ニュースな史点2001年11月16日
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早いもので2001年もあとわずか。間もなく2002年がやってくる…
そう、サッカー・ワールドカップ日韓共催大会の年である!先だ先だと思っていたらあっという間にやってきましたね。日韓双方の熾烈な争いの末の「共催」決定、「日韓」か「韓日」か大会の表記問題などいろいろと揉めたこともあったけど、開催の現実は刻一刻と迫りつつある。あとの注目点は韓国での開会式に日本の天皇が出席するのかどうかというところかな(非公式に招待はされてるようだが)。
さて、このサッカー・ワールドカップの主催者が国際サッカー連盟、略称「FIFA」である。このFIFAの副会長は鄭夢準(チョン=モンジュン)さんという韓国人(W杯韓国組織委員会会長であり国会議員でもある)なのであるが、この人に対しFIFA会長のブラッター氏が一通の公開書簡を出した。その書簡の内容は「韓国における犬を食べる習慣が韓国の対外イメージを傷つけている。ワールドカップはこの習慣を打ち消す良い機会であり、韓国当局はこの習慣をただちにやめさせるため『断固とした措置』をとることを求める」というものだったそうな。
韓国と言えば焼肉の本場であるが、その韓国に昔から犬の肉を食べる習慣があるのは有名な話。若い世代はそんなに食わないらしいがスタミナ料理、というか精力づけ料理(特にそのスープが良いらしい)として年配男性を中心に依然として人気があるという。僕自身は食ったことは無いが(別に進んで食いたいとも思わないが)聞くところではそれなりに美味なものではあるらしい(あまりに不味かったら食いはしないだろうし)。考えてみれば牛や豚以上に身近な動物である犬が食の対象になるのは自然な成り行きなんだよね。中国でも「水滸伝」なんかであまり上等ではない肉として犬の肉がチラッと出てきたし(もっともこのお話は「人肉」までしばしば登場するからなぁ)、現在でも中国南部では犬食が普通に行われているところもあると聞いている。香港返還時に外国へ移住した金持ちが残したペットの犬が一時街中にあふれた後、瞬く間に消えたなんて噂もあったっけ。
ただ現在の世界全体で見れば犬を食べる風習がある地域は決して多くは無いだろう。犬という動物は人間が有史以来有用なパートナーとしてきた歴史があり、ペット動物としても無類の人気を誇っている(その割に「犬」がつく言葉にはロクなものがないような気もするんだけど)。そこに犬食に対するタブーが生じる。家族同然のつきあいまでしている動物を食うとは何事だ、というわけだ。しかし最初から食用のつもりで飼っていれば食うことに抵抗は起きないはずなんだよな。僕の父親なんてウサギの肉を最高級のご馳走として食ったもんだと言っているぐらいだし。今聞くとこれもタブーの領域でしょ。韓国でも犬をペットとして飼う人が増えて以来、犬食する人はかなり減ってきているのが実情だという。
「犬食」に対する激しい非難は欧米の先進国の動物愛護団体を中心に長年続いている。こうした団体のうるささと言うのは日本人も「鯨肉」の件で覚えがあるはず。どうも欧米人の価値判断から自分たちとは違う食文化を「野蛮視」している空気があって、僕は頭に来るんですけどね。今回のFIFA会長の書簡もそうした動物愛護団体からの突き上げが背景にあったとしか思えない。
韓国人もこうした声を気にはしていて、ソウル五輪の時には表立った犬食は事実上禁止され、犬肉を扱う店はみんな看板を下ろして町の裏通りへと姿を隠してしまったとか聞いている。しかし犬食そのものは依然として続いていたわけだ。聞いた話では日本でも一部の韓国・朝鮮料理店でひそかに犬肉料理を提供してくれるところもあるとか言うのだが。
鄭夢準副会長はこの書簡を受けて、ひとまず「韓国では動物虐待の防止を徹底させるため政府が調査に乗り出している」と答えたが、10月12日にソウル市内で開かれた討論会で「犬肉食の問題はFIFAが関係する問題ではない」と強く反論をしている。僕などはもう拍手、拍手。そうこなくっちゃ。全くの正論というべきだろう。鄭氏は「ソウル五輪の時にIOCは犬食について何も言ってこなかったのにFIFAがこの問題を取り上げたのは理解に苦しむ」とも指摘し、韓国の対外イメージを傷つけるとの意見にも「心配ご無用」と返信したと語っている。鄭氏によればFIFAのハヤトウ副会長も「韓国は長い歴史の文化を持っており、1回だけのW杯のためにこれを変えることは不可能」と理解を示してくれたという。
動物愛護団体、環境保護団体などが韓国の犬食を非難する理由の一つに、「苦しんで死んだ犬の肉はうまいからとオリに閉じ込めたり焼き殺したりする」というのがあるそうだ。ホントにそんなことをしているのかどうかは知らないが、韓国の犬食愛好家らはこうした非難は誤解であるとして「食べられているのはすべて食用に飼育された犬だ」と反論している。
犬食を非難する動物愛護団体などの中にはこれを理由にワールドカップ出場ボイコットをする動きまであるというが、これには「勝手にせい」と言いたくもなりますな。
◆21世紀型「大東亜共栄圏」?
