近況メモ(平成18[2006]年11月〜12月)
平成18(2006)年〜「穏やかな秋空」から「霙(みぞれ)の朝」へ
11月4日(土)晴れ
名古屋駅上に聳えるJRセントラルタワーズの最上階は高さ245メートル(51階)で、駅ビルとしては世界一の高さとしてギネスブックに登録されているそうです。このJRセントラルタワーズは、高島屋、三省堂書店、東急ハンズなどを商業テナントの核として入れ、オフィス、ホテルとともに大成功を収めました。そのすぐ近くでは、トヨタ自動車、毎日新聞社、東和不動産の共同ビル 「ミッドランドスクエア」(高さ247メートル、46階)が完成し、一部がオープンしました(右写真)。ここにはトヨタ自動車の国際部門が大挙して東京から移ってくるとのこと。海外出張の多い国際部門の人たちにとっては、東京都心から遠い成田空港より、名古屋駅から名鉄電車で30分ほどで行ける中部国際空港のほうがはるかに便利であり、名古屋駅至近のこのビルに国際部門を移すのは合理的です。ミッドランドスクエアにはトヨタグループだけで3000人が入居するそうですが、3000人というのはひとつの町ができるほどの規模ですね。小生の職場も名古屋駅の近くですが、人口急増で食事や宴席の場所が混み合うのではないかと心配です。f(^^;
さる週末は、転勤後初めてゆったりと名古屋市内巡りをしました。まず、住まい近くの鶴舞公園や市立鶴舞中央図書館を散策した後(写真左)、名古屋市博物館で催されている「比叡山と東海の至宝−天台美術の精華」を拝見しに行きました。天台宗が中世から近世にかけてこの地方に勢力を張っていたことがよくわかりました。我が故郷に近い岡崎市の瀧山寺や眞福寺や甲山寺に所蔵されている絵画や書状や彫刻もけっこうな数が展示されており、とりわけ眞福寺の春快作「慈恵大師座像」は、きりっと引き締まった表情が印象的な鎌倉時代の肖像彫刻の優品でした。さらに名古屋能楽堂と名古屋城を探索、能楽堂はずいぶん立派なものでした。名古屋城の周辺には、護国神社や東照宮や那古野神社があります。特に那古野神社は平安時代創建の古い神社で、江戸時代初期に名古屋城が築城された際に城の敷地内に取り込まれた由緒ある神社です。その後、大須観音や大須の商店街を徘徊し、上前津の春日神社や曹洞宗・長松院を見て帰りました。
さて、名古屋は他の日本の主要都市と同様、大東亜戦争の末期に、米軍による徹底的な空爆を受けました。63回に及ぶ名古屋大空襲により、名古屋城の天守閣や金鯱も焼失し、軍事拠点だけでなく、明らかに非戦闘員しかいないはずの市街地に対する大規模空襲も行われ、一夜で1000人前後の人が死亡するような空襲さえ行われました。広島、長崎への原爆投下とともに、米国が行った日本の主要都市への空爆は、軍事作戦の許容範囲を超えた残虐行為として弾劾されなければならないと小生は考えます。さて、敗戦後、更地となった名古屋市中心部には100メートル道路と呼ばれる久屋大通・若宮大通が作られるなど、戦後の都市計画で道路や街並みは立派に復興し、今や人口も220万人です。しかし小生が一日名古屋の町を探索して感じたのは、戦災で全てを失ったことの重さであり、歴史の蓄積と過去の記憶を喪失したことの悲しみです。京都や金沢との比較でいえば、名古屋は街から歴史の妖気を感じないのです。京都や金沢では(そしてロンドンやパリやウイーンでも)、ちょっとした広場や公園に居ても、古代や中世や近世の人々の息遣いを肌で感じることができます。名古屋の鶴舞公園や白川公園は広大で気持ちのいい緑地ではありますが、歴史を断ち切られて戦後に造営されたそ佇まいには何とも歴史の重みのない「軽さ」を感じます。鶴舞公園内の池に架かる橋もかつては木の橋だったものが空襲で燃え落ち、今はコンクリート造りになっています。米軍による日本の主要都市への空爆を残虐行為だと小生が感じるのも、人間から歴史の記憶を奪うような都市の破壊は、古代のローマによるカルタゴ殲滅の時代はいざ知らず、近現代においては最も野蛮な行為のひとつだと思うからです。
