次の文章へ進む
V.政治・経済・金融・我が仕事へ戻る
「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

銀行生活雑感(二〇〇三年〜二〇〇四年)

 

リスク管理

 「湿ったティッシュ以外はごみ箱に捨てるな」と、僕が昔仕えていた上司N氏は口を酸っぱくして言っていた。今で言う情報管理の重要性、リスク管理の緊張感を持つことの大切さを身に沁みさせてくれた、ありがたいご指導であった。

平成一五(二〇〇三)年一月二一日

 

事務の大切さ

 国有化前後に当行の経営に携わられたK氏から学んだことは、「事務の大切さ」ということである。考えてみると、日本の銀行は現在なお苦境にあるが、欧米の金融機関と比べて日本の銀行が今も昔も変わらず優れているのは、事務の正確さ、迅速さであろう。K氏は、とかく事務を軽視しがちな当行の職員に、小さな改善の積み重ねや事務の定量評価によって事務に携わる一般職の向上心を涵養することが大切だと教えてくれた。

平成一五(二〇〇三)年二月一三日

 

出口戦略を明確に

 りそなグループの実質国有化や北陸銀行と北海道銀行の経営統合や生保の予定利率引き下げなど、金融セクターをめぐる政策が次々打たれつつありますが、いずれも出口戦略が見えないのが気になります。「経済社会への影響の大きい金融機関ゆえ法的整理にだけは至らしめない」ことしか考えられていないように思えます。旧長銀や旧日債銀の時のように、期限を区切って最終的にしっかりした民間の資本に委ねるといった出口戦略がはっきりせず、その場しのぎの時間稼ぎのように見受けられます。国が保有したりそなグループの普通株は最終的にどう処分するのでしょうか。不良債権処理の遅れている北陸・北海道両行は新たな資本も入れずにどうやって不良債権処理を行うのでしょうか。これほど経営に格差のついた生保業界を一律に救おうとするのが正しいのでしょうか。

 総じて、もっと民間プレイヤーと市場原理を活用して出口戦略を明確にした政策を取るべきだと小生は考えます。

平成一五(二〇〇三)年六月一日

 

成果主義の正しい理解のために

 「能力×やる気×運=結果」の恒等式で理解するのがわかりやすい。この式の右辺の「結果」を見るのが成果給(いわゆるボーナス)であり、左辺の「運」を除いた「能力×やる気」の部分、即ちプロセスを評価するのが基本給(いわゆる月給)であり、昇格昇給である。

平成一五(二〇〇三)年七月一日

 

円を中心にした外国為替表現を

 外国為替相場を言う時、「円安」とか「円高」という表現がされますが、これはドルを基軸にした円相場の表現です。他方、ユーロなどドル以外の通貨については、「ユーロ安」という具合に、円を基軸にしてその通貨の相場が表現されます。この慣用法は非常にわかりにくいと思います。

 我々日本人は、円に対しての外国通貨の価値に関心があるのですから、すべての外国通貨に対して円を中心に表現すべきであって、円/ドル相場だけドルを中心に表現するのはやめたいものです。つまり、「きょうは三十銭円安になりました」ではなく「きょうは三十銭ドル高になりました」または「三十銭ドルが値上がりしました」と言うべきであり、「きょうは八十銭円高になりました」でなく「きょうは八十銭ドル安になりました」または「八十銭ドルが値下がりしました」と表現すべきです。すべて円を中心に「ドル高」「ユーロ安」「人民元高」「ウォン安」と言えばいいわけです。この円中心の表現をマスコミや金融機関などに徹底してもらいたいものです。

平成一五(二〇〇三)年七月一三日

 

冷めた従属

 銀行が真に顧客本位になっているか、疑問に感ずることがある。期末になると、銀行の実績作りのために企業の私募債発行が頻繁に行なわれ、おつきあいのデリバティブ取引が盛んになる。個人客へは、やはり実績作りのため、ニーズを無視して特定の投資信託ばかり薦められる。優良企業に対する採算を無視した貸出競争は相変わらずである。

