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2021年2月23日

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◆新大統領就任から一か月

 前回からはや一か月以上が過ぎてしまった。この間、いろいろあったようななかったような…基本的には予想外のオオゴトというのはそう起こっておらず、あらかたは予定通りに進んでいて、おかげで「史点」ネタが四つそろうまで時間がかかってしまったわけで、

 予定通り…というのはアメリカの政権交代だ。昨年11月の大統領選挙でバイデン元副大統領が勝利したが、トランプ大統領が断固として敗北を認めず、「不正選挙」とわめき続けたものの訴訟は全て却下され、12月14日に各州の投票結果の集計が行われてバイデン氏が次期大統領と確定された、そして年が明けた1月6日に連邦議会での集計の確認(基本的に儀礼的なもの)があり、1月20日にバイデン新大統領の就任式が挙行されて新政権が正式に発足となった。と、まとめると全てスケジュール通り、選挙結果そのままに政権交代が進められたわけである。それからもう一か月以上が過ぎて、バイデン政権はパリ協定やWHOといった、トランプ政権が「離脱」したあれこれに次々と「復帰」して内政外交でアメリカの軌道修正を進めている。

 しかし皆様ご存じの通り、1月6日、すなわち連邦議会で各州の結果の集計・確認が行われたその日、抗議集会のためワシントンに集まっていたトランプ支持者の一部が連邦議会議事堂に乱入、乱入側と警備員側双方で5人の死者が出たほか、当時議事堂内にいた議員たちは地下シェルターに避難、ペロシ下院議長のオフィスに入った乱入者がパソコンなど備品を持ち出すという、アメリカ憲政史上、いな世界民主政治史上でもまれなトンデモ事態が発生した。

 そもそもこの騒動はなぜ起きたのか。年の瀬から、この日にワシントンに集まれと支持者に向けてメッセージを出し続けていたのはほかならぬトランプ氏であり、この事件の直前に集まった支持者に向けて「議事堂へ向かって進め」と演説したのもトランプ氏当人である。これが議事堂乱入を扇動したものではないか、ということで二度目の弾劾訴追につながり、決着時点ですでに退任した大統領を弾劾しても、ということで共和党側からの賛同者が少なかったために不成立となったが、トランプ氏が選挙結果を受け入れないまま延々とゴネ続けたことが、このトンデモ事態の原因なのは間違いなく、僕もこの事件の直後にツイッターで「これで歴代大塗料ランキング最下位は数世紀は動かないんじゃないか」とつぶやいたものだ。その意味で「歴史に残る大統領」には違いない。

 1月6日のこの事件を受けて、さすがのトランプさんもトーンダウン、確か1月10日ごろだったと思うが、一応「敗北宣言」ととれる(遠回しなんだよな)演説を行い、さらに後の演説で「バイデン次期大統領」という言葉を口にしてようやく政権移譲の姿勢を明確にした。
 それにしてもいまだに良く分からないのが、トランプさん、具体的に何か戦略を考えてああいう言動をしていたのだろうか、という点だ。支持者たちを議事堂へ行けと煽りはしたが、あんな乱入事件や死者まで出る騒ぎまでは予想していなかった印象もある(事後に結構うろたえてる感じがあったので)。本気で連邦議会での採決の阻止とか、結果のひっくり返しを群衆の力で実現できると思っていたのか、そこも分からない。

 トランプ信者の間で早い段階から言われていた、「下院議長であるペンス副大統領に採決を却下する権利がある」という話があったが、もちろんそんなことはできないことは専門家からとっくに言われていて、ペンス氏自身もこの日の直前にトランプ氏に伝えていたという。しかしトランプさん、そのことにムクれてペンス氏を裏切り者呼ばわりしたりしたから、どうもこのデマをトランプさんは本気にしていたようだ。おかげで議事堂乱入者たちは「ペンスを吊るせ」と騒ぎ、どこまで本気だったか分からないがペンス副大統領を探し、首を吊るすロープまで現場にぶらさげたりしていた。一歩間違えればノリでもっとひどいことが起きていた可能性はあったのだ。

 トランプ氏は昨年のうちにも、各州の投票集計で自ら電話して結果を自分に都合よく変えろと圧力をかけた事実もあった。この人、やはり本気で「選挙結果なんて権力と大衆の賛同さえあればなんとでもなる」と考えていたように思える。さすがに一部陰謀論者の間でけしかけられていた戒厳令なんてものは、さすがに最初から無理とわかっていたようで全く動きを見せなかったが。そもそも軍がついてくるはずがなかったし。
 大統領の権力と支持する大衆を煽ることでどうにでもなる、と本気で考えていたとすると、それはやはりヒトラーのナチス政権を連想せざるを得ない。そういうことにならなかったことは、まだまだアメリカが健全な国であることを示したと言えるが、それでもその一歩手前のところまで来ていたのかも、ということには慄然とする。

