前回を書いた時点ではパウエル国務長官、そしてブッシュ大統領が「regret(遺憾)」という言葉を使い(あくまで行方不明になった中国機パイロットに対するものだが)、中国側の反応をうかがっていた。これに対し中国側はより突っ込んだ表現を暗に要求したので(江沢民主席がチリで「エクスキューズミー」発言をしていた)、パウエル国務長官が「sorry」と一歩踏み込んだ表現を口にすることになった。もちろんこれも衝突事故そのものに関して謝っているわけではなく、事故を起こした偵察機が海南島に緊急着陸するため結果的に「領空侵犯」したことに対する「sorry」なのだが。でもその語を口にしたということは「中国さんのほうで好きなようにとりなさい」という意図があるということだ。実際これを受けて中国外交部の孫玉璽(前にも書いたけど凄い名前だよな)副報道局長はこの「sorry」発言をもって「アメリカが歉意(おわび)を示した」と表現、「問題を解決する正しい方向に踏み出した一歩」と評価した。もちろんパウエルさんはじめアメリカ政府当局はいずれも「謝っていない」と内外マスコミなどでアピールしたが、中国政府がそうとる(それも恐らくポーズとして)ことを計算に入れた上で「sorry」という言葉を持ち出したのは明らかだった。
4月11日、アメリカ政府は中国政府に対し書簡を送った。報道によるとこの書簡の中でアメリカ政府は、米軍偵察機が緊急着陸のため領空を侵犯したことについて「VerySorry」と表現し、また行方不明となった中国機パイロットについては「非常に残念」な思いをパイロットの家族及び中国国民に伝えて欲しいと述べているという。
中国政府はこれを「おわび」と解釈し(すくなくともそういうポーズをとり)、「人道的立場」から米軍偵察機乗員の出国を認める、と応答した。「人権警察官」を標榜している感もあるアメリカに対する物凄い嫌味を言ったような気がするのは僕だけだろうか(笑)。ともあれ、この書簡でひとまずの「手打ち」となり、米偵察機の乗員24名は中国を出て帰国の途に着くことになったのである。
この日の夜、中国国営新華社通信は「人民日報」掲載の論文を配信した。これがまた凄い。「中国政府と人民は、アメリカの覇権行為との断固たる闘争を通じて、強硬で横暴なアメリカの態度を変え、中国人民に対しておわびをさせた」とまぁ物凄い文章である。今どきこんな文章が見られるとは思わなんだ。オーバー表現を好む漢文の伝統を感じるなぁ。「今回の闘争は、江沢民同志を核心にした党中央が複雑な問題を処理する能力を有していることを再び示した」と江沢民さんおよび共産党をヨイショする文もきっちり入っていたそうな。ま、たぶんに国民に向けたアピールと、強硬論も根強い軍部に対するなだめすかしという要素が大きいんだろうな。
ただ江沢民主席が外遊中だったこともあり、実際に国内で事件の処理に当たったのは次代のリーダー最有力と見なされている胡錦濤国家副主席を初めとする党・軍部の若手メンバーで構成された「中央安全工作領導小組」というところであったようだ(朝日新聞記事から)。アメリカの「国家安全保障会議」をモデルに組織した危機管理チームだそうで、このあたりも何となく中国指導部がアメリカンになってきちゃってるような印象もうけますな。来年にも「胡錦濤時代」に突入すると言われる共産党政権にとってちょうど良い「肩慣らし」だった可能性もある。
一方のアメリカだが、これもまたなかなかにうまく解決に持っていったと言えるのでは無かろうか。ブッシュさんはどうか知らないが(中国通のパパに意見を聞いているらしいとの噂はチラホラと出ていた)、少なくとも外交担当であるパウエル国務長官は一躍評価を高めた。「湾岸戦争の英雄」で黒人初の国務長官であり(ひところは大統領候補とも噂されていたものだが)、なんとなく「人気取り人事」に見えなくもなかったが、国内世論の反発を招かない程度に中国に媚びを売り(言い過ぎかもしれんが)、引くところは引き、攻めるところは攻めるという、なかなかどうして見事な「兵法」であった気もする(もちろん彼だけの手柄ではないのだろうが)。とりあえず人だけ取り返してしまえばあとは何でも言えるもんね。ってなわけで今は事故の発生責任を米中で相手になすりあいしてるというところ。
