ニュースな
2001年11月4日

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 ◆今週の記事

◆ある橋の名称変更

 毎日新聞のサイトを眺めていたら、こんな見出しが目にとまった。

 『児捨川橋:「白鳥橋」への名称変更を提言へ 宮城・白石』(10月31日記事)

 「なんだ、なんだ」と思って内容を読んでみて、即座に「史点」ネタに拝借することにしてしまった。こんな一見どーでもいいような話題(テロだの戦争だのに比べれば)も「史点」的野次馬根性を刺激するのである。
 記事の内容をまとめてみると… 宮城県白石市内を流れる「児捨川(こすてがわ)」の名と、その川にかかる国道4号線の橋「児捨川橋」(全長71m)の名前に「昨今の児童虐待などを連想させイメージが悪い」との市民の声が寄せられるようになったため、市長が橋を管理する国土交通省の事務所にかけあって「白鳥橋」に名称変更する、とまぁこんな話題だった。そもそも橋に罪は無く川の名前に原因があるのだが、川の名前をいきなり変えるわけにもいかず、とりあえず橋の名前から変えることにしたということだそうだ。
 世間の風潮に反応して昔からある地名にいちいちケチをつけていたらキリが無いんだから(日本中探してみれば放送禁止用語級の地名なんてゴロゴロあるはず)、こういう「市民の声」なんていちいち相手にしなくてもよかろうに、というのが記事を読み出したときに持った印象だった。まぁしかし「児捨川」って名前は確かにイメージは悪いわな、なんでこんな名前が、と思いつつ読み進んでいくと、この川の名前にはなかなかに興味深い由来が伝えられていたのだった。

 「倭建命」あるいは「日本武尊」と表記される古代の伝説上の英雄がいる。この字面でなぜか「ヤマトタケルノミコト」と読むことになっている。奈良時代に編集された日本最古の歴史書『古事記』『日本書紀』に登場する英雄で、両書が伝える神話・伝説の中でもひときわ異彩を放つ存在だ。
 
ヤマトタケルは景行天皇
(初代とされる神武から十二代目になる)の皇子で、本名は「小碓(おうす)」。父王に献上された美女を兄・大碓(おおうす)が横取りしたので父王が小碓に「様子を見て来い」と命じたところ、小碓はいきなり大碓を怪力で殺害、すました顔で報告する。この息子が恐ろしくなった父王は小碓に九州の豪族・熊襲建(くまそたける)を討伐するよう命じる。九州に赴いた小碓は女装してこれに近づき殺害に成功する。熊襲建が死ぬ間際に小碓の武勇を讃え「これからはヤマトタケルと名乗れ」と言い残したので、以後彼はそう呼ばれることになる。続いて山陰の豪族・出雲建(いずもたける)の討伐に向かい、友人としてこれに接近し、木で作った偽ものの太刀を用意して「太刀をとりかえようぜ」と持ちかけ、とりかえたところを斬殺するという、かなり人道的に問題のあるやり方もしている。
 次々と功績をあげるヤマトタケルだが、父王はますます彼を恐れ、今度は関東から東北の平定を命じる。この東国遠征伝説では、例えば静岡県のあたりでは敵の計略にひっかかって草原で火攻めにあって「草薙の剣」(三種の神器のあれね)をふるい迎え火を放って助かったため「焼津」という地名が残ったとか(草薙球場ってのもあるでしょ)、東京湾を船で渡るときに嵐にあい、愛妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げて嵐をおさめ、「あずまはや(ああ、我が妻よ)」とヤマトタケルが嘆いたことから関東を指す「あずま」という言葉が生まれたとか、地名伝説がやたらに多い。
 このあと東国遠征から戻ってきたヤマトタケルは尾張まで来たところで山の神を馬鹿にしたことから病に倒れ、結局故郷大和に帰ることなくこの世を去る。ヤマトタケルの魂は白鳥に姿を変えていずこかへ飛び去っていったという。
 このヤマトタケル伝説は大和朝廷が日本全土を征服していった過程を一人の人物に託した英雄物語であると推測されている。世界的に見られる「悲劇の英雄」のパターンも踏んでいるし、ラストの白鳥になって飛び去っていく場面などいかにも古代の物語らしいファンタジー性にあふれている。過去にも三船敏郎が演じた「日本誕生」や高島政宏が演じた「ヤマトタケル」といった映画の題材にもされている。前者はともかく後者はほとんど別モノといっていいぐらいムチャクチャな作品だったが… (笑)。
 