 同様の連想をしたんだろうな、と思ったのが、ハリウッドスターであり元カリフォルニア知事であるアーノルド=シュワルツェネッガー氏、愛称シュワちゃんだ。シュワちゃんはメッセージを発表し、議事堂乱入事件がナチスによる「水晶の夜」を想起させること、自身の母国であるオーストリアでは自身の父親も含めてナチスに参加、賛同した事実があり、そのことを戦後みな触れないようにしていた、といった自身の体験も含めた話で議事堂乱入事件が民主主義を破壊するものとして強く警鐘を鳴らしていた。

 ところでこのシュワちゃんのメッセージにヘンな噛みつき方をしたのが、例の高須克弥院長。ツイッターで「彼はウソをついている。彼の年齢でナチス時代の記憶があるはずがない」とのたまったのだ。シュワちゃんは自身ん父親の世代の話をしてるのだが、高須院長、どうやら報道の見出しだけ見て勘違いしてしまったらしい。この人も日本ウヨク界隈で謎の大流行となったトランプ信者で、有名俳優がトランプ批判したってだけでカチンと来たのだろうな。
 で、この高須院長が看板役なのか指導役だかになっていた愛知県知事のリコール運動で、署名の8割以上がバイトを動員して書かせた虚偽署名であったということで刑事告発されている。高須院長は自身の関与を否定してるわけだが、運動関係者のなかで最初からそうする気だった者がいたのは間違いない。死者の名前まで署名に使っていたそうで、なにやらトランプ信者たちがバイデン陣営の「不正」と主張していたこと、そのまんまであることが興味深い。選挙だの署名運動だのの不正なんてそうそうバレずにできるこっちゃないよ、ということがこの件でもわかるわけだが、もしかして彼ら、バレやしないと甘く見てたんだろうか。

 高須さんがどの程度のトランプ信者かは分からないが、「戒厳令あるある詐欺」を延々と続けていた百田直樹氏をはじめとする著名人のトランプ信者たちはさすがにバイデン大統領就任式が無事に終わってしまったのをみて撤退をした様子。一部に「戒厳令やれたのに、トランプが腰抜け」と自分の見る目のなさを棚に上げて愚痴ってるのもいたなぁ。
 しかしヘンな人には少数精鋭な熱狂的信者がつく、というのはよくある現象。アメリカではQアノン信者がいまだにトランプ逆転だのアメリカが新共和国になって3月にトランプが大統領になるだの、世界的な富の再分配が行われるとか銀河連合への加盟だとかピンからキリまでの妄想を繰り広げていて、日本でもそれらをまんま真に受けて今もトランプ復活を信じる信者たちがいる。こちらもやれ就任式は全部セット撮影だとか、バイデンはスタジオに作ったホワイトハウスで仕事を見せてるとか、ワシントンは実は軍政が敷かれて大量逮捕が勧められ、近々「世界緊急放送」があるとか、トンデモ主張をまだまだ展開している。こうした陰謀論を発信してるのがQアノン、法輪功、統一教会、幸福の科学といった日米中韓カルト闇鍋状態というのも…
 
 彼らの予言が実現したことはこれまで何一つなく、「〇月×日に▲▲が起こる」といったたぐいのものは延々と「延期」が繰り返されている。僕がこの文を書いている時点で「2月中に凄いことが起こる」「2月28日に戒厳令」「3月中にはトランプ復活」と騒いでる人たちがいるんだが、まぁこの調子で延々と「延期」を続けていくんだろうな。



◆またも過去と現在の対話

 昨年來、コロナ禍のために各方面に多大な影響が出ているが、僕の趣味の歴史映像関係でもいつくかあった。大河ドラマ「麒麟がくる」は一時中断の末に年を越した二月初旬に最終回を迎えたし、アニメ「キングダム」の第三シーズンも昨年4月にいったん放送開始となるも製作中断、ほぼ一年遅れて放送ということになった。そして中国製時代劇「コウラン伝-始皇帝の母-」も吹替収録の都合で大幅に放送開始が遅れてしまった。この「コウラン伝」、始皇帝の母親が主人公という、ちょっと変わった女性主役歴史劇で、あまりにも現代的感覚に見えてしまうやたら自己主張の強い主人公にはかなり違和感があるものの、いろいろ当時の有名人が登場して半ば無理やりに話を盛り上げてて、ようやく僕も乗れてきた感じ。なんつってものちの始皇帝もついに生まれちゃいましたしね(微妙な描写にしてるが、やはり呂不韋の子の線でいってる)。その子が成長すると「キングダム」の主役になるわけで、その「キングダム」の実写映画版で始皇帝を演じた人が今度始まった大河ドラマの主役といろいろつながってくる。

