暗がり坂(暗闇坂)



坂の上と下とで、雰囲気が全く違うことがある。
金沢の坂、その多くは市街地の中なので坂の上も下も町、ということが多い。だが、江戸時代に武家地であったところと町人地であったところなどではどこか雰囲気が違うこともある。距離的には近くても、”崖”という物理的な仕切りによって分けられていること、坂という接点が少ないことが理由かもしれない。その意味で、”坂”は、2つの町をつなぐ架け橋みたいなものかもしれない。

さて、暗がり坂。坂は非常に短いのだが、坂の上と下とで大きく雰囲気が違う。坂の上。ここは久保市乙剣宮の境内である。神社の隅から坂に入る。名前の通り、坂の上には神社の木々があるため、昼でも暗く感じる。坂の道幅も狭く、途中でゆるく曲がる階段になっている。坂の上から見ると、地面に吸い込まれるような、そんな感じさえする。そんなに急ではないのだが、やはり狭いことと壁や家に挟まれているからだろう。どこか秘密の場所へ抜ける道、そんな風にも思えてくる。

坂を下りると、そこは主計(かずえ)町。茶屋街である。今までの神社の雰囲気とは一変する。裏通りに出ることもあって狭く、圧迫感もある。だけど、どこか華やいだ感じもする。そして、今の感覚からすればどこか古く、落ち着いた雰囲気もある。ちょっと不思議な町並みである。
坂を下りたところにあるのは”主計町事務所”名前だけ聞くと何かの会社? 会計事務所? そんな感じがするのだが、踊りの稽古などをする場所でもあるそうだ。
坂から進んだ先は茶屋街の裏通り。道幅も狭く、自転車も通れないような道。裏通りの突き当りを折れて浅野川沿いにでるとそこは茶屋街の表通り。落ち着いた中にも華やかさを感じる茶屋街である。

この暗がり坂、金沢の文豪、泉鏡花が毎日ここを通って学校に行っていたという。鏡花を思いながら坂を上るのもまた良いと思う。

さて、坂の上、尾張町から降りる坂道、もう1本ある。こちらは無名の坂であったが、2008年になってあかり坂と名づけられた。どこか暗らがり坂と似た雰囲気もある。暗がり坂とあわせて茶屋街への抜け道? 多くの人がどんな思いで抜けたのだろうか?

暗がり坂の由来、これは言うまでもなく昼でも暗いことから来ている。


主計町の様子。

主計町は、浅野川沿いに広がる茶屋街で、金沢の3つの茶屋街の中のひとつである。

川沿いに広がるため、茶屋は道の片側にのみ並ぶ。2階からは浅野川の流れが見えることと思う。

主計町は、周囲とあわせ、尾張町に町名変更されていたが、1999年に復活した。


裏通りから表通りへの細い道。

主計町は、表通りと裏通り、それぞれ1本しかない小さな町。

狭い裏通りからみると一層表通りが華やかにも見える。
暗がり坂の石柱
暗がり坂の降り口

降りたところはやや広いが、坂は短く狭い。
写真の奥は久保市乙剣宮の境内。
主計町事務所

暗がり坂は、この奥にある。
雪の暗がり坂。
通る部分は除雪してるが、その両側に積み上げてある。人ひとり、歩くだけの幅しかない。
上から見下ろした雪の暗がり坂。