ニュースな史点2001年12月15日
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◆今週の記事
◆太平洋戦争暗号秘話
朝日新聞で見かけた話題だが、去る11月24日、アメリカの先住民ナバホ族出身の元軍属の暗号担当者たち300人以上に対しアメリカ議会から名誉勲章銀メダルが贈られたという。彼らの第二次世界大戦時における功績に対する授与だと言うのだが、なんで半世紀以上もたってから…
?と思っちゃう話ではある。まぁこれも「歴史」になったから、ということなのかな。
ナバホ族とはアメリカのアリゾナ州など国土の南西部に居住する先住民。なんでも彼らの話す言葉は独特で他の先住民とも話が通じず、まず彼ら以外にはまず理解できないのだそうな。この特性(?)を生かしてもらおうとアメリカ軍は彼らを暗号担当に配属し、ナバホ語をもとにした暗号電文を作成、作戦において駆使させたのだという。例えば「潜水艦」は彼らの言葉で「鉄の魚」という意味の言葉に、戦闘機は「コンドル」という言葉に置き換えるといった具合に暗号化したのだそうだ。もともと彼ら以外には理解不能の言葉だけにまず解読される心配が無く、おかげで硫黄島上陸作戦などでこれら暗号がおおいに役立ったという話である。
しかしそこは「暗号」という秘密絶対の裏方稼業。ナバホ族の暗号部員たちは戦後もその存在を伏せられ、彼ら自身にもその請け負った任務について秘密厳守を誓わされていた。彼らの存在が公表されたのはようやく1968年のことだったという。
今年7月に硫黄島上陸作戦に関わったナバホ族の暗号員29人に対し名誉勲章金メダルが贈られている。それに続く議会からの銀メダル授与だが、どうも映画界における「プライベート・ライアン」だの「パール・ハーバー」だのといった第二次大戦回顧ブームと同調するかのように、アメリカでは第二次大戦参加者表彰ブームみたいなもんがあるらしい。今回銀メダルを授与されたニューメキシコ州に住むナバホ族の男性は「これでようやくアメリカ人になったような気がする」とコメントしているそうで。
このニュースを読んで思い出されるのが、そのアメリカ軍と戦った日本軍における暗号のこと。日本軍の暗号がアメリカ軍にバレバレだったということはよく言われるのだが(暗号ってコロコロ変えなきゃいけないのに延々と同じモノを使っていたとかいう話もあるな)、一時期だけ日本軍がアメリカ軍暗号部員を大いに悩ませる暗号を使用したことがある。これがまた米軍における「ナバホ族」の活用と同じ発想なんだよな。なんとあの「薩摩弁」を暗号に使用したそうなのだ。
薩摩弁とはもちろん鹿児島方言。その昔読んだ横山光輝の漫画「伊賀の影丸」でも「よそ者をすぐ見分けられるように島津氏が政策的に作った方言」などという俗説が語られているほど、よそ者には超難解な方言である。NHK大河ドラマで薩摩群像を描いた「翔ぶが如く」でも画面下に標準語の字幕が付いてしまうほどだった。暗号を解読されまくってヤケクソになった日本軍がそんな言語を暗号に使ったもんだから、一時アメリカ暗号部員たちはパニックに陥ったとか、これもまた伝説である(それでもしばらくして「日本の一地域の方言」であることをちゃんと突き止めたそうだが)。ひょっとして太平洋戦争の一側面って「ナバホ語対薩摩弁」の戦いだったりしたのか。もしかして「文明の衝突」ってやつでしょうか(笑)。
上記のような文章を書いてズルズルと更新を遅らせていたら暗号がらみで関連話題が出てきた。
12月6日に共同通信などが伝えたニュースだが、神戸大学の簑原俊洋助教授(日本外交史)らが外務省の外交史料館とアメリカ国立公文書館の資料を照合した結果、「1941年12月8日の真珠湾攻撃直前に日本側もアメリカの外交暗号を解読していた」ことが明らかになったと発表している。なんでも今年7月に蓑原助教授らはアメリカの公文書館で1941年の8月から12月にかけてのハル国務長官とグルー駐日大使の暗号電文の原文を発見。これと1994年に日本の外交史料館で見つかった「特殊情報綴」を照らし合わせると日本側がその内容を正確に把握、陸軍高官らもこれを回覧していたことが分かるらしい。