 さて中国では現在、始皇帝当人が主人公のテレビドラマ「大秦賦」が中央電視台で製作・放送されている。このドラマについて「暴君を礼賛している」との批判が中国ネット上であがっている…という報道が日本で流れた。その報道のされ方からすると、このドラマは現在の習近平政権の意向を強く受けて始皇帝を民衆の支持を受けて中国統一を目指す理想的君主のように描き(未見だが群衆に囲まれた始皇帝が彼らの希望を受けて演説するといったシーンがあったらしい)、それが明らかに始皇帝と習近平主席と重ね合わせて、言論弾圧や権力集中を進める彼の政権の正当化する狙いがあるのだ――といった話だった。

 まぁそういう話が出てくるのも無理はない。つい最近の香港のこともあるし、習氏の国家主席任期も延長可能となり、下手すりゃ終身制にさえなりかねい状況。習氏に似ているということでネット上で隠語にされた「くまのプーさん」が徹底的な検閲削除をくらうなど、習氏がほとんど「皇帝」状態になってるので、始皇帝礼賛ともとれるドラマの描写に、そうした政権の意図を感じて批判する、という動きが出てくるのは自然ではある。
 それと、なにせ「歴史の国」の中国、「歴史は過去と現在の対話」というやつで、歴史上の人物を現在の政治家などと重ねてイメージ戦略をすることはよくある。ちょっと古い話になるが、文化大革命の当時、「四人組」グループが盛んに孔子批判を繰り広げたことがあるが、あれも実は周恩来を標的とした遠回しな歴史人物利用だった(孔子が「周」を理想としたから、とか)、という例がある。同じく文革のころには「水滸伝」の主人公・宋江も「民衆を裏切る走資派」と重ね合わせて批判に利用されたりもしていた。

 …と、書きつつも、僕自身は「始皇帝を習近平に重ねた」説は、ちとうがった見方かな、と感じた。政権側が自らを正当化する意図で使うには、始皇帝という人物、そもそも厄介なのだ。
 説明不要だろうが、秦の始皇帝は現在僕らがイメージする「中国」の領域を初めて統一した人物であり、中国史上初の「皇帝」を名乗った人物である。「秦」という国名が西に伝わって「チャイナ」になってくらいで、その意味では「中国の建国者」といってもいい。中国全土で文字や度量衡を統一、中央集権の郡県制を敷き、万里の長城を建設し…その後の中国王朝に引き継がれる多くの事業を実行した大変な政治家であるのだが、一方で「焚書坑儒」に代表される言論弾圧や人民の大量動員、苛烈な法制度などで「暴君」との評も古くからある。その後中国思想の中心となった儒家による宣伝、って見方もなくはないんだけど、一般的には「暴君」イメージの方が強くつきまとったように思う、彼の死後に秦がたちまち滅亡してしまうこともその原因ではあろう。

 始皇帝の評価は今なお揺れを持っているけど、近現代になるほど再評価、高評価の傾向はあるように思う。中国共産党政権になってから陳勝呉広のような農民反乱を軒並み評価する流れで始皇帝暴君イメージが再生産もされたが、政治体制が安定してくると「中国建国者」として高く評価するという流れも出てくるようになる。ほんの数本ながら、1990年代以降に僕が見た中国の歴史映画でも、始皇帝はその両方のイメージをいったりきたりというか、ないまぜというか…な印象だった。
 今度の「大秦賦」が実際どんなドラマなのか、見てみないと論評はできないのだが、民衆に囲まれて支持を受ける始皇帝像、というのはそれほどビックリする描写ではないように僕は思う。それを言い出したら、「キングダム」における始皇帝像なんてそれ以上の「名君」ぶりだ。まさかあれが中国現政権を肯定する意図で書かれてると思う人はいないだろう。