「史点」の過去記事を読み返していると、「中国のWTO(世界貿易機関)加盟が年内にも決定」という話題が執筆開始当初から何度か登場している。要するに何度も「実現」「決定的」と言われながらもなかなかそれが実現しないでいたわけだ。しかしつい先日、それがとうとう実現してしまった。ま、各国との細かいところの調整で手間取っていただけでいずれ時間の問題ではあったのだけど。
トウ小平以来の改革・開放路線中国政府にとってはまさに長年の悲願の実現だといっていいようだ。こっちから見てると何をそんなに慌ててるんだろうという気もしちゃうぐらい、中国政府は熱心に「WTO加盟早期実現」を国策の柱として掲げていた。中国がWTOの前身であるGATT(関税と貿易に関する一般協定)への加盟を申請したのは1986年のこと。しかしこのあと天安門事件(1989)が起こったことなどで中国への風当たりが強くなり、1995年にGATTがWTOへ衣替えするまでの加盟は実現しなかった。しかしその後ジワジワと中国の経済力の向上と国際社会における存在感が増していくなか、1999年には日本、アメリカとの間で相次いで合意にこぎつけ、翌年にはEUとの協議もほぼ片付き、ようやくこの2001年11月のWTO閣僚会合で中国のWTO加盟が承認されることになったのだった。
なお、この中国となにかとややこしい関係にある台湾も中国の加盟承認の翌日に加盟が承認されている。こちらはとっくの昔に加盟が決定済みだったのだが、「本家」を自認する中国がメンツにかけて自分より先に台湾が加盟することを認めず、「中国待ち」状態を余儀なくされていたのだった。つまらん話ではあるが、考えてみると台湾の加盟自体を阻止しようとは思わなかったわけですな、中国も。中国も台湾も国内での作業を片付けて年内に正式にWTO加盟をする予定となっている。
「巨大な発展途上国」あるいは「世界第七位の経済大国」という一見矛盾する形容を同時にされてしまう中国がWTOに加盟することでどういう影響があるんだろうか。もうこれについてはピンからキリまでいろんな意見が出ている。両極端を挙げておくと「中国が21世紀をリードする経済大国になる」から「経済・政治が混乱して数年以内に崩壊する」なんてものまである。まぁ「ビックリするような予言はたいがい当たらない」という経験則から言うとその中間ぐらいになるのかな。
中国はWTO加盟することによって世界の貿易ルールにのっとることになり、関税も下げて国内のさまざまな市場を段階的に外国企業にも開放していくことになる。それって下手すると昔の帝国主義時代みたいな外国勢力の食い物にされちゃうんじゃないかって気もするのだが、気がつくと中国自体が「世界の工場」であり「輸出大国」と化してきているのが現状。よく言われることだが高度成長期の日本に似てきているのは確か。まぁどうなるのかお手並み拝見ってところかな。
時間が前後するのだが、WTO閣僚会合に先立って「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日・中・韓)」の首脳会合がブルネイで開かれていた。11月6日、この中で中国とASEANが「10年後に自由貿易協定(FTA)を締結するための交渉に入った」と発表、世界を驚かせた。中国が他国と「自由貿易協定」を結ぶなんて言い出したのは、もちろんこれが初めて。経済的には「先輩格」の日本ですら先月にシンガポールとの間で初めて合意にこぎつけたという程度のものだ。ASEANじたいが自由貿易協定を目的に作られたようなものだが、これに中国が加わるとなると総人口17億人、GDP(国内総生産)で2兆ドルという巨大な自由貿易地域が出現することになる。これが実現した場合、当然ながらその地域における「盟主」が中国になることはほぼ明白だと言える。
この発表の直後、中国側から中国・東南アジア間の鉄道、高速道路などを整備するという、かなり壮大な計画が打ち出されている。中でも「アジア鉄道」の構想は中国・雲南省の昆明からラオス-ベトナム-カンボジア-タイ-マレーシアと経由してシンガポールまでを一本の鉄道で結んでしまおうと言う、鉄道ファンの僕などは思わず「おおっ」と言ってしまうような大計画。さらに昆明からバンコクまで建設される高速道路のラオス国内の未着工部分の三分の一を中国側が負担し、メコン川上流の河川改修整備に500万ドルの資金を提供するといった約束もしている(どっからかODAを受けてる国だったよな、中国って(笑))。