中でも蓑原助教授らが注目するのが11月27日付の電文で、その中にはアメリカ側が戦争を回避するため日本への石油禁輸の一時解除などを含む「暫定協定案」を検討しているが、それを「日本側には通告しない」とする内容が書かれていたという。この前日にアメリカはいわゆる「ハル・ノート」という対日強硬通告を出しており、その裏腹な態度を知った日本側が不信感を強めて対米開戦に踏み切ったのではないか…
と蓑原助教授はみているという。
この「ハル・ノート」があまりにも強硬な内容であったため日本が開戦に踏み切ったとはよく言われることなのだが、それ以前に9月6日の御前会議で対米戦争の方針はほぼ決定していたとの見解も有力だ。正直なところ今回の日本側がアメリカ側の暗号を解読していた話自体は興味深いと思うものの、それが対米開戦にいたる流れの中でどれほど決定力を持っていたかは疑わしいような気がしますね。この記事では「日米交渉史に新たな解釈が必要」との研究者のコメントも出ているけど、それほどのものとは僕には思えない。
この発表自体が「真珠湾攻撃の日」の直前を狙って行われているあたりも「演出」を感じちゃうんだけどなぁ。
◆いよいよセンセイの走る季節?
前回(っつっても約三週間前だが)に引き続き日本政界ネタあれこれ。
前回でも触れた、小泉内閣が進める特殊法人改革をめぐる攻防だが、とりあえずの「決着」がこの間についている。あくまで「とりあえずの決着」であり、いろいろと評価も分かれているようだが、ともかく「何かした」のは確かだと言えるだろう。
11月22日、政府と与党3党の間で、特殊法人改革のうち先行して決定することになっていた7公団---日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団の道路4公団および住宅金融公庫、都市基盤整備公団、石油公団の7つの処理についてひとまずの合意に達した。住宅金融公庫、都市基盤整備公団、石油公団の三つについては廃止が確定(その事業は民間に任せたり別の特殊法人に引き継いだりする)、最大の懸案とも言えた道路4公団については来年度から3000億円にのぼる国費投入を廃止し、いったん統合した上で分割・民営化する方針が決まった。これについては小泉首相側の主張が実を結んで「成果」を得た形。
しかし一方で各道路工団が抱えている債務の償還期限については小泉内閣が当初主張していた「30年で償還」という案は退けられ、「50年を上限に償還する」ということで与党(とくに自民党道路族)と折り合いをつけた。30年で借金を返さなければならないとなると高速道路の新規着工が事実上不可能になるため、「30年償還」には道路族議員が猛反発していたのだ。「50年償還」を勝ち取ったことで道路族側も「勝利」を主張していたりする。
実際、「どっちが勝ったという形にならないようにしよう」という、実に日本風村社会的な調整作用が永田町では起こっていたようだ。毎日新聞の記事によると、首相側と党側の調整役をつとめたのはは青木幹雄参院幹事長と森義朗前首相(小渕首相が倒れた後「首相代理」と「首相」をつとめたコンビですな)で、ホントに「首相と道路族のいずれかが勝ったような議論にしてはいけない」を基本方針に動いていたそうだ。その結果として出てきた「落としどころ」がこの辺だったわけ。この記事では「大きく傷ついた人はいない。これでいいんじゃないか」との自民党幹部の安堵の声が紹介されている。
今後の高速道路整備計画の見直しについては「首相の下に置く第三者機関」において検討することに決まっている。上記のような「落としどころ」的合意は同時に多くのあいまいさを残したままであり、肝心の決定部分はこれから作られるこの「第三者機関」におっかぶせてしまった形だ。次なる攻防はこの「第三者機関」をどのような組織にするか、決定力をどれだけ持たせるかという議論に移っていくようだ。それも「さらなる第三者機関で決めることにしよう」とかなるんだろうか(笑)。
道路公団の分割・民営化は許容した道路族だが、要は道路さえ作れればいいわけで…
