パントマイムを語る

'84年8月、日本初・能舞台でのパントマイム公演
清水きよしの代表作「幻の蝶」
第一部 風船売り/手品師/ペンキ屋/たばこ
  第二部 つり/秋の日の想い出/いのち/幻の蝶

この対談は「幻の蝶」十周年記念(1989年2月)のパンフレットに掲載されたものですが、その頃から現在まで基本的な考え方は変わらず同じ気持ちです。
2000年は100回を迎えます。


"幻の蝶"を追って……

―対談― 辻本晴彦(照明家) × 清水きよし

―― 「幻の蝶」も再演を重ねて十年ということですが、やはりめでたいことで、お祝いを申し上げます。作品を時間を置いて再演するのはとても良いことだし、必要なことでもあると考えていますが、十年というのは凄いですね。

清水 今考えてみると長いようで短いし。最初はそれまで小さい空間でばかりやってきて、大きい空間が欲しいと、内容よりむしろ単純にそのことだけで始めたのですが、いつも空間ということを考えてきた十年、みたいな気がします。とくに言葉がないということで、身体の動き方や使い方、どういう風にしたら思いが伝わるか、立ち方とか移動の仕方、空間の意識の仕方みたいなことを考えてきた、それが、最終的に能舞台で演じることにつながって来たと思うんですけれども。

―― 能舞台でやるようになられたのは?

清水 十年を区切ってみると半分位ですね。それ以降能舞台のあるところでは能舞台でやって来たんですが、能舞台のない場所でやる機会もあるわけで、額縁の舞台でやる時に、能舞台でやる以前とやって以降では、立ち方というのが変化してきているように思います。

―― 能舞台に立つ時は、何か特別なものを能舞台の方から自分に向かって、ある力みたいなものを感じるでしょう。

清水 ありますね。最初はただ威圧感だけですね。どうしようかという。何もない所にさらされているような居心地の悪さ、というのが二回目位までありました。三回目位から、今度は逆にそのことが快感みたいな、居心地良くなってくるんですね。で、普通の舞台にもどした時に、脇正面がないってことが、ものすごく不安なことに感じられて。正面からしか見られないことが寂しいんですね。気持ちも、自分の中のイメージも広がっていかない、かえって窮屈な感じ。そこらへんが能舞台がもっているすごい空間の意識の仕方ですね。役者の演技の方法の全てに関わりあってくると思うんですが、舞台はテレビと違って、正面というのはないんですよね、絶えずどこが正面になるかわからないっていう。

―― 正面から見てきれいな手っていうのは、実は後ろから見てもきれいなんですよね。

清水 多分そう思います。

―― 背中の筋肉がきちっとコントロールされている場合には前から見ても後ろから見ても同じ美しさで。

清水 結局美しさというのはそこだと思います。本当にそれが美しいものだったら、その時どこからみても隙間がないはずだと思います。

―― 「幻の蝶」の作品の中で、十年間にどうかかわって来たかということを一つの作品を例にあげますと……。

清水 やはり「幻の蝶」が自分の生き方みたいなことを照らし出していきたいと思っていたので、気持ちの中で一番変化しているでしょうね。自分が考えてきた事とか、ぶつかって来た事が集約されているような気がしますし、"蝶"がどういう風に自分にとって見えてくるかということが、おそらく一生続いていくような気がするんです。作品の中で、捕らえてもなお"幻"だったという場面があるんですが、その部分が一回一回違うんです。十年前にはただエネルギーだけで追っていたのが、あきらめみたいな気持ちが出て来て、そしたらふっと見えて来たり……。

―― 外国で生まれたパントマイムをどう吸収してきたんでしょうか?

清水 マイムを習い始めた頃は、今までと違った動きができるということが面白かったんですが、そのうちに正装して畑仕事をするような違和感を覚えまして。例えば、戸の開け方一つとっても、自分の意識の中では引き戸なんだけれど、ノブのついたドアだとか。泣くにしても笑うにしても、日本人は大仰な身振りをしなくても通じあえると思うんですが、外国では、言葉のせいもあると思いますが、動きで補うということがあるんでしょうね。それがマイムの中にもあって、その辺が一般的にマイムは大袈裟な身振りでわざとらしいものだ、という偏見のようなものになっていると思います。

―― 清水さんのマイムを見て感心するのは、清水さん自身の言葉になってる、日本の言葉を感じるのですが、意図的なものがあったのですか?

