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2001年4月25日

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◆とらぬタイの皮算用

 「敗軍の埋蔵金」伝説というのはどこにでもあるものらしい。日本でも幕末期に埋めたという「徳川埋蔵金」を始めとするさまざまな埋蔵金伝説があってマジメに追いかける人もあとを絶たないが、東南アジアでは「日本軍埋蔵金」伝説があちこちでチラホラと顔を出す。かの太平洋戦争において東南アジアのほぼ全域を占領した日本軍が占領中に集めた財宝を、撤退時にどこかに埋めて置いたというパターンだ。

 この手の話で最も有名なのはフィリピンにおける「山下財宝」ばなしだ。シンガポール攻略で名を馳せた軍人・山下奉文は戦争末期にフィリピンで日本軍の指揮を執り米軍と戦っているが、この際に財宝をフィリピンのどこかに隠したという話になっている。山下は戦後現地裁判で死刑となっていることもあって、その知名度と相まってこの手の伝説が発生するようのに好都合な条件がそろっていると言える。
 フィリピンでは時折思い出したようにこの「山下財宝」の騒ぎが起こるが、その全てが詐欺まがいのデッチあげ。つい最近でも「山下財宝」として大量のプラチナが発見されたという情報が流れ、世界のプラチナ価格にいささかの影響を与えるなんて事件もあった。今なお、日本軍埋蔵金伝説というのは古びない詐欺ネタ(笑)なのである。ま、以前書いたことがあるけど日本でも未だに「M資金詐欺」があったりしますけどね。

 さて、今回の日本軍埋蔵金騒動はタイで起こった。タイにも日本軍が行っていたということを意識している日本人は少ないような気がするが、タイに軍隊を進駐させたというだけであって攻め込んだり戦場にしたりといった派手なことがほとんど無かったからだろう。タイはご存じの通り東南アジアで唯一の独立国だったこともあって無闇に攻め込むわけにも行かなかったし、むしろアジアの独立国同士(しかも君主国)協力してもらったほうが好都合、ということで日本はタイと協定を結んでその国土に軍隊を進駐させたのだ。むろんタイはこれといって積極的に協力した様子もないが(この国はなかなかしたたかな外交術を展開するところがあるようで)
 日本は当時イギリス植民地だったビルマ(ミャンマー)全土を占領し、タイとビルマを鉄道で結んで補給の強化を図ろうとした。この鉄道が映画「戦場にかける橋」でも有名になった「泰緬鉄道」だが、今回の騒動が起きたのはまさにそのタイとミャンマーの国境近くの山中の、かつて日本軍支配地域だった土地なのだ。

 4月12日、タイ議会のチャワリン上院議員が「洞窟に日本軍が埋めたと思われる2500トンの金塊を発見した」と発表した。ついでに「日本兵の白骨や日本刀があった」などという話までおまけでついてきた。このチャワリンさんという人、以前から日本軍埋蔵金探しに凝っている妙な議員さんだそうで(議員さんというのにも色々いるってことですね、どこの国でも)、前にも似たようなことを発表して空振りに終わり、恥をかいた過去があるそうな。だから今回だって…と普通は思うところだが(実際僕が聞いた第一報でもそうした前例に触れからかうような書きぶりだった)、どういうわけかタクシン首相がかなり本気にしてしまい、ヘリを飛ばして現地視察に訪れるという展開に発展してしまったのだ。
 問題の洞窟をのぞいたタクシン首相、「何かがあるようだ」と確信(まぁそれ自体は外れてないけどさ)、政府が全面協力して金塊発掘に乗り出すことを表明してしまう。「アメリカの知人に頼んで探査衛星で調査させる」とまで言うほど鼻息は荒かった。鼻息が荒かったのには一応理由がある。タクシンさん、「2500トンの金塊」という話を本気にして皮算用、「対外累積債務を全額返済してお釣りが来る!」と妙に現実的なところで大喜びしてしまったのだ。ま、それだけタイの財政事情が大変だということなんでしょうけどねぇ。

 このタクシンさんという人は実業家で、つい最近新党を結成して既成政党に飽き足らない国民の支持を集め、あれよあれよという間に首相にまで登り詰めちゃった人物。行動派、経済通(?)として人気を集めていたが、一方で不正蓄財など黒い噂もチラホラする人でもある。良くも悪くもタイ政界の風雲児というわけ。そういえばつい先日も飛行機に爆弾仕掛けられて暗殺されかかったりもしてましたね。今度のどう聞いても眉唾な話に飛びついちゃったのにはこの人のそうした個人的性格と政治的基盤のもろさの両方が影響しているように思える。

