ニュースな
2001年4月30日

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 ◆今週の記事

◆とうとう塀の中の人
 
 とうとう捕まってしまいましたね。あのフィリピンの小林旭と勝新太郎を足して二で割ったような映画スター出身の前大統領は。

 フィリピンのエストラダ前大統領に対して同国の公務員犯罪特別裁判所が、資産公開に関する偽証とたばこ交付税にからむ汚職の二つの容疑で逮捕状を出したのは4月16日のことだった。エストラダ氏はその日のうちに出頭して保釈金(15万ペソ=約39万円)を払って身柄拘束はとりあえずまぬがれたが、この他にも6つの容疑で逮捕状が出される予定になっていて、こちらのほうでは保釈という救済策が設けられていないのだった。なんでもフィリピンでは5000万ペソ(約1億3000万円)以上の公金横領については「略奪罪」という扱いになり(最高刑は死刑である)保釈が認められないのだそうだ。ちなみにエストラダ前大統領が横領したと疑われている公金は総額41億ペソ(約110億円!)にものぼると言われており、とてもじゃないが逮捕拘禁をまぬがれられるわけがないのだった。
 しかしこのエストラダさん、フィリピン国民の圧倒的な支持を受けて選挙で選ばれた大統領なのも確かなんだよね。特に元映画スターという経歴と選挙などでやたらに金やおみやげをばらまく(文字通りばらまくのだ!)サンタクロースみたいなところもあって、貧民層に根強い人気があるのも事実だ。先ごろの二度目の「ピープルパワー革命」が起こったときも貧困層の一部はエストラダ支持を叫んで彼を守ろうとしていたぐらいだ。今回も「逮捕は時間の問題」という話が流れると、貧困層のエストラダ支持派がエストラダ邸を取り囲んで「逮捕は許さない、我々が守る!」などと気勢を上げていた。

 エストラダ前大統領が実際に逮捕されることになったのは4月25日のこと。この日の午後に警官隊がエストラダ邸に赴いて前大統領とその長男を逮捕・拘束し、国家警察本部へと連行した。こちらのTVでも流れていたが、「エストラダ容疑者」が指紋をとられ、正面と横顔の写真を撮られる様子まで生で放送されていた。当たり前だが、やはり気落ちしている、というかふてくされているというか、ってな表情のままで写真におさまっていた。
 この逮捕にあたって、貧困層を中心にしたエストラダ支持派2000人が「逮捕阻止」を叫んでエストラダ邸周辺に集結、警官隊に投石して機動隊や海兵隊と衝突していた。結局逮捕は阻止できなかったが、翌26日にはマニラのエドサ通りに数千人のエストラダ支持派が集まり、抗議集会を行い、その数を時間と共に増やしていった。どうも人数が増えていった一因にはTVでエストラダ前大統領の指紋押捺や写真撮影の様子が生で流されたことがあったようだ。流したほうはエストラダ派をあきらめさせようと思ったのだろうが、かえって逆効果であったらしい。

 エドサ通りにはかつてマルコス政権を倒した「ピープルパワー革命」を記念するマリア像や、今年1月の二度目の「ピープルパワー」を讃える記念碑などがある、いろんな意味でフィリピン現代史を彩る聖地であるといえる。この場所にエストラダ支持派が続々と集結したというのは、現政権にとってみれば実に不気味なことであったに違いない。27日にはその数は数万人にまで膨れ上がった。なんでもエストラダさんの関係者が炊き出しまでして、それを目当てに集まって来ちゃった人もいるようだが…。前大統領派の国会議員なども応援に駆けつけ「貧民のピープルパワーでアロヨ政権を倒そう!」とまでブチ上げていた。この国会議員は多分に便乗派だと思うが、フィリピンにおける現実の貧富の格差がこうした政治対立を巻き起こしているのも事実だ。ともすればノリで「革命」が起こってしまうのもそこに根本的原因があるんだろうな。

 一歩間違えればアロヨ現大統領の政権だって「ピープルパワー」で倒されかねない。直後にエストラダ氏の身柄を検査の名目でマニラ郊外に移送させているが、これも「奪還」あるいは「暴動」の発生を恐れてのことだろう。アロヨ大統領は「この逮捕は階級闘争には関係ない。政治と裁判を混同しないように」とTVで国民に呼びかけ、また「軍部や警察は完全に現政権についている」とわざわざ念を押していた。こんなことをわざわざ言わなければならないあたり、フィリピンの政権は大変である。



◆ひょっとして「二世」?
 
