ニュースな
2001年5月7日

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 ◆今週の記事

◆すごいよマサオさん!

 「春の珍事」という言葉がこれほど似合う騒動はなかったですね。まぁこうやって笑い事で済ませられる程度のことだったから良かったと言えば言える。それにしてもホント、あの国はいろんな意味で意表を突いてくれます。
 おっと、「あの国」が関与しているという根拠は何もないんだっけ。公式にはあくまで「金正男氏とみられる男性」のお話なのだ。この言い方で文章を通すと読む方も書く方も鬱陶しいのでここでは以下、マサオさん(仮名)とさせていただきます。気が付いたらネット上でこの呼び方があっさり浸透してしまっているのにも驚いたが…さすが某国IT担当、って違うだろ(笑)。

 5月3日の憲法記念日。ゴールデンウィークのまっただ中でこの日に流れるニュースと言ったら連休の行楽地の様子や渋滞の話題か憲法改正・維持派双方の集会の模様などが報じられるのが定番だ(まぁ昨年はバスジャックなんてのもあったが)。ところがこの日の昼頃からとんでもないニュースがマスコミから報じられ始めた。「成田空港で金正日氏の長男マサオさん(仮名)とみられる男性が拘束された」というもので、僕も第一報を聞いたときには「ホントかよ」とビックリしたものだ。他人のそら似、という考えも浮かんだが、この手の普通信じられないような話が大々的に流れている時点でかなりの確証があるとしか思えなかった。

 しかも続報を聞くと偽造パスポートを使用した不法入国の疑いであるという。あのお国がこれまでにいろんな事をやってる国であり、あれこれと「工作員」みたいなものがいることは聞いてはいたが、何も最高指導者の息子さんがそれをやってることはなかろーに、と呆れつつ「マサオさん(仮名)は家族連れ」との情報に「もしや亡命?」という考えも浮かんだ。「亡命」のほうが御曹司(王子様と言っても良い)自らの潜入工作なんてのよりは現実味がある。ただ御曹司が亡命に追い込まれるほどの内紛の様子も見えていなかったのでやはり考えにくい。「007が大好き」という映画狂のお父さんもいることだし、ひょっとして映画張りの大作戦でも御曹司自ら実行したのか…等々、とりとめもなくあれこれと考えが頭を巡った。
 実のところ日本にとって最悪のケースは「御曹司自らの潜入工作」ではなく「亡命」の方だったろう。お隣の、それでなくてもデリケートな関係にある特殊な国の「皇太子」とも言える人物に「亡命させて」と来られた日には日本政府は相当対応に苦しむハメになったに違いない。事は日本だけの問題では済まなかったろうし。
 その夜のうちにはマサオさん(仮名)から「ディズニーランドに行きたかった」という拍子抜けする動機が明らかになった。「あのなぁ」とツッコミを入れた日本人は数多かったことだろう。と同時に事件は緊迫の度を一気に下げてしまったわけだが。