。道路族の元締めとも言われる古賀誠・道路調査会会長も「我々は抵抗勢力だ」と自ら名乗って気勢をあげたりしていたし、前回でも触れた「未来創造議連」のほか「道路問題を考える会」「第二東名建設促進議員連盟」といった議連が次々と結成されて「抵抗戦」を続けていく構えのようだ。道路問題だけでなく郵政事業民営化問題についても、超党派の議員によ小泉路線に反対する勉強会が結成されている(衆院で165人、参院で150人ぐらいとか)。
それにしても50年というと2051年か…
SFの世界だな、とも思いつつ、この議論をしている政治家連中はまずほとんど生きていないだろうなと思ったりもする。
一時は自民党内内戦、さらには自民党分裂の可能性もといわれた特殊法人改革問題だが、そこは日本長期政権の自民党(笑)。予想通り(?)「和をもって貴しとなす」で正面衝突を回避した。これでまたもやみっともないことになったの野党でありながら小泉首相にエールを送って妙に色目を使ってしまった鳩山由紀夫党首率いる民主党だ。ちょうど一年前にも似たような光景を見た覚えがあるなぁ。
今度はこの民主党でも内紛騒動があった。自衛隊の米軍支援活動に対して国会が事後承認を与えるにあたって、民主党幹部は議論もしないうちから党をあげて賛成票を投じることを決定していた。「事後承認ではなく事前承認にしろ」とあれだけ騒いでいたのはなんだったんだか。このあたりも小泉さんはじめ自民党内の「改革派」にエールを送ろうという政治的判断(しかもかなり甘い)から出てきたもののような気がするんですけどね。鳩山さん、どうも自民党内の「改革派」が自民党を割って出てきたらこれとくっつこうという甘い夢を見続けていらっしゃるようだ。
もともと民主党は旧社会党系から自民党離脱組までさまざまな勢力の寄り合い所帯。今回の対米支援活動への承認には特に旧社会党系の議員が反発し、党の方針に対して反対票を投じたり棄権するなど「造反」の動きを見せた。党の役員でもある横路孝弘議員や先の選挙でタレント候補として話題になった大橋巨泉議員なんかもこの「造反」に加わっている。
これら「造反組」の処分をどうするかで民主党幹部は迷った。それこそこれまでも何度も噂された民主党分裂という事態にもつながりかねない、ということでこれまた予想通り(笑)軽い処分ですまされる結果になった。火種はくすぶり続けていくだろうけどねぇ。
その他政界ネタをポチポチと。
尾身幸次沖縄・北方担当大臣が「日本は大和民族による単一民族国家」と講演で発言して、12月1日にアイヌ民族の団体「北海道ウタリ協会」から「発言は民族の誇りを傷つけ、独自文化の否定につながる」との抗議を受け、認識不足を認めて謝罪していた。つい先ごろもありましたよね、こういう話(「史点」7月9日参照。平沼経産大臣と鈴木宗男議員でしたな)。それ以前にも何度かこの手の発言は繰り返されアイヌからの批判を浴びている。少しは学習能力をつけてほしいものだ。
12月2日、保守党の野田毅党首が熊本市内で記者会見し、年内に内閣改造はしないと繰り返し明言している小泉首相について、「小泉首相はそのつもりはないと言うが、我が党の事情もある。首相の真意をもう一度どこかでおうかがいしたい」と内閣改造への期待感を述べたという(朝日新聞より)。野田毅さんといえば、つい先ごろ前党首だった扇千景国土交通大臣の入院中に「クーデター」を起こして党首の座を分捕ったお方。その前党首が今なお大臣の座にいることが大変お気に召さないらしい。「わが党の事情」とおっしゃるが、まぁ露骨な話で。
財務省が実現を目指していた発泡酒の税率引き上げ問題だが、どうやら先送りの様子。もともと発泡酒ってのはビールもどきの商品であるが、あくまでビールではないから税率が低く抑えられ、低価格で人気になってしまった商品。アイデア賞ものの商品なのだが、本家のビールを席巻してしまい(だいたい我が家でも発泡酒のことを「ビール」と呼んでしまっているぐらいで)、財務省にしてみれば「税金逃れの商品」に見えてしまうもの。そこで「増税」の動きがでたわけだが、当然ながらビール業界は反発。財務省は「じゃあ引き換えにビールの税率を下げよう」などと妙な取り引きも考えたようだが(笑)、国会議員の間でも反対連盟ができ、小泉首相も「増税は政治的判断としてまずい」とコメント。その後も一時20円程度の増税が自民党税調で決定との話も出たが、結局見送りということになった。