  ソ連が崩壊してこのかた、世界に生粋の「共産党一党独裁」の社会主義国というのはかなり減ってしまった。まず中国、北朝鮮、キューバ、そしてベトナムだ。このベトナムの共産党に新しい指導者が誕生し、いろいろと話題を呼んでいる。
 
 五年ごとに開かれるベトナム共産党党大会が4月22日に閉幕した。最終日にノン=ドク=マイン国会議長(60)が新しい共産党書記長に選出されたことが報告され、今後5年間の党の方針が示された。この方針には「2020年までに工業国の仲間入りをする」という遠大な計画が示され、今後五年間7.5%の成長率を維持していくつもりだという。ベトナムと言えばソ連のペレストロイカや中国の改革・開放政策と並び称せられる「ドイモイ」という社会主義体制下での改革政策が進められているが、この新書記長の登場でよりいっそうの経済重視志向が強まるということのようだ。
 さて、僕などは全くこの人については無知だったのだが、マインさん(どこを呼ぶのが適切なのか分からないのでとりあえずこうする)というこの新書記長、以前からいろいろと話題の人ではあったらしい。まず彼は民族的には「ベトナム人」ではない。ベトナムにも山間部などにいろいろな少数民族が住んでいるのだが(以前その中の一つの独立騒動ネタを書いたことがある)、マインさんはタイ族系の少数民族の出身だそうだ。1963年に共産党に入党し、ソ連への留学経験をもつ。党の少数民族委員長などもつとめたのち、1991年に党の中枢である政治局員に史上最年少で入り込んだ。92年から国会議長を務めており、政府案を国会で蹴ったりするなど社会主義国ベトナムにおける国会の地位向上に貢献したと言われているそうな。そしてついに60歳で党のトップにのぼりつめたわけ。まぁトントン拍子の出世と言えなくはないですな。ちなみにベトナムには大統領も首相もいるんだけど、政権を担当する党のトップが最高実力者ということになるらしい。うーん、首相にならない自民党総裁みたいなもんでしょうか。

 ベトナム共産党は政治権力自体に今のところ揺らぎはないものの、党員の腐敗・汚職といった長期政権定番の問題を抱えていて国民の批判にさらされている(このあたり中国と事情が似ている…あ、日本も他人事ではない)。マイン新書記長は「腐敗と官僚主義への対応が適正ではなかった」とこれまでの党の対応を反省し腐敗の撲滅を誓わねばならなかった。そして「多くの困難が待ち受けているが、改革の成果を生み出すため、積極的に取り組む」ととも述べ、より積極的な改革に乗り出すことを表明していた(なんだか小泉新首相の台詞と似てるな)。もちろん党内には保守派もいるわけで、その抵抗も十分に予想され、それへの先制口撃というところもあるようだ。
 ベトナム共産党はこれと同時に政治局員数の縮小、長老たちが占めていた顧問制度を廃止するなど党の機構をゴチャゴチャと改造しており、新時代へ向けた体制を整えようとしている。もちろん一党独裁制を放棄する気は当分無いみたいだけどね。引退する某長老格が外国人記者の「一党独裁は維持するのか」という質問に「女王バチだって一匹しかいないだろ」と返事したそうで。なんか違うぞ、それは(笑)。

 ではいよいよタイトルの話題に行こう。
 共産党大会が終わり、いわば新書記長お披露目の記者会見で、ヌケヌケとした質問をすることでは世界一とも思えるアメリカ人記者が新書記長に質問を放った。
「あなたがホー=チ=ミン元大統領の隠し子であるという噂は真実でしょうか」
 ホー=チ=ミン。町の名前にもなっいるが、現代ベトナム史そのものと言っても良い、今のベトナムの「国父」と呼ぶべき存在である。フランス植民地時代からベトナム共産党を結成して独立闘争を開始し、太平洋戦争期の日本、戦後支配を続行しようとしたフランス、さらには東南アジアの共産化を恐れて介入してきたアメリカと、休む間もなく強大な敵と次々と戦った、まぁとにかく不屈の指導者だ。ベトナム戦争終結と国土統一を見ずに亡くなったが、今なお「ホーおじさん」と国民に親しまれ敬愛されている。しかめつらしい英雄ではなく「おじさん」ってあたりがポイントですね。子供達を良くかわいがり、子供達にも親しまれたところからの愛称だが、少なくとも公式には彼に実子はいない。
 マイン書記長が実はホー=チ=ミンの隠し子、という噂は実際にベトナム国内でささやかれていたものらしい。少数民族の出身でありながら異例のスピード出世、さらに母親がホー=チ=ミンといささか知り合いだったという事実が噂の出所であるらしい。なんだか「平清盛は白河法皇の隠し子」みたいな話である。
 新任の記者会見でいきなりこんなことを聞くアメリカ人って奴は(笑)などと思ったりもするが、アメリカ人にとってもかつての「宿敵」ホー=チ=ミンとなれば興味もわくだろう。そういえば最近アメリカはようやくベトナム戦争の歴史的評価をうんぬんできる時代になってきたのか、ベトナムがらみの話題が多いような。
 で、この質問を受けたマイン書記長、「先月、両親の墓に行ってきた」と答えてサラリとかわした上で、
「全てのベトナム人にとってホー=チ=ミンは父親です」
 と言ったそうな。うまい。絶妙な切り返しですな。



