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2004年4月12日

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◆線路は続くよ地下までも

 4月1日といえばエイプリルフール。しかし日本においては「新年度」の始まり日であって、何か大きな変化が起こる事が多いので「四月バカ」の習慣は定着しにくいという面もあるようだ。今年も消費税総額表示とかこの日を期して変更されたものが多々ある。
 その中で、鉄道マニア的に注目だったのが「東京地下鉄」の誕生だ。それまでの東京都内の「営団地下鉄」が正式に民営化され、国と都が出資する「東京地下鉄株式会社」として発足、愛称は「東京メトロ」とされ、それまで営団地下鉄のシンボルマークだった「S」(地下鉄を意味する米語「Subway」の頭文字。イギリスではこれは「地下道」の意で地下鉄は「Tube」となる)も取り外され、「メトロ」の頭文字「M」に変更された。「メトロ」はフランスはパリの地下鉄を指す言葉だと思ったが、なんでアメリカからフランスに「乗り換え」たのかは定かではない。

 これまで知る人ぞ知るネタ(近ごろ流行の「トリビア」ですか)だったのが、いわゆる「営団地下鉄」の正式名称だ。正式名称は「帝都高速度交通営団」という、荒俣宏さん大喜びな名前だったりしたのだ(笑)。なんせ「帝都」ですよ、「帝都」。ほかに「帝都」を冠する鉄道としては「京王帝都電鉄」 があったのだが、こちらは残念ながら(笑)1998年に創立50周年を期して「帝都」を外した「京王電鉄」に変更されてしまっている。今回の「東京地下鉄」誕生で「帝都」を冠する鉄道会社は消滅することになった。それでもちょこちょこ検索をかけてみると「帝都観光」とか「帝都典禮」(葬儀社です)とかまだまだ「帝都」を冠する企業は存在しているようだ。まぁ今でも天皇がいる都であるわけだから、「帝都」であるとは思うのだが(そういや「皇都」という言い方はしないな)、今日となっては「帝」「帝国」といった言葉は決してイメージはよくないだろう(実際RPGなどでもなぜか「王国」が善玉で「帝国」が悪玉というケースが目立つ)。せいぜいレトロな気分に浸れるという効果がある程度だ。

 さて、この「帝都高速度交通営団」だが、創設されたのは1941年(昭和16年)のこと。その名も「帝都高速度交通営団法」なる法律があり、その第1条には「帝都高速度交通営団ハ東京都ノ区ノ存スル区域及其ノ附近ニ於ケル交通機関ノ整備拡充ヲ図ル為地下高速度交通事業ヲ営ムコトヲ目的トスル公法上ノ法人トス」 とあって、いわゆる「特殊法人」だったのだ。この昭和16年といえば太平洋戦争に突入するまさに直前、統制経済まっただなかの時期だが、営団地下鉄が作られたのもそうしたご時世と無縁ではない。それまで東京の地下鉄は浅草〜新橋の「東京地下鉄道」と、渋谷から新橋を結んだ「東京高速鉄道」とがあり、これを統合して「帝都高速度交通営団」としたわけ。路線図を知っていればお分かりだろうが、これは現在の「銀座線」である。偶然だが僕は3月31日に映画を見に京橋へ出かけ、この銀座線を利用していた。思えばこれが営団地下鉄の「乗り納め」になっちゃったのだ(まるっきり意識してなかったけど)
 その後この「営団」は結局60年にわたって存続し、路線も次々と拡大、すさまじくややこしい東京地下鉄道網を作り上げていった。「国鉄」も民営化されたのちも存続していたが、とうとう民営化されることになったわけだ。「東京地下鉄」という味も素っ気もない名称もこうした歴史を知ると実は「先祖がえり」であることがわかる。以前「史点」ネタにした「日本交通公社」が「JTB」に戻ったという話も連想されますね。


 「高速鉄道」といえば、お隣韓国で「韓国高速鉄道」(愛称は「KTX」。「シュリ」を連想したのは私だけか) が同じ4月1日に開業した。こちらはフランス新幹線「TGV」の技術を導入、というか移植したもので列車もほとんどそのまんま向こうで作ったものを購入している。営業初日から電気系統の異常などトラブルが続出しドタバタとしていたが…日本新幹線の技術を導入した台湾新幹線、それから鹿児島に開業した九州新幹線(これも「つばめ」の復活という面もあって)と共に鉄道ファンとしては楽しいネタが続く。次は中国の高速鉄道だが、どこの国の技術でいくのか、まだ決定せずそれぞれに気を持たせているあたりはなんとも中国らしい、って気がする。



