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近況メモ(平成20[2008]年3月〜4月)

 

平成20(2008)年〜「梅見の集い」から「初夏の瑞兆」 

 

3月2日(日)晴れ

  右の写真は小生のお気に入りの我が家の裏手の雑木林です。落ち葉の積もった冬枯れの景色もなかなかいいものです。この雑木林を越えたところには梅林があり、この季節には甘い梅の香りがほのかに漂っています。昨日家内と散策した公園では、ちょうど近所の人たちが「梅見の集い」をやっていて、私たちも甘酒をいただきました。残念ながら公園の中の梅はほとんど咲いていませんでしたが、公園の周囲の紅梅、白梅は見事に咲き誇っていました(下の写真)。

  さて、先週の日曜日、月一度の「福田恆存を読む会」に出かけました。この読書会は福田恆存全集から毎回一編を取り上げて通読し、それを材料に自由に談論風発するものです。会は船橋市の医師で福田恆存の研究家でもあるYさんが世話役で、小生も2年ほど前から加えていただいています。先週の会では、福田全集第6巻から「教育の普及は浮薄の普及なり」を読みました。小生にとって一番印象的だったのは

「大學人は『自分は教へることが下手だ』といふことを寧ろ優れた學者の保證であるかの様に誇らしげに言ふ。が、教育の情熱にまで燃え上がらぬ學問研究などといふものは頗る薄弱なものであり、さういふ人を私は學者としても尊敬できない。」

という一節です。確かに真理に到達した人は、その真理を万民と分かち合いたいという衝動を持つものです。悟達者や創造的な研究者はすべからく良き教師たらざるを得ません。何故ならそれを人々が求めるからです。ブッダもイエスも悟りや愛を自分一人のものだけにしておくことはできませんでした。象牙の塔の中でだけでしか通用せず、教育への情熱に繋がらない学問や研究に耽ることを寧ろ誇りとするような類の知識人の欺瞞を福田は最も嫌ったのです。


 

   
我 が 家 の 近 所 に 咲 き 競 う 紅 梅、白 梅 た ち ( 3 月 1 日 昼 頃 撮 影 )

 

3月23日(日)晴れ

  ブラウザの不具合でしばらくホームページをアップできず、ご無沙汰になってしまいました。旧暦ではきょうは如月(きさらぎ=二月)一六日、春のお彼岸の入りや春分も過ぎ、近頃は朝早くから太陽の光を感じるようになりました。日中の日差しもめっきりと強く明るくなって、白梅が青空に映えています(左写真)。

  さて、今月は期末月でもあり、仕事があわただしく忙しい日々ですが、その中で、ある事象を通じて、リスク感覚を研ぎ澄ますことの重要性を教えられました。組織にとって負の事象が起こったとき、最初はたいした影響はないと高を括っていたのが、日を追う毎に急速に深刻な問題に転ずることがあります。そのとき、誰かがいち早く「これは大変な問題になる!」と感づけば、組織が蒙るダメージは最小限で済みます。ところが、組織全体にそうしたリスク感覚が欠如していると、対応が後手に回り、ダメージが限りなく拡大します。幸い、我がチームには鋭敏なリスク感覚の持ち主がいて、いち早く警鐘を鳴らしたため、傷口が広がらないうちに素早い対応ができました。そうしたリスク感覚は、論理力というよりは感覚、感性と経験がモノをいうように思われます。営業力や企画力に優れた人材も組織にはもちろん必要ですが、リスク感覚の研ぎ澄まされた人材をどう育成するかということも組織にとって大きな課題だと痛感した次第です。


 

3月30日(日)曇りのち雨

  下の写真は、3月22日から28日にかけて名古屋と東京郊外で撮影したものです。日本列島に色とりどりの花が咲き誇る季節がやって来ます。先週は、小生の職場からほど近い千鳥ヶ淵の桜もほぼ満開になり、九段界隈も大勢の花見客で賑わい華やいだ雰囲気です。でも、ここ何日かは急に寒くなって花冷えといった風情です。今日も家族で国立(くにたち)の大学通りの満開の桜を見物しましたが、あいにくの曇り空でひんやりとした一日でした。シートを敷いて花見をしている人たちも寒そうでした。

