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2003年12月3日

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 ◆今週の記事

◆何故、なぜ、ナゼ…?

 グルジアといえば。
 スターリンの出身国。先の九州場所十両優勝力士・黒海 の出身国。アメリカはジョージア州アトランタでオリンピックが開かれたとき、スペルが「ジョージア」とおんなじで入場行進で大受けした国…とまぁ僕が浮かぶ連想はこんなところ。旧ソ連の一国であり、黒海に面した人口500万人程度の、決して大きいとは言えない国である。この国が先日揺れに揺れた。
 つい先日までグルジア大統領を務めていたのはシェワルナゼ(従来は「シュワルナゼ」の表記が多かったがどうもこっちのほうが原音に近いらしい)氏だった。かつてゴルバチョフ・ソ連書記長→大統領による「ペレストロイカ」 と呼ばれた大改革の中で外相をつとめ、冷戦を終結へ導く「新思考外交」を展開してゴルバチョフと共に「新しいソ連の顔」ともてはやされた人物だ。しかしペレストロイカが保守派の反発もあって行き詰まってくるとゴルバチョフを見限って辞任、ソ連崩壊後は出身地グルジア共和国の大統領となっていた。

 そのグルジアという国なのだが…グルジアに限ったことではないが、このカスピ海と黒海に挟まれたザカフカズ地方の諸国はソ連の崩壊過程でいずれも民族・宗教・石油利権などが複雑に絡み合い、激しい紛争の火種を抱えている地域だ。アルメニア、アゼルバイジャン、チェチェン…と並べればいちいち思い当たるところで、近頃じゃひところのバルカン半島みたいに「火薬庫」呼ばわりされている地方である。グルジアもここ10年間、南オセチアやアブハジアといった国内のイスラム系自治共和国(とにかくややこしい入れ子状態だ)の独立紛争を抱えており、シェワルナゼ大統領本人も暗殺されかかったことがあるぐらいだ。力士の黒海ももともとはアブハジア地方の生まれで少年時代に紛争に巻き込まれ、一家ともども生死の境を彷徨う脱出行をした経験をもっているという。
 そういう紛争地域である上に経済も低迷して旧ソ連諸国の中でも有数の極貧国とも言われる。経済復興の鍵はカスピ海油田からのパイプラインのルートを国内に持ってくることにあり、これを推進するアメリカとそれを嫌うロシアとの間で綱引きが行われたりもしていた。

 シェワルナゼ氏と言えばやはり冷戦を終結に導いた新思考外相ということもあり、もともとアメリカや西側で顔と名前が利いていた。それもあってパイプラインもグルジア国内に引っ張り、ロシアを中心とする旧ソ連の安全保障関係からの脱却も図り、いずれはEU、NATOに加盟して…という「西側」(この言葉も死語のようで死語にならんな)寄りの政策を進めていた。しかし経済の低迷は続く上に政治の腐敗も進行、国民の不満も増大して、と、ここんとこにっちもさっちもいかない状態が続いていたという。
 そこへ11月2日に議会(一院制)の総選挙が行われ、これが事態の展開に火をつけることになってしまった。20日に発表された開票結果ではシュワルナゼ大統領派の与党政党「新グルジアのために」「再生」が過半数を占め、「勝利」した。ところが大統領の退陣を求めていた野党「国民運動」は「選挙に大掛かりな不正が行われた」と抗議、新議会の召集には応じないことを表明した。このときアメリカ国務省の副報道官までが「開票操作が行われた」と異例のコメントを出し、実質的な「野党側支持」のポーズを示していたのが興味深い。

 11月22日に野党支持勢力は議会開催を阻止するためとして、なんと議会議場に突入、これを選挙、もとい占拠してしまった。同日夕方にはシェワルナゼ大統領が「クーデターだ」として国家非常事態を宣言、一気に緊張が高まった。その緊張のさなか、日本は福岡国際センターでグルジア出身の十両2枚目追手風部屋の「黒海」(本名はトゥサグリア=メラフ=レバン)が13勝目を挙げて十両優勝を決めている。

