ニュースな
1999年12月5日

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 ◆今週の記事

◆バイニング夫人死去。

 11月27日夜、エリザベス=バイニング夫人が二十七日夜(日本時間二十八日午前)、アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィア市郊外の老人ホームで亡くなった。享年97歳。この一アメリカ女性の死去の知らせは日本総領事館から各マスコミに明らかにされた。僕などは「まだ生きてたのか」などと思ってしまった(この辺、張学良もそうですな)

 誰だそれは、と思う日本人もかなり多くなっていたと思う。なにせ半世紀ぐらい前に活躍(?)した女性である。それに歴史上それほど表立った活動をしたというわけでもない。しかし考えようによっては日本史上画期的な「事件」となった女性だったとも言える。この人、当時12歳の皇太子だった現在の天皇の英語家庭教師となった人物なのである。もちろん皇室、しかも将来の天皇になろうという人に外国人の家庭教師をつけたなんて前例はない(もっとも古代における渡来人のケースは知りませんよ)。ちゃんと調べたわけではないがその後もないんと違うだろうか。日本敗戦・占領という状況の中でのみ起こり得た「事件」だったのかもしれない。

 バイニング夫人はもともと児童文学作家として活動していたそうだ。それが日本敗戦直後の1946年、昭和天皇の「皇太子にアメリカ人の家庭教師を」という希望を受けて行われた家庭教師募集に応じてこれに選ばれた。英語の家庭教師として皇太子・明仁親王に初めて出会った印象を夫人は「まじめで、目元にユーモアの見える愛らしい少年だった」と後に書いている。
 ところでこの話、昭和天皇のたっての希望だったと言うことになっているのだが、僕としては素直に受け取れず、あれこれ「裏」を読んでしまう所ですね。この時期だと天皇の戦争責任問題だって完全に解決したとは言い難い段階だし、天皇の地位そのものの存続が危なかったかもしれない状況だった。天皇制が維持されても昭和天皇自身は退位させられる可能性もあり、けっこう昭和天皇はあせっていたとも言われている(弟宮に奪われるのではと恐れていたなんて話もある)。そこで占領しているアメリカにすり寄る形で「皇太子の家庭教師をアメリカから…」と言い出したかもしれないな、と思う所はある。
 その一方でアメリカ側の思惑も当然あっただろう。このころの情勢では日本がどうなるかなんてまだまだ分からない。アメリカが天皇の地位を保全したのは明らかに日本統治に利用できると思ったからだが、それならば将来(へたすると近い将来)天皇となる少年を自分たちの身内の手で教育しておこう、という腹はあったんじゃないかな。

 ただ、バイニング夫人自身がそうした思惑と直接的に関わっていたとは思わない。クエーカー教徒(17世紀イギリスに発生したキリスト教一派。徹底した平和主義などの特徴がある)であった夫人は、彼女なりの誠実さと理想をもって皇太子の教育にあたったと思われる。実際、当時12歳だった現天皇の性格形成にはバイニング夫人の影響がかなりあったと言われている(私的発言が紹介されないので推測するしかないけど)。ちなみに夫人は授業中は皇太子に親しみを込めて「ジミー」というあだ名をつけて呼ぶようにしていたそうで(笑)、これは周辺からアレコレ批判する声もあったそうな。
 バイニング夫人は皇太子が学習院中等科・高等科に在籍していた四年間、その家庭教師をつとめた。その後も現天皇が訪米する際には必ず夫人に連絡をとり、1959年の結婚の際にも夫人を招待するなど密接な関係が続いていたようだ。
 現代史のちょっとした一コマが思い起こされる訃報でしたね。
 



◆世に紛争の種はつきまじ?

 …というタイトルなんだけど、まずは明るい見通しの話から。
 北アイルランドと言えば、過去30年間にわたってプロテスタント住民とカトリック住民、イギリス残留派とアイルランド合流派とが争い、イギリスからの分離を求めるIRA(アイルランド共和軍)のテロが吹き荒れ、3000人以上の死者を出してきた世界でも有名な紛争地域だ(もっとも近ごろじゃ30年間で3000人なんてのはかなり大人しい紛争にも聞こえる)。この状態を身近なところに例えて言えば、日本が今でも朝鮮半島の全羅道あたりを領有してそこに日本人が多数住んでいるようなもんである(実際イギリスとアイルランドの関係って日本と朝鮮半島の関係に良く似ている所がある)。こちらの場合は宗教が絡んでいるのでさらにややこしいことに成ってるんだけど。