◆謎の国イギリス
 
 先週も「切り裂きジャック」をとりあげていたが、今週もイギリスからの話題だ。それも二つの話題の複合。
 
 朝日新聞で見かけた記事だが、イギリスにおける「空飛ぶ円盤」探索の草分け的存在、「英国空飛ぶ円盤調査局(BFSB)」が活動の休止を決めたそうな。1953年に創立され、最盛期には1500名の会員数を誇り、寄せられる「UFO(未確認飛行物体)目撃情報」も一週間に30件以上というペースであったそうである。
 この「2001年」になって活動休止を決定した理由について、主宰者のデニス=ブランケット氏(70)は「冷戦終結後、UFO目撃情報が急激に減った」ことをあげている。そして「宇宙人による地球探索が終わったからではないか」とおっしゃっているそうで(!)。このブランケット氏によれば「UFO目撃」の情報はなぜか冷戦下の国際情勢が緊張する時に集中しており、冷戦構造の崩壊期に最高潮に達していたという。それが冷戦が終わった途端にパタリと少なくなってしまったというのだが、いろいろな意味で興味深いところだ。

 たぶんこの人たちに言わせれば「UFO飛来」は宇宙人による地球探索活動であるから、宇宙人達が地球上の冷戦という愚かな行為を観察していたのだ、などと解釈しているのだろう。UFO信者には「宇宙人による地球偵察・侵略」ととる人と「宇宙人による地球観察・啓蒙」ととる人と、その両方とも信じている人とがいるようなのだが、そのいずれにしても冷戦が終わったから探索をやめて帰っちゃったというのはかなり不自然な行動と思えますけどねぇ。
 もちろんまったく別の解釈、というか合理的な解釈も成り立つ。「UFO」というのはそもそもその名の通り「未確認飛行物体」なのであって、広い意味での正体不明の飛行物体ならば、雲や鳥や隕石、国籍不明機に至るまで全部「UFO」なのだ(UFO=円盤なんて誰が勝手に決めたんだか)。冷戦期、国際関係が緊張するときにUFO目撃情報が多く寄せられたというのは、単にスパイ偵察機とかそういう軍事関係の類のものが頻繁に空を飛んでいたからだと考えることもできる。もっともそれだと冷戦構造崩壊期にUFO情報がピークに達したというのが説明しにくいが、ひょっとすると社会的緊張状態に置かれたときの人間の潜在的心理が影響しているのかもしれない。ま、面白い話ではある。

 もう一つイギリスから。相通ずる話題である。確か元ネタはCNNだったかな。
 スウェーデンのジャン=サンドバーグさん(53)という科学者が、6人のチームを率いてスコットランドのネス湖に赴き、あのネッシーを捕獲する大作戦を開始した。2メートルほどの網を水中に仕掛け、ソナーや音響カメラを駆使してネッシーを捕まえようとしているという。そんなヤワな仕掛けでネッシーがつかまるんかいな、と思っちゃうところだが、サンドバーグさんは「ネッシーは巨大なウナギの一種」と案外合理的に考えていて、これで捕獲が可能と自信を持っているのだそうな。捕まえたらDNAを調べるべく生物学者も待機させているとのこと。
 そこへ、この捕獲作戦に猛反対をする妙な人が現れた。イギリスの「白魔術師」たちのリーダーを務めるケビン=カーリヨン氏という存在自体が謎な人物。RPGなどでおなじみの「白魔術師」ってのがどうやらイギリスには職業として実在しているらしい(汗)。彼は「湖の生き物を傷つけてはいけない。そっとしておいてやらねば」とサンドバーグ氏の捕獲作戦に反対しているのだが、反対するだけでなくネス湖に出かけていってサンドバーグ氏の目前で湖にお守りを投げ込み、「ネッシーを守る呪い」をかける儀式をしたのだった。もちろんサンドバーグ氏は「くだらない儀式」とバカにしているそうだが。
 この魔術師のほかにも「ネッシーファンクラブ」の会員達が「あんな網でネッシーが捕まるもんか」と気勢を上げているそうで、この辺りの人達で白熱した論争が繰り広げられているらしい。うーん、こういうノーテンキな話題ってはたから見ている分には凄く好きだなぁ(笑)。
 
