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近況メモ(平成19[2007]年1月〜2月)

 

平成19(2007)年〜「足助の正月」から「紅白梅のデュエット」へ

 

1月13日(土)曇りのち晴れ

  もう1月も中旬ですが、皆様、お正月はいかがお過ごしでしたか? 今年の東海地方の正月は、雨の日もありましたがおおむね穏やかな好天が続きました。年末に妻と娘が東京から小生の実家に帰省しましたので、元旦、家族で足助(あすけ)町へ小旅行に行きました(写真をご覧下さい)。足助は、豊田市の北東部にある人口一万人ほどの山あいの町で(以前は東加茂郡足助町でしたが、現在は豊田市の一部になっています)、南北朝時代に南朝のために尽力した足助氏一族や戦国時代の鈴木氏一族が歴史に名前を残しています。山本七平氏の著書「日本資本主義の精神」で、「労働は仏業なり」とした偉大な宗教家として取り上げられている鈴木正三(しょうさん)も足助の出身です。江戸時代になると、足助は、太平洋側と信濃を結ぶ中馬街道(塩の道)の宿場町、商家が集まる交易の町として栄えました。この歴史的な街並みが近年整備され、紅葉の名所・香嵐渓(こうらんけい)と共にこの町の観光資源になっています。私たちは、まず足助八幡宮で初詣してから香嵐渓の発祥の寺、香積寺(こうしゃくじ)へ足を伸ばし、最後に宿場町の街並みを拝見しました。小生は香嵐渓には何度か行ったことがありますが、足助の街並みを見るのは初めてでした。さすがに元旦の街は人影もなく、その静寂が却って街並みの落ち着きを際だたせてくれました。歩いていて、住人たちがこの街を誇りにしているのがよくわかりました。というのも、たまたま出くわした地元のおばあさんが、「三好屋」という古くからの旅館(旅籠)の女将さんは昔の婦人会のリーダーだったというような話をしてくれましたし、唯一開店していた「両口屋」という和菓子屋の女将さんが、ここは名古屋の両口屋ではなく、三河は安城の両口屋です、と、そのこだわりを説明してくれましたし、郷土史の定期的な勉強会の案内板が通りの掲示板に張り出されています。地元への愛着は地元の歴史を知ることで育まれるものだと改めて感じました。

  平成の大合併で各地の基礎自治体の規模は大きくなりました。それは自治体の住民への行政サービスを維持するために行われたものです。しかし「自治」とは、本来、行政サービスのことではありません。自治とは、住民が自分の町の出自を自覚し町への誇りを共有することであり、その結果、共同体の一員としての自覚が促され、町の活動を皆が能動的に担うことだと思います。そうした共同体意識を持つには、自治体は、歴史を共有し、かつ、住民が大半の人を知っている程度の規模であることが必要でしょう。おそらく足助の人たちの共同体の自覚は、広域行政組織としての「豊田市」にあるのではなく、歴史を共有する「足助の町」に対して存在しているのだと思いますし、その方が望ましいと思います。行政サービスの提供者としての自治体と、アイデンティティ・人のまとまり・共同体の担い手としての自治体は異なってもいい、というより、異なるべきだと思った次第です。

  さて、2日には、妻の実家がある浜松に移動しました。ちょうど妻の両親の家の新築祝いに親族が集まった中で、小生は、府中市の謡曲連盟で習った「鶴亀」を夫婦で謡ってお祝いしました。3日には、妻と名古屋能楽堂で「翁」と「竹生島」を拝見しました。どちらもお正月らしい能の演目です。名古屋能楽堂へ行くのは初めてでしたが、りっぱな施設でしたし、お客の入りも上々で立ち見の人もいるくらいの満席でした。名古屋にも能楽ファンが大勢いるようで、今後が楽しみです。

    
冬晴れの巴川    香積寺の境内で日向ぼっこの猫    香積寺の山門         足助の街並み         古い旅館の内部。右木箱は冷蔵庫!