 さて、実は「児捨川」の名前の由来はこのヤマトタケル伝説に関係しているのだ。なんでもこの地にヤマトタケルが来たとき、地元の娘をめとって子供を生ませていたというのだ。その後その娘は子供を育てつつ夫の帰りを待ち続けたが、いつまでたっても帰ってこないことを嘆いて子供もろとも川に身を投げてしまったのだそうな。それじゃ「児捨」じゃなくて「無理心中」だよなぁ。確かに伝説の中でもヤマトタケルは行く先々で多くの妻をめとっているから、こんなエピソードが出てくるのも自然かもしれない。上でも触れたようにヤマトタケル伝説にはやたらに地名由来ばなしが出てくるが、こんな川の名前にまで彼の名が出てくるとはちょっと驚いた。もっともこの手の話って本来全然関係なかった話が有名人にいつの間にか結び付けられてしまうということも多いのだが…しかし「白鳥橋」って名称はそれなりに由来伝説を考慮したうまいネーミングだとは思えますね。苦心の作かな。。



◆あの人ゆかりの船発見

 たいぶ前にキャプテン・クックゆかりの船の発見話を書いた覚えがある。今回はそれ以来の船乗り関係ばなしだが、ぐっとビッグネームなお人に関係している。「アメリカ大陸到達」で知られるクリストファー=コロンブス(1451-1506)だ。
 11月1日、パナマの国立文化研究所が、先週パナマ沖で残骸が発見され調査が進められていた古い船について、「コロンブスが最後の航海で率いていた『ビスカイナ号』とみられる」と発表した。記録によればビスカイナ号はコロンブスの第四回航海で使用された4隻の船のうちの1隻で、ハリケーンで損傷したため、1503年にパナマ沖に放棄されたのだという。実に498年ぶりに人目に触れることになったわけである。

 「大航海時代」を代表する航海者・コロンブスについては説明する必要はほとんどないだろう、と言いつつ軽めに説明(笑)。彼はもともとジェノバ生まれのイタリア人(リドリー=スコット監督の映画「1492」でスペイン貴族に「コロンボ!」とイタリア名で侮蔑されるシーンあり)。地理学者トスカネリの大地球形説を信じて大西洋を突っ切ればインドに到達できると主張、スペインのイザベラ女王の援助を受けて1492年8月に大西洋横断の航海に出発した。その年の10月12日にカリブ海のハバマ諸島の島に上陸、ここをサンサルバドル島と勝手に名づけ、この地がインドであると勘違いして「西インド諸島」「インディオ」といった名称のルーツを作ってしまう。その後も4回にわたる探検航海を行ったが、「インド」も「カタイ」(中国)も発見できず、胡椒も手に入らず、植民地経営にも失敗して失脚・逮捕・投獄の憂き目にもあった。トータルでみるとあまり幸運な人では無かったような気もするが…
 コロンブスが自分の到達した土地がインドではないことにある時点で気づいていたんじゃないかという見方もある。映画「1492」もそんな風に描いていた。コロンブスの晩年にはやはりイタリア出身のアメリゴ=ヴェスプッチが新世界を探検し、ここがアジアで無いヨーロッパ人には未知の大陸であることを確認、やがてこの大陸は彼の名を取って「アメリカ」と呼ばれることになった。到達の元祖であるコロンブスの名は国名やスペースシャトルの名前に使われていた「コロンビア」に残されている。
 
