ニュースな
2004年5月12日

<<<前回の記事
次回の記事>>>


◆今週の記事


◆東北の黙示録

 一般に「文明」が発生し社会が複雑化すると様々の利害対立が起こるようになり戦争が発生してくる、というプロセスが説明されている。それ自体はおおむね正しいとは思うのだが、この発想から「文明」段階に達していない「未開社会」について戦争は皆無だったと多くの人が思いがちなところがある。これがこうじてくると縄文時代をやたらに平和な時代と理想化したり、インディアンやアイヌといった先住民について白人や日本人による侵略が始まるまでは全く平和に暮らしていたのに…といった言説を振り回す人も出てくる。しかし最近の発掘成果などからは縄文時代や先住民社会においても場合によってはかなりの「戦争状態」が存在した可能性が高くなってきている。むろん程度の差はあるのだけど、何事もむやみに理想化するものではない、ということだ。

 日本史において縄文人・アイヌ人と連想がつながってくる存在として蝦夷(えみし)がいる。古代、東北地方以北に住んで朝廷の支配に抵抗し、中央からは異民族のように見なされていた人々だ。これがアイヌであったのかどうかについては断定はできず、単に朝廷の支配下に入らない人々を中華思想的世界観による「見立て」として「夷」と扱った可能性もあるのだが、ともあれこの「夷」を討つために設けられたポストがあの「征夷大将軍」である。平安のはじめ、桓武天皇の時代に遠征した坂上田村麻呂が名高いが、これと戦った蝦夷の指導者が阿弖流為(アテルイ)。むかし読んだ漫画「日本の歴史」(集英社の旧版。今にして思うと全体的にかなり前時代な内容だった)では「蝦夷」はほとんど野蛮人集団(というよりも山賊のイメージに近い)に描かれ、その親分のアテルイが田村麻呂に「文明化」されちゃうような展開で、アテルイの処刑を知った田村麻呂が「蝦夷に生まれたばかりに…かわいそうなアテルイ!」などと噴飯モノのセリフを吐いていたりしたものだ。
 さてこの田村麻呂による遠征でも蝦夷が完全に朝廷の支配下に入ったわけでもなかった。結局10世紀にもなるとこの遠隔の地の統治に疲れた朝廷は直接統治ではなく「自治区」的な間接統治方針に切り替えていく。この時期は日本そのものが中国マネっ子中央集権体制から脱却していく時期でもあり、「蝦夷」に対する対応も変わっていったということかもしれない。
 その後、東北地方に関する歴史記録はしばらく途絶えてしまう。東北が再び「歴史記録」の光を浴びるのは11世紀半ばの「前九年の役」(1051〜)まで待たなければならない。


 その「前九年の役」まで、東北地方には戦乱はなく、平和な時代が続いたと考えられてきた。しかし先日、それをくつがえす発掘成果が報道された。
 それは青森県八戸市にある平安後期の遺跡・林ノ前遺跡の発掘における成果だ。よくあるパターンで県道工事で遺跡が破壊される前にと4年間かけて行われた発掘なのだが、ここからなんと200点もの鉄の鏃(やじり)と、そして10体分の人骨が出土したのだ。当時鏃は戦いの後で回収するのが普通だった貴重品で(余談ながら『指輪物語』でもエルフのレゴラスが戦闘後に矢をしっかり回収している場面があったりする)、これだけの数が出土するのは異例のことだそうだ。また発見された人骨についても両手両足を縛られた全身骨1体と頭骨だけ3個が見つかった住居跡があったという(これは写真入りで報じられてましたね) 。これらの痕跡から想像されるのは、この集落でかなり激しい戦いがあったということ以外ないだろう。発掘にあたった青森埋蔵文化財調査センターではこの集落は敵対勢力から襲撃を受け、激しい戦闘ののち放棄されたのではないかと見ているという。殺害されたとしか思えない人骨の数が少ないところをみると、住民の多くは襲撃者に連行されたのではなかろうか…とも思える。