今度の事件の10日間を見返すと、何というか、「大人の外交」というものが感じられて物凄く面白かった。腹のさぐり合い、言葉のあや、分かった上でのダマしダマされ…冷戦時代の米ソとはまた違った外交駆け引きの面白さ(面白がってばかりもいられないけどさ)がうかがえた。そしてお互いにとりあえず欲しいものは得てしまったわけで。
ジョージア州リッチモンドヒルの中学校で、南軍の旗をあしらったデザインのTシャツを着て登校してきた生徒が7人も「停学処分」になるという事件が先月起こっていた。「南軍=奴隷制支持」という連想があり、黒人層の反発を招き下手すると暴力沙汰に発展しかねないということで南部のあちこちの学校で行われている処分であるという。これに対し、子供達とその親(ま、特に親のほうなんだろうが)で「南軍旗」にこだわりをみせる人も南部諸州でまだまだ根強く、「自分達の先祖は南軍の旗のもとに死んでいった。その伝統を守らねばならない!」と主張する生徒がいるそうだ(どこぞの国の国旗論争を連想させるセリフだな)。同様の論争はケンタッキー、ノースカロライナ、バージニアといった南部諸州でも起こっているそうだが、とくにジョージア州で激しくなっているという。
というのも、最初に書いたようにジョージア州で南軍旗をあしらった州旗が今年1月に変更を余儀なくされたからなのだ。主に黒人系の市民団体などがこの旗を「人種差別を助長する」として激しく攻撃し、ジョージア州への旅行の中止やイベントのボイコット、さらには訴訟まで行うといった方法で圧力をかけていたという。「南軍旗」そのものを州の議事堂屋上に掲げていたサウスカロライナ州でも同様の非難とボイコット攻勢を受けて州の収入が2000万ドル減少という損害が出たため、やむなく「南軍旗」を屋上から議事堂正面に移すという措置がとられていたそうな(でも完全にひっこめはしないあたりしぶとい思い入れがあるのだろうな)。著名な都市アトランタを抱えるジョージア州としては旅行の中止やイベント開催ボイコットと言った攻勢にはかなり弱く、州議会はやむなく州旗のデザイン変更に踏み切らざるを得なかったというところらしい。
ところで調べてみたらジョージア州がこの「南軍旗」入り州旗を採用したのは意外に新しく、1955年のことなんだそうだ。この前年、アメリカの連邦最高裁が「人種別の学校は違憲」との判断を下し、これに対する反発として南軍旗を州旗デザインに入れたものらしい。いやはや、アメリカ南部における人種差別意識の根強さを思い知らされる話ではある。「公民権運動」なんてのはこのあとからだもんな。そう考えると黒人団体などがこの旗を目の敵にする心理も分からないではない。
元ネタにした記事によると最近の世論調査でも「南軍旗」維持派は州民の約半数の49%で、変更派は33%にとどまっている。しかし10年前の調査では60%以上が維持派だったというから数としては減少傾向にあるのも確かなようだ。
とか書いているうちに、アメリカからはオハイオ州シンシナティの人種対立騒動のニュースが聞こえてくる。
アマゾンのジャングルにはこうした外界との接触をほとんど断った先住民部族が確認されているだけで53もあるという。この「バーレード・ジャバリ」という地域にも他に12もの部族がいて、いずれも外界との接触をあまり持っていない。一つ一つの部族はかなり少人数なのである程度他の部族と接触がないと集団維持が困難だと思われるので、恐らくこの「未知の部族」だって細々ではあろうが他の部族とのつながりは皆無ではなかったはず。しかしそうした他の部族も似たような調子だから「文明社会」には未知の存在となっていたってことだろう。こうした「未知の部族」はまだまだあるんじゃないかと思われる。
こうした全くの異文明間の接触はとんでもないトラブルになることも多い。以前聞いたところでは探険隊メンバーが意志伝達のすれちがいから殺害されたり、はたまた逆に探険隊が持ち込んだ病気に免疫の無かった部族が全滅しちゃったりといったこともあったそうだ。そうした過去の事例も考えてブラジルの当局は最近では極力彼らの生活に介入しないように「先住民保護区域」なんてのも設けているという。なんだか絶滅危惧動物みたいな扱いだな。
