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2004年5月4日

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◆「反日的分母」

 ちょうど十日ほど前のことになるのだが、朝日新聞に載った誰かのコラムで「参院総務委員会のNHK予算審議の議事録が面白い」とその内容が簡単に紹介されていた。僕も面白がって見に行ったのだが…これがのちのち面白い話につながる。

 当然ご存知の方も多いだろうが、NHK=日本放送協会はその収入を受信料によって得て、その予算は国会の承認を得る必要がある。放送関係は総務省の管轄だから総務委員会でこれの審議が行われるわけ。NHKの予算案について揉めたという話も聞いてないので、おおむねそのまんま通過するんだろう。ただしそこは国会議員のこと、ネチネチとしたイヤミを言うなどの「圧力」はあるもののようだ。
 さてその面白い議事録というのは去る3月30日に開かれた「第159回国会参議院総務委員会」のもの。ネット時代のありがたさ、こうした議事録は全部ネット上で読むことができる。全文を読みたい方は参議院のサイトから探し出して欲しい。で、面白い部分として紹介されていたのは、以下のくだりだ。長いんだけど全部読んだほうが面白いのでそのまま引用する。もちろん太字部分は筆者によるもの。

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 松岡滿壽男(筆者注:山口県光市長→日本新党→新進党→無所属→民主党と渡り歩き衆院議員だった時期もある。なお、名前から察せられるように満州生まれである)
「(前略)せんだって、ある民放を見ておりましたら、モーツァルトとかリンカーン、それから森鴎外 、それから、要するに子供に教えてはいけないかどうかという偉人伝ですね、やっぱりそういうリンカーンとかモーツァルトとか、優れた事績をした人たちに二面性というものはやっぱりあると思うんですよ。その醜い部分だけを民放が強調しておる。これは視聴率稼ぎということであると私は思うんですけれども、やはり人間のみに自ら制御できるものがあるわけです。こういうものがそのまま、十人ぐらいの子供が出て、子供に聞かせていいか悪いかという、非常にモーツァルト、我々が好きな作曲家ですけれども、非常に汚い言葉を使っていたとか、一休さんが非常に女性が好きだったとか、リンカーンは大変な恐妻家であったとか、そういう部分を面白おかしくやっているんですね。これは、やはり非常に私は問題があるというふうに思っております
 それと同時に、先ほど、海老沢会長のお答えでございますけれども、日曜日の八時からの大河ドラマの新撰組ですよ。それで、非常にNHKらしくない荒唐無稽な、史実にないんじゃないかというものが出てくるんですね。例えばペリーの黒船が百五十年前に浦賀沖に現れた、その現場に坂本龍馬桂小五郎近藤勇 などいて、仲良くしゃべり合っていると。桂小五郎が近藤勇の仕官の世話をする、あるいは坂本龍馬が土佐勤王党の加盟血判状を近藤勇に渡すなど、これ、もう全くあり得ない話だと私は思うんです。こうなってくると、ドラマというよりもバラエティーになってきているというふうに私は考えるわけですが。
 私は山口県の出身なもんですから、新撰組には、随分、長州の先輩たちが血祭りに上げられておるわけでありまして、多くの犠牲者を我々は池田屋の襲撃事件、その他あるわけです。それで、新撰組によって暗殺された側から見ると、彼らは幕府に雇われたテロリスト集団という見方でありまして、幕府に忠勤を励むことによって、あわよくば幕府に再就職をしようという浪人集団でもあったと思うんですね。