 さて、話は進んで問題の洞窟の入口もショベルカーで広げられ、いよいよ発掘という段取りに(この時点でまだ一つの証拠も出てないってのに…)。実際に発掘にとりかかる前に国王陛下にご報告、ということになって正式に17日にプミポン国王への報告が行われることになった。なんせ憲法に「国王は神聖にして侵すべからず」と記し、ニュースや映画の冒頭に国王の映像と国王を讃える歌を流すお国柄である(NHKの衛星放送でアジアニュースを見ると見られますよ)。大事なことがある時はまず国王に報告、ということになっているようだ。しかしこの17日を前にして(予想通り)話は一気にしぼんでしまうこととなる。
 ここに来てようやくチャワリン議員が発見の「証拠」のコピーを公開した。それは金塊でもなんでもなく、ただの紙きれの集合体だった。一応ただの無地の紙切れではなく、アメリカ政府が1934年に発行した「1億ドルの金兌換券やら国債・保険証書」などというしろものだった。1億ドルと書かれたものが250枚、しめて250億ドル。本物ならば大変なものだが、もちろん全てニセモノ。駐タイアメリカ大使館は「1億ドルの国債など発行していない。国債は1000万ドルが限界」と呆れ顔。年代がやたらに古く見えるが、この手のアメリカ証券の偽造は世界各地で古くから行われていて、別段珍しいモノではないのだそうだ。
 かくして国王への報告も中止、発掘作業も放棄されたのでありました。

 もちろん事はこれだけで済むわけがない。まず「有価証券偽造事件」として警察当局が捜査を開始、19日にはタイ人4人が逮捕されている。さらにこれらの偽造証券は中国人・フィリピン人のグループ(あ、やっぱり「山下財宝」の本場か)が香港から持ち込んだものとみられ、彼らの行方も当局が追跡しているという。騒動の張本人・チャワリン議員は「偽造とは知らなかった」と言っているそうだが…(笑)。前から埋蔵金探しに没頭している人だそうだからダマされた可能性もあるけどね。

 そしていちばん恥をかいたのは、もちろんタクシン首相。それでなくてもいろいろ不安定な政権がますます信用失墜ということになってしまったようである。



◆冷めたビザ?
 
 このタイトルの元ネタはもう古い話なんだけど…(^_^; )
 去年からたびたび「史点」にご登場してもらっている(イヤ、別に頼んだワケじゃないけど)李登輝・前台湾総統が、この文を執筆しているいま、この日本に来ている。副総統だった時代に来日して以来、16年ぶりに日本の土を踏んだことになる。
 さて、この李登輝さんに入国ビザを出す出さないでこの一週間ばかり日本政府が揺れに揺れていた。これまでにも何度か揉めた問題なのだが、今回はついにビザ発給に踏み切ることになった。さてなんでこの人一人のビザ発給でこんなに揉めなければならないのだろうか。

 ま、良く知られているようにつまるところ中国政府がこの問題に対して以前から神経質になのだ。李登輝さんは台湾、つまり「中華民国」の総統であり中国国民党の主席であった人物。その国民党を追い払って大陸中国を統一し今や世界的にはほぼ「唯一の中国政府」として認められている「中華人民共和国」の共産党政権にしてみれば、李登輝さんはもともと宿敵である、とも言える。だが中国政府が李登輝前総統に抱く感情はそう単純なものではない。これまでの経緯が複雑に影響を与えているところがある。

