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わたしとギター

ギター

      演奏の記録(2005.11.07.) | ぎたあ好きのエッセイ(2005.05.04.更新終了)

     ギターの基礎訓練あれこれ(2006.05.04.)文章で説明するのは難しいのですが、ほんの少しでもお役に立てたら…。


★ギターとパントマイムと落語のいもづる式接点(2005.9.4.更新)

  • はじめに音楽が好きでした。
  • 楽器がギターになりました。
  • 大西先生の紹介で今のギターを買いました。
  • 10年後習いに行きました。
  • 先生の知り合いの自宅で桂雀三郎さんの落語会がありました。(桂雀三郎さんの落語を聞く前は桂米朝さんと桂枝雀さんが好きでした。)
  • パントマイムを始めました。(きっかけは桂雀三郎さんの影響もあります。)
    パントマイムは大西先生に習ったことすべてと共通していました。ギターより自由に楽しく舞台に立てました。
  • 清水きよしさんを知りました。ポルトガルギターとマンドリンの“マリオネット”との共演もありました。ギターとの共演もありました。清水きよしさんには舞台に立つ本質を教えてもらいました。私の目指す方向です。
  • 清水きよしさんを見に行った時に清野拓巳さんが出演していました。
  • 清野拓巳さんのライブを聞きに行きました。清野さんの演奏を聴いているとジャズやクラシックというジャンルにかかわらず、ギターを弾く時に一番大切なことを学びました。清野さんとはジャンルに関係なく多方面の話ができます。
  • 入力は見るもの・聞くものすべてのこと。出力はギター。(どの芸事も私の想像力を刺激してくれます。映画を見ているようです。)
  • 私に大きな影響を与えたいもづる式接点:
    クラシックギターの大西博愛 → 落語の桂雀三郎 → パントマイムの清水きよし → ジャズギターの清野拓巳

★わたしの恩師 ★わたしのギター
尚永 豊文(なおえ とよふみ)先生
  京都市在住

1967年5月から1971年2月まで師事
溝淵浩五郎編著の「カルカッシ・ギター教則本」を終える。

野辺 正二(のべ まさじ)
  1968年注文品・絃長66cm

●大西 博愛(おおにし ひろちか)先生
  寝屋川市在住

1981年9月から1994年12月まで師事
その後も年一回ぐらいのペースでレッスンを受けている。

水彩画も教えておられます。
水彩画(カルチャーハウス香里ヶ丘)

●Jesus Belezar Garcia(ヘスス・ベレサール・ガルシア)
  1971年注文品・スペイン製・絃長66cm
  1971年12月個人輸入により入手

★大西博愛先生 ★Jesus Belezar Garcia

大西先生の弟子

・ギタリスト
野村 芳生(のむら よしお)名古屋市在住
松永 一文(まつなが かずふみ)大阪市在住
Pino Eterna(Erika Strobl & Kazufumi Matsunaga)
古賀 修(こが おさむ)北九州市在住

・ギター製作
庄司 清英(しょうじ きよひで)大阪・守口市在住

・ギターショップ
smg guitars菅 勝(すが まさる)大阪・堺市在住

・割烹料理小田大阪・守口市

・ほか、アマチュアの人も多数おられます。

大西先生のレッスン

「人間がやってることなんやで」
「人間」は機械ではない。感情を持っている。頭で考えて作ることよりは、どうしたくなるかを感じること。私は始めの頃「自然に!」と注意された時、なにが自然なのかわからなかった。「考え過ぎや」とよく注意された。
■曲を弾けるようになってから表現を考えるのではなく、曲に取り組む最初から自分の表現を考える。なぜなら表現が変わればテクニックも変わってくるからである。エチュードでも、私がその曲を通じて言いたいことを表現しなければ、「ただ弾いてるだけやんか!」と叱られた。
■心で思わなければ指が動かないような指に育てる。「こういう音がほしい」と願うこと。つまり、耳の感性を育てること。音色だけではなく音の大きさやタイミングについても、まずはじめに自分の感情があること。
■ほんとのリズムを持っている音楽。カウントとリズムは違うということを教えてもらった。呼吸と合ったリズム。浮くことのできるリズム。このリズムのおかげで、ポップスもダンスもアフリカ音楽もすべてがわかる。
■嬉しかったことは「あきらめるな」と励まされたこと。
■ギターの構え方、右手・左手の形、右手のタッチの変化と音の種類、すべてに力を抜くこと、フレーズ、曲の解釈、etc.たくさんの経験が生徒を教えるのに今役立っている。

1970年、ギターを習いはじめて2年ぐらいのころ、ギターへのあこがれから「スペインへ行こう!そしてギターを買おう!」と燃えていた。そして、「現代ギター」に載っている大西先生の写真を見て、「Aguadoがほしい」と思った。大西先生の住所を探してお宅を訪ね、まず先生の紹介でAguadoに手紙を書いたところ、価格が高すぎて手が出せなかったので、そう返事を出したら、『私の弟子のギターは半額だが、ギターの良さは変わらない。変わるのはネームバリューだけだ。』との返事。それでBelezar Garciaを注文した。

あこがれのスペインへはギターを買って2年たった1973年に行った。それで工房にもおじゃまして、Hernandezさんと一緒に写真をとらせていただいた。(私が工房を訪れたときはAguadoさんは病気で、Hernandezさんが一人で作っておられたときだった。)HernandezさんがGarciaさんに電話をして「君のギターを買った日本の女の子が来てるよ」と言ってくださったが、Garciaさんにはお目にかからずじまい。私はHernandezさんとバーへ行って一杯おごってもらった。その日は奇しくもパブロ・ピカソが亡くなったというニュースがラジオから流れていた。(1973.04.08.)

エルナンデスさんと私「乾杯!」 エルナンデスさんと私、ギターを前にして
エルナンデスさん:1895生-1975没

この楽器は私の手には少々大きい。しかし、長年使って身体の一部になってしまったBelezar Garciaの音は私の演奏と一心同体といえる。この楽器は私の要求しない音は出してくれない。ということは、欲しい音がでないのは私のせいということになり、ごまかしのきかない演奏を要求される。この厳しさが好きだ。

2002.12.09.
Jesus Belezarで検索:
Historic Guitar Makers of the Madrid School
Hernandez y Aguado (Madrid, active 1950s-1970s)
この記述の中に名前がありました。
Hernandez y Aguado というのは 二人の人の名前で、共同でギターを作って おられました。私の恩師、大西先生が持っておられるギターです。 Hernandezさんも、Aguadoさんも、Belezarさんも、みんな亡くなりました。 Hernandezさんが78歳の時に私が会ったんですね・・・。 その2年後に亡くなってる。Aguadoさんはもう工房に来ておられなかった。 Belezarさんは1986年に亡くなられたと「現代ギター」に載ってたな。 今、私のギターは最高にいい音出してます。

2003.11.03
ドゥーズ・コルデの愛器
ベレサールさんに関する話題。


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