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2002年4月29日

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 ◆今週の記事

◆小泉政権まる一年

 昨年の今ごろの「史点」を見ればお分かりのように、ちょうど一年前に小泉純一郎氏が総理大臣になったのだった。恒例となっているところもあるのでこの「史点」でも小泉政権の一年を振り返ってみたいと思う。その手の企画はマスコミでイヤってほど見たのでもうウンザリと言う方は次のネタへ飛んでください(笑)。

 小泉さんを首相の座確定の自民党の総裁に選出した自民党総裁選本選挙が行われたのは2001年4月24日(仏滅)のことであった。前任者の森義朗首相の異様なまでの不人気のあとで、もう自民党政権は終わりかとまで言われるほどの危機感が自民党を覆う中で行われた総裁選で、地方の自民党党員票の多くが小泉さんに投じられ地すべり的な勝利を小泉さんにもたらした。小泉さんがもともと持っていた「変人」と呼ばれるその特異なキャラクターによる人気と(それにやはり同様の人気者の田中真紀子さんが応援団長をつとめて演出していたことも大きい)、それまでの自民党総裁選では考えられなかった一種の「首相公選」ともいえる劇的な勝利とがあいまって「小泉政権誕生」はまるで革命でも起きたかのような熱狂を国民の間に巻き起こした。そしてまた小泉さん自身も「構造改革なくして景気回復なし」ととなえ、「解党的出直し」とか「抵抗勢力と戦う」といったような「革命」をアピールする言動を盛んに行い、支持率90%などというトンデモ無い数字をたたき出すことになる。ただし「小泉人気」は政策的な支持と言うよりもイメージ先行ばかりが目立ち(森さんの不人気をそのままひっくり返しただけだと僕も思った)、ポスターや写真集が売れるなどタレント人気みたいな要素も多く、「政治のワイドショー化」などと言われ危険視する声も多く出た。もちろん「改革」をしなきゃいけないのは誰の目にも明らかで、それに対する期待があったことは否定しないのだが… あ、その一方で田中真紀子外相の言動に対する激しいバッシングも初期段階から見られたものだ。それが結果的にあまり効果が無かったことは1月以後の情勢にもうかがえるわけだけど。

 小泉さんが総裁選出直後の記者会見でブチ挙げて物議を醸したのが「8月15日の靖国公式参拝」というやつだ。あとから思い返すと総裁選で元遺族会会長である橋本龍太郎元首相に勝つために遺族会票を取り込むべくブチあげた公約だったという気もするのだが、これがまず小泉政権が迎えた大きな山場になった(参院選もあったけどさして盛り上がらなかったのでパス)。8月が近づくにつれこの問題をめぐる議論が激しくなってきたが、小泉さんはその直前まで「熟慮に熟慮」と言うばかりでなかなか態度をハッキリさせようとしなかった。で、唐突に参拝を実行したのは8月13日。どの方面にも一応の申し訳ができる日付を選んだとも言えるが、どの方面にもしこりを残すやり方であったとも思える。
 国内の支持率にはさして影響が無かったこの一件だが(大半の国民は「よくわかんなーい」って認識なんだと思う)、今もいろいろと尾を引いていて、つい先日小泉さんが唐突に春の例大祭中の靖国神社に参拝したことも注目された。「行かないと遺族会などに顔が立たない」「でも周辺国や公明党からいろいろ言われるのもヤダ」の板ばさみでまた折衷案(?)を取った形だ。「春のに参拝したから8月には参拝しない」というアピールを早めに出すことでまたぞろ騒ぎになるのを避けるという意味もあったのだろう。まぁもともと靖国神社って春と秋の大祭がメインの神社のはずで、玉音放送で敗戦が国民に知らされた日である「8月15日」を特別扱いして騒ぐようになったのは1970年代に遺族会が運動してからなんだけどね。