なにやらその昔のどっかの国がブチ上げていた「大東亜共栄圏」なんてスローガンを連想してしまったのは僕だけだろうか。一時期この手の話はそのどっかの国が新たな形でやるんじゃないか、などと言われていたものだが…
。
◆4000年前のブラック・ジャック
人を治療する「医者」という職業がいつごろから存在していたのか、明確なことはわからない。聞くところによると石器時代の人の頭蓋骨に手術(?)をほどこした形跡のあるものがあるらしい。その頭蓋骨には明らかに石で人為的に開けられた穴があり(ひえええ!まさか麻酔はしてないだろう…
)、しかも術後骨が回復している形跡まであって「手術」がとりあえず「成功」したんじゃないかと言われているのだそうだ。まさかこの時代に脳手術をやったとは思えないので、たぶんに宗教儀式的な「手術」だったんじゃないかと思えるのだが…
。だいたい「医者」というのも発生当初は「神官」と同じようなものだったとも言われている。
さて、古代文明の地・エジプトで「世界最古の外科医の墓」がみつかったとの報道が11月6日にあった。「世界最古」といってももちろん現在確認される限りの世界最古なのだが、どのくらい古いかというとエジプトの「第五王朝」(紀元前2494〜2345)の時代のものだそうな。現在から少なくとも4300年以上前のお医者さんというわけである。
発見された墓の内容などから、この医者は名を「サクル」といい、ファラオの主治医をつとめた人物ということまで分かっているそうだ。墓からは30点以上の青銅製のメスや手術針、医療用のさじなどが発見されているという。こんな古い時代の医者の墓が見つかったのは初めてのことで、「古代エジプトの医療技術に新たな光をあてる発見」と発掘責任者は興奮しているとのこと。
メスや手術針などが出てきたことから「外科医」と判断されるわけだが、なんだか4000年程度では医療技術の基本ってあんまり変化してないんじゃないかと思わせる発見物の数々である。具体的にどういう病気・怪我に対してどういう治療をしていたのか知りたいところ。ひょっとすると医療じゃなくてミイラ作りなど解剖用の道具だったなんて可能性もあるんじゃないかと思えるのだが(ミイラを作る際には脳や内臓を根こそぎ取り出すのである)。生きている人間に外科手術を施していたとすると、麻酔などはどうしていたんだろうと思うところもある。「三国志演義」にも出てきて有名な中国・後漢末の医師・華佗(かだ)は麻酔薬を使用していたのではないかなどと言われるのだが…
この華佗の話をヒントにして、確認される限り世界初の全身麻酔を行ったのが江戸時代の医師・華岡青洲だったりする、などととりとめもなく連想話を書いてしまった(笑)。
このサクルが生きた第五王朝時代にさらに200年ほど先立つ、第三王朝時代(紀元前2686〜2613)に既に外科医や歯科医がいたことが墓碑やパピルス文書から推測はされていたそうだ。しかし実在の物的証拠が見つからない状態だったので、今回の発見はそうした推測を具体的に裏付ける重要なものとなる。もっともこの時代の医者はやはり神官的な存在であったと推測されているらしい。サクル医師の墓にも石灰岩の祭壇があり、22体の神々の彫像が一緒に埋葬されていたそうで。
なんとなくノリであんなタイトルをつけてしまったが、そういえばブラック・ジャックが手術した「人間外」の患者の中に「骨折したエジプトのミイラ」ってのがありましたな。
◆まだまだまだまだまだまだまだ続く余波
ついつい「史点」更新をサボっているとあっという間に事態が急転してしまった。仕事に追われていた私が「史点」を更新し、ゴルフの事故で入院していたタモリが「笑っていいとも」に復帰するころにタリバン政権が崩壊していると誰が思ったであろーか(笑)。
とりあえず順当にこの時期たまっていたテロ事件とアフガン戦争がらみの話題をだいたい時間軸に沿って列挙していこう。
前回「ビンラディン牛肉麺」の話題に触れたが、パキスタンで「USAMA」という商品名の靴下が発売され人気を呼んでいるとの話題が報じられていた。パンティーストッキング状の生地だそうで、店の主人いわく「踏まれても強い。丈夫で長持ち」がウリだそうで(汗)。