○参考人(関根昭義君)(筆者注;日本放送協会専務理事)
「これは新撰組に限りません。歴史ドラマを私どもが作っていく上で、例えば歴史的な事実を踏まえながら現実味を失わないというんですか、そういった範囲内で、脚本家、作家の想像力といったものもある程度加えながら物語を展開しているということであります。率直に申し上げまして、歴史的な事実だけを並べて果たして面白いドラマができるかどうかという感じはいたします。
 この新撰組に関しましては、私ども、この幕末の時代とか新撰組を研究されている専門家の方々、三人にお願いしまして、この時代の時代考証、そういったものも、いろんなことをお伺いしながら作っているということであります。そういう意味で、ある程度脚本家の想像力といったものを交えて、余り現実味を失わない範囲内でドラマを作っているということであります。
 それと、新撰組の暗殺者集団云々という御質問がありましたけれども、歴史上の出来事とか人物、そういったものについて、例えば視点をちょっと変えて描いていくということになりますと、何か異なった歴史観とかいろんな人物像なんかが浮かんでくるんじゃないかというふうに私も考えています。
 今回のこの新撰組の執筆に当たっている三谷幸喜さん、この方が新撰組の局長をやっている近藤勇について、こういった言い方をしています。若さに満ちあふれた、未熟だけれども理想に燃えた人物として描きたいというようなことを言っています。まあこれからは新撰組、京都府に、京に舞台が移りますけれども、新撰組はいろんな時代に翻弄されて、挫折を繰り返しながらも、最後まで未来を信じて生き抜いたこの時代の若者の姿といったものが描かれてくるんじゃないかというふうに思っています。」

○国務大臣(麻生太郎君)(筆者注:ご存知吉田茂の孫にして国民年金払い忘れが発覚した総務大臣。人質事件の際「北海道の建物を野党的な活動に使わせるのか」とイビっていたのが記憶に新しい)
ゲリラとテロリストは基本的には違います。少なくともあの時代は政権は徳川が持っていたんであって、ゲリラの方が薩長ということになる。ただ、終わって、一八六八年、ひっくり返りますんで、勝てば官軍ということになっただけのことであって、あの当時は、テロリスト、じゃなくて、ゲリラはむしろこちら側、こちら側って、私も薩摩側ですから、私の方が具合悪いということに多分、歴史考証としては多分そうなるんだと思っております。
 ただ、新撰組の方は、壬生を含め、あの辺の、まあ東京の田舎なんと言うと怒られるね、今、三多摩、あの辺から一杯人を集めてきてということになりましたんですが、これは、一応雇用者は幕府という時の政権側ですから、これは基本的には幕府がお墨付きを与えた京都所司代の方側に立ったパートタイマー、今風で言えば。多分そういうことになるんだと、なりましょうけれども、一応ちょっとあれが違うと、京都見回り組始め、いろいろちょっと立場は違うんだろうと思いますけれども。
 したがいまして、これは何となく、どちら側に立つかによって歴史はなかなか難しいところだと思いますんで。
 リンカーンの話がさっき出ていましたけれども、リンカーンも、南の方の、アメリカのルイジアナとかミシシッピというか、あの辺へ行けば北の侵略者として描かれたリンカーンしかありませんので、そういった意味では、同じ国の中でも北と南では全然、リンカーンの評価が全然違っておるのと同じように、なかなか今の話は、片っ方側にちょっと偏ってはせぬかという御意見は、薩摩側に立ちます私としては、ちょっと分からぬでもないところなんですけれども。なかなか、これ、時代考証を正確に言うと、ちょっと難しいなというのが、感想を述べろと言われたら。」