 しかしこの北アイルランドの紛争状態にもどうにか収束の兆しが見え始めている。11月29日、ベルファストで開かれた地方議会は、プロテスタント・カトリック両派を組み合わせた新しい自治政府の成立を承認した。どうするかというと、プロテスタントの最大政治勢力アルスター統一党のトリンブル党首を首席大臣(自治政府の首相)に、カトリック勢力の社会民主労働党のマロン党首を次席大臣(自治政府の副首相)とし、その下の閣僚は双方から半数づつ選ぶことにする。これを受けてイギリスのエリザベス女王が12月1日に北アイルランドに自治権を譲渡し、一方のアイルランドもその翌日に「北アイルランドは我が領土」としている憲法を修正した。これで北アイルランドは大きな自治権を有する事実上の独立国扱いになるわけだ。まぁいろんな意味で折衷案の集合体みたいな解決策である。もちろんそれで丸く治まるならそれに越したことはない。
 もちろんこの決定には北アイルランド内でも反対の声がまだまだ多い。議会のプロテスタント派の抵抗も大きかったし、カトリック側のIRAも武装解除ではまだまだ問題を残している。いちおう元IRAの幹部だった新教育大臣は「過去のテロや暴力の時代を越えよう」とIRAの解体を約束しているが…まぁここまで来たら後戻りはしないものと信じたい。

 一方で同じような和解話をすすめていたのに、どうやらご破算になっちゃったのが、スペインのバスク地方だ。スペインとフランスに挟まれたバスク地方は昔から独自の言語・文化を持っており、強烈な独立意識を持ち続けていて、独立運動を展開しているETA(バスク祖国と自由)はIRAと良く似たテロ活動を行っている(実際にIRAとも関係が深いらしい)。このところここでも北アイルランドと同様の和解話が進んでいたのだが、どうにもうまくいかなかった。
 11月28日、ETAは昨年9月以来続けてきた「停戦」を終結させる、と宣言した。要するに「戦争状態に戻すぞ」というわけである。これに対してスペイン(ついでながらフランスもらしい)は警戒体制に入り、バスク独立支援側でもこれに反対する声明が出されている。
 なんでこちらはうまくいかなかったのか、ということについては何やらややこしい事情があるようで簡潔に書けないのだが、要するにスペイン政府はバスクの「独立」「自治」を認めようとはしなかった、ということに尽きるようだ。

 中東ではどうやらパレスチナ独立が来年中には達成される見通し。これでも一年以上の遅れなのだが、ちょっと前までは考えられなかった事態なんだから世の中まだまだ捨てたもんじゃないと思わせてくれる。先日来日していたヨルダンのアブドゥラ新国王は「エルサレムをイスラエルとパレスチナの両国の共通の首都に」なんて構想を披露していた。それはなかなか大変だと思うけど、実現したら非常に面白いところ。来年は2000年という節目ということでローマ法王もエルサレムを訪問する事が決まっているし。

 インドネシアでもアチェー独立問題が正念場を迎えているようだ。東ティモールのケースと違って周辺各国があまり独立に賛成してない様子なので即独立とはいかないだろうけど、一歩間違えると泥沼化の恐れもある。この辺はワヒド大統領がどう対処するのか見ものだ。

 紛争と言えばロシアのチェチェンですねぇ…ここはどうにもネタとしてまとめにくいので取り上げてこなかったんですね。一段落したら取り上げてみましょうか。



◆日本最古の「漢字」か?
 
 日本における漢字使用はいつからか、という問題については、当サイトの「ヘンテコ歴史本」コーナーの掲示板に先日書いたばかりだった。例の「新ゴー宣」で『国民の歴史』の内容を紹介しており、そこで「一万年の縄文文明を持っていた日本は漢字の使用を600年にわたりためらっていた」という下りが出てくる。思わずそれにツッコミを入れていたのだ。だって「そのまま漢字を導入していたら日本人は中国語を話していたかもしれない」なんて言ってんだもん(笑)。
 僕はそこで稲荷山鉄剣の漢字が5世紀のものであり、さらには3世紀の邪馬台国なんかも魏への朝貢の際に漢文を使った可能性があると指摘した。その直後、弥生時代の遺跡から出た土器に「ひょっとして漢字の「田」じゃないか?」と見られる「記号」の発見が報じられたのだ。

