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体験談3

■「30年目の診断」       紀の川市 神森和子氏(膠原病患者家族)

 
皆さま、こんにちは。ようこそお出かけ下さいました。
私は紀の川市に住む神森と申します。膠原病患者の家族でございます。本日ここに那賀地方患者・家族会結成会が開かれますことを大変嬉しく存じます。患者・家族会発足に当たりご尽力を賜りました多くの方々に心からお礼申し上げます。
 さて、難病患者とともに暮らす家族として、私どもの過ぎてきた毎日の一端をお話しいたしたく存じます。
 昨年5月、那賀病院において“娘さんの病気は、混合性結合組織病・シェーグレン症候群・橋本病と言って、所謂、膠原病です”と告げられました。私は“やはりそうでしたか”と応えました。横に立つ娘を見た時、娘は笑顔で“あらよかった、病名が分かって”と言いました。30年間苦しんで悩んでやっとたどりついた病名でした。両親(家族)にも、学校の先生にも、お友達にも、また医者にさえ“泣き虫、弱虫、怠け者で神経質で困ったものだ”と言われ続けてきました。説明できない症状と闘っていた娘の、心の底から出た言葉でした。
 娘の誕生の時も、仕事を持っていた私は、生まれてすぐ、まだ首のすわらない娘をおんぶして勤めに出ました。それでも風邪一つひかず、大きな声でよく笑う娘でした。幼稚園のお別れ遠足でも、弟が入院中のため“ひとりで大丈夫”と、出かけるほどの娘でした。運動会のかけっこは、いつも一番。祖父母が楽しみにした娘でした。それが小学校3年の夏頃から、ご飯が食べられない、しんどくてフラフラする、疲れて朝起きにくいと、子どもらしくないことを言い出しました。とうとう登校拒否に似た症状になってまいりました。
 病院へ行っても異常なし。月曜から金曜まで、朝になるとお腹が痛くなるのです。土曜日は喜んで登校していきます。皆さん、何故かお分かりになりますか。土曜日は給食がないからです。
 その頃からシェーグレン症候群の症状が出はじめていた様子です。嫌いで食べられないのではなく、唾液が少ないために食べにくかったのです。給食の時間はいつも泣きながら。体育はいつも見学。とうとう先生とクラスメイトのいじめの対象となりました。笑顔が消え、自然と言葉も少なくなっていきました。親の私でさえ、泣き虫、弱虫と困るのですから、先生や友だちがいじめるのは当然のことでした。
 どこの病院へ行っても異常なし。娘に症状の説明を求めても、唯しんどいの一言でした。4年生のある日突然、“お母さん目が見えない、足も立てない”と、救急で運ばれた病院では“精神的なものですね”と、何の治療もなく一ヶ月が過ぎました。
 視力の戻った娘を連れて退院。家族ぐるみのつきあいのある医師を頼って再び入院いたしました。お見舞いに来てくれたお友達が、“あっちゃん給食の時間に、お肉がのどを通らないと言って口から出したら、先生が無理に口へ入れたの。何度もその繰り返しで、とうとうあっちゃん泣き出したの。みんな「あっちゃん頑張れ」と言ってあげたんだけど、あっちゃん青くなってね、それで先生もやめたの”と言ってくれました。それは夕方まで続いたそうです。金曜日の出来事でした。
 土曜日は登校したものの、その時のショックが残り、日曜日の朝、ほっとした瞬間に足が立てなくなったのかも知れません。二度目に入院した病院でも、何の治療もなく点滴ばかりの毎日でした。夏休みも終わり、少し元気を取り戻した娘は、2学期から学校へ行くと言って退院しました。
 入院中一度も顔を見せてくれなかった担任に、給食は食べられないので、家で食事をさせて5時間目の授業に間に合うように送ってきます、と頼みましたが却下されました。が、私は6ヶ月間、お昼学校へ迎えに行き、また送っていく。運転のできない私にとって職場と学校と家と、決められた時間での移動は大変な毎日でした。
 給食が食べにくいというストレスがたまっていたようです。その頃からよくガムをかんだり、飴を口に入れたり。肩がこる、疲れると言い通していましたが、病名もなく、病院でも点滴ばかりでした。中学、高校も点滴を受けながらの通学でした。
 「何となく具合が悪い」、「たくさんの人の中に入ると気分が悪い」、「肩がこる」、「ご飯が食べにくい」、「あごの骨が痛い、目が渇く、関節が痛い、手のひらも足の裏も痛い、手も足も白くなってくる、力が入らない」、一年また一年、症状が増えるばかり。医師を信じ切っておりましたので、娘は他の病気での診察を好みませんでした。その時私ども家族に膠原病の知識があれば、もっと早く病気が分かったかも知れません。
 「特定疾患ではないですか?」の質問も聞いてはもらえませんでした。気分が悪く、電車に乗って遠く出かけることもできない娘は、獣医になる夢もあきらめました。
 お花の勉強をして、大好きな花屋さんで勤めはじめました。花の土や大きな鉢植えを、歯を食いしばって持っていたようです。
 どんどん症状は進むばかり。通院のための23分間の電車も苦痛になり、しゃがみ込んで乗っていくのです。特定疾患ではないかと聞いても、泣き虫で、少し怠け者かな、と言われたら一つの病院と医師を信じた30年は何も得るものはありませんでした。
 和歌山までの通院も苦痛になり、近くで受診した岩出町の医師によって血液検査の結果、以上があると認められたのです。「膠原病」と診断されて、やっと娘の生活にも私ども家族にも一筋の光がさしてまいりました。
 娘は明るくなりました。ささやかな個展を開き、訪れてくださる多くの方と楽しそうに話しをしている姿を見て、私ども家族もほっと致しました。これが終わりではなく、ここから始まる苦しみがあります。
 だからこそ、この度の患者・家族会はどうしても必要なものでございます。同じ悩み、同じ苦しみを持つ人たちと集い、出逢い、語り学ぶことで、苦しんでいるのは私だけではないと知ることができます。患者・家族の語らいの場として発足した患者・家族会に、ひとりでも多くの方々が参加してくださることを願います。その語らいの場が患者の皆さまにとって、癒しの場となるよう祈ります。
 娘も一員に加えていただき、皆さまから有期を貰うことができれば幸いです。娘は今も理解のある上司と同僚に支えられながら、一週3日間の仕事を続けています。
 難病患者としてやっと一歩を踏み出したところです。身体は病気ですが、心まで病んではいません。患者・家族会に参加することで、前を向いて生きていってくれると思います。那賀地方患者・家族会の発足が大きなうねりとなり和歌山県のみならず、社会を動かす会となることを願います。ありがとうございました。
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