意外にも東南アジアのカンボジアからは「ビンラディンTシャツ」の話題が。もっともカンボジアで製造されたとか売れているということではなく、外国から輸入されたものに対してカンボジア政府が販売と着用を禁止したというもの。「ビンラディン氏のついたTシャツはテロを奨励しているように見える。これは、わが国のテロ対策法に反する」というのがロイター通信の取材に対してカンボジア内務省が答えた禁止の理由。カンボジア国内にも50万人ほどイスラム系の少数民族がいて(このあたりは前回とりあげた隣国タイと事情は似ている)、ともすれば「聖戦」の呼びかけに呼応しかねないという懸念もあるらしい。なお、「ビンラディンTシャツ」は世界中で販売されているそうで、元ネタの記事を出していたCNNのサイトにはペルーの首都リマで売られている様子が紹介されていた。
そのペルーからの話題もある(見事なつながり!?)。国連総会に出席するためニューヨークを訪れていたペルーのトレド大統領が、11月9日にロイター通信との会見に応じ、その中で「モンテシノス元国家情報部顧問がオサマ=ビンラディンとつながりがあった可能性がある」と発言している。このモンテシノスなる人物についてはすっかり忘れちゃっている方も多いような気がするので復習しておくと、ちょうど一年前ぐらいにフジモリ前大統領の「腹心」で「影の実力者」と言われ数々の政界工作やら公金横領やらを行ったとして国外逃亡に追い込まれた人。そのあとフジモリさん自身も日本に亡命してしまい、モンテシノス本人も結局逃亡先からペルーに送還され逮捕・投獄されている。このモンテシノスの証言に基づいてトレド政権がフジモリ前大統領を国際指名手配したなんて話題を「史点」でも書いていた。
今回の会見でトレド大統領は、南米各国に拠点を持つと言われるビンラディン氏の組織「アル・カーイダ」など「アラブ人のネットワーク」があり、これがモンテシノス元顧問と連絡をとっていたようだと話している。根拠は「ペルー当局が得た情報」と「モンテシノス自身の具申」だというのだが…
まぁ最近世界のあちこちの組織がやたらにビンラディン氏と関連付けられちゃってるところがあるからなぁ…
。ビンラディンの引渡しを求めるアメリカとフジモリの引渡しを求めるペルーがなにやら似ている、ってネタを前に書いたが、実際ペルー政府も意図的にダブらせようとしているのかもしれない。特に親分アメリカに働きかけると子分の日本には利きますから(笑)。
バルト三国の一つ、ラトビアからも思わぬ「余波」の事件が報じられている。11月8日、ラトビアを訪問中だったイギリスのチャールズ皇太子が、首都リガ市内の路上で群衆の中にいた16歳の少女にカーネーションの花束で顔をひっぱたかれるというハプニングが起こったのだ。少女はただちに警察に拘束されたが、連行される際に「アフガニスタン空爆に反対する」とロシア語で叫んでいたという(ロシア系だったのかな?)。報道によるとこの少女は共産主義を強く信奉していたらしいが、酒に酔っての奇行も目立っていたという。
ラトビアの法律では外国王族に対して危害を加えた場合、最高で15年の禁固刑になるという(わざわざそういう法律があるのか、法解釈の問題なのかは不明)。少女の父親は「15年の刑は重過ぎる」とチャールズ皇太子に助けを求めたそうで、皇太子側も「不幸な事件ではあったが、命を脅かすような重要な出来事でない。ラトビアの当局がこのことを考慮に入れるよう希望している」との声明を発表している。
アメリカ軍と軍事行動を共にしているイギリスからはこんなニュースがあった。オックスフォード大学で開かれていた反戦集会に星条旗を掲げて乱入したアメリカ人留学生がいたのだ。この留学生こそ誰あろう、クリントン前大統領のお嬢さんチェルシーさん(21)であったから世界的ニュースになってしまった。間もなく彼女は留学先のイギリス国内に広がる反戦ムードを嘆く手記を雑誌に投稿している。それによれば自分の周囲のイギリス人には「反米的な空気」が蔓延しているのだそうで、「アメリカ人が気まぐれに戦争をすると思っている人がいるなんて、信じられない」「アメリカがアフガニスタンの人々のことを考えずに行動しているといわれるのは、侮辱だ」と怒っているという。よくよく頭に来たのか「夏にはアメリカ人以外の友人が欲しいと思っていたが、今はアメリカ人の仲間のなかにいたい」とまで書いているそうで…
。アメリカの軍事行動を積極的にサポートするイギリスでも、アカデミックな場やジャーナリズムでは反戦もしくは冷静な論調があるのは確かなようで、その辺がアメリカ流の単純な愛国心に燃えるチェルシー嬢には我慢のならないものであったらしい。
