学校での思い出

夏休みも終わり、学校生活が始まった。
私は、相変わらず朝からお弁当を作り、
下校の途中で夕飯の買い物をして帰る毎日。

私の定番おかずは、豆腐のお味噌汁
父が言っていた
「お前の十八番だな、いつも同じおかず(副菜)だ」
誉めて貰ったことはないが、
これが褒め言葉だったのかも知れない。

ある時、修学旅行の話があり、
参加できる人は修学旅行費を添えて申し込むように
と先生から説明があった。
貧しい我が家のこと、行かせて貰えないのは
覚悟していたが・・小学校最後の修学旅行・・と
言うことで行かせて貰うことが出来た。
その時の私の気持ちは、嬉しいのと悪いなあ・・
との気持ちの中で素直に喜べなかった。
家庭の財布が解っていたから。

その中で持ち込みお小遣いは決められていたけれど
行かせて貰うだけで精一杯の我が家のこと
とうぜん、お小遣いの事は言い出せなかった。

すると 母が、・・・・
そっと少しのお小遣いを渡してくれた。
「父ちゃんに内緒だよ、お土産はいらないからね
 あんたが食べたい物を買って食べて頂戴、
 お友達ともね」・・と言って。
きっと私の学友の事を気遣ってくれたに違いない。

それでも無事修学旅行から帰り、
少しのお土産を買ってきて、家族に渡した。
弟たちは喜んだ。父も黙って受け取ってくれた。
お金の出所は聞かなかった。父も解っていたのだろう。

小学校最後の運動会

運動会の前日は、何時ものことだが 夜遅くまで
母が、お弁当作りに精を出していた。
この日ばかりは、父も大判振る舞いで 運動会当日は
御馳走が並ぶ、父も寝ないで、母の傍で 巻きずしの
端きれなどを貰ってつまんでいる。
私はとうぜん、お手伝い 巻きずし、いなりずしを作る。
私が作った巻きもいなりも見かけは悪いけれど
母が作った傍のお重に詰められた。
弟たちは早く寝ていた、それでも眠れないのか
チラチラと私達の方を見るが、父に「こら!はよ寝らんか」
と怒鳴られて、布団にもぐっている。

この運動会を一番楽しみにしているのは、父である。
運動会の種目の中で町内対抗リレーが必ずある。

それに毎年父はアンカーで走る。
スポーツマンでもある父・・
わが町内は 弟がバトンを落とし、5位を走っていた。
アンカーの父にバトンが回ってきた。
そしたら 私達の見ている前で、ドンドン前に走る人を
ゴボーぬきして、1位になったのだ。
私たち子供もそして町内みんなもびっくり!
私は鼻高々、その時のタイム記録は
現在でも抜かれていないそうだ。
私は走れないので、世話役係を務めた。

そして昼食の時間になった。私は早乙女の競技に
出るため、昼食はお預け、
父は近所のおじさん達を招いて、ござを敷いた場所で
アルコールを美味しそうに飲んでいた。
もちろん、あの夜遅くまで作った御馳走は
私達子供たちの口にもはいったけれど、
父のご近所さんとの交流の為でもあったらしい。
父の笑顔は我が家ではめったに見れないこと、


学校での思い出(中学校)