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近況メモ(平成一六[二〇〇四]年一〇月〜一二月)

 

平成一六(二〇〇四)年〜「秋の発表会」から「色づく木々」へ

一〇月一七日(日)快晴

 薮俊彦師の主宰する「篁宝会(こうほうかい)」の秋の発表会も終わり、北陸は秋を深めています。白山や立山が初冠雪し、郊外では銀色の薄(すすき)の群れが風に吹かれ、赤い実をたわわにつけた柿の木々も見られるようになりました。背広や布団もいよいよ冬物に替えました。プロ野球も今シーズン締めくくりの日本シリーズが始まり、小生は、落合監督率いる中日ドラゴンズに五〇年ぶりの優勝を成し遂げてほしいものだと応援しています。

 さて、前にも書きましたが、小生は、日本思想史上の人物として、本居宣長、小林秀雄、福田恒存の三人を敬愛しています。三人の共通点は何でしょうか。まず第一に、面構えがいいことです(下の写真をご覧ください)。三人とも凛々しくいい顔をしています。第二に、自己の良心に大変忠実であったこと。小林秀雄は時折「そこには何の疑わしいものも無い」という言い方をしますが、小生に言わせれば、この三人の言説は、邪心が無く、世の流行に全く動じない堅固でしかも清新な良心に貫かれています。まさに「そこには何の疑わしいものも無い」のです。こういう知識人は実は大変少ないのです。第三に、自分の専門分野を土台にしつつ、古今東西の歴史と古典を渉猟し、普遍的な人の生き方の省察へと進んだこと。つまり真の意味で「哲学する」人たちであったこと。そして第四に、彼らは、人間を、とりわけ一般民衆を深く信頼していたこと。インテリは自分が民衆より優れたものとの自負心に溺れがちですが、この人たちにはそうした青白く酷薄な自意識は無いのです。この三人には甘ったれた「優しさ」はありませんが、厳しくも骨太の人間愛があったのだと小生は感じます。

        
本居宣長            小林秀雄            福田恒存
    (21世紀の宣長展チラシより)    (世界文化社「真贋」より)   (文藝春秋「福田全集」第一巻より)

 

一〇月二四日(日)快晴

  先週は、木曜日に北国新聞社主催の薪能で能「通小町」を鑑賞し、また土曜日に東京府中の芸術劇場にハイドン・シンフォニエッタ東京のヴァンハルの交響曲演奏会に行き、それぞれ大変楽しかったのですが、相次ぐ自然災害に心痛む週になってしまいました。

  週初に台風23号が日本各地に甚大な被害をもたらしたかと思えば、週末は新潟県中越地方に大きな地震が発生しました。小生は台風で傘を二本無くしたり壊したりし、また、今日東京からの帰りに上越新幹線を使う予定だったのが飛行機に変更した程度の「被害」ですみましたが、もし帰りが昨日だったら、上越新幹線の電車の中に一晩閉じ込められていたかもしれませんし、地震がもっとひどければ大事故に巻き込まれていたかもしれません。被害に遭われた方々に衷心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。今年の異常気象は我が国土の神々の自然破壊への怒りではないかと感じます。私たち人間は自然を畏れ敬う気持ちをもっと持つように反省することが必要なのではないかと思わされました。

 

一〇月三一日(日)快晴

  ここしばらくの寒さとはうって代って今日は暖かな秋の一日でした。いい気候に誘われて街の秋の景色をデジカメで撮って回りました(写真参照)。中央公園や広坂では、赤や黄やオレンジに色づいたカエデが秋の風情を楽しませてくれました。金澤神社では紅葉の真っ赤な葉がそろそろ散り始めていました。さらに歩いて県立美術館の近くの森に赴くと、しきりに高級そうなカメラをひねっては淡いピンクの花をつけた木を撮っている人がいました。「何の花ですか?」と尋ねると「桜ですよ」との答え! ここにある二本の桜の木は、毎年冬に花を咲かせるのだそうです。この不思議な桜の花も撮っておきました。