 小泉政権が思わぬ正念場に立ち会うことになってしまったのが9月。あの「9.11」テロが起き、アメリカのブッシュ政権が「対テロ戦争」をブチあげる。日本政府は「湾岸戦争の二の舞になっては」と大慌てで積極的な協力体制をとり、自衛隊の艦船をインド洋へと送り出した。で、やっぱりアメリカの報告書で協力国リストに名前を書き忘れられていて「二の舞」になった形ではあるのだけど。
 その後、12月には北朝鮮のものと思われる不審船撃沈事件があったりして、なにかとキナ臭い話の多い政権という印象もある(別に小泉さんの責任ばかりとは言わないけどさ)。そうこうしているうちに今国会には自民党および防衛庁が長年の宿願としてきたいわゆる「有事法制法案」が国会に提出され、日本は「有事」(要するに戦争状態なんだけど憲法上「戦争」は出来ないんだよな)が起きた場合の法整備が今さらながら行われることになった。テロ事件と不審船騒動とで危機感があるうちにやろうという意図が見え隠れするんだけど、「敵軍」が大挙上陸してくると言う冷戦時代でも考えられたかどうか分からないシチュエーションを想定しているようで肝心のテロ対策や不審船対策関連の法案は先送りになっているというのが面白いところ。それと「有事」が起きた場合の国民の避難関連も先送りになっているらしく、なんだか「戦車が進むところに逃げてくる国民がいたら、それは踏み潰して進め」と大戦末期の軍人が言ったというエピソードを思い起こしてしまうところもあったりする。そりゃまぁ「超法規的措置」で自衛隊が動かれてはかなわないから法整備をする必要があるのは分からんでもないんだけどさ、何を慌ててやってるんだろうという印象もある。一部で噂されるのがブッシュ政権で日本との軍事同盟の強化論者であるアーミテージ国務副長官がこれを協力に推進させているとの見方。北朝鮮を「悪の枢軸」の一国ととらえるブッシュ政権が「有事」のときに日本に協力体制をとらせるためじゃないのか… という見方なんだけど、こと外圧がかかると妙に動きが速くなる(かからないと動き出さない)日本政府だからまんざら外れていないかもしれない。

 「抵抗勢力」との戦いをそれなりに繰り広げながら、景気もいっこうに回復せずとも80%前後の高い支持率を維持したまま小泉政権は年を越した。ところが思わぬところで小泉政権はコケた。それもアフガニスタン復興支援会議が東京で開かれたことがキッカケで。9.11テロは巡りめぐって小泉政権を直撃したといえるかも知れない(なんだっていえるか、それは)。この支援会議に日本のNGOを出席させるさせないの問題から田中外相と鈴木宗男議員、そして外務官僚の間での泥仕合が勃発、結局小泉首相はそれまで散々悪口言われながらもかばいだてしてきた田中外相を更迭した。多少傷はつくだろうが大した事は無いだろう… と思っていた節があるが、効果はてきめん、支持率は一気に40%台まで下降してしまう。まぁこれはこれで「じゃあ今まで支持していた国民って何を支持していたんだか」と呆れるところもありましたけどね。その後の「ムネオ騒動」「秘書給与疑惑」「官房機密費疑惑」など一連の政治家スキャンダル騒ぎは「ワイドショー政治」も行き着くところまで来たという感じで、すっかり国民の政治熱も冷めてしまった印象がある。このところの各マスコミの世論調査をみると、小泉政権を支持するという人は50%前後いるのだが、「不支持」とはっきり言う人も40%以上はいるようで、日本人には珍しく賛否両論真っ二つという不思議な政権になってきているようだ。

 そんなこんなでこのところ小泉政権に対する批判的報道も流すようになったマスコミだが、最近大きく取り上げられ、有事法制ともども注目を集めているのが「個人情報保護法案」など俗にメディア規制三法案と言われるものだ。本来はその名のとおり個人のプライバシーや人権を守ることを目的とした法案なのだが、マスコミの取材を国家権力によって規制するととれる部分があり(ストーカー規制法からそのまんま引っ張ってきたとしか思えない文面がある)、「これでは言論の自由が奪われる」としてマスコミが珍しく一致結束して大々的に反対キャンペーンを繰り広げているわけだ。自分のことになると大騒ぎするんだな、とちょっとイジワルなことも言ってみたりもするが、自民党がマスコミの取材を規制できる法律の制定を長いこと狙っていたのは事実で、小泉政権の人気を利用して昨年の段階からその実現を目指していたものだから警戒するに越したことは無い。
 昨年特攻隊を扱った本で首相を泣かせた城山三郎さんが「個人情報保護法案はやってはいけない」と直言していたが小泉さんは「ご意見は承っておく」ということで結局無視した形で、城山さんは今この法案反対の急先鋒となって激しく小泉首相を批判している。「もしこの法案が成立したら私は『言論の死』という碑を建ててそこに賛成した議員の名を刻む」とまで言っていたからその怒りの程が分かる。「軍国少年」だった過去をもつ城山さんにとってはこの法案には「治安維持法」の影がちらつくのだろう。