 どうなることかとグルジアだけでなく世界が注目する中、一夜が明けて23日夜、事態は急転直下「シェワルナゼ大統領が辞任」という形でひとまずの幕を下ろした。その後明かされたことだが、この直前に大統領公邸でシェワルナゼ大統領、野党「国民運動」のサアカシュビリ代表、そして急遽現地入りしたロシアのイワノフ外相らが集まって対応を協議…というより大統領に辞任を迫っていたのだった。サアカシュビリ代表はもともとシェワルナゼ大統領のもとで法務長官を務めていた過去があり(あまりの腐敗に投げ出したのだが)、かつて「師」と仰いだとも言われる大統領に「名誉ある辞任」を促した。このとき「あなたには二つの選択肢がある。ド=ゴールになるか、チャスシェスクやミロシェビッチのような末路を選ぶか」と歴史を引き合いに出して迫ったそうな。ド=ゴールといえば戦後フランスの「建国の父」みたいな人だが、選挙に負けて素直に退陣した。チャウシェスクはルーマニア大統領で1989年の東欧革命のなか処刑され、ミロシェビッチはユーゴスラヴィア大統領だったがやはり「革命」でその地位を追われている(この場合はアメリカの意向が強く働いたのだが)。これを聞いて、かどうかは知らないが、ともかくシェワルナゼ氏は観念して辞任を承知した。

 「大統領辞任」の発表を受けて、議会周辺に集まっていた群衆は「無血革命が成功した」と大喜びして踊り狂い、「国民運動」の旗やなぜか赤十字やEU旗、さらには星条旗(もちろんアメリカ国旗)を振って大はしゃぎしていたという。このはしゃぎぶりについては元大統領となったシェワルナゼ氏も「野党支持の群衆が踊り、歌い、拍手する姿を見た。だが翌朝、彼らは自らの行為の深刻さについて考え直したのではないだろうか」 と皮肉っていたものだ。確かにシェワルナゼ政権も良くなかったのだろうが、はしゃぐ人々のインタビューなどを読んでいると、「これで世の中よくなる」と実に単純に考えているようにも見える。EUやアメリカ国旗が振られているっていうのも「脱ソ連・ロシア」ということなんだろうが、それはシェワルナゼ政権だって同様のはずなのだが。
 今度の政変についてシェワルナゼ前大統領本人は「外国の策謀」と繰り返しほのめかしている。それが全てではないだろうがアメリカがシェワルナゼを見限って野党側に肩入れしたのが急転直下の政変の一因ではあっただろう。それだけこの地方はいま戦略的に重要な地域と見なされており、それはロシアにとっても同じ。政変直後、さっそくロシアはアブハジア、南オセチア、アジャリヤのグルジア共和国内3自治共和国の首相を呼びつけ(あーややこしい)イワノフ外相が個別に会談を行っている。

 シェワルナゼ氏については一時「国外逃亡」との報道が流れ、かつてドイツ統一に貢献してくれたからという理由でシュレーダー・ドイツ首相が受け入れを表明したりもしていたが、とりあえずシェワルナゼ氏は国内にとどまる意向を示している。
 シェワルナゼ辞任後は「革命」の指導者の一人であった前議会議長のブルジャナゼ氏が「暫定大統領」に就任した。この国の人名に「ナゼ」がナゼか多いようで、それがナゼなのか調べたのだがナゼか分からない(笑)。
 この第二の「ナゼ」さんも暫定ということのようで、年明けの1月4日に行われる予定の大統領選に野党勢力は統一候補に先述のサアカシュビリ氏を立てることを決定している。この人、けっこう過激な言動で知られていて、一部に「グルジアのジリノフスキー」との評もあるそうな(そういや最近聞かなくなったな、ジリノフスキー氏の話題も)。直情径行のためについたあだ名が「ハルマゲドン」だとか。
 なお、このサアカシュビリ氏、スターリンと誕生日が同じだそうな。いや、別にそれだけなんですけど。



◆どいつがドイツのベスト10?

 以前イギリスでおんなじような企画をやっていたのだが(2002年11月16日「史点」参照 )ドイツでも新聞・TV局の企画で「最も重要なドイツ人」を決める、という投票調査が行われた。イギリスでの企画と同様、まずベスト100を選出して発表、上位10人からさらに「最重要」を決める投票を行うという方式で、まず11月7日に第一回結果「重要ドイツ人リスト・ベスト100」が発表された。
 イギリスの投票結果を見たときには「やはりイギリス史は世界史そのものなのだなぁ」と思わされてしまったものだが、今回のドイツもなかなかどうして、負けてはいない。並べてみるとこれまた「世界史そのもの」と思わされる人名がズラリと並んでいた。ただし、ひとまとまりの「ドイツ」なんて国は1871年のドイツ帝国成立までなかったようなものなので、「ドイツ人」の範疇が気になるところではある。