  さて、九段の武道館では、先週、いくつかの大学の卒業式が催されていました。明けて4月には入学式、入社式も行われることでしょう。この季節、別れと出会いといった「人間劇場」を感じないわけにはいきません。小生の知人でも、人事異動で新天地へ行かれる方が何人かいらっしゃいます。金沢時代に謡や仕舞を一緒に習ったMさんは東京から三重県に転勤になりました。母校の教諭として高校の同学年会の世話役をしてくれているTさんは、母校を離れて隣町の高校に移られるとのこと。それぞれ新天地でのご活躍をお祈りします。先日、NHKで春にちなんだ歌番組をやっており、その中で森山直太朗の「さくら」に心惹かれました。彼自身のファルセット(裏声)を響かせた独唱もいいのですが、その時聴いた宮城県第三女子高校の合唱部による合唱バージョンが素晴らしかったです。この季節に相応しいこんな歌詞が泣かせてくれます(作詞/森山直太朗・御徒町凧)。

    どんなに苦しい時も    君は笑っているから
    くじけそうになりかけても    頑張れる気がしたよ
    かすみゆく景色の中に    あの日の歌が聞こえる

       さくら さくら 今咲きほこる    刹那に散るゆくさだめと知って
       さらば友よ 旅立ちのとき    変わらないその想いを 今

   
路傍の菜の花(東京・国分寺で) 紅白両方咲かせる桃の木「源平」(同左)   花の色が白い山桜(同左)     早めに咲いた木蓮(名古屋・本山で)

 

4月6日(日)晴れ

  きょうは旧暦で弥生(三月)一日、「さくら さくら 弥生の空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂ほひぞ 出づる」と童謡に謡われる季節です。東京は既に花の盛りはおおむね過ぎてしまったようですが、日本列島、まだこれからのところもあることでしょう。旧知の金沢の方からはようやく見ごろになったとのお知らせをいただきました。小生も先週はいろいろなところで桜を愛でる機会がありました。先週の日曜日(3月30日)は、家族と生活圏である国立(くにたち)の大学通りの桜を見物しました(写真左)。あいにくの曇り空でしたが、やや白っぽい花を咲かせる巨木が並ぶ中に枝垂れ桜もあり壮観です。我が家のお気に入りの蕎麦屋で昼食をとりながら通りを散策しました。

  4月2日には、靖国神社の夜櫻能を拝見しました(写真左から二つめ)。一昨年の春に初めて拝見し、桜の花びらがはらはらと能舞台に散りかかるありさまがこの世のものとも思われない幻想的な趣でした。ことしはちょうど満開で花びらの散りかかりは見られませんでしたが、満開の桜の下で拝見する能「蝉丸」の悲しみもまた情趣あるものでした。

  そしてきょうは家内と上野の国立博物館へ「薬師寺展」を拝見しに行きました(写真右)。薬師寺展では、やはり日光・月光の両菩薩像が印象的でした。しかしこうした仏さまたちは、やはり奈良へ行ってお寺の中に収まっているお姿を祈りと共に拝見させていただくのが本来のあり方だとも感じました。午後は宝生能楽堂で、宝生流の長老・今井泰男さんの演じる能「姨捨(おばすて)」を拝見しました。姨捨伝説から採ったこの曲は、しかし、陰惨なものではなく、むしろ気高ささえ滲ませた趣に仕立ててあります。老女は最後にやはり取り残される孤独な存在ではありますが、その孤独は誰にも訪れる自然なものだと感じました。その趣は今井師の80歳を超えた年齢から自然に醸し出されるもののように感じられましたが、しかし、ひょっとしたら、「名人」今井師は、「老い」を「演じて」いたのかも知れません。

