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近況メモ(二〇〇三年七月〜一二月)

 

平成一五(二〇〇三)年〜「ヒグラシの声」から「白川郷の涼風」へ

七月六日(曇り) 

 ここ金沢の言葉は、関西弁を基盤にした、柔らかく、語尾の延びた、すこしばかり田舎っぽい言葉です。ここは明らかに関西文化圏に属しています。地元紙「北国新聞」もプロ野球は阪神びいきです。

 さて、きょうは、浅野川の川岸を自転車で上ってみました。五木寛之さんも書いている、京都の鴨川河畔にも似た梅の橋あたりの風情もいいですが、小生が驚いたのは、ほんの十五分程度自転車を走らせると、もう左手に山が迫ってきて、深山幽谷の趣が出てくることです。この変化に富んだ浅野川の眺めはけっこう楽しめます。

 

七月二三日(雨) 

 なかなか梅雨が明けないまま、学校は夏休みに入り、先週末の三連休には、東京から妻と娘が金沢に遊びに来ました。東の茶屋街から東山方面を散策して回りましたが、小高い山の上にある宝泉寺という寺に登ると、ジーーというセミの大合唱や夕刻にはヒグラシたちの鳴き声もごく間近に聞こえ、束の間、夏を感じました。宝泉寺からの眺望は素晴らしく、市内を一望に見渡すことができます。寺社の多い東山あたりを歩いていると、赤紫色のイヌタデ(通称アカマンマ)の花房の後ろにお地蔵さまが鎮座している、俳句になりそうな景色に出会ったりもします。

 たまたま土曜日には石川県立能楽堂で「土蜘(つちぐも)」の演能があり、三人で出かけましたが、源頼光の土蜘退治というわかりやすい物語のうえ、土蜘が千筋の糸を投げかける派手なパフォーマンスもあり、かつ、鑑賞用のイヤホン付き(この日の能楽堂は外人客も多く、日本語と英語のイヤホン解説が配られていたのです)だったので、妻も娘も「面白かった」と言っていました。娘が「イヤホン解説で、武者たちが土蜘の首を掻き切ります、と言っていたので、どういうふうにするのか見ていたら、武者が首を打ち落とす型で表現していた。これはアメリカ映画のような写実的で派手なアクションとはぜんぜん違う表現の仕方だけど、能の表現のほうが私は好きだよ。」と言っていました。我が子ながら、能の象徴表現の魅力に気づいてくれたのはうれしかったです。

 日曜日、月曜日は、太鼓方の麦谷清一郎師の主宰する北陸清響会の発表会で、我が謡の師匠、藪俊彦師がシテを演じる能「絵馬」があったり、宝生流宗家の宝生英照師の仕舞があったりしたので、これらも見に行きました。能「絵馬」では、藪先生の力のこもった舞や美しい謡はもちろん素晴らしかったですが、二人のお弟子さんが演じる男女神二柱の相舞も見事に決まっていましたし、太鼓も良く鳴って、祝典にふさわしい晴れやかさを楽しませていただきました。宝生師の仕舞は颯爽としてさすがにかっこいいものでした。

 

七月二七日(晴れ) 

 きょう北陸地方もようやく梅雨明けし、それらしい夏空になりました。昨夜は、能楽堂の「観能の夕べ」で、シテが髪に触れる所作が印象的な「玉葛(たまかずら)」を見ましたが、終わって外へ出ると、犀川河畔の花火大会で打ち上げられている色とりどりの華々がよく見えました。きょう郊外へ出てみると、田の緑はいっそう麗しくなり、日本海の海の色も、春先の碧系の色合いから、夏空を映して鮮烈な濃青色になっていました。

 

八月九日(台風) 

 ちょうど今、台風十号が北陸地方を横切っているところですが、ここ金沢は台風の目に入ったためか、雨も風も大したこともなく、意外に平穏です。

 さて、八月一日から七日まで夏期休暇をとりました。前半は、また妻と娘が金沢へ来ましたので、今度は、白山を越えて飛騨の白川郷を訪れてみました。白川郷は、北隣の越中の五箇山と共に、合掌造りの壮大な民家群が世界遺産に指定されてます。「結(ゆい)」と称する村人たちの共同作業によって八十年ぶりに茅葺き屋根が葺き替えられたばかりの長瀬家や、和田家など、内部を見学できる家々もありましたが、それらが明治村のような骨董家屋ではなく、現に住まわれ使われていることに、小生は強い感銘を受けました。これらの家屋の二階、三階に登ると、水田を吹きわたる涼風で緑の稲葉がきれいに波打つのが見えます。その涼風の爽やかな感触は忘れがたいものです。昼食に岩魚(いわな)の塩焼きを食べましたが、川魚をこんなに美味しく感じたのは初めてです。

