(1)本件裁判においては、その治療過程全般における患者と医師とのコミュニケーションのありかた、すなわち患者の治療に対する自己決定権と、末期がん患者に対する治療方法のありかたが根本的に問われており、かかる問題点に対して、多くの医師が見解を寄せられてきた。
被控訴人が主張されることも、一医師の見解であろうが、控訴人側が提出した医師の見解も医師の見解である。
本件問題は、治療の根幹にかかわることであり、また個々の医師の価値判断に依存する度合いも高く、様々な見解が存するところでもある。
しかしながら、現在の医療現場において、一定の基準=行動規範が存することも確かであり、その基準=行動規範を探ることが裁判所の任務と思われる。
昨今、患者と医師とのコミュニケーションのあり方が問われ、これまでのムンテラに象徴されるごとく「医師は患者の病気を治してやっている、患者は医師の言うことだけに従っていれば良い」というコミュニケーションが変化してきている。
インフォームドコンセントが医療現場において当然の理となっていることは周知の事実である。
まだ変化の過程であるゆえ、様々な見解が存することと思われるが、患者の自己決定権が何よりも尊重されるという点には全医師が賛成している。
また、末期がん患者に対する治療方法のあり方も、これまでの治療方法に疑問が投げかけられている。
一見、何もしないことが最善のように思われがちであるが、実は患者のその時々の状況において医師としてなすべきことは山ほどあるのである。
医療裁判においては医師の協力を得難いことから、以上の点につき、控訴人側は、やむなくインターネットという新種の手段を用いて医師とコンタクトを取った。
そして原審においてI岡医師の意見書として提出した(甲23号証及び26号証)。
また、控訴審においてもU野医師の私的鑑定意見書(甲42号証)、本多医師の私的鑑定意見書(甲43号証)として提出した。
しかしながら、原審及び控訴審を通じて、法廷で医師が自らの口を用いて発言し、意見を述べたのは、被控訴人側の当事者本人である藤村医師とその部下である証人北田医師だけである。
控訴人側の医師の見解は書面によって提出されただけで、法廷で口を使ってその見解が述べられていない。
書面で見解を伝えることは不十分である。
また、裁判所の心証形成に大きく影響するのは、やはり法廷で医師の口から生に飛び出した見解である。
特に、様々な見解があり得る領域においては、反対尋問に十分に曝された上で、当該見解の信憑性が吟味され、当該反対尋問に耐えた見解はその信憑性が著しく高まるのである。
反対尋問に曝されないということは、当該見解にとって不幸なことなのである。
控訴人側は、I岡医師、U野医師及び本多医師の見解を書面で、法廷に提出したが、反対尋問に曝されていない故、その信憑性が十分に高まっていない懸念を有する。いずれの見解も、反対尋問に曝されれば、裁判所の心証形成に大きく影響するものでばかりである。
控訴人は以上のような理由より、U野医師及び本多医師の証人申請を行ったが、裁判所は却下とした。
このような現代医学の最先端の議論を全て書面で言い表すことは不可能である。
したがって、I岡医師、U野医師及び本多医師は、当然法廷で自らの口をもって見解を述べられるものとして、書面はあくまでもそれを補完するものとして各意見書を作成したのである。
法廷で見解を述べることができないのであれば、各意見書はあくまでも補完書面であるのであるから、不十分なままである。
ここにおいて、本多医師が、私的鑑定意見書の追加分を作成した。
法廷で自らの口を用いて見解を顕出できず、被控訴人側の反対尋問に曝されそして耐え、その見解の信憑性を著しく高めることができなないのであれば、せめて意見書の追加を認めるべきである。