新聞で見かけた記事だが、ビール業界って政界にパイプがほとんど無いらしく、政界工作なんてほとんど出来ない状態であったらしい。やはり首相の息子さんを発泡酒と同時にデビューさせたのが効いたのか(笑)。
◆現存世界最古・最長の王朝の慶事
12月1日。出産が間近に迫り世界の注目(とくに誇張ではない)を集めていた日本の皇太子妃雅子さんが無事に女の赤ちゃんを産んだ。延々と続いている日本の天皇家に新しい命が誕生したわけである。海外の報道で「世界最古の王朝」という表現があったそうだが、確かに現存では世界最古・最長の王朝には違いない。全く疑いの無い確実なところで6世紀の初めぐらいまではさかのぼれる王朝だ。2650年間って話をそのまんま報じている海外メディアもあるそうだが。もう一つ、今でも「エンペラー」と訳されてしまう名乗りを持っている唯一の王朝でもあるんだよな。エチオピアのハイレ=セラシエ皇帝が1974年の革命で倒されてから「エンペラー」といえばここだけだ。
さて、皇太子妃の妊娠が判明した春頃に「女帝論議」が盛り上がった時期があった。僕も「史点」でネタにしているが、この動きに「女の子だと判明したんじゃないか」との憶測が広がったものだ。皇室典範の改正については「秋の臨時国会で議論しよう」という話になっていたのだが、夏になるとパタッとこの手の話が沈静化してしまった。そんなもんで秋になり出産が近づくころには「男の子らしい」との憶測が広がった。「お世継ぎ誕生」ということで経済効果がうんぬんと品も無く騒ぐマスコミも目に付いた。この「経済効果」とやらはご誕生後の週明けに株価が下がった(期待されたベビー用品メーカーの株価まで下がった)ことで「妄想」に終わったようだが。生まれてきた赤ちゃんには失礼と思いつつあえて書いてしまうが、「男の子」だった場合ひょっとすると世間の騒ぎ方はもっと違っていたかもしれない(一般国民の大半は関係ないと思いますけどね、こと皇室で大騒ぎする人ってそういう傾向があるんで)。今さら比較することもできないんだけど…
まぁこれから男の子が生まれれば分かりますけどね。
ともあれ、女の子が生まれたことで皇室は女子誕生連続記録をまたまた更新することになってしまった。最後に生まれた男の子が秋篠宮ですからねぇ。ここ最近の皇室を見る限り、かなり女子が生まれる確率の高い一族だとは思える。昭和天皇と香淳皇后も4人連続で女の子が生まれたため周囲から「側室を」との声が上がった歴史もある。
現実に女の子、つまり「内親王」が生まれたことで「女帝論議」にからめた皇室典範改正議論がまたも噴き出した…
のだが、なぜかあっという間にまたまた沈静化してしまったようだ。小泉首相はじめ内閣の面々も自民党の面々も「慎重に議論を」というばかりで具体的に話を進めようという姿勢が感じられない。皇室典範なんて憲法ではなく法律なんだから改正はずっと楽だと思うのだが、実際にやるとなるといろいろ議論が出てきてしまって簡単にはいかないようなのだ。
「女帝論議」は前に「史点」でやってるのでなるべく重複は避けたいが(とか言いつつほとんど重複するけど)、「天皇になるのは皇室の男系の男子に限る」としたのは明治以後のことで、女性天皇じたいは過去に何度も例があり、べつだんネックにはなりはしない。ただ問題になるのは過去の「女帝」はいずれも夫が天皇だったり独身を貫いたりしているのに対し、現代における「女帝」は皇室の存続上「お婿さん」を迎えなければならないと考えられる点だ。普通の家でも「入り婿」として他家の男性を夫に迎え妻の姓に合わせるケースがあるが(そういや「夫婦別姓」論議もドタバタとやってますな。やっぱ先送りになったけど)、こと皇室となると事は単純ではない。なんだかんだいって男系で家系を保つという思想が強い日本の伝統的「家」観念からすれば、ここで他家の男子の血が入るとそこで「別の家になった」と考えることになりやすい(ま、日本に限ったことではないのだが)。皇室を崇拝する保守的な人達は特にこの観念にとらわれやすいのではないかと考えられる。ご誕生直後は祝賀ムード一色だったが、しばらく時間がたってポツポツとこうした意見が表面化してきているように感じられる。とくに「男女同権」とか「ヨーロッパの王族の例」などと持ち出されることにかなり反発してるような。そういえばつい先日ベルギー王室の皇太子に女の子が生まれ、これに先立つ同国の憲法改正により皇太子の第一子である彼女が将来の女王になることが決まっており、これが何かと引き合いに出されている。
