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 江上波夫氏曰く――

「西洋中心の世界史から、ようやく本当に地球規模で各文明世界を平等に見下ろせる世界史を書ける時代になった。日本人はそうした歴史を書ける最もいい位置にいる。」と。

 僕が高校生の頃(一九七二年から一九七五年頃)の世界史の教科書では、世界史の一般的な発展法則として、「奴隷制、封建制、絶対主義、近代市民社会」という図式が描かれていたが、この発展段階説は、西洋史以外に本当に当てはまるのだろうか? 中国史、インド史など、世界の主要な地域の歴史をきちんと公平に調べた上での「世界史の法則」なのだろうか?

 梅棹忠夫氏は「文明の生態史観」の中で、日本史だけが西洋史と共通の発展段階を辿ってきたことを発見しておられるが、逆に言えば、西洋と日本以外の地域には「奴隷制、封建制、絶対主義、近代市民社会」という発展図式は当てはまらないということだ。世界の大部分の地域に当てはまらないようなことを「世界史の法則」にしてしまっている高校の教科書は、本当に公平な「世界史」と言えるだろうか?

 この「世界史の法則」を作り上げたのは、当時世界を植民地支配していた十九世紀西欧の歴史家たちである。自分たちの地域の歴史を「世界史」にしてしまう西欧の傲慢さは、スペインとポルトガルがまるでリンゴを割るように地球を半分ずつ分割領有することを定めた、一四九四年のトルデシラス条約あたりにさかのぼることができる。

 それにしても、なぜ日本の高校の教科書が、十九世紀の西欧が作り上げた世界史像に毒されたままになっているのだろうか。僕は以前からこれが不思議でならなかった。冒頭の江上氏の言葉はまさに僕の問題意識を明快に代弁していただいている。日本は、古代には中国、近代には西洋と、様々な文明を吸収してきた。その意味で、日本人は本当に公平な「世界史」の視座を持つことができると僕も思う。

 江上氏はまたこのようにも言っておられる――

「書きなさい。骨太の未来の古典となるような書を。細切れの専門書でなく、素人の情熱と野心とを以って。十九世紀の歴史書はみな素人の書なのだ。」と。

二十一世紀の日本から、未来の古典を書くような偉大な歴史家が出現したらどんなに素晴らしいことだろう。


 さて、未来の古典となるような骨太の世界史を書くには、様々な素養が必要であるが、とりわけ偏見の無い柔らかい頭脳を維持するには、古今東西の良質の古典を自らのものにすることが必要である。ここで言う古典とは書物に限らない。小説、歴史書以外にも音楽、絵画、建築等々ジャンルを問わない。要するに、時間の風雪に耐える普遍性を持ち、今もなお人々の心の糧となる人類の創造物のことである。

 たいていの文明国では、若い人が身につけるべき古典の定番メニューがきちんと決められ、学校でしっかりと教えられる。ところが、公正で普遍的な世界史を書ける最もいい位置にいるはずの日本においては、若い人が習得すべき古典のメニューが必ずしもきちんと定立されず、重視もされていないのはどうしたことだろう。最近では高校の授業で日本の古典文学や漢文を教えなくなりつつあると言う。とんでもないことだと思う。しっかりした古典教育のない国に公徳心や創造性が育つとは思われない。まして普遍的世界史の創造をや。

 日本人が親しむべき古典は多様で豊かである。日本もの、中国もの、仏教もの、西洋もの…とこれほどバラエティに富んだ素材を味わえる国民は世界でも少ないのに、実にもったいないことである。


 二十一世紀の日本を支えてゆく若い人たちには、価値相対などと言って世間や人間を斜に見ることが習いになった皮肉屋や、泡沫的な現象に一喜一憂するスキャンダリズムに煽られる人になってほしくない。素直に偉大なものは偉大だと感じることのできる柔らかな感性を失わないでほしい。その為に、古典や歴史に触れ、不易なるものを知り、楽しんでほしい。人間には、変わらぬものや変えてはいけないものがたくさん有るということを知ってほしい。素直に人間の偉大さや素晴らしさを発見して喜ぶこと、また一方で人間の愚かさ、悲しさを知り、それにも拘らず、いやそれだからこそ、なお一層人間に対する理解を深め、無気力にならずよりよく生きようとすることを学んでほしい。

