片田舎での思い出その二

片田舎での暮らしは厳しいものだった。
やっと買った卵一個を、醤油で倍ほどに増やして、
兄弟四人で分け合って食べたり、
朝のおかずの魚の骨を、パリパリに炙り、
砂糖と醤油にまぶしておやつにしたりしていた。

やがて 入学した小学校でも、
お米で作ったお弁当を持って行く事は滅多になかった。
また、私達の村からは、バス通学が普通であったけれど
二キロ以上もある道のりを毎日、朝六時ごろに
家を出て歩いて通う毎日だった。

ここで、入学前の出来事を少し・
記憶にあるものだけ。

私は幼稚園に行っていない・・
そのせいか小学校入学前に
試験があった事を覚えている
入学する学校の、ある教室?で 
一人ひとり名前を呼ばれて
先生と二人向き合って座り、
目の前にある、白い紙に書かれた丸や三角を
なぞり同じものどうしを線で結ぶ・・
というものだった。
私は、緊張していたけれど、その絵を見たら、
楽しかったような記憶が残っている。

やがて小学校へ入学、入学式までに セーラー服や
教科書等、買って揃えておかねばならなかった
この頃は、教科書も家庭の家計の中から
買わなければいけない時代だった。

貧しい我が家は教科書を買い揃える余裕もなく、
近所の上級生の家を回って、お古を分けて頂いた。
母は、そのお古の裏に書いてある名前を消して、
私の名前に書き直してくれていた。

初めはみんな、新しい教科書で、開くのが恥ずかしく、
隠すように、机の下のほうで、そっと開いていた
記憶がある。

お見知り遠足の日
やがて、お見知り遠足の日がやってきた。
その時の忘れられない記憶
朝から先生の引率で 昔の飛行場跡へ・・
小さな身体に大きなリュック、
中はお昼のお弁当が入っていた。
私の姿は人より小さく細かったことでたぶん
リュックが歩いているように見えたに違いない。
父兄も一緒だった。何処かのおばちゃんが、
リュックを持ってあげる、と言って
持ってくれたのだけれど・・
お昼時間になって
それぞれ家族でお弁当を開く時、私は
あせってしまった。私のリュックはどこかの
おばちゃんが持ってくれたのだけれど
そのおばちゃんの顔を覚えていなかった

その時母は、私の下に三人の子供がいる為、
参加は遅れてやってきた。
母も一緒に、そのおばちゃんを探してくれた。
私は半分泣きべそをかいていた、
みんながお弁当を広げている間を
母と一緒に回ったのだ。

やっと 見つかったおばちゃんが私に
「探したのよ・・早く見つけれなくてごめんね」・と
言いながらリュックを渡してくれた。

すべって転んで・・

あるとき、冬の寒い日 
雪が降って道路もコチコチの朝、何時ものように
学校へ・・・ところが、
長い下りの坂道に来たら、滑って、しりもちをついて、
何度も、何度も滑って転んで、
着ているものは雪でびしょびしょ
それでも家には帰らず、
そのまま 学校へ行った。
寒くて寒くて・・ガタガタとふるえながら、
勉強した記憶がある。そんなことの繰り返しの中
私はこの小学校で三回目の夏休みを迎えようとしていた。

転校の日 さよならの挨拶





         転校・・