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2020年10月13日

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※またまた各種事情で更新が滞り、二か月以上ぶりの「史点」になってしまいました。よって少々古いネタも交じってます。

◆今週の記事
◆アラブの大義も大概に

 前にも書いた小ネタだが、アニメ「ルパン三世」の第2シリーズのなかで、ルパン三世を追う銭形警部がイスラエルの空港でエジプト行き直行便に乗ろうとするが空港職員から「ここはイスラエルの空港ですよ。アラブへの便があるわけないでしょ」と言われ、さらにゴネたら「日本の赤軍だ!」「またか!」と警備員たちにおさえつけられてしまう、という場面がある。放送当時の1970年代では説明不要だったのだが、現在では何が何やら分からない人が多いだろう。
 第二次世界大戦後、パレスチナの地にユダヤ人国家イスラエルが建国されると、もともとその地にいたパレスチナ人をふくむアラブ民族は猛反発、イスラエルと周辺アラブ諸国は文字通りの不倶戴天の関係となって、四度にわたる「中東戦争」を繰り返した。したがって両者に国交などなく、しかも当時のエジプトはアラブ諸国の盟主的存在だったから、直行便などあるはずもない。さらに当時の冷戦構造でイスラエルのバックにはアメリカ、アラブ諸国のバックにはソ連がつくという構図になっていて、日本の極左グループ「日本赤軍」はアラブ側についてイスラエルの空港で銃乱射テロを起こしたりしていた。「ルパン三世」のこの場面はそういう背景をふまえたものだっが、この回が放送された1977円11月14日の5日後、エジプトのサダト大統領がエルサレムを訪問して和平へ向けての動きが加速し、翌年のキャンプ・デービッド合意でイスラエルとエジプトは互いを承認して国交を結び共存の道へ踏み出すこととなる。そのためにサダトは暗殺されてしまうんだけどね。

 その後、やはりアラブ国家でイスラエルの隣国のヨルダンもイスラエルと国交を結んだが、それ以外のアラブ諸国はイスラエルと国交を持たぬままだった。それが今年8月になって、名前が示すとおりのアラブ国家、アラブ首長国連邦(UAE)がイスラエルと国交を結ぶと発表、さらに9月には同じくアラブ国家でペルシャ湾に面するバーレーンもイスラエルとの国交樹立を表明、9月中にそろって調印式を行うことになった。
 
 今回のUAEとバーレーンのイスラエルとの国交樹立は「アブラハム合意」と命名されている。アブラハムとは旧約聖書に出てくる人物で、神の言葉を聞いて一族を率いてメソポタミアからパレスチナへと移住し、のちのイスラエル、ユダヤ人の祖となったとされる。神から「息子のイサクを生贄に捧げよ」と命じられ、それに従った(あくまで試したのであって寸前で中止になるけど)という逸話でも有名。アブラハムはユダヤ教の祖であり、そこから派生したキリスト教、イスラム教の祖ともされていて、これら一神教をまとめて「アブラハムの宗教」と呼ぶこともある。英語圏の7「エイブラハム」、イスラム圏の「イブラヒーム」といったポピュラー名前の由来でもある。

 今回の合意に「アブラハム」の名が冠せられたのは、ユダヤ教のイスラエルとイスラム教のアラブとが、「もとをたどれば同じ宗教」の隣人、あるいは親戚同士の関係を確認しあって、これまでの対立は水に流しましょう、という意味づけがある。ユダヤ教徒イスラム教だけでなく、基本的にキリスト教国家のアメリカが仲介に入っていることもその意味づけには含まれている。アメリカのトランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都と公認するなどイスラエル寄りの姿勢が目立ってアラブ諸国から批判をされてもきたが、この合意で外交面でのポイントを稼いだ形だ。

 もっとも、「アブラハムの宗教」であるイスラム教国内ではこの合意への批判も多い。イスラエルにやりたい放題にされてるパレスチナは当然この合意を「裏切り」と批判しているし、イスラエルと対立するトルコ、イスラエルとは明確に敵対しているイランもこの合意に猛烈に反発している。この合意、実のところトランプ政権の親イスラエル&イラン包囲網政策の一環でもあり、アラブ国家の中にはイスラエルよりも、同じイスラム国家ながら敵対するシーア派であるイランの方が怖いと考える向きが少なくないという事情もある。
 こういうところ、同じイスラム教の中での近親憎悪のようなものも見て取れる。イランはシーア派であると同時に民族的にもペルシャ人で違うといえばずいぶん違うし、トルコはトルコでスンナ派イスラム教徒多数派の国ながら、かつてアラブを支配下に置いたオスマン帝国の後継国家であり、近頃のエルドアン政権のイスラム化、シリアへの軍事侵攻などに「オスマン帝国復活の意図でもあるのか」とアラブ側から疑念を持たれたりもしている。

