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2004年4月26日

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◆今週の記事


◆くにのまほろば…

 僕が全く知らないうちに日本国内に「まほろば連邦」ってものがあったんだそうな。初めて知ったのはその「連邦」がこのたび解体、いや解散することになった、という報道でだった。
 探してみたらキチンと公式サイトが存在していた(http://www.city.yamato.kanagawa.jp/sangyo/mahotop.html。神奈川県大和市のHPの一部だ)。そこの説明によれば「鹿児島県大和村(やまとそん)」「佐賀県大和町(やまとちょう)」 「福岡県大和町(やまとまち)」「山口県大和町(やまとちょう)」「島根県大和村(だいわむら)」「広島県大和町(だいわちょう)」「岐阜県大和町(やまとちょう)」「山梨県大和村(やまとむら)」「神奈川県大和市(やまとし)」「茨城県大和村(やまとむら)」「新潟県大和町(やまとまち)」 「宮城県大和町(たいわちょう)」の12市町村で構成されている。トップに掲載されている主旨には まほろば連邦とは・・・古事記にも「まほろば(すばらしいところ)」と詠われた「大和」。やまと・だいわ・たいわと読み方は違っても、「大和」の名を持つ全国12の市町村がお互いの自然、歴史、文化を尊重し、個性豊かなふるさとを創造しようと、まほろば連邦を建国しました。とある。 「建国」などとさりげなく言っちゃってるところが凄い(笑)。

 この文で言及されている古事記における「まほろば」の記事とは、古事記・日本書紀で伝えられる「日本武尊(やまとたけるのみこと)」伝説のなかにあるもの。ヤマトタケルことオウスは皇子でありながらその剛勇ゆえに父王(景行天皇)に疎んじられ、熊襲や出雲、さらには東国と転戦させられる。そして最後に山の神をバカにしたためにその怒りに触れて心身に傷を負い、故郷の大和(奈良県)を目指して帰る途中でついに力尽き、息絶える。その間にいくつもの歌を詠むのだが、そのなかに「やまとは くにのまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」 という歌があるのだ。大和の国はこの国の中でも素晴らしくよいところ、幾重もの森と山に囲まれた大和がいとおしい、とまぁ意訳するとこんな感じか。死に際して望郷の念を強烈に歌ったというものだが、もともと大和地方で歌われていた地元を称える歌謡に英雄伝説がくっつけられたもの、という見解もある。ともあれ息絶えたヤマトタケルは白鳥に姿を変え、大空へと飛んでいってしまい、『古事記』中でも見事にヒロイックファンタジーなエンディングとなっている。
 漫画家・松本零士さんの最近作に「超時空戦艦まほろば」というのがあるが、これもこの歌を元ネタに「宇宙戦艦ヤマト」とからめたネーミングだ。

 話を「まほろば連邦」に戻すと、これの「建国」は平成元年(1989)5月のこと。もともと神奈川県大和市を中心に「『大和』全国連絡協議会」があり、「大和まつり」というイベントがあったらしく、それを発展させて「まほろば連邦」結成に至ったものらしい。「大和連邦」だったらもっとインパクトがあったと思うのだが(笑)、「だいわ」「たいわ」などの読みの違いもあるし、「まほろば」というのも優しい感じでうまいネーミングだと思う。「連邦憲章」によれば参加する自治体はそれぞれ「連邦国」と呼ばれ、毎年「サミット」 を各連邦国持ち回りで開催、各種の交流イベントが行われていたとのこと。面白い企画ではあると思うのだが、もともとの「大和」である奈良県地方がまったく入ってないのは残念というか…。そういや気がついたのだが、この「連邦国」のうち福岡と山口の「やまと」はどちらも「邪馬台国」の候補地に挙げられていたような。

 しかし残念ながら、去る4月18日の福岡県大和市での「サミット」を最後に「連邦解体」ということになってしまうとのこと。別に分離独立運動が起きたせいでもベルリンの壁が壊れたせいでもクーデターが起きたせいでもない。現在国の主導で進められている、地方自治体の「平成の大合併」の影響で連邦を構成する「大和」市町村の多くが消滅することになっちゃったためだ。昭和30年代以来のこの「大合併」は全国的に進められていて(僕の住む市も隣の町との合併が事実上決定している)、「佐渡市」やら「対馬市」やら「南アルプス市」やら「四国中央市」やら面白い市が次々と誕生する一方で古い伝統を持つ地名が次々と消えていくという寂しい現象も進んでいる。
 