◆「女人禁制」護持決定

 先日、横綱審議委員の内館牧子さんのエッセイ(週刊朝日の「暖簾にひじ鉄」)を読んでいたら、相撲協会が「新弟子入門規定」に「(新弟子は)男子とする」と明記されたのは1992年という、実はつい最近のことであったと知ってちょっと驚いた。内館さんも書いていたが、女性が力士になるなどありえない、という至極当然の前提があったからわざわざ決めてなかったわけなのだが、1990年に当時の森山真弓 官房長官が総理大臣杯を土俵上で渡したいと言い出して「女性を土俵に上げない」という相撲界の伝統との衝突が議論となってからこの規定を明文化したものであるようだ。プロ野球なんかはかなり早い段階で「医学上男子でない者」を認めないという項目を規約に盛り込んでいた気がするが。
 もちろん「土俵に上げる、上げない」の議論はプロ野球の話とはちょいと次元が違っていて、プレイヤーとしてだけではなく「女性」そのものを忌むという、伝統と言うよりはもともと神事であった相撲の帯びる宗教的・信仰的な性格がある。そりゃ性差別といえば確かにそうなんだけど、僕などはこういう伝統をムキになって廃止させようとかは思わない(とくに賛成もしないけど)

 さて女性忌避の議論があるのは相撲ばかりではない。お寺、ことに修行の場となっている山岳のお寺は「女人禁制」を掲げているところがある。
 今回話題となっているのは奈良県天川村・大峰山寺だ。大峰山と総称される山系の中の山上ヶ岳にこの寺はある。なんでもあの役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたという修験道の本場だそうで、大峰山の登山口には「従是女人結界」の石碑や看板が掲げられ、いまなお頑固に「女人禁制」を続けている。調べてみたところこの寺を管理する五つの「護持院」では最近批判もあるので「女人禁制」を見直そうとの動きがないでもなかったが(一時解禁と報じられもしたとか) 修行者、そしてふもとの地元住民が反対して改めて「女人禁制」の看板をかけるといったことがあったのだそうだ。その一方「女人禁制」に反対する運動を展開している女性が強行登山をしたこともあり、いろいろと議論になってきた。これについても僕は土俵と話とおんなじで特に賛成もしないけど強行に及ぶというのも感心しませんがね。
 で、先日の4月8日。大峰山の五護持院は改めて「禁制継続」の方針を発表した。改めて、というのはこのたび「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録候補になったのを機に「女人禁制」の廃止を訴える市民団体の活動が活発化し、3月までに全国で12000名の署名を集めて各方面に送るなどの動きを見せていたため、大峰山側も修行者・地元住民を交えて対応を協議をしていたというわけだった。結論はやはり「大峰山は宗教施設であり伝統を堅持したい」との理由で「禁制護持」となったわけだが、禁制解除を求める団体では「宗教上の理由をいうなら修行者でもない男性が登っていいというのはオカシイじゃないの」という主旨の反論をしている。

 ところでこの話題に遠く絡むような話題が、先月末に報じられていた。
 ロシアの新聞イズベスチヤがチベット仏教の最高指導者でインドに亡命しているダライ=ラマ14世にインタビューしたのだが、そこでダライ=ラマは「間もなく私は第一線から退き始める。私は年をとっており、次の旅路を支度する時期だ」と述べ「転生」について口にしたという(毎日新聞記事より) 。有名だからご存知の方も多いだろうが、チベット仏教においては高位の宗教指導者は「転生」するという発想があり、先代が亡くなるとそれから数ヶ月以内に生まれた子どもを探し出して、生前の愛用品を見せるなどして試し、「生まれ変わり」を認定して次代の指導者に立てる、という面白い制度を続けている。現在のダライ=ラマも69歳。ぼちぼち「転生」ということを考慮しなけりゃいけなくなる。
 ダライ=ラマにせよパンチェン=ラマにせよ、これまでこうした「転生」はチベット人の中だけで行われてきた。つまり彼らはチベット人に限定して生まれ変わるわけですな。しかししょせん「認定」するのは人間だし、チベット亡命政府と中国の政治的対立もあってパンチェン=ラマについてはダライ=ラマ側が認定した子どもと中国側が認定した子どもと二人が存在していたりする。「ぼちぼち転生」と考えるダライ=ラマが危惧するのは、当然「次のダライ=ラマ」が同様の事態になるだろう。
 そこで、というわけでダライ=ラマはこのインタビューで「(転生の対象者認定は)中国の占領下にある母国では不可能」と言い、なんとチベット人限定ですらなく「ロシアも含む外国領土内の仏教徒家族」に転生する可能性に言及したのだ。「リトル・ブッダ」という映画でチベット仏教の高僧が白人・黒人など3人に生まれ変わるという妙な話があったものだが(あれがヨーロッパ人の仏教理解なのかと思うと空恐ろしかった)、それをちょっと現実化しちゃったような話である。それでも仏教徒限定で転生するというのが面白いというか何というか。
 さらに爆弾発言なのは、「ダライ=ラマの転生が女性になることも私は除外しない」とダライ=ラマが明言したことだ。そ、そうですか、転生はやっぱり性別を問わないんでしょうかねぇ。じゃあなんで今まで男ばっかりに転生したんでしょうか。そろそろ転生ならぬ性転換か?…どうも失礼しましたー(^^; )