  県立美術館ではちょうど「日本伝統工芸展」をやっていました。陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形など、全国から集められた意匠を凝らした工芸品が並んでいます。特に、紬(つむぎ)織や友禅など色鮮やかな着物が広げられてずらりと展示されているのは壮麗な錦織を見るようです。陶芸では、酒井田柿右衛門さん作の藤文様の鉢や、井上萬二さん作のイチョウ文様の白磁鉢や、地元加賀の徳田八十吉さん作の濃青色の壷などが印象に残りました。木竹工品では、宮本貞治さん作の欅(けやき)作りの流れ紋の入った和机が簡潔で知的な美しさを湛えており「こんな和机に正座して読書できたらいいな」と思わせる品でした。こうした工芸品たちの色彩やデザインの数々を見て回るのは、本当に贅沢な散策で、目と心をすっかり楽しませていただきました。

    
  中 央 公 園                       広 坂 バ ス 停 付 近

 

    
金澤神社にて(紅葉葉とどんぐり)                  冬 咲 く 桜 !

 

一一月七日(日)快晴

  この週末は美術、西洋音楽、能楽を楽しみました。まず先月開館したばかりの「金沢二十一世紀美術館」に出かけました。内外の現代美術、工芸品の数々が展示されているばかりでなく、美術館全体がモダンな庭園のような造りになっています。展示されている「現代美術品」について言えば、単に大きなガラクタたちといった印象をぬぐえませんでした。見る方向によって様々な絵が浮かび上がる仕掛けであるとか、見物人が作品の中に入り込んで遊べる仕掛けであるとかの「様々なる意匠」が凝らしてはあるのですが、作家自身の人間性や人間的なメッセージは何も伝わって来ないのです(尤も小生が現代美術家を知らなさすぎるのかも知れませんが…)。一方、建築としてのこの美術館は、透明のガラスで囲まれた円形の明るく軽快な建物です。その低層建築は人々が散策できる広い庭を伴って開放的な雰囲気を醸し出しており、周囲の金沢中心街の落ち着いた環境ともよく溶け合っていると思いました。館内には洒落たレストランもあり、散歩や親しい人とのそぞろ歩きにはとてもいい場所です。

金沢21世紀美術館(同ウェブページより)

  土曜日の午後は、金沢に来たベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートに出かけました。この感想を「至福のベルリン・フィル」と題して本文に記しましたのでご覧ください。さらに日曜日は、金沢定例能を見に行きました。番組は能「女郎花(おみなめし)」と能「船弁慶」その他でした。女郎花は「秋の七草」のひとつですね。花に関するウェブページによると、花が咲いた様子を粟飯に見立て「おみなめし(女飯)」と言ったのが変じて「おみなえし」になったそうです。女郎花に似ていて、全体的に大きく白い花が咲く「男郎花(おとこえし)」という花もあるそうです(写真参照)。ご存知でしたか? 小生は男郎花などという花があるとは知りませんでした。能の「女郎花」は「おみなめし」と読みます。今日の演能の感想を「『女郎花』の悲劇と風雅」と題して本文に記しましたのでご覧ください。

    
女 郎 花  (「尾張三十三観音巡礼の旅」「私の花図鑑」より)

 

男 郎 花  (「私の花図鑑」より)

 

平成一六(二〇〇四)年〜「一雨ごとの寒さ」から「遅く来た小雪」へ

一一月一四日(日)薄曇り

  先週は週央から東京に出張していましたが、木曜日に激しい雨が降り、それからぐっと冷え込むようになりました。会社からの帰り道、傘をさし、仕事を終えた充実感と疲れを味わいながら歩いていると、
     秋深し 一雨ごとの寒さかな
といった駄句が頭に浮かびました。写真は金沢の秋のひとこまを携帯で撮影したものです。左は小生の住んでいるマンションの部屋から撮った金沢駅西口50メートルの並木、真ん中と右は職場近くの玉川公園の秋空に映える色づいた木々です。

                

 

一一月二〇日(土)晴れ

  小生このところ、福田恒存全集と平行して、源氏物語を少しずつ読み進めています。源氏物語の縁といえば、中学生だった娘の夏休みの宿題の材料にするために、名古屋の徳川美術館に源氏物語絵巻を見に行ったことがあります。その時、絵の美しさもさることながら、場面を説明した詞を記した紙と文字の美しさに驚いた記憶があります。また、NHKで、源氏物語絵巻を描かれた当時の姿に復元しようというプロジェクトを紹介した番組を見たこともあります。今回ネットでいろいろ探索していたら、NHKでやっていたのと同じプロジェクトかどうかわかりませんが、やはり復元の試みをされている日本画家のサイトを見つけましたので、紹介させていただきます。上が現存する絵、下が復元した絵です。