 報道によれば各自治体は「今後はそれぞれで現代の『まほろば』を目指したい」とコメントしているそうで。



◆韓国政界地図激変

 さて、去る4月15日に行われた韓国総選挙、結局は事前の予想通り、いや予想を上回って、先ごろ弾劾を受け権限停止に追い込まれている盧武鉉(ノ=ムヒョン)大統領を奉じる与党「ウリ党」が圧勝してしまった。全299議席のうち過半数の152議席を単独で占め(与党の単独過半数じたい16年ぶりだそうな)、選挙前の49議席から約3倍の議席を持つにいたったというのだからその圧勝ぶりの凄まじさがわかる。選挙直前にウリ党の幹部が「年寄りは選挙に来ないで欲しい」 などと言ったとかで激しい反発を受けて「もしや」の見方もあったわけだけど、蓋を開けてみればほとんど影響がなかったということみたい。やはり「大統領弾劾」という強引なやり方が裏目に出た、ということなんだろうか。大統領に対する弾劾についての最終判断はまだなのだが、この選挙結果が事実上の「国民による大統領信任」になったとの見方が大勢だ。

 その「年寄りは来ないで」発言に象徴されているように、今度のウリ党躍進の原動力はやはり若年層だった。それが良いか悪いかは別として、そうした若い世代の力により今回の選挙で韓国の政治風土は大きく変化してしまった。もちろんそれ以前の盧武鉉大統領当選自体が韓国政治風土の変化の表れであったわけだが…。そういえば盧武鉉氏当選の時も直前になって鄭夢準(チョン=モンジュン)氏が盧氏への「支持撤回」を表明する大騒ぎがあったなぁ。結果からするとあれもかえって盧武鉉有利に働いたフシがある。

 大統領弾劾で逆風が吹いた野党のハンナラ党は急遽朴正熙(パク=チョンヒ)元大統領の長女・朴槿恵(パク=クンヘ)さんを党首に押し立て、根強い人気のある父親の七光りと女性党首のソフトイメージによるイメチェンを図ったが16議席減の121議席に後退(イメチェン効果でこれで済んだとの見方もあるが)。新千年民主党は自分のところから離脱していったウリ党にそのまんま議席を奪われる形で、61議席から一気に9議席の小政党に転落。「保守本流」を自認して政界の一角を占めてきた自由民主連合は4議席に転落、とくにその総裁であり金永三(キム=ヨンサン)金大中(キム=デジュン)両元大統領と並び「三金」と呼ばれた元首相にして政界の長老・金鍾泌(キム=ジョンピル)(78歳)が落選の憂き目を見てしまい、そのまま政界引退表明とあいなった。彼の引退、そして「三金」の側近達も多くが落選し、韓国では「三金時代の終焉」と慨嘆されているそうな。これがホントの「サンキンコウタイ」、って日本語で何を言っとるんだ。
 韓国の選挙といえば「道」レベルの地方ごとに極端に支持政党が決まっていて、ある「道」では9割ぐらいが特定の政党が得票してしまうといった現象が「名物」だったが、今回の選挙ではウリ党の躍進とともにこうした「地域主義」にもほころびが始まったことが指摘されている。ウリ党はこの手の革新系政党の常でソウルを中心とした都会部で強いのだが、ハンナラ党の地盤の慶尚道(まぁだいたい旧新羅)、新千年民主党の地盤の全羅道(まぁだいたい旧百済)でそれぞれ議席を獲得し、初めての「全国政党」との声も聞こえてくるほどだ。

 時代の変化を感じさせた「台風の目」がもう一つあった。労働組合を支持母体にしてウリ党以上に「左」とされる革新政党「民主労働党」が初めて国会に議席を獲得したのだ(綱領をみると日本で言えばまさに共産党のポジションである)。それも一気に10議席の獲得で、気がついたらなんと「第三党」(笑)。これには韓国財界も警戒感を隠しきれないらしく、ウリ党とこの民主労働党の関係がどうなるのか、注目されている。

 1980年代以前の韓国政界のことを思い起こすと、ほんとに「隔世の感」。前にも書いたことだけど、それ以前は軍事政権だったし、それより前は「金大中事件」に見られるようにかなり変な政治状況の国だった(「ブラック・ジャック」の「パク船長」参照)。今回の激変が良いか悪いかは別にして、少なくとも「激変」が実現するだけでも随分健全なものだ、と実質的一党独裁が長く続く国の国民としちゃあ思ってしまうのでございますがね。



◆いやーな気分の二週間

 前回「史点」でもグチャグチャのイラク情勢について書き、その中で日本人人質事件にも触れている。その後多少ドタバタあったが事件発生からちょうど一週間後の4月15日に三人の人質が解放され、それと入れ替わりに武装勢力に拘束されていた二人の日本人も割とすぐ、4月18日に解放された。とりあえず日本人としてはめでたしめでたし…ではあったのだが、イタリア人やアメリカ人など広義の「兵士」と見なされた人質達は殺害されており、その前後にも入れ替わり立ち替わりあちこちの国の人々が拘束されていた。それにしてもイラクに「出稼ぎ?」に来ていた福建人の一団には倭寇専門家的にもニヤリなところがあったりした(笑)。