  4日からは仕事も始まりましたが、8日は娘の成人式で上京し、府中市の成人式行事に出席する晴れ着姿の娘を真ん中に家族で記念撮影をしたり、お寿司を食べに行ったりしました。9日からは多くの企業が仕事始めとなり、我が業務もほぼ通常モードになりました。今週、年始の挨拶回りで豊川市方面に出かけたついでに豊川稲荷に、また、伊勢市方面に出かけたついでに伊勢神宮を参拝しました。豊川稲荷は室町時代に開かれた曹洞宗の寺院です。「稲荷」と称していますが神社ではありません。正式寺号は妙厳寺(みょうごんじ)といい、本尊は千手観音です。「稲荷」と称するのは、鎮守神として祀られる荼吉尼天(だきにてん。インドのダキーニー神の音訳で仏教が取り込んだ神)に由来し、荼吉尼天信仰が霊狐信仰とつながり稲荷信仰と習合するようになったとのこと。豊川稲荷は、江戸時代には、商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まり、京都の伏見稲荷などと並んで三大稲荷と称せられます。小生も職場の開運と商売繁盛を祈願しました。

  その翌々日に訪ねた伊勢神宮の内宮では、20年毎に社殿と鳥居を建て替え、装束・神宝も造り替え、神体を遷す「式年遷宮」が行われます。第62回の式年遷宮は平成25(2013)年の予定とのことですが、62回ということは、既に1200年以上もこうした営みが続けられてきたわけです。驚くべき伝統です。さて、小生、参道を歩いているうちに、前回の遷宮の直後に家族で参詣したことを思い出しました。娘は小学校に入った頃でした。20年という遷宮のサイクルは、ちょうど娘が成人となる年月と同じでした。20年とは建物などの耐用年数ということでもありましょうが、人間の一世代をも表象していると感じ、神々から「家族の20年の歴史に思いを馳せよ。」という声を聞いたような思いがした次第です。また、神宮の内宮に詣でた時には、「もっと広く視野を持って世界の衆生のために仕事をせよ。」という声を聞いたような気もしました。不思議に自分を振り返らせてくれるのが神域というものなのでしょう。帰りの列車の車窓からふと眺めると、稜線のなだらかな優美な姿が重なり合った伊勢の山々が新春の日差しに照り映えていました。

      
豊川稲荷本殿。お狐さんが迎えてくれます。   豊川稲荷境内。参拝客で賑わっていました。         伊勢神宮への入り口、宇治橋から五十鈴川を臨む

 

1月21日(日)薄曇り

  この週末は東京の家で過ごしました。きのうは昼間もずいぶん冷たい空気でしたが、概してこの冬は暖かです。左写真は、国分寺で今年初めて見つけた紅梅です。例年より二週間くらい早い開花のようです。

  さて、12月20日の中日新聞に、豊田市出身の神谷満雄拓殖大学客員教授が「鈴木正三全集」を出版されたという記事が載っていました。鈴木正三(1579年〜1655年)は、前回、足助について記した際にも触れた、同地出身の思想家です。働くことが即ち仏業であり、職業に貴賤の別はないと説いた「勤勉哲学」の祖とも言うべき人です。西欧でプロテスタントの思想が資本主義の淵源となったように、日本でも鈴木正三を祖とする江戸期の勤勉哲学が明治以降の製造業を中心とした日本の資本主義を発展させた思想的な力だったのです。神谷教授はこの記事の中で「正三の教えは、自動車産業が発展した三河地方のものづくりにも通じており、郷土の偉人の功績を次の世代に受け継いでいって欲しい。」と述べておられます。