 さてベスト100に上がった中で目ぼしいのを拾ってみると。
 現首相のシュレーダーさんが82位。作曲家のワーグナーが69位。V2ロケット、さらにはアポロ宇宙船開発で名高いウェルナー=フォン=ブラウンが63位。往年の名女優のマレーネ=ディートリッヒが50位。映画で有名になった、ホロコースト下のユダヤ人を多く救った実業家・オスカー=シンドラーが37位。サッカー選手・監督のベッケンバウアーが36位。テニスのシュテフィ=グラフが32位。F1のミヒャエル=シューマッハが26位。モーツァルトが20位。東西統一時の首相だったせいかコール前首相が13位。ベートーベンは12位とベスト10入りは果たせぬ運命にあった。
 スポーツ選手が歴史上の人物を差し置いて高位置についてしまうのはイギリスの時も見られた現象。なお、モーツァルトについては「あれはオーストリア人だろ」という異論もあったとか。それを言い出すときりが無いことになりそうなのだが。

 さて、上位10人(いや、11人なんだよな)については再投票が行われ、改めてその順位が決められた。以下のようになる。

 10位…アインシュタイン
 まぁこの人は来ますよねぇ。今なお「天才物理学者」の代名詞みたいな人である。
 9位…ビスマルク
 世界史の授業ではかなりおなじみのドイツ帝国の「鉄血宰相」。
 8位…グーテンベルク
 ルネサンス期の活版印刷の発明者。本人は不遇で貧乏のうちに死んじゃったけど、かなりの高得点でした。
 7位…ゲーテ
 詩人。読んだことはないが「若きウェルテルの悩み」のヒロインの名前が日本の某菓子メーカーの名前の由来であると言うトリビアを挙げてごまかしておきます(笑)。
 6位…バッハ
 作曲家。モーツァルトもベートーベンも差し置いて、やはり近代音楽の祖の貫禄か。
 5位…ブラント
 元西ドイツ首相(在任1969〜74)。ソ連や東ドイツと関係改善をはかる「東方外交」を展開してノーベル平和賞を受賞している。
 4位…ショル兄妹(兄ハンス、妹ゾフィー)
 これは二人セットでのランクイン。反ナチス活動を行ったために処刑された兄妹。恥ずかしながらこの件で初めて知った。「100人」の中にはこの手の反ナチス活動家がかなりランクインしていたそうだ。
 3位…マルクス
 ご存知「科学的社会主義」の元祖の経済学者。世界史に与えた影響ということでは確かに巨大なものがある。字はヘタクソで奥さんとエンゲルスしか読めなかったそうだが(笑)。報道によると旧東ドイツ地域で高い得票があったというのが意外でもあり面白いところ。
 2位…ルター
 これもマルクス同様に良かれ悪しかれ世界史に大きな影響を与えた、プロテスタントを生み出した宗教改革者。
 
 そしていよいよ「第一位」発表です…ガラガラガラガラガラガラガラガラ……チーン!(なんだ、今のは)

 1位…アデナウアー

 意外にも現代史の政治家がトップでした。西ドイツ初代首相であり、敗戦後のドイツ再建に力があったことが、特に旧西ドイツ地域で高く評価されての一位獲得であったらしい。まぁ日本の吉田茂みたいなものか。しかし一位、ねぇ…。

 ところで誰もが「あの人は?」と思う人物がいる。そう、ナチス政権の総統・ヒトラーだ。ある意味問答無用で一番有名なドイツ人であるかもしれない。もっともこれとてもオーストリア出身なので議論が出そうだが…
 恐らく普通に投票を行ったらヒトラーがベスト10、もしくはそれに迫る得票をしたのではないかと思われる。人気投票ではないのだが「重要な」って意味なら確かに重要な人物だし。しかし実はこの企画、初めから「ヒトラーは除外する」と決まっていたのだ。それもいかがなものか、とは思うのだが、下手に上位に入るとまた何を言われるか分かったものじゃないし…ということなのだろう。