 このマサオさん(仮名)が成田空港に降り立ったのは5月1日のことだった。女性二人と子供一人を同伴しており、パスポートはドミニカ共和国発行のものとなっていて国籍は「コリア」と書かれているだけで、しかも全て手書き。こんなお粗末なパスポートでは一発で偽造と見破られそうなものだが、どうも以前に日本に入国した証拠のスタンプが押されてたとの情報も有り、案外入国審査なんていい加減なモノなのかもしれない(そういえば昨年逮捕された日本赤軍の重信房子も何度も入国していたっけ)。むしろ入国審査で疑いを持たれたキッカケは同伴女性がドミニカ共和国のパスポートを持っているのに明かな朝鮮語を話していたことであったらしい(マサオさん(仮名)のほうは英語で通していた。ちなみに金正男氏はフランス語に堪能)。しかもシンガポール航空で来ているというのもかなり不自然だと言うことで取り調べを受けることになったという。
 もっとも別の話もある。アメリカかイギリスかはたまた韓国かの情報機関から、日本に事前に「マサオさん(仮名)が日本へ行く」との情報がもたらされていたのだという。これまた十分あり得る話で、空港での拘束は「待ち構えていた」ものだった可能性もあるのだ。ただそのお忍び訪日の目的が「ディズニーランド」にあるという情報がついていたかどうかは不明だ。
 ともあれ、1日の午後にマサオさん(仮名)を拘束、2日までに関係省庁幹部に事態が伝えられた。政府が極秘のうちに話を片づけようとしていた可能性も十分にあるのだが、3日に「政府関係者」から情報がマスコミに漏れて騒ぎとなってしまう。そして翌4日には正体不明のままマサオさん(仮名)を「強制退去処分」で中国へと追い出した。よそから来た厄介者払いとなると物凄くスピードが速いな、などと日本人の特性に思いを馳せてしまったのは僕だけだろうか(笑)。不法入国しようとしたから強制退去、というわけだが、偽造旅券による不法入国という明白な犯罪行為に対して何ら法的処置をとらず、ほとんどVIP待遇での「追い出し」というのは不公平と言えば言えた。あえて言えば中国から来る不法入国者を送還するのと同じ対応だとも言えるが。

 この騒動で政府が最後まで人物の正体の特定をせず、「金正男氏とみられる人物」とか「金正男氏?」という見出しばかりがマスコミを賑わせていたが、実のところこうでもするしかなかったかな、というところだ。小泉内閣だろうと無かろうと恐らく同じような対応をしたに違いない。舞台が日本でなくても同様の事になったかもしれない。実のところ僕は今回の日本政府の対応については「ベスト」とは言わないが割とうまく処理したもんだと受け止めている。少なくとも「ディズニーランド」が目的で来るお坊っちゃん(あれで年齢は29らしいから驚きだ)に対して力んでみてもつまらない。
 …ただ、あのマサオさん(仮名)がホントにあの国の指導者になるんだとしたら大いに問題だと思うけどね。



◆ローマ法王またまた行脚
 
 ローマ法王・ヨハネ=パウロ2世。「史点」に何度も登場したこのお方、法王として初めての聖地訪問やら歴史上キリスト教徒が犯した罪を謝罪するとか何かと話題になる行動をする人だ。このローマ法王が今度はギリシャ・シリア・マルタと回る東方旅行を敢行し(なんでも聖パウロの足跡をたどるということらしい)、またまた歴史的行動+発言を行った。それにしても元気だよな〜、何度ももうダメかという話が流れたのだが。

 2001年5月4日、ローマ法王がギリシャ訪問。イタリアのすぐ隣、しかもキリスト教徒の多い国だからこちらから見ているとこのギリシャ訪問がそんなに一大事なのだという実感がわかないのだが、これはキリスト教世界においては実に歴史的な事件なのである。どのくらい歴史的かというと1054年の東西教会分裂以来の快挙(?)なのだ。
 4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教と定められ世界宗教となって以後の数百年間、キリスト教世界の主導権をめぐって東のコンスタンチノープル(現イスタンブール)教会と西のローマ教会が対立を深めていき(聖像禁止をめぐる論争なんかもありましたね)、東はビザンティン帝国皇帝をトップとする「ギリシャ正教会」、西はローマの教皇(法王)をトップとする「カトリック」へと分裂していった。東西教会が正式に分裂したのが1054年のことで、カトリックの長であるローマ法王がギリシャ正教徒95%のギリシャを訪問するというのはまさに歴史的事件ではあるのだ。