 僕は知らなかったのだが近年東北北部から北海道南部にかけての平安時代の「蝦夷」の遺跡について「長期の戦乱があったのではないか」と予測させる発掘成果が続いていたのだそうだ。この林ノ前遺跡も切り立った崖の上に作られた集落なのだが、これと同じ平安中・後期の約150年間についてこの地域では平地集落が見つからず、逆に山の上に築かれたり環濠・土塁をめぐらすといった軍事的防衛を重視した集落跡が次々と発見されていた。こうした集落跡が連想させるのは佐賀県・吉野ヶ里遺跡に代表される弥生時代の環濠集落、『魏志』東夷伝の倭国の記述に出てくる「大乱」を予想させる防衛設計の集落だ。つまりこの平安時代の150年間、「蝦夷」の中にあっても長期の戦乱状態があったことが想像されていたのだ。
 こうした「蝦夷大乱」説に対しては「戦闘の痕跡がない」として否定的な意見もあったそうだが、今回の発見は「大乱」説を決定的に裏付けるものになったと言っていいみたい。



◆刑務所の中

 先日レンタルDVDで「刑務所の中」(原作:花輪和一/監督:崔洋一)という映画を見た。実際に銃刀法違反で刑務所に服役した漫画家が自らの体験をもとにした同名漫画を原作とした映画で、刑務所内の日常をリアルに、ヤマらしいヤマもなく実に淡々と語っていく異色作だった。さすがに刑務所、囚人達は徹底的に監視・管理されまくりの生活なのだが、食事はそれなりに充実しているし仕事も決してきつくはない。管理されまくっているせいか囚人達も行動がなにやら幼児化し、雑居房でのやりとりなどは修学旅行気分そのまんま。主人公はそこでの生活にどこか懐かしさを感じ、安住の気分すら覚えていく。
 これはあくまで比較的軽犯罪の囚人たちの話だからこんなノンキなムードなのだという見方も出来るが、「近代国家」においては刑務所のほうが人権問題にやかましく囚人は人道的に丁重に扱われるという原則がある。もちろんそれでも最近日本でも刑務所内での看守による虐待事件が発覚して問題になったりはしているが…

 さてこの一週間ばかり、世界のマスコミをにぎわしているのがイラクの刑務所内におけるアメリカ軍イギリス軍による「イラク人虐待」問題だ。最初の報道がアメリカの新聞に出てから、次から次へと出るわ出るわ…しかも単に証言などではなく、バッチリと写真(ビデオもあるという) に、しかも大量に撮られた決定的証拠が示され全世界を唖然とさせた。それも「虐待」なんて言葉で言い表せるようなハンパなものではない。公開された限りのものでもイラク人の人格を完全に否定…というよりやってるほうの人格を疑わせるような下品きわまるものばかり。最悪の場合殺害していたケースもいくつか報告されている。「自由と人権の国」を標榜し「自由と人権」のためにフセイン政権を打倒して「刑務所内ではフセイン時代のような拷問・虐待はもうなくなった」と豪語していたアメリカの軍隊がこれである。その軍隊の責任者であるラムズフェルド国防長官は議会での証言で「もっとひどい写真や映像もある」ことを認めている。そこまで来るともうメディアには流されないくらいひどいものがあるのだろう。しかもこのように拘束を受け虐待をされた人の大半(9割との説もある)が軍事的なこととは全く無関係の市民であると言われ、どうも手当たり次第つかまえていた可能性も高い。
 イギリス軍に関しても虐待写真や証言が報道され、当初イギリス政府は「捏造の可能性がある」などとしてこれをもみ消そうとしていたが(この時点でイギリス軍のスポークスマンとして出てきたのがマイケル=ジャクソンなる参謀総長だったのには「虐待」ネタつながりで思わず笑っちゃった)、結局ブレア首相自らこれを事実と認めて謝罪するハメに陥っている。

 そもそも開戦の口実からして「大量破壊兵器」がどうのこうのというイチャモンから始まっているが、結局これは「なかった」ことになっちゃったらしく、この件について口にする人すら少なくなってしまった。他の「大義名分」としては「テロとの戦い」なんてのもあったりしたが、そもそもフセイン政権とテロとの関係は当初からまるっきり立証されていない。しいて「大義名分」に挙げられていたのが「フセイン独裁政権による人権侵害」で、特に大量破壊兵器が見つからない状況の中でこれが盛んに叫ばれるようになったが、てめぇも同じ事をやってちゃあ世話はない、というモンである。そもそもその「人権侵害の独裁者」であるフセイン大統領と湾岸戦争以前にニッコリと握手している写真があったりするんだよな、ラムズフェルドさんは。