 しかし…正直なところ、ここ二週間ばかり、僕はかなりいやーな気分であり続けた。実にいやーな気分で怒り続けていた。そのあおりを食って僕のバイト先の学習塾の生徒達の宿題の量が増え、忘れた生徒には厳しい制裁(さすがに鉄拳ではないが)が飛んだ…ってそんなところに八つ当たりしてもしょうがないんだが(笑)。とにかくあまりにいやーな気分が続いていたので世間と自分が落ち着いてくる時期まで「史点」を書くのをやめていた。
 何に怒っていたって、もちろん今回の人質事件に関する「政府関係者」と一部マスコミの姿勢、それと連動していた人質家族への嫌がらせ攻勢(何か事件があると洋の東西を問わず見られるものらしいが)、そしてネット上の一部のバカ騒ぎだ。はっきり言って連中、「陰湿な弱いものいじめ」を楽しんでいるようにしか見えなかったもんで。こうした妙な批判(読むに耐えるまともな批判もあるにはあったが、ごくわずかだ) や誹謗中傷が最初の三人、特にそのうちの女性と少年に集中していたのはやっぱり反撃される恐れが少なそうな「弱者」に攻撃が集中していたって事だろう。実際かなりのことを言っていた「後発」の二人については彼らが結構「確信者」であることもあってあまり攻撃の矢が向いていない。そりゃまぁ最初の三人についてはビデオ映像が流れ、自衛隊撤退を迫る声明文が出るとか劇的要素が多かった事は無視できないが、やはり「出る杭は打たれる、出すぎた杭は打たれない」ということだろう。

 ネット上の一部で展開していたバカ騒ぎについてはもう何度かあったことだからさておくとして、僕がかなり気になったのはそれと連動する、あるいは煽るかのような、明らかに政府ルートからの情報リークがあった点だ。
 武装勢力に国民が人質にとられた、そして自衛隊撤退を要求された。これを(少なくとも表面的には)毅然と拒絶する、そこまではまだ分かる。しかしまだ解放されるかどうかもわかっていないかなり早い段階から人質にされた三人についての「思想的背景」やらなにやらを言い出し、執拗に「自己責任」なる単語を振り回し始めた「政府関係者」(報道では全てこの主語で片付けられていた)の動きには僕はかなり薄ら寒いものを覚えた。これって要するに「最悪の事態が起こった場合の責任逃れのための予防線」だったとしか思えない。

 人質が解放されたあとも最悪だった。解放された人質達が「イラクで活動を続けたい」(危険を承知で行った人たちだから当然の発言に思えたのが…それに実際にはあの解放に尽力したクベイシ師が「続けてください」と言ったことに対しての返事だったらしい)と言った事に対して「さんざん人に迷惑かけて何様のつもりだ」と「政府関係者」が言ったという報道が流れる。中には「そんなに言うならイラクに亡命してくれ」という暴言を吐いた「外務省関係者」がいたという報道もあった。これなどを見たときは僕自身「亡命」したくなってきたものだが…あげくの果てが「多額の税金がかかってるんだから本人達に負担させろ」 である。もともと外務省にはこういう時の内規があって航空運賃ぶんぐらいは支払ってもらう事になっていたそうだが、それを限りなく拡大解釈させてウン十億とか騒いでいたのはもちろん今後同じような人が出ないようにという、実にしみったれた「牽制」発言に過ぎない(で、こうした「税金論」をブチ上げていた閣僚の中には「国民年金ウッカリ未納者」がいたりしたわけで)。こうした誰が言ったかもよくわからないようなコメントが次々とマスコミを通じて流され、人質になった人たちに対する冷ややかな一部世論を煽ったところは明らかにあった。