  また、1月5日の日経新聞には、若い頃トヨタ自動車で働いた経験を持つ作家の上坂冬子さんへのインタビューが載っています。この中で小生にとって印象的だったのは、今や世界での存在感が大きくなったトヨタではありますが、それでも「企業の関係者が社会問題や政治問題にあまり発言して欲しくありません。日本のあり方は政治家が考えますから、経済人としてはじっくりと利益を上げることが無言のうちに社会の役に立つ。要するに、出過ぎず、引っ込み過ぎずの社風です。そういう姿勢で私たちの方が吸い寄せられる雰囲気を出してくれれば理想でしょうね。」という上坂さんの発言です。神谷教授や上坂さんの発言を、この地域の人間として、小生は、自らの出自から発した基本的な個性と生きるスタイルを忘れないようにしたいものだと受け止めた次第です。


 

2月4日(日)快晴

  きょうは立春、ここ名古屋はすっかりぽかぽか陽気です。小生の住んでいるマンションの部屋は陽当たりもよく、室内の気温は暖房をしなくても20℃近くあり、快適です。さて、昨日、所用で実家へ立ち寄ったついでに、豊田市能楽堂で催された「能面の裏側」という講座に出かけてみました。前半、金剛流能楽師でご自身能面を作成される宇高通成(みちしげ)さんと舞台写真家の森田拾史郎さんが、様々な能面や民俗仮面について、実物や写真を見せて説明してくれました。洗練された能面も、ルーツをたどると極めて素朴で呪術的エネルギーに満ちた神楽面や民俗仮面にたどりつく様子がよくわかりました。能が猿楽と呼ばれていた室町時代に作られた面には、そうした原初の面影が特に強く感じられます。小生には、江戸期に極度に切りつめられ象徴芸術化された重厚な能の音楽や舞踊にも、古代や中世の芸能、神事の面影が色濃く残っていると感じられる瞬間があり、それがとても好きです。能面の材料となる檜は、加工しやすく、軽く、後々にも狂わず、塗りやすいなど、能面にうってつけです。宇高さんによれば、良質の能面には、少なくとも樹齢150年以上の檜を用い、伐採してから40年水に浸けてあく抜けさせ、その後40年乾燥させたものを使うのだそうです。宇高さんご自身、鑿をふるって能面を作られるのですが、その材料は80年以上も前に伐採されたことになります。

  この日の後半では、面と上着を変えて、「羽衣」の天女の舞が披露されました(何と、撮影可ということで、大勢の人たちが三脚を構えて撮影していました。小生もデジカメで撮ってみましたが、下のように明るさ不足で見づらくなってしまいました。室内撮影はなかなか難しいものです)。始めに「小面(こおもて)」という面と紫の上着をつけてクセの部分が舞われ、次に「増(ぞう)」という面とオレンジ色の上着をつけてキリの部分が舞われました。「小面」も「増」も若い女を表象する面ですが、「小面」があどけなさ、無邪気さを感じさせるのに対し、「増」は成熟した感じ、謎めいた感じを与えます。「増」は口元が神秘的に開きかけており、何か神聖な言葉を発しているかのようにも見えます。同じ天女でも小面の天女は天真爛漫、増の天女は月世界の神秘さといった印象を演出するのです。これらの能面は、厳しい造形美に仕上げられつつ、真正面から見るときは「悲哀と微笑」など相反する表情を併せ持つ「表情中立」に仕立てられており、舞台上での少しの傾きや角度によって、また、装束や役者の動きと相まって、変幻自在に表情を変えてゆきます。それは(文楽人形にも同じようなことが感じられるのですが)生身の人間が作る様々な表情などよりもはるかに奥深いものを表象できる可能性を秘めているように小生には感じられました。

      
羽衣の天女の舞(面は小面、紫の上着)                  同左(面は増、オレンジ色の上着)

 

2月16日(金)快晴

  写真は先週末に東京の自宅近くの公園で撮った白梅です。実に見事に咲き誇っていました。紅梅の華やかさもいいですが、白梅の清らかな美しさも小生は大好きです。この近くの蝋梅の黄色の花からは甘い香りがあたり一面に発散していました。旧暦では明日が大晦日(おおみそか)で明後日は正月。暦の上でも春になります。