 さて、去る4月26日。日本の政治史上大きな節目となる事件が起きていた。そう、これまでの首相官邸がついにお役御免となったのである。この首相官邸は昭和4年(1929年)に建てられたもので、実に73年間、田中義一から小泉純一郎まで42人の首相がここを使用してきた。なお、この首相官邸は政治を行う事務所であると同時に首相が居住する「公邸」としての機能も備えており、多くの首相がここに居住してきた(田中角栄など住まなかった人もいる)。1932年に起きた5.15事件では犬養毅首相がこの官邸で射殺され、1936年の2.26事件では岡田啓介首相の義弟が射殺されており、首相官邸における幽霊話のルーツとなっている。まだ壁に残る2.26事件の時の弾痕はTVでも紹介されていたが、なんでも乱入した軍人が斬りつけた刀傷ってのもあるという噂があるんだけど紹介されてなかったな。その傷は殺到した記者団が機材をぶつけた痕だというのが真相らしいんだけど。
 小渕恵三首相の時に始まった新官邸が完成し、黄金週間前の4月26日をもってお役御免とお引越しが開始された。この朝旧官邸での最後の閣議が行われ、その模様が特別にマスコミに公開された。閣議は非公開が原則で、いつもは閣議室の隣の控え室で撮影された映像しか僕らは見ることが出来ず、貴重なものを見せてもらったという感想だった。映画などではみたことがあるが、ホントに閣議はでっかい丸テーブルを囲んで行われているんですね。
 小泉首相は閣議後に「時代の変わり目だから首相になったのかなあという、大きな転換期の役割を担ったんだなあという実感を持った」と語っていたそうで。この直後に東南アジア歴訪に出発し、ここでもたまたま政府専用機100回目のフライトにかちあってしまったことでまた同様のことを言っていたっけ。

 … とまぁ、なんだかんだで波乱の一年である。「史点」では三人目のリアルタイム日本首相であり、一昨年の森さんと同様に昨年の「史点」最多登場人物として話題をふりまいてきた小泉さんなんだけど、どこまでその政権を維持できることやら。選挙でも神通力が発揮できなくなってきたし、自民党内ではポスト小泉の名前が取りざたされ始めるなど、風当たりが強くなってきている。もっとも最近は一年もつとなんだか長期政権って雰囲気もあるんだけどな。福田康夫官房長官も官邸を去るにあたっての記者会見で言っていたが、あの首相官邸を使った42人の首相の平均在職期間は2年に満たない。



◆ルペン賛成!?

 ルペ〜ン、ルペ〜ン、ルペ〜ン、ルペ〜ン、(チャ、チャ)、ルペン・ザ・ラ〜イト〜♪

 などとアホな替え歌を思いついたりした僕だった。分かる人だけ分かってください(笑)。

 4月21日、フランスでは大統領選挙の第一回投票が行われた。誰かが過半数をとるまで投票を行うので第一回投票は決戦を行う上位二人を選ぶ前座みたいなものに過ぎないのだが、この第一回投票の結果にフランスはおろか世界が揺れた。当初、現大統領で右派系のシラク現大統領と左派系である社会党のジョスパン現首相の二人が決戦投票に進むものと思われていたのだが、大番狂わせで極右政党・国民戦線党首のルペン候補の得票がジョスパン候補を上回って二位に滑り込んでしまったのだ(ちなみに得票率はシラク19.7%、ルペン17.6%、ジョスパン16%)。ルペン氏は「史点」では初登場だが、フランスで選挙のたびに動向が注目される極右政党の党首で、御年70歳。フランス人至上主義とも言える発言を繰り返し、お決まりの移民排斥やEU批判、さらには原爆投下肯定論まで(っていうかこれはアメリカ人でも言うが)出して物議を醸している爺さんだったりする。しかしその単純かつ過激で分かりやすい言動に支持者が多いのも事実で、わが国の某都知事を連想させるところがなくも無い。なお、新聞でオーストリアの新聞社説の翻訳を見たのだが、オーストリア人に言わせればあのハイダー氏より危ない人物と見られているらしい。