 そう考えると、かつてあれだけ対立し、何度も戦争をやっていながらも、アラブ諸国とイスラエルがかかわっていた歴史というのは実はそれほど長くはない。中東戦争も最後のものが終わってからすでに半世紀近くが経ち、国交はなくてもイスラエルとアラブ諸国の経済関係はなんだかんだで強くなってきている。特に欧米の出先国家でもあるイスラエルは技術力はあり、オイルマネーがあるうちに将来への投資を考えるアラブ諸国にとってイスラエルとの取引は魅力的。そんなこんなで、パレスチナ人など一部を除けばイスラエルと友好関係をもつことは現実的な方向ではあるのだろう。

 トランプ大統領はUAEとバーレーンだけでなく、あと五か国ほどイスラエルと国交を結ぶはず、と発言していたが、とりあえず10月に入っても続く国は出ていない。アラブの盟主的存在であるサウジアラビアも慎重姿勢で、まぁどこも様子見なんだろうけど、前向きな感じなのも事実。かつてイスラエルとの対決とパレスチナ問題の解決は「アラブの大義」などと呼ばれたものだが(この訳語を作った人のインタビューを見たことがあったな)、それも今やかなり色あせてしまったのは確かなようだ。このままパレスチナはイサクにょうに生贄にされてしまうのか、あるいは寸前で救いが入るのか。 

 なお、この「中東和平の推進」を理由に、スウェーデンの右派政治家がトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦している。さすがに受賞はないと思うが、ノーベル平和賞ってのも推薦だけならかなりヘンな人もいっぱいされていて、時々受賞者にも疑問符がついちゃう人がいたりするんだよな。



◆東欧諸国のあれこれ

 ヨーロッパと一口に言っても、大雑把に「西欧」「東欧」に分けられる。細かいことをいえば「北欧」「南欧」さらには「中欧」といった区分もあるんだけど、まずは「東西」に分けるのが一般的だ。それは冷戦時代に「鉄のカーテン」と呼ばれるラインで仕切られ、西欧は資本主義・自由主義、東欧は社会主義・全体主義という政治経済体制の違いで色分けされたからでもあるが。それ以前から西欧と東欧は大雑把にゲルマン系(一部ラテン系まじる)とスラブ系といった民族の違いやキリスト教の宗派の違い、さらには農奴制の解体時期や国民国家の形成時期の違いといったさまざまな要因から社会の在り方の違いはあった。そしてそうした違いは冷戦が終わってからずいぶんたつ今日でもあれこれと見られ特にこのところの東欧での政治状況には、やっぱり歴史的な素地というものがあるんじゃないかと思わされてしまう。ま、「江戸時代構造」が今でもみられる日本もあまり人のことは言えないが。

 冷戦終結とソ連崩壊で東欧諸国はEUやNATOに加盟し、一党独裁から多党制の民主国家になった…はずだった。ところがこのところ、東欧諸国で次々心配になる事例が続いている。

 例えばポーランド。かつてはドイツとソ連に分断占領され、戦後はソ連の衛星国の社会主義国となるも、自主管理労組の出現などで東欧革命の先陣を切った国なのだが、近年では保守派・右派系政党が政権を握り、お約束の愛国心扇動や移民排斥などで支持を集め、ポーランド全体を右傾化方向に引っ張ってしまっている。
 特に昨年来、「LGBT」と総称される性的マイノリティーへの攻撃を強めていて、「そんなものは外国から侵入した悪のイデオロギーである」とまで言って、国内のあちこちの自治体で「LGBTフリーエリア」を宣言させたり、LGBTのっ擁護や権利拡大を主張すること自体を禁止したりしてEUとの間で対立を引き起こしている。「フリーエリア」と聞くとそういった人々を許容する「自由地域」にも聞こえるが、実態はアベコベで「LGBTから自由、そんなものは存在しない地域」の意味である。かつて同国を支配したナチス並みの状況である。

 そうした不寛容な姿勢はどこの国でも保守勢力にある程度みられるものだが(つい先日、日本でも都内の区議がその手の発言をして問題になった)、世界の風潮は「多様性に寛容」の方向であり、EUはとくにそういう姿勢を高らかに掲げている。こうしたポーランド政府の強硬姿勢に対してEU側は「EUの基本理念と反する」として強く批判、EU加盟国であり、実はEU内でもっとも財政的支援を受けている国でもあるポーランドに対して、ついに8月にEUは事実上の「制裁」を発動した。ポーランドが自治体運営費についてEUに支援を申請したのに対し、EUは7月末までにLGBTに対する政策を改めることを要求、これをポーランドが拒否したため8月8日に申請を却下、これが「制裁」とみなされているわけだが、現在のポーランド政府としては余計に反発するだけだろう。ポーランド国内でも文化人やリベラル団体などが政府への抗議をしているとは聞くが、どうも報道で聞こえてくる限りでは国民のかなりの割合が強硬姿勢を支持しそうな感じ。