 さらに「政府関係者」たちにとって不快だったのは人質になった人たちが市民団体・NGOの関係者であり、どちらかといえばイラク戦争における米軍・自衛隊などの派遣に反対の側にいたことだ。人質事件発生後にその家族や関係者が政府批判をすると、「政府を批判しておいて何かあったら助けてくれとは」とまたしてもどこぞの誰かのコメントが流れる。これ、僕には聞き覚えのあるセリフでしたね。あのオウム問題を扱っていた坂本堤弁護士が「行方不明」になった時、神奈川県警の幹部がこういう論法を口にして「失踪」ということで捜査を進めなかった例がある(その結果がどうなったかはご存知のとおり)。どうも政治家にせよお役人にせよ自分達の仕事を何か勘違いしていらっしゃるように思える。
 もちろん今回も、また今後も政府は「自己責任だから」といって何もしないわけにはいかなかった(そして実際解放には成功した) 。そんなことは最初から分かってるわけで、もしもの時の責任回避のため、なおかつ単に彼らの抱いた不快感をぶちまける「腹いせ」として、被害者であるはずの人質とその家族達に対する批判の声がリークされた、としか思えない。それが自衛隊派遣に躍起になって賛成していた系統のマスコミを中心に流され、より世間を煽る。そりゃ政府がそう思ってるなら、と嫌がらせ連中も居丈高になるわけである。

 さらにさらに…頭が痛くなったのは、いわゆる「自作自演説」が執拗に「におわされた」ことだ。ネット上はともかくとして政府関係(特に警察・公安関係)からのリークが拘束中から解放後まで小出しに出され、産経新聞やら東スポやら週刊新潮やらを飾っていた。あくまで「におわす」だけで「逃げ」もしっかり打ってあるところがよけいに怖かった。
 あの声明文が出た段階で、確かにその内容に妙に日本情勢に精通した、なおかつ日本における自衛隊派遣反対論と合い通じる内容に「疑惑」が生じる余地はあった。ビデオの解析で「演出」が分かった事もそうした「疑惑」を一時捜査関係者が持ったことも無理は無いとは思う。だがその後間もなく各国の人々が次々と誘拐・拘束されたことで少なくとも完全なデッチ上げではないことは断定できたはず。「警視庁ベテラン捜査官」とやらが「マルクス主義過激派のものと酷似」とか言ったという声明文の内容についても、その後解放の仲介者となったイスラム聖職者のクベイシ師がほとんど同じような内容を口にして日本政府を批判していたことからも見当違いの見方であることは分かる(相変わらずおっちょこちょいの「産経抄」のご老人は「過激派との酷似」記事について「やはりそうか」とばかり膝を打ったとか書いていた…もちろん、その後この件にはふれてない) 「広島・長崎をイラク人が知っているのか」ってな発言も流れてたっけな。
 そもそもこうした「自作自演説」はヨルダンからの出国じたいを疑っていたはずだが、その後の報道で少なくとも政府が11日段階で誘拐現場を目撃していたタクシー運転手から直接話を聞いて事実確認をとっていたことが明らかになっている。それでもこの手の「自作自演におわし」ネタはあとあとまで続いていたから、分かっていて意図的にリークしていたってことだ。もっとも警察・公安の幹部なんてのは昔から共産党関係者だの過激派だの市民運動だのは昔からひとくくりに「反政府組織」としか見ていないところがあるようだから(しかも実態以上に相手を「過大評価」しているフシがある)、解放後まで本気で疑っていた可能性はある。解放後事情聴取を受けた三人が情緒不安定に陥っているのも、この辺りのことをしつっこくつっつかれて文字通り「頭が痛くなった」んじゃなかろうかと思われる。
 この件についてはまだまだ言い足りない事があるが、ネット上の噂の検証から各種報道までをまとめたサイト(http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html )もあるので、そちらを参照されたい。

 人質事件が解決したところで改めて自衛隊が何をしに行ってるのか検証する必要があると思うのだが、なんかもうマスコミも世間も大騒ぎの反動かすっかりイラク関係を忘れ去ってしまってるんじゃないかと思えるほどの冷めぶりだ。人道復興支援活動自体は評価できるとは思うのだが、地元部族長や宗教指導者に「守ってあげる」と言われ、迫撃砲や銃撃戦が近くで起こると支援活動も停止して駐屯地に引きこもり、あげくは現地で活動するフランスのNGOに資金援助して給水活動の代替をやってもらおうとしている、といった報道を聞いていると「何しに行ったんだろ?」と思っちゃうのが正直なところ。近々政府はサマワ住民の支持を得るため「公共事業を起こして雇用確保作戦」を進めるつもりとか聞いて、さすがは「土建屋政治家」の発想と笑っちゃったりもするが、結局のところ出かけているのが自衛隊である必然性がほとんど感じられない(危険な地域だから…という言い訳はこれまでの経緯上政府は表立って言えない)。むしろ人質事件での声明や聖職者の言葉にあったように「占領軍」扱いされ敵視される可能性が高まってきている。
 もちろん親分アメリカとの「お付き合い」で軍隊の弾数揃えに使われてるのは明らかなんだけど、スペイン軍などお付き合い軍隊に次々撤退の動きが出てくると、「残留組」は「占領軍」としていっそう目立ってきてしまう。派遣の根拠となっている特措法の規定上、ちかごろ治安が悪化しつつあるサマワが「戦闘地域」になってしまえば撤退せざるを得なくなるのだが、なんか今の雰囲気だと死人の一人や二人出たところで「戦闘ではない」と処理されそうな気がする(実際、攻撃者を「テロリスト」と呼んでしまえば「戦闘」扱いされないという詭弁が可能だ)。もちろん死者も「戦死者」とは呼ばれず、自衛隊の戦車が一時「特車」などと呼ばれていたのと同じく「特死」などと言われそうな気がする(笑…えないな)。どうも日本の政治構造はシベリア出兵だとか日中戦争から太平洋戦争だとか、さらには高速道路や橋梁建設だとか、「いったん始まるとやめられない」ように出来てるらしいから、かなり不安である。
 もう一つの不安はそうして目立ってきた日本での「国内テロ」の可能性だが、政府としても警戒はしているようで、最近鉄道の駅などを中心に防弾チョッキつきの警察官の姿が目立つようになった。これについて小泉首相はといえば「どこにいても危険はある。その辺は皆さん覚悟していただいているのではないか」(4月19日共同)とコメントしている。これぞまさに「自己責任」論、こういう首相と政権を選挙で選んじゃってるんだから日本国民の大半は「覚悟」してるんでしょう、たぶん。