 今回発見されたビスカイナ号はコロンブス最後の航海で使用された船だったわけだ。発見場所はパナマのカリブ海岸の港町ボルトベロ(「美しい港」を意味するこの名前もコロンブスが命名したものだそうで)近くの砂浜。砂取り業者が水深6mの地点で甲板の残骸を発見したという。甲板にあった石製の大砲の弾などが記録と一致したため「ビスカイナ号」を断定されたそうである。



◆近頃はどうも疑心暗鬼で…

 続いても「発見」ばなしなんだけど… ちょっと現時点で僕自身は鵜呑みにしかねている話題だ。一年前に発覚したあの「旧石器捏造騒動」以後、考古学的発見に懐疑的になってしまう今日この頃だが、このニュースには個人的に懐疑的になってしまう要素がある。

 11月2日、日中共同で発掘作業を進めている「長江文明学術調査団」(梅原猛団長)が、長江中流域の城頭山遺跡で首長儀礼が行われた「約5000年前の祭政殿」跡と、祖霊神をまつった「約5300年前の祭場殿」跡、さらに「6400年前の焼成レンガ」が発見されたと発表した。「レンガ」と発表されたものはこぶし大の土の塊で、昨年のうちに発見され付近から見つかった木片の放射性炭素年代法で「6400年前」と測定されていた。調査団の発表によればこれらの土の塊は遺跡の「城壁」近くの「祭祀坑」とみられる穴の底から大量に見つかり、京セラ総合研究所で成分分析を行ったところ600度以上の高温で焼かれており、「表面がほぼ均一に焼け、人為的に形が整えられている」との判断から「焼成レンガ」と断定したという。
 「祭政殿」「祭場殿」ともに中国でも最古となるもの。調査団は「黄河文明に先立って、長江流域に成熟した都市機能を持つ文明があった」と鼻息が荒い。さらにレンガについてはこれまで世界最古とされていたインダス文明のモヘンジョ=ダロ遺跡から見つかった4500年前の焼成レンガを2000年近くさかのぼる最古記録更新となる大発見としている。調査団の安田喜憲・国際日本文化研究センター教授(環境考古学)は「同時期のメソポタミアでは日干しレンガを使っており、焼成レンガを使っていた当時の人々は世界最高水準の技術を持っていたと言える」とコメントを出している。この焼きレンガと思われる土の塊は遺跡全体に分布しているらしく、「道路の舗装や建物の基礎に使ったのでは」との意見も出ているようだ。

 さて。
 いろんな意味で興味深い発見である。もしこれらの発見が本当だとすると「世界最古の都市文明」は長江流域の稲作文化の人々だったということになる。この調査団の梅原氏、安田氏そして中国の研究者らが「長江文明」とここ数年騒いでいるのは僕の耳にも聞こえていた、というより正確には目に入っていた。なにしろジャンジャンそういう趣旨の本を出してるんだもん。今回の「レンガ発見」以前のことなので「世界最古」とは言っていなかったが、「小麦だけでなく稲作も文明をつくる」「黄河文明よりも長江文明のほうが先だった」という趣旨はあちこちで目にしていた。
 ここまでの僕の書きぶりで察せられるとは思うが、僕は以前からこの「長江文明」の動きにかなり懐疑的な印象を持っている。長江流域に成熟した文化があった、これは別になんら問題は無い。「黄河文明」なんて概念はヨーロッパ人が「四大文明」の一つとして勝手に設定したものに過ぎず、最近では批判もあるのだ。「黄河」と「長江」なんて真っ二つに分かれるものではなく、中国の古代文明はティグリス川・ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア文明のようにとらえることもできるのではないかとの意見もある。両地域の交流は新石器時代からあったと確認されており、「長江の方が先」なんて騒ぐのはあまり意味がないとも言えるのだ。
 もう一つ、この動きに懐疑的になった理由がある。僕のサイトをくまなく見た方はお気づきになったかもしれない。この調査団でコメントをしばしば出している安田喜憲氏は、このサイトの「ヘンテコ歴史本」コーナーで取り上げられた珍文「天変地異と『終末』」をお書きになった張本人なのだ。詳しくはそちらを読んでいただきたいが、僕などはあれを読んだ限り、安田氏には歴史・宗教の「常識」が無いのではないかと疑わざるを得なかった。安田氏の専門である「環境考古学」、花粉や植生の調査から気候変動を読み取り、それと歴史を結びつけるという研究であるようだが、あの文章で言っている「科学的分析」についても素人目にも「???」と思わざるを得ない論理のほころびがみられる(実際この人の「科学的分析」についてはその方面でも批判が多いらしい)。この人は売れっ子であるようで最近やたらに著作を出しているが、そこには「長江文明」を日本の「縄文文明」と結びつけ、結論として「日本と中国は違うのだ」と強調したがっているフシを感じたものだ。この人の言う「縄文文明」の記述にも妙に日本持ち上げ論(西洋型近代文明批判論らしきものもあって、その辺が受けている理由かもしれない)のような姿勢が見られる。

