雨宝院前の坂


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犀川大橋を寺町方向に進み、橋を渡ったところに交差点がある。
直進すると有松や野々市方向に進む、北国街道となる。
左に進むと蛤坂。これは鶴来往来である。
そして、右側に進むと雨宝院前を通る、短い坂となる。坂に名前はない。ここでは、仮に”雨宝院前の坂”と呼ぶことにする。

雨宝院前の坂、これはまさに裏通り、という雰囲気である。
犀川からの道、北国街道は現在でも幹線道路であり、交通量は非常に多い。蛤坂となる鶴来往来も、蛤坂へ向かう人や車は少ないが、どこか”街道”、つまり通り抜ける道の雰囲気がある。道の雰囲気は、他の2つの道とは対照的である。実際、雨宝院前の坂道の先、これは入り組んだ街の中を通る。通り抜けは難しい道である。住宅に近所の人が利用するような商店、そして職人さんの家も少なくない。坂からは少し外れるが、この近くには和傘を作るところもあったりする。ありふれた街のようで、どこか金沢らしさを感じる、そんな雰囲気のあるところである。

雨宝院前の坂、坂としては短く、交差点から降りはじめたと思うとすぐに平坦になる。長さも短いし高低差もあまりない。このあたり、丁度犀川大橋を渡る国道157号線近くまでが寺町台地で一段高くなっているのだが、その台地も終わり、高低差がなくなる場所である。わずかな差が坂になって残っている、そんな感じである。この坂、幅が狭く、車が1台より少し広い程度の幅しかない。一方通行ではないので車のすれ違いがあるが、非常に苦しい。車はすれ違いのことを考えて道路端ぎりぎりに寄るので歩行者も通りにくい。
しかし、その割には車が多い。信号待ちのたびに数台は抜ける。やはり中心となる道路に出る道だからだろうか?

坂としてみれば長さも短いし、車も少なくない。向かいの蛤坂は落ち着きもあるのだが、ここは”せわしない”。”風情”には遠い感じさえある。だが、それでいてどこか気になる坂である。なにか惹かれるものを感じる。理由は・・・? 
その一つは雨宝院かもしれない。ここは文豪、室生犀星の育った寺。敷地が狭いが、これは犀川の洪水で削られたことも理由の一つ。でも、道路側の塀などにどこか落ち着きがある。これも坂の雰囲気を高めているような気がする。
そしてお地蔵様。
そういえば、金沢の落ち着いた雰囲気のある坂には、お地蔵様などが祭られているところが少なくない。街角の”せわしない”道でもなにか安らぎを与えてくださるようにも感じられる。

もうひとつのあめや坂?
あめや坂といえば東山近く、光覚寺前の坂で、幽霊の飴買いの伝承のある坂である。この飴買いの話、各地にもあるらしい。そして、金沢にも何箇所かにあるそうだ。中主馬町などにもあめや坂があった、とサカロジーで紹介されている。そして、千日町から犀川大橋の袂に上がる坂にも飴屋があり、飴を買いに来た幽霊の話があるそうだ。千日町から犀川大橋の袂に上がる坂、といえばまさにこの坂のことだろう。とすればこれもあめや坂? この坂、名称が無いので西のあめや坂と呼びたくなる。

さて、坂の降り口近く、犀川大橋のすぐ下流に泉用水の取水口がある。
河床の掘り下げのため、実際の取水はもう少し上流になるが、町の中へは昔どおり、犀川大橋のところからとなる。泉用水は、坂の隣を通る。坂が高いため、用水は深い堀のようにも見える。坂から見下ろすと、古いトンネルも見ることができる。また、泉用水の取水口へと下りる階段。これは一般的な道路ではないため、坂道には入れられないが、これもまた面白い。ちょっと寄り道して泉用水の水門、そして犀川大橋を下から見上げるのもよいと思う。煉瓦積み、そして石積みの古い壁も見ることができる。
このあたり、用水の流れは、坂に沿って雨宝院前の土塀前へとつながってゆくが、すぐに一度暗渠となる。泉用水、ここから先は再び開渠となり、道路より少し低い程度の、ごく普通の用水の姿となる。

雨宝院。
文豪、室生犀星が育った寺である。
犀星ゆかりの品などが展示されている。
雨宝院を坂の上から見る。
写真中央に、室生犀星の文学碑がある。(茶色い立て看板の右)

文学碑には、”性に眼覚める頃”の一節がある。
坂を上から見る。
坂を下から見る。
高低差は小さく、坂も短い。
泉用水から坂を見る。
写真右は雨宝院。
坂道となりを流れる泉用水。
坂道から犀川へと降りる階段。
坂の降り口、交番の隣にある
犀川大橋下の、泉用水取水口。
上記の階段を下りたところにある。
室生犀星記念館。

http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/saisei/index.htm


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