それと、制度的な問題もある。これは僕も前に書いたときには気がつかなかったのだが、天皇にはならない女性皇族の結婚問題があるのだ。現在の皇室典範では女性皇族は他家の男性と結婚したら即皇族から離脱することになっている。しかし女性天皇が即位し、「夫君」を持つことになると、他の女性皇族も同じようなことが出来なければ筋が通らない。しかしこれを無制限に認めると「宮家」が次々に増えてしまい皇室費を圧迫するという事態になりかねない。他家にお嫁にいけば問題は無いのだが、なにせ皇族って生活はムチャクチャ保証されてますからね。結婚相手が「婿入り」を望むケースは十分考えられる。実際、明治時代に皇室典範を定めたときもこのことを考慮して結婚女性の皇族離脱を決めたようだ。
皇室典範改正論議といえば「退位の有無」の問題もあるんだよね。これまた明治から始まった制度だが現在の天皇は死ぬまでその地位を降りることが許されていない。職業選択、結婚などつくづく人権を認められてないなと思ってしまうところ。
皇太子って史学科なんですよね。日本中世の交通史専攻だったっけ。その点では個人的に親近感もあったりするのだが(以前僕が史学科ゼミ合宿で泊まった箱根の宿に、皇太子が学習院史学科ゼミで同宿に合宿したときの記念写真がドーンと飾られていたものだ)、ご本人も歴史的存在である歴史研究者として皇室の問題をどう考えているのか、興味のあるところである。
…
さて、こんな記事をとりあえず書いちゃってから僕が「史点」更新をズルズルと遅らせているうちに、誕生から七日目にしてようやくこの内親王の名前が決定・発表された。その名を「敬宮愛子(としのみや・あいこ)」さんという。「史点」にこれまで登場した数多くの人物のうち、最年少での登場なのは間違いないだろう(笑)。「敬愛」となるのは僕も思いついたが、ひっくり返すと「愛敬(あいきょう)」になるというのは気づきませんでした。さすが小泉首相(笑)。
この「敬宮愛子」という名前であるが、出典は中国の古典『孟子』から。「敬」を「とし」と読ませるあたりは皇室流に凝ったところだが「愛子=あいこ」というのはまた随分ストレートな、という印象を受けた。ところで他の皇室メンバーの名前の出典はどうなんだ、と調べてみたら皇太子・徳仁親王は『中庸』、秋篠宮・文仁親王は『論語』と中国古典「四書」シリーズからの出典で、紀宮・清子内親王は『万葉集』の山部赤人の歌という純和風の出典だった。昨年亡くなった昭和天皇の皇后・香淳皇后のおくり名は和製漢詩集『懐風藻』から文字が選ばれている。深読みなんだけど、男性は中国漢籍、女性は和製詩集からの出典ってことになってたのかなぁ…
とすると今回の愛子ちゃんの出典は…
もちろん邪推というもんですけどね。報道によると夏ごろから漢学者・国文学者3名に依頼して名前の候補を選定してもらっていたのだそうで、提出された複数の候補の中には日本古典から引っ張ってきたものもあったという。あとは皇室側の決定であるとのこと。
なお、この「命名の儀」が行われた12月7日朝には「浴湯の儀」なるものも行われている。どうやら赤ちゃんにお湯を使わせる儀式であるらしく、赤ちゃんがお湯を浴びている部屋の外で衣冠束帯姿の児玉幸多・元学習院大学長(僕が少年時代に愛読した「漫画日本の歴史」の監修者だったりする)が『日本書紀』の推古天皇のくだりを朗読したのだそうだ。そしてやはり衣冠束帯姿の徳川恒孝氏(徳川家18代当主)と前田利祐氏(前田家18代当主)が床に向けて弓を引き「おー」と声をあげる動作を二回繰り返す。ここで徳川家と前田家が出てくるのは「武家代表」(格式上位2位ってこと?)ってことと実際宮内庁関係者だからってことがあるようだが、つくづく「歴史」を感じてしまう儀式である。
確認される限り最初の女性天皇である推古天皇の部分を朗読したことについては「女のお子様だから」というのが公式の発表だが、なんかいろいろと邪推を呼んでしまうような…
◆これって合法?非合法?