 ポーランドの南隣で、冷戦中に民主化が進んでソ連につぶされた「ハンガリー動乱」の歴史もあるハンガリーでも、近年では強権的な政権が続いていて、自身も加盟しているEUから厳しく批判されてもますますその強権度を強めている。
 とくに強く批判されているのはメディア規制、言論統制の問題だ。ハンガリーでは2011年から実質的にメディア統制を可能にする法律が施行され、今や大手メディアのほとんどが政府の広報と化している状態。政府批判ができた独立系インターネットメディアにも弾圧の手が及んできて、今年7月にはその編集長が解任され、編集者たちが一斉に抗議のじにんをする騒ぎが起こっている。まさにかつての社会主義政権時代並みの状況で、世界の「報道の自由度」評価が一気に下がった・

 メディア統制だけでなく大学の設置にも強い規制をかけ、特に外国資本の大学開設を完全に封じている。これはハンガリー出身の大物投資家で、近年はむしろ資本主義批判などリベラ的発言が目立つジョージ=ソロス氏が出資する大学を設置不可能に追い込むのが狙いだと言われていて、10月7日にEUの司法裁判所でその大学設置法自体が学問の自由を侵害する不当なものとする判決が下っている。言論の自由と学問の自由と聞くと、日本でも近頃危ない状況にあるんだが、どこでも強い権力を持つ側はそういうことをしたがるものなのだろう。


 EU加盟国ではないが、東欧の国ベラルーシも何かと問題になる。ここはかつてソ連の構成国の一つで、ソ連崩壊で独立したのち、四半世紀以上にわたってルカシェンコ大統領の政権が続いている。大統領任期は5年で、当初は憲法で3選を禁じていたが2004年の国民投票でこの規定を削除、以後ルカシェンコ大統領が延々と当選を繰り返し、今年2020年にとうとう6選を達成した。ただし、彼の独裁体制が強まってから大統領選挙のたびに不正疑惑が吹き上がり、議会の方も野党勢力が締め出されてルカシェンコ派で占められてる状況。市民の反ルカシェンコ的な動きはしっかり弾圧されていて、このためベラルーシは「ヨーロッパ最後の独裁国家」としばしば呼ばれている。もっとも、この国が「最後」という保証なんて全然ないんだけどね。

 6選を決めた8月の大統領選挙でも、選挙前の段階で有力な出馬予定者を資金洗浄容疑で逮捕させたり、あるいは出馬資格そのものを却下したりとやりたい放題。選挙の結果はルカシェンコが80%を超える得票をしたとされたが、出来レースな選挙である上に投開票そのものがちゃんと行われていたのか疑わしいとして、アメリカやEU諸国は選挙自体を無効とみなしている。さすがに今回はベラルーシ国内でもルカシェンコ批判の声が高まり、一か月以上にわたって数万人参加の大規模デモが起きたりもしたのだが、9月23日にルカシェンコは大統領就任式を強行、再選挙をする気は一切ないことを表明した。
 一方、野党側の大統領候補だったが事前に立候補を却下されてしまった元外交官のツェブカロ氏は逮捕を逃れて国外へ亡命、ルカシェンコ政権の打倒を目指す「救国戦線」の結成を宣言した。これがどれほどの力を持てるかは不明だが、「西側」の支援を受けることにはなるだろう。そしてルカシェンコ政権はロシアが強くバックアップしていて、なんだかんだで「東西冷戦」は終わってないな、と思わされてしまう。


 その「東側」の親分であるロシアも相変わらずというか…プーチン政権は揺るぎもしないように見えるんだけど、目ざわりなのはさっさと排除、ということらしく、反体制的なジャーナリストが謎の死を遂げたり、亡命した元スパイが外国で毒殺と思しき急死をしたり、ウクライナの反ロシア的な大統領の容貌急変などなど、と、スパイ映画を地で行くような話が続いている。
 そして今度は野党勢力指導者のアレクセイ=ナワリヌイ氏が飛行機で移動中に容体が急変、ドイツに運ばれて治療を受け一命はとりとめたが、旧ソ連時代に開発された神経剤が使用された可能性が高まり、ドイツなど「西側」諸国はロシア政権による毒殺未遂として批判している。もちろんロシア側がそれを認めるわけはなく反発しているが、なにせこれまでの事例がいっぱいあるからなぁ…スパイ映画的に言うとあまりにワンパターンの上にすぐに疑われるようなやり方をしてるので、それでは観客も飽きてしまうんじゃないか、と変なツッコミを入れてしまう。考えてみればプーチンさんって、元KGBなんだよな。