◆ここであったが百年目

 前にも書いたが、今年は(今年も?)いろいろと歴史的な事件から何年目という節目が多い。日本としてはやはりよく知られているのが「日露戦争から百年」だが、他にも世界史的・外交史的な節目と言えるイベントがあった。イギリスとフランスが同盟関係を結んだ「英仏協商」締結からこの4月でちょうど百周年となったのである。

 西洋史を眺めてみれば分かるが、イギリスとフランスってのは長いこと敵国ないしライバル関係にあった。中世での「百年戦争」(1339-1453)があったし、18世紀には海外植民地をめぐって「第二次百年戦争」などと呼ばれるような抗争を各地で繰り広げた。フランス革命後、ナポレオン 時代においてもイギリスは常にフランスの最大の敵であり、ナポレオンが海底トンネルさえあれば海の向こうのイギリスに攻め込めるのに、と嘆いたという逸話があったりするし、実際最後にナポレオンにとどめをさしたのはイギリスだった。その後の帝国主義時代も直接対決こそ避けるものの互いに強烈にライバル視していた。20世紀初頭の小説でアルセーヌ=ルパンシャーロック=ホームズと対決しちゃうという「事件」が起きたのもこうした歴史的経緯が少なからず影響しているとは言える(また、そのネタかい)
 そのイギリスとフランスが、1904年に同盟関係を結んで両国関係史に大きな画期をなした。これは当時軍事的・経済的に台頭著しかったドイツ帝国に対抗するため手を組んだもの。それ以前にフランスとロシアの間で「露仏同盟」は結ばれており、やがて1907年にイギリスがロシアと「英露協商」を結んだため、英仏露の「三国協商」が成立することになる。そして1914年の第一次世界大戦へと突入していくわけだ。
 その後の第二次世界大戦、そして冷戦という歴史において、英仏両国は一応同盟関係を続けている。ただアメリカとの距離のとり方、ヨーロッパ統合への関わり方といったことについては微妙に態度の相違を見せはする。そして昨年来のイラク戦争への関わりでは、フランスはドイツと足並みをそろえて反対の姿勢を示し、イギリスはアメリカにくっついて一蓮托生状態、と意見の相違を鮮明にした。ことは単にイラク戦争の問題だけではない、今後のEUのあり方、主導権争いという面もあった(スペインの政権交代もこの件に深く関わってる)

 さて去る4月5日、この英仏協商締結百年を記念する式典がフランスで執り行われた。イギリスからは女王エリザベス2世が夫のエジンバラ公 とともにフランスを公式訪問、ロンドンから高速鉄道「ユーロスター」に乗りユーロトンネルで海底を通過し、パリ北駅へと直行してきた。イギリス女王がフランスに国賓として招かれるのは12年ぶりのことだそうで、例のナポレオンの逸話もある海峡を直行列車に乗ってくるあたり、便利さはもちろんのこと「両国の絆」をこれで演出してるわけですな。あれ、ここでまた鉄道ネタになってしまった!(笑)
 その夜に大統領府エリゼ宮で開かれた晩餐会で、エリザベス女王は「現在の政治的緊張により、われわれの関係が長期にわたり、悪化することがあってはならない」と流暢なフランス語で語ったそうな。その政治的緊張の原因であるイラク情勢が下の記事のような状況になっちゃってるし、まぁそう長期にわたる悪化にはならんと思われますけどね。


 「和解」関係でもう一つ。
 4月10日、「武田・織田家が430年ぶりに和解・遺恨超え握手」との報道があった。現在の武田氏の宗家16代目と織田家の宗家12代目が武田信玄をまつる甲府の武田神社に一緒に参拝、「風林火山」の旗の前でがっちり握手したのだとか(「孫子」の前で「子孫」が握手!)。織田家はともかく武田家の宗家って…?と思って調べてみたら、信玄の次男の家系が残っていたんですね。そういや織田家14代目となる人はフィギュアスケートの選手として脚光を浴びていたりするから面白い。
 「和解」といえば以前NHKがお膳立てしようとして「まだ和解には早すぎる」とお流れになった「長州と会津の遺恨」が思い出されるのだけど、あれはどうなったんだろうか?