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 なるほどねぇ。国会ちゅうのはこんなおしゃべりもしているわけね、といろんな意味で興味深かった。いや別に無駄話しているとは申しません、それなりに有益なおしゃべりだとも思える。歴史ドラマと史実のうんぬんの論争は歴史映像ものコレクターを自称する僕などにはおなじみの問題で、このやりとりはすこぶる面白い。しかしこの松岡議員の発言の前段、「偉人の醜い面を子供に面白おかしく語るのは問題がある」という主張には僕はまるっきり反対ですな。そういう部分があるから歴史はめっぽう面白いわけで。
 それはそれとして、僕がやはり注目したいのは「新撰組」に対する評価の議論だ。さすがは長州人の松岡さんは彼らを「テロリスト集団」呼ばわりする。こういう意見が以前からないわけではないのだが、麻生総務大臣の発言にあるように、その段階にあっては彼らが政権側の人間でありむしろ長州人達のほうが「反政府活動家」だったわけで(少なくとも新撰組の当人達はそう考えていた) 、まさに「勝てば官軍、負ければ賊軍」ってことで歴史評価がされてしまう部分がある。そのこと自体の指摘は妥当と思うんだけど、麻生大臣、ゲリラ・テロリストといった言葉の用法がなんだかグチャグチャしてるし、バランスをとろうとしているのか、論旨がまとまらないまま口に出すためなのか、文章にするとえらくしまりのない話し方ですな。
 まぁとにかく「テロリスト」だの「ゲリラ」だの「反政府活動家」というのが実に曖昧なものなのだ、ということを念頭においていただいた上で、話を続けたい。


 この議事録を読んでいると、上記の新撰組論議の前に、出席議員の中に以下のような発言をしてNHKをチクチクいびっている人が出てくる。

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 「これは、おととしの五月だったと思うんですが、たまたま自宅で、私競馬好きですから、日本ダービーの中継を見ておりましたら、驚きました。レース前のある女性歌手が君が代の斉唱をソプラノでやったんですが、そのとき私は、当然居ずまいを正してテレビの前で見ようと思ったら、君が代の荘重な調べが流れてきて歌が出てきたときに、何とNHKの画面、パドックにいる馬のけつのどアップが出たんですね。これは僕もう飛んでしまいまして、どういうことなのか。制作スタッフが意識してやったんならこれは不届き者と断罪すべきですし、偶然だったら間抜けなばかやろうというわけですね、愚か者というわけです。国歌に対する尊敬の念が全くないというふうに気付きました。これは、一国の代表であるNHKの番組放送で国歌というものが軽んぜられているということにつながるんではないでしょうか。」

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 「アホが見る馬のケツ…」などというフレーズが僕の頭に浮かんだものだが、この議員さん、このあと「朝の君が代、夜の君が代も最近はやってないですね」とNHKにツッコミを入れている。そりゃもちろん最近のNHKがたいがい24時間放送になっているからなのだが…(と、実際にNHK側が答弁している)。それにしても競馬中継を見ていて君が代が流れるってんでTVの前で居住まいを正して待ち受け、馬のケツが映ったってんで「飛んでしまった」という図も想像してみるとまるでコントだ(笑)。
 この議員さん、他にも「NHKアーカイブス」などカタカナ外来語が多用されることにも怒っていて「日本語そのものをNHKから壊さないでもらいたい」と言っている。まぁカタカナ語の氾濫については僕も正直同感なのだが…このお方、「35年間のマイク生活を終えて議員生活に入った」ために美しい日本語を用いる事に細心の注意をはらってきた、と言っている。さぁ、もうこのお方がどなたかおわかりでしょう。元アナウンサーで「お笑い漫画道場」などの司会をつとめた、柏村武昭参議院議員である。平成13年の参議院選挙に広島選挙区から無所属で立候補して当選、その後ちゃっかり自民党に入党している。