◆中東情勢あれやこれや

 上記の話とつながるのだが、どうも日本では自国民の絡む話題になると大騒ぎして、それが過ぎるとケロッと忘れ去る傾向が強いように思う。報道でも海外で大事故などがあったとき「この中に日本人はいない模様」というコメントがほとんどオチのようにつくものだが、サマワで「オランダ軍駐屯地に迫撃砲攻撃」という記事のサブ見出しに「自衛隊に負傷者なし」ってのは狙ったギャグかと思ってしまった。まずオランダ軍兵士の安否を書くべきじゃないのか?

 で、前に「史点」書いたときから二週間たった今も情勢は相変わらず。ファルージャでは停戦と戦闘が繰り返され(いい加減あきらめたのか無期停戦との話も現時点では出ているが…)サドル 師を中心とするシーア派の一部も聖地ナジャフにたてこもって反米抵抗を続けている。一時「サドル師の殺害か拘束」を目指すとしていたアメリカ軍だが、さすがにシーア派聖地を攻撃してはヤバイと思ってもいるらしく、積年の仇敵ともいえるシーア派国家・イランに仲介役を頼んでなだめようともしていた。しかしそのイラン外交官がバグダッドで何者かによって暗殺されてしまったため、警戒したイランは一歩ひいた構えに入った。各地での散発的なゲリラ攻撃は毎日のように続き(バグダッドのCPAへの攻撃なんかはほとんど毎日の恒例行事と化している)、それでパニクった米兵による市民殺傷も日常化し、それに加えてアルカイダ系と思われる自爆テロが南部のバスラなどで起こり、多くの犠牲者が出ている。先日イラク駐留アメリカ軍のスポークスマンであるキミット准将が会見中に倒れる(風邪だったらしいが)という一幕があったそうだが、そりゃ心労にもなるだろう。4月中で100人を超える米兵の死者が出たことについて聞かれた米軍のサンチェス司令官は「こちらは武装勢力の1000人を殺した」と威張って見せたそうだが…これもまた薄ら寒くなるコメントではある。
 自爆テロはイラクの隣でアメリカと強い連携を見せているサウジアラビアの首都リヤドでも起こった。あのオサマ=ビンラディン だってもともとはサウジの出身だし、サウジ王族が石油利権をほとんど独占して政府がアメリカ寄りの政策をとっていることに対する不満がサウジ国内の貧民層を中心にくすぶってるとの話もあり、イラクの混沌がサウジに飛び火するようなことになったら、まさにイラン革命の二の舞、アメリカにとっての悪夢が現実化する可能性だってある。そういやビンラディンさん、また大騒ぎの掃討作戦のすえ見つからないままなんだが、どこでどうしているのだろう…

