新湊市博物館

 

     所在地      富山県新湊市鏡宮299番地
     入館料     300円
     休館日     火曜日
     交通手段    北陸自動車道小杉Cから9分、国道8号線沿い。道の駅”カモンパーク新湊”に隣接
     TEL      0766−83−0800
     備考

  

この博物館は建物にまず驚かされる。高い場所に温室みたいなガラス張りの窓があり、全体は薄い茶色。そして、曲線主体で作られている。この色と形。どことなくやさしさを感じ、安らぎを覚える。と同時に展示への期待もわいてくる。そんな不思議な建物である。

さて中に入ろう。外側だけでなく、中も曲線を生かした作りになっている。ここでもやさしさと期待をつい感じてしまう。
最初の展示室は「新湊の歴史」である。新湊は、以前は放生津と呼ばれていて、港町として栄えていた場所である。守護所もおかれ、また海運の要所として、政治や経済の面で重要な場所であったという。そんな、新湊の歴史や民俗の紹介である。
海商の家、和船の模型、そして祭り。祭りでは曳山の模型なども展示されている。水運では、江戸時代のまだ未熟な航海の頃。いつも危険と隣り合わせ。そんな船乗りの一面も紹介されている。そして水郷。富山県では珍しく、放生津近辺は湿地帯であり、水郷地帯であったのだ。今の乾いた田畑からは想像もつかないだろう。そんな一面もジオラマで紹介してくれる。この水郷、現在では乾田化され、そして、現在では切り開かれて港となり、工業地帯化も進んでいる。そんな移り変わりの様子も紹介している。

さて、次の展示室へ進もう。ここは”高樹文庫”となっている。まず最初に目に付くのは射水の地図である。壁にかけられているのだが、非常に大きな地図である。今の新湊に加え、小杉や高岡や氷見なども加えた範囲の地図がである。この地図、どのくらいの大きさだったろうか? 博物館で見ても相当大きいと感じた。さてこの地図をよく見てみよう。古い地図なのに、絵地図的なところが全くない。細かな地形には、近代的な地図としての雰囲気がある。これは、加賀藩で保管していた絵図が消失した際、全郡に絵図の提出を命じ、そのときに石黒信由が作成したものだそうだ。近代的な雰囲気・・・それは、地図としての精密さからきている。
江戸時代、あるいはそれ以前の地図、というと非常に誤差の多い地図であった。地図、と言うよりも絵に近い。現在の地図とは、イメージとしては似ているものの、地形としてみると相当違っている。製図とスケッチの違い、といえばわかりやすい。これは、絵図面に測量の考えがないからである。だから、人が歩いた感覚で方向を求め、距離感を合わせて図面化する、あるいは高い山から見ての感覚的なものから作られたものなのだ。だから、絶対的な位置の測定が出来なかったため、誤差が重なり、大きくなってしまうのだ。だが、石黒信由の地図は違う。町の位置は現在の地図と殆ど変わることがない。ここには伊能図を思い浮かべるような精密さがあふれている。実は、これも伊能図同様、精密な測量による図面なのだ。その技術は、伊能氏のものに比べても見劣りするものではなかったようだ。実際、海岸線などは伊能図と殆ど変わらないらしい。そして、海岸線中心の伊能図と異なり、内陸部も細かく測量されている。
この高樹文庫には、測量の道具も展示されている。また、ビデオにより、測量の方法も学ぶことが出来る。測量、というと結構難しいことなのだが、ビデオはわかりやすい。これなら、小学生でもある程度学ぶことが出来るだろう。実は、この新湊博物館の運営方針は、”むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく”だそうだ。この測量の展示はまさにその通りの展示である。

石黒信由氏の偉業、富山県出身なのに私は知らなかった。この偉業、まさに郷土の誇り、といって良いと思う。それをきちんと展示し、なおかつわかりやすく展示する。地方博物館として、最高の展示だと感じた。

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