 こんな結果が出た背景には若者層を中心としたはなはだしく高い棄権率があると言われる。最近のフランス政界は左派・右派が大統領と首相を分け合って政治を進める「保革共存」の体制が続いており、その政策も勢い中道化する傾向があった。そのため争点に乏しく有権者の政治無関心化が進み、それが結果的に極右を利してしまうことになったものと分析されている。実際、今回第1位の得票をしたシラク現大統領だが、その20%を切る得票率は1958年に始まるフランス第五共和制史上最低の数字だった。
 もちろん「極右」とされる国民戦線に支持が集まる現象も特に驚くほどのことではなく、それなりの背景がある。世界経済のグローバル化およびEU統合の進行という大きな流れに対し、どこの国でもそうした急激な変化に不安を感じて民族主義・国家主義の枠にひきこもろうとする動きが少なからず現れてくるものだ。そうした声に答えるかのようにルペン候補は直後のインタビューで「大統領に当選したらフランスをEUから脱退させる」とブチ上げている。もちろん「まず当選するはずがない」ということを分かった上での扇動的発言なんだろうけど。

 しかし実際にルペン候補が決戦投票に出ると決まると物凄い反発の動きがフランス国内に起こった。これには正直なところ驚かされた… やっぱ革命のお国柄なんでしょうかねぇ。敗れたショックで「政界引退」をジョスパン氏が表明しちゃった社会党であったが、選挙結果発表直後から若者を中心に社会党への入党希望が殺到し、22日から24日の三日間で昨年一年間の入党者を上回る2600人もの入党希望の申し込みがあったというから世の中面白い。こうした若者層を中心に「ルペン当選阻止」「ルペンはヒトラーだ」と叫ぶ大規模なデモ(中には暴動級のものもあったらしいが)がパリをはじめフランス各地で行われたとか、各マスコミがこぞって反ルペンの記事(ルペン氏の写真の上にデカデカと「ノン」と書くとか)を掲げるなど、日本人の感覚からするとかなり過激な反応が伝えられている。こうした情勢の中で決戦投票を戦うシラク大統領も「ルペン候補とは一切TV討論はやらない」と事実上まともに相手をしないことを明言し、左派系の社会党・共産党も「ファシストの政権阻止のため」として決戦投票ではシラク候補に投票するよう支持者に呼びかけている(さすがにトロツキストの極左政党はシラク支持は表明していない)。まぁだから結果は恐らく史上最高の得票率でシラク再選ってことになっちゃうんだろう。

 ところで、この話題の記事を見ていたら「日本」の名が出てきたのでオヤッと驚いた。ルペン氏が記者会見で「日本とスイスの国籍法は完全にわれわれの考えと一致する。われわれが人種的な偏見を持っていると指摘されるのはおかしい」と述べたというのだ。日本とスイスの法律がフランスに比べて外国人の国籍取得にかなり厳しいことを挙げて自分たちの正当性を訴えているのだが、日本人としては引き合いに出されて「いい迷惑」と言う気がするところ。スイスなんかは国連加盟をやっと決めたような国だしねぇ。国民戦線の副党首ゴルニシュ氏は日本研究家でもあるそうでこの人の入れ知恵という気がしなくもないのだが(そういえばシラクさんも大変な知日家なんだよな)「わが党が極右なら、日本だってそういうことになる。極右という呼び方は不当だ」と言っているのを聞くと、前段については「ああ、そうかもしれない」と思うところもあったりする。



◆3万年前の武力衝突?