…
そういう「我こそ正義」なところが「反米的空気」を生み出しているような気もするんだが。
11月9日。日本の海上自衛隊の護衛艦2隻と補給艦1隻が佐世保基地を出発、インド洋へと向かった。公式には「テロ対策」の方ではなく防衛庁設置法に基づく「情報収集活動」のために出かけたことになっているのだが、「テロ対策特別措置法」が成立する前に米軍支援の姿勢を見せるために大急ぎで送られたという印象が強い。なんだか「とにかく旗を立てたかった」という、とくに外務省のアメリカ向けの意向が強く感じられる。ところで脱線するようだけど旧海軍、海上自衛隊の艦船が「日の丸」ではなく「旭日旗」を掲げるのはなぜなんでしょうかね。
ともあれ第二次大戦以来、日本の自衛隊の艦船が事実上の「戦争参加」のために国外へ出動した「歴史的瞬間」だった。イージス艦を送る送らないでいまだ政府・与党内で「集団的自衛権に触れるか触れないか」という議論が続いているが、ここまで来るととっくの昔に「集団的自衛権」とやらを実行しているように思えるのだが。
ところでこれに先立つ11月7日、タリバンの外国向けのスポークスマンであるザイーフ在パキスタン大使が日本の首藤信彦議員(民主党)と会見していた。首藤議員が後日明らかにしたところによると、首藤議員が「日本は武力行使は行わず米軍の後方支援に徹する」とザイーフ大使に告げたところ、ザイーフ大使は「日本の自衛隊がアフガニスタンに攻め込んでくると思っていた」と驚いた様子を見せたという。ほう、この人にとってはそんな印象だったのか。
11月12日朝(現地時間)。ニューヨークのJFK空港を飛び立った直後のプエルトリコ行き旅客機が、NY近郊の住宅街に墜落した。発生直後(日本時間だと午後11時半過ぎ)にたまたまネットを覗いていた僕はこの速報に驚き、 すぐにTVにかじりついた。誰もが「テロか」と一瞬なりとも思ったはず。1時間もすると「事故説」が強くなってきて冷静さを取り戻してきていたが、一時は日本のTV各局も特番体制を組んでメインキャスターを呼び出し、夜通し事故の模様を放送し続けていた。なにやら2ヶ月前の9月11日の放送の再現を見ているようだったな。これも「余波」の一種といえるだろう。犠牲者の中には9月11日のテロで世界貿易センタービルにおり、九死に一生を得た人もいた。
そんなこんなの数日間が過ぎ、間もなく季節はイスラム教徒にとって重要な「断食月(ラマダン)」に入ろうかとしていた。以前からこのラマダンという神聖な時期に空爆・戦闘を続けるのは避けたほうがいいのではないかとの意見が多く、アメリカ軍としてもそれまでにある程度の成果を上げなければならないと焦っていたところがあった。しかし(少なくとも先週の段階では)軍事的に膠着状態が続いていたため、アメリカ政府はしきりに「ラマダン中でもイスラム教徒が戦闘を行った前例はある」と言い出し、イスラム教の開祖ムハンマドがラマダン中に戦闘を行ったという故事まで持ち出してラマダン中の戦闘続行を正当化しようと躍起になっていた。アメリカにとっては「味方」であるはずのパキスタンのムシャラフ大統領もラマダン中の空爆の停止を求めたが、米英ともに聞く耳をもたない姿勢を見せていた。
だからこそ、そのラマダン突入前にあんなに事態が急変するとは僕も思わなかった次第だ。たぶんアメリカにとっても予想外の展開だったんじゃなかろうか。
アフガニスタンの情勢が急激に変化したキッカケは11月10日にアフガン北部の要衝都市マザリシャリフが「北部同盟」によって制圧されたことだった。この都市の奪回により補給路が確保でき、首都カブール奪回の足がかりになる…
などと制圧直後には言われていた程度だった。
それがいきなり13日に首都カブールが陥落してしまったから世界中がビックリした。気がついたらタリバーンは全土の2割程度の支配地域に追いこまれ、「北部同盟」以外の反タリバン武装勢力まで登場し、少なくとも「タリバン政権」は完全に崩壊してしまった格好だ。事態はあれよあれよ言う間に進展していく。
現時点で情勢が不透明なこともあり、この辺は次回の更新でまとめて書いてみたい。
2001/11/16の記事
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