 李登輝さんが台湾、つまり中華民国の総統になったのは1988年1月。前の総統だった蒋経国(もちろん蒋介石の息子)の死去を受けての就任だった。蒋経国は外来の政権である国民党の「台湾政権化」を進める意図で、生前のうちに後継者を台湾出身者である李登輝氏を副総統に据えることで決定しておいた。聞くところによると李氏が選ばれた理由には本人の能力(豊富な外国経験もある)もさることながら「台湾独立」などは考えないであろうと言う判断もあった(実際李氏本人も誓約した)と言われている。今から考えるとこのあたりは蒋経国のかなりの読み違えであったことになるが…。始めから「台湾独立」のつもりだったのか、このあと考えを変えたのかは分からないけれど。
 総統となった李登輝氏も最初から「台湾独立」を掲げていたわけではない。少なくとも1994年以前までにそれを匂わせる発言は見かけない。それどころか水面下で中国共産党と秘密交渉をしていたという事実もある(暴露されたのは昨年のこと)。それが1994年以降ジワジワと「台湾独立」「反中国」の志向を表に出し始め、とうとう訪米まで果たしてしまい、中国共産党政府の怒りを買うことになるわけだ。こうした経緯で、やや感情的ともいえる憎悪を中国側は李登輝氏に対して持ってしまったようなのだが、なんで李登輝さんがそうした強気の態度にこの頃出たのか疑問もわく。一つには、当時天安門事件の後始末で中国が国際社会から孤立しかけ、トウ小平の死去で後ろ盾を失った江沢民政権が近く崩壊するのではという予測をアメリカのCIAなどで出していたことがある。当時の李登輝総統自身もそういう読みをしていた節があり、それを睨んでの「中国離れ」であった可能性も感じる。結局その読みは外れた形になるわけだが。
 1996年には台湾は初めての民主的総統選を実施、中国は李登輝当選阻止を狙って台湾海峡で軍事演習を行い、ミサイルを吹っ飛ばした。しかしこれは裏目に出て李登輝の勝利をさらに確実なものにしてしまうことになる(このチョンボは昨年もやってますな)。そして1998年7月、李登輝総統は「(中国と台湾は)特殊な国と国との関係」という「二国論」と呼ばれることになる発言を行い、完全に中国の怒りを買うことになった。以後、中国からすれば「李登輝」は「祖国分裂主義者」としてほとんど犯罪者扱いになり、どこの国へ行っても中国が文句を付けるということになる(少なくともダライ=ラマに対するそれよりはかなり厳しく言うように見える)

 そして李登輝さんの日本訪問には特に中国が神経をとがらせる背景がある。李登輝さんという人がまた大変な「日本びいき」な人なのだ。李登輝さんは日本領時代の台湾の生まれであり、日本名は「岩里政男」。大学も京都大学(当時の京都帝国大学農学部農業経済学科。ここは珍しく台湾子女の入学に門戸を開いていたらしい)。京大在学中に学徒動員で兵隊にとられて日本軍の少尉まで昇進している。「22歳まで私は日本人だった」と誇らしげに語り、今でも日本語が一番得意で日本語でものを考えるという。
 日本を愛好してくれること自体はこちらとしても大いに結構なことなのだが、どうも見ているとベクトルが「戦前日本」に傾いているように感じられてしまう。実際、李登輝さんの日本びいき発言を歓迎し、交流を深めようとする人達には戦前日本美化論者が目に付くのも事実。で、こういう人達がまた揃って中国嫌いで、ますます李登輝さんと意気投合、とまぁそんな構造が確かにあるのだ。李登輝さんとしては日本と台湾のそういった方面の結びつきを強めて中国に対抗しようと言う意図がかなりハッキリとあるように見える。

 今回の日本訪問は李登輝氏の心臓疾患の治療が主目的となっている。心臓が悪いのは事実だが、これまでの経緯からすれば政治目的の部分の方が多いとしか思えない。単に「日本訪問を実現した」というだけでもかなりのインパクトがあるし、中国がかなり怒るということは誰でも予測できる。正直なところ僕などは李登輝さんは日中関係にトラブルの種を播こうと意図しているようにしか見えないんだよな。ちょうど日本の政界がガタガタしている時に来るのにもそんな印象を受けるし。
 そういう意図を感じるからこそ外務省は入国ビザ発給に難色を示した。気持ちとしては分からないではない(笑)。でも、李登輝さんは総統もやめて形としては「一民間人」という立場になっており、その入国を拒否することは民主国家としては基本的に出来ない。そこで初めのうちはビザ申請自体が無かったことにして(笑)李登輝さんが自主的に引っ込めることで丸く収めることを期待した。これまでにも何度か同じように処理してきていたのだが、今回の李登輝さんの意気込みはかなり違っていた。日本政府を「腰抜け」とまで激しく非難する会見を行ったことで、日本政府は引っ込みがつかなくなってしまったわけだ。まぁ政治活動は一切禁止、治療のみという形で訪日を認めるというだいたい予想通りの線で手を打つことになった。李登輝氏側は「制限付き」に一時難色を示したようだが、とりあえず「日本に行った」という実績を作ることを重視したのだろう。