 これらはまさに「いつか来た道」である。バブル時代の営業と変わらない。お客様も、本当の信頼で銀行とつきあっているのではなく、ただ力関係でやむを得ず、こうした銀行都合の商品につきあっているのではないか。銀行とお客様との間にあるのは、真の信頼関係ではなく、冷めた従属関係ではないか。だからこそ、近年の金融危機の際、世間は銀行を援護することはなく、皆、マスコミの銀行叩きを黙って見ていたのではなかったか。

 当行はこうした「押し売り営業」「横並び営業」とは一線を画さなければならない。お客様の本当のニーズに鋭敏でなければならない。ビジネスマッチングが銀行の業として認められた今、まさに銀行の個性的で顧客本位の営業力が試されている。

平成一五(二〇〇三)年一一月頃

 

四十四歳の米国人頭取

 破綻した東京相和銀行は、米国の投資会社ローンスターが買い取り、東京スター銀行となったが、その頭取に就任したタッド・バッジ氏が、「やればできる」(徳間書店)という本を出された。四十四歳の若き米国人頭取は、日本語を自由に操り、行内の会議は原則日本語でやっているという。僕は、この本を読んで、バッジ氏の経営者としての心構え、人心掌握術に、大変すがすがしく信頼できるものを感じた。特に、日本の金融機関の経営に欠けがちなヴィジョンとリーダーシップの大切さを繰り返し説いておられることに感銘を覚えた。また、金融庁の言う「リレーションシップ・バンキング」の考え方では、取引先との「関係」維持が自己目的化して銀行に利益の出る形でのおつきあいにならない恐れがあり、むしろ、お互いに利益がある(銀行も儲かる)「パートナーシップ・バンキング」の考え方こそ重要だと述べておられる。自らも利益を上げられるパートナーシップを銀行は工夫、模索すべきだと言う。これにも僕は心から同意する。

平成一六(二〇〇四)年三月三〇日

 

歴史に学ぶ

 自分が勤務していることをしばらく措いて、ごく醒めた頭で考えると、長信銀や信託銀行や証券会社といったお客様の数の少ない「専門的金融機関」は、破綻しても国民経済に大して悪影響は無いと思う。一方、北海道における拓銀の場合を想起すればわかるように、膨大な数の個人や零細中小企業をお客様に抱えている地域の主力金融機関こそ、破綻すると地域経済に大変な悪影響を生ずる。長銀や日債銀を国有化で救い、拓銀を清算に追い込んだ一九九〇年代末の処理は明らかに間違いであった。しかしその後も金融当局は、各種の専門金融機関に公的資金を注入して救い、栃木県のメインバンクである足利銀行を破綻させている。なぜ近過去からさえ学ばないのだろう。(尤も、当該地域金融機関の経営が根っこから腐敗しているような場合は清算せざるを得ないこともあろうが…。)

平成一六(二〇〇四)年五月二五日

 

通産省時代

 昭和五九年から六一年まで、私は通商産業省(現・経済産業省)に出向を命ぜられた。産業政策局の国際企業課に配属になり、日本企業の海外進出や外資系企業の日本での活動状況についての調査に携わっていた。私の任期後半の国際企業課長は川口順子・元外務大臣であった。川口課長は大変明晰な英語を話され、外人に知己が多かった。私は、出向者の身分ではあったが、単なる調査仕事だけではなく、外人記者相手に日本政府のスポークスマンをやったり、大臣の国会答弁のために課長にくっついて国会に行ったりと、一人前に役人の仕事をさせていただいた。任期の最後には、マレーシア、ビルマ(現ミャンマー)、タイ、シンガポール、オーストラリアに出張するなど、貴重な体験をさせていただいた。