 

平成一五(二〇〇三)年〜「盆休み」から「うろこ雲の秋」へ

八月一六日(晴れ) 

 お盆に入り、ここ金沢もすっかりお休みモードです。小生の住んでいる単身赴任者向けマンションはめっきり人数(ひとかず)が少なくなる一方、駅には観光客の姿が目立ちます。バスや鉄道は休日ダイヤで運行されています。

 

八月二三日(晴れ) 

 きょうは、暦では暑気の季節の終わりを意味する「処暑」なのですが、ここ金沢は今頃になって暑さが厳しくなってきました。きょうも最低気温二五℃、最高気温三三℃と報じられていました。

 二週間前に台風一〇号が金沢の南方を通過しましたが、この時、雨風が大したこと無かったのは、台風が白山山系に遮られたためだと聞きました。してみると、やはり白山は加賀の国の守り神だったのですね。

 金沢を舞台にした映画「透光の木」の撮影が始まり、主演の萩原健一さんと秋吉久美子さんらスタッフ一同、白山麓の白山比刀iしらやまひめ)神社へ詣でたとの新聞記事を見ましたが、この地を舞台にするからにはやはり白山詣でをすべきでしょう。実は、昨日、小生の勤務先銀行がこの映画のロケに使われたのです。萩原さんが銀行で預金を払い戻すシーンを、当店の店頭で夕方二時間くらいかけて撮影したのです。うちの窓口の女子行員も「出演」しました。来年秋上演予定のこの映画、大当たりになることを祈ります。

 

八月三一日(小雨) 

 昼間はまだアブラゼミやミンミンゼミの声が聞こえる一方、夕方には秋の虫の声も聞かれるようになりました。ここ金沢の近郊でも、田には黄金色の稲穂が頭を垂れ始め、野には銀色のススキの穂が揺れ始めました。季節は秋へと着実に動いているのを感じるこの頃です。

 金沢の夏の夜を彩った「観能の夕べ」も、昨夜の「阿漕(あこぎ)」を以って終了しました。これまでここに記した番組以外にも、シテの渡邊茂人師の美声にほれぼれとした「紅葉狩」、女人の武者姿が独特の香気を漂わせていた「巴」など、印象に残る番組は多く、能の多様性を味わうことが出来ました。

 さて、小生は、能を支える器楽、すなわち能囃子(のうばやし)が大好きです。室町時代が生んだ至高の四重奏、能囃子は、横笛、大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)、太鼓(たいこ)から成り立っています(ただし太鼓は曲によって入らないこともあります)が、その中で大鼓(おおつづみ)はとりわけ個性的な音色を聞かせてくれます。それは、ある時は空間を切り裂くような鋭い一撃を放って独特の緊張感を醸し出し、またある時は澄み切った音色でほかの楽器と交じり合って優美な空間を作り出します。当地の若手大鼓奏者、飯島大輔さんの颯爽とした演奏振りとシャープな音色にはいつも感激します。小生がもし能囃子を習う機会があるならば、迷わず大鼓を選ぶことでしょう。

 

九月七日(快晴) 

 きょうは能楽堂へ金沢能楽会の別会能を見に行きました。休日の静寂の中、大野用水や鞍月用水沿いを自転車で走り、尾崎神社から広坂までお堀通りを通ると、金沢城跡の森ではミンミンゼミたちが夏のなごりの大合唱です。気温は三十度近くありましたが、空気はすっかり秋の空気で、べたつかず、風が吹けば爽やかな肌触りです。空は高くなりその青は深く、何となく「もののあはれ」を感じる季節です。

 

九月二三日(快晴) 

 急に気温が五度ばかり低くなり「つるべ落としの秋は来にけり」といった風情ですが、お変わりありませんか。ここ北陸各地の田んぼは稲穂の刈り取りの季節で、白鷺(しらさぎ)の群れが田に降り来っているのが見られます。東北・北海道は何年来の米の不作だそうですが、北陸地方は「やや不良」にとどまり、これからも石川、富山産のおいしい「こしひかり」が食べられそうです。/(^O^)/

 

十月四日(薄曇り) 

