戦後の昭和(生まれてきたけれど・)
  
超未熟児

小さな小さな身体でこの世に生を受けた私・
母乳は出なくて、
おもゆがミルク代わりだったらしいが・・
それでも、少しずつ少しずつ成長していたようだ
母と父は、初めての子を大事に大事に
育てようとしたに違いない。
生まれたのは五月・・季節的には、
育てやすかったと思うが、
それでも秋の声を聞き始めた頃から、
よく風邪を引いた・・と聞いた。

それから、しばらくして、実家を出て、
ある小さな町へ移り住んだ。
父の仕事が見つかったのだ。

翌年の十一月に弟が生まれた。
わたしはそのとき、一歳六ヶ月。
母は生まれたばかりの弟の為にミルク買出しなどで、
弟を背中におぶり、よちよち歩きの私の手を
引いて出かけていた。

肺炎になる
冬になり寒い日が続いたのか、私の身体が
弱かったのか十一月末に肺炎になって入院、
このときの様子は、母から聞いていて、
なんでも医者から「もう駄目かもしれない」と
さじをなげられたそうな!?

私の記憶に中に・・かすかに残っている事、
病室のベッドに寝かされている私を、
必死で覗き込んでいる誰かを、私はなぜか
その部屋の天井の片隅から見ていたのだ。
そして「わたしは、ここよ ここよ・」と
聞こえるはずもないけれど呼びかけていた。
それは今でも脳裏に焼きついている・・
あれはなんだったのだろう 
世によく言う離脱体験??だったのだろうか

そんな珍しい体験の中にも、
なんとか持ちこたえて
私は、肺炎を克服する事が出来た。
母も父もホッとしたに違いない。

それから年末、お正月と・過ぎていこうとしていた。
一月七日のある日、母は何時ものように 
弟をおぶってミルクを買いに出かけた。
いつもと違っていた事は、病み上がりの私が
いなかった事。





         火の手が・・