 自分達が主導するイラク統治がうまくいってないことはさすがのアメリカにだって分かる。イギリスの説得もあったのだろうが、ブッシュ政権は開戦前には自分の言うとおりにならないからとさんざ批判していた国連を抱き込んで、国連主導によるイラク主権移譲の方向にあっさりと転換した。もちろん国連にしてもイラクをこのまま放っておけないのは確かなのでその申し出じたいは歓迎しているが、治安が現在の情勢のままではとても活動は出来ないし、そもそもブッシュ政権もイラク国内の反米感情を抑えるための「隠れ蓑」程度に国連を利用しようとしているフシもあり、今後どうなるか分かったものではない。
 米英ではなく「国連主導」ということならイラクへの軍隊派遣に賛成する、という国は結構ある。スペインのサパテロ新政権もその姿勢を見せていたのだが、急遽今月中の撤退に前倒しで踏み切った理由として「アメリカの高官(どうやらラムズフェルド国防長官らしい)との接触で6月末までの国連主導の主権移譲は困難と判断した」ことを挙げている。それはブッシュ政権が「国連主導」をブチ上げた時期とほぼ重なるようだから、やっぱりブッシュ政権の本音はそこにあるのだろう。
 「国連主導」の話と一緒に出てきたのが治安維持のために「旧バース党員」の公務員採用を検討し始めたというニュースだ。これってあれですね、日本占領の際に「戦争協力者」として公職追放されていた人たちを追放解除・復帰させたのとおんなじですな。やっぱり日本占領統治を参考に進めているのかしらん。
 
 
 その一方で、中東情勢不安定化の発信源であるのがイスラエル。ブラヒミ国連事務総長特別顧問が先日イスラエルの政策を「中東和平の毒」呼ばわりしていて、これをアメリカ高官が「個人的見解を述べるべきではない」と批判したところ、ブラヒミ氏は「多くの人が思っていることであり、個人的見解ではない」とピシャリと言い放っていたが、実際イスラエルの政策を批判してないのってアメリカだけなんじゃなかろうか。
 先ごろのヤシン師暗殺に続き、彼の後継者として「ハマス」の指導者となったランティシ氏も4月17日に乗っていた乗用車をヘリコプターで空爆されてその息子や側近ともども殺害されてしまった。エジプトのムバラク大統領の言葉を借りればシャロン首相はアメリカが何も言わないのをいいことにやりたい放題」だ。「ハマス」は今後指導者を明確にせず地下活動による報復活動に乗り出すとの事だが、当然イスラエル側はこれを徹底的に掃討すると表明している。
 さらにシャロン首相は23日になって去る14日のブッシュ大統領との会談においてアラファト議長の殺害や追放をしないとした2001年の約束を撤回した」ことを表明した。これまでも何度か繰り返されたアラファト攻撃の脅しなんだろうけど、今のアラファト議長がそんなに影響力があるとシャロンさん、本気で思ってるんだろうか。殺害なんかした日にゃ火に油を注ぐだけとしか思えないが…やりかねないだけにかなり怖い。

 その14日の会談でブッシュ政権は、1967年の中東戦争時にイスラエルが占領したヨルダン川西岸のイスラエル人入植地を事実上認め、なおかつパレスチナ難民のイスラエル領内への帰還を認めないとの意向を表明した。このヨルダン川西岸入植地の問題は一貫してイスラエル寄りであった歴代のアメリカ政権ですら「和平の障害」としてイスラエルの撤退を主張してきたものなのだが、今回ブッシュ政権はずいぶん露骨なイスラエル寄りの姿勢を見せちゃったわけだ。「そういう細かいことでグダグダやってるといつまでも解決しないんだから、しょうがないだろ」的なところもあるのだろうが、どうも大統領選挙が近い事も背景にあるような。ブッシュ父大統領の敗選には国内のユダヤ系票が足りなかったからとの分析が政権内にはあるらしく、「選挙のために政治をしている」気配が濃いブッシュ政権ならではのものを感じる。
 このヨルダン川西岸でイスラエル側の主張を認める代わりにガザ地区からのイスラエルの完全撤退を認めさせる、という取引であるわけだが、この調子じゃどうなるかわかったものではない。ブッシュ大統領はガザ地区からの撤退を認めたシャロン首相の決定を「歴史的で勇気ある行動」と称え、「世界全体が『ありがとう、アリエル(シャロン首相のファーストネーム)と言うべきだと思う」などと発言した。ブッシュ大統領、久々の「妄言」である…ああ、笑う気も起きやしない。
 今年最大の課題は「ブッシュ再選阻止」だと僕は自覚しているのだが、困ったことにこの「世界の暴君」を選べるのはアメリカ国民のみである。さらに困ったことにこれだけグチャグチャした事態が起きたにも関わらず最新世論調査では一時下がっていたブッシュ支持率が上昇、すぐに選挙があれば勝利するとの結果が出てしまった(あちらのマスコミも首を傾げていて、大量の資金を投入したCM効果か?とも言われているが、実際のところよくわからない)。大統領選挙は終わってみるまでは分からないが(前回は終わってみても分からなかったりしたが)、頼むからブッシュさんには落選してほしい。もう4年間でイヤというほどネタを「史点」に提供してくれたから、もう休んでくださいと。