 ちょっと前に「縄文時代の戦場?」の話題を書いたが、今度は一気に時代がさかのぼる。
 朝日新聞の記事で見かけたのだが、スイスとフランスの研究チームが全米科学アカデミー紀要の4月23日号で発表したところによると、3万6千年前のネアンデルタール人の頭蓋骨の破片に鋭い武器でつけられたものと思われる傷跡が確認されたという。この頭蓋骨は1979年にフランスで発見されたもので、これをコンピューターを使って解析したところ頭頂部に傷のあるのが確認され、現代人の頭骨と比較した結果、「立っている時に先端の尖った武器で殴られたときに出来る傷に酷似している」との鑑定がなされたという。しかもこの傷跡はある程度治った形跡があり、この傷を負ったネアンデルタール人は数ヶ月は生きていたらしいという。

 さて、ネアンデルタール人といえば我々現生人類の直接の祖先であるクロマニョン人の一昔前に世界中にいた人類とされている。現在かなり定説化しつつある見解によればネアンデルタール人は現生人類の先祖ではなく、現生人類以前に進化してアフリカを出て全世界に散らばっていき、後発でアフリカを出てきた現生人類に追われて絶滅にいたったものと見られている。面白い仮説として体力的に現生人類に勝っていたネアンデルタール人に対し、非力な現生人類は衣服に身を包み、弓矢など強力な武器を発明し、「芸術」や「宗教」などで精神性を高めていき、結果的にネアンデルタール人を圧倒していったんじゃないかという意見もあったりする。
 じゃあこの傷はひょっとしてクロマニョン人に攻撃された証拠なのではないかと想像が働いたりもするのだが、この研究チームは「これはネアンデルタール人同士の争いの痕」と判断しているようで(根拠は不明だが)「狩りに使う武器の進歩が、仲間内での争いにも武器を使う機会を増やしたようだ」と指摘しているとのこと。
 やれやれ、この時代からもう同じ人類間の武力紛争があったんかいな、と時節がら幻滅させられる話ではあるが、そのへんこの共同チームも配慮(?)したのか、「これだけの傷を負った仲間を介護し、生き永らえさせる社会が存在していたことも、示している」との意見をつけているそうで。うーーん、だとすると単なる「事故」って可能性も高いんでないの?



◆最近のこぼれ話集

 前回更新までに三週間更新をサボっていたもので捨てがたいネタをいくつかためてしまっていた。今回でそれらをまとめてご紹介。

◆「歴史的落書き」の復活◆
 元ネタは4月初旬の朝日新聞から。
 カンボジアの歴史的建造物といえばアンコール・ワット。アンコール王朝最盛期の12世紀に建造されたヒンドゥー教の寺院なのだが、どういうわけか朱印船時代(17世紀初頭)に海外に出かけた日本人の一大観光スポットとなっていたことがある。日本人はこの遺跡をお釈迦さんが説法を行った「祇園精舎」(ぎおんしょうじゃ。「平家物語」の冒頭で有名ですね)と勘違いしており(まぁインドもカンボジアも分からないだろうし)、仏教発祥の聖地として参拝者が後を絶たなかったらしいのだ。おまけに参拝者の中には遺跡内に墨で名前などを書き込んでいく不届き者もいて(この習性も今でもあるような)、1970年代に調査されたところによると遺跡内の14箇所にこうした「落書き」が確認できたという。その後カンボジアはあの「クメール・ルージュ」ことポル=ポト派が支配して虐殺と内戦の時代に突入。ポル=ポト派はどういうわけかアンコール=ワットのこうした落書きを青ペンキで塗りつぶしてしまった(中国の文化大革命の影響もあるんだろうけど、落書きを消すってのも… )。この被害のほか自然劣化もあって上智大学の石沢良昭教授が1980年に調査したところではその大半が判読不能となっていたという。
 ところが今年3月に20年ぶりに再調査したところ、ペンキがはげて判読可能な「落書き」があることが分かったという。完璧に読めたのは肥前松浦藩士・森本右近太夫さんの残したもので、それによると彼は寛永9年(1632)にカンボジアに渡って父の菩提を弔うためにこの「祇園精舎」に参拝し、その感激と仏像2体を奉納したことを記しているという。しかも二箇所に(笑)。落書きもここまで来ると「歴史的遺産」なんだよな。