11月10日(金)晴れ
先週末、中学校の同学年(昭和47年卒)の同窓会がありました。100人近く集まったでしょうか、会場も同級生の一人が経営しているレストランを貸し切って行われ、和やかで賑やかで心楽しい会でした。冒頭に、亡くなった先生や同級生を偲んで全員で黙祷しましたが、200人以上いた同級生も既に10人近くが亡くなっているのですね。亡くなった人の名前が読み上げられると、会場からため息や驚きの声もあがっていました。その中には、小生がテニス部でペアを組んで市内大会の個人戦で優勝した大親友も含まれています。暑い日も寒い日もよくテニスコートで練習したものです。彼はとりわけ練習熱心で責任感も強く、テニス部のキャプテンをしていました。銀行に就職し、エジプトに留学してアラビア語が堪能な好青年でした。さて、同窓会場では、懐かしい出会いがたくさんありました。幼稚園から中学まで一緒だったSさん(今はもう孫もいる「おばさん」ですが)とは卒業以来ほとんど会っていませんでしたが、話しているうちに共通の友達を次々に思い出し、子ども時代の思い出話に花が咲きました。中学当時から仏像やお寺に詳しく、結局「仏師」という職業に就いたH君は、今も京都で立派な仏師として活躍しており、その姿には貫禄が感じられました。50歳という年齢に達した我々は、会っても誰だかわからないほど顔かたちが変容(?)した人もいる一方、当時の面影が濃厚に残ったままの人もいます。いずれにしても、こうして同窓会に出席できることはありがたいことです。
今週火曜日は高山に出張しました。飛騨路はすっかり秋で、名古屋から高山までの列車の車窓から山々のとりどりの錦秋を楽しめました。車内は小生以外ほとんど観光客で、外国人の姿もちらほら見えました。スーツ姿で居るのが何となく場違いな雰囲気でした。f(^^; 所用を済ませたあと、帰りの列車までの時間を使って一足先の飛騨古川まで足を伸ばしてみました。飛騨古川も高山と同様、江戸時代は天領で、独特の町人文化が育った町です。4月の古川祭は気多若宮神社の例祭で、飛騨の工芸の巧の技と町人の心意気を感じさせる9基の巨大な祭り屋台が町を曳かれます。白壁の土蔵に囲まれた瀬戸川周辺はきれいに整備された気持ちの良い散策路になっていました(写真をご覧下さい)。
11月27日(月)曇り時々雨
旧暦では神無月(十月)、二十四節季では「小雪」に入りましたが、ちょうど平地の紅葉がまっさかりで、まだ体感する季節は「秋」ですね。左の写真は、小生が高校時代を過ごした岡崎に仕事で出向いた際、名鉄東岡崎駅にほど近い六所神社で撮影したものです。六所神社は、松平氏(徳川氏のもともとの姓)発祥の地である松平郷(現 豊田市松平町)の六所神社より祭神の勧請を受けて創建したもので、徳川家康の産土神として江戸幕府の厚い保護を受けました。本殿・幣殿・拝殿・神供所は昭和10(1935)年に国指定の重要文化財となっています。現在の本殿・幣殿・拝殿は、寛永11(1634)年頃に三代将軍家光の命を受けて改築されたものとのこと。写真の本殿は、日光東照宮と同様、江戸初期の極彩建築ですが、歴史の重みのためか、あまり嫌みを感じさせません。むしろ簡素ささえ感じます。一方、右の写真は、休日に所用である大学に出かけた際に立ち寄った、名古屋東部の八事山にある興正寺の五重塔です。興正寺の創建は元禄元(1688)年で、高野山金剛峰寺の末寺です。総門、中門、五重塔、本堂が南北の軸線上に一列に並ぶ古代的な伽藍配置が特徴とのこと。写真の五重塔は江戸時代後期に建てられたものです。興正寺は、八事の丘陵地帯を境内に取り込んだ巨刹で、その林叢(りんそう)は、市民の散策の森となっています。
12月4日(月)晴れのち曇り
