母の苦悩・・・

来る日も・来る日も・病院通いと
父からの仕打ちに、母は日に日に、
身体全体に心身の疲労の跡が見えるようになっていった。

そんなある日、独身時代に仲の良かった
友人と会ったそうだ。
まだ独身の彼女は、母の姿を見た後、
結婚する事に強い拒否反応を示したそうだ。 
母の独身時代の明るい性格を知っていた彼女は、
母のあまりの変わりように、一生結婚はしない・
と決めた・・とか。

それだけ、母は私達子供の為に耐え忍び、
我慢の毎日だったに違いない。

引越し

火事で焼けた家を出て・次に住んだ場所は、
またまた田舎の ある会社の借家だった。
そこでの暮らは、小さかった私の記憶にも
よく残っている。
雨が降ると、雨漏りがひどかった。
お風呂もなく、井戸も共同で使うものだった。

食材
その頃、父は、今で言うアルバイトみたいな事を
やっていたように思う
母は近くの工場で、日雇い労働をやっていた。
家族が暮らしていくのに、食べ物がなく、
母は日雇いの合間に借家の前の畑を借りて耕し、
経験のない畑仕事をお百姓さん方に物の作り方を
教わりながら、麦・とうもろこし・
サツマイモ・かぼちゃ・・等
とにかく、食材になるものは何でも作っていた。

田舎の家に引っ越して二年経った頃 
二人目の弟が誕生した。

しかし、残念ながら二年後に妹が誕生するまでの期間の
記憶が私の中にあまりない。
ただ・・・・
その頃の私は病気ばかりしていたような気がする。


母と子供の病気

       母と子供の病気・・・