◆一年たったらもうグチャグチャ

 とにかく何事も、予測において断言をするものではない。去年の3月21日に開始されたイラク戦争だが、一時米英軍がバタバタするや、「苦戦」「ベトナム化」といった観測も出たりしたが、ものの三週間足らずの戦闘で4月9日にはバグダッド陥落、フセイン政権崩壊とあいなった。ここで「それみたことか」と騒いだアメリカべったり組も続出したが、「大規模戦闘終結宣言」なんてものをブッシュ大統領がやってから延々と米英軍その他に対する武装勢力の攻撃が続き、いつしか「大規模戦闘」の時期を上回る戦死者が出るというバカバカしい事態になっていった。12月になってようやくフセイン大統領が捕縛されて「これで沈静化か」との声もあったが依然として攻撃はやまず、戦争の最大の根拠と当初されていた(最近は話題すら聞かなくなってきたが…) 「大量破壊兵器」も見つからず、スペインでのテロなんかもあっていつしか米英を中心とする「連合軍」の結束にもほころびが出始める始末。そしてブッシュ政権はといえばなにやらイラク情勢よりも現在「9.11テロ」の事前情報うんぬんの件でも弁明に力を注いでるという変な状況だ。
 一年の間にムチャクチャに変転した戦争だよなぁ、ホントに。そういうこともあるから僕もうかつに予言めいたことは書かないようにしていたつもりだが(口で結構言ってはいたが)、伝言板を読み返すと僕も含めていろんなことを書いていて面白い。こういうのも後世への貴重な歴史資料になったりするんじゃないかな…

 ただ僕もそう思っていたし、他にも予測している方がいたんだけど、軍事的に米英軍が勝利し、フセイン政権が倒されるのは当たり前として、「その後どうするんだ?」という懸念があった。開戦前から「フセイン後」のイラク占領統治を太平洋戦争後の日本占領統治を参考に構想しているとか、「民主化された大中東建設」構想だとか、いろいろと話が流れてきたのだが、「それはいくらなんでも甘いのでは」と思うところが多かった。根本的なところでアメリカは「自由を与えた」だのなんだのと言いつつイラク全体に漂う強い反米気分というのを理解していなかった気がする。まぁ空襲され原爆落とされて占領されたら割とアッサリと(特に指導層が)従順になった国が前例だったりするから甘くなったのかもしれないが…

 3月から4月に入り、イラク情勢は一気に緊迫の度を高めてしまった。まずフセイン元大統領に親近感を持つとされ「スンニ派三角地帯」などと呼ばれている地域にある都市・ファルージャで3月31日、アメリカの民間人(といっても元軍人の民間警備会社の社員だから生粋の「民間人」とは言い難いらしい)4人が武装勢力の襲撃を受けて殺害され、その遺体を引き回され損壊させられるという事件が発生、これがアメリカでも報じられてアメリカ国内で大きな衝撃を与えた(まぁ自国民が傷つかないと騒がないのかと一言言いたくもなるが)。その報復とばかりアメリカ軍がファルージャを包囲・攻撃し始めたが、ラマディで海兵隊員12人が襲撃を受けて殺害されるなど各地で連動するような攻撃が続き、さらにアメリカ軍が武装勢力のこもっていたモスクを攻撃、破壊して多数の市民も殺傷したために(現時点で500人近い犠牲者がいるようだが…) これがイスラム教徒の怒りを買って戦闘があちこちで頻発する、という展開になっている。こう書いている間にもいろいろと事態が推移している様子で、正確なところファルージャがどうなっているのかは分からない。アメリカ軍のファルージャでの軍事行動についてはアメリカの「傀儡政権」などと言われてしまうこともある「イラク統治評議会」もこれを非難して閣僚が辞任してしまうなどしてるし、深刻な状況になっていることは間違いないんだろうけど。