 …と、ロシアや東欧の元「東側」の国々の心配になる話を連ねてみたが、「西側」の親分で民主主義国家のリーダーであるところのアメリカの大統領の言動を見ていると、またそれを当選させちゃった一部熱狂的支持者たちを見ていると、こっちもずいぶんあぶなっかしくなってるなぁと心配になるばかりだ。



◆またまた始まった民族紛争

 ソ連末期に激しい民族紛争を起こし、1994年に一応の停戦にこぎつけながらも、これまで散発的に紛争を起こしてきたアルメニアとアゼルバイジャンが、またまたまた激しい戦闘をおっぱじめた。9月末から始まった戦闘は拡大の一途をたどり、10月に入った現時点で200人を超える死者(もっと多いかも)を出し、1994年の停戦以来の深刻な状況として国際社会の注目を集めるようになってきている。
 停戦以来四半世紀ちょっとぶりの激戦、と言われるが、細かい衝突は繰り返し起きていて、当「史点」でも「ヤメルナラ、ヤメレバイイジャン」というダジャレ見出しで取り上げたことがある。しかしやめられない、とまらない…というところで。

 アルメニアとアゼルバイジャンの両国はカスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方の国で、アルメニアは世界最古のキリスト教国(アルメニア正教)、アゼルバイジャンはトルコ系のイスラム教と、民族系統だけでなく宗教も異なり、それが一部で混在して居住していたものだから、古くから何かと紛争を起こしてきた。ロシア帝国の支配下に入ったのち、ロシア革命で帝国が崩壊するとさっそく紛争を始めている。ソ連の支配下に入ることで紛争はひとまずおさまって共存するようになったのだが、ソ連の弱体化とともにまた紛争を始め、それがまたぞろ火がついているわけだ。

 両国の地図を見てもわかるが、山岳地域ということもあってかアルメニアとアゼルバイジャンは国境が入り組み、アゼルバイジャンは領土の一部がアルメニアの向こう側の飛び地になっている。さらにはアゼルバイジャン領内に「ナゴルノ・カラバフ自治州」という地域があり、ここはアルメニア人が多数派で、彼らがアゼルバイジャンからの分離独立、あるいはアルメニアへの併合を強く求めた。ソ連崩壊をはさんだ時期の激しい紛争の末にナゴルノ・カラバフ自治州からアゼルバイジャン人はほぼ追い出され、この自治州およびその周辺領域までがアルメニア人の支配地域となってこの紛争は一応終結している。
 ただ、このナゴルノ・カラバフ自治州が実質的にアルメニアの支配地域にはなったのだが直接領有は今なおしていない。ややこしいことに自治州のアルメニア系住民たちが「ナゴルノ・カラバフ共和国」なる独立国を設立し、アルメニアからすら承認を受けないまま実効支配を続けるという事態になっている。なお、この「ナゴルノ・カラバフ共和国」を承認してるのは「南オセチア」「アブハジア」「沿ドニエストル」の3か国だけ。しかもこの3か国はいずれも、ある国家の中の少数派民族が勝手に独立国を称しているだけで国際的にも承認されていない。要するに「同じ立場同士」で承認しあってるだけなのだ。

 ナゴルノ・カラバフ紛争のひとまずの停戦から四半世紀が経つうちに、アゼルバイジャンはカスピ海沿岸の石油生産により急速に発展、経済面ではアルメニアを圧倒しつつあり、その勢いもあって失地の回復を狙っていた。アルメニア側もそれに対抗して支配の確立を図っていたから、紛争は激しくはなくてもポツポツとは続いていた。今年の7月にまた武力衝突があり、9月末になって一気に激化、という展開になった。激化の原因についてはアルメニア・アゼルバイジャンの双方とも「相手が攻撃をしかけてきた」と主張していて、こういうところだけは意見が一致(?)している。

 今度の紛争は戦闘の激しさもさることながら、周辺国も巻き込んだ複雑な多国間の駆け引きに発展し、下手すると大戦争にまで拡大しかねない火種にもなっている。
 まず隣国のトルコ。ここは第一次大戦時の虐殺問題などでアルメニアと長らく対立関係にある上に、同じトルコ系でイスラム教徒のアゼルバイジャンとは友好関係で軍事同盟も結ぶ仲。当然今度の紛争激化ではアゼルバイジャンを支持する姿勢を見せ、ともすれば直接アルメニア領内への軍事侵攻をするのでは、とまで憶測された。実際のところは不明だが、アルメニアは自国軍機がトルコ軍機に撃墜されたと主張していて、もしかすると小規模ながら介入、アゼルバイジャン支援をしたのではないかともいわれている。
 なにせトルコはつい最近、シリア内戦にも軍事介入している。特に国内にもいるクルド人勢力には神経をとがらしていて実力行使も辞さないのだが、今回もトルコ側ではクルド人勢力がアルメニア側に傭兵と入っているといった報道がなされたりしていた。それとは別に出稼ぎ傭兵のシリア人もいくらかいたようで、現地の戦死者にシリア人が含まれていたケースもあった。

