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現地出土品中心の素直な資料館 所在地 富山県富山市北代3871-1
歴史関係の展示に欠かせないのが、石器あるいは土器、といった出土品である。特に”縄文土器”というと一見したところ「どこも同じではないか?」などと思えてしまうが、そんなことはない。似ているようでも地域性があり、それらを見比べるのも非常に大切なことである。しかし、地方の小博物館なのに欲張りすぎていろんな土器を並べてしまいすぎるのもよくあることである。そうなると、「はて、この遺跡の特徴は?」となってしまう。これでは逆効果であろう。 この資料館の紹介の前に、遺跡と遺跡広場の紹介をしよう。北代遺跡は、およそ4000年前、縄文中期後葉を中心に営まれた大集落跡である。これまでの発掘で、東西280m、南北200mの範囲に70棟以上の住居跡、4棟以上の高床式建物跡が確認されている。そして、縄文以外にも、旧石器時代、弥生時代、奈良平安時代の出土品などが見つかっていた、この地に何度も集落が作られたことがわかっている。この、北大遺跡を史跡として整備したのが北代縄文広場である。ここには、竪穴式住居と高床式の建物が復元され、展示されている。 さて、展示室に入ってみよう。まずは縄文土器や石器の展示である。よく見る展示品、なのだが、この遺跡の出土品である。土器や石器の他に、小さな土偶や貝を模した土器もある。また、ミニチュア土器もある。展示品中心で解説が少ないのが残念であるが、みんなこの遺跡のものと思うとうれしくなる。つぎはこの展示室の中心、竪穴住居の復元である。中に入ってみよう。入り口からは短いがはしごで降りるような感じになる。“穴”というのが実感できるような住居である。中心にはいろり、それを取り囲むように当時の衣装をきた人形が配してある。家庭的な団欒あるいは安らぎを感じる。当時の生活は、自然が相手であり、決して楽ではなかったことと思うが、今と同様、家は大切な生活の場だったのだろう。別世界のような“縄文”の暮らしがとても身近に感じられるから不思議だ。 展示室には、パソコンを使った展示のほか、土器に触れるコーナーや、粘土に縄模様をつける体験のコーナーもある。特に縄模様などは、よくパネルで展示されて入るが、実際にやってみると均一に模様をつけるのはちょっとコツがいりそうだ。知識と実践の違いを痛感する。この模様、なぜ付けられたのだろうか? “装飾“とも言われているのだが、ただの装飾にしては広い範囲で使われている。また、実用とは離れた飾り。日常品にこれだけの模様をつける感覚。いまとは又違った高度な美的なものがあったのだろうか?ちょっと考えさせられた。 さて、展示室の外、広場に出てみよう。この住居群のすぐ近くには湧水地があったらしい。そんな中に竪穴式十魚が数棟、復元されている。周りは宅地化が進んでいるが、このような感じで集落があったのだろうか。小さな資料館と広場であるが、いろいろと考えさせてくれる、すなおな展示施設である。 |