 ローマ法王はここでもギリシャ正教徒に対してカトリック側が過去に行った行為についての謝罪を表明した。ギリシャの正教会総主教との対面で「現在に至るまで、カトリックの信徒たちは正教徒に対して罪を犯してきた。主が許されるように祈りたい」とコメントしたのだ。さきにイスラム教徒に対して同じような謝罪表明をしており、今回もその流れで行われたものと言えるだろう。カトリック側がイスラムに対して行った「罪」として十字軍のことなどが想起されたが、ギリシャ正教会に対して行った「罪」にもこの十字軍のことが法王の念頭にあったのは明らかだった。
 十字軍と言えばイスラム教徒から聖地エルサレムを奪回するという建前のもとに行われたものだが、1202年から行われた第四回十字軍などはスポンサーであるヴェネチア商人などの意向もあって、同じキリスト教徒であるはずのギリシャ正教会の総本山コンスタンチノープルを攻略・略奪し、正教会の聖職者などを迫害したりしてしまっているのだ。そんなこんなで東欧を中心としたギリシャ正教系キリスト教徒はカトリックに対して強い反感を持っている人も少なくないらしい。実際、今回の訪問でもギリシャの正教会保守派による抗議デモが実施されている。デモでは法王を「反キリスト」と呼ぶ声もあったと言うからかなり激しいものだったようだ。ローマ法王側も反発に配慮して地面にキスする恒例行事を中止するなど対応したという。
 今後ローマ法王はウクライナ、ロシアへの訪問も望んでいると言うが、意外にイスラム圏よりも反発は強いのかもしれない。深読みすればカトリック教会の宣伝活動だと言えなくもないしね。

 ギリシャを発った法王は今度は中東・シリアへ。ここでも現地のイスラム指導者と会談し、一緒に首都ダマスカスのウマイヤド・モスクを訪問するなど「和解・共存」をうたいあげるパフォーマンスを行っていた。若干「偽善」の匂いもしちゃう形の上のこととはいえ、こうした行動自体は悪いことではないですね。
 ところでこのシリアにおいて訪問したウマイヤド・モスクというのは、もともとキリスト教会があったところにウマイヤ朝時代(8世紀初)にモスクを建てたものだそうだ。そしてその中に「聖ヨハネ」の首を納めた廟があり、法王はその前で祈りを捧げたという。
 さて。このヨハネさんとは誰なのか。「ヨハネ」というのはありふれた名前で新約聖書には何人も登場する。元ネタでみた各種記事にはそのへんがはっきり書いてなくて気になってしまったのだが、おそらくイエスの親戚で彼に最初の洗礼を施した先輩格であるヨハネさんのことだと思う。彼が王女サロメの望みで首を切られた話は有名で、どうやらその首がそこに埋められているということらしい(もちろんあくまで伝説だが)。いやはや、古い話ではありますね。



◆大列車強盗の望郷
 
 「大列車強盗」といえば西部劇の古典的名作のタイトルであり、西部劇のお約束要素の一つとなっている言葉だが、これが20世紀後半のイギリスで起きていたというのは初めて知った。しかもその犯人がブラジルに逃れて優雅に暮らしていたというのも驚きであった。

 1963年8月8日、グラスゴー発ロンドン行きの郵便列車がロンドン郊外で強盗一味に停止させられ、合計125袋・260万ポンド(現在の貨幣価値に直すと56億円とか?)もの現金袋を奪取された。強盗犯一味はその後ほとんどが逮捕され、ボスであったロナルド=ビッグズ(現在71歳)は懲役30年の刑を科せられた。しかしビッグズは15ヶ月後に刑務所から脱獄してしまい(どうやってか凄く興味があるんだけど未調査)、整形手術をして顔を変えながらスペイン、オーストラリアそしてブラジルへと逃亡を続けた。70年代にブラジルにいることを突き止めたイギリス警察当局はブラジル政府に強制送還を要求したが、ブラジル側がウンと言わず(これもなぜだったのかよく分からない。犯行を行った本人であるとの確認がとれなかったか?)、そうこうしているうちに現地女性との間に子供が生まれ、その実父と言うことで事実上帰国実現が困難となってしまった。以後、このビッグズは妻と子供に囲まれ大金と共に優雅で幸福な暮らしを続けてきたわけである。
 