 一方、アルメニアは欧米を中心に多くの「在外アルメニア人」を抱えていて、ユダヤ人並みとも言われるネットワークや同じキリスト教徒という同情心を利用して欧米諸国の支持を以前から強く受けている。今回の紛争でもフランスがいち早くアルメニア寄りの姿勢を示したりしていた(フランスにも相当数のアルメニア人がいて影響が強いとされる)
 そうかと思えばソ連時代以来ロシアとも関係が強く、アルメニアとロシアは安全保障条約を結んでいてアルメニア国内にロシア軍が駐留、アルメニアに危機が迫ったらロシア軍が支援の行動を起こす義務もある。対するトルコはNATO加盟国でなので、アルメニアとトルコが全面衝突でもしようものなら、冷戦時代の危機さながらの事態に発展してしまう可能性だってあった。

 まぁもちろん、そんな事態はほとんど誰も望んではいない。当のロシアだってアルメニアとの深い関係はありつつも、アゼルバイジャンとも旧ソ連つながりで関係は良好、しかも近頃の石油関係で対立するわけにもいかない状態。紛争激化を受けてロシアはただちにアメリカ・フランスと停戦へ向けての協議を始めていた。
 国際社会の停戦要請に、アルメニア・アゼルバイジャン双方とも「相手が引かなきゃやめない」とここでも意見を一致させてゴネていたが、さすがに10月10日なってロシアの仲介で捕虜交換と遺体回収のための停戦に合意。今回の激闘は二週間ほどでひとまず終わることになった。この停戦だっていつまで続くか分からないが…とか言ってたらアップ直前になって爆発だの攻撃だのが起こって、また双方で「相手がやった」と意見の一致をみてたりする。



◆10人目の総理大臣

 ほんとは直後に書いてアップする予定だったんだけど、あれこれあって時機を逸してしまい、今頃になってアップすることになってしまったが…日本の総理大臣がやっと交代した。安倍晋三が健康問題を理由についに退陣、それを受けての自民党総裁選はほぼ最初から出来レースで行われ、その結果、これまで安倍内閣で長らく官房長官をつとめて「令和」元号発表役もつとめた菅義偉(すが・よしひで)が新たな日本の総理大臣となった。

 思い返せば、「史点」が始まった時の首相は小渕恵三、そう、あの「平成」元号を発表した時に官房長官だった人である。この人が現職のまま意識不明となって森喜朗が継ぎ、この人がやたら不人気だったがその後を受けた「変人」こと小泉純一郎は高い人気のまま長期政権を維持、次が安倍晋三の第一次内閣だがこれは短命に終わり、その次が福田康夫、その次が麻生太郎と短命内閣が続いて政権交代、民主党政権も鳩山由紀夫菅直人野田佳彦と短命内閣が続き、そのあとが政権を奪還した自公連立の第二次安倍晋三内閣で、これが憲政史上最長の内閣となってしまったわけだ。かくして今度の菅首相の登板で、「史点」はとうとう10人目の総理大臣を迎えたのだが、おおむね20年ほど書き続けているから、平均すると日本の総理大臣の就任期間は2年程度ということもわかる。

 漢字文化圏では「菅」首相の登場に「また再登板?」と思う人も出るかもしれない。漢字で書くと同じだが「かん」「すが」と読みが異なり、こうしたケースは日本の総理大臣史上初めてのこと。ちなみに同姓の総理大臣の例は加藤友三郎加藤高明田中義一田中角栄鈴木貫太郎鈴木善幸鳩山一郎と鳩山由紀夫、福田赳夫と福田康夫、と意外と例は少なく、しかも後ろの二つは肉親である。

 さて、前回「史点」から2か月も空いてしまっているので、この間に起こった首相交代をおさらいしておこう。
 桂太郎を超える在任日数を達成した安倍首相だが、そのあたりから「政権末期」な雰囲気はあった。検事総長人事に絡んだ問題や、新型コロナ対策でのバタバタぶりなどで内閣支持率は低迷を続け、特に安倍首相自身がめったに会見をしなくなってしまった。その辺から健康不安説がささやかれ始め、一部マスコミで「吐血説」まで飛び出していた。実際、とくに7月以降の安倍首相は見るからに顔色も悪く、あとから明かされたことだが第一次退陣の原因となった病気が結局再発していた、ということになる。ただ辞任したら割と健康を取り戻してるらしいので、心因性によるところが大きかったのかもしれない。