清水 当初はありました。マイムには、これぞマイムみたいな面白い動きもあるんですが、そればかり使っているとどうしてもそこから抜け出せなくなる、と思いまして、テクニックは使わない、と。たとえ未完成でも素直な心が出る動きをと考えてきたわでけすが、そして出来上がってきたのが日本的だった、ということだと思います。

―― 十年経過したことの中で、単なるテクニックではなく、表現の方法として残ったということなんでしょうね。

清水 マイムはやる方も見る方にも先入観が強いので、自分の言葉を捜していくのは難しいものですね。若い人たちもその辺で苦労しているんじゃないかと思います。

―― 清水さんの「仮面 ― KAMEN」という作品集は、清水さんらしい語り口の中で日本的でありながらも一種の国際性・普遍性、のようなものを獲得しているように思います。ストーリーを写実的な動きを中心に抽象的なあるいは象徴的な動きで作品を組み立てると、内容が日本的なものでも、普遍性を持てると思いますが……。

清水 「KAMEN」は「幻の蝶」の発展したものだと思うんです。「幻の蝶」は自分自身の生な部分で作ってきたように思うんですが、マスクを使って顔の表情をとってしまうと、どう不自由になってしまうのか、一旦表情をとりたかったんです。ですから、仮面を使うのにふさわしい作品を作ったのです。その中で動きは、抽象化・象徴化されないと仮面が生きてこなくなるんですね。

―― 不自由な事に挑戦した事で、どの国の人にも分かり易いというひとつ次元の高い象徴性を生み出したんでしょうね。

清水 作品を作っていく過程で、行ったり来たりしているような気がするんです。初めは作られた動きがいやで、日常的な動きに戻して、すると今度は舞台の表現としてそれぞれが普遍的なものにならないように感じてもう一度作られた動きが必要になってきて、というように。昨年暮れの「鉄輪」を作った時には、日本人の身のこなし方、物の見方はなんだろう、と。人間が共通して持っている動作の中の思いがあるはずだと思うんですね。例えば、一歩踏み出すことで悲しみや、怒りが見えてくるというような。そういう普遍的なものをマイムが獲得していかないといけないと思います。

―― 自分のものにしない限り、ポピュラーなものにはなっていかないでしょうね。

清水 おそらくそれが本当の意味の日本人のマイムの輝きになっていくと思いますし、どこの国の人にも通じるものになっていくと思います。

―― "蝶"で象徴されているのは、人間は飛べないですよね、たまたま蝶なんでしょうけれど、清水さん自身が、ま、ある意味で床の上をはいずり回っているところから、もう一つ何か飛び出せないか、という願いと、どこかでつながるという気がするんですけど。

清水 常識的なところで、不可能だ、とかありえない、ということを、人間というのは追って行くんだろうな、っていう気がします。それが新しい発見を生んでいくんだろうと思います。


【舞う蝶に魅了されて】
「幻の蝶」十周年記念パンフレットより抜粋

優れた短歌や俳句の作品は、その字数以上の世界を読み手に想像させ、心を満たしてくれる。「無言劇‥パントマイム‥」の諸作品は、これに通じるものがある。「無言劇‥パントマイム‥」の沈黙の動きの中から語りかけてくる言葉のなんと多いことか。(長野県 Sさん)

清水きよしは舞台上から大量のマイム・メッセージを送ります。素直に受けとめてイメージを膨らませてください。そのイメージには、彼を鏡にして、あなた自身の姿が映し出されているのです。それに気づく時、一羽だった幻の蝶は、観る者によって創り出された無数の「幻の蝶」と一緒に羽ばたくのです。(千葉県 Mさん)

テクニックを表面的に教えるのではなく、むしろ表現に関わる者が持ち合わせなければならない感性を高めることに重点を置いた指導をされている姿に尊敬の念を抱きました。(宮城県 Sさん)


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