 三重県嬉野(うれしの)町中川の貝蔵(かいぞう)遺跡から出土した問題の土器は2世紀後半製作のものと推定された。これを赤外線カメラで撮影して専門家の鑑定を受けたところ、筆で書かれた「田」と読める「文字」が発見されたのだ。筆順も鑑定したところ、「くにがまえ」から書きはじめて中の十字を書くという当時の中国と同じ筆順であることが確認され、鑑定にあたった五人全員が「文字だ」との判断を下した。もっともお一人だけは「この一字だけなので記号という可能性も捨て切れない」という慎重姿勢を示していた。
 この報道ではじめて知ったのだが、「田」の字の発見はこれが三例目なのだそうだ。しかも一例は今回の発見があった貝蔵遺跡からたった300mしか離れていない方部(かたべ)遺跡から出土した4世紀の土器だ。もう一つは熊本県から出たよろいの止め具にあった文字。今度の発見はこれらより百数十年早い「田」使用ということになる。もっとも上には上があるようで同じ三重県から「奉」じゃないかと思われる「文字」が刻まれた高坏が出ていて、こちらは2世紀前半ではないかと推測されている。

 もちろん発見例があまりに少ないし、「田」の字がやたら多いなど、「漢字使用」と断定するにはためらいの余地もある。2世紀後半と言うと例の邪馬台国の卑弥呼さんの時代だ。漢字を使っていても何の不思議もないが、まだまだ全面的な使用には到っていなかった可能性はある。ただ「使用をためらっていた」っていうようなことはないみたいですけどね(笑)。
 ついでながらこの文章は『国民の歴史』の発行元・産経新聞の記事を大いに参考にさせていただきました。社をあげてあの本の内容をバックアップするわけにもいかんのでしょうな。
 



◆騒然!WTO!

 ついこのまえ当コーナーで「中国のWTO(世界貿易機関)加盟実現へ!」というネタを取り上げた。僕などは「なんでそこまでムキになって入りたがるんだろ?」と首をかしげるぐらいだが、中国という国、やはり昔から面子にこだわる傾向が有るのかも知れない。「WTOに入らなきゃ一流国扱いされない!」ってな感覚なんだろうか。WTOに加盟することで受けるデメリットも大いに考えられるはずなのに…と思っていた。
 だいたいWTO自体だっていろいろと…と思っていたら、この始末。シアトルで開かれていたWTO閣僚会議はとんでもないことになっていた。

 まず驚かされたのがあちこちから集まってきたNGO(非政府組織)のデモ集団。彼らはWTOの進める「グローバルな自由貿易」が世界各地の雇用問題を悪化させ、自然環境を破壊するとして、WTO閣僚会議そのものを阻止しようとする抗議行動を起こしたのだ。ついには一部は暴徒化し略奪行為まで起きた。そしてとうとう州兵出動。シアトル市内には非常事態宣言・夜間外出禁止令が出されてしまった。まるで内戦でも起きたかのような反応である。
 これと呼応してロンドンでもデモ・暴動が起きていた。どうもインターネットによる相互の緊密な連絡や参加呼びかけがあったようだ。EUはもともとアメリカ主導の自由貿易体制には批判的なところがあるから(そもそもアメリカに対抗するためにEU作ったようなところもあるし)かなり過敏に反応したようだ。ロンドンのデモ隊が「資本主義廃止!」「資本主義打倒!」などと書いたプラカードを掲げていたのには笑ったなぁ。どっちが「社会主義国」なんだかわからなくなってくる。
 もっともこうしたNGO集団がシアトルに押しかけてきた原因だが、一つにはクリントン政権が来年の大統領選をにらんで、民主党支持の環境団体・労働団体などの声をWTOに反映させようと考えて彼らに一声かけた、なんてことがあったらしい。案外アメリカはあれで今回のWTO閣僚会議をはじめからウヤムヤにさせちゃうつもりだったのかもしれんなぁ。しかしNGOの勢いが予想以上に大きく、ビックリしたというところじゃなかろうか。

 どうにか閣僚会議が始まったものの、そこは各国のエゴの張り合い合戦の場。とくにアメリカは先程も書いたように来年の大統領選をにらんで国民受けしそうな方向へ話を進めようとして議長国として顰蹙を買っていた(裏返せば別の時期だったらもう少しうまく話がまとまったような気がしてる)。EUや日本といった先進国間で勝手に話をまとめようとすれば、参加国中圧倒的多数の発展途上国がこぞって反発。何やら「新植民地主義」なんて言葉を連想させる状況だった。

 結局すったもんだの末、WTO閣僚会議はなんの宣言も出せないまま打ち切られた。じゃあこれで自由貿易も終わりかなどと言う気の早いことを書いている人も見かけたが、まぁこの程度の紆余曲折は予想の範囲内でしょう。ケンカを十分にしておかないと親友にはなかなかなれんそうだし。
 


99/12/5記

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