 そんな噂が流れるなかで僕も「異変」を感じたのは、8月15日だった。この「終戦の日」になると靖国神社参拝の話が取りざたされるのだが、安倍首相は首相になって以来、8月15日の参拝はずっと見送っていて(二度目の就任直後の12月に突然参拝してるが以後は控えていた)、それにつきあうかのように閣僚たちもめったに8月15日参拝はしなうなっていた。このため最右翼みたいに言われていた安倍内閣は首相も閣僚も大変に「靖国参拝率」の低い内閣となっていたのである。それが、今年の8月15日にはいきなり四人の閣僚が参拝したので、僕などは「これ、閣僚として参拝できる最後のチャンスとでも考えたんじゃないか?」などと勘ぐっていた。どうも安倍内閣退陣は近いんじゃないかと。

 8月24日、安倍内閣は連続在任日数でも史上最高を達成した。それまでの記録保持者は安倍さんの大叔父の佐藤栄作である。すでに検査入院を二度やっていて健康不安は明らかになっていたが、なんとかこの日までは、と執念を燃やしていたんだろうか。
 実はネット上で知っていたのだが、「この日に安倍首相が退陣か」という報道が台湾メディアで流れていた。まぁどうも日本のどこかのメディアで流れた噂が元ネタだったようだが…僕は先述の靖国の件とこの台湾での報道を組み合わせて「もしかすると、もしかするぞ」とこの日に身構えたりしていたのだが、結局この日に退陣の動きはなかった。だがその四日後の8月28日になって唐突に退陣表明。日にちはずれたが、「ああ、やっぱり」という感はあった。安倍さん自身の発言によると退陣を決意したのは24日だったそうなので、そう外れたわけでもない。そして実際に退陣した直後に靖国参拝を実行していたが、なんだか麻薬の禁断症状みたいにも見えたな。

 安倍さんの退陣が決まった途端に、内閣支持率の支持・不支持の数字がクルリと入れ替わったのには笑いもし、あきれもした。安倍内閣というのはこと支持率ではいろいろと不思議な現象が見られた内閣で、安保法制や消費税増税、あるいは繰り返された大臣辞任や「お友達」問題などで支持率が急降下することがあっても、しばらくすると支持率が回復してしまう、という現象が特に目立った。派閥も昔ほど意味を持たず、強力な政敵も存在しなかったために一時の危機も長続きせず乗り切ってしまう、という感じだった。後半も「森友・加計問題」「桜を見る会問題」など一時的に国民の関心と批判を集める事件は起きるんだけど、国民の方も忘れっぽくいことが改めて証明されてしまってもいる。

 そして退陣表明の直後の世論調査で支持・不支持の大逆転である。それって「同情票」ってことなのか?それとも退陣そのものを評価したのか?安倍内閣を「評価する」が程度のさはあれ合計すると7割を越してしまう、というのにも…直前までの不支持率の高さはなんだったんだ、と。日本人、やっぱり情緒的なのかなぁ。おかげで安倍内閣終盤のあれこれの問題は結局ウヤムヤになる。
 そして安倍退陣を受けて二大右翼雑誌は評価が高いことに大ハシャギして「ありがとう安倍首相」と大々的な賛辞の見出しで送り出していたが(ホント、安倍さんって個人崇拝のレベルになってたな)、大本命のはずの憲法改正はまったく手付かずだったし、ほかにもあれこれウヨクな方々には怒られそうなことをやっていて、一部大物右翼人士は実際に怒っているとも聞く。まぁ安倍さんの退陣で安倍さんの「お友達人脈」なウヨ人士たちがいくらか静かになるのは確かだと思う。


 さて安倍さんの退陣表明を受けて、次の首相候補に名乗りを上げたのは、かねてよりライバルとみなされ、前回の自民党総裁選の第一回投票までは買っていた石破茂、外務大臣をつとめてポスト安倍の有力候補とみなされていた岸田文雄、そして官房長官の在任記録を作った菅義偉の三氏だった。だがさっき「出来レース」と書いたように、出馬の顔ぶれが出そろったあたりで派閥の間で「数合わせ」があり、早々と菅当選は決まってしまっていた。石破さんはすでに論外扱いの様相で(さすがに今回は地方票も伸びなかった)、岸田さんは実は安倍さんからは本命視されたとも言われていたが派閥バランスから「今回はパス」にされた感じで、当たり障りのないところで、という感じで菅さんに決まった…とまぁ、そんな印象。安倍内閣をそのまま継承し、次の総裁選までの橋渡し程度の扱いにされてる、とも見える。一方で昨年だったか、安倍さんが菅さんをアメリカへの特使のように送り出したこともあり、あの時に「ポスト安倍」と意識されるようにはなっていたはず。