◆古代の遺跡に思いを馳せて

 次の夏季オリンピック開催地は、ギリシャのアテネ。「元祖」である古代オリンピックが行われていた国であり、近代オリンピックの第一回が開かれた町でもある。
 もともと古代オリンピックってのは数多くのポリス(都市国家)に分かれて争っていた古代ギリシャ人たちが、共通の信仰の対象としていたオリンピアの神々の前でスポーツ大会を行い(日本の相撲なんかもそうだが、神様にスポーツを奉納するという発想はどこでもあるものみたい)、その開催期間中はポリス間の戦争をしない、という決まりだったとか。確認される限り古代オリンピックは4年に一回、紀元前776年から後394年まで、なんと1000年以上も続いていたのだそうだ。
 これを近代においてスポーツと平和の祭典として世界レベルで「復活」させたのがフランスのクーベルタン 男爵。古代のオリンピックの精神に敬意を表してアテネで第一回を開催したし、聖火も古代同様オリンピアで太陽を集めて点火するのがならわしとなった。その後政治的な利用のされ方も多々あったし商業主義に走ったりもしたが、なんだかんだ言われつつ世界最大のスポーツイベントとして今日まで続いているわけだ。
 近代オリンピック100周年を記念して当初アテネは2000年オリンピックの候補地だった。しかし結局流れて(たぶんに商業上の理由が大きかった)2004年にずれ込んでいる。そのせいか、ギリシャ国民は来年の時刻開催のオリンピックにあまり関心がないとも言われている。

 それを憂えてか…どうかは知らないが、実際のオリンピックの種目競技をオリンピアにある本物の古代オリンピック会場、つまり古代のスタジアムの遺跡で行おうという話が進められている。種目は「砲丸投げ」だそうで。なんか遺跡を破損しそうな気もするのだが、それでも施設設置が簡単で遺跡保存にも向いているということでの決定だとのこと。それと砲丸投げなんて古代オリンピック種目にあったのかいな、と思ったら、本当は無かったんだそうで。円盤投げとか槍投げはあったんだろうけどね。
 予定では男女砲丸投げ競技を行うそうで、12月4〜5日のIOC総会で提案、決定の見通しとのこと。開催のわずか9ヶ月前の会場変更は異例だそうで、ギリシャ政府や地元が話題づくりを狙ったということなんだろう。
 なお、古代オリンピックでは競技は女人禁制だったそうで、このスタジアムで女性が初めて競技をすることになる。さすがに某相撲協会みたいにこれを阻止しようとする団体はないようだなー(笑)。


 遺跡といえば。
 中国は秦の始皇帝の陵墓に、「地下宮殿」が存在していることが確認されたと、11月27日に「始皇帝陵考古隊」が北京の会議で発表していた。始皇帝とは言うまでもなく戦国時代を終わらせて現在の「中国」の地域を統一した張本人であり、最初に「皇帝」という称号を名乗った人物であり、最近じゃ張芸謀監督の映画で宙を舞うワイヤーアクションまで披露していたりする(笑)中国史上の大物皇帝である。
 この始皇帝の陵墓のスケールの大きさは中国歴代皇帝の中でも最大だろう。というか、案外あの国は帝国のスケールのわりにでっかい陵墓を作らない傾向もあるような。始皇帝はやはり「初物」の皇帝だっただけになんでもスケールのでっかいものをやろうとしていたのかもしれない。

 始皇帝陵といえばなんといっても「兵馬俑」の存在がよく知られている。始皇帝の墓を守るために製作、埋められたものと思われる陶器製の大軍団だが、これとても発見は1974年と割と最近のことで、世界中をあっと言わせたものだ。本物の大軍団を構成・武装も含めてまるごと人形で製作し、数千から万に達する数と言われる兵士一人一人の顔が違うことから恐らく全て実在の兵士をモデルに作られていたと思われる、とんでもないスケールの埋蔵物である。その全貌はいまだに解明されていないほど(発掘・研究ペースがのんびり、ってこともありそうだけど)
 この兵馬俑坑は始皇帝陵の墳丘本体の地下ではなく東に約1.5kmほど離れた地点にある。今回話題になっている「地下宮殿」というのは、その墳丘の真下にあるといわれるものだ。今回の調査は昨年から行われ、直接掘るのではなく遠隔操作など各種ハイテクを駆使した調査によるもので(電流やら音波やらによる調査らしい)、その結果、東西170m、南北145mの「地下宮殿」が存在し、その中央に高さ15mほどの墓室があり、その墓室の周囲には暑さ16〜22mの壁が張り巡らされている、といったことが判明したという。