 この議員センセイが4月26日の参院決算委員会で例のイラクでの日本人人質事件に触れ、「人質の中には自衛隊イラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。仮にそうなら、そんな反政府、反日的分子のために血税を用いるのは強烈な不快感を持たざるを得ない」と発言してしまった。これを聞いた時には「あー、とうとう口に出した馬鹿がいたか」 と思ったものだ。前回の「史点」でも触れているが、人質達に対する政府与党・官僚らの視線はまさにこういうものだったのだ。それでもおおっぴらにはせず「政府関係者」の情報リークでそういう声を流していくのが彼らの賢いところなのだが、そういう空気の中にいて、このオッチョコチョイはタレント議員的「めだとう精神」を発揮して調子に乗って公の場で口に出してしまったものと思われる(前出の「馬のケツ」発言も多分にその雰囲気がある)
 これと一緒に日本国内の中国人犯罪に関して「中国なんかろくな裁判もないし、刑務所の中にも外にも、人権なんておそらくないんでしょう。日本の刑務所なんて天国みたいなもの」と発言したそうだが、これについては周囲から言われたのか訂正を認めたらしい(この発言内容自体はそう的外れではないと思うんだが)。しかし「反日的分子」発言については報道陣の質問に「日本のやり方に反しているのだから反日的分子。(不適切だと)思う人はいるかもしれない。ぼくの考えだから」と述べて撤回しなかった。この発言を見て僕は与党内にかなり濃厚にこういう空気があることを確信しましたね。なお、そのことを突っつかれた福田康夫官房長官は「そんなことはないと思う。一人ひとり良識を持って政治活動をしているわけで、常識的に物事を考えている」と反論していた。おーい、柏村センセイ、官房長官は貴方が良識も無く非常識だと言ってるみたいですぜ(笑)。おっと、こんなこと書くと僕も「反日的分子」呼ばわりされるんだろうなぁ。しかし拘束されたジャーナリスト・渡辺修孝さんも会見で言い放っていたように「反日の何が悪いのか」と吠えておこう。

 「日本のやり方に反しているから反日」という論法は、完全に日本=政府=自民党という発想が前提となっている。この「反日」という言葉、ちかごろは戦中に使用された「非国民」の現代語訳として、一部右派系マスコミを中心に彼らにとって都合の悪い事を言う日本人に対してしばしば使用されている(似た例としてアメリカの「赤狩り」を推進した「非米(Un-American)活動調査委員会」ってのがある) 。日本人である以上「日本(=政府)」のやることに逆らってはならない、逆らうやつは国民ではない、とするこの発想を完全に体制化しますと、柏村センセイが叩きたいらしい共産党一党独裁の中国とおんなじになっちゃうんですけどね。実際官僚が単に「党」といえば政権党のことを指すというのは日中共通。自民党による事実上の一党独裁の「毒」はここまで回ってきてるんだなぁ、とこのオッチョコチョイのおかげで改めて認識することができた。
 さっき書いていた新撰組の議論も想起したい。「反政府」なんていったって政権がひっくり返っちゃったら価値観も変わっちゃうかもしれないのだ。分数の割り算では「分子」が「分母」に化けることがありますしね(笑)。



◆たまにはこんな中東ニュース

 ちかごろ中東から発信されるニュースは頭の痛いものばかりなんだけど…たまにはイスラエルから現在の戦争などとは離れた歴史ばなしが聞こえてくることもある。

 イスラエル・ヘブライ大学の発掘チームが、イスラエル北部の遺跡でみつかった79万年前のものとみられる石器や穀物類に「火」で焼かれた跡が認められたことを4月30日付のアメリカの科学雑誌「サイエンス」誌上で発表した。これは人間が火を使って調理を行った「焚き火」の痕跡と考えられ、本当にそうならば人類が火を制御して使用した最古の証拠ということになる。
 「人間」の進化の過程で「人間」だけが獲得していった特質がいくつかある。まず直立二本足歩行。やがて石器・骨角器などの「道具」の使用と製作、言語の使用、そして「火の使用」だ。火を自分のために有効活用する動物は皆無ではないらしいのだが、たいていの動物は火を恐れる。人間の場合、なんらかのキッカケでこれを利用することを覚えたようで、いつしか自らそれを制御し、はては自らそれを起こす技術を獲得していった。今なお「戦火」っていうぐらいで人間の特徴の一つと言っていい殺し合いの道具としても利用されているが…ああ、また頭の痛い話に戻っていく(汗)。
 