ここ名古屋もようやく冬らしく朝夕冷え込むようになりました。風邪などひかぬように体調にお気をつけ下さい。先週、名古屋の中心街、栄から矢場町あたりを歩いていると、矢場町のパルコの向かい側あたりに、下町風情を色濃く残している路地を見つけました。家々の軒先には色とりどりの鉢植えが並ぶ懐かしい路地です。下の写真ではわかりにくいですが、路地の向こうには白林寺という禅宗の寺の門が見えていて、何となく門前町を彷彿とさせます。
さて、先週の火曜日(11月28日)、名古屋に日銀の福井総裁が来て講演をしました。小生も日銀名古屋支店から招かれて聞きに行きました。会場のホテルには、名古屋商工会議所の箕浦氏や中部経団連の豊田氏をはじめ、当地の財界人が多数詰めかけていました。小生が福井総裁の講演で印象的だったことが三点あります。第一は、日銀の長期的政策目標が「日本の潜在成長率向上」にある、という点です。今後日本は人口減少、若年労働力の供給不足で潜在成長率の低下が懸念されますが、その逆風に逆らって成長率を維持するには、企業の技術革新による生産性向上が不可欠です。そして企業が長期的な革新投資を実行するためには、景気の振れ方をできるだけ小さくして(ヴォラティリティを低くして)物価を安定させ、企業の長期的な見通しを立てやすくすることが重要で、そこに日銀の金融政策の柔軟な運営の意味があるというのです。つまり、日銀の責務は、ただ目前の物価や景気の調節にあるのではなく、長期的な企業の革新投資を促すような安定的な経済環境作りにあるというわけです。その意味では、一定のインフレ率を維持すること(インフレターゲット)を日銀の政策目標にすべきだとの一部の経済学者の論は、あまりに近視眼的で窮屈な提言であるとの福井総裁のコメントには説得力がありました。
第二は、最近の大きな問題点は、単なる人手不足ではなく、中小企業における「人材」の不足であるという指摘。中部地方は製造業の比重が高い地域ですが、当地域に於いても、製造業を真に底辺から支えている中小企業の技術やモノ作りを継承し発展させる「人材」が非常に不足している。この問題は日銀の金融政策で解決し得る問題ではありませんが、小生は、学生の就業観を変えるように、中小企業の技術に対する社会の尊敬をもっと高めないと解決出来ないのではないかという気がします。
そして第三は、先進各国の中央銀行の政策目標が次第に共通化し、市場との対話重視という方法論でも各国中央銀行は同一化しつつあるという認識。それだけ世界経済の一体化が進んでいるということなのでしょう。福井氏のこの日の語り口からは、各国中央銀行トップと伍してやってゆく覚悟と熱意が感じられました。日銀総裁というポストに何となく名誉職的なのどかな印象があったのは、もはや二昔ほど前のことなのでしょう。小生は、福井氏を、現代日本にふさわしい有能なセントラル・バンカーだと見ました。私たちは、政策能力と関係ない処世問題を材料にするマスコミにあまり踊らされるべきではないと思います。
12月10日(日)晴れ
先週木曜日、仕事で遠江の磐田、浜松に出かけました。静岡県の大井川以西の遠江国は我が名古屋支店の管轄です。磐田はJリーグのサッカーチームで有名になりましたが、町の規模としては東海道沿いの市では小さい方です。しかし古代には遠江の国府が置かれ、国分寺も建てられました。室町期以降は「見附」と呼ばれ、東海道五十三次では見附宿という宿場町でした。現在では、西隣の浜松市とともに、ヤマハ発動機やスズキ自動車の企業城下町でもあります。この日、時間待ちでJR磐田駅前を歩いていると、写真の巨大なクスノキを見つけました。この木は、善導寺の大樟(くす)と言い、樹齢700年と推定され、胴回り8.2メートル、樹高28メートル、枝下面積850uとのこと。この巨木は、遠江国府だった頃からこの町を見守ってきたのですね。樹勢に勢いがあり、支柱にも頼らず奔放に四方に枝を広げており、木の上部には青々と若葉を茂らせています。一個の巨大な有機体が人間の20〜30世代分の寿命を生き続けてきた不思議さに、しばし呆然と木の下にたたずみました。
