陶山義高 | すやま・よしたか | 生没年不詳 |
親族 | 父:陶山重高? |
官職 | 備中守? |
生 涯 |
―笠置山を陥落させた殊勲者―
備中国陶山(現・岡山県笠岡市)の武士。『太平記』巻三には「陶山藤三義高」として現れる。元弘元年(1331)、後醍醐天皇が笠置山に挙兵すると、それを攻める幕府軍に加わっている。
笠置山は難攻不落の要害で、幕府の大軍相手に後醍醐方はよく善戦し20日間以上も抵抗を続けた。陶山義高は同じ備中武士の小宮山次郎と語らって抜け駆けの功名を狙い、9月28日夜に50人ばかりの兵を率いて風の中をおして笠置山裏手の絶壁をよじ登り、後醍醐の行在所に火を放って後醍醐方を混乱におとしいれた。この混乱をみて正面から幕府軍も突入し、笠置山は陥落、後醍醐らは逃亡したが間もなく捕えられた。笠置山が背後の断崖からの奇襲で陥落したことは他資料でも確認できるが、陶山・小見山の名については『太平記』のみが記すことで確認ができない。
その後、赤松円心軍が後醍醐側で挙兵して京都を攻めた時に「陶山次郎」なる者がこれを破り、その功績によって「備中守」となるが、足利高氏の寝返りによって六波羅探題が攻め落とされ、北条仲時以下探題の一行が近江・番場で集団自決した時に、この陶山次郎も運命を共にしている。これを陶山義高のこととする人も多いが『太平記』では別人扱いのようである。
笠岡では「陶山神社」があり、義高が祭られている。
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大河ドラマ「太平記」 | 第12回「笠置陥落」の回のみ登場(演:新みのる→現・新実)。風の中崖をよじ登って笠置の行在所に火を放つ場面だけの登場で、セリフらしいものもほとんどない。 |
歴史小説では | 笠置山陥落の戦功者ということで小説などでも名前はよく出てくるが、ほとんどそれだけである。 |
漫画作品では | 登場はしないのだが、沢田ひろふみ「山賊王」に触れておく。この漫画では笠置陥落は大幅にアレンジされており、絶壁を登って奇襲するアイデアは足利高氏が提案、しかも後醍醐側は計略により笠置をひそかに脱出して幕府軍に罠を仕掛ける展開になっている。ここで崖を登って罠にはまる武士が陶山義高かもしれない。 |