 人間が「火」の利用を始めたのはいつなのか、当然ながらハッキリとは分からない。当然ながら最初から自分で火を起こしたわけはなく、恐らく自然発火による山火事や野火、落雷による火災などから火種をとって食べ物を柔らかくすることなどに利用しだしたのではないかと想像されている。古代中国の思想家・韓非が書いた『韓非子』に載る太古伝説では燧人氏という指導者が木と木をこすりあわせて火を作る事を教え、人々は貝などの食物を生で食べて体をこわすことがなくなったという話があったりしますけどね。
 これまで火の利用の最古の痕跡と言われていたのは中国は北京近郊の周口店の、いわゆる「北京原人」の遺跡で50万年ほど前の焦げた人骨と灰の層が見つかったケース。焦げた人骨については「人肉食」の可能性も指摘されているが、一方で火事で死亡した可能性もあるし灰の層にしても意図して火を利用したものとは限らないとする疑念の声もあったのだ。

 今度のイスラエルでの発見で「原人」段階の人類が火を制御、利用していた可能性はかなり高まったことになる。もちろんこれら「原人」は数十万年前に全世界に広がったもののやがて絶滅しているから、僕ら現生人類の直接の先祖というわけではないが、そのころアフリカのどっかにいたであろう僕らの先祖も「火」を使っていたということにはなりそう。



◆180年目の「真実」

 キャプテン=クック(1728-1779)といえば18世紀の大探検家(海賊か何かと思っている人もたまにいるようだが)。イギリス人で太平洋各地を探検し、タヒチやニュージーランドやオーストラリア、そしてハワイを調査。長期航海の船乗りの病であった「壊血病」を野菜摂取により回避できることを発見したのも確かこの人だ。
 輝かしい探検歴を持つ彼だが、その最期は悲劇的なものだった。1779年にハワイを訪れた際に住民とトラブルになり殺害されてしまったのである。別にクックが何か悪いことをしたわけではなく住民が彼らを海の向こうから来た「神」と思ってしまい(ちょうどその神の祭りの時期だったことも結果的に災いした) 、一度丁重に扱って海に送り出したら嵐にあったクックたちが修理のために戻ってきてしまったため行き違いが生じ、結局戦闘になってしまいクック自身が殺されてしまうことになった。そして彼の遺体はやはり「神」のものと思われたのか、肉が塩漬けにされるなどある意味「特別扱い」されることになったと言われている。

 さてクックの死後、ハワイはカメハメハ1世(大王)の手により統一され(1810年)、カメハメハ王朝が創始された。その跡を継いだのが息子のカメハメハ2世だが、彼は1824年、クックの妻の親族に「これはクックの骨で作られたものだ」 と金属製の矢頭がついた長さ約15センチの矢を手渡したという。それから時間は流れてハワイ王国カメハメハ王朝もアメリカ白人らのクーデターで事実上滅亡した直後の1894年、この「クックの骨の矢」はクックゆかりの地であるオーストラリアの博物館が購入し長いこと「本物」と信じられてきた。
 ところが先日毎日新聞に載ったオーストラリア発の記事によれば、この「クックの骨の矢」、DNA鑑定にかけてみたところ、なんとクックの骨ではないどころか人骨ですらなく、どうやら動物の角らしい という結果が出ちゃったのである!カメハメハ2世がウソをついていたのか、それともそれ以前にすでに「伝説化」していたためいい加減なものが出回っていたのか、真相は不明だが、とにかく180年以上続いてきた「クック伝説」の一つが崩壊してしまった格好だ。この記事によるとクック愛好団体は鑑定結果を受け入れつつ「それでもハワイに遺骨の一部があるはず」とコメント(そりゃあるだろうけど…)、博物館もこの目玉商品が「偽物」との結果を受けても一般公開していく意向だそうだ。

 そういえば以前「コロンブスの遺灰」の真贋をDNA鑑定しようって話を「史点」ネタにした記憶があるのだが、あれはその後どうなったんだろう…



◆黄金週間小ネタ集

 さて、また小ネタ特集です。


◆「永遠の微笑」もひきつって?