 こういう戦争である。そりゃ兵士の心理も歪んでくるだろう。この「虐待」についてブッシュ政権は兵士個人の問題として片付けようと図ったが、そこは個人の自己主張の強いアメリカ、訴えられた兵士達の中から「虐待」は軍上層部(情報関係)からの指示によるもの、アメリカ軍内部の組織的な犯行であることが暴露されてしまっている。公開された写真の「虐待」は正確には「拷問」というべきもののようで、あれこれと情報を聞き出すためのテクニックとして相手の人格を徹底的に否定する心理作戦をやっていた、ということらしいのだが…ただそれでもあの写真に写った「虐待」をする兵士達の表情からは「命令に従っていやいや」といった空気は微塵も感じられないんだよな。命令もあったのだろうけど、やってる当人達も被征服者をいじめる征服者気分を楽しんでいたとしか思えない(ありゃあ「記念撮影」だよなぁ、どう見ても)。そしてそこには恐らく宗教の違い、民族・人種の違いから来る差別意識、「お前らと俺達は同等じゃないんだ」という心理があったのだと思う。

 さすがにこうした「虐待」についてはアメリカのメディアも大きく取り上げ(気のせいならいいのだが、日本のマスコミは妙に反応が遅かった気がする)、民主党や陸軍の中からも責任者であるラムズフェルド国防長官の辞任を求める声が上がった。しかし本人は責任については認めつつも辞任表明はせず。ブッシュ大統領もこの長官を「テロとの戦争で素晴らしい仕事をしている」と最大限に持ち上げて辞任を否定し、この戦争で自身が経営に関わるハリバートン社が大儲け状態のチェイニー副大統領も「彼は史上最高の国防長官。(この事件に関しては)終わりにして仕事に専念してもらおう」 などと言ったそうで。どうもこの政権内では「メディアが騒いだのが悪い」といわんばかりの空気が流れているようで、このあたりアメリカのメディアには頑張ってもらいたいところなんだが…一応この報道のあとブッシュ大統領の支持率、イラク戦争に対する支持率はこれまでで最低を記録していたが、それでも40%以上は支持しているってのがなぁ…。
 


◆新・仁義なき戦い/謀殺

 まぁついでだからと最近の邦画のタイトルから続いていただき。こっちはまだ見てないんですけどね(笑)。

 イラクもパレスチナ並みの泥沼化の様相を呈しつつあるが、それ以前からロシアとの間で泥沼状態になっているのがチェチェン共和国だ。ソ連崩壊の過程で石油利権もからんでロシアからの独立を図り、これをロシア側が断固阻止しようと軍事侵攻、チェチェンのイスラム系武装勢力はゲリラで抗戦、逆にロシアの首都モスクワで大規模なテロ事件も起こしている。ひところは欧米諸国はロシアの姿勢に批判的だったが、「9.11」以降風向きが変わり、ロシアの強硬姿勢は「テロとの戦い」ということで正当化される形となっていった。先ごろほとんど世界の注目も集めないうちに大統領選挙であっさり二期目の選出を受けたプーチン大統領にとってこのチェチェン問題は断固たる姿勢を示すことで自らへの国民の支持につなげられる材料であると同時に、まかり間違えば政権にとって最大のガンになりかねない要素でもある。

 つい先日、プーチン大統領二度目の就任式が盛大に執り行われていたが、それから間もなくの5月9日、ロシア連邦全土は第二次大戦での対ドイツ戦戦勝記念日を祝う式典が行われていた。チェチェン共和国の首都グロズヌイでも式典と軍事パレードが行われることになっていて、会場となるスタジアムにはカディロフ大統領やロシア軍司令官など要人が多数集まっていた。
 そして式典の最中に貴賓席付近のコンクリート内にあらかじめ仕掛けられていた爆弾が爆発、カディロフ大統領以下多数(数名〜数十名と幅がある)が死亡してしまったのである。一国の元首クラスの暗殺事件としては「史点」史上ネパールの国王一家皆殺し事件以来になるのではないかと思う。
 