 ニュースネタではないが関連話として書くと、史上ながらく「暴君」と呼ばれた隋の煬帝についても描かれ方は幅が出てきている。現在僕が序盤まで見ている最近のTVドラマ「隋唐演義」では古典原作があるため煬帝のキャラは従来通りの暴君ぶりであるが、少し前に見た「創世の龍」(太宗・李世民が主人公)では煬帝は「いい人、気の毒な人」といった同情的な描かれ方だった。まぁさすがに名君にはなってなかったが、この人もまたいろいろ多角的にみられるようになったんだな、と思ったものだ。
 ちと古い話になるが、中国で「太平天国」のテレビドラマが放送されたとき、ちょうど法輪功の騒ぎがあったため、太平天国のような宗教団体による反乱を従来のように手放しでほめるような評価は危険、とする論評が出た記憶がある、こんなところでも歴史議論は現代とリンクして行われるわけだ。


 さて 先月の12日に作家の半藤一利さんが90歳で亡くなった。文芸春秋の編集者時代に敗戦時の政府・軍部関係者への取材をまとめた「日本のいちばん長い日」を著し(当時は一社員のため著者名を出さなかったが)、二度も映画化されるなど注目され、司馬遼太郎や松本清張といった大物小説家の担当編集者をつとめ、退社後はその幅広い知識と取材力とを生かして「歴史探偵」を自称するノンフィクション作家となった。特に昭和史を含む近現代史、戦争に関する著作が多く、僕も多いとは言えないが著作や対談集などをいろいろ読んだ。アニメ「風立ちぬ」公開時に宮崎駿監督と対談している映像をつい先日見たが、最後に半藤さんが「あと2、30年もすれば国境なんて無くなる」と、ずいぶん思い切った発言をしていて驚いたものだ。でもこの人の口から出ると理想的、楽観的といった言葉では片づけられない重みがあった。

 亡くなって一か月ほどして明らかにされたが、半藤さんは亡くなるその日、ご家族に「墨子を読みなさい」と遺言めいた言葉を残していたという。御存じの方も多いだろうが、墨子とは中国の春秋時代に活躍した思想家の一人で、戦争を絶対否定する「非攻」と博愛精神の「兼愛」を唱えたことで知られる。中国のみならず世界史的にもかなりユニークな思想家であるが、半藤さんが日本人への遺言として「墨子を読みなさい」と言い残したことは実に興味深い。
 調べてみたら半藤さんは墨子に関する著作を出していたことを知った。さらに、昭和史研究者で半藤さんとは何度も対談や共著を出している保阪正康さんも、半藤さんが日頃から「墨子はえらい。あの時代に戦争否定を唱えたんだ」と賞賛のつぶやきをしていたと証言していた。日本が行った戦争をテーマにした著作を多くものしてきた半藤さんが墨子の思想に深く共感し、日本人にそれを読め、と言い残したことは、まさしく歴史とは過去と現在の対話である、という言葉を改めてかみしめる。



◆無念を噛んだ歯

 アフリカ中部の国・コンゴ。かつてベルギーの植民地支配を受け、「アフリカの年」と呼ばれた1960年に独立を果たすも、部族間対立や利権を保持したいベルギー、さらには冷戦構造の中でのアメリカの思惑などがからんで内戦状態に突入してしまった。独立運動の中心人物で、独立後に初代首相となったパトリス=ルムンバもこの動乱の中で暗殺され、その遺体を酸で溶かされ文字通り地上から「消される」という悲惨な最期を遂げてしまう。何度か書いてるが彼の生涯は「ルムンバの叫び」という邦題の映画で描かれているので、興味のある方はご参考までに。

 さて先月、2021年1月17日はそのルムンバの死から60周年となった。切りのいい十年前の50周年の時にも何かイベントがあったと思うんだが僕の目につく範囲で奉じられてなかったのか、まるで記憶にないのだが、この60周年ではそこそこ大きなイベントが挙行されて僕もその報道を見ることになった。今後に「還暦」の発想があるとも思えないが、この没後60周年追悼式典は今後の首都キンシャサでチセケディ大統領も出席、国家行事レベルで盛大にとりおこなわれた。近く首都に記念碑も建てられるとのことだが、やはり10年前よりルムンバを手放しで賞賛できるようになったということなのかな。

 あとから知ったことだが、昨年のうちにルムンバ殺害について旧宗主国のベルギーでいくつか動きがあったことも影響したかもしれない。昨年はアメリカで始まった黒人差別反対運動とそれにともなう歴史の見直しブームのなかで、ベルギーでも過去のコンゴ植民地支配への反省や、当時の国王への批判が政府レベルで公式に表明されたりしていた。その流れの中で実はルムンバ殺害についても「ただいまも捜査継続中」という話まで出てきていたのだ、