産経新聞(好きだね、わたしも)のインターネット版でこんな見出しをみかけた。
「■英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず」
だそうな。見出しを見た時点でだいたい内容の見当がついてしまったが(ま、見出しの機能って本来そういうもんだが)、とりあえず記事を読んでみる。
なんでも11月16日と17日にアメリカのハーバード大学アジアセンター主催で国際学術会議が開かれていた。テーマは日本による韓国の併合(1910年)が合法か否かを論じるもので、韓国・日本・アメリカ・イギリス・ドイツの学者が参加していた。同様の会議はこれまでハワイと東京で開催され、今回は三回目にして一応の「結論」を出す性格のものであったという。「という」と僕も伝聞調で書くしかないのだが、この記事自体も会議の内容については「会議参加者によると…
という」という伝聞調になっていたりするんだけどね。
この記事によるとこの学術会議は韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し、韓国の学者たちの主導で進められたものだという。その狙いはもちろん「韓国併合は非合法なものだった」ということを国際舞台で「公認」してもらいたい、ということにあるというわけだ。
ところがこの学術会議において、「第三者」的立場であるイギリスのケンブリッジ大学のクロフォード教授らが「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」と「合法論」を述べ、「韓国側のもくろみは失敗に終わったという」とこの記事は記している。なんだか鬼の首でもとったみたいに筆者が喜んでいるように見える記事なんだが、あんなに世界中植民地にしちゃった国の学者に「合法」と言ってもらって単純に喜ぶってのもな(まぁ「非合法」の国際的定説化をもくろんだ韓国の思惑が外れただけでもこの人は喜ぶんだろうけど)。全部検証したことはないけど、帝国主義時代の当時においてあらゆる地域の「植民地化」は全部「合法的手続き」の形式をとっているものだ。韓国併合を「非合法」と認定したら欧米の各国は全て不法行為をやっていたことになってしまう。この手の話は今年夏に南アフリカで開かれた「世界人種差別撤廃会議」でも議題になってましたな。
さて、この学術会議に出席していた韓国の学者たちはもちろん全部「非合法論」を主張していた。その根拠は「併合は強制的なものであり、また条約にも国王の署名がない」というものだったが、やはりイギリス側から「強制されたから不法というのは第一次大戦以後のものだから当時としては問題になるとは言えない。また国王の署名についても国際法上必ずしも必要ではない」という見解が出されたという。まぁその調子で世界中植民地にしたんだよね、この国は。
なお、問題の当事者である日本側からは五人の学者が参加し、「非合法説」と「合法だが不当説」とが主張されたという。
学術会議の場からはちと離れて「韓国併合」に関して「史点」的にちょいと考えてみよう。
あくまで法律論議として「合法」「非合法」にこだわるなら、「合法」という結論になっちゃうんじゃないかな、ってのが僕の感触だ。少なくとも外見上の「形式」としては法的手続きを経ている。まさにそれは弱肉強食の帝国主義時代の「法」の上でのことだったわけだし(まぁ今だって「俺が法律だ」と勝手に暴れて全て「合法」にしちゃう国があるけどね)。もちろんその行為じたいを正当化しているわけでは全くない。この会議でも出された「非合法とも言えないが不当」説の立場になるのかな。