先週は、たまたま仕事上知り合った金融機関経営者の方が我が母校、愛知県立岡崎高校の大先輩だとわかったり、名古屋郊外にある高校時代の同級生Y君のお宅へ遊びに行ったりと、母校に縁のある週でした。Y君は大のクルマ好きです。その日も、トヨタ自動車のレクサスの売り方や同社が出資している蒲郡のレグーナというレジャー施設の運営の仕方に遊び心が足りないことなど、トヨタを始めとする自動車産業についての面白いアイディアをあれこれ語ってくれました。トヨタ自動車の現社長・渡辺捷昭(かつあき)氏も実は我々の母校の先輩だとのこと。後輩からの忌憚のない意見を申し上げる機会があると面白いなと思いました。この日はもうひとりの級友S君夫妻が小生に同行してくれたのですが、S君は小生が東京で訪ねた美術展や演奏会などについてよく知っており、また、アマチュア合唱団にも属していて、来週末には発表会もするほどです。旧交を温める楽しい機会を設けてくれたY君、S君に感謝です。それにしても、Y君のこの家を前回訪ねたのはもう十年以上前です。盲導犬にもなる種類の大型の真っ黒な犬を飼っていて、当時はまだ子どもの犬でしたが(といっても小学校低学年だった我が娘が引っ張り回されるほど大きくて力もありましたが…)、今では人間に換算すると70歳くらいの老犬です。さすがに吠え声もかすれ、口元の毛が白くなってはいましたが、客と主人が話しているうちはおとなしくしていて、客が帰ろうとすると帰ってほしくないと吠え出す賢いところは変わっていませんでした。
12月23日(土)薄曇りときどき晴れ
左写真は、年末の電飾に彩られた名古屋駅前の風景です。夜ともなれば、華やかな光の演出が大勢の人を集めています。こうした華やかな光のイベントには、何となく浮き浮きした気分にさせられますが、考えてみると、膨大な電力エネルギーの消費ですね。石油価格は高騰し、資源の有限性を自覚させられる昨今ですが、都会の年末はそんなことはお構いなしに過ぎてゆくようです。小生、このところは、全国の第二地方銀行のトップをお招きしての弊行主催レセプションが東京であってそれに出席するために上京したり、名古屋支店内のクリスマスパーティがあったり、遅れていた年賀状作成をしたりと、忙しい日々を送っています。
さて、先般、小生の高校の同級生で、岡崎市内で弁護士を営んでいる旧友と会いました。彼が話していたことで印象的だったのは、近年は、弁護士の中でも、きちんとした実証や論理ではなく、法廷での雰囲気作りで一発勝負するような人が出てきたという話です。つまり法や倫理に忠実というよりは、派手な立ち回りと巧みな弁舌を商売道具にして、言わばゲーム感覚で弁護士を営む輩が出てきているというのです。これを聞いて、小生は、ビジネスの世界でも、パワーポイントや映像に依存したやり方が増えていることに気づきました。パワーポイントや映像の効果を否定するわけではありませんが、企業戦略立案とか与信判断といった仕事は、「図解」や「イメージ」だけでできるわけではありません。綿密な調査や分析の裏付けがあってこそ成り立つ仕事なのです。標語や映像イメージの背景に、論理と倫理の裏付けのある仕事なのか、それとも軽薄で人間性の欠如した「プレゼン屋」の仕事なのか。弁護士であれ、コンサルタントであれ、経営者であれ、偽物をはびこらせる可能性を内包した道具が発達した今日、仕事の真贋を見抜く目がますます必要となっているような気がします。
