していた」と主張したのだそうだ(だからたぶんアメリカにいるヒンズー教徒がマクドナルドを訴えてるんじゃなかろうか)。これをインドのある新聞が一面で大きく報道し、騒ぎとなってしまったわけだ。

 5月4日にボンベイ郊外のターナというところでヒンズー教徒のデモ隊がマクドナルド店内に乱入、設備などを破壊した。5日にはやはりボンベイ南部でデモ隊がマクドナルドの店を取り囲み、牛のフンを塗りつけるなどの抗議行動をおこなったそうな(汗)。まぁ聞くところではこの程度のことなのでそれほど大騒ぎというわけではないようだけど。

 なお、マクドナルド本社はインドのフレンチフライに動物性エキスは一切使用していないと発表している。しかしフレンチフライに「ビーフ風味」を加えていることは認めたとか。
 うーん、風味…。牛の「風味」を味わうのは宗教上どうなんでしょうかね。



◆テロだ選挙だ独立だ
 
 なんか話題を呼ぶ国政選挙というのは妙に同じ時期に集中するものらしく(気のせいだろうけど)、ネタ探しをしている最中にもイタリアの総選挙、フィリピンの中間選挙などネタとして面白そうな選挙がいくつか重なっていた。そんな中で「国」レベルではなく、スペイン国内のある自治州の議会選挙をとりあげてみたい。

 世界的に見ればおおむね安定している西ヨーロッパにおいて、キナ臭い不安定要素を抱えているのがイギリスの北アイルランドとスペイン・バスク地方だ。北アイルランドが依然としてギクシャクしながらもどうにか平和的な方向性を見せ始めているのに対して、バスク地方ではスペインからの分離独立を唱えてテロも辞さない勢力が依然として活発だ。バスク地方の住民がみんなそんなに過激なのかというとそうでもないらしく、ETA(バスク祖国と自由)のような一部の過激派が突っ走っているもののようだけど、彼らがやたら元気にテロにいそしんでいるのも事実。確か三年ぐらい前に「休戦宣言」をしたような記憶があるが、結局一年後に「開戦宣言」してしまい、暗殺や爆弾などのテロ活動は昨年からむしろ活発化している気配がある。昨年にはマドリードでテロ反対の100万人大行進なんてイベントも行われていたものだ。

 そんな中、今回のバスク州議会選挙が行われた。バスクの州民(というか独立した民族だが)もさすがにテロを連発するETAの活動には眉をひそめる人も多いらしく、急進的独立派の政党は議席を減らすのではないか、あるいは穏健派も含めた独立派が州議会(定数はわずか75)で少数派に転落するのではないか、という予測が選挙前には出ていた。それに焦ったのかどうか、選挙間近の5月12日にマドリード中心部でまたまた爆弾テロが発生。15人が負傷しETAを名乗る犯行予告電話がかけられていた。
 これを機会に議会の独立派を押さえ込み一気に多数を確保しようとスペインの政府与党・国民党と社会労働党が選挙協力。一方バスクで21年にわたり与党となっている穏健独立派の「バスク国民党」は苦戦を強いられ、ETAと関係が深い急進派「我らバスク市民」はテロ批判でより苦戦するものと見られていた。

 13日に実施された選挙は78%という高い投票率だったが、フタを開けてみると事前に予測されていたよりは独立派が健闘した結果が出た。穏健独立派の「バスク国民党」は議席は減らしたものの1議席差で第一党の地位を確保し、一気に連合で過半数確保を狙ったスペイン中央政党二党の議席は思ったより伸びず事実上の「敗北」。「我らバスク市民」はさすがに議席を大きく後退させたが、過半数を確保できなかった「バスク国民党」から連立を持ちかけられる可能性大。
 テロは困るけどやっぱり独立はしたい。という傾向が反映された形のようだ。やっぱり「自治」じゃ満足できないもんなのかなぁ。



◆ある「歴史的文書」の真贋論争
 
 つい先日、「2001年宇宙の旅」とばかりにアメリカの実業家が24億円だか払ってロシアの宇宙船に乗り込み、人類初の観光宇宙旅行を楽しんでいた。飛行機に乗るのも苦手な僕だが、やっぱ人並みに宇宙への憧れはあるから羨ましいもんだとは思った。しかし24億円…まだまだまだ高嶺の花ですな。エベレストの上ぐらいにある花のような(笑)。しかしまぁ世の中にはそういう金をホイッと払える人もいるんだよね。
 今回の観光宇宙旅行だが、ロシアと共に宇宙ステーション建設を進める欧米などの各国は実は強く反対していた。専門的訓練を受けていない人間(しかも高齢)を気軽に宇宙船や宇宙ステーションに入れるな、ということなのだが、ロシアは聞く耳も持たず実行に移してしまった。そりゃー一度に24億円の外貨獲得という美味しい商売を逃す手はないわな(笑)。結局素人さんでもあっさり行けてしまうことを証明してしまったわけで、ロシアは今後もこの観光業継続に意欲的だ。広い世界には24、5億ぐらいポイッと使える人というのは案外いるもので、申し込みもかなり来ているそうで。