 で、今度の「発見」を受けてのあのコメントである。「世界最高水準の技術」「世界最古の都市文明」… とセンセーショナルにぶち上げる姿勢に、僕などはかなりの警戒感を覚える。
 今回、センセーショナルにブチ上げている割に、マスコミの取り上げ方がいまいちだったような印象があるのは気のせいだろうか。マスコミも「旧石器捏造」に懲りているので慎重なのかもしれない。それと、実は僕も中国史業界の端っこにいる人間なもので、数年前にこの「長江文明調査団」のやり方にかなり批判があることを耳にしているのだが、ひょっとするとその辺が影響しているのかもしれない。
 「焼成レンガ」についてもいくつかのマスコミで疑問視する学者の意見も載せられていた。見つかった「レンガ」とされる土塊はいずれも人為的に作られたことを示す「原型」をとどめていない。長江流域の遺跡からしばしば出てくる土壁などの強度を上げるために土を火で焼いた「紅焼土」というものがあり、中国側の研究者からはこれもそれなのでは、とレンガ説に対する疑問が出ている(単に土の上で火を燃やしてもその土は焼かれた状態になる)。安田氏は「レンガ」とされる土塊について「大半は不定形だが、長方形に近い形をとどめているものもある」とコメントしているが、後世の中国の焼成レンガと外形的に異なることから「レンガと断定するには早い」との慎重論が新聞でも紹介されていた。とりあえず「形や大きさのそろった焼土片の大量の出土を待った方がいいのではないか」との考古学者の意見が出ていた。

 もちろん、頭っから今度の発見を否定しているわけではない。とにかく何事も用心してね、ということだ。



◆まだまだまだまだまだまだ続く余波

 では、今週も「同時多発テロ」とアフガン戦争関連を。

 この事件以後、さまざまな影響が世界中で見られるが、熱烈仏教国として名高いタイからもニュースがあった。
 10月30日から31日にかけて、タイ政府教育省の呼びかけでタイ全土の寺院で合計30万人もの僧侶・信者らによる国際平和を祈る法要が実施された。サマルンジット宗教問題局長は「僧侶たちは世界のすべての人々の幸福と繁栄、平和のために祈っている」と述べ、特に誰を非難するでもなく「平和を求める」という姿勢を示した。このあたり、仏教徒らしいところだな。
 その一方で、こんなタイでもイスラム教徒が南部を中心にタイ全人口の4%ほど存在しており、彼らの間ではアメリカのアフガニスタン攻撃に抗議してアメリカ製品の不買運動なども起きているという。凄いのはマレーシア国境の県では生まれた子供に男女を問わず「オサマ」とか「ビンラディン」とつける親が急増しているという話(CNNのサイトが載せてた)。他にも「サダム」とか「カダフィ」なんてのもあるそうで…