 そしてついに4月22日。李登輝さんはとうとう日本の土を踏んだ。その途上の機内で日本メディアに「やっとこさ訪日できた」と日本語で答えて至極上機嫌であったという。そして台湾メディアに対して「中共(中国)は私を独立分子と決めつけて、でたらめを言っている。私はこれまで一度も台湾独立などと言ったことはない」と語ったという。うーん…(^^; )そういえば「二国論」の時も「国と国との関係」であって「独立」とは言ってなかったけどねぇ。でも志向しているのはそういうこととしか思えないが。先日会ったダライ=ラマにならって「独立」を明言するのは引っ込めたのかな?

 まぁ僕個人の意見としてはその主目的がどうであれ、人はどこでも自由に行き来できるべきであって、特定の人を(もちろん犯罪目的などで無い限り)入国させないなんてことはやるべきではないだろう。それにいちいちつっかかってくる中国政府の姿勢も大人げないと思う。そもそもこういう人一人がどっかに行く行かないで政治・外交問題になったりするってのも滑稽なところだ(まぁ外交なんてのはけっこう滑稽な茶番をする舞台でもあるのだが)。「問題」となるからそれを変に利用する人も出てくるしね。
 中国のためにアドバイス(余計なお世話?)するなら、大騒ぎしないことが賢明じゃないでしょうかね。案外一番有効な反撃かもしれない(笑)。



◆切り裂きジャックからの手紙
 
   「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」といえば世界犯罪史上にその名を残す凶悪犯…なのだが未だに正体不明、事件そのものも完全に迷宮入りしたため、本当に犯人が「ジャック」なんて名前だったのかすら分からない(だいたい性別も判然としていない)。ちょうど近代的な市民社会が熟しつつあり、新聞などいわゆる「マスコミ」が社会的影響力を持ち始めた時期で、マスコミによって世間の大きな話題になるパターン、今で言うならワイドショーネタ・週刊誌ネタになる凶悪事件のルーツとも言えるだろう。マスコミが売らんかな主義で、話題に乗ろうとする市民が流す出所不明のガセネタが新聞を賑わすという今日でもおなじみの現象もこの事件にはいっぱい見られる。

 「切り裂きジャック事件」と呼ばれることになる一連の事件が起こったのは今から百年以上前の1888年。ちょうどシャーロック=ホームズの活躍時期にあたるので、この事件とホームズを関わらせた小説もあったりする。この1888年の8月から11月にかけて売春婦の女性ばかりを狙った殺人事件が連続したのだ。公式には事件の被害者は以下の五人とされている。
 メアリ=アン=ニコルズ(8月31日殺害)・アニー=チャップマン(9月8日殺害)・エリザベス=ストライド(9月30日殺害)・キャサリン=エドウィズ(同9月30日殺害)・メアリ=ジェーン=ケリー(11月9日殺害)
 ただし、「最初の犠牲者」より前の8月あたまにやはり似たような女性殺害事件が起きていて、関連が疑われている。また便乗犯の可能性も捨てきれず、この五人全員が同一犯によって殺害されたと断定できるわけではない。イギリスにあったいくつかの専門HP(やっぱりあるんだよなぁ)でいろいろと見てみたが、「ジャック」による殺害は少なくとも4人、多くて8人までと推理に幅がある。

 ところで、「Jack the Ripper」という名前はどっから来たのだろう?この事件について別に詳しくは知らなかった僕は素朴にそんな疑問をずっと持っていた。今回ネタ集めをしてみて初めて知ったのだが、それは犯人からのものと思われる手紙の中で、その書き手が自ら名乗った名前なのだった。1888年9月27日に通信社に送られた「ディア・ボス」から始まる手紙がそれ。二つの殺人事件の犯人であると書き手は名乗って警察をからかい、さらなる犯行を予告して、最後に「Jackthe Ropper」と署名している。これが「切り裂き(殺し屋)ジャック」の名の由来らしいのだが、当初警察はこれをイタズラと見ていた。実際犯行声明をするイタズラ手紙はずいぶん出されていたらしい。ところがこの「ディア・ボス」の手紙が届いて3日後の9月30日に二つの殺害事件が起こり、被害者の一人エドウィズの方は耳を切られ、腎臓を抜き取られていた。この「耳を切る」ことが「ディア・ボス」の手紙の中でほのめかされていたため、警察はこの手紙が犯人のものである可能性大とみて公表したのだった。そして10月1日には同じ人物の筆跡と思われるハガキが通信社に送りつけられている。