 この「地下宮殿」の存在自体はすでに予測されていた。なんせあの司馬遷氏が『史記』に書いちゃっていたもので。『史記』の始皇本紀によれば地下に空洞を作って銅を敷き、そこに百官(恐らく人形の官僚なんだろう)や奇器・珍怪(いろんな財宝、というあたりですか)を満たして、さらに侵入者を射殺す自動防犯システムまで仕掛けてあったという(インディ・ジョーンズを思い出すなぁ)。また「水銀を以て百川・江河。大海を為した」との記述もあり、これについては1981年にすでに陵墓地下に水銀の反応があることが確認されている。「人魚の膏(あぶら)でロウソクを作って永遠に照らすようにした」という、ちと怪しげな話も書いてあるが、今回の調査で改めて司馬遷の記述がかなり正確であったことが確認された形だ。
 まぁ司馬遷の時代からすれば始皇帝の時代は「近代史」のようなもの。そうそうデタラメなことを書くようなことはしばせん、って何を言ってるんだ。



◆久々にイラク情勢

 イラク戦争の話を久々に。ちょうど戦争が始まった時期に「史点」更新がストップしてしまったりしたので、その後のさまざまな展開についていけなくなっちゃったところがある。というか、イラク戦争勃発への過程で呆れて書く気が失せていった、という側面もあるんだけど。

 開戦したあとは、一時期米英軍の「誤算」だ「苦戦」だといった報道が流れたが、間もなく一気にバグダッド陥落。しかしその後も旧フセイン政権側の持続的な抵抗が続き、5月にブッシュ大統領が「大規模戦闘終結宣言」なんてものを出したりしたが、各地での米英軍に対する襲撃が続き犠牲者はむしろ増大。先月の11月なんか戦闘ヘリが撃ち落とされるなど、一ヶ月の犠牲者数では開戦以来最大の数を記録、「終結宣言」以後の死者数の方が多くなるという馬鹿馬鹿しい事態になってしまった。おまけにこの11月は初のポーランド兵の戦死、イタリア警察軍が爆弾テロで多くの犠牲者を出し、スペイン情報部員7名が襲撃され銃撃戦の末死亡し、日本外交官二人、韓国人の下請け電気業者2人が襲撃され死亡するなど、イラク武装勢力側の攻撃対象が米英軍以外にも拡大する様相を見せている。テロはイラクだけでなく隣国のサウジアラビアやトルコでも発生し、日本の東京にまで攻撃予告が出ているぐらいだ。
 そんな展開の一方で、そもそも開戦の最大の根拠だったはずの「大量破壊兵器」とやらはいまだに見つかっていない。ブッシュ政権はじめ開戦支持派のコメントを見ていると最近はすっかりこの件には触れずに「フセインの恐怖政治を打倒した」ってことばかり強調して話をそらしているとしか思えない。まぁ当初から開戦できりゃなんでもよかったんだろうけどね。

 見つからないと言えば、フセイン(元)大統領もいまだに発見されていない。小泉首相も言っていたが、もしかしてそんな人、最初から存在しなかったのかもしれんな(笑)。考えてみるとアフガニスタン方面のオサマ=ビン=ラディンオマル師も見つかってないが…。
 フセインがなかなか見つからないことについて、ラムズフェルド国防長官が先ごろ「見つけ出すのは干し草の中の針を探し出すようなものだ」とこの人にしては妙に弱気なコメントを出していた。あんた湾岸戦争の直前にニッコリと握手して一緒に写真に写ってたじゃないですか、直接イラクに行ったら会いに来てくれるかも知れんぞ(笑)。
 ラムズフェルド氏といえば12月2日に「プレーン・イングリッシュ・キャンペーン」なるイギリスの市民団体から「意味不明発言大賞」なるものを受賞してしまった。この団体は「分かりやすい英語の使用を推奨する団体」なのだそうだが、日ごろ「イラクの大部分は安全地帯」などと能天気かつ強硬な言動の多いこの人をチクリと皮肉ってやろうということなんだろうな。
 受賞対象となった発言は大量破壊兵器が見つからないことについてのもの。原文はこうだ(CNNサイトより拝借)。

 "Reports that say something hasn't happened are alwaysinteresting to me, because as we know, there are known knowns; there arethings we know we know,"
 "We also know there are known unknowns; that is to say we know there aresome things we do not know. But there are also unknown unknowns -- the oneswe don't know we don't know."