昨日は、仕事で奥美濃の郡上八幡へ出かけました(下の写真参照)。長良川上流の支流、吉田川に沿った山間の町で、郡上踊りで有名です。郡上踊りは、毎年7月中旬から9月上旬まで延べ三十二夜にわたって催され、特にお盆の時期に明け方まで夜通し踊り続ける「盂蘭盆会(うらぼんえ)」がよく知られています。安土桃山時代から400年も続いています。 郡上八幡は、16世紀に築城された山城、郡上八幡城の城下町です。重なり合う山々の一段と高いところに立って町を見おろすこの城は、明治に石垣を残して取り壊されましたが、昭和初期に木造で復元された今の模擬天守閣も造形的になかなか美しいものです。市内の鍛冶屋町などに、軒が低く格子戸を持ちきれいに揃った城下町の街並みも保存されています。郡上八幡は、「水の町」でもあります。市街地には、防火などを目的に17世紀に造られた水路が巡らされ、一部は観光用に整備されていますが、多くは今でも生活用水として利用されています。この日訪ねた方から、ダイワハウスのテレビコマーシャルで紹介されて問い合わせや訪れる観光客が増えたと聞きました。町を歩いていると、至る所で水路のせせらぎや吉田川の流れる音が聞こえて、町の静けさと落ち着きを演出してくれています。
12月29日(金)雪のち晴れ
写真は今朝のJR名古屋駅の通勤風景です。今朝、名古屋は雪(というよりは霙(みぞれ)というべきか)が散らつき、この冬初めて「寒い!」と体感する朝でした。しかし午後からは晴れて好天になりました。概してこの冬は暖冬のようですね。小生の職場も本日が仕事納めでした。店の内外に年賀の門松や飾り付けができ、女子行員たちが年始ご挨拶にお見えになるお客様用のお酒の準備をしているのを見ると、ああ今年も年の瀬だと感じます。この時間の区切りの感覚、小生は好きです。とかく季節感の薄くなった現代でも、年末というのは季節感をとりわけ強く感じさせてくれますね。
さて、最近のニュースでは、サハリンUの件が気にかかりました。新聞報道によれば、ロシアの国営エネルギー企業「ガスブロム」が、サハリン沖の石油・天然ガス開発計画の主体である「サハリンU」の株式の50%+1株を、英・蘭系国際石油資本のロイヤルダッチシェル、三井物産、三菱商事の外資グループから取得するとのことです。ロシア側は、環境問題で外資グループにいちゃもんをつけ、強引にプロジェクトの主導権を握ったのです。日本としては、このプロジェクトによって天然ガスの安定供給を企図していましたが、ベラルーシなどに対し天然ガスの供給を止めることも辞さないように、天然資源を外交交渉に使うロシア主導のプロジェクトになってしまったことから、安定供給に大きな不安を残すことになりました。
サハリンUの件は、資源の有限性が高まる中で、日本のエネルギー政策、資源外交の脆さが露呈するとともに、ロシアへの投資リスクを浮き彫りにした事象といえましょう。今回のサハリンUに見られるように、ロシアに進出した企業は、資本を投じて設備を完成させた途端に、あるいは儲けが出始めた途端に、すべてを奪われるリスクを負っているのです。いかなる国際機関に加盟しても、国益のためには暴力的或いは無法者的振る舞いを辞さないのが、プーチンの独裁国家であるロシアなのです。共産党と軍部の独裁国家である中国も同様です。ロシアや中国に進出している企業は政治リスクを覚悟すべきです。軍事的、外交的に脆弱な日本政府は、ロシアや中国へ進出した企業が不当な扱いを受けても、その権益を守ることはできません。国際機関に提訴しても、無法者国家の「実力行使」には無力でしょう。日本企業の中でも賢明な企業は、わざわざ米国の子会社から中国に投資するといったリスクヘッジさえしています。アメリカ系企業にしておけば、いざという時、アメリカ政府は自国企業の権益が侵されることに黙ってはいないからです。ロシアや中国には、自由主義国、民主主義国、法治国の国際ルールは通用しません。日本企業はそれを承知した上でロシア、中国とのビジネスを考えるべきでしょう。
ともあれ、穏やかなこの年の瀬に、来年も良き年であるよう、祈ることにしましょう。