 10月16日、「地獄より」と題した手紙と小包が、事件発生地域の自警団団長の家に送りつけられた。小包の中にはワインで保存された人間の腎臓が入っており、手紙は誤字だらけの下町方言で「捕まえられるもんなら捕まえてみやがれ」などと書き付けてあった。この腎臓を鑑定したオープンショウ医師はこれが被害者エドウィズの腎臓とよく似ていると鑑定したものの、断定は出来なかった。
 すると10月29日、今度はそのオープンショウ医師のもとに手紙が送りつけられたのである。またしても誤字だらけの下町言葉で。原文見たんだけど、かなり読みづらい。なんだか「かい人二十一面相」の挑戦状を思い起こさせた。要するに「あんたの鑑定通り、あれは左の腎臓だ。今度別の腎臓を送ってやる」という内容だった。
 この前後にも似たような「切り裂きジャック」からと称する手紙は数多く警察や新聞社に送りつけられたという。その大半はイタズラとすぐに判明するモノだったが、ここにあげたものを含むいくつかの手紙については「本物説」がささやかれている。もちろん疑問視している人の方が多いらしいが。腎臓を送ってきた手紙なんて確実なようにも見えるが、別人の腎臓の可能性も強く主張されていて決定打ではないそうだ。ともあれ迷宮入りのまま100年以上が過ぎちゃったわけで。

 とまぁ前置きが長かったが(おいおい)、ここからニュースネタだ。
 4月19日、イギリス公文書館がこの10月29日に送りつけられたオープンショウ医師あての手紙の現物を公開したのだ。いちおう「犯人のものである可能性が高い」ということで、らしいのだが。しかし僕が直後に見に行った「切り裂きジャック」専門サイトには現物の写真入りでとっくの昔に載ってたようだけどなぁ。今回の「公開」というのがどういう辺りで画期的だったのかよく分からない。
 
 なお、このネタの取材でお世話になった自宅PC付属の簡易英語和訳ソフトは「Jackthe Ripper」の部分を「殺し屋をジャッキで持ち上げて下さい」などという名訳をしてくれました(笑)。



◆風雲自民城
 
 先週は様子を見てとりあげなかった自民党総裁選。ついに決着がついた時点でこの文章を書いている。それにしても…二週間前に総裁選がスタートしたときには僕も含めてほとんどの人が予想もしなかった展開、そして結果となった。終わってみれば当初「楽勝」が予想されていた橋本龍太郎元首相ではなく、「変人」小泉純一郎元厚相がまさかの圧勝。「小泉首相」の誕生となっちまったのである。いろんな意味で今の自民党の内実をうかがわせる総裁選だったものだ。

 森首相の退陣表明を受けて繰り上げで行われたこの自民党総裁選、当初から予想されていた「橋本vs小泉リターンマッチ」という基本構造は変わらなかったが、亀井静香氏と麻生太郎氏の二人がヒョッコリ立候補していた。二人ともまさか当選するわけもないし本人もそのつもりだったろうが、亀井さんは次期首相が誰であろうと「恩を売れる」美味しい立場に立とうという自派閥ぐるみの目論見があったろうし、麻生さんは「将来に備えて名前を売っておこう」というぐらいの考えだろう(実際、小泉さんも含めてこのパターンも自民党史にはけっこうある)。意地悪な見方をすれば党内の若手・改革派・非主流派の票が小泉さんに集中するのを避けるために、橋本派あたりから「立って」と頼まれたような印象もあるけど。それと一時堀内派(去年の「乱」で加藤派を離脱した組)会長・堀内光雄氏が出馬に意欲を見せていたが、これは橋本派からの圧力で土壇場でひっこめさせられたようだ。