 さらにこれと前後して、シーア派の若手宗教指導者・ムクタダ=サドル師という新キャラが登場した。いや、べつに今までだっていたのだが、ここ一週間で一気に世界的有名人におどりでた人物である。イラク国内では多数派であるシーア派はフセイン政権下では弾圧され、このサドル師の父親でシーア派の高位法学者だったムハンマド=サーディク=サドル師は1999年にフセイン政権によって暗殺されている(おじさんも暗殺されてるとか)。ムクタダ=サドル師は30歳ぐらい(報道により年齢がブレている)と若手で、まだ高位の宗教指導者の称号は認められていないが、父親の人気をそのまま受け継ぐ形でシーア派の中で特に貧民層・若者の間で強い影響力を持っていた。この人物が4月に入っていきなり「反米闘争」を宣言したのだ。
 「いきなり」と書いたが一応伏線はあった。そもそもイラクの暫定憲法を決める過程で北部のクルド人地域の自治権拡大にシスタニ師 などシーア派指導者たちが難色を示し、ギリギリまで揉めていた。そもそもアメリカは過去にシーア派国家・イランの出現を牽制するためフセイン政権を戦争をたきつけたし、湾岸戦争においても反フセインでシーア派を利用しようとしておいてやっぱりその勢力拡大を警戒して「見捨てた」経緯があり、フセイン政権後のイラクにおいてもシーア派色が強い政権が出来る事はやはり避けたいと考えている。サドル師なんかは昨年6月イランを訪問したりして結びつきが強く、とくに警戒されたものと思われる。実際サドル師は昨年から何度も「占領軍は撤退せよ」と叫び、反米姿勢を次第に明確化してきていた。
 3月30日にサドル師系の週刊紙がCPA(連合国暫定当局。早い話が日本でのGHQ)によって発禁処分とされ、4月2日にこのサドル師の側近が逮捕され、たことがサドル師一派蜂起の直接のきっかけだ。この蜂起で初めて知ったがサドル師は「マハディー(救世主)軍」 なる民兵を組織しており、その数はなんと10万人にも及ぶと言われている。これが各地で暴れだし、バグダッドの「サドルシティー」では米軍・イラク治安当局と大規模な衝突を起こしたのを初め、シーア派聖地ナジャフ、南部のアマラ、バスラなどで米英やその同盟軍と激しい衝突を起こした。武力衝突は起きてないがシーア派地域であるサマワ、ご存知日本の自衛隊の駐屯地でもデモが起こった(迫撃砲騒ぎもあったりはするが…)
 サドル師一派の蜂起に驚いたCPAは一年前の穏健派宗教指導者の暗殺事件に関与したとしてサドル師の逮捕状をいきなり出したり(数ヶ月前にすでに出ていた、というのだが急に持ち出した感はアリアリ) 、バグダッドのシーア派地区にバグダッド陥落以来となる空爆をしてみたりと強硬姿勢を見せたが、事態はむしろ悪化するばかり。対立していると言われたイラク国内のスンニ派勢力とシーア派勢力が「反米」で手を組み連携が進んでいるとの話もあり、なにやら「国共合作」を甘く見て日中戦争の泥沼にハマっていった旧日本軍を思わせるところがある。サドル師はその後シーア派の聖地ナジャフに入って徹底抵抗の構えを見せ、おりから4月11日のシーア派の祭典「アルバイン」が中部のカルバラで行われ百万人ものシーア派信徒がここに集まり(この祭りもフセイン政権崩壊により復活したというから皮肉)、その宗教的熱気をあおる形でサドル師がその日の夜に「全国的反米蜂起」を呼びかけるなど事態は刻一刻と変化している。
 ちょうどフセイン政権崩壊から一年となるこの4月初旬で、アメリカによる占領政策は実質的に崩壊しちゃったと言っていいだろう。もちろん武力によって一時的にせよ押さえ込むことは不可能ではないだろうが、現時点でこれだから武力鎮圧を完全にやっちゃった場合、修復不能なほどの反米のしこりを残すことは確実だ。「再選」が至上命題のブッシュ政権はイラクに関してはもうあきらめムードに入ってるんと違うか、と思えるほどこのところ消極的というか見てみぬフリと言うか、そんな姿勢が見え隠れしてきているように感じられる。冒頭にも書いたがむしろ国内での「9.11テロ事前情報」疑惑を払拭するのに政権の全力を上げているフシがある。そういえばアフガニスタンだって事態は全然安定化していないんだが。

 そんななか、日本人三人がイラクの武装勢力により拘束され「人質」にとられるという事態が発生した。日本人だけでなく「外国人」がほかにも大勢拘束されているから、このグチャグチャの状況下で武装勢力が占領軍に対する揺さぶるためにとり始めた作戦の一環に巻き込まれたというところじゃないかと思われる。4月11日の昼ごろには日本人たちが解放されるとの情報が流れ、一時安堵ムードが漂ったが、その後続報が途絶え、僕も待機してしばし「史点」アップを待っていたのだが…それからもう12時間が経とうとしている。とにかく多くの人々の無事を祈りつつ、ここでアップしておきます。


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