 きょうは薄曇りですが、北陸地方は今週本当に見事な秋晴れの日が続きました。湿度の低い透き通った空気、深い空の青、風にそよぐ金色の薄(ススキ)の群れ、赤や黄の葉が混じり始めた森の木々、遠くにくっきりと見える山々…。外出が楽しみになる気候です。しかしもう立山では初雪との便りも聞きました。十月も後半になると季節は急に冬になってゆきます。

 

十月一三日(雨) 

 うろこ曇が秋空に広がり、金木犀の芳香も盛りを過ぎ、山々には黄や赤の葉が目立つようになってきました。おろしソバのおいしい福井方面へ出向くとソバ畑の白い花が目につきます。先週末は旧暦長月(九月)の望月が夜空に煌煌と輝いていました。小生も金沢に来てそろそろ一年です。大病もせず、街を好きになり、いろいろな出会いがあり、良い一年でした。先週は、人間ドックと歯科のクリニックを受け、馴染みのメガネ屋さんでメガネの点検もしてもらい、心身ともにリフレッシュしました。

 さて、毎月定例能が催される能楽堂の隣には県立歴史博物館があります。ここは建物自体が美しい煉瓦造りで、戦前は陸軍の倉庫、戦後しばらくは金沢美術工芸大学の校舎として使われていたとのことです。周囲も本多の森として整備され、紅葉や楓が色とりどりの葉の色を見せてくれます。この博物館で、一一月九日まで、「能登 仏像紀行」と題する特別展が開かれています。能登半島各地の寺社の美しい仏さまが五〇体以上展示されています。その大部分が国の重要文化財や県の指定文化財です。普段は各寺社でも一般公開していない仏像も多く、これだけの数の仏さまをまとめて拝見できる機会はそうないものと思われます。

 小生は、先週末の定例能の前に何気なく立ち寄ったのですが、展示場に入るや否や、その見事さに圧倒されました。平安期から南北朝期にかけての仏さまがほとんどなのですが、古代から中世にかけて能登がいかに先進地域だったか、まざまざと見せつけられました。名匠たちが精魂込めて作り上げた名品ばかりです。仏師たちは能登の地に居たのか或いは都方から呼び寄せたのか、いずれにせよ、能登の寺社は美しい仏さまをこれほど欲していたのです。なかでも小生は、羽咋(はくい)市・豊財院所蔵の「木造十一面観音立像」のいかにも平安仏らしい優しいお顔とバランスのとれた立ち姿や、内浦町・万福寺所蔵の「木造如意輪観音座像」の鎌倉仏らしいきりりとした美男子ぶりに、深く感動しました。かの十一面観音の近くを何分も徘徊している女性が居ましたが、彼女はきっとこの仏さまに恋してしまったのに違いありません。それほど見事な仏さまです。

 

平成一五(二〇〇三)年〜「蟹解禁」から「大雪」へ

一一月三日(曇り) 

 先々週末、好天に誘われて、金沢から国道一五七号線を南へ三〇キロほどの白山麓にある白峰村へ出かけました。手取川に岩を積み上げて造られた、金沢の水瓶、手取川ダムのエメラルドグリーンの湖水を眺めたり、白峰村の古刹、林西寺の裏手から登るブナ林の散策道で木々の錦織を楽しんだり、散策道を登りつめた広場から、秋空にくっきりと威容を現した白山を眺めたりしました。白山は既に山頂に雪を帯びていました。

 白峰村から国道一五七号線をさらに南に行くと、峠を越えて福井県の勝山市にたどり着きます。勝山には平泉寺白山神社があります。ここは、奈良時代に泰澄大師によって創建されて以来、白山神社と平泉寺が一緒になった神仏習合の社寺です。比叡山延暦寺の末寺として、四八社、三六堂、六千僧坊が山の峰々谷々に満ちて大勢力を有し、源平合戦や南北朝の争乱にも加わり、新田義貞や朝倉義景も平泉寺に背かれて運命潰えた歴史があるそうです。しかし戦国末期に一向一揆の焼き討ちに遭い、全山灰燼に帰し、今ではわずかな社殿を残すのみです。しかしその広大な山林と参道両側に聳える杉の巨木たちは、かつての平泉寺の栄華を充分にしのばせてくれます。そして平泉寺で何より美しいのは、参道や拝殿の地に広がる青苔(こけ)です。そのみずみずしい緑の絨毯は、見る人の心に強く焼きつけられることでしょう。勝山の平泉寺白山神社は全国的にはあまり知られていないと思いますが、機会があれば是非訪ねてみられることをお勧めします。