 小説でも歴史書でも音楽でも絵画でもそうだが、古典を楽しみ、自分自身の血肉にするためには、それらを遠い過去の出来事として鑑賞するだけでなく、自分自身の生き方、考え方と照らして、古典と「対話」することが望ましい。そのためには良き導き手が必要である。いきなり源氏物語の原文に当たっても一ページも読めずに投げ出してしまうだけだし、いきなりベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲を聞いてもうんざりするだけだ。真に古典に共鳴している人を導き手とし、彼(彼女)の感動の記録を読むのが入門の契機となろう。その際、様々な古今東西の古典の中で、自分の感覚に合いそうなジャンル、対象を慎重に探して選ぶことが大切だ。古典に触れることが「義務」や「教養」になっては、とても「楽しむ」「対話する」境地に達しない。自分が共鳴できそうな対象を、感覚を鋭敏に働かせて選択することだ。そしてその「勘」が当たって、古典に共鳴しているよき導き手に自分自身も共感したならば、あとはその古典の生まれた時代背景とか、主要な主題とかを、親切な解説書によって頭に入れ、いよいよ古典そのものに当たってみる。初めはなかなか素直に感覚が受けつけないかもしれないが、少し我慢して触れ続けてほしい。急に視界が開ける時がやって来るから…。



 この小著は、僕自身が、良き導き手たちに導かれ、古典や歴史についてのささやかだが切実な発見をしてきた喜びや、それと表裏一体である、仕事や生活を通じての思索をつづった、高校二年生の時(一九七三年=昭和四八年)から現在に至るまでの記録である。僕にとって古典や歴史は、自分の仕事や生活と無関係な「趣味」や「教養」ではなく、自分の生き方に切実に光を投げかける存在であり続けた。まさに、「古書は、あくまでも現在の生き方の手本だったのであり、現在の自己の問題を不問に附する事が出来る認識や観察の対象では、決してなかった」(小林秀雄「本居宣長」)のである。

 「古典派」とは、人間の理想的な生きる姿―鏡―としての古典を信じて生きる者の謂いであり、歴史を尊重して生きる者のことであり、流行より永劫を信頼して生きる者のことである。


 近年の金融危機は、試練に晒されている一金融機関の一員である僕に、人生の意味を深刻に考えさせる契機となった。僕は、自分が何者でありたいのか、自分が本当にしたいことは何なのかを改めて自分自身に問い詰めざるを得なかった。その時、僕は、古典や歴史が自分を支えてきたことに改めて気づくとともに、元々物書き志願だった我を再発見した。

 考え感じたことを文章にすることによって、自分自身でものを考える力や美を感ずる力や歴史を味わう力を磨き鍛え、それを「売文」するのではなく、社会生活のあらゆる場で栄養として用い、実践して行く――ディレッタント思想家の生き方はそれしかないのではないか?もし自分にとりえがあるとしたら、古典や歴史を味わう感受性を「実践する」ことではないのか?そして古典を知ることの喜びを、僕と同じように悩み苦しんでいる人たちに伝えることではないのか? こんな思いがこの小著をまとめさせた。


 この小著のもとになった文章たちは、もともと、高校生の時から書き溜めてきたものの一部だが、何しろ日々の勉強や仕事の合間に綴ったので、不完全なメモにすぎないものや、知識不足のため舌足らずのものも多く、今回まとめるに当たって、相当不足を補った。僕にとっては、自らの思想・信条の確認・点検作業にもなり、この過程で発見したことも多かった。

 僕の目的は、読者に、古典や歴史や音楽に触れてみたいという気を起こさせることにある。この小著が、古典や歴史に触れようとする、或いは自分自身でものを考えようとするきっかけになってくれれば、僕にそれ以上の喜びは無い。

(一九九九年一月三日)


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