韓国の歴史教科書ってのを以前見たことがあるのだが、意外にも韓国併合についてはあっさりとしか触れていなかった(少し前のバージョンなので現在どうなってるかは未確認)。むしろ重要視されているのは日本が大韓帝国の外交権を奪って「保護国」化した「第二次日韓協約」(乙巳条約)を締結した際のことだ。このとき伊藤博文をはじめとする日本側は軍隊で宮殿を包囲し、反対しそうな韓国側大臣たちには監視をつけるなど有無を言わせず条約締結を強制させている。この辺りの事情は当時の駐韓公使・林権助が自慢げに回想録で書いていて、読んだ僕などは「三国志演義」の魏が漢から「簒奪」する場面とソックリで驚いたものだ(「反対する大臣は殺ってしまえ」と言ったり国璽を強制的に分捕ったりしている)。そしてこの条約に合意した大臣たちは「乙巳五賊」などと呼ばれて韓国では長らく売国奴扱いされることになる。韓国にとっては「併合」はその延長線上にあるものととらえているせいか、それともあまりに「国辱」なので触れたくないのか(そういう心理もこの国の人は強いようだ)、併合については教科書では「やがて国権を奪われた」と書いている程度であまり記述はしていない。このため「併合」が条約という形式で行われたことを知らない韓国人も多いと聞く(日本人にいたっては併合そのものの歴史を知らない人が多そうだが)。ところで上の産経の記事でも、どうも併合の話と保護国化の話がどっかでゴッチャになってる印象があるんだけど…
。
この記事では直接的には触れてなかったが、よく韓国併合について「国際的に承認されたから合法なのだ」と主張する意見がある。その承認したってのがまさに世界を植民地化しまくっていた欧米諸国のことであるのは言うまでもない。べつに征服される側の承認を受けたわけではないんだよな。
これについて僕が勉強してみた限りでは、「『併合』は各国の承認を受けた」と言うよりむしろ「『併合』は各国が承認してくれたためようやく実現した」と見るほうが正確であるらしい。一見同じ事を言っているようだが、前者と後者では日本の主体性の度合いがかなり違ってくる。実際のところ日本の政府内でも韓国を「保護国」にはしても「併合」まではしなくていいんじゃないかという意見もそれなりに有力で、その意見の代表者が初代韓国統監・伊藤博文だったりする。彼が併合に気が進まなかったのは何も韓国のためを考えたというわけでもなく欧米諸国の反発を恐れてのことだったようだ(日清・日露戦争で一貫して「韓国の独立」を主張していただけに道義的にも問題があるし)。結果的に「併合」となったのはその伊藤の保護政策が義兵闘争などの韓国側の激しい抵抗を受けて行き詰まったこと、日露戦争後の満州と中国大陸をめぐるロシア・アメリカ・イギリスなどの思惑が入り乱れる国際情勢を背景に、勢力均衡の論理から列国が日本の韓国領有を認めることになったと見た方がいいようだ。日韓関係だけで併合問題を考えると実像をとらえにくいということは肝に銘じておいた方がいい。
「合法」「非合法」の話だが、当時における「法」とは何だったのかが問題になる。あえて言うなら当時における国際法としては、あの坂本龍馬も懐に入れていたと言われる「万国公法」がある。もちろんそれは実際には欧米諸国の間でのみ通用するものだったのだが、アジア諸国においてこれの翻訳が出回り、知識人層に受け入れられたのも事実だ。
ただ当時の韓国の国王・大臣や知識人層の言動を見ていると、これを額面どおり信じすぎたな、という印象を強く受ける。例えば日露戦争が勃発したとき韓国は中立を宣言し、もしも日本なりロシアが韓国を戦争に巻き込もうとしたら「万国公法」によって諸国がそれを阻止してくれると信じていた(もちろん開戦後すぐに日本が韓国に戦争協力を強制した)。さらに当時の韓国皇帝・高宗がオランダのハーグで開かれた万国平和会議に密使を送り日本の不当を訴えた事件があるが(ハーグ密使事件)、これも諸国が「万国公法」にのっとって日本の横暴を阻止してくれると信じていたわけで(もちろん完璧に無視されてしまった)。
これが当時における「法」の実態だった。あえて言ってしまえば当時の韓国の政治家たちはいささか馬鹿正直な「甘ちゃん」であったにすぎない。しかしその「甘ちゃん」に付け入ってお家乗っ取りをしたような国々にはもっと感心しませんがね。
2001/12/15の記事
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