   
国立(くにたち)・大学通(3月30日)  靖国神社夜櫻能にて(4月2日)           上野・東京国立博物館内の庭で(4月6日)          

 

4月13日(日)小雨

  きょうの東京多摩地方は小雨そぼ降る寒い一日でした。昨日はまずまずの好天に誘われて永田町の国立国会図書館へ調べ物をしに行きました(右写真)。先週までは桜や春の草花が目に飛び込んできましたが、この日は、国会図書館の中庭の木々の新緑が目に眩しく、春の終わりから初夏へと季節の移り変わりを感じさせてくれました。

  先週の日経新聞で印象に残ったのは、4月7日に70歳で亡くなられた味の素会長・江頭(えがしら)邦雄氏についての10日付の「評伝」欄です。「評伝」によれば、1997年に起きた「総会屋への利益供与事件」後に社長に就任した江頭氏は、歴代社長が挑んでは跳ね返されてきた「長老支配」の厚い壁を破る並々ならぬ決意をされました。江頭氏は、生前墓を建てて、死んでも一歩も引かない覚悟を社内外に示したそうです。その気迫で総会屋との絶縁、長老支配の排除を実現、さらに、自信喪失した従業員の士気を鼓舞するために半年かけて全支店、工場、海外事業所を回り、自らの志を語ったといいます。その後味の素は売上一兆円超の世界的食品企業になりました。自分の志と意志を確かめるために「生前墓」を建てた江頭さんの気迫に心打たれました。ただ自分と家族の安穏のために生きるのではなく、自分の死に場所を求めて使命に殉ずるような、生命より尊い何ものかに自分を捧げるような、そんな生き方を考えてもいい年齢ではないのか、という内心の声が聞こえてきたような気がした次第です。


 

4月20日(日)曇り

  今日は午後遅くにようやく晴れ間が見えてきましたので、自転車で武蔵国分寺公園を散策しました。この公園はもともと国鉄の大きな施設があった場所で、今は自転車やランニングで周回すると気持ちのいい広大な市民の憩いの場所になっています。一時期は国分寺市が美術館を誘致する話もあったようですが、幸い(?)国分寺市が貧乏自治体だったおかげで、つまらない「箱物」を誘致できず、こうした広大な広場になってくれて良かったと思います。公園内の池にはカワセミも来ていて、望遠レンズを付けたカメラで色鮮やかなカワセミを撮影する人たちもいました。この季節、町のあちこちに色とりどりの花が咲き競っています。小生の家の庭でもタンポポやシャガが彩りを添えてくれます。下の写真はこの週末に近所のあちこちで撮ったものです。はなみづきや木蓮は白と色のあるものが交じっていると目にも鮮やかです。黄色の山吹は可憐で素朴な感じが好きです。つつじはいろいろな種類があって目を楽しませれくれます。

      
白とピンクのはなみづき(4月19日撮影)       黄色のやまぶき(4月20日撮影)       色とりどりのつつじ(4月20日撮影) 

 

4月30日(水)晴れ

  黄金週間、いかがお過ごしですか。小生はカレンダーどおりに出勤です。東京地方は、今日などオフィスにいるのがもったいないくらいの好天でした。昨日の昭和の日は、午後から家族で国立(くにたち)方面へ散歩に行きました。下の写真はその際に撮ったものです。春から初夏の風物詩をご覧下さい。さる4月26日は小生の満52歳の誕生日でした。人生の後半をいかに生きるか、引き続き「自分作り」の日々になりそうです。たまたま近くのスーパーの抽選会で、家内が3等賞を当てて、5sのお米をもらってきました。我が家にとって瑞兆になりそうです。

    
見事なつつじのコントラスト(一橋大学の構内にて)          緑陰の散歩道(同左)            目にもまばゆい新緑(同左)

          
たんぽぽの綿毛玉(我が家の周辺にて)         風にはためく鯉のぼり(同左)       池に居たオタマジャクシの群れ(一橋大学構内にて)
  

 

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