 そういえばイギリスって一時流行した「ミステリーサークル」の騒ぎもあったし、この手のネタが結構好きな人が多いのかもしれませんな。



◆すごいぞ自民党パート2
 
   先週書いたとおり(といっても前回は更新が遅かったから書いたのは4日ほど前の話なのだが)、「変人」こと小泉純一郎氏が第87代の日本国総理大臣となり、小泉内閣が発足した。この新内閣および党役員人事は小泉新首相のほぼ独断で決定され、従来のような派閥間調整型ではない首相主導型の人事が行われたとされる。実際、かなり民間や女性、若手起用などで目立つ人事もあるし、総裁選を争った麻生太郎氏や一時総裁選出馬を考えていた堀内光雄氏を役員につけてみるなど、それなりに派閥にこだわらない、小泉さん本人の意向をかなり汲んだ人物登用になっているところもある。その一方で連立相手の公明・保守の閣僚はそのまま留任だし、官房長官など留任組も案外多い。どうしても目が行く派閥構成にしても幹事長にYKKの一角・山崎拓さんが入って党内に目を光らせる位置についたのをはじめ、小泉さんの「古巣」である森派の閣僚も財務大臣になった塩川正十郎氏をはじめ森内閣と同数だけ入っている。最大派閥である橋本派の影響力が低下したことで「真の意味での森派内閣」なんて陰口もささやかれている。まぁとにかくいろいろと多面性を持っている組閣なのは確かで、小泉さんがいずれの顔も立つように見かけによらず細かい配慮をしたとは言えそうだ。
 聞くところによると小泉さんは議員宿舎の自分の部屋にこもり、ほとんど一人で閣僚人事を決めていたという。その様子が実に楽しそうだったのだそうな(笑)。そりゃ楽しいだろうなぁ。ほとんど自分だけで大臣ポストをあれこれと決められるわけで、歴代首相でもなかなか味わえなかった快感だったことだろう。ま、考えてみると本来そうあるべきだったのかもしれないが。万事調整型の日本風土には合ってない可能性もあるけどね。
 首相就任後の記者会見を見ていたが、とにかくこの人はよくしゃべる。メモを見ずにしっかと前を向いてズバスバ話が出きる辺りは、実にTV向きというか欧米型というか。これはこれで分かりやすいので評価できるし、党首討論が楽しみではある。森さんのような「口滑らし」ではない本音トークが出てくるかも。

 さてやはり国民及びマスコミが注目してしまったのは今回の総裁選で「小泉勝利」に大きく貢献した功労者である田中真紀子さんの人事だった。小泉さん同様によくしゃべる人だからTV映りも良い。そして決してバカではないクルクルと頭が回転する多弁さはやはり父親・田中角栄ゆずりのものなのだろう。自民党の国会議員ではあるものの無派閥を通し(父親が作った最大派閥は竹下登の反乱で乗っ取られちゃったしね)、以前の総裁選で候補を評して「凡人・軍人・変人」という見事な韻文を作るなど「党内評論家」のような立場になっていた。以後、「真紀子さん」といえば自民党の中から党を批判する「ご意見番」のような存在として何かあるごとにTVなどメディアに登場することになる。
 その真紀子さんが、今回の総裁選では口だけでなく行動を起こした。「小泉支持」どころか「応援団長」を自ら名乗り、「『変人』の生みの母として健康優良児に育てる」とまで宣言した。それでもまぁ勝てないだろうと踏んでいた周囲の予想を大きく裏切り、アッという間に「小泉首相誕生」となってしまったのだから恐ろしい。もちろん真紀子さんだけの手柄ではないのだが、国民への大きなアピールになったのは事実だ。

 一時「私は入閣する気はない」と言っていたという情報も流れたが、結局「外務大臣」という最重要ポストに真紀子さんは据えられることになった。しかも、あくまで噂なのだが、自ら「外務大臣」と望んで入閣を果たしたという話もある。あの人ならやりかねない。今の日本、そして世界において実は一番重要なポジションであると睨んでいて、なおかつそれが自分に向いているという自信があるのだ。特に最近日本は中国や韓国、台湾などとゴチャゴチャとややこしい懸案を抱えている。それに対処するにはこれまでの秀才的調整型、悪く言えば優柔不断型の日本外交では処理しきれない部分が含まれている。そこへインパクトというかいささかクセのある新外相が登場するのは周辺国にとっても日本にとっても突破口が開ける…かもしれない。それに何と言ってもそのゴチャゴチャ懸案を一番抱えている中国に対するウケがいいんだよね、この人は。何と言っても日中国交正常化を実現し、中国人の知る日本人ベスト3以内必ず上がる「田中角栄」の娘である。そのうち中国では山口百恵と並ぶ知名度を獲得する日本女性になるかもしれない(笑)。ま、もちろん実力は未知数だけど、これまでの外相たちに必ずしも実力があったとは思えないし。お手並み拝見と言うところだろう。とりあえず就任直後に例の「つくる会」の歴史教科書を「事実ねじ曲げ」と評した辺りはそうセンスの悪い評論家ではないな。