木版本「源氏物語絵巻」より、「柏木(二)」。源氏の怒りに触れた柏木の病状は、一層重くなります。画面中央に横たわっているのが柏木。源氏の息子であり柏木の親友である夕霧(画面で背を向けている人物)が病床を見舞うが、柏木は間もなく息をひきとります。御簾の左側では女房たちが悲しんでいます。


日本画家・岡田元史氏のウェブページより、上の「柏木(二)」を、最新コンピュータ技術や光学技術それに日本画の専門知識を動員して、描かれた当初の姿に復元したもの。鮮やかな色彩に目を奪われます。もちろんこれが真実に当時の姿かどうかは保証の限りではありませんが、仏像と同じように、少なくとも描かれた当初はくすんだ色彩の絵ではなく、色鮮やかなものだったことでしょう。

 

一一月二七日(土)曇り

  今週は体調を崩して苦しんだ一週間でした。先週あたりから肩凝りがひどく、体調が悪くなってきたことはわかっていましたが、今週になって腹の具合が悪くて喉の痛みも出てきました。風邪を引いたようです。だいたい風邪を引くと肩凝りと腹調悪化が来ますのでわかります。会社の近くのクリニックで診てもらい薬をもらったり、マンションでの食事をおかゆにしてもらったり、指圧に行ったりして、何とか休まずに会社には行きました。腹調が悪くてもおつきあいで「ごちそう」を食べなければいけない時がつらいですね。近頃、高校時代の知り合いから「体力を過信せずご自愛下さい。」というメールをもらったばかりだったのですが、そういえば体にけっこう無理をさせていたかもしれないな、と反省しきりです。お蔭様できのうあたりからようやく体調も回復してきました。風邪が流行っているようですのでお気をつけください。

 

一二月五日(日)雨嵐

  一二月に入ったというのに、ここ北陸地方は、「名物」である大粒の雹(ひょう)や霰(あられ)も降りませんし、深夜早朝の雷も鳴らず、穏やかな日が続いていましたが、今日は冬らしい雨嵐が吹き荒れ、夕刻には雷も聞こえました。朝夕の通勤にコートを着ている人はまだ少ないですが、そろそろコートが必要になりますね。もうブリやカニのおいしい季節なのですが、寒さが伴わないと何となく季節感がありません。小生、何とか体調も回復し、週末の職場の忘年会や地元銀行業界のボーリング大会などもこなしました。忘年会にしろボーリング大会にしろ、若手行員が生き生きと活躍する姿を見るのは楽しいことです。彼らに仕事での成功体験を重ねさせ、着実な成長を促したいと思います。

  さて今日は、本多町にある「中村記念美術館」に「近代加賀蒔絵の名工展」を見に行き、その足で金沢定例能に出かけました。中村記念美術館は、当地の造り酒屋、中村酒造のオーナーが収集した茶道美術品・絵画・九谷焼・加賀蒔絵などを展示する美術館です。中にはお茶を出してくれる風雅な休憩室もあり(写真上左)、また、昭和初期の重厚な町家である旧中村邸も隣接しています(写真上右)。今回展示されていたのは、主に明治期に活躍した五人の工人たちによる蒔絵(まきえ)の名品の数々です。蒔絵というのは、椀や盃や硯箱などといった器物の表面に漆で四季折々の草花や鳥などの絵を描き、その上に金銀粉や、朱・黄・青などの色粉を蒔きつける技術です。金を装飾に用いる場合、板や箔や鍍金(めっき)といった形をとるのがふつうですが、蒔絵では、金は微細な粉、あるいは粒の形に精製され、それを器物の表面に蒔きつけることによって文様が表わされます。金の利用法としては非常にユニークなものですが、その歴史は古く奈良時代にまでさかのぼることができるそうです。加賀では江戸期から大名調度品として蒔絵が発達し、明治になってからも名工が何人も出現し名品が生み出されました。これらの品々は海外の万国博覧会にも出品されましたが、今回出展されている、五十嵐随甫作「秋草蒔絵硯箱」は明治33年のパリ万博で銀牌を受賞しています(写真下左と中央)。小生個人的には、澤田宗澤の「雪月花蒔絵吸物椀」が好きになりました(写真下右)。雪が文様化されて椀の外に描かれ、椀の内側には爛漫の桜文様が現れる、非常に知的ですっきりした中にも華やかさのある吸物用の椀です。