 ルネサンス期の問答無用の巨匠レオナルド=ダ=ヴィンチ。彼の代表作といえばやはり誰もが知ってるといっていい「モナ・リザ」 だろう。1503年から06年までの時期に描かれたものといわれ、その謎めいた微笑に今なお世界中が魅了される絵画史上おそらくもっとも有名な作品だ。フランスにはダ=ヴィンチ自身が持ち込んだとされるがモデルも含めて謎も多く、パリのルーブル美術館に収められてからも1911年に盗難にあい、2年後にフィレンツェで発見されるという大事件にも見舞われている(確かTV版の「シャーロック=ホームズ」で彼をこれの捜査に関与させていた記憶がある)
 この名画も寄る年波には勝てない。ミケランジェロの絵や彫刻も保存作業が叫ばれる時期である、「モナ・リザ」も物理的な破損の危険性が出てきているのだ。なんでもこの絵はポプラ材の板に描かれているそうで、この板自体がしだいに湾曲してきており、ルーブル美術館側も「保存上懸念すべき点がある」として来年以降精密な調査をする予定だそうだ。


◆カダフィ大佐、ヨーロッパへ

 リビアの最高実力者カダフィ大佐といえば、そのむかしはサダム=フセインも目じゃないぐらいの悪役だったんですよね、アメリカでは(むしろその当時はアメリカはフセイン政権と蜜月といってよかった)。1985年の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではテロリストがそのまんま「リビア人」ということになっていたぐらい。このカダフィ大佐、かつては「反欧米」の急先鋒といってよかったが、当時のレーガン 大統領が直接彼の暗殺を図った攻撃を行ったこともあってさすがに静かになっていった。そして先のイラク戦争が起こると大量破壊兵器の開発の事実を認めてその放棄を示し、国際的な査察も受け入れると表明。さらにリビアが過去に関与したテロ事件の遺族への補償に応じ始めるなど、かなり積極的に欧米に協調姿勢を見せるようになった。イラク戦争唯一の良い影響ではないかと言われ、アメリカもちかごろじゃかえってこの人を持ち上げているぐらいだ。
 さて、そのカダフィ大佐が実に15年ぶりにヨーロッパへの旅に出た。向かった先はEU本部のあるブリュッセル。EUのブロディ委員長と会談してEUとリビアの国交正常化に向けて本格的な話し合いに入っていく模様。カダフィ大佐は記者会見で「リビアは世界平和に向け役割を果たす」「リビアは欧州とアフリカを結ぶ橋になる」「ガスや石油開発に欧州や米国の企業が必要だ」と言った熱弁を振るったそうで、かなり隔世の感があったものだ。
 しかしさすが、と思ったのは宿泊先での話。もちろん彼は最高級の扱いを受けベルギーの迎賓館に宿泊したのだが、リビアから遊牧民のテントを持ち込んで迎賓館の中庭に張り、休息と礼拝を本国のとおりにすることにしていたそうだ。その衣装も毎度おなじみの遊牧民の着る茶色のコートでありました。