 ルムンバ殺害にベルギーの軍や秘密警察が感ヨしていた疑いは当時からあり、だいぶ遅ればせながら21世紀に入ってからベルギー議会・政府が「ルムンバ殺害に道義的責任あり」と認めて謝罪したこともある。しかし具体的な動きはないまま年月が過ぎ、ベルギー独立60周年となった昨年6月になってベルギーの連邦検察官が「ルムンバ殺害事件の操作は継続中。関与が疑われる人物二人が存命である」と明言したのだった。ということは、当時20代くらいの人たちということになろうか。

 この生存している関係者とどう関わるのか分からないが、なんとルムンバの「歯」が遺体から抜き取られ、遺体処理にあたっていたベルギー人警官によりベルギーに持ち去られていた、という事実があったのだ。僕は先月のルムンバ追悼式典でチセケディ大統領が言及したとの報道記事でそのことを知って驚いたのだが、コンゴでは以前から知られた話で、ルムンバの遺族がその返還を求める運動をしていたりしたのだそうだ。
 なんでわざわざ歯を、とまず思ったが、海外のニュース記事の一部でそれが歯そのものというより「金歯」であるとの記述があり、もしかして昔の残酷ばなしに出てくる「金歯泥棒」みたいなもんなのか、とも思ったが、その金歯をその警官の家族がずっと保存していたらしいので、戦利品気分だったのかもしれない。あの当時の状況を思うとルムンバを英雄視しての行動とは思えないんだよなぁ。

 この「歯」について、この世に残されたルムンバ唯一の「遺骨」ということになるんだけど、「金歯」だとするとルムンバ本人の歯というわけではないんじゃないの、とも思う。その一方で海外記事の一部でDNA鑑定は無理のようだ、とあって、そりゃ金歯じゃ無理だろという話だが可能性の検証くらいはされたっぽいので本人の歯に金歯がかぶせられたもの、ということなのだろうか。とりあえずコンゴ側ではその歯をルムンバ当人のものと断定して返還要求をしているのだ。

 昨年9月、ベルギーの裁判所がついにルムンバ遺族の要請を受け入れる判断を下し、半年以内に「ルムンバの歯」をコンゴに返還するよう命じた。半年後ということなら、と今年の6月30日、61回目のコンゴ独立記念日に合わせて返還されることになるそうだ。
 この歯が本物とすればルムンバは60年かけて「帰国」を果たすことになるわけだが、コンゴの展開に注目したい。



◆ビルマのデキゴト

 「ビルマ」とは「ミャンマー」と同じ国を指す言葉で、「にほん」と「にっぽん」みたいな関係、とも聞く。どちらも古くから使われているが、イギリスが植民地にした際に「ビルマ」が正式名称とされ、日本でも長らくこの国を「ビルマ」と呼んできた。余談ながら僕の祖父は先の大戦時にそのビルマに出征し、九死に一生を得て帰国している。そのため映画「ビルマの竪琴」は結構身近に感じる話だったりするのだが、あれは日本人の創作であって現地の僧侶は楽器なんぞ使わないのだそうで。

 その後、この国が長い軍事政権の間に「ミャンマー」を正式国名としてアピールするようになった。イギリス植民地支配への反発から「愛国的」な呼び方、というつもりだったらしいが、軍事政権に反対して国外に亡命した人々がそれに対抗して「ビルマ」呼称を使う、なんてことも起きていた。この国でようやく民主化が進んで、軍事政権に長い間軟禁状態に置かれてノーベル平和賞受賞者ともなったアウンサン=スーチー氏が政権を握る(形式上は大統領や首相にはなれない規定があり、顧問という形で事実上の最高指導者になった)ようになってから、こちらも「ミャンマー」を正式国名としているので、今は「ビルマ」という言葉自体ほとんど聞かなくなってしまった。それこそ近頃の若いモンは「ビルマ」なんて知らずタイトルのダジャレも分からんだろう、とわざわざ書いておいた(笑)。

  
 ミャンマーがどうにか民主化へ移行したのが2010年。2015年の総選挙でアウンサン=スーチー氏率いる政党「国民民主連盟」(NLD)が勝利して政権を握り、軍部が一定の影響力を残す形ではあったものの、一応民主主義が機能して国際社会にも開かれた。ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」などと言われていたそうで、外国企業の進出も相次ぎ、経済成長も急速に進み始めた。そんなミャンマーに注目して、あの島耕作(この時点では「会長」だった)も同国を視察する展開があったりもした。

