ASTOR PIAZZOLLA
アストル・ピアソラ (1921.3.11.〜1992.7.4.)
アルゼンチン生まれ/モダン・タンゴの鬼才/バンドネオン奏者

タンゴにクラシック音楽やジャズなどの要素を取り入たオリジナル音楽を、五重奏団をひきいて演奏する形が代表的。 その独自の音楽世界に対して現在でも賛否両論があるものの、 ピアソラの没後も評価は高まる一方である。
バイオリニスト・ギドンクレーメルやチェリスト・ヨーヨーマほかたくさんの演奏家たちが、ピアソラ作品を演奏したCDを発表した影響で次第にブームになっている。TVのCMに使われたり、大学生が創作ダンスに使ったりと広がりを見せる昨今である。

PIAZZOLLAの音楽を知ったとき

私がピアソラを知ったのは、1995年。没後3年もたっていました。ピアソラを知るきっかけは、ほとんど同時に3方向からやってきました。

■映画「無伴奏『シャコンヌ』」の中で、他の人のバンドネオン・ソロを聞き、その音が気に入って、バンドネオンのアルバムを探していました。全然見つからず、アコーディオンのCDを買って帰ると、その中に「ピアソラ」と言う名前がありました。アコーディオンの演奏ではあったけれど、『カッコイイ!!』とすごく気に入りました。その曲は「リベルタンゴ」。それからピアソラを探し始めたのです。

■わたしの好きな歌手・長谷川きよしのCD「ACONTECE(アコンテッシ)」の中で、ピアソラの“OBLIVION”を「忘却」というタイトルで歌っていました。ピアノ伴奏の フェビアン・レザ・パネが、これまた、泣かせる演奏をするのです。パネさんはピアソラの日本公演を三回見てるって言ってました。ミルバとの共演も見たって! グヤジィ〜!

マリオネットのコンサートに行った時、「ぼくらのことが、新星堂の雑誌(1995.10月号)に載ってるので読んでください」と言ってたので、さっそくもらいに行ったのです。その中にファン・ホセ・モサリーニというバンドネオン奏者の記事がありました。モサリーニがピアソラ亡き後、ピアソラのタンゴを受け継ぐ第一人者だと書いてありました。この記事を読むまで、ピアソラの事をなにも知らなかったので、「えっ!うそっ!ピアソラって亡くなってるの!?」ショックゥ…


PIAZZOLLA探しのはじまり

1995年頃は、絶版になっているCDが多く、取り寄せで「ニューヨークのアストル・ピアソラ」と「アストル・ピアソラ・ベスト」がようやく手に入りました。その後、輸入盤を探しにでかけて、「HORA ZERO」と「LUNA」に出会いました。ほんとに、なんの知識もなく、店頭で手に取ったCDの、英語の紹介文から推察して決めたこの2枚が、“おすすめCD”だったと知ったのは、ずっとあとのことでした。

1998.1月、インターネットを接続して、一番に「piazzolla」と検索しました。そして、世界のいくつかのピアソラのページを発見、 Astor Piazzolla Listening Booth まで行き着いたときは、『インターネットってすごい!』と感動しました。ここではピアソラの曲をダウンロード出来るのです。膨大な量の曲数ですから、とてもとても聞くことさえ全部は無理ですが、世界で唯一の資料でしょう。

なんどかインターネットであちこち訪ねているうち、思いがけず「Yoshimura's Page (現在:よしむらのページ) 」というのを見つけました。また、この人がすごい人です。年は若いのに、ピアソラのことをよく知っています。ピアソラのことを知りたい人は、まずおすすめ!日本のピアソラ関係ではNO.1ではないでしょうか。

ピアソラのビデオが発売された という最新ニュースも、ここで知りました。取り寄せのため注文に行ったとき、「これ、昔は出てたんですけどねえ。」とややあぶなっかしい返事にも「はい!ついに出ましたという情報がありますから!」と元気いっぱい答えることが出来ました。このビデオは「LIVE AT THE 1984 MONTREAL INTERNATIONAL JAZZ FESTIVAL」で、まさに臨場感あふれるビデオです。ピアソラが動いてしゃべってる…!わたしは観客と一緒になって大きな拍手を送りました。

じつは、1997年12月、NHK教育テレビで芸術劇場「ピアソラのすべて」という番組があったのですが、これをまったく知らなかったので見逃しているのです。夫がテレビのチャンネルを変えようとしていたそのすき間に、なんかチラッと見えたので「キャーッ、ちょっと待って!」と叫んだのが終わる30分前。そこら辺にあるビデオにとりあえず録画しました。番組が終わってから、「ピアソラが動いてる…」と涙が止まりませんでした。

だから、1984年ライブのビデオが手に入ったということは、Yoshimura's Pageの情報のおかげです。Muchisimas gracias!! (ムッチャクチャ アリガトウの意)

芸術劇場「ピアソラのすべて」再々放送*1998.11.01*

一度ならず二度までも放送を知らずにいて録画を出来なかった私でしたが、ある人から知らせていただいてよ〜やく録画出来ました!
今回の放送は、ピアソラと一緒に演奏していた名バイオリニスト、アントニオ・アグリ氏が10月17日亡くなられたことを悼み、放送されたものでした。ご冥福を祈ります。


「ピアソラってなに?」という質問

この質問をされるといつも返答に困ってしまいます。「タンゴ…なんやけど、タンゴじゃないねん」と言うと、「何それ?」と余計にわからなくなりますよね。ジャズのような感じが強いかな?でも、ジャズとは言えないし…ネ。

☆この説明でわかる人がいるんかい!!☆

「まあ、いっぺん聞いてみて」としか言いようがないのです。でも、タンゴをイメージして聞いてみると、確かに違和感はあります。 でも、やっぱり「タンゴのピアソラ」なんですよ。ほんと、一度聞いてみてください。今だったら、輸入盤のCDを置いているところだったら、”タンゴ”の売場にたくさんあります。たくさんありすぎて迷う人は、「HORA ZERO (ZERO HOUR)」がいいかな。でもいっぱいお薦めがあるので、上記の「よしむらのページ」で探してみてください。


ピアソラ語録

NHK衛星第2放送での番組「ピアソラ'84〜'86」1998.8.27
インタビューを中心に、ピアソラの音楽についてまとめた2時間番組
1984年 モントリオール・ジャズ・フェスティバル
1985年 ケルン放送交響楽団との共演
1986年 インタビュー

この時のインタビューの中から、一部ですが、ピアソラ語録を書きます。
ピアソラは伝統的なタンゴに挑戦し、戦い、成功した。それに関して。
「奇抜な音楽をやったからといって、現代的とは言えない。人とは違うことをやりたい人は勘違いをしている。そういう人が失敗している。現代音楽を作曲する者は、自己のアイデンティティーを失ってはいけない。私はアルゼンチン人だ。その土地の香りを持っていなければいけない。」

これは芸術全般にあてはまる言葉で、芸術に関わる人は誰しも心にとめておかなくてはならないと思います。


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