 そして、その翌日は、能を通じて知り合った金沢大学にお勤めの方のご紹介で、富山の古美術商のお宅を訪れました。そこで茶器や青磁や掛け軸の数々を鑑賞させていただきながら、ご主人の娘さんに点てていただいたお茶をごちそうになるという贅沢なひとときを過ごしました。古美術の世界も本当の「通」の間ではきちんと「市場価格」があることなど、興味深いお話を伺いました。

 

一一月九日(曇り時々雨) 

 去年の今ごろと比べてずいぶん穏やかな気候が続くここ金沢です。昨日は会社の所属団体の定例行事で、加賀市の橋立漁港での蟹をいただく会に出かけました。蟹漁が解禁されたばかりのこの季節に、ずわい蟹や甲箱蟹のフルコースをいただく機会は北陸ならではです。しばらくは蟹を見たくないほど(?)、刺し身から茹でたのから焼いたのまで、美味しい酒と一緒にいただきました。

 

一一月一六日(曇り時々雨) 

 昨日は、金沢郊外、犀川上流の野田山へふらりと出かけてみました。途中の寺町では、寺院群のあちこちでたわわに実った柿が目につきました。野田山には広大な墓地があり、そこには室井犀星や銭屋五兵衛など金沢ゆかりの有名人も眠っています。墓地の山道を息を切らしながら登ると、頂上には加賀藩主前田家累代の墓がありました。利家、まつ夫婦の墓は古墳のような神式で並んでいました。墓地を抜け畑道を歩いていてふと見上げると、青空いっぱいにウロコ雲が流れていました。すると突然、少年の頃空を眺めていた無邪気な気持ちが切ないまでに鮮やかに蘇りました。不思議なことです。

 野田山の墓地を守るように立っているのが、曹洞宗の古刹、大乗寺です。この寺は鎌倉時代に守護富樫氏が創建したもので、今も江戸時代に再建された山門や仏殿が残っています。大乗寺は、一般市民を対象に日曜参禅会を催すなど、今でも生きた修行の場です。小生が訪ねた時も、ちょうど修行僧たちが昼食を前に感謝の言葉を捧げているのが聞こえてきました。その澄んだ敬虔な声を聞いていると、こちらも素直に、私たちの命を養ってくれる生きとし生けるもの全てへの慈しみの気持ちが沸いてきます。

 

一一月二四日(晴れのち薄曇り) 

 先週は出張続きでした。週初、東京での会議にとんぼ返りで出席し、翌日、越前大野で取引先金融機関向けに当行主宰のセミナーを催しました。週末は、取引先企業の東北地方の生産拠点を拝見しに行きました。前日夕方飛行機で仙台まで飛んで一泊し(何と小松・仙台便が一日一往復あるのです。金沢と仙台は、江戸時代、前田家と伊達家を擁した外様の雄藩という同じ境遇だったせいか、今でも何かと親しい関係にあります。ロータリークラブも金沢と仙台の交流は盛んです。飛行機便があるのもそうした江戸時代からの縁ゆえではないでしょうか)、当日仙台から東北新幹線で古川まで行きました。その生産拠点は、古川から車で三〇分ほどの山間ののどかな酪農地帯にあります。鳴子温泉もほど近い所でしたが、今回は観光する時間的余裕はありませんでした。三連休は久しぶりに東京へ戻り、出張疲れを癒しました。

 

一二月七日(雨風強し) 

 暦の上で「大雪」の今日、金沢はようやく冬らしい気象になりました。あられ混じりの雨風が強く、朝方激しい風の音で目を覚まされました。これまでこの地方にしては温暖続きだったので、いよいよ北陸の冬が来たな、と、何となくうれしくなります。

 

一二月二〇日(雪嵐) 

 金沢は雪嵐です。風が強く、傘もほとんど役に立ちません。積雪量は数センチでそれほどでもないのですが、吹雪のすさまじさで外を歩くのに往生します。

 

一二月二七日(雪嵐) 

 いよいよ平成一五年も余すところあと数日となり、年末ご挨拶にお取引先を訪問したり、お取引先の方々がご挨拶に来られたりする季節になりました。お蔭様で、当行の格付が上がった効果からか、我が金沢支店の店頭にも、定期預金や投資信託や年金保険の申し込みのお客様がいつになく大勢来られています。では皆さん、良いお年をお迎え下さい。

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