 意味不明以前に翻訳が難しいのだが、CNN日本語版サイトに出ていた日本語訳は、

 「何かが起こらなかったという報告は、いつも興味深い。なぜなら、知ってのとおり、知っていると知られていることがあるからだ。知っていると知っていることがあるわけだ」
 「また、知らないと知られていることもある。つまり、知らないこともあるということを我々は知っている。しかし、未知だと知らないこと、つまり、知らないと知らないこともある」


 …えーと、読解するのに大変な労力を要する日本語になってしまった。ソクラテスが悟った「無知の知」というやつのなのか、孔子「知るを知ると為し、知らざるを知らずと為せ、これ知るなり」というやつなのか、もしかしてえらく哲学的な会話なのだろうか(笑)。ブッシュさんも不思議な英語を使う人のようだが、取り巻きも同様らしい。

 こうした情勢のなか、アメリカ国内ですらブッシュ政権の方策に疑問の声が強まってきて、一部には来年の再選が危ういとの観測も出てきている。このままでは父ブッシュ元大統領のパターンの二の舞だ。
 これに危機感を募らせて、ということなんだろう。ブッシュ大統領が感謝祭休日の11月27日にバグダッドを「電撃訪問」していたのには、驚きもしたが…本音のところ笑ってしまった。まぁアメリカって国はやはり政治的演出が幼稚かつストレートですな。分かりやすくていいんだけどさ(笑)。
 計画は極秘のうちに実行に移され、ブッシュ大統領のローラ夫人をはじめとする家族達にも直前まで知らされず、一緒に感謝祭を祝う予定でテキサスの牧場に招かれていた両親も知らされていなかった。バグダッドへ飛ぶ途中、イギリスの航空機と接近して「エアフォース・ワン(大統領専用機)か?」と質問されたため一時中止を検討するという一幕もあったそうだが、ともかくバグダッド国際空港に降り立ち、現地の米軍幹部やイラク統治評議会のメンバーと慌しく会合、その後アメリカ軍兵士たちの食堂に現れて兵士達をビックリさせ(ソックリさんによる「ドッキリ」と思った人も少なからずいたはず)、感謝祭の夕食をしばし共にし七面鳥の大皿を手にもつパフォーマンスまでやってみせた。
 そして慌しくワシントンへとんぼ返り。バグダッド滞在時間はわずかに2時間半。事前に漏れたり長居するとそれこそ襲撃されかねない、ってことでの極秘かつ慌しいスケジュールだったのだろうが、その後あてつけのように民主党のヒラリー=クリントン上院議員がアフガニスタン経由でバグダッド入りし、一日ここに滞在している。もしかして…と思ったのだが、ヒラリーさんの訪問計画が先にあって、慌ててブッシュ大統領のスタッフが作戦を立案したのかも…。ともかく作戦名は「イラクの不自由」に決まりだな(笑)。

 …などと笑い話をして気を晴らしたりもしているが、実際イラクの状況は深刻だ。
  イラクをこのまま放っておくとより困った事態になるであろうことは誰でも分かっている。しかしイラクをこういう状態にしたのはやっぱりブッシュ政権じゃないかという思いを世界の多くの人が持っているし、実際米英軍中心の占領状態にはイラク人の約8割が不満を抱いているとの調査もある。このままブッシュ政権にくっついてその片棒を担ぐのは長期的に見てかなりヤバイと僕は思うんですけどね。
 日本では自衛隊派遣の是非をめぐる議論が盛ん…ってよりもアンケートとると反対もしくは慎重が8割以上なんだけどね。世論調査の結果と政府の政策が一致しないことはイラクに派兵している各国とも似たようなところがあるんだが。とうとう日本人の外交官に死者が出たことで派遣賛成派は「危険なところだからこそ自衛隊を」と言い、派遣反対派は「危険だからやめよう」という、結局変化のない議論をしている。二人の「戦死」をなにやら人柱的に美化して「その遺志を継ぐためにも派遣を」ってな声まで見かけるが、亡くなった奥克彦参事官ご本人の最近の論文によると米英中心のイラク統治では行き詰まるから国連の役割が大きくなる、と言ってるようなんだけどなぜかあんまり流れてこないような…。イラク戦争に反対し、今も米英に協力はしていないフランスとドイツも国連寄りの統治方式をとるなら協力すると言っているわけで、日本はなにもブッシュ政権に忠実にくっついて行かなくたって「国際貢献」はできるはず。こういう時こそ日本人お得意の「様子見」をするぐらいのズル賢さがほしいんですけどねー。


2003/12/3の記事

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