 さてこのカディロフ大統領であるが、お察しのとおりロシア寄りの、「傀儡」と呼ばれても仕方ない大統領ではある。だがその人生はなかなかに波乱に富んでいる。チェチェン人には違いないのだが両親がスターリン時代にカザフスタンに強制移住させられていたためカザフ国内で生まれている(チェチェン人の多くが戦後に対ドイツ協力の疑いをかけられ強制移住させられたとかで、「5月9日」にはかなり複雑な信条があるとかで) 。その後ウズベキスタンの神学校で学んでイスラム聖職者の道へ進んだ。ヨルダンのイスラム大学に留学中にソ連が崩壊し、帰国してチェチェンにおけるムフティ(宗教指導者)となり、第1次チェチェン戦争(1994〜96)に参加しロシアと戦っている。しかしその後チェチェン武装勢力内で路線対立があり、彼はむしろロシアと妥協・共存する道を選んで2000年にチェチェンの臨時政府行政官、2003年の大統領選で大統領に選出された。しかし彼が大統領たりえたのは半年ばかりでしかなかった。

 この暗殺後間もなく半信半疑ながら注目を引く話がいくつか流れている(いずれも読売新聞記事より)。まずカディロフ暗殺の「犯人」と真っ先に疑われた反ロシア武装勢力の最高指導者であり、チェチェン前大統領でもあるアスラン=マスハドフ氏は、暗殺への関与は否定し、「これはロシアの特務機関が、役に立たなくなった傀儡政権を始末するために仕組んだ自作自演だ」と主張しているという。
 またチェチェンの元武装勢力メンバーで現在は「有力政治家」だという匿名人物がカタールのネットメディアで証言、これをロシアのラジオ番組が流し、それを報じた読売新聞記事を僕が読んで知ったという長い伝言ゲームを経ているので正確は期せないのだが、その人物は「カディロフ大統領はKGBのスパイだった」と爆弾証言をしたというのだ。彼によればカディロフ氏はブレジネフ時代にKGBに雇われて「アダム」という暗号名で活動していたといい、この人物はカディロフ氏を「偽ムフティだ」と酷評しているそうで。
 
 この話のなかで「カタール」の名が出てきたが、実は今回の暗殺事件につながったと思われる暗殺事件が、先ごろカタールで起きていたことにお気づきの方がいただろうか。
 2月13日、カタールの首都ドーハで元チェチェン共和国大統領代行・ヤンダルビエフ氏がモスクでの礼拝を終えて車に乗り、300mほど走ったところで車が爆発、ヤンダルビエフ氏とボディーガード二人が死亡した。ヤンダルビエフ氏とは第1次チェチェン戦争の際に当時のドゥダーエフ 大統領がロシア軍によって殺害された後その後継代行をつとめた人物。その後武装勢力内での内紛からカタールに亡命し、ここで武装勢力と連絡をとり支援を送っていたといわれる。あのモスクワの劇場占拠事件にも関与しているとしてロシア政府がカタール政府に引渡しを要求してもいた。
 どう考えてもこりゃロシアの刺客がやったんだろう…と思っていたら、やっぱりで、間もなくカタール当局はロシアの情報機関員3人を逮捕したことを明らかにした。ロシア政府は情報機関員の逮捕を事実として認めたが暗殺への関与は「事実無根」と否定し3人の身柄の引渡しをカタール政府に要求している(その後続報は聞いてない)。情報機関員、ってことはKGBの後身・連邦保安局(FSB)の連中なのか。思えばプーチン大統領ご本人がそこの出身だもんなぁ。
 この時期に「暗殺」を実行したのは直前にモスクワの地下鉄テロがありその報復のためだと思われる。そして今度のカディロフ暗殺はそのまた報復というわけで。なんだか「仁義なき戦い」ってよりも「ゴッドファーザー」の世界になってきたような。



◆政界の中心で辞意を叫ぶ

 またパクリタイトルかい、などと突っ込んではいけない。そもそも今売れまくっている例の小説のタイトル自体が完璧なパクリであることは明白。どうせ出版社サイドの安易な思いつきなのだろうが(結果的に成功だったとは言えるが)、パクリの元ネタがどちらなのかだけが気になる。ハーラン=エリスンのSF小説『世界の中心で愛をさけんだけもの』からなのか、それを引用した形の『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回タイトル「世界の中心でアイを叫んだけもの」からとったのか(なおエヴァンゲリオンに出てくる「人類補完計画」ってのも元ネタのSFがある)。僕は後者の方ではないかとひそかに思っているんだが。

