枯木橋坂
浅野川大橋から中心街方向に向かうと、すぐにT字型の橋場交差点に差し掛かる。直進すると兼六園方向、右に曲がると旧北国街道で旧城下の中心になる。この、右に曲がる道、短いが急な傾斜となる。これが枯木橋坂である。名前は交差点にある橋、枯木橋に由来する。
枯木橋は東内惣構堀に掛かるのだが、道路からはかろうじて欄干があるから橋と分かる。が、車からだろ気がつかないだろう。そもそも幅の方が長さより10倍位あるのだから、道路に埋もれてしまったような感じである。そして、坂は橋を飲み込んだように上り下りする。そもその交差点自体、坂にかかっている。直進する道路をぬける場合でも、坂寄りの道は少し上って降りることになる。
枯木橋坂、中心街方向からさしかかると、逆に急坂を降りてT字路となる。T字路なので道路が行き止まりになるような感じに見える。車で抜ける場合、交差点が気になって坂であることを忘れそうな気がする。信号の確認、進路の確認、そして歩行者の確認。そして、坂自体長さが短い、ということも坂と意識しないことの一因かもしれない。だけど、坂として見ると結構急である。上に立って見ると落差を感じる。なのに意識しにくい、ちょっと損な坂道である。
この坂、私には市街地に入ることを意識する場所であった。
私が子供の頃、ために金沢に車で出かけることがあった。そのルートは旧北国街道に近い国道である。金沢市に入り、道路脇に家などが立ち並ぶようになるが、まだ中心街のような賑やかさは感じない。そして、浅野川大橋を抜け、すぐに橋場交差点に差しかかる。当時は枯木橋坂を意識していなかったが、ここを抜けると街中に入ったな、と感じ始めたものである。実際にデパートなどがあるのはまだ先であるが、この付近がひとつのポイントになっていたように思う。枯木橋坂、総構堀を抜ける、ということで城下の入り口にあたる。後で調べてわかり、なるほど、と感じたものである。
さて、橋場交差点は別の意味でも重要な場所であった。金沢に住み、自分で運転するようになった頃、街中には車も増え、通過交通のためにバイパスも出来ていた。現在の国道8号線である。富山方向から来た場合、途中までは市街地入り口の混雑を避けるためにバイパスに回って市街地に入る。それが浅野川大橋の手前であり、混雑する場所でもあった。車は橋場交差点から枯木橋坂を登って中心街に向かう車と坂を抜けずに兼六園方面に向かう車に分かれる。私は直進するのだが、少しでも早く行こうと急ぐ車がいて交差点直前は車が交錯する。更に手前で左折する車や停留所から発進するバスもいて、流れが乱れる。私は無理をすると危険、と車線変更は極力行わないように走るのだが、満車の観光駐車場を待とうとする車もいて混雑に拍車を掛けるときもある。枯木橋坂に向かう車を横目に見て直進する瞬間、雑踏を抜けてほっとする時でもあった。
今は街中を迂回するもうひとつの道、山側環状道路ができてここを通る機会が減った。渋滞も減っているようだ。たまに東山などに行った帰り、時間の違いもあってスムーズに流れる交差点を見ていると、当時の雑踏を懐かしくも思う。
坂の上から見る。正面の建物は金沢文芸館(旧石川銀行)である。その手前に枯木橋の欄干が見える。
写真撮影: 2009年2月1日
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