 政権発足後、恒例の内閣支持率の世論調査が行われた。現時点で読売新聞と共同通信の調査データが出ているが、恐ろしい数字が現れた。
 小泉内閣の支持率、読売新聞では87%、共同通信では86%という歴代最高記録を叩き出したのだ。つい一週間前までやっていた同じ政党の同じ派閥出身者の首相による内閣不支持率をそのまま持ってきたような数字だから呆れる。以前からの個人的人気(そういえば大リーグに行っている「宇宙人」新庄の人気のあり方とよく似ている)、総裁選でのまさかの劇的な逆転勝利、田中真紀子外相起用というウケる人事、守旧派を打倒する「改革派」という響き、そして森首相不人気の反動、とまぁいろいろと原因は考えられる。「支持」といっても「どちらかとえば期待」という回答も含んでいるので就任直後によくある「ご祝儀支持率」であるとは言えるのだが、それにしても異常な高さだ。まだなんにもしてないうちから気軽に支持と不支持をひっくり返しちゃって、日本国民の政治意識って単純だよなぁ、とへそ曲がりの僕は危惧しますね。例はやや異なるが江戸時代に田沼意次が失脚して松平定信政権が発足したときもこんなフィーバーだったのだそうな。
 歴代過去最高、と書いたがこれ以前の最高支持率を出したのは、自民党が初めて野に下った時の細川護煕内閣(それでも70%台)。これもたぶんに汚職が横行した自民党政治への批判、前任者の宮沢喜一首相の不人気などがあって、それを打破する清新なイメージが高支持率につながったものだ。マスコミが物凄い後押し攻勢をかけたあたりもよく似ている(もちろんマスコミは大衆の好みそうな方向をかぎつけてそうするわけだが)。で、その内閣は何をしたっけか?あえてあげれば周辺諸国への侵略の歴史への反省を明確にしたということはあるのだが、これは時代の流れで遅かれ早かれというところもあったし。結局細川さんご本人の疑惑があれこれ出てきてアッという間に辞めちゃったのはご存じの通り。その後まもなく自民党は政権に返り咲き、相変わらずKSDだの似たような汚職事件を繰り返している。あちこちの社会主義政権でも起きていることだけど、長期一党独裁政治は確実に腐敗しますね。

 内閣支持率とともに世論調査は自民党の支持率がグンとアップしたことを伝えている。一部のデータでは自民党支持率が二位の民主党支持率をダブルスコアでリードしていた。トップは変わっただけでこの劇的変化。呆れ返りつつ、今回の地方の自民党組織の「反乱」にこの長期政権政党の底知れぬしたたかさを感じた。そう、これなら「選挙に勝てる」のだ。昨年の「加藤の乱」鎮圧で自民党も行き詰まりかと言われていたのだが、どうしてどうして、しっかり延命どころか息を吹き返す可能性が出てきた。高支持率を武器に「衆参ダブル選挙」をやる可能性だってある。今やれば衆参両院でかなりの議席確保が可能かも…これ中曽根康弘首相がやったことなんだとなぁ。どうも今回の小泉政権成立の最後の詰めでこの中曽根さんがキングメーカー的に暗躍した気配があり、一つの作戦案としては出ていると思う。総裁就任直後の記者会見で妙に軍隊保持や靖国公式参拝など中曽根さんの持論と相通ずることをスバスバ言っていたのも何やら関連性があるような…。
 一方の民主党は今ひとつ精彩を欠いている上に、一時「小泉脱党→新党で連携」なんて色気を見せていたから、この事態に大慌てというところだろう。なるほど、森内閣を参院選まで潰したくなかったわけだ。「民酒党」などという直営酒場(?)を新橋に作ってる場合じゃないよなぁ(笑)。

 小泉さんに期待するとしたら、持論の「構造改革」と「解党的出直し」をちゃんとやれるかどうかだな(特に後者)。下手すると自民党という存在を単に延命させただけで使い捨てされる可能性もある。


2001/4/30記

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