それにしても、こうした部族はいつからアマゾンの奥地で現在のような生活を送っていたのだろう。報道では触れていないが恐らく旧石器時代か中石器時代段階そのままの、言ってみれば人類文明の黎明期の姿を維持した生活なんじゃないかな。
つい1万年前ぐらいなら世界中どこの人類も似たような段階だったと思えるし、人類史全体から見れば僕らと彼らの違いなんてさしたるものではないって気もする。
「センチメートルな気分になる」というのは、確かバカボンのパパが言ったギャグなのだ(笑)。
僕らが日ごろ使っている「メートル法」という単位体系がある。「1メートル」という長さを基準に、その100分の1が「cm」、1000分の1が「mm」、1000倍が「km」といった長さの単位があり、1立方cmの水の重さを基準にした「グラム」、容積の「リットル」などなど、さまざまな度量衡にメートル法が使われている。ちょっと前の日本人だと「尺貫法」になじみがあるのだが、割とアッサリとメートル法に洗脳された感がある。僕なども尺貫法は「一升瓶」ぐらいしかピンときませんからな(笑)。
ところでこのメートル法というやつ、生まれはフランスである。1789年に起こった「フランス革命」は人権やら国民主権やらの印象が強いが、同時に「革命暦」なんて新しい暦を作ったり、「理性の崇拝」をやってみたりといろいろと目新しいというか珍奇なこともいっぱいやっている。議会での保守派と革新派の席の配置が「右翼」「左翼」の語源になったなんてのもありますな。メートル法もそんな中で生まれてきた斬新なものだったわけだ。
聞くところによると言い出しっぺは世界史の教科書でもおなじみの有名人タレーラン。啓蒙思想に基づいた新しい単位体系を作ろうと彼が発案し、地球の子午線を通る円周の長さを測り、それを基準に長さの単位を作ることになったのだ。そこでまず子午線の長さを測らねばならないが、もちろん北極から南極まで巻き尺で測ってみた…わけはない。地球儀じゃないんだから。フランスのダンケルクからスペインのバルセロナまでの距離を測り、そこから子午線の長さを割り出したという(古代ギリシャでも似たようなことをやって地球の大きさを計算した人がいたっけ)。で、地球の円周の4000万分の1を「1メートル」と決定し、1799年に採用されてメートル法の基本が作られたわけだ。この新しい単位体系が国際的に認知度を高めるのは19世紀半ばを過ぎなければならないけど。
今や世界中がメートル法で動いている感もあるけど、頑強に「抵抗」しているところもある。有名どころでイギリスとアメリカだ。この両国生まれのスポーツをみれば分かるように、この両国は「ヤード・ポンド法」が一般的な単位体系となっている。おかげで英米文学とか映画などを見ていて、フィートだ、ヤードだ、ポンドだと出てくると我々メートル法使用者にはややとっつきにくい。
さて、そんなイギリスからの話題。
去る4月9日、 イギリス北部のサンダーランドの裁判所が、「ポンド式の量りで1ポンドのバナナを売った罪」で青果店店主(36)に対し罰金2000ポンド(約36万円)の支払を命じる判決を下した。でえぇ、そんなことが「罪」になるのか、と驚いてしまったが、イギリスでは昨年1月から「小売商品はメートル法で売ること」を義務づけた法律が施行されており、この1ポンドでバナナを売った八百屋さんは当局から起訴されてしまっていたのだ。そんなこといちいちチェックしてるのかと恐ろしくなってしまうものだが。
さて、根強く「ヤード・ポンド法」を続けていたイギリスでなぜこんな法律ができたのか?それはもちろんEU(ヨーロッパ連合)の意向が大きい。最終的に「ヨーロッパ合衆国」にしちゃうつもりのEUとしては国ごとに単位が違うなんてのはやりにくい、とメートル法の使用を熱心に進めているのだ。もちろんEUの中心国を自負するメートル法の母国・フランスは大いに乗り気であろうけど、イギリスにしてみればフランスの軍門に降るみたいで面白くなく思う人も多いはず。ブレア政権になって積極的にEU志向を進めるイギリスがEUと歩調を合わせる形なわけだが、保守層の中にはEUそのものへの不信感も根強い。また一般的にまだまだヤード・ポンド法でやってることもあって、この八百屋さんは「メートル法に抵抗する殉教者」に祭り上げられ、保守派などの同情と支持が集まっているそうな。