 ともあれ事実上の「橋本vs小泉リターンマッチ」には違いなかった。しかも「結局橋本」という予測をかなりの人がしていた。確かに小泉さんは「派閥離脱」やら「田中真紀子応援団長」やらといった目立つアピールはあったが、選挙なんて所詮数の勝負。小泉さんが負けたら自民党離脱して新党かな?などと勝手な予測が飛んでいたものだ。ところが、地方の党員による予備選が始まると風向きがにわかに変化していった。
 にわかに変化したという表現は正確ではないだろう。地方の、これから参院選挙を控えている現場の自民党員は昨年ぐらいからかなりの危機感を持っていた。森喜朗首相の不人気で「これじゃ選挙で大敗する」と「森おろし」の声が地方からすでに上がっていたわけだが、森さんが退陣を表明したあと、「どうやら橋本」という観測が流れると自民党員だけでなく、国民全体のかなりの人が「橋本?」と露骨な失望感を示した。橋本さんには気の毒だが、少なくともイメージとして選挙向けには最悪の選択と言って良かった。僕も前々回の「史点」で「デジャブに襲われる」などと書いているが、僕ですらそう思うぐらいだから選挙を実際に戦う地方の自民党員などは相当切実に恐怖感を感じただろう。それが予備選での「小泉集中現象」に露骨に結実していったということだ。

 早い一部地方で開票が進んだ土曜日の段階で、「小泉優勢」の情勢が明白になった。もちろん予備選での「小泉優勢」は予測の範囲内だったのだが、数字はその予想を遙かに上回る「小泉圧勝」の勢いを示していた。小泉さんが予備選で勝ったとしても国会議員の投票でひっくり返って橋本さんになるという予測もあったのだが、いかんせん予備選での勢いがあまりにも強すぎた。自民党国会議員で「反小泉連合」を組めば逆転は数字上可能だったが、ここまで小泉支持(あるいは橋本拒否)の声が強いとなると、「逆転」は自民党の中央と地方の間に重大な亀裂をもたらしかねない。実際、議会選挙が近い東京都連などは「逆転現象」が起こった場合「党の離脱も辞さず」という姿勢を示していた。他の地方でも似たようなものだっただろう。ここで橋本派も無理な「抵抗」はあきらめた。
 日曜日の時点で流れは「小泉総裁」で確定した。まさに、散々言われているが「地滑り的勝利」というやつ。昨年の森さんが首相になっちゃった過程、はたまた加藤紘一さんの「乱」の空振りことなど考えると、人間の「運」ってのはホント分からないものだ。あの「変人」が首相になっちゃうとはねぇ…。

 24日仏滅(笑)の本選挙で小泉純一郎・第20代自民党総裁が正式に誕生した。最大派閥の支持を受けず、自民党の草の根的な票が押し上げたという意味で、自民党史上に残る総裁には違いない。自民党内のことではあるが、ちょっとした「首相公選」になっちゃったところもある。このまま首相になるのは確実なので各メディアが大きくとりあげるのは無理もないのだが、考えてみると一政党のリーダー選びであるわけで、ちと今回は騒ぎすぎ…という気もしなくはない。自民党は「密室選び」の批判を避けるために街頭演説したり(聞いている人のどれほどが自民党員だったんだろ?)、TVに全員で出まくったりとアピールにつとめたが、結果が劇的だったこともあって自民党の大宣伝活動になっちゃったような。小泉さん自身、国民に珍しく人気のある政治家だから、間もなく来る参院選、野党は厳しく受け止めているようだ。民主党なんかひところは小泉さんの「飛び出し」に期待していただけに、かえって泡を食っている印象もある。

 総裁選出後の記者会見、小泉さんらしくまぁいろいろとズバズバ口にしていた。憲法改正だの集団的自衛権だのと言った、ちと問題視されそうな発言も、自民党員ならほとんど似たようなことを考えているだろうから、誤魔化すよりはズバズバ言った方が分かりやすくて良いのは確かだ。しかしその上で気になるところ。自衛隊について「いざという時は国家のために命を捨てる」うんぬんというのは始めから死を前提にする旧日本の軍事思想を連想させてヤなところだ。靖国神社公式参拝にも意欲を見せていたが、これもその線からの理由説明をしている。今日の日本の繁栄が戦死者達の礎の上にのっかっていることを忘れてはならないという意見に異論はないが、靖国って単なる鎮魂の場にとどまっていないのが現状だし、「公式」には一宗教の宗教施設に過ぎない。
 自民党総裁になっての記者会見だから、遺族会など自民党の重要な支持層へのアピールということもあったろうが、その後も連立を組む公明・保守両党に「公式参拝」の意向を強く伝えたと言うから、これはちと穏やかではない。人気のある人だけに、変な方向に突っ走らないでほしいもんだというのが正直なところ。


2001/4/25記

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