 出向時代の最後の何ヶ月か、産業政策局の法令審査委員をしておられたF氏にお世話になった。私が担当していた調査レポートが重要な会議にかかる時、F氏に事前のご進講をした時は大変厳しく詰めた質問や指摘をされ閉口したが、しかしそれらは実に的確だった。そしていざご自身でそのレポートを発表される時には、内容を充分に咀嚼され、自分の問題意識も踏まえながら責任を持って堂々と議論された。政策担当官はかくあるべきかな、と心から敬愛した。出向期間を終えて銀行に戻るときに挨拶に行くと、F氏は「君がいなくなって国際企業課は大丈夫か」と望外の言葉をかけて下さった。ほんのわずかな事柄でのおつきあいだったが、良きボスとして慕っていた人からかけていただいた言葉だけに、身にしみてうれしかった。

平成一六(二〇〇四)年六月二〇日

 

「顔なじみ」の恐るべき弊害

 当行のように、行員が比較的均質で、お互いに顔を見知っていることが、機動力につながればいいのだが、それが、「かばい合い」に転落した悪しき事例がある。現場では悪評嘖々(さくさく)だった事案が、担当している人たちを傷つけまいとして、なかなかそれが責任者にストレートに伝わらない。その事案には不備が多く、もっと早く破棄すべきだったのに、ずるずる引きずった挙句、経営陣が替るまで、撤回の意思決定ができなかった。しかし、最後の最後に直言者が現れて新経営陣によって撤回できたのは不幸中の幸いであった。あのまま新しい仕組みに移行していたら、現場がとんでもなく使いにくい仕組みに付き合わされるところだった。

 あるプロジェクトなり案件なりについて、状況変化のため、最初は良かれと始めたものが、途中で大幅な変更や場合によっては撤回といった事態になることは往々にして起こるものだ。そうした時、「これはあの人が旗振り役だったので、批判すると彼(または彼女)を傷つけることになる」などという配慮が働きやすいのが、少人数で均質な組織の恐るべき弊害である。「かばい合う」のではなく、直言できる企業文化を育成しなければ、この銀行は危うい。

平成一六(二〇〇四)年七月八日

 

意思決定の源泉を深める

 この週末、勤務先銀行主催の「管理者研修」を受けてきました。意思決定を効率的にするための合理的な思考過程を訓練するもので、例えば「予防対策(問題が発生しないように事前に採る対策)」と「発生時対策(それでも万が一問題が発生した場合に備えてあらかじめ採る対策)」とは異なるリスク管理であることを学ぶなど、我々が通常の業務で経験的に処理している事柄が「形式知」化されて示され、それなりに頭の整理にはなりました。しかし、リーダーにとっては、その意思決定の源泉を深めることがもっと大切なのではないでしょうか。これは会社では研修してくれません。歴史や古典や自然に触れ「深く真・善・美に感じる」ことでしか頭と心の源泉は豊かになりません。枯渇した源泉からは良き意思決定は出てこないでしょう。

平成一六(二〇〇四)年九月五日

 

顧客ニーズに裏付けられた個性を!

 先週央から本店に出張していました。東京も暖かくのどかな日が続きました。本店でのいろいろなミーティングで感じたのは、我が社のあるべき個性とか進むべき方向といった点についての建設的な議論が足りないな、ということです。発行株式の六割を外資系ファンドが保有しているのですから、もっと大胆なビジネスの個性化があって然るべきだと思いますが、必ずしもそういう具合に進んでいないような気がしてなりません。また、個性とか方向性は「お客様が何を我々に期待しているのか」から発想しなければなりませんが、そういう顧客ニーズの組織的な把握も不十分だと感じました。今後の経済社会の中で、企業は顧客ニーズに裏付けられた個性と特色出しをますます鮮明にして行く必要があります。営業の現場からの声をもっと経営に反映させなければいけないな、と強く感じた次第です。

平成一六(二〇〇四)年一二月一九日