 お次は中国。これも「名前」つながり。
 中国紙「工人日報」が11月3日に報じたところによると、中国西部の甘粛省蘭州市で、「ビンラディン牛肉麺」の看板を掲げていた店があり(ちなみに牛肉麺は蘭州の名物だそうな)、地元の商工当局に「不健全な商文化」として看板を撤去されていた。この報道によると「客の注意を引くためにやった」ものだそうだが、地域から察するにイスラム教徒が結構多いんじゃなかろうか。湾岸戦争の時にも「サダム牛肉麺」の看板を掲げる店が出現して繁盛していたと言うし。

 自分の名前が赤ん坊はともかく牛肉麺の名前にまでなっているとは露知らず(たぶん)オサマ=ビン=ラディン氏本人だが、しばらく姿を見せなかったことから「ひょっとして」とオマル師ともども生死が取りざたされたりしていた。とか言い出すと出てくるのがこの人。11月3日、あのカタールのアルジャジーラTVがビン=ラディン氏本人が演説しているビデオを公開した。この中でビン=ラディン氏はついに国連、さらには英米軍の攻撃を黙認している形のアラブ諸国の指導者を非難し始めた。草の根的なビン=ラディン支持の動きがイスラム教徒の一部に見られるのは上の記事にも見られる現象だが、国家レベルで支持を表明する味方が現れないのも事実。このあたりは多少焦りもあるのかもしれない。

 その一方でアフガニスタンの国内勢力でビン=ラディンに味方する有力な勢力が現れたとの報道もある。毎日新聞の記事によると、イランに亡命中のヘクマティアル元首相(もちろんアフガニスタンの元首相である)が特使を派遣してタリバン側と接触し、これと手を組んで「反米同盟」を結成する方向で合意したという。近々ヘクマティアル元首相自らオマル師に面会する予定だとのこと。
 この元首相の率いるヘクマティアル派は群雄割拠状態のアフガニスタンの有力勢力の一つで、もちろんもともとはタリバンと敵対する勢力だった。しかしタリバンが首都カブールを占領した際にヘクマティアル氏本人はイランに亡命。その部下である数万の兵士たちはアフガニスタン国内に残された。今回の合意でこれら数万の兵士(タリバンと同じパシュトゥン人が中心だそうだ)がタリバン側についてアメリカと戦うことになるわけで、アメリカや「北部同盟」にとっては厄介な話には違いない。最近タリバン切り崩しに失敗したばかりだし。
 ヘクマティアル元首相がなんでまたタリバンに味方するのかについてはいろいろと憶測が流れているようだが、彼としては今度の戦争を「アフガニスタンに対するアメリカの侵略」ととらえたものであるらしい。また、亡命先であるイランの意向が多少絡んでいるのではないかとの見方もある。イランはタリバン拒絶派で北部同盟支持だが、アメリカの影響力がアフガニスタンに強くなるのもやだ、との観測も出ている。

 こうした情勢のせいか、アメリカ政府は「長い戦いになる」と強調する動きが多い。まぁ「テロ撲滅戦争」と掲げる限り長い戦いになるのは当たり前なのだが。マスコミの中には「ベトナム戦争のような泥沼」を懸念する声も強くなっており、「誤爆」でアフガン市民に犠牲者が出ている一方でアメリカ軍の作戦がちっとも進展していないように見えることにいらだちも見え始めている。
 こうした声にラムズフェルド国防長官「結局のところ戦争とは、数字、期限、短期見通し、24時間ごとのニュースの締め切りとは無関係なものなのだ」とマスコミに対して苦言を述べ、「日本との戦いでも3年以上かかった」と長期戦の心がまえを改めて訴えていた。うーん、ここでも日本の話が出るか。「勝ち戦」だからな。
 ただアメリカの国民的関心はむしろ「炭疽菌」への不安にあるようだ。その後も「国内の単独犯」説がマスコミで報じられているが、依然として犯人特定にはいたっていないまま死者が増えている。こうした状況は政府に対する不満として現れてきており、恒例のブッシュ大統領のラジオ演説もアフガン戦争のことではなく「炭疽菌」の話だけに絞られていた。また「近々第二のテロが起こる」との警告も次々と発せられ、人々の不安を煽っている。先日の「警告」からぼちぼち一週間ぐらい経つが… 。


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