 それがこの2001年になって、さしもの世紀の大強盗も望郷の念に耐えられなくなったらしい。イギリスのTVのインタビューに応じ、イギリスに帰りたい旨を切実に訴えたのだ。本人は心臓発作で言葉を失っており、息子が「通訳」にあたって父の意志を伝えたという。また代理人を通して声明が発表され、帰国を正式にイギリス警察当局に要求したこと、そして「イギリスの土が踏めればすぐに逮捕拘束されても良い」と考えていることが明らかにされた。じゃあスンナリ帰国が実現するかというとこれがそうでもないらしく、
皮肉にも一度判決の出た実刑の処理をどうするのかといった問題がイギリス側にあり、簡単に「受け入れ」といかないのが現状らしい。今さら銭形警部みたいに追いかけてる人もいないようだしねぇ。

 なお、このビッグズ氏の望郷のコメントが泣かせる。
 「死ぬ前にイギリスのビールを飲みたい」
 のだそうな。



◆初めての「落選」
 
 恐らく世界で一番「人権」にうるさい国というのはアメリカ合衆国じゃなかろうか。もちろんそれはそれで結構なことなのだけれど、しばしばそれを他国や他文化にも振りかざして、時にはそれを根拠に戦争までやってしまうところもあるのは迷惑な部分でもある。もちろん単にうるさいだけではなく自国でそれなりに人権尊重を実現しているという自負があるのだろうけど、「人権警察官」みたいに世界に目を光らせているところは反感を買うのも無理はないと思える。

 このアメリカが毎年のように国連の人権委員会に出しているのが中国における人権侵害に対する非難決議案だ。ホントに政権の変化にも関わらず毎年のように出している。もちろん公平に見て中国の方が人権保護意識がずっと低いことは否めないが、それを非難する決議を国連の名で出させようと毎年のように提出するというアメリカのしつこさもかなりのもの(それでいて通ったことは一度もないけど)。たぶんに「潜在的敵国」でもある中国への嫌がらせという要素が強い。その一方で経済的には中国におべっかを使っているように見えるところもこの国の二面性を見せていて面白いところだ。
 さて、今年もやっぱりアメリカは中国非難決議案を提出していた。特にブッシュ新政権になって中国を「戦略的競争相手」と位置づけたことで、今回は割と「本気度」が高かった(つまり今まではあまり本気ではなかったわけだが)。しかしそれはアッサリと否決され、その逆に最近ドンパチが続くイスラエルに対する非難決議は通ってしまい、これにイスラエル以外で一国だけ反対したアメリカはえらい恥をかく形となってしまった。ちなみにこの決議ではEU諸国はともかく日本も珍しくアメリカに同調せず賛成票を投じていた。
 結局のところアメリカが「我こそは人権警察官でござい」という顔をするのがアジア・アフリカなど第三世界(もう死語かな)諸国を中心にかなり嫌われているということであるらしい。中国がそのへんを狙って根回し活動をした気配もあるけど。

 そしてとうとう5月3日、アメリカがこの国連人権委員会のメンバーから外されてしまう事態となった。この委員会が設置されたのは国連発足間もない1947年のことだが、実にそれ以来維持していたポストをアメリカは失うこととなっちゃったのだ。
 国連人権委員会は59カ国で構成され、一国ごとに任期が切れると参加国の投票により改選される。地域ごとに国数が決まっていて、アメリカは「西欧グループ」に属し、このグループで今回任期が切れて改選となったのはアメリカを含めた3か国だった。つまり改選で三番目以内に入れば議席が維持できたのである。ところが選ばれた三国はフランス・オーストリア・スウェーデンで、アメリカは「落選」となってしまったのである。
 カニングハム米国連大使はこの事態に「極めて失望した」と述べたが、「この結果がアメリカの人権問題への関与に影響を与えることはない」と強気の発言もしていた。そういうところが嫌われているような気もするんだけど。
 先日の京都議定書踏み倒しの件やミサイル防衛構想など反発を買う政策決定が多いからなぁ、最近のアメリカは。


2001/5/7記

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