          
中村記念美術館/休憩室                            旧中村邸  

              
「秋草蒔絵硯箱」               「同左」              「雪月花蒔絵吸物椀」

  中村記念美術館を後にして県立能楽堂で今年最後の定例能を鑑賞しました。先週末、藪先生の「能の会」で来た時、薄緑から黄色から濃い朱色まで錦の色彩を見せていた紅葉の木がすっかり葉を落としていました。今日の嵐のせいでしょうか。この日の能の演目は、いま小生がクセの部分の仕舞を習っている「経政」と、先週藪先生が演じられた「猩々乱(みだれ)」(「掲示板(読者の広場)」に書き込んだ「『猩々』三題」をご参照下さい)の原曲である「猩々」でした。「経政」は、修羅能でありながら、琵琶の名手である平家の公達を主人公にしていることから、戦の血生臭さや修羅道からの救済よりも、琵琶を奏する平経政の風雅の方が印象に残りました。「猩々」は先週に続いてですが、二週続けてこの曲の地謡をされる小生の大先輩に当たる藪先生のお弟子さんにロビーでお目にかかった時、この先輩が「年末でおめでたいさけ、この曲が続くんやね。」とおっしゃったのをお聞きして、なるほど年の瀬の酒宴を彩る曲なのだなと、「猩々」の季節感に思い至りました。

 

一二月一二日(日)曇り

  先週の木曜日、仕事で富山県東部の魚津に出かけました。空気のきれいな好天で、雪を頂いた立山連峰が麗しい姿を見せてくれました。魚津の隣り町の滑川(なめりかわ)にある「ほたるいかミュージアム」で昼食をとりました(ほたるいかは白えびと並んでこの辺の名産なのです)が、富山湾を目の前に眺めながらのお昼はなかなか気持ちのいいものでした。食後、波も穏やかなコバルトブルーの海辺まで出て(写真参照)、空を行き交う鴎(かもめ)や寄せては返す波にしばらく見入った後、海に向って、今習っている「鞍馬天狗」の謡を思いっきり謡いました。

         

 

一二月一九日(日)晴れ

  先週央から東京に出張していました。東京も暖かくのどかな日が続きました。九段下にある我が本店の最上階から見える青空に映えた冬景色があまりに見事なので、携帯で写真に収めておきました。写真左は市ヶ谷方面を撮ったもので、左手前の「大きなタマネギ」は日本武道館です。写真右は飯田橋方面で、遠くに東京ドームも見えます。

       

 

一二月二六日(日)雨のち曇り

  暮れも押し迫ってきました。小生が年男の申年も終わろうとしていますが、今年は天災が多く、また、「地方の自立」や「官から民へ」といった政治運動が行きつ戻りつしました。一方、北朝鮮や中国やイラクをめぐる問題などを通じて外交の重要性を認識させられた年でもありました。戦後六〇年続いた中央官僚への依存体質やアメリカの庇護への過度の依存から脱し、より強く自立した個人から成るより強く自立した国家へと、日本の「国柄」を変えてゆかなければならないと感じさせられる一年でした。

  先週半ばから、ここ北陸地方も、最低気温が2℃〜4℃、最高気温が5℃〜9℃まで下がり、みぞれや小雪がちらつく本来の気候になりました。温暖化で遅れていた冬らしさがようやく訪れ、小生も厚手のコートにマフラー、手袋を用意しました。先日、地元の酒造会社の若い社長さんと話す機会がありました。彼から、「日本酒のイメージとして、焼酎と比べて翌日残るとか悪酔いするとかいうものがありますが、焼酎は水などで割るのでアルコール度数が低くなり、楽なのは当たり前。そこで、日本酒も、傍らに良い水を置いて、水を時々含みながら戴く飲み方をお勧めしています。」というアドヴァイスをもらい、さっそく実行してみると、確かに無理なくお酒を戴けました。ちなみに石川県酒造組合ではそれを「やわらぎ水」と称して広げようとしているそうです。北陸のおいしい魚や蟹には焼酎では話になりません。やはり地元の日本酒に限ります。来年もおいしいお酒をいただきたいものです。では良いお年をお迎え下さい。

 

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