庭師への道のり
「俺は庭師になんねや!! 箒屋になんのとちゃうで・・・」と箒作りのときにいったことがある ご承知のように私たちの仕事は雨降りに弱い だからといって休んでばかりもいられないので雨降り仕事として袖垣作り 箒作りがある 入門したばかりのとき雨が降れば休みであると思っていたら当てがはずれたので 八つ当たりに「箒みたいなもん 作らんでも買うたらええねんや・・・」とぶつぶつ文句をいっていると「何いうてんねん箒は植木屋のなんやと思てんねん植木屋の仕事の仕上げに使う大事な道具や そんな大事な道具やのに人の作ったもん使えるか 箒も作れへんのに文句ばかりいうな ちゃんと作れるようになったらなんぼでも文句いえ」兄弟子の言葉である 私は腹が立って仕方がないが「箒ぐらい簡単や その気になったらなんぼでも作れるわ・・・」とタンカを切ったものの さてやろうとすると簡単そうに見えている笹箒の作り始めがどういう風になっているのかちんぷんかんぷん分からない 兄弟子からは先ほどから怒られているので「教えてください?」とはいいにくい そこで兄弟子の作業ぶりを盗み見しながらまねて作った 兄弟子が2本作るところ私は1本も作れなかった 兄弟子は遅い私を見てにやりとして「えらそうにいうてもでけへんやろ」とばかりに得意顔をするのである
「最初からできるもんはいやへん 今にみてろ!これみてみい ほれできたやろ 兄弟子のとちょっともかわらへんのができたわ」と出来上がった箒を眺めながら また兄弟子の箒とくらべながら心でおもった 庭師の使っている箒は皆手作りである
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モウソウチクの枝を1本1本組み合わせて作ったもので その1本1本の枝の当てがう向きがある それは自然に生えているモウソウチクを想像してほしい その状態で枝の上面の部分を箒の中心に向け 箒を回しながら手のひらいっばいになればほぼ出来上がりである そして穂の長さは自分が使いやすい長さに決め 手許のところで枝の節をそろえ その節を挟んで両方を針金でしばる そして枝の元のところを切りそろえると出来上がりである そうすれば針金でしばったところはつぼまり 節のそろっているところはふくらみ握りやすく仕上がる
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新米である私は仕事場に行っても茶汲みか掃除ばかり「仕事らしい仕事はなかなかさせてもらえない」今日もまた掃除である しかし 今日はいつもの掃除と気分がちがう それは自分で作った箒の試し使いをするからだ 今までは兄弟子が作った箒で掃除をしていたが自分の作った箒で掃除をするとなると掃除という仕事がその瞬間すばらしいことに思えた しかし そう思ったのもつかの間 なんと掃き具合が悪いこと いつもなら一振りですむところ 2振りも3振りもしないとごみが取れない 悪戦苦闘している私を見て兄弟子は 「どうや使いごこちは」と笑いながらいって「お前の作った箒でまともな仕事ができたらだれも苦労せんわ」といわんばかりであった 私は以前に増して掃除がいやになった せっかく自分で作った箒で「これみてみい・・・」とばかりに掃除がしたかったのに「やはり えらそうにいうだけあって兄弟子の作った箒はちがうわ」と素直には言えなかった 悔しいが認めざるを得ない そして兄弟子のいうとおり なにもできない自分がはがゆくて自分自身に腹が立った
いつもおやじは「掃除ができたら一人前の庭師や」といい 庭師が育っていくのと平行して箒作りがうまくなるというのである 「掃除ばかりで仕事らしい仕事さしてもろたことない・・・」などとロぐせのようにいっていたが 庭の掃除はそう簡単な仕事ではない 仕事らしい仕事などと不服をいっていたが 庭仕事において掃除は仕事の中の仕事であり 出来上がった作品をよくするも悪くするも仕上げの掃除にすべてがかかっているのである だれにでもできるようであるが 新米のした掃除と兄弟子のした掃除とは 大きい差があり 仕事は掃除に始まり掃除に終わるというぐらいである だから新米とその現場の一番熟練工の兄弟子とはつねに同じ仕事をするのである 植木のせん定などでは兄弟子の仕事はマツの木かそれとも掃除である 新米はこのマツの木に兄弟子といっしょに登り 手ほどきを受ける そして掃除になっても本当の仕上げは兄弟子がする 新米は荒ごみを出したり 兄弟子のはいてゆく前にたまったごみを取ったり 仕事がしやすいように手助けするわけである
箒の使い方
1. 箒の先が曲がらないように使う(そのためには箒を回しながら使う)
2.振り数を少なくして掃き取る(上手に掃けば振り数が自然に少なくなる)
3.箒で掃くより腕で掃け(箒という道具にたよらないで腕で つまり技術で掃けということ)
箒の使い方を見れば その庭師の仕事ぶりがわかるといわれている 上手な人が箒を使っていると ごみの方で舞い飛んでいくように見える 不思議なものである 私は今でも雨降りには箒を作っている やっと使える箒が作れるようになった
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