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体験談1

■「態度を一変した主治医」      岩出市 谷口陽子さん(スモン病患者)

 
私は長い間、スモンの後遺症に苦しんできました。それに加え、腰と首の痛み、全身の関節の痛みに悩まされ、痛みの原因がわからなかったため、数々の病院を回ってきました。ようやく数年前に医大で「シェーグレン症候群」であることが分かったのです。今は、頸椎に異状が見つかり手術する事も考えています。また過換気症候群や、心筋梗塞も起こしましたが、多くの人たちに助けられ、今まで生きてくる事ができました。
  私は23歳の頃、下痢と発熱が続き、労災病院へ入院しました。「薬は必ず飲め」と言われ、食前、食間、食後に多量の薬を飲みました。しかし薬も水も吐いてしまい、腹痛とケイレンにおそわれ、一時は「もうだめか」と思ったほどでした。その後、内臓には悪い所も見つからず、下痢が止まったので退院しました。その頃に、足から膝にシビレがでて、足の裏の感覚が無くなったのです。医大でスモンと診断されました。聞いた事もない病名でした。脊髄の神経が侵され、死に至る病気、原因も治療法も無いというのです。
  「どうしてこんな事に」と目の前が真っ暗になりました。その後はスモン患者も多くなり、京大教授がスモンを苦に自殺。女優の団令子さんが医師と結婚、医師である夫がスモンになり、感染を恐れ、一人息子と面会せず死んでいったこと等、世間を騒がせました。
 スモン病は恐ろしい。感染する、遺伝する、と怖がられ、治療法もないままスモン患者は次々に亡くなっていきました。
 私も死を恐れ、まるで灰色の毎日を、ただ生きていました。そんな時「現在医学で治せないからといって、死を待っているだけでいいの?。生命力をつけて、病と闘うのよ」と、友人が何度も励ましてくれました。
 健康な人をうらやんだり、自分の宿命を嘆いてばかりだった私でしたが、自分が人間として生まれてきた事に意味があり、大切な使命があると気づいたのです。
 あれからスモンは、整腸剤キノホルムの薬害と分かったのです。キノホルムは禁止となり、新たな患者は出なくなりました。スモン患者はほとんど亡くなっているとか。今現在どれだけの人が生きているのでしょう。スモンは忘れられ、医者でさえ、名前は知っていても病気のことは知らない人がほとんどなのです。
 スモンが難病指定になってもう随分、時が経ちました。私はどの病院に行っても、初診時には「私はスモン病にかかっていました」と、言っています。5年前、筋電図の異状から、神経内科のA女医に「スモンの後遺症でしょう、一緒に治していきましょう」と、はじめていってくれました。スモンは治らないと言われていたので、本当に嬉しかった。 
 今までは、スモンの認定を誰に申請したらいいのか、又、昔の事なのでどうしたものかと、あきらめてきましたが、まず保健所に相談してみました。「今かかっていいる医師に証明してもらいなさい」とのことでした。次の診察日に「証明をして下さい」とお願いしました。すると、一瞬、顔がこわばり「悪いけど、私はあなたがキノホルムを飲むところを見てないから、こんな証明できません」、「ハイ、裸になって!」。なぜかショーツ1枚で立たされ、私の足をピシャピシャと、叩きながら、「感じるでしょう、第一あなた、スモンでこんな軽い症状のわけないでしょう?」
 その医師は、前回までは優しかったのに、申請書で証明をと話すやいなや、別人のように冷たく言い放ったのです。以後、この医師に診てもらうことをやめました。
 後日、心臓で受診しているW医師より「あんた!自分はスモン、スモンと言って。神経内科のA女医がスモンと認めてない。その上、又シェーグレンになった?誰がそんなこと言うてる。ほんまにおかしなことばかり言うて、あんたの症状は精神科へ行った方がええ」。私は「精神科へも診てもらいましたが、関係ないと言われ、医大の三内でやっと、シェーグレンである事がわかったんです」と言うと、「ほなそこで、何もかも治してもらったらええわしょ!」。患者がつらい思いをしているのに、あんまりです!悔しくて叫びたいのをこらえ、涙を流しながら帰りました。
 心筋梗塞でカテーテル手術をし、冠状動脈にステンのリングを入れてから、ずーっとこのW医師に診てもらっているので、難病に対する理解は全くなく、言葉のいじめを受けながら、今も診てもらっています。
 私がスモンの患者であること証明をするのには、医大で診断された、当時スモンの名付け親でスモン研究の第一人者だった楠本教授を見つける事です。残念なことに、楠本教授はお亡くなりになっていました。私は医大と労災のカルテを見つけること、これも年が経ちすぎ、ありませんでした。私のような場合どうしたらよいか、県に相談し、スモンに関係している医大の神経内科Y先生のところへ相談したのです。Y先生は「今までなんの救済も受けなかったのか、もっと早く名乗り出れば、薬害保障も受けられていたのに。今となっては、もう手遅れやなあ・・・」と言って、インターネットで福岡の国立療養所筑後病院の岩下先生に連絡をとってくれました。
 こうして、私がキノホルムを飲み、スモンになったことを証明して下さいました。私はスモン患者を救う法的なことがあったことを等、まったく知りませんでした。世の中には、私のように無知のため、難病に苦しみながら、救いの手を差し出されても、そのことすら知らず、人知れず亡くなっている人もあるかと思います。
 今日「きほく」の会が結成され、私たち難病の患者にとって、また家族にとって、また孤独で難病と闘っている人たちに、心強く又、頼りになる「きほく」に発展していくことを願っています。
 本日はありがとうございました。

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