 で、この菅義偉さんはとうとう総理大臣になってしまったわけだが、結構異例尽くしの総理大臣である。まず自民党の中にあって、彼は「無派閥」の立場である。実は過去にはあの「加藤の乱」に賛同して国会を欠席したこともしていたりするのだが、以後は特定の派閥には属さないまま、気が付いたら官房長官、そして総理大臣になってしまっていた。官房長官から総理大臣、というパターンはこれまでにもあるのだが、首相候補がなるとされる外相や財務省(蔵相)ではなく総務大臣と特命担当大臣しか経験していない(まぁ前任者の安倍さんも閣僚経験は大したことはない)

 そして総理大臣にまでのぼりつめた政治家人生も異例だ。最近の自民党の首相としては世襲議員でないところがまず異例。特にこのところの安倍・福田・麻生の三代は祖父や父が首相経験者という「お家柄」で、それ以外の首相も多くは二世か三世議員である。菅さんは父親が秋田県の地元の町議会議員をつとめてはいるけど、その地盤を継いだわけでもなく、二世議員とはまぁ言い難い。秋田県出身の首相というのも初めてだし、官僚出身者でもないため東大や早慶といった定番ではなく、法政大学出身の初の首相ともなっている。

 政治家を志したのはその法政大学の政治学科に在籍してからだそうで、卒業後に同じ法政OBの衆院議員の秘書として政治家人生をスタートさせる。議員秘書、大臣秘書生活を10年以上つとめてから、1987年に横浜市議選に出馬して当選。市議を二期務めてから1996年の衆議院選挙に神奈川2区から出馬して当選、国政に進出する。最初は小渕派に属したが、1998年の「凡人」「軍人」「変人」が出馬した自民党総裁選で「軍人」の梶山静六(余談だが僕の住む茨城県で一番総理に近いところまでいった政治家だ)に投票したため小渕派を離脱、加藤派に属して「加藤の乱」で同調した、というのは先述の通り。
 2006年に第一次安倍内閣のもとで総務大臣となって初入閣。福田・麻生内閣時代は選挙対策にあたり、2012年の安倍再登板の際にその担ぎ出しに尽力したので、これで安倍内閣の官房長官となり、内閣の「顔」となった。こうしてキャリアを振り返ると、世襲でもなく派閥のバックも強くはなく、よくまぁここまでのし上がったな、と思うばかりで、事務能力などの実力が確かにある、ということなのだろう。その成り上がりぶりにかつての田中角栄と重ねる声も一部にあったが、角栄のように自らのパワーで天下取りをしたという印象もない。
 とにかくなんだかんだで異例な総理大臣ではあるのだが、ずっと「内閣の顔」だったこともあり、新鮮味は感じない。しかしそれでも国民的には「やっと首相が変わった」という気分でもあるのか、内閣発足時は「ご祝儀支持率」があるものとはいえ、各種調査で支持率70%を超えたのには、いろいろと心配になってしまった。まだ何もしてないだろうに。

 そしてこの内閣が最初に「やらかした」のが、「日本学術会議」会員の任命拒否問題だ。どうも状況からすると安倍内閣時代から継続的に介入していて、今回の任命拒否はたまたま内閣の交代時期にあたってしまったもので菅内閣のやらかしかは微妙な感じもするけど、菅さんは安倍内閣の官房長官だったのだからどのみち無関係とは言い難い。
 日本学術会議は俗に「学者の国会」とも呼ばれ、各分野で高い業績を収めた学者が推薦を受け、その推薦をもとに首相から任命されて会員となる。この学術会議で政府への提言を行ったり学術振興のための活動を行ったりするわけだが、まぁ学者としては自身の業績が評価された一つのステータスではあるだろう。今回推薦を受けて任命拒否をくらった当人が言っていたが、実のところ特に利益もなく面倒な仕事が増えるだけで本音のところは敬遠したいくらいだそうで。

 さんざん報じられているが、従来この学術会議会員は推薦された全員を首相が任命してきた。日本学術会議法では「推薦に基づいて総理大臣が任命する」と定められていて、確かに総理が任命するのだが誰を選ぶとか拒否するということはできない、と解釈されてきた。実際に持ち出された例えだが憲法で「総理大臣は国会の指名に基づいて天皇が任命する」と定めており、あれと同様だという解釈だ。推薦された全員を任命し拒否などはできない、という見解は1983年に中曽根内閣が国会答弁で明言したこともある。
 それがどうやら第一次安倍内閣のあたりから官邸が学術会議の人事に介入しようといたらしい。そして第二次安倍内閣でそれは明確になり、いつの間にやら「総理大臣に任命を拒否する権利がある」という解釈変更が行われ、前回では欠員を出し、今回は推薦を受けた105人のうち6人が明確に除外される事態になった。法律の解釈を秘密裏に変更しているのも大問題だし、6人の任命拒否について明確な理由を全く示さず「総合的、俯瞰的に判断」という意味不明の説明だけで押し通そうとしているのがさらに問題。当の6人は歴史や法律など人文系であり、過去に安倍政権の政策に批判的だった人も含まれることから、官邸が「好き嫌い」で選んでるとしか思えない。また、だからこそ理由を一切説明しないのだ。