 ところで去る21日、イスラエルで一人の男性が刑期を終えて刑務所から釈放された。しかしイスラエル政府は今後この男性に対し一年間の出国禁止、電話やインターネットによる外国人との接触の制限、国内すら無許可の移動を禁止するという、実質的な軟禁(実際一時自宅軟禁を検討したそうな)を行うとのこと。欧米的人権感覚からいえば明らかに人権侵害だが、イスラエル政府がここまでやっちゃうのにはわけがある。
 この男性の名前はモルデハイ=バヌヌ氏(49)。彼はイスラエルの原子力研究センターの技術者で、1986年にイギリスの新聞に「同センターは実は原爆の秘密工場」と盗み撮りした設計図や写真を示して暴露、すでにイスラエルが100発以上の核爆弾を所有していると報じられた。間もなくバヌヌ氏はローマのホテルに知り合ったばかりの女性を訪ねていったところをイスラエル諜報機関「モサド」によって拉致され(ホントにスパイ映画みたいなことやってますな)、裁判で「国家反逆罪」「スパイ罪」で有罪とされ18年の懲役を科せられた。出所後は反核運動をするのが本人の希望だそうだが、核兵器の保有については肯定も否定もしてないイスラエル政府にとっては厄介な存在。とにかく徹底的にマークするつもりらしい。
 「大量破壊兵器」があるとかないとかで戦争が起こされた今度の戦争のほぼ唯一の良い影響は、リビアが核開発を認めてその放棄を表明したこと、またイランが核査察に前向きになったことがある。その代わり核兵器所有が確実視されているイスラエルが何もしない、アメリカ様も全くこれにはおとがめなし、という矛盾がいっそう浮き彫りになりアラブ社会を中心に批判が強まっている。そんな中でのバヌヌ氏の出所だからイスラエルも神経質になるわけだ。



◆気分直しに小ネタ特集

 いやーな話題が続くと気が重くなるので、気分転換に小ネタをいくつか。


◆9500年前のネコの墓!

 地中海に浮かぶ島キプロス(この島も統一だ南北分断だとまた騒がしいのだが、ここではカット)でフランスの発掘チームが9500年前のネコの墓を発見、「家畜史」を変える大発見と言われている。
 このチームが調査していた遺跡には30歳代の高貴な階級に属したと思われる人物の墓があり、石器などと一緒にその人骨が葬られていた。その人骨から40センチほど離れたところに「リビアヤマネコ」と思われる推定年齢8ヶ月のネコの骨が埋まっていたのだ。この状況からすると生前にこの人物が飼っていたネコを一緒に葬った可能性が考えられるが、とりあえず骨には暴力を受けた跡は無く、周囲の泥は丁寧に埋葬されていた痕跡を示していたという。またキプロスには野生のネコ科動物は本来生息しておらず、外部から持ち込まれた可能性が高い。発掘チームは「飼いならしていたとは断言できない」としながらも「当時すでに人とネコが特別な関係にあった」とコメントしている。
 通説として人間が最初に飼いならし家畜化した動物は「犬」であったと言われている。もともとリーダーに付き従う習性を持ち狩りにも有用な犬は早くから人間との関係を持ち、どうも数万年前からのつきあいであるらしい。一方のネコはといえばもともと自立自尊傾向の強い動物だから人間と関わるのは遅かったと考えられ、農業が始まってからネズミ対策のために飼われるようになったと言われている。エジプトなどでは神様扱いされるまでになっているが、これまではだいたい4000年前ぐらいからペット化したのではと言われていたようだ。
 それがいきなり5000年以上もの「記録更新」。しかもこの墓の状況からすると、わざわざ遠くから商品として運ばれてくるような愛玩用動物としてすでに扱われていた可能性を感じさせる。最近日本でもペットブームの流れで「犬猫霊園」が目立ってきたが、これも案外歴史が古かったようである。


◆第二のロゼッタ・ストーン発見!?

 また古代史発掘ネタ。エジプトはナイル川下流のデルタ地帯にある古代都市の神殿跡でドイツ・エジプトの考古学チームが「古代ギリシャ文字と古代エジプト文字の両方が書かれた石」を発見したことが報じられた。かのナポレオンによるエジプト遠征の際に発見され、同様に三種類の文字が書かれていたためにエジプトの象形文字解読のきっかけになったことで有名な「ロゼッタ・ストーン」 の再来かと話題を読んでいる。なお、この「ロゼッタ・ストーン」はその後の紆余曲折でイギリスの手に落ち、現在も大英博物館最大の目玉商品として飾られている。僕も一昨年の訪英の際に直接見てきて、ついでにロゼッタ・ストーンを模したマウスパッドを買ってきて今も愛用している(笑)。これ、昨年上野で開催された大英博物館展でも売ってましたね。
 話を戻すと、この石は高さ99センチ、幅84センチ、奥行き65センチ。書かれている内容はもう解読できちゃうのでただちに判明した。紀元前238年にプトレマイオス3世(在位前246―221年)の勅令で、シリアやキプロス(おお、上のネタとつながりますな)から穀物を輸入して民衆を飢餓から救おう、との内容が書かれていたとのこと。真面目な内容でよかったですね(笑)。


◆韓国で日本式横穴墓群発見!