 とまぁ、この辺が前置き。実は上のネタも書きたいなぁと思っていたのだけれど「歴史」にあんまり絡んでこないのでボツにしていたのだが、下の話題が出てきたのでセットにして書いてみちゃったわけだ。
 観光も研究も含めて宇宙を初めて飛んだ人間はソ連の宇宙飛行士ガガーリンだ。ま、一部にその前に飛んだけど失敗した人がいるんじゃないかという噂もあるが、とりあえず宇宙飛行に成功した最初の人ということは間違いない。このガガーリンが書いた(というか打った)という飛行報告書なるものが5月10日、ニューヨークでオークションにかけられ17万1000ドル(約2100万円)で落札された。この報告書はタイプで打たれたもので、ガガーリン自身の署名と「61年4月15日」の日付が書かれているとのこと。

 これが実際にガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行の報告書だとすれば確かに大変な値打ちものには違いない。時に文書でもとんでもない値段がつくオークション世界のこと、2100万円ぐらいならまぁそう不当な高値でもないと思う。ただし問題なのはこの報告書が本当に「本物」なのかという疑念があるという点なのだ。なにせタイプ打ちの報告書なので真贋の判定はつけにくい。
 ガガーリン夫人のワレンチナさんは「夫は報告書を三部だけ作り、親しい宇宙飛行士に渡している」と証言し、今回オークションに出されたのは不法にコピーされたものではないか、と「疑惑」を裏付ける発言をしている。「歴史的文書」の国外流出を避難される形になったロシア文化省も「あれは原本ではなく重ね打ちしたコピーだ」との見解を示している。その一方で元宇宙飛行士のフェオクチストフ氏なる人は「あの報告書はガガーリンが口述し私が打ったもの。90年代の初めにそうした品物を売りに出した」とラジオ番組で発言し、「本物説」を裏付けている。またガガーリンが飛んだ時代のソ連首相フルシチョフが、「キューバ危機」直後のキューバのカストロ議長に友好の証として報告書の一通をプレゼントしていたという話もあり、今回の一品はこれが流出したものではないかという説も出ているそうだ。たった三部と言う話はなんだったんだという奇々怪々状態。
 今のところ本物か否かの判断は五分五分というあたりのようだが、全くの作り物とも言えないわけで「本物にかなり近いもの」という見方は出来そう。ガガーリン博物館館長は「貴重な国家遺産を買い戻すようプーチン大統領に訴えたい」と訴えているそうな。

 …まさか外貨獲得のためにコピーして売りに出したんじゃあ…(笑)



◆便乗して女帝論議
 
 −自民党が「女性の皇位継承権や本人の意思による天皇の退位を認める」という方向で皇室典範の改正を検討する方針を固めた−と読売新聞が一面でデカデカと報じたのは5月9日のこと。僕などは見た瞬間は「何を今さら騒いでいるんだ」と首を傾げたものだ。確かその二日ほど前に他の新聞で似たような話が小さく載っていて、それをすでに読んでいたからだ。キッカケは山崎拓・自民党幹事長が先ごろ出版した自著の中で憲法改正案(国民の義務に「国家の安全に寄与する義務」という何だか怖くなるものを入れていたな)などとともに、この皇室典範改正問題をとりあげていたことだった。それを受けて党として正式に検討に入ったということで大きく取り上げたのだろうけど、そんなにセンセーショナルに騒がなくてもいいだろうに、というのが僕の感想だった。なんか騒がなきゃいけない状況でも発生したんだろうかなどと、あれこれ邪推する人は僕以外にも多くいたはずだ。