 しかしNLD政権はロヒンギャ問題で軍部との妥協もせざるをえず、その中途半端な対応が国際社会の非難を浴びもした。それ以外の少数民族問題や新憲法制定問題など難題を抱えていて、次の総選挙では苦戦するとの見方もあったようだ。ところが昨年11月に実施された総選挙、フタをあけてみればNLDが議席の8割を得る圧勝、軍部の代弁者である最大野党は惨敗、という結果が出てしまった。
 そしてその直後から、軍部は「選挙に大規模な不正があった!」とどっかで聞いたようなイチャモンをつけはじめた。「御本家」のアメリカのそれが注目される影に隠れてしまっていたが、「死者による投票が大量にあった」といった、瓜二つの主張もなされていたという。実はトランプさんの言動をそっくりまねていたのかもしれない。

 上記事のようにアメリカではひと騒動こそあったものの、選挙結果はくつがえることなくバイデン新大統領の就任となったが、ミャンマーでは1月末の時点で軍の幹部がクーデターをあからさまににおわせ、2月1日になってそれを実行、アウンサン=スーチー氏ら政権幹部を軒並み拘束、主要都市に戒厳令を敷いてインターネットも遮断、と、トランプ盲信の陰謀論者たちがここ2か月以上続けてきた妄想を、笑ってしまうほどそのまんまに実現してしまった。実際、なぜか日本保守系に多く見られたトランプ信者の間では。このミャンマーの事態に変な期待を抱き(Qアノンの陰謀論では世界同時多発でこうした政権交代が起こることになっていた)、軍部の政権奪取放送をトランプ信者が心待ちにしている「世界きんきゅ放送」ではないかとワクワクする手合いまでいたりした。

 ミャンマーの人たちには失礼ながら、アメリカでは「ありえない」と思う話が、ミャンマーだと「やっぱり」という印象になってしまう。隣国のタイもそうだが、都合の悪い選挙結果が出ると軍がクーデターで思い通りの政権を…というパターンは発展途上国ではしばしば見られる。ミャンマーも結局元のもくあみになってしまうのかな…と思ったりもしたが、一度は民主化を実現しただけにそう軍に都合よくは事態は運んでいないようだ。少なくとも現時点では、
 まず国内で若者を中心とするクーデターへの反発が強く起こった。軍側もあまり強硬姿勢をとらず、比較的穏健な実力行使をしたのだが、民衆の反発が想いのほか強く、そのためにインターネットを封鎖したり戒厳令を敷いたりといった妨害に出た。それでも人々は足で歩き口伝えで連絡をとって、各地で大規模な反軍デモ活動を展開、それを鎮圧しようとする軍が一部でデモ隊に発砲し、死者が出る事態にもなっている。その死者の追悼集会に何万という人々が集まり、現在進行形の報道では、全国でゼネストが実施されるなど、軍の予想をかなり超えた抵抗運動が広がっている様子だ。
 この反軍政デモ参加者たちが、「三本指」を立てるサインを運動のシンボルにしているのも面白い。もともとは隣国タイにおける反軍政デモで広まっていたものの流用だそうで、この点でも両国は似た状況にあってデモ参加者同士の共感があることもうかがえる。ミャンマーらしい話としては、ミャンマーでは占いや呪いといったものが案外信じられているとかで、軍幹部への「呪い」をかけようという呼びかけがあるという点。あとゼネストの呼びかけが「2021年2月22日」なので「22222運動」と呼ばれている、という話も面白い。来年だったらもっと揃いが良かったけど、来年まで待つわけにもいかんしなぁ。

 クーデターを起こした軍部側がもう一つ甘く見ていそうなのが国際社会、ことに欧米諸国の態度だ。このところアウンサン=スーチー氏も評判がガタ落ちになっていたのは事実だが、それを実力で蹴落とし、また軟禁状態においてしまう(それも逮捕の容疑は外国製通信機材の違法入手という不思議なものだ)となると、さすがに軍部に強い非難が起こる。アメリカのバイデン政権は経済制裁の姿勢を見せているし、その子分である日本だってミャンマー進出を進めていた企業もさすがに尻込みせざるをえない。
 報じられるところでは、キリンビールが国軍系企業との合弁を取り消したという。それでもミャンマー進出自体は止めないようで、実質様子見」なんだろうけど…事態が平和裏におさまれば「キリンがくる」というオチになるんだろうか。
 

2021/2/23の記事

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