◆「最古の処方箋」発見◆
 こちらは読売新聞の記事から。所は日本の飛鳥地方の話である。
 奈良県明日香村の飛鳥京跡苑池遺構から漢方薬「西州続命湯(せいしゅうぞくめいとう)」の処方を墨書した木簡が発見されたと橿原考古学研究所が4月4日に発表している。国内で発見されたものとしては最古の「処方箋」で、表に「西州続命湯方」と書かれ、表裏に「麻黄六」「當帰(ヤマセリ)二両」「乾薑(干したハジカミ)二両」といった調子で五種類の材料の調合分量が書かれていた。唐代に作られた中国現存最古の医学全書『千金要方』にある「西州続命湯」(今でも高血圧・脳卒中の漢方薬として使われているそうな)の処方の記述ともほぼ合致し、若干の分量の違いは患者の病状に対応して変えたものと考えられるため医薬を扱う役所「外薬寮(げやくりょう)」で作られた「処方箋」と判断したのだという。当時としては最先端の漢方医療が輸入されていた証拠として、不明部分の多い古代医療史にとっても重大な発見だとのことだ。

◆国家認定の妖術師!?◆
 CNNのサイトで見かけたロイター通信4月8日発の話題。サッカーワールドカップも近くなるとこういう話題が出てくるという話。
 アフリカはコートジボアール(フランス語で「象牙海岸」。カカオの世界的産地として有名ですな)でこのたび1992年のサッカーアフリカ選手権の優勝で「貢献した」ことを認めて、同国政府が妖術師たちに報酬を与えていたことが明らかになった。なんでも首都近郊のアンクディオに住む妖術師たちは10年前の大会前に「国の役に立つように」と重用されチームを優勝に導いたと主張しており(… 勝利を祈ったのか、相手チームに呪いをかけたのか)、優勝後政府から何のご褒美も無かったので、「報酬がなければ逆に呪いをかけてやる」と脅しまでかけていたという。この脅しを政府は当然無視し続けていたが、不気味なことに10年間同国チームは優勝から遠ざかっており、とうとう4月あたまに同国の国防相が妖術師たちに対し、「これまで約束を守らなかったことをお詫びし、これからも国のために働いてもらうため、酒1本と約2000ドル(26万円)をアクラディオに提供した」との表明を行ったという。それにしても酒一本… なんかネタくさいんだよな。

◆情報部員も労働者だ!◆
 久々に私好みのスパイネタ(笑)。「007」ことジェームス=ボンド氏の職場として知られるイギリス対外情報部「MI6」当局は、ここで働く情報部員2000人の中に労働組合の「分会」を作ることで職員側と合意したという。なんせお仕事がお仕事なものでこの人たちの部局はつい最近まで存在の公表すらされていなかったらしく、労働組合など論外という状況であったらしい。これでようやく情報部員たちも賃上げ交渉などに参加できるようになるそうだが、僕などはいつも映画の中で美女とお楽しみの最中に上司に呼び出されてぼやくボンド氏がこれまで以上に上司と「時短闘争」をするんじゃないかとバカなことを思ってしまったところ。

◆犬肉業界の逆襲◆
 「逆襲」ってほどのもんでもないんだけどね。なにかと欧米人から犬肉食で攻撃される韓国(先の冬季五輪の「疑惑の判定」に絡んであちらのTV番組でもネタにされてさらに激怒していたっけ)だが、犬肉を提供する飲食店など150件の業界団体が4月26日に声明を発表し、「ワールドカップの大会期間中に試合会場周辺に屋台を設置して犬肉を使ったスープやサンドイッチ、ハンバーガーなどを外国人に無料提供する」とあっと驚く計画を明らかにしたのだった。韓国料理の魅力を伝え、外国人の偏見を無くすことが目的だとのこと。まぁこの程度のことで偏見が無くなるとも思えず一部の動物保護団体などはヒステリックに騒ぎ立てそうだが、その心意気やよし。日本も鯨肉無料提供なんてやる気骨のあるお店はないかな…


2002/4/29の記事

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