 ま、邪推のことはともかく「史点」ならではの話題と便乗して「皇室典範」の話を取り上げてみよう。
 「皇室典範」とは皇室制度を定めた法律の一種。戦前においては憲法と同格の地位を有していたが、現在の皇室典範は戦前のものを改正して1947年5月3日に現憲法とセットで施行された「法律」だ。つまり憲法記念日は「皇室典範記念日」でもあるわけですね、「ゴミの日」などと揶揄してはいけませんね、などと話が変な方向に行ってしまった(笑)。
 皇室典範はその第一条に「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と規定している。これは戦前と変わらぬ条項で、戦後も改正されなかった。男女平等の憲法の精神に反するとの意見も早くからあったが、「皇室の伝統」をたてに本格的に議論されることはなかった。最近だと1992年に加藤紘一官房長官(当時)が国会で女性議員の質問に「皇室制度は歴史と伝統に基づいたものであり、これを守ることと男女平等を目指すことは矛盾しない」と答えている。しかし「歴史と伝統」と言ったって「天皇は男子に限る」と決定したのなんて明治の初めの事に過ぎない。

 歴史上確認できる「女性天皇」を列挙してみよう。カッコ内の数字は在位年代である。

推古天皇(592〜628)
皇極天皇(642〜645)・斉明天皇(665〜661)
持統天皇(690〜697)
元明天皇(707〜715)
元正天皇(715〜724)
孝謙天皇(749〜758)・称徳天皇(764〜770)
明正天皇(1629〜1654)
後桜町天皇(1762〜1770)

 なんだ、これだけかって気もするけど、飛鳥時代から奈良時代にかけての時期は女性天皇がしばしば登場していることがよく分かる(「記紀」を信じるなら推古よりずっと前の「神功皇后」を女帝とみることも可能なんだけどね)。ちなみに「皇極・斉明」と「孝謙・称徳」はそれぞれ同一人物の再登板だ。この時期には隣国・新羅でも女王がいるしあの中国でも唯一の女帝・則天武后が登場しており、「東アジアの女帝の世紀」なんて呼ぶ人もいるぐらいだ。これら女性天皇が決して飾りものではなくかなりの権力を振るっていたことは最近常識化しつつあるが、いちおういずれも男性候補者が成長するまでの「中継ぎ登板」という性格は否めない。
 長らく登場しなかった女性天皇が江戸時代に突然二人現れている。「明正天皇」は徳川秀忠の娘が天皇に嫁いで生んだ娘で、当時の徳川氏と皇室の政治的駆け引きの結果として即位にいたったもの。後桜町は…書くまでに調べられませんでした(^^; )。
 
 ま、とにかく女性天皇に関しては前例は結構あることだし、皇室典範の男性規定を変えることにそう造作はないだろう。ただし、一つだけ前例の無い問題点が浮上してくる。現代において女性天皇が即位した場合、天皇家を存続させるためには民間から「お婿さん」を迎えることになる、ということなのだ。過去の女性天皇はいずれも未亡人か生涯を独身で通した人で、即位後に結婚した例はない。また即位前の結婚でも相手は必ず皇室の男性だ。
 以前に比べて現在は皇室の規模自体が小さい。昔はちょっと縁が遠くても男性皇族がどこかにいたものなのだが、現在見渡したところ秋篠宮が最後に生まれた皇室男性という状況である。女性天皇が即位する場合、「中継ぎ登板」ではない可能性が非常に高いわけだ。となると生涯独身なんてわけにもいかない。
 昭和天皇が側室制度を廃止して以来、予想された事態ではある(側室制度がないヨーロッパ王室を見れば一目瞭然)。もちろん僕自身もそうなのだが、日本国民のかなりの人は女性天皇も、その民間男性との結婚にも厳しい拒絶感は今どき無いものと思われる。ただ、とくに「万世一系の天皇」という思想を信奉する保守傾向の強い人達には、男系で繋がってきた天皇家に他の男系の血が入ることを問題視する傾向があることも確か。口にこそハッキリ出す人は少ないが内心そう思っている人も多いはず。もちろんこれから皇室に若い男性が誕生すればひとまず問題は先送りできるわけだが、いつかは直面しなければならない問題には違いない。

 ところで、今回の皇室典範改正論議で他にも目につくものがあった。第四条の「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)が直ちに即位する」という項目の改正案だ。言葉を変えると天皇は即位したが最後、死ぬまで退位することが出来ない、というか「退位」そのものが存在しない。これまた明治以後に始められた歴史的にはちっとも伝統のない規定である。天皇が死ぬまで在位を続け、その間は年号も維持するというのは中国の明以降のシステムの輸入なわけで、むしろ退位を認めることは日本の伝統に回帰する動きだとも言える。
 仮に退位が本人の意思で認められるようになったとして、その場合「上皇」制度が復活することになる(おおっ)。中世なんかじゃ「院政」ってものがあって天皇を辞めてから本当の権力者になるという摩訶不思議な構造になっていた(ま、今でも企業や政界で似たようなものが見受けられるが)が、まぁ現代で「院政」なんて言ってもやること無いしねぇ。


2001/5/14記

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