  さて、名古屋の繁華街、栄に「ラシック」という比較的新しくできた商業施設があります。ここの店長の田中さんが日経新聞の地方記事の欄で、名古屋駅前の超高層ビルもいいが、そこには面としての街を歩く楽しみがない、栄には街歩きの楽しみがある、という趣旨のことを述べておられました。確かに小生も、名古屋駅近くに職場がありますので、名駅の超高層ビルに入っている高島屋や飲食街を時々利用しますが、正直、あまり行きたい場所ではありません。超高層を上りきった展望台から、太平洋や中部アルプスの山並みまで一望に見渡せる景色を眺めるのは好きなのですが、買い物や飲食で訪れようという気にはなれないのです。前から、なぜ皆が現代名古屋の象徴のように囃す超高層ビルを好きになれないのだろうか、と不思議でしたが、この田中店長さんのコメントに、これだ、と思いました。超高層ビルは、地上から目的地までエレベーターで一直線に無駄なくたどり着きます。しかし、ここには、ぶらぶらと歩きながらここへ立ち寄ってみようかな、というような偶然の出会いや発見の要素は全くありません。超高層ビルは、常に好奇心を持ちながら発見の喜びを満たそうとする人間の本来のあり方に反する存在なのです。その意味では、自動車で目的地まで一直線に行って、目的を満たすだけの(何があるか行く前からわかっている)郊外の巨大なショッピングセンターも、実に非人間的な存在だと感じます。自動車優先と建築物の高層化は、現代の都市設計の基本を成しているようですが、この基本思想が本当に人間を人間らしい存在たらしめるのか、自分の素直な感覚に従って疑ってみる必要があるのではないでしょうか。人間らしい感性を豊かにするには、1月13日の「近況メモ」でご紹介した足助の街並みの方がはるかに訪れるに値する場所だと感じます。


 

2月23日(金)雨

  もうすっかり春の気候です。今春は杉花粉の飛散は少ないと聞いていましたが、きょうあたりは雨なのに猛烈に喉鼻をやられ、熱っぽくなってきました。ご同病の皆様、お気をつけ下さい。写真は、今週半ばに仕事で岡崎に行ったときに、明代橋で撮った乙川の景色です。桃色と白色の梅が重なり合って可憐な風情を見せてくれていました(写真は少し影になってわかりにくいですね)。

  さて、2月20日付日経新聞「大機小機」欄の「どこへ行った『毅然とした政治』」と題するコメントが気になりました。安倍晋三内閣の閣僚たちの不用意な失言、それに対して安倍首相の毅然と怒る姿が現れず(中川幹事長が代行しているようですが)、「いい人」であり続けているのは問題だ、という内容でした。小選挙区制や内閣機能の強化などで、制度的には、自民党の派閥に対する首相の権限は増大しています。小泉前首相はそれをフルに活かして党の反対を押し切り自分の主張を押し通すスタイルを確立しましたが、全ての首相が小泉式に政治を進める必要はありません。人柄の良さはマイナスばかりではないのですから、もう少しマスコミなどへの露出度を上げて、安倍さんのスタイルを世間に印象づけた方が良いのではないかと思います。


  2月21日付同欄には、少子化対策の参考として、OECD諸国では、家族対策関連支出と出生率には正の相関がみられることや、女性の労働力率もある水準を超えると出生率と正の相関に転ずることが紹介されています。また、2月22日付の同欄は、日本の得意とする製造技術は、追いつかれる速度が速くなっていることから、技術とビジネスモデルの差別化戦略が不可欠だと論じています。大競争時代の日本は、政官民の知恵を結集して対処すべき事柄が山積しています。政治に「緩み」がきているなら、そろそろ首相の「毅然とした怒り」を見せてもいいかもしれません。

 

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