 それにしても一本のCMからこんな政界激動が起こってしまうんだから、日本もまだまだ平和だよなぁ(笑)。そう、思い返せば発端は社会保険庁が作った一本のCMだった。江角マキコさんが「国民年金は払っていれば必ず受け取れる!」と若者達に見得を切るアレ。放映当初も「何を根拠にそんな断言を」とからかわれていたものだが、その後当の江角さんが国民年金未払いだったことが発覚、一時は彼女の国会喚問すら主張される(とくに民主党により)事態になってしまった。
 それから話は閣僚の国民年金未払い問題に飛び火した。最初に発覚したのが三人だったもんだから、「未納三兄弟」とネーミングして(そういえば叶姉妹、最近見かけませんね)大いにはしゃいだのが民主党の菅直人代表。この時点で僕などは「あーあー、そういう風に調子に乗ってると猛反撃くらうぞー、絶対民主党議員にも未納組いるから」 とツッコミを入れていたものだが、さすがに菅さん自身が未納だったとは予想しなかった(笑)。自分で調べてから言えよなと思ったものだが、その後も与野党ともに未納者を批判していた人に未納が発覚するというケースが続出したので、確認が難しいものなのだろう。いずれも国会議員になるとか大臣になるとかいった身分変更の際に未納になってしまうケースだから、まぁ手続きそのものに問題があるとは言えるだろう。正直言って僕自身はあんまり怒る気はしなくなったが、国民感情的にはこういう分かりやすいネタは飛びつきやすいしねぇ。

 閣僚の中にも続々と未納者が発覚したが、その中で意外にササッと辞めてしまったのが福田康夫官房長官。この人が官房長官になったのは2000年10月、当時は森喜朗首相のころで前任者の中川忠直氏の女性スキャンダルも絡んだ辞任を受けてのものだった。その後首相が森さんから小泉純一郎 さんへと変わっても福田さんは官房長官職を続け、気がついたら先月7日に歴代官房長官の在職最長記録を打ち立ててしまっていた。内閣のスポークスマンだから地味ながらしょっちゅう顔を出し、「史点」でもこまめに登場していて、前回もこの人のコメントを引用していたものだ。それにしても週刊誌報道でボロが出たこともキッカケではあったのだろうけど、妙な手際のよさ(実際、本人が会見で辞任を口にするまで記者たちも全く予測しなかったみたいだ)には僕のような深読み人間はかえって「裏」を感じさせてしまうのですがね。もっと大物がいて、それを隠すために取引があったのかも…とかね。

 望んではいなかったろうが、結果的にこの福田さんと「刺し違え」の形になってしまったのが民主党の菅直人代表。当初「辞任はしない」と突っぱねていたが、党内の声に押される形で結局辞任。もっとも党内的には年金未納問題よりも年金法案で与党と妥協しちゃったのがまずかったみたいだけど。参院選も近いし、もともと自民党はぐれ組みたいな党員は菅代表を面白く思ってなかったし、で「これでは参院選に勝てん」とこの機に一気に「菅下ろし」に走ったということだろう。思い起こせば2002年年末の「鳩山由紀夫代表おろし」もこんな感じだったな。
 しかし菅さんがいざ辞めてみるとあとの代表のなり手がいない。少なくとも現時点でまだ決定していない。大騒ぎして下ろしておいて、そのあとのことを考えてなかったみたいなんだよな。この状況じゃ「参院選敗戦までの暫定代表」という貧乏くじをひかされかねないとみんな譲り合いをしちゃってるところが可笑しい。小沢一郎さんが有力候補の一人だけど、この人がトップを務めた党はどんどん分裂して小さくなるというジンクスがあるしねぇ…

 先ほど聞こえてきたニュースでは、与党・公明党も党内調査をしたところ、神崎武法代表、冬柴鉄三幹事長、北側一雄政調会長の「党三役」が国民年金未納時期があることが発覚したという。で、「譴責(けんせき)」と「戒告」処分で済ますそうだが…えーと、譴責と戒告、ってこの場合どう違うんでしょ?「こらっ」と怒るのと「めっ」と怒るのの違いぐらいしか感じないんだけど。


2004/5/12の記事

<<<前回の記事
次回の記事>>>

「ニュースな史点」リストへ