 またまた古代史発掘ネタ。韓国の忠清文化財研究院が23日に発表したところによると、忠清南道公州の丹芝里遺跡から日本特有の様式とされる5世紀ごろの15基の横穴墓群が発見されたとのこと。日本ではこの形式の横穴墓は5世紀から8世紀にかけて特に九州で多く作られたものだそうだが、韓国内でこれだけの数が発見されるのは初めてのこと。
 この公州という土地は百済第25代の王・武寧王(在位501−523)の都が置かれたところだそうで、この武寧王というのが日本生まれであることが『日本書紀』の雄略紀に書かれていることが韓国メディアでも伝えられ、改めて彼、そして当時の百済と日本との関係の深さを認識しているようだ。この武寧王といえば、桓武天皇の生母がこの人の子孫と伝えられており、以前天皇がこれに言及する「ゆかり発言」をおこなったことでも知られている。


◆あのお方の名誉市民権剥奪!

 あのお方、とはかのソ連の独裁者スターリン。つい先日「暗殺者のメロディ」というトロツキー暗殺を描いた映画を見たが、その執念深さには改めて恐れ入ったものだ。
 そして「名誉市民」ってどこのかと言えば東欧の国ハンガリーの首都ブダペスト。このたびブダペスト市議会は「スターリンは欧州やハンガリーなど人類に対する重大な犯罪を犯した」として、第二次大戦終結直後に当時のハンガリー共産党がスターリンに与えた「ブダペスト名誉市民権」を剥奪する事に決したそうだ。これまでのハンガリーとソ連の歴史を考えると、東欧民主化とソ連崩壊を経てまだ剥奪してなかったのか、と逆に驚いたりもしたが。
 まぁどうやら来る5月1日にハンガリーがEUに加盟するのを機に、ってことらしいんですけどね。どっかの国の年金未払いばなしではないが「うっかり忘れてた」のかも。


◆「ロボット戦争」はもう間近!?

 4月12日、アメリカのロボット製作企業「アイロボット(iRobbot)」社が、イラク駐留アメリカ軍の作戦行動中に自社の開発した軍事用ロボット「バックボット」が稼動中に反米勢力の攻撃で破壊された事を公表、「これは我が社の製品の有用性を示すものとして歓迎する」との発表を行った。つまり「敵に壊されるぐらい優秀なのさ」ってことらしい。
 なんでもこの「バックボット」は危険な戦場で偵察活動や爆発物処理にあたるものだそうで、すでにイラクやアフガニスタンで50台から100台が稼動中とのこと。前々から「ロボット兵士」開発の噂もあったりしたが、いよいよ本格的になってきたかも。これと相前後してボーイング社の無人爆撃機開発も伝えられてきたし、アメリカの軍事産業は「自国民は死なない戦争」の実現に突き進みつつあるようだ。湾岸戦争でも言われたことだが、イラク戦争も新兵器開発の実験場という側面が結構あるし、どうもあの国は十年に一回は戦争しないと経済がもたないようにできてるらしい。
 気分直しとか言っておいてついついまたイラク関係のネタを振ってしまったが、僕が一番頭に来るのがこのロボット会社の名前だ。「アイロボット」とは明らかに、アイザック=アシモフのSF名作「われはロボット(“I,Robbot”)」からとったものとしか思えない(なお、近々これのタイトルだけ拝借したまったく別物の映画が公開されるらしい) 。僕はこのアシモフの大ファンで更新はろくすっぽしないながらもファンサイトまで経営していたりするのだが、彼の名作のタイトルがこんな企業の名前に使われているとは考えただけでもゾッとする。アシモフが生きていれば彼の主義から言ってロボットの戦争利用をかなり痛烈に批判したのではなかろうか(アシモフはSDI計画についても計画自体が絵空事として科学者の立場から痛烈に批判していた)
 アシモフがこの「われはロボット」で提示した「ロボット三原則」はSF界のお約束としてあまりにも有名だが、その第一条は「ロボットは人間に危害を加えてはならない。またそのまた危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない」である。「バックボット」はまだこの規定を守っているとは言えるが、真面目な話これからのロボットにはこの制約をキッチリ埋め込んでおいてもらいたいものだ。


2004/4/26の記事

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