 まぁ思い返せば安倍内閣は憲法解釈だってコロッと変えてしまったし、先の検察人事の一件でも明らかなように三権分立も平気で無視し、「お友達」で人事を固めて「敵」とみなせば排除、という露骨なことをしばしばやってきた。問題が浮上するとマスコミを使ったりデマのたぐいを流したりして印象操作を行うのもお約束で、今回の件でも学者たちや学術会議のイメージを貶めようと意図したとしか思えないデマ言説が結構ふりまかれている。学術会議を行革対象にとか急に言い出すあたりも露骨なものだ。
 菅首相自身がマスコミのインタビューで「安倍内閣からの引継ぎはない」と言ってたから、じゃあ自分で決めたのかというと、除外された6名の載る推薦名簿は見ていないと言い出した。だとすると菅首相の手に届く前に誰かがこっそり6名を除外する工作を行ったことになり、余計に問題なんだが、こういうのもちゃんと追及しておかないとウヤムヤにされちゃうぞ。

 任命拒否された6人の中には、近現代史の専門家もいて、「日本はなぜ戦争に向かったのか」といったテーマを扱い、僕もその一般向け著作やテレビ番組を見たことがある。そのテーマを調べていくと、大正デモクラシーを経て一応の政党政治・民主主義が根付いてきたかに見えた日本が、昭和7、8年ごろから急速に「変調」をきたして学問や言論の統制、社会の全体主義化が進み、そのまま破滅的戦争まで突っ込んでいってしまったことがわかるのだが、政治家が学者をほとんどイチャモンで攻撃、つぶした例として「天皇機関説事件」(1935)がある。
 憲法学者・美濃部達吉が提唱した「天皇機関説」は大正デモクラシーの中で憲法解釈の「通説」となった学説で、簡単に言っちゃえば天皇主権の大日本帝国憲法においても今でいう象徴天皇制のような仕組みができる、という考えで、時の天皇である昭和天皇自身もそれを支持していた。ところが日本社会が「変調」状態になるなか昭和10年貴族院議員・菊池武夫が「天皇機関説は不敬」との攻撃が始まり、最終的に天皇機関説は否定され、美濃部の著作は発禁処分、美濃部自身も公職から追われ、さらには銃撃を受け負傷までしてしまう。怖いのはこの攻撃を行った菊池は天皇機関説について全く理解しておらず、誤解を自覚しても攻撃を続け、さらにそれに誤解を重ねた右翼勢力、それに屈した政治家やマスコミがこぞって攻撃に加わり、理性的な言論は封殺された、という点。反知性が知性をおしつぶす、という実例であり、前後して学問の自由はどんどん失われ、同時に言論も統制されていった。菊池武夫は他にも「足利尊氏を評価する文章を書いた」として大臣を辞職に追い込んだこともあり、この時代のムチャクチャぶりの象徴的存在として歴史に悪名を残している。

 ずいぶん違うように見えて、僕は今度の一件でこの天皇機関説事件を連想した。そこまでのものか、と思う人もいるだろうが、昭和初期の前例を見る限り、世の中が一気に理性を失っておかしくなるのはホントにあっという間だ。当時を思わせるアカデミズム攻撃の言説がちらちら流れる状況はやはり放置しては危険だと思う。
 いま現在の最新報道では、菅首相は推薦名簿にほとんど目を通さないまま任命を行った、違法性はない、と政府側は説明しているという。しかし例の名簿がじすでに6名除外状態だったのならだれがそうしたのか、除外した根拠は何なのか一切悦明せず、それでも撤回せずに押し通すという一番タチの悪い態度をとっている。これでは今後も理由を明示しないまま恣意的に人選に介入でき、「忖度状態」に持ち込んで学界に圧力をかけられる、ということにもなってしまう。こういうのが一つ突破されると、同じ手法で学問以外の自由だって統制されかねない。上記の東欧諸国や中国などの例を見てもわかるように権力というのは得てしてその傾向を持つもので、油断してると気が付いたらわが身にふりかかっていた、ということにだってなりかねない、とは思っていた方がいい。それが「歴史に学ぶ」ということなんだが、今の政治家たちって本当に歴史に無知らしいからなぁ…


2020/10/13の記事

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