◆知ったかぶりはするもんじゃない

 まぁ昔から孔子も言っております。「由よ、汝に“知る”を教えんか。これを知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなせ。これ“知る”なり」と。このセリフにもいろいろと解釈はあるのだろうが、僕はだいたいストレートに「知らないことは知らないとせよ」という警句ととってます。知らないことを無理に知っているふりをしていると、ドツボにはまることがあるぞ、と。
 4月末、ちょうど昭和天皇誕生日である「みどりの日」の28日までに、宮内庁は日本テレビと週刊朝日に対し「善処」を申し入れていた。それは両者で紹介していた美智子皇后の和歌の解釈が「曲解である」というものだったのだ。
 問題になった和歌とは「白珠(しらたま)はくさぐさの色秘むる中さやにしたもつ海原(うなばら)のいろ」というもの。この歌について「皇室ジャーナリスト」とも呼ばれることがある渡辺みどりさんが『美智子さま愛と感動の百人一首』の中でとりあげ、この歌の「さやにしたもつ」を「さやに」「したもつ」と切り、“したもつ”は上下で色の違うことだから、として「あの貴い方のお心のうちは、その時々によって変化し、理解するのは複雑で難しいことです」と解釈し、この歌は昭和天皇の皇后(つまりお姑さん)だった香淳皇后 をしのんで詠んだものだ、と断言して著書やコメントで披露していたのだ。この歌を「愛と感動の百人一首」に入れたということは渡辺さん、この歌をそう解釈していたく感動しちゃっていたようなのだ。そしてこれがそのまま週刊朝日と日本テレビのワイドショーで紹介されちゃったわけ。
 これに対し宮内庁は「さやにしたもつ」は「さやにし」「たもつ」と切るもので、「さやにし」は「清らかな」の意であり「真珠は様々な色を見せるけれど、その奥には清らかな海の色が秘められている」 という意味であるとして「解釈の余地は無い」とけっこう厳しい抗議をしたわけだ。あらら、立場なしの渡辺さん。そもそも僕もこの歌をサラッと眺め読みした限りでは渡辺さんの解釈は「深読みのしすぎ」としか思えなかった。要するに渡辺さん的には「皇后はこうあるべし」みたいな一方的な思い入れがあって勝手な解釈をして勝手に感動していた、ってことなのだな。
 先ごろの「旧正田邸取り壊し」の際にもこうした「皇后陛下の想いを勝手に思い込む輩」がいましたっけ。その時にも「皇后陛下」の異例のコメントが出たりしていたが、どうも今度の歌の件でも皇后さん自身が「これは違う!」とハッキリ言ったんじゃないかと推測する(間違ってたら僕もその「輩」の一員であるわけですが)。いえね、風の噂では島津家ご出身の香淳皇后は「平民」出である美智子さんを「粉屋の娘」とイビっていたという「嫁姑戦争」の話もありましてねぇ…。
 今の皇太子妃である雅子さんが決まるまでにも「皇室ジャーナリスト」の面々がそれぞれ勝手なことを言っていて、まるっきり見当ハズレのことを随分やっていた覚えがある。それでいてその全員が一言の弁解もなくそのまんま「皇室ジャーナリスト」であり続けているという怪現象があるんですな。渡辺さんも恐らくこの調子でこのまんま行くんでしょう。


◆「幻の貨車」、ついに公開!?

 つい先日「タモリ倶楽部」で「貨物列車時刻表」(あるんですよ、そういうものが)を片手に貨物駅で貨物列車の行き来を見るという非常にディープな鉄道マニアの世界を扱っていた。僕も一応は鉄道ファンのつもりだけど、貨物列車にまでは手を出してなかったが非常に面白く見てしまったものだ。
 さて貨物車両の中に「マニ30」という、なんだか古代宗教の教祖様みたいな形式のものがあるそうで。この車両、運行スケジュール、目的地、経由路線などはいっさい極秘にされたまさに「幻の貨車」だったんだそうだ(僕は存在自体知らなかったが)。このたびこの貨車がお役御免となって北海道・小樽の交通記念館に展示されることとなり、初めてその「姿」が写真入りで報道に流れたのだ。
 なんでこれが極秘扱いだったかといえば、この車両、実は日銀が作らせた「現金輸送専用車両」だっただめだ。最初にこうした車両が出来たのは1948年。戦後間もなくの大インフレに対応するため現金の大量輸送が必要になった日銀はこの車両の先輩となる「マニ34」を6両製造、その後1978年から79年に改良型の「マニ30」6台が製造され引き継いでいたのだった。約30年が経過した今年6月下旬か7月初めに最後のお勤めをしてから引退、展示となるそうで。
 6月下旬から7月初めと妙に時期に幅があるのは…もちろん「極秘」になっているからです(笑)。大列車強盗をもくろむ方がいないとも限りませんし。


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